東京と大阪(たまに台北)に住む仲良しおじさん。この度、週に一度話せる場ができました。毎週木曜日、朝6時更新。

日常の四方山を海千山千におしゃべりする三千ゆったり世界。はじめてのおじさん旅。ご意見、ご感想はハッシュタグ、#遠距離おじさん

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<出演>

プチ鹿島

みち


<企画・番組構成>

みち

[LISTEN]

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<効果音>

星巴克 三重菜寮門市店


<イベント情報>*配信チケット発売中

TBSラジオ放送 10 周年記念「まだまだ SWEET10 許可局」

那覇市ぶんかテンブス館 テンブスホール
(〒900-0013 沖縄県那覇市牧志3丁目2番10号)   



配信視聴チケット

https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2400136

受付期間:2024年2月25日(日)~ 3月24日(日)   アーカイブ視聴は3月24日(日)まで可能です。


東京ポッド許可局

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東京ポッド許可局@TBSラジオ

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#プチ鹿島 #tokyopod #チャンス大城 #給湯室

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00:01
みち
鹿島さん。
やみさんどうも。
プチ鹿島
どうも、お世話になっております。
みち
こちらこそお世話になっております。
プチ鹿島
はい、遠距離おじさん、3月14日、第34回目の放送となります。
みち
そうですね。
プチ鹿島
そうなんです。今日は月曜日、3月11日と。
みち
あのー、この会話をしているのはね、東京と今台湾ですね。
プチ鹿島
今は、そうですね、台湾にまた舞い戻ってまいりました。
みち
入りてえな、台湾に。
プチ鹿島
いやもうね、疲れましたね、毎月毎月。
僕の台湾生活も、もうそろそろ潮時かというところでございます。
密度が濃いですよね。
そうですね、やっぱりね、そんな毎月毎月来るもんじゃないなっていうのが感想です。
みち
すごいね、俺1月に行ってもまだうっとりしてますからね。
プチ鹿島
いやほんとにね。
もちろん来ると、ああいいなーっていうのがたくさんあるんですけどね。
移動がやっぱり大変ですね。
ラジオも移動が大変だなっていつも思います。
みち
空港まで行くのがもうあれですね。
プチ鹿島
もうそうなんですよね、キリキリ前でね。
みち
すごい大混雑です、関西。
プチ鹿島
そんな3月11日。
みち
11日ということで、東日本大震災から今年13年目を迎えたんですけども、
プチ鹿島
あのとき、みつさんはどう過ごされてました?
たぶん、もしかしたら今年の初めの放送でも少し…。
みち
前にちょっと喋ったか。
プチ鹿島
うん、喋ったことはあると思うんですけど、振り返りますと、私はあの日は金曜日でしたよね。
みち
そうですそうです。
プチ鹿島
そのときはライブドアに勤めておりまして、
もともと入社したときは赤坂だったんですよ、六本木ヒルビーがなくて。
入社したと同時に、新宿にオフィスが引っ越しますという話になりましたよね。
鹿島さんとかもよく来てくれてた、
みち
区画学合宿もやった西新宿のお家があったじゃないですか。
プチ鹿島
あそこの通り沿いの大きなビルの上に入るんですよ。
そこの十何階だったか、十四階か十五階か、すごい高いビルの上の方のオフィスにいたときでしたね。
仕事してたときに地震がありましたね。
もう尋常じゃない揺れ方でしたか。
特筆するというか、揺れも長かったと思うんですね。
鹿島さんもたぶんそのとき東京におられたと思うんですけど。
ビルですから長い。高層ビルですから。
やっぱり構造の名前忘れちゃいますが、揺れるようにしてある。
みち
あえてね。
プチ鹿島
そうなんですよね。
だから本当に机ごと、自分の1つ1つ机持ってるんですけど、
机ごと一緒に1分か2分か何分か忘れましたけど、
03:02
プチ鹿島
一緒に動いてる記憶があります。
みなさんそのままずっとでやってくれて。
新宿の都庁とかのビルとかも見えるんですよ、窓が大きくて。
みち
そうですね。
プチ鹿島
そのビルもよく見るとビルとビルの隙間の空が映ってるところが揺れてるんで、
閉じたり、本当に全員揺れてましたね、まだ。
それが記憶に残ってますね、当時は。
みち
帰りはじゃあ大丈夫だったんですか。
あのとき交通機関とかも止まっちゃって、いわゆる帰宅難民っていう。
東京ではね。東京ではまだ東北に比べれば別にあれなんですけど、
そうやっても都市も混乱してるじゃないですか。
プチ鹿島
そうですよね。
そのときに遠いところから通われてる方はすぐ帰宅してよいっていうことになって、
みなさん帰られてました。
私はもう家が近かったんですが、仕事場に残ってある程度仕事をやってまして、
それこそね、僕ね、もう今ないから言えるんですけど、ライブドアグルメっていうですね。
みち
あんまり言っちゃいけないんですけど、食べログみたいなやつ。
プチ鹿島
わかりやすいですか。
みち
食べログですね。
プチ鹿島
食べログですね。食べログの偽物みたいなサイトがありまして。
みち
ありましたよね。
プチ鹿島
ありましたよね。そこで僕ね、公式ツイッターってやってたんですよ。
みち
そうですか。今だから言える。
プチ鹿島
今だから言える。公式ツイッターの中の人としてグルメ太郎っていう名前で書いていただいて。
みち
見てました見てました。
プチ鹿島
普段はグルメ情報をつぶやくツイッターなんですよ。
ただ当日は帰宅ができない、JRも止まるとかいろいろ情報が錯綜したときに、
僕もツイッターをずっと眺めていたので。
今だとちょっと考えにくいんですけど、本当に各社ね、いろんな公式ツイッター、
例えば東急ハンズさんとか、僕覚えてるのは、
普通のふとさんでもなんでもいいんですけど、百貨店さんとかにいろんなツイッターの公式があるんですか。
それがね、ちゃんとJRの情報だったかLHKの情報だったかわからないですけど、
リツイートをしたりとか、企業同士でやってるのが通り買いまみれて、
そういうことだったら私もグルメ情報にこだわらず、
もしかしたらお役に立てるかもみたいな思いで、ずっとへばりついてやってました。
たぶんこれは間違いじゃないだろうっていう情報をもちろん選別してですね。
たぶんこれをハンズさんだからいいだろうとか思いながら、
ツイッターにへばりついて情報発信の恥役をやっていたりしましたね。
イメージ的には日本でここまでツイッター、今はXですけど、根付いたというか、
みち
やっぱり3.11がきっかけで、もちろん大変な深刻なニュースもあるんだけど、
06:03
みち
助け合いみたいな、今SNSというと地獄絵図のことしか話題にならないですけど、
みんなで助け合おう、ここに入れば一人じゃないよみたいなのは、
あのとききっかけにありましたよね。
プチ鹿島
ありましたよね。そこで急に結束したって話じゃないでしょうけど、
一夜行になってましたよね。テレビ情報だけじゃない部分というところで、
みなさんこういうことしてるよとか、ああいうほうがいいよとか、
というような情報をやり合ってた記憶がありますね。
みち
媒体としても、電話とかは止まっちゃうんだけど、ツイッターとかは使えたり、通常に置いてたりして、
それが見直されたり、築き始められたきっかけでもありましたよね。
プチ鹿島
そうですね。そのとおりだと思います。
一応、休憩時間は私、家が近いもんですから、いつも帰ってたんですよ、お昼休みとかは。
その日も、いろいろ一回家に帰ってみようかな、荒れてないかと。
家に帰ったもんですけども、エレベーターが止まってましてですね。
帰るときに20階ぐらい上がるのは本当にへこたれてましたね。
さすがにいつも文明の力で助けられてたんだなと思いながら、
というところの一日目でしたね、あの日はね。
みち
僕は当時、ミシさんと知り合って、許可局のポッドキャストを校長の頃だったんですよね。
当時は、僕まだ深夜のコールセンターのバイトもやっていたと思うんですよ。
プチ鹿島
そうですか。
みち
だから、夜に備えてその日は、特に三人ともそうですけど、
定日の仕事も特にそんなにあるわけじゃないわけですから、
プチ鹿島
家にいたんですよね。
みち
家にいて、ちょうど2時ぐらいTBSで、
当時金髪先生の再放送をやってたんですよね。
プチ鹿島
確かなんですけど、その年の春か何かに、金髪先生が久しぶりにスペシャルにやるって言って、
みち
過去の再放送も何シーズンもあるじゃないですか。
プチ鹿島
それを順振りね。
みち
再放送を午後から夕方からやってたんですよ。
金髪先生って何の気なしに見ても、やっぱり見続けちゃうじゃないですか。
あの吸引力すごいじゃないですか。
だからその時も覚えてます。金髪先生を見てた気がします。
プチ鹿島
時にブラブラブラ。
だから二次大ですよね。
みち
二次大。
終わる直前になって。
僕は当時ワンルームですね。
09:00
みち
いわゆる日本風に言うと六畳一間って言うんですか。
六畳一間、はいはい。玄関入ってすぐ一間あって。
だからびっくりするほど長く続きましたよね。
プチ鹿島
そうですね。長かったですね。
みち
だけどなんかすげえこじんまりした、たこつぼがすごくギュッとなったマンション。
言ってみればワンルームばかりのちっちゃいマンションだから、
思ったよりは他の方たちの被害状況を聞くよりは、
思わず立ち上がってずっと外見てましたけど、
物が落ちるとかっていうところまでは小部屋すぎてなかった気がします。
プチ鹿島
そうですね、逆にね。
みち
でもそこから3時過ぎから画像が切り替わりましたからね。
これが大変だということで。
夕方にライブのチラシの受け渡しを中野駅前で約束していたんですよ。
それこそセクシーJっていう。
プチ鹿島
あー懐かしい。
牧田さんの仲間がやってて。
みち
確か彼と中野駅前でチラシの受け渡しをするって言って、
当時は中野富士見町に住んでたんですよね。
今から考えるとすげえ懐かしいですけど。
だから自転車で夕方中野駅前にチラシを持って受け渡しで、
プチ鹿島
その時点で中野駅前にバスを待つ人とか、なかなか動かないんですけど、
みち
いわゆる仕事を切り上げて帰ってくる人たちが、帰るに帰れないで大行列になってて、
これはやっぱりすごいことになってる。東京ケスラっていうのも思いましたよね。
その時自転車でまた渡して引き返せる、
実質ブラブラしてる俺は何なんだろうってすごくそういう気持ちになりましたけどね。
中野JRから中野富士見町って、自転車で行けばすぐ帰ってくるっていうのを覚えてます。
その夜からテレビもラジオも当然ですが。
プチ鹿島
余震もたくさんありましたよね。
その夜はやっぱり家にいたのかな。
みち
そんなに僕宇宙って当時から見てなかったんですけど、
その夜から土曜にかけてはずっと昔のプロレスの試合を見てましたね。
そういうときって何かにすがりたいというか、
プチ鹿島
懐かしさとか、一番日常だった頃みたいなのに。
みち
楽しいから見るっていうんじゃなくて、
日常の安定を求めて無意識に見てたのかなって今から考えると思いますけどね。
12:01
みち
それはそうやって僕もミスさんもそうですけど、まだ東京都内で過ごしていた人の話ですから。
自分だけじゃなくて家族とか親戚に被害に遭われた方。
本当に。
プチ鹿島
そうなんですよ。
みち
でもあの後ミスさんたちに集まった気もしますよ。
プチ鹿島
そうです。僕昔ブログというか日記もやってましたけど、
あのときにも写真をあげた記憶があるんですけど、
織島さんとか、あのとき牧田さんも来られたか。
みち
牧田さんもいたような。
プチ鹿島
いましたね。全員集合の機会に。
みち
牧田さんは家族と一緒に過ごしてるみたいなのもあって、牧田さん以外が集まったのかな。
プチ鹿島
もしかしたら牧田さんはオンラインで集まったかもしれない。
みち
あ、そうですか。
オンラインだったんですか。
プチ鹿島
オンラインとかあったのかちょっと覚えてないですけど。
みち
緊急放送をやろうみたいな。
プチ鹿島
緊急放送をやりましたね。
みんながんばろうみたいなね。
あとアーカイブの公開みたいなのもすぐやりましょうっていうことで、
なんか達夫さんが言ってくれた、これとこれとこれとかって選んでくれて、
最大確か何十本も公開しましたよ。
テレビがなかなか…
一色だったからせめて何か。
みち
僕はね、プロレスの昔の動画に安定を求めたように、
プチ鹿島
昔の企画曲のアーカイブを公開するっていうのを、
みち
確かやりましたね。
プチ鹿島
やりましたやりました。
確かにそのときちゃんと聞いててたんですよ。
本放送というかブログ上も、ある程度すると消してやってたので、
古いのは聞けないんですよね、ダウンロードしてないと。
それをもう一度公開して、ダウンロードしてもいいですよっていうのを、
それこそね、ライブドアさんのサーバーを借りて、
やり始めた頃だったんじゃないかなとちょうど思い出します。
みち
なるほどね。だから一気にポッドキャスト番組だったんですけど、
2011年ですから、その5ヶ月後には日比谷公開堂まで行くぐらいの状態でしたから、
それなりに毎週楽しみにしてくれる方が多かったんで、
じゃあもう今は聞けないものを緊急配信、復活配信しようと、
確かやってましたね。
プチ鹿島
確かにその話も、うちでみんなが集まってくれたときに話してたような気がします。
菅氏さんとかみんなで、そうしようよみたいなことになった。
ちょっと曖昧なとこもあるんですけども、やりましたね。
それもミスさんが西新宿という拠点にたまたまね。
ルノアヌから近かったからね。
そうですそうです。
だから皆さん西新宿によく集まっていただきましたよね。
15:00
みち
大体俺はチャリで移動してましたね。
プチ鹿島
大体中野富士道からチャリで行ってましたよね。
土日があったじゃないですか、金土日ね。3月11日が。
土日がそれこそお休み。土の夜か日の夜かだから原発の話とかに。
月曜日からね、さすがIT会社じゃなくていきなりリモートになったんですよ。
それが実は初リモートで、今までは基本的にはライブドアの管理画面みたいなところ、
いろんなサーバーの管理画面って基本的に会社のパソコンでしか入れなかったんですけど、
それを開放しますみたいになって、
家のパソコンでも仕事ができますっていうのをやり始めたのが月曜日からで。
そこから2週間ぐらいは確かお家で仕事した記憶ありますね。
みち
あの2週間というのはすごかったですよね。
プチ鹿島
いやすごかったですよね。
それこそ情報もあるようなないような、正しいのがどれかみたいな不安になるような話もいっぱいでたりして、
そのときにたぶん鹿島さんとかとお会いした後に、許可局のやつとかも家でちょこちょこやらせてもらったり。
そうやって忙しくしてて気を紛らわせるみたいなところがあったなと思い返すといいんだね。
みち
発信する側もそんな気持ちはありましたよね。
プチ鹿島
震災前からのレギュレーションをやることによって、バイアスがかかったんだろうけど。
みち
もうあれから13年ですよね。
プチ鹿島
そうなんですよね。びっくりしますよね、そう考えるとね。
みち
その後、その年の夏に日比谷公会堂で2,000人のライブをやって。
2011年は許可局にとってもいろいろ不締めの大きい出来事、悲しい突破的なこともありましたけど、
プチ鹿島
夏にはそういう大きい出来事も達成できて良かった覚えはありますね。
それに向けてライブはなんだかんだやってましたよね、許可局に。
みち
女性だけのとか男性だけのとか。
プチ鹿島
あんなのも日比谷に向けてやってましたね。
みち
ライブ会場でね、借りてやってましたね。
プチ鹿島
そうやってましたよね、新宿で。
みち
なんか覚えてるのは、日比谷で最後、「あしたがあるさ」を歌って、
チャンスお城とかも歌ってもらって。
セクシー河田さんとかも。
そうそうそうそう。結局そう思いました。
18:00
みち
あのとき、またこの三井さんの協力ありきなんですけど、
許可局本体のポッドキャストが校長だったから、
さらにおまけというか別バージョンの教科室っていうのもやり始めましたよね。
プチ鹿島
ある水曜ぐらいにやり始めました。
みち
要は、僕らだって世に知らされてないんだけど、
でもまだもっと面白いすげえやつもいるよっていうんで、
チャンスお城とか、セクシー河田さんとか、中村主婦もそうですよね。
プチ鹿島
そうですね、中村主婦さんね。
みち
僕らが彼らの反省というか、得意なエピソードとか。
お城なんてあれですべらない話のね、
たくさんも出るな、お前面白いな、でも出れないな、
すべらない話はまあいいわ、俺らが楽しませてもらうから、
っていうのをやってた気がしますよね。
プチ鹿島
そうですよね、すべらない話でしてる話とか、もうすでにされてましたもんね。
みち
山に埋められた話とかね。
僕は夜県の話とかも好きでしたけどね。
プチ鹿島
大好きですね。
みち
定時制でね、夜通ってて、でも運動会やるって。
プチ鹿島
そうなんですよ、僕は運動会だそうです。
みち
で、ドッグレースやるってね。
プチ鹿島
いい話ですよね。
そうなんですよ。
みち
山あさぎだから夜県がいるんですわ、まだ。夜県を捕まえに行って。
プチ鹿島
定時制の人だから結構おじさんとかもいるから。
捕まえるのがうまいやつが。で、トラックも持ってるから。
みち
夜県捕まえてきてスプレーで背番号を書くんだけど、
プチ鹿島
いよいよ飛んで話したら四方八方に散らばっていったっていうね。
どこまでが本当かどうかわかんないですけどね。
あれ好きなんですよね。
しかも当日準備してたのは子犬が走れようぐらいのレーンしかなかったっていう。
パピー用レーンだったっていうの。そこに犬が車づけで来て、夜県を話しただけ。
みち
もう俺らその話が大好きだよね。ギラギラギラギラ笑ってね。
プチ鹿島
よくやってましたよね。
みち
本当に良かったと思って。この13年、いろいろ良いことがありましたけど。
プチ鹿島
いろいろありました。
みち
大城がちゃんと報われたっていうよりは本当に良かったと思って。
プチ鹿島
いやいや、本当そうですね。
みち
これ奇跡ですよ、だって。
プチ鹿島
本当によく許可局でもたまに出ますよね、大城さんの売れた世界みたいな。
みち
そうです。だから僕、当時から言ってたんですけど、
ドラえもんのもしもBOXがあったら、大城は売れた世界って言って、その世界見てみたいって言ってたんだけど、
今はそういうことですからね。
プチ鹿島
そういうことなんですよ。本当にね。
みち
そういう意味ではまだ、この13年は捨てたもんじゃねえなっていうのは。
いや、本当に本当に。
世界線とかいうじゃないですか。
プチ鹿島
そうそう、最近ね。
大勢回ったんだみたいな。
みち
なんか捨てたもんじゃねえなって思いますね。
プチ鹿島
そうなんですよ、それぞれ。
みち
あれは本当に奇跡だと思うし、奇跡って言った方が努力は当然した上でのね。
21:01
プチ鹿島
もちろんもちろん。
みち
あれは良かったですね。こんな願いごと叶うとは思わなかったですね。
プチ鹿島
いや、そうですよ。
またね、ちゃんと大城さんのキャラそのままというかね、我々が見てたところという変なおかしい言い方ですけども。
あれもね、水曜日のダブルタウンのね。
みち
例えば藤井さんですか、プロデューサーとか。
誰か一人ああいう人に見つかればいいんですよ。
プチ鹿島
あと大城さんとかさんまさんのね。
一人二人、すごい自分を理解してくれる人に見つかれば、今みたいになるっていうのが良かったですね。
本当にね、ちゃんとつながっていくというかね。
みち
別に100人のプロデューサーに見つかんなくたっていいわけですよね。
プチ鹿島
いやいやそうなんですよ。
みち
ほんとほんと。一人二人自分を理解してくれる。
大城さんに見るとそういうふうに思いますよね。
これは普通の仕事とか会社でもそうだと思うんですけどね。
プチ鹿島
もちろんもちろんそうですよね。
みち
10人が10人、20人が20人の上司に認められるんじゃなくて、
プチ鹿島
なんかね、一人一人に。
そういうのありますよね、馬があると。
この人からこそ出会いだと思いますよね。
いい世界になりましたと。
みち
そう。だから大城に関しては本当に良かったなと思うしね。
プチ鹿島
いや本当に本当に。やりましたやりました。
みち
そこまで別に感動もしてないんですけど、
いい話になってる感じになってるんですけど、別にそこまでも思ってないし、
良かったなとは思ってます。
プチ鹿島
いやいやそうそう。
大城さんつながりじゃないんですけど、
沖縄ですよね、鹿島さん。
みち
そうですそうです。
プチ鹿島
これちゃんと言うと、東京ポット許可局の…
みち
まだまだスイート店許可局です。
プチ鹿島
初めての沖縄公演ですね、確かね。
みち
これ、2013年にTBSラジオで始まって、
やりたいことにいろいろね、
プチ鹿島
TBSラジオ以外に日本全国の局がネットしてきてる。
みち
ネット局って言うんですか、はいはい。
入れ替わり立ち替わりね。
沖縄だけがリアルタイム、
いわゆるTBSラジオと同じ時間帯にいつも放送してくれてるんです、この13年。
プチ鹿島
暗い森の時間ですね。
そうです。
みち
だからいつか沖縄でやりたいねっていうのは、
もう数年前から言ってたんですけど、
今年ついに実現しまして、
プチ鹿島
いやそうですよ。
みち
沖縄に、今週の日曜日ですね。
プチ鹿島
もうだからこれ配信木曜だから、
前前乗りだったらもう5時ぐらい。
みち
そうですそうです。
僕もね、前前前乗りぐらいしたかったんですけど、
結局みんなと土曜日に行って、
土曜日から向こうでゆっくり過ごして、
プチ鹿島
いいですね。
みち
一泊して日曜日ライブをやって、
24:00
みち
そのまま帰ってくるっていうパターンにしました。
プチ鹿島
なるほど、帰りはサクッと帰る感じで行く感じですね。
いいですね、沖縄。
みち
いやーこれ、
実はありがたいことにですね、
会場チケットは売り切れでございます。
プチ鹿島
あら素晴らしい。
みち
嬉しいです。
プチ鹿島
あと配信チケットっていうのがありますので、
みち
これはもう日本全国、なったら世界中ですね。
プチ鹿島
中から見れますよね。
みち
またミスさんにもお送りします。
プチ鹿島
本当ですか。
みち
もちろん局長ですから。
プチ鹿島
いやいやいや、そんなことないです。
みち
沖縄でもアホな企画をやっていこうと思いますんでね。
プチ鹿島
楽しみですね。
みち
楽しみですよ。
これは本当に、
日本全国とか結構、
コロナ禍の時はあってたんだけど、
各地行ってみると、
一つ気づいたことがあって、
やっぱりご当地制みたいなのをどうしても考えちゃうじゃないですか。
大阪なら大阪、名古屋なら名古屋。
どういう感じでどういうのが受けるんだろうみたいな。
オーライライブとか何でもそうでしょうけど、
ご当地職を出すみたいなのは、
当然、
プチ鹿島
あります。
みち
当然ね。
プチ鹿島
何かありますよね。
みち
公表としてはあるんですけど、
許可局の場合は、
これ自分でもなるほどと気づいたんですが、
どこ行ってもお客さんは、
だいたい反応は同じ感じなんですよね。
プチ鹿島
なるほどなるほど。
みち
つまりもう全国、
その土地でたまたま許可局が来たからたまたま行くってお客さんじゃなくて、
ラジオとかポッドキャスで、
ずっと熱心に聞いてくれる、
そういう局員リスナーっていうか、
その濃さっていうのは、
同じなんですよね。
地域性実は関係ないんですよ。
プチ鹿島
なるほどなるほど。
みち
大阪行った時思いましたね。
ほらほら東京ポッドって言ってる、
プチ鹿島
そうですよ。
みち
地域、大阪っていつまでたってもネットしてくれないんで、
激戦区でね。
プチ鹿島
激戦区でね。
みち
大阪ってツアーの最後の最後まで行かなかったんですよ。
名古屋とか福岡とか、
北海道とか、
プチ鹿島
北海道。
みち
あと愛媛とか、
プチ鹿島
愛媛もありましたね。
みち
そういうとこ行ってるのに、
大阪はずっと行ってなかったんですよ。
プチ鹿島
はいはいはい。
どうせ俺らに興味ないんだろうなみたいな、勝手に。
みち
ところが満を持して、
プチ鹿島
2019年とかだったかな、行ったら、
グッズも東京より売れるし、
みち
で、受けるポイントもほぼ変わんないんですよ。
プチ鹿島
なるほどなるほど。
ところでちゃんと聞いてるってことですね。
みち
結構最初大阪工業っていうところで入って、
大阪工業って半分劇団みたいなと、
当時していたので、
その公演っていうのをまず、
それがメインなんですよ。
1ヶ月稽古して、1ヶ月ぐらい東京大阪の方や、
27:03
みち
もしくは福岡まで行って、
1週間ずつやるみたいな。
そうするとやっぱり、
笑うところの箇所が違ってたりするんですよね。
プチ鹿島
あ、そうですか。
それは地域性が少し感じられる。
みち
そこが面白かったんですよ。
プチ鹿島
どこがいいとか正解とかはなく、
みち
どこで受けるんだとか。
それは同じものをやり続けてると。
プチ鹿島
そうですね。ずっとやりますもんね。
みち
そういうのがあったから、
地域性のなんかあるのかなと思ったら、
許可局に関してはトークとかも、
なんか局員っていう反応は同じ。
でも考えてみると当たり前で、
やっぱり人口が多いところだったとしたら、
そういう局員がいる数字というか可能性も、
密度も高いわけで、
その方たちが会場に来れば、
それはやっぱり同じ濃さというか、
雰囲気に包まれるんだろうなと。
その割合は多分、
他の都市よりは大阪とか大都市のほうが
可能性は高いから、
っていう当たり前のことに気づいたんですけど、
許可局に関してはですよ。
プチ鹿島
はいはいはいはい。
みち
だからそういう意味では多分沖縄も、
沖縄だからご当地のとかっていうのは一切考えずに、
いつも通りの東京だろうが大阪だろうが、
北海道だろうが沖縄だろうがっていうのは、
やるつもりですね、企画としても。
いやー楽しみ。楽しみ。
プチ鹿島
本当にね、
あともちろん局員の方もたぶんもしかしたら
これを機に沖縄に行かれてる方もいっぱいいそうですよね。
そういう方もいっぱいいそうですよね。
みち
何かいるみたいですよね、Twitterを見てると。
プチ鹿島
楽しみですよね。
そういうのってしょっちゅうあるわけじゃないですか、
やっぱりね、やってほしいななんて思いながら。
思いながら楽しみ。
そうですよ。
みち
全国巡業して、おいしいもの食べて、
お客さん笑わせて、グッズ売れば、
こんないいシステムないじゃないですか。
それは芸人とかミュージシャンとか、
いいんだと思うんですけどね。
プチ鹿島
この間の砂漠の話とかもね、
ちょっと大丈夫かなっていうような話でしたけど。
大丈夫かなっていうぐらいの話じゃないですか。
楽しかったです。楽しかったです。
だからその関係っていうんじゃなくて、
やっぱり3人のコロコロしてる感じがいいんですよね。
馴染みがね、
辰夫さんの背中が長いのか腰が長いのかもそうですけど、
それはもう3人だから許されるみたいなところがあるじゃないですか。
みち
それで言うと、例えば今木曜日ですけど、
2日後ぐらいの許可局、次の許可局の論も面白いと思いますよ。
プチ鹿島
楽しみです。
みち
この間砂漠の話してた、
砂漠でどう過ごすっていうやつらが、
30:02
みち
今度何話してんだっていう。
プチ鹿島
そうぐらいのこと。また違う。
振り幅が大きいと思います。
いいですよね。そこがずっと聞いていたいみたいな思いがありますよね。
内容じゃないと思うんですよね。
いわゆるワンポイントアドバイスとかテック系みたいな、
ナレッジとか知識系みたいな。
3人の声がするだけでいいんですよ。
みち
そうなれば締めたもんです。
プチ鹿島
そういうこと。
だからアニメの曲を紹介されてます。
日常系みたいなところあるのかなっていうのが、
私の勝手な意見なんですけど、
3人しか叶えられないアンサンブルというんですかね。
本当そうです。だから、
みち
冒頭の話に戻ると、
つまり日常だからこそ僕らって成り立ってるところもあって、
プチ鹿島
そうですそうです。そうなんですよ。
みち
自分たちが非日常とかに何ができるか、
もしくは不安な自分も含めて何ができるかっていうときに、
やっぱりミッサンの西新宿の拠点が、
すごく活用させてもらったっていうのがありますよ。
プチ鹿島
本当に本当に。許可曲の曲も作りましたよね、あそこで確か。
みち
作った作った作った。
プチ鹿島
ボーカル収録は別のところでやって、
確かトラッキングみたいなことやりましたよね。
みち
許可曲の本出したときってミッサン地で合宿しましたよね。
そうですそうです。
プチ鹿島
それもこないだ橋本さんが話してくれた。
私ちょっと忘れてました。朝までそれこそ。
みち
やってましたよ。
プチ鹿島
やりましたよね。
みち
なかなか作業が始まらず、
やっぱり合宿って言うとみんなテンション上がってるから、
近く食べ行ったりなんかしちゃってさ。
プチ鹿島
そうですそうです。
みち
またちょっと出た道路、いろんな行ってやるじゃないですか。
プチ鹿島
そうなんですよ。
再現やった。
そうなんです。いっぱいありました、あそこらへんとかね。
全然仕事が済まないで、
みち
深夜3時くらいからやっとやり始めて、
プチ鹿島
でも寝ちゃうみたいな感じがあって。
みたいなところね。
みち
ちょっとピリピリ、辰夫さんがピリピリする場所とかあったりとかしてね。
プチ鹿島
そこじゃ間に合わないみたいな。
みち
だからあの拠点はね、僕らにとってもあるし、
プチ鹿島
なんていうの、許可曲の推奨ですかね。
当時のね、13年前のあの拠点ね、懐かしいですよね、本当に本当に。
今度行ってみようかな、歩きに行ってみようかな。
みち
いい食べ物屋さんとかいっぱいあって。
プチ鹿島
そうなんですよ。
チョコチョコあるんですよ。
隠れたところというところかな。
ありがとうございました。
沖縄お気をつけて行かれて楽しんでいただければと思います。
みち
また土産話を。
プチ鹿島
はい、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
32:54

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