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2023-10-26 09:50

12.なぜ、釣り人は「昔は釣れた」というのか、真面目に考察する

人間の記憶特性とデータなどの事実の両面から、真面目に考えてみました。 (参照データは主に海面漁業についてです) 人間の記憶特性からの考察 データなど事実からの考察 【参考資料】 令和4年度 水産白書(水産資源及び漁業環境をめぐる動き) https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/R4/attach/pdf/230602-8.pdf 【Instagram】 https://instagram.com/fishpod_roku?igshid=MjEwN2IyYWYwYw== 【Googleフォーム:ご意見・ご感想・次回配信して欲しい内容などはコチラへお願いします】 https://forms.gle/b6NmWPnHCjRTYFLq7

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サマリー

釣り人は昔は釣れたと言っていますが、人間の記憶の特性や魚の数、釣り場の環境の変化が影響している可能性が高いと考えられています。

人間の記憶の特性
みなさんこんにちは、ロクです。さて、釣り仲間とか、あるいはたまたま邸房で出会った釣り人から、「昔はこの辺りもよく釣れた。」という言葉、聞いたことがある方も多いんじゃないでしょうか。
私もこの言葉を聞いたこと、一度や二度ではありません。この言葉を聞いても何か現状が変わるわけではないので、正直対応にちょっと困る言葉なんですが、同時にこうも思うんです。
この方々も、昔は当時の先輩に似たようなことを言われていたんじゃないかと。そう考えると、今話している私も、いつかは同じことを言う日が来るのかもしれません。
なぜ釣り人はこういうことを言うのか、ふと気になって調べてみたので、それをお話ししたいなと思います。前半は人間の記憶の特性から、後半はデータや事実関係から考えてみたいと思います。
調べてみると、そもそも人間というのは、釣りに限らず昔の出来事というのを美化して記憶する傾向にあるようです。これは選択的記憶という言葉で言われることが多いみたいなんですけれども、人間はポジティブなことをより鮮明に覚えている傾向があって、時間が経つにつれてネガティブな詳細については一足早く忘れやすくなるということのようです。
これは過去の出来事を理想化する傾向につながっていくというふうに言われています。
さらに人に、例えば過去の物語を語る時というのは、過去を古き良き時代として思い出して、より単純で幸せな時代として再解釈をして話すという傾向もあり。
さらには物語や映画、書籍、メディアなど、世の中に発信をする時には、こういった過去の出来事というのは、よりドラマチックで理想化された内容で表現されることが多くなってきます。
まず一般論として、こういった要素というのが複合的に組み合わさることで、我々は過去の出来事を現実よりも美しく思い出すことが結構あるということみたいですね。
じゃあなぜそもそもこんなのが作りになっているんだろうかということで、もう一段階調べてみました。
これはホモサピエンスが反映していく中で、こういった特性を持っている方がたまたま都合が良かったんじゃないかということで語られているようです。
具体的な内容を見ていくと、まずは心理的安定という意味で、過去のポジティブな出来事に焦点を当てることで、個人としてはストレスを減らすことができて、
今起こっている困難なことを乗り越えたりとか、あるいは将来の不安に対応するための心の余裕というのが生まれる。
これは生存とか反映のために必要な心理的安定性を高めるのに役立ったんじゃないかということみたいですね。
それから、もっと集団という単位で見ると、共通した過去の美しい出来事があるっていうのは、この集団にとって結束力とか、ここで見ると自尊心を高める効果というのがあって、
例えば人類が生きている中で限られたものを分け合うとか、共通の目標に向かってみんなで助け合うみたいなことをするときに役立ったのではないかということ。
また、学習のプロセスという観点では、これらの出来事を美化するということが誤った選択をするリスクを下げて、
例えば将来に似たような状況が起こったときに正しく対応する能力を高めるという方もいるようです。
こういった点からですね、人類の進化の過程でこういう心理的な傾向というのが残っていったのは、
それが種としての生存とか繁栄に有利だったから、だから人間は昔のことを美化して語る。
それは釣り人も同じであるということですね。
ここまでが人間の記憶の特性という面からの考察ですが、
データと事実関係から考察する
ここからは少しだけですが、公開されているデータや釣り場を取り巻く環境という事実関係から考えてみたいと思います。
なんとなく魚が取れなくなっているという声をよく聞くぞという方も多いかもしれませんが、
国が毎年発表している水産博書によると、魚の資源量に対して漁獲量が多い、過剰に取ってしまっているものと、
もうすでに資源が少なくなってしまっている魚種というのを合わせると、
こういったものが全体の7割近くに上るというデータが出ています。
ただこれは全ての魚種を対象としているわけではなく、資源評価の対象にしている魚種とはいえ、
マイワシ、片口イワシ、マダイ、ヒラメ、マサバ、ブリ、サワラなどの、
まあこれ全部言ったわけではないですけれども、こういった釣り人にも馴染み深い魚がですね、
名を連ねていますので、一定の物差しにはなるんじゃないかなと思います。
また前提として、この資料はいくつかの数値的な仮定を置いているものなので、
仮定を置いた中での一つの見解ということになりますが、仮にこのデータが正しいとすると、
今すでに少なくなってしまっている魚種と、現在進行形で獲りすぎてしまっている魚種というのが、
かなりの数いるということは言えるのかなと思います。
もちろん反対に、近年の海水温上昇の影響で南方系魚種の漁獲量が増えたりといったことも見られていますが、
トータルで考えると魚の量が増えているという意見は非常に少ないように思います。
また釣り場環境に目を向けてみますと、以前は普通に入れていた不凍がソーラス条約の影響によって立ち入り禁止になってしまったり、
近年はコロナで漁港が閉鎖になったりということもあって、釣り場の数としては減少傾向にあると思います。
そうすると釣り場一つあたりにやってくる釣り人の数というのは当然増える傾向にあると思いますので、
一人あたりが釣れる数というのも減っていくのが自然なんだろうなという気はします。
ということで、魚の量とか釣り場を取り巻く環境という目で見ても、
釣れる魚の数はどちらかというと減っている可能性が確かに高いんだろうなと個人的には思います。
釣れなくなった理由を考察する
なので話を戻しまして、なぜ以前は釣れたと言いがちなのかという意味では、
実際の魚も確かに減少している可能性が高く、また昔の思い出は良い思い出だけが残りがちという人間の記憶の特性というのもあるんだということですね。
個人的にはこの人間の記憶の特性というのも非常に影響が大きいんじゃないかなと思います。
ちなみに私の好きな釣人である海光たけしさんという方、既にお亡くなりになっているんですけれども、
ベトナム戦争を命がけで取材したベトナム戦記などが代表作として知られている方ですが釣りが大好きでして、
オーパというアマゾンを舞台にした釣りの本も出版されています。
その中でも海光さんは、昔は釣れたという言葉は万国共通だと語られていました。
そういう意味では日本人に限らず人類全般に言える傾向と考えられるんじゃないでしょうか。
今回話した内容というのは、そういう意味では釣りに限らず、
世の中に溢れている色々な情報を眺めるときに一つの味方になるかもなと思います。
一方で確証バイアスといって、自分が一度正しいと思った情報を裏付けるような情報だけを自然と追ってしまうという、
これまた人類の傾向も心理学の分野では知られています。
なので私が集めた情報というのもこのバイアスにどっぷり使っているかもしれません。
ご指摘いただけましたら反省して訂正したいと思います。
また一番は私自身が出会った釣人にちょっともった話をしてしまわないように気をつけたいなと思います。
この番組では釣りの知識・ノウハウを定期的に発信しています。
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感想などありましたら概要欄のフォームか私のインスタグラムのメッセージからお願いします。
ではお聞きくださりありがとうございました。
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