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2025-06-22 06:21

聴く!「ヘタレ人類学者、砂漠をゆく」読書会 第3回

「ヘタレ人類学者、砂漠をゆく」読書会 第3回の会議メモから生成したふりかえり用Podcastです

サマリー

このエピソードでは、「ヘタレ人類学者、砂漠をゆく」の読書会を通じて、参加者たちが異文化理解や感情の役割について活発な議論を展開しています。特に、文化の違いが自己の常識を問い直し、視野を広げる重要性が強調されています。

異文化理解の重要性
今回はですね、ヘタレ人類学者、砂漠をゆくという、この本に関する読書会の記録メモ、これを一緒に見ていきたいと思います。
人類学者の方が、砂漠での体験を通して、ご自身の常識が揺さぶられたっていう、そういう記録ですよね。
メモには文化理解とか感情、あとは固定観念みたいなことについて、参加者の皆さんの活発な議論が詰まってるなと感じました。
そうですね。なんかこの記録を読んでると、異文化と出会うっていうことが、なんていうか、自分たちの当たり前を問い直させて視野を広げるんだなっていうのがすごくよくわかりますね。
はい。
なので、今回のこの探求では、この議論を手がかりにして、私たちが他者、そして自分自身を理解する上で何が得られるのかなっていうのを、
特に自分の持っている枠組みがグラッと揺さぶられるような、そういう瞬間に注目してみたいなと思います。
まず、特に衝撃的だったのが、排泄に関する記述なんです。
ありましたね。
私たちの社会ってかなり徹底的に管理されてるじゃないですか。それとは本当に正反対の砂漠での在り方について、参加者の一人は、無意識の欲求とかタブーとか、そういう精神分析的な視点も交えながらすごく強い反応を示してましたね。
そうですね。日常的な行為の違いほど、無意識に持っている規範とか、衛生観念みたいなものを強く意識させられるものってないかもしれないですね。
確かに。記録にもありましたけど、ある参加者の方は、本能的に拒否感を覚えちゃうんだけども、でもむしろ自分たちの社会こそが管理されている側なんだっていうふうに気づかされたと指摘してましたね。
はいはい。これって異文化理解のある意味では非常に効果的な入り口と言えるかもしれないですね。不快感みたいなものが問いの始まりになるというか。
その不快感とつながるかもしれませんけど、議論の中では感情の役割っていうのも結構大きく取り上げられてましたよね。
特に、日本だと避けがちな失敗とか起こりみたいな感情が他人を理解する上では、むしろ不可欠なんだっていう意見はすごく印象的でした。
確かにありましたね。本書の中にも、絶えなくつらくも嬉しいぶつかり合いの長い長い過程こそが学びのプロセスっていう、そういう言葉があって。
それに多くの共感が寄せられていたようですね。例えば、規範が破られたって感じた時の怒りとか。
あとはその怒りっていうのが、実は驚きとか不安とか、そういう一時的な感情から生まれる二次的なものなんじゃないかっていう可能性とか。
そういう感情への深い洞察が語られてるんですよね。
つまり、なんていうか、心地よい学びだけじゃなくて、こういう感情的なぶつかり合いみたいなものこそが、あなた自身の当たり前を深く見つめ直す、そういうきっかけになるんだろうなと。
記録の価値
なるほど。ぶつかり合いそのものが学びになると。それから、理解が難しい現象への向き合い方っていうのも議論の中心でしたね。
ヤギに女神が憑依するみたいな、科学ではなかなか説明できないような出来事に対して、不思議な現象の種明かしに欲期になるんじゃなくて、彼らの世界から捉えようと奮闘するっていう著者の姿勢。
これにはみなさんすごく敬意を払っていました。
ここで多分重要なのは、安易にわかったとしない姿勢っていうことなんでしょうね。
ただそれは、相手の言うことをそのまま鵜呑みにするのとはちょっと違う気もするんです。
参加者の方が例に出してた日本のテルトル坊主の話がありましたけど。
ありましたね。
あれみたいに、科学的な説明は知りつつも、願いを込めて行動するみたいな感覚に近いのかもしれない。
なるほど。ハイブリッドな感じというか。
そうそう。相手なりの論理とか合理性っていうのをまず理解しようと努める態度というか、すぐに白黒つけずに保留することの価値を示してるのかなと。
あと、理系的な思考と人文系的な思考の違いみたいな観点からの意見もありましたね。
あれも興味深かったです。
そういう異文化理解の難しさとか、あるいは揺らぐ自分自身を捉える上で、記録がいかに大事かっていう点も議論されていましたね。
30年も前の体験をすごく鮮明に描ける背景には、やっぱり詳細なフィールドノートがあったんだろうと。
感情も含めて、ちゃんと書き留めておくことの大切さっていうのが指摘されていました。
まさにおっしゃる通りだと思います。
フィールドワークっていう経験そのものと、あとそれを記録して、後から何度も振り返ることを通して、著者は文化と文化の間で揺らぎながら変容していく。
記録っていうのは過去の自分との対話でもあるし、理解を深めていくプロセスそのものなんですよね。
なるほど。
これってあなた自身が日々の学びとか気づきを記録して、それを振り返る上でも何か大きなヒントになるんじゃないでしょうか。
そうですね。今回の読書会の記録を深掘りして見えてきたのは、やっぱり一冊の本が参加者の皆さんにすごく深い内省とか対話をもたらしたんだなっていうことと、
あと異文化との出会いっていうのが時には不快さとか怒りも伴うんだけど、でもそれがいかに自分たちの常識を問い直して視野を広げてくれるかっていうことでしたね。
そうですね。特に印象的だったのは、やっぱり安易にわかったとしないっていうことと、結論をきすぎないで保留するっていうその姿勢かなと。
はい。
情報がすごくたくさんあふれている現代においては、私たち自身にとっても非常に示唆に富む態度だと思うんですよね。
どうしたも無意識のうちに自分の物差しだけで物事を測っちゃいがちですから。
確かに。そこで最後にあなたに問いかけてみたいんですけれども。
はい。
日々の生活の中で、なんかちょっと理解できないなと感じる人とか文化、あるいは出来事に直面したときに、どのくらい意識的に判断を保留してみているでしょうか。
うーん。
もし一度立ち止まって相手の世界の論理から捉えようとしたら、そこには何か違うものが見えてくるかもしれませんね。
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