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2025-07-11 07:56

四カ国の思考表現スタイル

サマリー

このエピソードでは、アメリカ、フランス、イラン、日本の思考表現スタイルの違いを探求しています。各国の教育や文化に基づく論理的な思考の特徴を通じて、異なる視点や価値観が思考にどのように影響を与えるかを考察しています。

思考表現スタイルの概要
あなたにとって論理的って、まあ当たり前のことかもしれませんけど、 もしその当たり前が文化によって全然違うとしたらどうでしょう。
今回はですね、渡辺雅子さんの論理的思考の文化的基盤、 まあこういった研究を手がかりにして、文化によって考える密指示がいかに違うのか、
ちょっと深く見ていきたいと思います。 具体的にはですね、アメリカ、フランス、イラン、それから日本の教育の中で見られる、
あの特徴的な思考表現スタイルっていうのに注目していくんですね。 これ単に言葉遣いが違うとか、そういうレベルの話じゃなくて、
物事をどう捉えて、どう組み立てるか、その根本的な、 まあ思考の型と言いますか、その違いを示唆しているんです。
えー、思考の型ですか。面白いですね。 これを通して、なんかご自身の思考の癖、つまりメタ認知ってやつですかね。
自分の考え方をちょっと客観的に見てみる、そんなきっかけになったら嬉しいなと思います。 まず大前提としてなんですけど、論理には数学みたいな普遍的なルール、
形式論理だけじゃなくて、私たちが普段何かを判断する時の推論、 いわゆる日常推論というのがありますよね。
この日常推論の方が、文化の影響をかなり強く受けるわけです。 特に文章の構成、つまり各型がその文化の思考の型を結構反映してるんじゃないか、と考えられるんですね。
なるほど、各型と思考の型がつながっている。 今回はその教育が何を重視するかで分類される、
経済、政治、法、技術、社会という4つの原理を手がかりに見ていくんですね。 ではまず、効率とか実用性を重視するアメリカ経済原理のスタイルからお願いできますか。
はい、アメリカで代表的なのはやっぱりエッセイですね。 まず最初に結論をドンと提示する、結論ファーストですね。
その根拠を後から積み上げていくという、ある意味目標達成への最短ルートを探すような、逆因果律的な思考が根っこにある感じでしょうか。
結果から原因を下がるみたいな。 結論ファースト、分かりやすいですね。小学生の作文の例で4コマ漫画を見て、
今日は最悪の日だった、ってまず結論から書くっていうのがありましたよね。 なんかこの効率重視ってビジネスとかだとすごく強みになりそうですけど、逆に言うとそのプロセスで何か見落としちゃったりとか、そういう側面もあるんですかね。
あー、鋭いですね。確かにその結論への直線的な思考っていうのは、場合によってはその複雑な背景とか多面的な要素をちょっと見過ごしてしまう可能性も指摘はされていますね。
さて、そのアメリカの効率性とはある意味対照的に、議論を通じて価値とか体系的な地位、教養を探求していくのがフランス政治原理のスタイルになります。
ああ、フランスというとあのディセルタション、論文ですね。 一つの考え、正、理対してあえて反対の考え、反、を深く掘り下げて、そこからより良い考示の結論、誤を導き出す。これがいわゆる弁償法ってやつですか?
まさにその通りです。思考のなんというか型稽古みたいな感じで、多角的な視点とか批判的な精神を鍛えることをすごく重視するんですね。
ですから歴史を見る目なんかも単に出来事が並んでるんじゃなくて、古いものと新しいものがこうぶつかり合って統合されながら進んでいく、そういう弁償法的な展開として捉える傾向が強いんです。
なるほど。常に問い続ける、みたいな姿勢が大事なんですね。では次は確立された真理とか規範を重んじるイラン法基述原理はどうでしょう。フランスとはまたかなり対照的な印象を受けますけど。
ええ、まさにおっしゃる通りで、イランの場合はイスラームの教えなんかが基盤になっていて、協力っていうのはその絶対的な真理を伝えて継承していく役割を担っているという考え方が強いんですね。
エンシャーと呼ばれる作文スタイルが特徴的なんですが、例えば神への感謝みたいな、そういう結論はもう最初から決まっていることが多いんです。
結論がもう決まってるんですか?
そうなんです。その聖典からの引用なんかをうまく使いながら、その普遍的な真理をいかに修辞的に美しく表現できるかという点が重要視されるわけですね。
どんなテーマを扱っていても、最終的には宗教的な真理に結びつけていくという構成になります。なので暗記力なんかも非常に重視されますね。
日本の共感的スタイル
なるほど。美しく表現することが大事なんですね。
でもその決められた結論に向かう中で、個人のオリジナリティとか、何か新しい発見みたいなものはどう評価されるんでしょうか?
ちょっと気になりますね。
それは非常に興味深いポイントですね。
おそらくその既存の真理の枠組みの中で、いかに深く理解してそれを巧みに表現するかという点が評価の中心になるということかもしれません。
さて、最後に他者との共感とか調和を体積にする日本社会のスタイルを見ていきましょうか。
日本というと、やっぱり感想文ですかね。自分の体験とか感情を書いて、読み手と気持ちを分かち合うみたいな。
国語の授業で筆者の気持ちを考えなさいっていう問いがやたら多いのも、なんかこの流れなのかなって今思いました。
正直自分が学生時代に書かされた作文とかも、まさにこの日本のスタイルだったなってすごく腑に落ちます。
そうですね。いわゆる意見文なんかでも、一方的に自分の主張を通すというよりは、相手の立場とか全体の調和を考えて、
まあみんなが納得できるような、そういう落とし所を探る傾向が強いですよね。
歴史の描き方にしても、特定の原因を一つ強調するんじゃなくて、いろんな要因が絡み合って、物事が成り行きで進んでいく、みたいな描写が多いかもしれません。
いわゆる場の空気を読む、感触感性を重視して、状況に応じて柔軟に対応していく、そういう思考が育てられやすいと言えるでしょうね。
こうして4つのスタイルを比べてみると、これ単なる描き方の違いってもんじゃないですね。本当に根深い考え方の文化差があるんだなっていうのがよくわかります。
そうなんですよ。ですからね、ある文化圏で、いやそれは非論理的だとか、なんかわかりにくいなって感じる表現も、別の文化の思考スタイルから見れば、ごく自然な流れだったりするわけです。
この視点で、違う文化の人とコミュニケーションを取る上で、その無用な誤解とか衝突を避けるためにはすごく大事なことだと思うんです。
そしてこういう文化的な思考の型っていうのは、知らず知らずのうちに、あなた自身の考え方にも影響を与えているはずなんですよね。
今回ご紹介したようなスタイルを知ることで、自分の思考パターンを客観的に見つめ直すメタ認知ですね。それによって、普段とは違う角度から物事を考えられたり、問題解決のヒントが得られたりするかもしれないなと。
もしあなたのその当たり前だと思っている論理がですね、これまでの文化とか教育によって無意識のうちに形作られているとしたら、そこにはどんな思い込みとか見えていない部分があるでしょうか。
そして意識的に他の思考スタイル、例えば結論から話してみるとか、あえて反論を考えてみるとか、全体の調和を探ってみるとか、そういう方法を試してみたら、どんな新しい発見とか解決策が見えてくると思いますか。
いやー、今回もまたいろいろと考えさせられるお話でした。ありがとうございました。
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