つまり元ドライバー目線でオーバーテイクっていうのはもうつまりお互い基本的には非常に高い技術の人間同士が走ってて、車ももちろん優劣はありますけれども争っている段階の車の優劣ってのはほとんどない。
そんな中でどうやって抜いていくかっていうときにもちろんプレッシャーをかけて心理戦を仕掛けていくっていうのもあるし、もう一個がこのクリエイティブな作業だっていうんだよね。
つまりみんながみんな同じようにサーキットを捉えてて、ここが抜きどころで、ここはこういうふうにブロックすればよくてみたいな、そういうスタンダードなやり方っていうのはみんな頭の中に入ってるし、その通りやってると基本的にはなかなか抜けないと。
だから、「え、ここで抜くの?」みたいな、そういう他の人が思いつかないような発想っていうのが瞬時にできること。
これがドライバーの優劣をサーキット上で決める非常に重要な要素で、それはクリエイティブな作業だと。
つまりひらめきなんだということを言ってて。
じゃあ、クリエイティブなひらめきが上手いドライバーっていうのは今誰なのかっていう話があって。
オーバーテイク上手いよねっていうので、ハミルトンとかフェルス・タッペンとか、あとダニエル・リカルドも上手いよねみたいな。
で、ここでですね、この流れですよ。
ハミルトン、フェルス・タッペン、リカルドっていう流れの中で、少し乱暴でミスも多いけれども、アレクサンダー・アルボンも上手いと思いますと。
アルボンもえっというところで入っていけるタイプのドライバーですよね。
ちょっと安定感に欠けているけれども、ああいうオーバーテイクの仕方はすごいなと思います。
接触もしますが、結構仕掛けられるドライバーだと思いますね。
っていうようなことを言ってて。
これってなんかファンが、僕らが見てて、あんまそういうふうに評価したことないんじゃないかなと思って。
オーバーテイクはクリエイティブな作業なんだっていう。
ここがすごい今日のキラーフレーズですね。
これもタイトルにしたいぐらいのキラーフレーズ。
こっちのほうがいいかな。オーバーテイクはクリエイティビティだみたいな。
クリエイティブな作業だっていう。
なんかそういう中で、アルボンがガチャンガチャン当たったりとか、コースからはみ出したりとか、
そういうところばっかりテレビで映って、またアルボンがやってるよみたいなふうになっちゃうんだけど、
実は彼は見方を変えると、非常にクリエイティブなドライビングを他の人が思いつかないようなところで仕掛けたり、
ここでやるの?みたいなところで抜いてったりとか、そういうことをやれるドライバーだっていう。
もちろんそれが何もミスなく成功するのが最も洗練された状況だと思うんですけれど、
意外とアルボンっていうのは評価されているんじゃないのかっていう、
そんなような感想を持ちました。
これ中野真嗣のレビューをもとに、そういう見方もあるのかと思ったっていうことで考えてみたんですけど、
これ皆さんも結構面白いんじゃないですか。そういうふうにあんまり見ないじゃないですか。
また当たってるよとか、でもそこにそうかと。
普通にみんなやってても、なかなかそんな普通にはオーバーテイクできない。
そういう人たちが揃ってる。そういう車が揃ってるわけだから、やっぱ何らかのひらめき。
それは外れることもあるんでしょうね、そのひらめきっていうのはね。
なんだけどそのクリエイティブな、発想が必要なんだオーバーテイクにはって思うと、
コーナーコーナーのバトルを見るのがすごい楽しくなりそうな気がするよね。
今まであんまりそんなふうに見てなかったんだけど、そういうふうに見ると面白いのかなみたいな。
新しい見方をアルボンと中野真嗣が教えてくれたみたいな、そんな気がしました。
みなさんいかがでしょうか。ということで、いくつかポルトガルグランプリ絡みの話題でお話をしてきました。
お便りもらいまして、これ先週じゃないの?先週やってないの?
数週間前のポッドキャストね。
今日すごいお便りたくさんあるんです。1,2,3,4つね。4ついただいてますんでね。
ちょっとまたご紹介して、みなさんにパドッククラブパスをお送りしたいと思っています。
まずこちらなんですけど、お便りのコーナーというわけじゃなくて、ここから話を広げていきたいなというところでこちらをご紹介します。
ヤマトさんですね。普通のお便りいただきました。ありがとうございます。
初めてお便りさせていただきます。ありがとうございます。
桐野さんがおっしゃっていた、日本のジャーナリズムがあまり良くないという話。
あまり良くないっていうか、もっと頑張ろうみたいなね。日本のジャーナリズムがという話を、
日本のメディアの代表格の一つであるオートスポーツさんの10月30日号が週刊誌かというぐらいあまりにも偏っていたのを見たときに思い出しました。
なるほど。僕が言ってたのをオートスポーツを開いたときに思い出したと。
あとウェブスポルティーバのホンダのF1撤退は志半ばなのか株価上昇が物語る現実と未来への不安という記事が
個人的には日本のメディアで一番良かったのでぜひご一読ください。長文失礼いたしました。ということで山戸さんどうもありがとうございました。
これ何でしたっけ。ホンダの話ですね。ホンダが2021年、来年1年やって撤退するよっていう発表したときに
いろんな記事がメディアにバーンて出たんですけど、これなんだろうなみたいな。
ホントにプロが書いたのかなみたいな。悲しいみたいな。悔しいみたいなですね。
そういう結構ストレートに感情をぶつけてくるような記事がちょこちょこありまして。
結構名のあるジャーナリストの人がそういうことを書いててなんだかなっていうふうに思ったっていうですね。
見てて猫ちゃんいるなみたいな風に僕は思うだけなんですけど。
例えばそういうのを見て感動する人もいると思う。猫が必死に生き抜いている感動みたいな。
感動をありがとうみたいな。たぶんね。その野良猫を見て感動する人もいれば、
僕みたいに別に感動はしないと。猫いるなーって思う人と。
いろんな人がいると思うんですけど。そういう時にですね。
感動をありがとうとかですね。
猫が感動を与えてくれるとか。いやいやそうじゃなくて。
それはあなたが感動したっていうだけで、それはあなた自身の心の中の問題だから。
感動をありがとうとかね。感動を与えてくれてありがとうとか。
それあなたの話だから。それ全然例えばホンダとかに関係ないからっていう。
これ僕がずっと日本の違和感って言うんですかね。
英語にはたぶんこういう表現ないと思うんだけど。
これね。だから感動を与えてくれる。それはお前が勝手に感動しているだけだ。
これって結構ファンには救いじゃないですか。
何に感動してもいいんだみたいな。感動をありがとうとか別に。
いいんだよ。勝手にこっちが感動してて何に感動しましたって言えばいいだけの話だから。
これなんかどんどん感情を出していけばいいと思う。別に相手関係ないんだから。
こっちが怒ったとかこっちが悲しいとかこっちが感動したとか。
これあくまでこっちの話だから。向こう関係ない。
ホンダもレッドブルもトロロッソも何にも関係ないわけ。
何に対して自分が感動したかっていうのは自分の自由だからさ。
感動はどんどん出していけばいいんじゃないのみたいな。
なんかね。そんな風に思ったりして。
これ大和さんの話から広がったんですけど。
大和さんも自由に自分で思ったことを言っていけばいいと思うんだよね。
プロのジャーナリストはそこは冷静に情報を提供するとか分析を提供するとかね。
なんかそういうことをやってほしいなっていうのは思うんだけど。
ファンとしては何に感動しようが何に怒ろうがね。
それは自由だからあんまり相手のことは考えず。
ホンダさんの気持ちとかレッドブルさんの気持ちとかフェルスタッペンさんの気持ちとか。
あんまりそういうことは関係なく自分がこういう風に感じたっていうのは勝手に言っていいんじゃないかなみたいな。
の風に思いますけどね。
それちょっとホンダの一連の流れで感じてます。
これもね、なんか今日は全方位にいろんなイチャモモつけてるみたいな番組になってますけど。
これもついでに言っておきますけど、別の記事でまたこれもショーノートに貼っておきますけど。
ブログポートFの裏側っていうね。
ポートFのところの、これはマリエ・F・ミナガワさんの10月17日の記事で、
本題を永遠なれ、加害活動的F1の終焉という後編。
この記事に結構シェアされて回ってるんですけど、
皆さんもちょっとね、前編と合わせて読んでいただきたいなと思うんですが。
これね、いかにもポートFさんの記事だなっていう感じで、よく書けてるなっていう感じなんですけど。
やっぱりちょっと気になるのがですね、後編の最後の締めのところでですね、
そこまで比較的冷静なというかね、客観的な分析視点が貫かれてて、
なるほどなみたいな、結構思うところがあったり。
メルセデスとホンダの違いとかね。
僕が前、フェラーリとホンダの違いはみたいなのを経済誌の記事から紹介しましたけど、
そのような形でメルセデスとかと比べたりとか、結構勉強になるなみたいなところがあったんですけど、
最後のところですね、今私たちにできることは何かっていう。
何かできることがあればぜひしたいなと思って、ちょっと読んでみたんですが、
F1の世界における厳しい現実を身にしみて痛感し、息承知した読者もたくさんいるだろう。
なるほど。だからこそここではホンダが再びF1に復帰する可能性を高めるために、私たちができることを考えようではないかと。
筆者の考えは単純明快だ。
2021年最後のレースまで心の底からホンダを応援し、感謝の言葉を精一杯伝えよう。
これだけである。
F1から去るホンダへの感情的な批判はいらない。
そんなような批判をすれば未来のホンダとF1の距離は遠ざかるだろう。
それは果たして世界のF1ファンが望むことだろうか。
未来英語、ホンダがF1と無縁の会社となっていいんだろうか。
いや、そうではないだろう。
そんなような感じで盛り上がって書いてあるところなんですけど。
読んだ時に確かにと思ったんですけど、
F1ファンになる方法というのは、このポドキャストの霧の都の考え方ですけど、
そこまでこっちがいい子にならんといかんの?みたいな。
こっちが何に怒ろうと、何に喜ぼうと。
それこっちの自由じゃん、ファンダシー。
なんかさ、そこまで言われなあかんの?みたいな気がしたんで、ちょっとね。
皆さんどうか分からないですけど。
別にホンダに対して怒ってる人がいたっていいじゃないですか。
逆にむしろ、怒ってるっていうのはすごい良いことだと思うのは、
ほとんどの人はホンダのF1が撤退みたいなことに関して無関心なんだよね。
関心がないわけ。
だからへーみたいな感じなんだけど、そこであえて怒ってるとか悲しんでるとか、
感情的になってるっていうのは、それはファンとしてはすごい良いことで、
ジャーナリストがそれを記事で、お金をもらって書いてる記事でやるなっていうだけの話で、
ファンがツイッターとかインスタとか飲み屋でとか、
そういうとこで感情的になるっていうのは全然いいじゃないですか。
ホンダはふざけんなっていうんだったらホンダはふざけるなっていうさ、
横断幕作って鈴川サーキットに貼ったりとかね。
そういうことやっていいと思うんですよね、僕。
そこまでコントロールされていい子じゃなきゃいけないの、こっちはみたいな。
ちょっと思いましたね。
これはこの記事の主眼ではないと思うんですけど、
もっとファンは好きなようにさせてくれたっていいじゃないかみたいな。
これ皆さんにちょっと僕言いたいんですけど、
もっと好きなようにやったらいいと思うんだよね、ファンはって。
例えばですよ、こういうこといろいろ例え話で話すのもよくないんですけど、
例えばイギリスのロンドンにパブに入るとするじゃないですか。
パブっていうのは日本でいうところの居酒屋と喫茶店を足して2で割ったみたいな、
そういう場所ですよ。
お昼ご飯も食べれるし、夜お酒も飲めるし、
そういうちょっとしたいいお店ですね、パブっていうのはね。
例えばロンドンのパブ入る、昼間入るじゃないですか。
そうするとプレミアリーグのチームがロンドンにはたくさんあるんですけど、
プレミアリーグのチケットって今すごい高くてね、
今ちょっとCOVIDでどうなってるか全然わかんないんですけど、
地元の元からいるファンの人は入れなかったりするわけ。
そうするとパブ行って飲みながらテレビで映ってる地元のチームの中級を見てたりして、
まあ相当あれですよ、相当客観的視点では荒れてるっていうか、
ふざけんなみたいなね。
お前俺の方が監督の方が俺が監督の方が上手いぞみたいな。
そんなような感じでガンガン感情的になって応援してるんですけど、
いいじゃないですかね、それで別にF1だって。
こんなふざけんなよ、ここまで御承しといて撤退ってどういうことみたいな。
もっと好きなように言ったら?みたいな。
思うんですけどね、そんな良い子になって本当にありがとう、感動ありがとう、最後まで応援しようみたいな。
気持ち悪い、なんか気持ち悪いんだけどっていうふうに思うんだけどな。
これはすいません、ここでこの番組のリスナーが30%くらい減ったかもしれませんけれども、
本当に自由に言っていいと思うんだよな。
そこを分けようよね、プロのビジネスとして関わっている人とファンというのは、
ファンは確かにやっている人の気持ちを害さないようにしようとか、
それも一つのファンの見識だと思いますけれど、
もっと好きなように感情的になっていいんじゃない?みたいなふうに思うけどね。
ということで、大和さんのお便りからつらつらと話をしてしまいましたが、
いろいろな記事が出てるなという、皆さんも楽しみ方を覚えて、
本田の記事に対していろんなスタンスがあるなみたいなのが楽しめるといいんじゃないかなというふうに思います。
はい、そんな感じでいろいろお話ししてきましたが、ちょっとお便りを紹介していきたいと思います。
こちら、ふつうのお便り、かずささんからいただきました。ありがとうございます。
メンション拾っていただきありがとうございます。
そうですね、ツイッターのメンションいただいて、前回かな、勝手に番組内でご紹介したんですけれども、
メンションいただいてありがとうございました。
そこから、今回のタイトルの話が聞けるとは思っていませんでした。
前回ですね、The Fox Has Done Runningってやつですね。
個人的にはF1は狩猟民族の競技だと思っているので、
今回のタイトルがリンクしているような気がして、びっくりしたような感動したような気持ちです。
なるほど。
ルノーやメルセデスがF1を続ける理由もそこにあるのではないかと思っています。
長々と失礼しました。次の更新も楽しみにしています。
ということで、かずささんどうもありがとうございました。
そうそうそう、ツイッターのメンションいただいててね、ちょっとそれをね、この前ご紹介したんですよね。
タイトル良かったよね。タイトル良かった、自分でつけてね。
The Fox Has Done Running、その狐は走るのをやめたっていうタイトルがついてるんですけど。
狩猟民族か、これもなんかよく言いますよね。
ヨーロッパっていうところで、狩猟で人類が根付いたっていう地域と、
例えば日本とかアジアで農耕民族っていうか、農耕するっていうことで食料を主に得た初期の人類っていうのと、
やっぱそれぞれ今に至るまで考え方が違うんじゃないかっていうんですね。
これは確かにところどころで、そんな何万年も昔の話がどれだけ現代に生きてるのかなっていうふうに思いながらも、
やっぱ狩猟民族だなとか、やっぱ農耕民族だなみたいな表現で、
人間性とか国民性みたいなものが説明されているところっていうのはよくありますよね。
F1っていうのは確かに競技だからね、レースだから、
必ずレースをすれば勝つ人と負ける人が出てくるわけで、
やっぱ勝つっていうのと負けるっていうのを明確に決めるっていう競技っていうものは、
確かにそれが狩猟だっていうね、狩るか狩られるかみたいな話だっていうと確かにそうなのかなと。
そんな気がしますよね。
でもなんかあれだよね、もともと狩猟っていうのは本当に生きるか死ぬかみたいな、
人間が本当に、そこでその狐一匹かな、一頭?狐を飼って飼えなかったらその人間が死ぬぐらいの、