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#11 迷ったら行けって話〜かわむーの海外渡航記③ケープコースト・アノマボ編〜
2026-01-07 31:32

#11 迷ったら行けって話〜かわむーの海外渡航記③ケープコースト・アノマボ編〜

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さて、ガーナ渡航記の第3回。今回は首都アクラを離れ、大西洋奴隷貿易の歴史が刻まれた沿岸部の街、ケープコーストとアノマボへ向かいます。世界史の教員として、そしてかつて修士論文で「18世紀の奴隷貿易」と向き合った一人の探究者として。史料の数字だけでは見えなかった「現場の空気」と「残酷なコントラスト」を、現地の風と共にお届けします!


次回はいよいよ内陸の古都クマシへ移動しての年越し!そしてアフリカのパワーを肌で感じるエピソードの数々をご紹介します。


ガーナ #ケープコースト #アノマボ #世界遺産 #奴隷貿易 #トロトロ #森下仁道 #世界史 #教育


▼森下仁道選手 X(旧Twitter)

https://x.com/JindoMorishita

▼ユネスコ世界遺産:ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群

https://whc.unesco.org/ja/list/34/

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▼「好奇心のたまり場」とは?

福岡の現役高校教員のかわむーが日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやモヤモヤをリスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わう番組。

みんなんで好奇心を持ち寄り、日常を少しだけ豊かにする「知の冒険」に出かけましょう。

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00:03
はい、始まりました。好奇心のたまり場。この番組は、福岡の現役高校教員が、教育現場のリアルや探求、キャリアなど、日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやもやもやを、リスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わうポッドキャストです。
パーソナリティを務めます、かわむーこと川村周平です。 好奇心のたまり場第11回です。よろしくお願いします。
はい、ということで、皆さま、明けましておめでとうございます。
えー、2026年も、えー、好奇心のたまり場、ぜひよろしくお願いいたします。
ということで、新年、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
えー、私はですね、年末年始、実家に帰っておりまして、えー、実家の家族と一緒に過ごしたりだとか、
ま、あとは、地元が私、浅倉市なんですけれども、浅倉市に移住をしている友人がいまして、
ま、その友人に会いに行ったりですね、あのー、いろんな日頃できないようなことをやったりしておりました。
ま、あとはですね、ま、年末年始、前回の回はですね、同期の永友先生と一緒に振り返りをしたりだとかもやったりしていたんですけれども、
ま、毎年年末年始が来るとですね、一年間をどう振り返って、また次の一年どう頑張っていくかっていうところを考えるので、
なんかすごく私自身、有意義な時間の使い方に出てきているなと思うんですけれども、
ま、あっという間にもう年も明けて、正月も終わりですね、新しい年度の始めが待っておりますので、
ぜひ皆様と一緒に頑張っていけたらなというふうに思っております。
はい、ということで、えーっと、今年一発目の放送はですね、前回から続いております、迷ったらいけって話、
カワムの海外渡航券ということで、えー、ガーナの話をですね、続けていけたらなというふうに思っております。
ま、ガーナ渡航券もですね、ま、いよいよ核心部分に入っていきます。
というのもですね、あのー、最初にもお伝えした通り、このガーナ渡航っていうのが、
ま、私がですね、もともと大学院で、あのガーナを舞台として研究をしておりましたので、
ま、その研究対象を見に行くっていうふうな意味合いが非常に強かったので、
ま、今回、2023年のですね、12月27日ですかね、はい、もともと首都のアクラにいたんですけれども、
ま、そこから離れてですね、大西洋に臨む、ま、歴史の街ともいえる、ま、ケープコーストに移動をします。
で、ま、私の終始論文は、18世紀の大西洋奴隷貿易というところで、
ま、アフリカの現地のコミュニティとか、ま、現地の人たちとイギリス人商人との関係構築、
みたいなところを研究テーマとしていたので、ま、このケープコーストっていうのは非常に重要な場所になってきます。
で、ま、あの、どうしても自分の目で確かめたかった場所でもあるので、
ま、今回のですね、この部分っていうのは非常に私の旅においては重要な意味を持っております。
で、ま、最初にお伝えしておきたいのが、私自身そこに住んだわけでもなくて、
ま、わずか数週間滞在したに過ぎない、ま、一回の旅行者だということです。
で、ま、よくある話なんですけれども、その短い期間で、ま、実際生でですね、
03:03
ま、現地を見たと言っても、全てを理解したきになってはいけないなというふうに思うわけです。
なので、その自解を抱えつつですね、ま、数年間資料と向き合ってきたちょっとした知識もあるので、
ま、それも踏まえて、ま、現地で、ま、肌に触れた断片的な風景とつなぎ合わせてですね、
今日はお話ししようかなというふうに思っております。
はい、ということで、ま、まず、アクラカの移動なんですけれども、
ま、ガーナ市民の足と言ってもいいでしょう、トロトロと呼ばれる乗り屋のバンで移動をします。
どんなものかわかりますかね?
ま、タクシーで言うとですね、ま、2,3人が座ったりすると思うんですけど、
ま、あれのバンで、しかも乗り合いのパターンですね。
ま、だいたい1つのバンにどうですかね、4,8人くらい乗るんですかね?
はい、ま、それみんなで乗って移動するっていうのがかなり一般的になってます。
で、ガーナの通過単位なんですけど、これ皆さんご存知ですかね?
これ、あの、ガーナセディ、ま、セディって言うんですけど、という単位を使ってます。
で、当時は1セディがいくらくらいだったかな?
んーと、15円とかだったかな?
もうちょっと高かったかもしれないですけど、
あの、アクラからケープコーストまでの移動の運賃っていうのが、
ま、だいたい1人70セディくらいだったと思います。
なので、ま、日本円で1000円ちょっととかですかね?
ま、距離を考えれば、ま、安いんですけど、
ま、このトロトロがですね、めちゃくちゃこう、システムが強烈で、
どんなものかっていうと、普通の乗り合いバス、バンではなくて、
あのですね、これ満員になったら出発するっていうのが、こう、絶対的なルールです。
なので時刻表とかないんですよ。
これ意味わかりますかね?
あの、乗った人の分だけ、要はま、お金が発生するので、
あの、満杯になるまで待つんですよ。
で、座席が完全に埋まったらドライバーが出発するっていう風なスタイルなので、
乗っててもですね、あの、埋まんなかったら出発しないわけなんですよね。
なので、ま、早めに行かないと乗れないっていう可能性もあるので、
一応、われわれ、車に早めに乗り込んで、
ま、座席が埋まるまでですね、大体1時間ぐらい、
これ多分一般的じゃないかな?
1時間ぐらい待ちます。車内で。
で、当然、冷房なんかもないので、
ま、虫風呂のような車内で1時間ずーっと待ち続けてですね、
よっしゃ、やっと埋まったと思ったら、
大体そっから沿岸部まで、えっと、3、4時間ぐらいですね。
はい、乗りっぱなしです。
ま、1回休憩あったかな。はい。
で、冷房もない土ぼこりが舞う道をひたすらブワーッと走っていくわけですよ。
で、正直もう身体的にはめっちゃ削られます。はい。
で、ま、一方で、ま、窓の外はですね、
結構沿岸部に移動する途中、結構農村部とかガーッと走っていくので、
ま、今までの風景とガラッと変わるわけなんですよね。
で、車内では、ま、現地の人々の話し声がバーッと行き交ってたりだとか、
ま、なんかそういった不便さとか活気がこの、なんか同居するこの移動自体に、
なんかそのガーナの日常みたいなのを肌で感じる貴重な時間でもありました。
で、実際この移動とか、ま、いろいろね、あの、なんだろう、
06:02
宿だったりとか、現地の過ごし方みたいなのの、
ま、ティップスみたいなのを事前にいろいろ教えてもらってたんですけど、
ま、一番支えてくれたのが、
当時ガーナで唯一日本人プロサッカー選手だった森下神道選手って方がいらっしゃいます。
目的地に到着してからの足回りなんかもそうなんですけど、
ま、この森下神道選手が、あの、我々をこう、事前にサポートしてくれていて、
ま、神道さんっていうのが、僕と同い年で、今30かな、になっている方なんですけど、
あの、水戸間選手と同じ、筑波大学のサッカー部の出身で、
現在はモロッコのニブリーグに移籍して、
こちらで、あの、サッカー選手として活動しています。
ま、一緒に行った先生の、その、ジャイカーのツテで、
ま、渡航前に、その神道選手ともコンタクト取れていて、
ま、ケープコーストでのツクツクの手配だったりとか、
ま、あと現地での過ごし方、
ま、その他諸々この神道さんのツテだったり、サポートがなければ、
なんか我々の、もっとなんか途方に暮れてたんじゃないかなっていう風なことを思ったりしてます。
で、神道さん、ま、あの、僕の前任校にも後援に来てくれたんですよ。
あの神道さんは、もともと出身岡山で、
ずっとガーナで暮らしてたんですけど、
ま、ちょっと一時期大きめの怪我をして、
そのタイミングでですね、あの、私の前任校にも後援に来てくれて、
で、あの、すごく子供たちに熱い話をしてくれてですね、
サッカー部の子たちもすごい喜んでくれたんですけど、
ま、今でもですね、サッカーファンとしても、やっぱり一人の人間としても、
ま、その志の高さには頭下がりますし、
今でも全力で応援している存在です。
はい。
ま、そういった、あの、強力なサポーターも5つですね、
我々の旅が進んでいくわけなんですけども、
ま、えっと、3,4時間ぐらいですね、トロトロに乗って、
実際、ケープコースのペリュージャンクションっていう、
ま、こうバスセンターみたいなところがあるんですよ。
で、到着した時も結構もう寄ってて、
結構体調は最悪だったんですよね。
で、そこで、ま、トゥクトゥク手配してもらってたので、
あの、トゥクトゥクに乗って、トゥクトゥクって分かりますかね。
あの、ベトナムとかでも、あの、ある、あの、バイクですね。
3,4人ぐらい乗れるバイクに乗って、
たどり着いたのが、ま、ちょっとまた変わった宿ですね。
はい。ま、ドミトリって言っていいのかな。
分かんないんですけど、
あの、ホストマザーがいて、運営をしてる宿です。
はい。
で、そこへのエッシーっていうお母さんと、
あとは息子のククっていう、
あの、2人がやってるところで、
もうすごく温かい場所でですね、
エッシーも多分、年齢とか聞いてないんですけど、
そんなに、あの、上でもないし、
なんかこう、毎朝ですね、作ってくれる温かい朝食だったりとか、
なんかすごく、いろいろ気使ってくれるんですよね。
水持ってきてくれたりだとか、
はい。
なので、なんかその体調ちょっと悪かったんですけど、
なんかその優しさにすごい救われたなっていうのがすごくあります。
で、この宿に3泊ぐらい泊まって、
で、最後ククには、
あの、日本から持ってってたボールペンとか、
なんかそういったものをプレゼントして、
09:02
めちゃくちゃ喜んでくれて、
今でも動画撮ってるんで見返すと、
すごいなんか懐かしいなーっていう気持ちになるんですけれども、
そういったところで、3泊過ごすわけですね。
はい。
で、初日着いた夜なんですけど、
あの、ケープコースに集まっていたですね、
10名ほどのJICAの海外協力隊の方々と会食する機会をまた持つことができまして、
日本中から集まった隊員の方とですね、
語り合う時間っていうのが、
なんかこう、ガーナで日本人といっぱい話をするっていうのがすごく新鮮で、
なんかすげー楽しかったですよね。
ただあの、実はここでもちょっとガーナの洗礼を受けていて、
一人はですね、体調めちゃくちゃ崩しちゃって、
この会食に行けないぐらいちょっとダウンしちゃったんですよね。
で、私もその翌日かな、翌々日かな、体調崩しちゃって、
結局熱出てたんですよね。
で、まああの、乗載見に来てるので、
まあそういった執念で、
まあなんとか寝たりとかして体調戻したんですけれども、
やっぱりこう、ちょっと緊張感のあふれるスタートだったなというふうに思ってます。
はい、ということで12月の28日ですかね、
あの念願の、そして覚悟がですね、
必要な場所でもあるユネスコの世界遺産、
ケープコースト城に足を踏み入れるわけです。
で、この城の歴史をちょっと話しておくと、
この西アフリカにおけるですね、
ヨーロッパ進出の歴史そのものといえる場所です、ここは。
で、始まりは1653年ですね、
スウェーデンアフリカ会社が、
カルロスボルという木造の砦を築いたのが最初で、
まあこれがヨーロッパによるアフリカ大陸への本格的な進出の端緒となりました。
そのためですね、ケープコーストっていうのは結構西アフリカでも最初に建てられた教会だったりとか、
あと学校なんかが今でも残ったりしています。
で、その後、金とかあと象毛ですね、
象の牙です。
の攻撃拠点をめぐって、
デンマーク、イングランドと支配者が2転3転していくわけですね。
で、最終的にイギリスが奪い取って、
1877年に首都がアクラに移されるまで約200年間ぐらい、
ここはイギリスのアフリカ支配の心臓部であり続けました。
で、フランスが接見していたこの西アフリカにおいて、
なぜイギリスがこのガーナを譲らなかったかという点なんですけれども、
それはですね、ここが莫大な金を産出する黄金海岸、ゴールドコーストだったからなんですね。
で、時代の流れとともに、
そのヨーロッパの需要っていうのが金から人へと移っていくわけです。
要は新大陸の発見からアメリカでの大規模プランテーションに不可欠な労働力として、
数え切れない人々、いわゆるアフリカ人奴隷が城から海を渡らされることになっていくという風な流れになっています。
もう少しですね、歴史学的な視点からちょっと触れておきたいのが、
12:00
この奴隷防衛の構造なんですよね。
以前別の回でもお伝えしたかと思うんですけれども、
アフリカの人々を捕まえて奴隷にしたのは誰なのかという問いがあります。
実はイメージ的にはですね、奴隷防衛はですね、
ヨーロッパ人が一方的に誘拐したりだとか連れていくという行為ももちろんあったんですけれども、
武器を求めたですね、現地の王国だったりとか部族が対価として、
同じアフリカ城をヨーロッパ人に差し出したという側面も非常に大きいわけです。
例えばこのケープコースト城、城内にはパラバホールという部屋があります。
やはりこう、何て言うんでしょうね、ミーティングの部屋という感じですかね。
ここではアフリカ人の支配者とヨーロッパ人商人が実際にその人間の値段を交渉するんですよね。
そういった部屋もあるくらい、かなり関係的には協力関係にあったわけです。
で、ケープコーストの中の話をちょっとしていくとですね、
私が最も震えたのがやっぱり地下牢ですね。
いくつか地下牢を入る場所があるんですけど、
要はスライブダンジョンというふうに看板が掲げられていて、その地下にどんどん降りていくわけですね。
要はですね、船に積み込まれる前にガーナ中から連れてこられたアフリカ人奴隷を一旦収容しておく場所が必要になるわけです。
それがこの地下牢なんですね。
入ったら分かるんですけど、そこにはもう一切の光がないわけなんですよね。
唯一あるのは外から様子を伺うための拳1個分くらいの小さな覗き穴くらいで、
地面とした湿気と、あとここに何百人もの人間が押し込められていたという圧迫感。
本当にすごく胸が苦しくなるような空間でして、
ガイドの方が話してたのが、結構床がボコボコしてるんですよ。
この床の厚みっていうのは、当時の奴隷たちの皮脂だったりとか、
排泄物が堆積して固まったものなんだっていうふうな説明をされていて、
それは話を聞いた時にですね、真っ暗ですよ。
電気も一切ついてないので、本当にギューッと心臓が締め付けられるような、
そんな感覚になったのを今でも覚えてます。
またその構造なんですよね。
奴隷たちがそういった暗闇の中で悲鳴を上げていた、その真上ですね。
ケープコースの特徴なのかもしれないんですけど、
その真上にイギリス人たちが祈りを捧げるための教会が設置されてるんですよね。
その賛美歌の清らかな歌声が響く下で、同じ人間が者として処理をされている。
信仰と作詞が同居しているというか、
あまりにも残酷な断絶というものが目の前にバーンと立ち現れて、
15:06
これこそが教科書の文字を追うだけでは絶対に感じれないというか、
たどり着けない歴史の歪みそのものだなというのを改めてここに来て感じたわけです。
アフリカ人たちは内陸から延々と歩かされて被兵しきったわけですね。
死なない程度の水と食料を与えられて、排泄物なんかも垂れ流しです。
ヨーロッパ人の言うことを聞かなかったら別の部屋に連れて行かれてリンチに会うわけですね。
そんなことをしながら、生き延びた人々だけに外に出るチャンスが来るわけです。
ただそれはチャンスというか、運命の出港日なんですよね。
要は船が到着をして、船に乗ってアメリカ大陸へと連れて行かれるわけなんですけれども、
アフリカ人たちが外に出る扉があるんですね。
これがすごくメインスポットというか、ぜひ行かれた際に見て欲しいんですけど、
ドアオブノーリターンという扉があります。
これは日本語で帰らずの門というやつなんですけれども、
要はここ一歩出れば二度と故郷の土を踏むことができないという意味。
実際この扉を開けて外に出ることができるんですけれども、
扉の向こうを開けると広がっているのがギニア湾なんですよね。
ギニア湾は普通に綺麗な海なんですよ。
本当に皮肉なほどにキラキラ輝いてるんですよね。
そこに立ち尽くすわけなんですけど、
ずっと暗闇の中で過ごしてきた奴隷たちがこの門をくぐって、
キラキラした青い海を見ると同時に、
彼らが抱えていた絶望みたいなものを想像したら、
そのコントラストに何の言葉も出てこなくなって、
数分間ぐらいずっとそこで立ちっぱなしだったのをちょっと今思い出します。
本当に何も言えなくなるんですよね。
こういったイギリス領のゴールドコーストの首都として栄えたケープコーストなんですけれども、
1877年に首都がアクラに移されます。
今首都はアクラなんですよね。
その後成長がどんどん鈍くなっていくんですけれども、
1979年に世界遺産に登録をされまして、
18:00
今は負の歴史を語り継ぐ場所として、
多くの現地の人々や子どもたちが訪れる場所になっています。
私が行った時も結構驚いたのが、
結構現地の子どもたちもいっぱい来てるんですよね。
多分修学旅行か、学校の取り組みがわからないですけど、
結構団体客も多くて、
そういった意味でしっかり向き合うための場所として
残されてるんだなっていうのを改めて感じた次第です。
ここでですね、
また私の趣旨論文で取り扱った専門的な話も交えて、
ちょっとイギリスの奴隷母域を深掘りしていこうかなと思うんですけれども、
17世紀、イギリスが奴隷母域を行う上で、
基本的には王立アフリカ会社と呼ばれる特許会社が
独占的にその貿易を担っていました。
しかし18世紀に入るとですね、
その時代の流れもあってですね、
要は自由貿易を求める民間商人が台頭してきます。
で、10%税っていう、
そういった時期もあったりするんですけれども、
1750年には自由貿易が認められて、
王立アフリカ会社もアフリカ商人会社という組織へ移行をします。
これ単なる経営母体の変更ではなくて、
イギリスにとって独占貿易体制から自由貿易体制へと移行する巨大な転換点、
これが1750年というふうに言われています。
ここから基本的には、
イギリスは国としては奴隷貿易を独占的にやるんではなくて、
一般の商人たちが個々に貿易をやっていくんですけれども、
このアフリカ商人会社と呼ばれる会社が、
ある種、現地のアフリカ人とイギリスの自由貿易商人との間の関係維持を
サポートするような、そういったマネジメントの会社へと移行していくわけですね。
私の研究テーマは、このアフリカ商人会社が、
現地とイギリス人商人との関係維持をどのようにサポートしていったのか、
みたいなところを研究のテーマとしてやっていたわけです。
話が専門的になったんですけれども、話し続けていきますね。
ケープコーストを訪れた翌日は、あと2カ所行きました。
それが、さらに西に移動してですね、エルミナ城という場所があります。
で、これは1482年にですね、ポルトガルによって建設をされたサハライナンデは、
最古のヨーロッパ建築の城塞になっています。
で、ケープコーストがイギリスの拠点であったならば、
こちらはオランダとかポルトガルが派遣を争った地だとも言えます。
ここはもともと、金とか像下の貿易拠点として築かれていたんですけれども、
1637年にオランダが占領して以降、ここも大規模な奴隷貿易の拠点へと変貌していきました。
エルミナ城の構造で特に印象的なのは、その巨大な中庭ですね。
あとはそれを囲むように重層的な建築がなされています。
21:03
で、結構階があってですね、上層階の方には貿易所たちの豪華な居住スペースだったりとか、
あとは華やかな社交場が結構設けられているんですよね。
ただ、その真下の地下には光も風も通らないような奴隷たちの勧告が広がっているというふうに、
要は富と繁栄を謳歌する上の世界と、ある種人間がものとして押し込められている下の世界、
こういった空間の階層化っていうのがこのエルミナ城めちゃくちゃ明確で、
より支配の残酷さみたいなものを際立たせているんですよね。
なので、ある種この富と繁栄の距離っていうのがあまりにも近いっていうものを見ると、
結構目前がするような感覚すら覚えました。
実際ここポルトガル人によって建設をされて、
オランダ人とかポルトガル人も入っていた場所でもあったので、
観光客の層もですね、結構ヨーロッパ系の人も多くなっているっていうのがこのエルミナ城になります。
ケープコーストからタクシーで結構時間かかるんですけれども、
タクシーをハイヤーして行く途中はですね、
ギニアワンのあたりはバーッと車で移動するのですごく海も綺麗なんですけれども、
やっぱり遠くからでもわかるんですよね。
なんかその海岸にそび立つお城。
本当に見た目は綺麗なんですけれども、
ある種その綺麗さっていうものが本当に冷たく感じるようなそんな場所でした。
その日のうちにですね、
私がこの旅でどうしても行かなければならなかったというか、
とても行きたかった場所が、
僕の終始論文の主なテーマとなっていたアノマボっていう場所です。
このアノマボにあるウィリアム城塞、フォートウィリアムっていう場所が、
私がとても行きたかった場所ですね。
さっきエルミナはかなり西に行ったんですけれども、
ケープコーストを戻って、
ケープコーストよりももっと東の方に行った場所にアノマボっていう場所があります。
結構タクシーでずっと移動距離あったんですけれども、
その日のうちに行きました。
大きな違いなんですよね。
ケープコーストとかあるいはエルミナが巨大な観光地として整備されているのに対して、
このアノマボっていうのは、
町の活気のある生活系の中に突如として現れるそんな場所になっています。
実際、砦に行く横には普通に住居があって、
普通に人が住んでるんですよ。
子供たちは遊びまくっていて、
漁師たちはなおつくろっていると。
歴史が保存されるべき過去として隔離されているんじゃなくて、
ある種、現代のガーナの日常の中に当たり前のようにある場所。
これがこのウィリアム城西になります。
ここ1753年にイギリス議会の予算投下が決まって、
24:05
そこから工事に着工して、
1757年に完成をした比較的新しい砦になります。
もともと歴史的にはそこにイギリス軍が小さな砦を建設していたみたいなんですけれども、
当時、植民地下における宿敵でもあったフランスに対抗するという意味も込めて、
ここに予算を投下して、また新しく城西を建てたというふうな形になります。
でもほぼ現地の材料のみで建設をされたこのフォートウィリアムっていうのが、
海岸沿いでも最も美しくて健老な造りの一つだというふうに、
現地でも評価をされているようです。
驚いたのが、砦に到着してからなんですけど、
事務所があって、
事務所でちょっと記録というかサインをしてから見学に行くんですけども、
事務所の方々もずっとつきっきり案内をしてくれたんですよね。
入り口からずっと全部の場所を案内してくれて、
どうやら台庁かなんかに名前書いてありましたけど、
ほとんど観光客があんまり来てなくて、
そもそも日本人でこの鳥で来る人がほぼいないみたいですね。
かなり我々が珍しかったみたいで、
行った時はもちろん我々の貸し切りです。
もう誰もいないです。
そんなおかげで、他の大規模な城西では体験できないような、
非常に濃密でパーソナルな見学ができたなというふうに思います。
アノマボの素晴らしいというか恐ろしいところっていうのが、
そのリアルさにあって、
綺麗に修復とか展示された博物館というよりは、
当時の空気がそのまま閉じ込められたような場所なんですよね。
城西の中には、当時のまま残された壁画だったりとか、
実際に奴隷の売買が行われていたオークション会場の跡が、
生々しく残っているわけです。
何より衝撃だったのは、城西のほぼ全て、
自分の手で触ったり足で踏みしめたりしながら、
ほぼ全部の場所を見て回ることが可能になっています。
歴史の重みが指先から伝わってくる感覚もあって、
巨大なケープコースト城も圧巻だったし、
エルミナもすごく綺麗だったんですけれども、
アノマボの生活のすぐ隣にある剥き出しの歴史こそ、
最も見応えがあって、心に深く突き刺さる体験だったなと思っています。
アノマボの話をしていたので、
自分の論文の話をもう一回したいなと思うんですけれども、
私がその論文で最も重視したのが、
こういったアノマボが単なる作手の地としてではなくて、
現地のファンティー人の商人や首長が主体的に立ち回っていたという点ですね。
27:07
ちなみに現地のアフリカっていうのは今でもそうなんですけど、
たぶん40以上まだ部族が残っているような、
そういったかなり部族数というか多層な人たちがいる場所でして、
実際その現地の商人とか首長っていうのが、
ある種作手される側だけでは収まってないわけなんですよね。
要は彼らっていうのがイギリスとかフランスを天秤にかけて、
自分たちに有利な条件を引き出す、
主体的な交渉者として動いている側面もあってですね。
例えばこのアノマボの首長っていうのが、
かつてこのオランダのロッジを自らの宮殿として使用していたっていうエピソードとかもあったりとかして、
現地の権力関係っていうのがいかに複雑だったのかっていうのも象徴しているところです。
あとはアイルランド人商人のリチャード・ブリューっていう結構有名な人がいるんですけれども、
この存在も非常に欠かせなくて、
例えば彼はアノマボに巨大な指定、大きな自分の豪邸を建ててですね、
現地のファンティ人の有力者の娘と結婚をして、独自の貿易も築いているわけです。
そこにあったのは一方的な支配とか非支配の関係ではなくて、
現地の権力者とヨーロッパの商人が結縁とか利害で複雑に絡み合った、
そういった強制とか拡築の歴史があるわけなんですよね。
実際この事務所の方に案内されて訪れたオークション会場だったりとか、
赤駅に触れた時っていうのが、
終始論文では数字とか文献でしか見てなかったんですけれども、
その背後にあるような生の映像というか、生の空気みたいなものを感じることができて、
私のガーナ渡航においても最も印象的な一日だったなというふうに思っています。
こうしてですね、ケープコースト、そしてエルミナ、アノバボというふうに、
いろんな城西群を巡ったわけなんですけれども、
もちろんですね、この体験ってめちゃくちゃ自分にとって大きかったし、
いろいろ考えさせられたんですけれども、
同時にですね、何も分かってないなということも突きつけられた気がしてて、
やっぱりですね、数週間いただけとか、あるいはここにいたのは数日だけだったので、
全てを理解したように言うのは間違いなくおこがましいんですけれども、
歴史知ってる知らないとかいう次元じゃなくて、
あの日帰らずの扉の前に立って、あるいは地下牢の中で感じたこの空気みたいなものは、
30:08
歴史を過去の遺物としてじゃなくて、今を生きる私たちに問いかける場所というか、
そういった存在なんだなというのを改めて感じました。
なのでやっぱり常に自分たちの生活の脇に置くじゃないですけど、
自分たちの横にあるじゃないですけど、
常に問いかけ続けないといけないなということを改めて感じたわけです。
すみません、全然まとまってません。
ということで次回はですね、いよいよ内陸のこと、
熊市へと移動をして、アフリカのこの人っていうところのパワーを感じるとともに、
その後半ではですね、ガーナで戦う森下尋道選手との対面についてもお話をしようかなというふうに思っております。
はい、好奇心のたまり場ここまでお聞きいただきありがとうございました。
この番組ではリスナーの皆さんからのメッセージをお待ちしております。
番組概要欄にフォームをご用意していますので、
皆様の日々の好奇心やワクワク、もやもやをお気軽にお寄せください。
また番組の感想はXでハッシュタグ好奇心のたまり場をつけて投稿してもらえると嬉しいです。
あなたの気になるが誰かの面白いになる好奇心のたまり場。
パーソナリティは河村こと河村周平でした。
それではまた。
31:32

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