改めてにはなっちゃうかもしれないですが、いつから外部へのアウトプットというところを始めていらっしゃいますか。
プログラミングに関しては、本当に1回目で話した通り、新卒の時にブログを始めた時からですね。
もっと遡ると、僕大学生の時に全然プログラミングじゃなくて、いわゆるゲームのウェブサイトを作ってたんですよ。
ディアブローとかスタークラフトっていうゲームがあって、アメリカの会社が作ったゲームで、英語なんですよ全てが。
コミュニティも全部英語でみんな話してるから、そこから英語のニュースをピックアップしてきて日本語にして載せるとか、
攻略法を日本語で解説するみたいなサイトを作ってて、そもそもそういうのが好きだったっていうのがあるですよね。
情報をまとめて整理して発信するみたいな。なんでか知んないけど。
それもあって、プログラミングに関することとかをブログに一生懸命書いてたっていうのが一番最初かなっていう。
そうなんですね。最初の攻略サイトとかって、またブログとは違ってリアクションとかも、
またなんかこうちょっと雰囲気違うんじゃないかなと思ったんですけど、なんていうんですかね、面白さというか。
いやでも、そんなに変わらないですよ。やっぱり僕が書いた攻略記事とかを実際に読んで、対戦するゲームだったんですけど、
対戦したら勝てて良かったみたいな、嬉しいですみたいな、すごい分かりやすいとか参考になるとか、
そういう、あとニュースをいつもピックアップしてくれてありがとうみたいなフェードバックが返ってきて、僕もやって良かったなみたいな感じなので。
なんかそのリアクションがもらえるのが好きだった感じなんですかね。
うーん、まあでもそうかもしれない。承認欲求じゃないかなという気はしますけど。
でもなんか遡っていくともっとそれこそ子供の時の体験とかに多分起因してて、
ほらよくなんかあの、日本史というか社会の授業で日本、なんか自分でその織田信長新聞を作れみたいな謎の授業があるじゃないですか。
僕そういうのすごい好きだったんですよ。で、その織田信長についてめっちゃ調べて、自分なりにこう新聞を作るみたいな感じでめちゃくちゃ作るんですよね。
それはもうなんていうか、そういう感じ。
なるほど。じゃあこうまとめたりとか整理したりするのが好きなんですね。
整理してそれを出力するのが好きだったと。
形にするのが好きなんですね。なるほど。
なんかその本当に1回目の頃のお話もブログっていうのが出てきて最初からこう関心があったというか面白いなと思ってたというお話だったじゃないですか。
その時もなんかこう似たような感情だったんですかね。
いやでもそうじゃないですかね。最初は本当になんかあのどこそこに行ってラーメン食べてきたとかどうでもいいこと書いてたんですけど、
だんだんこんなことばっか書いてて面白くないなってなってプログラミングの勉強しながら理解したこととか、
あとちょっとこういう遊び道具作ってみたんだけどこんな仕組みになってるよとか、
あとそもそもブログサービスってのはこういう風になっててウラッカはこうなってるよみたいなことを一生懸命書き始めたみたいな感じですかね。
そうなんですね。
でなんか時々見に来てくれる人がいるっぽいから、そうするとだんだんオーディエンス意識して書くようになるんで、
自分のただの独り言じゃなくて来てくれた人に対してちゃんとわかりやすいように書こうっていう気持ちになっていくみたいな。
そうなんですね。
当時のそのいわゆるこう流入経路というかブログにたどり着く流れってどんな感じだったんですかね。
そう当時はね結構面白くて、それこそブログが世の中に少ないんですよ。
ブログサービスというものがまだ存在する前だから、自分でムーブアブルタイプとかそういう今で言うとワードプレスかなみたいなものをダウンロードしてきてインストールして動かして、
ドメイン取ってみたいなことをやらないと公開できなかったんで、世の中に1000個とかしかブログがないんですよ。
だからその1000個全部を新着順に並べているリンク集とかがあったりして、僕もそれを作っててそこから人がやってくるんです。
なるほど。
だからすごい牧歌的な時代じゃないですか、1000個全部見れますみたいな。で、僕もその1000個ぐらい全部読んでて、
だからなんか新着上げるとその新着の一番上に乗ってバーっと人が入ってきて、
でまあそれと似たような仕組みがそれこそハテナにハテナアンテナってやつがあって、自分で好きなサイト登録しておくと更新があるとそれが一番上に並びますみたいなのを当時みんな使ってて、
そういうのから人がやってきてました。
なるほど。じゃあ結構その利用者側もこうなんかすごいいっぱいいるというより、
そうですそうです。
コミュニティとしてこうできてるぐらいの感じだったんですね。
そうです。
なるほど。
で、そこでプログラマーとしてブログを書いてる人っていうのはそんなに多くなかったから、なんか目立っちゃったみたいな感じなんですよね。
そうですね。
それなりの分量のことを書いていたし、あと当時それこそそのネットワークを使って、
あの人様のサイトからスクレーピングしてきてデータ取ってきてなんか形変えてこんな風に出力するみたいなことがようやくできるようになったみたいな時代なんで、
なんかプログラミングがいろんな道具が揃って、でそれを僕一生懸命面白がっていろんなことやってたから、なんかもう珍しかったんでしょうね。
そうなんですね。
うん。
なるほど。
で、最初はそういうちょっと小さいところから、そういう場所に対して発信をされてたっていうことだと思うんですけど、またそこから時代を経るごとにいろいろやっぱりアウトプットの見られ方とか、
アウトプットってもの自体の意味も変わってきてたりするじゃないですか。
うん。
だからそこら辺のモチベーションみたいなところあんまり変わらなかったんですかね。
まあいろいろ、ただあれですね、根本的には人に読んでもらいたいってのもあるんですけど、多分自分自身が何か作業に没頭したいんですよ。
はい。
それはプログラミングにしても文章を書くにしてもそうなんですけど、僕はなんかどっちかというとそのうちにこもってその何かに集中して一人でずっと集中して時間を過ごすとすごく幸せだって感じるタイプなんで、
はい。
まあ多分プログラマーの人そういう人多いと思うんですけど、その中の一つっていう感じですよ、その文章を書いたりプログラミングのことを整理してアウトプットしていくっていうのは。
うん。
で、結果それをアウトプットすると人の役に立つこともあるし、褒められることもあるし、何なら自分の技術力のアピールにもなるし、
なんかそういうことがごちゃ混ぜになってモチベーションになってるみたいな感じだったんじゃないですかねって。
ああ、なるほど、そうなんですね。
うん。
だからそのアウトプット自体をしててよかったなって思うタイミングとかはありますか?
アウトプットっていうかその記事を書いたりする過程で知識も整理されるし、当然その自分の脳に強くその記憶として残るじゃないですか。
うん。
だからブログに例えば僕一時期そのLinuxのカーネルのソースコードを読んでそれがどういう仕組みになってるかってめちゃくちゃ書いてたんですけど、
うん。
それとか今でもはっきり思い出せるんですよね。
ああそうなんですね。
で、自分で読み直したりも何回もするじゃないですか自分の記事を。
はい。
そうやってその知識が自分の中に定着してる感とかはすごくて、そういうことのメリットと、あと人がそれを読んだ、
まあ多分僕の知らないところで僕の人生にものすごい影響を与えてますよね。
そうやってそれを元に僕のことを知ってくれた人は多分多いから、僕からは分からないけれどもこの人がなんで僕のところにたどり着いてきたのか。
いやそれこそ今日この回に呼ばれたのももちろんその一級でCTOの仕事をやってるからってのもあるかもしれないけど多分それ以外もいろいろあるじゃないですか。
はい。
その複合的な要素になってるのが多分これまでの蓄積だと思うんで。
はい。
それはまあ偶然ですけどね僕は狙ってそうしたわけではないんですけど。
うん。
なんかこう時期によってアウトプットをやめちゃったタイミングとかってありますか。
うんあるんじゃないかな。
うんうん。
まあでも基本はあのウェブに公開してないだけでローカルには多分なんか入ってるかもしれない。
ああそうなんですか。
うん。
なんか調べ事するとそのままにしとくのがなんか苦手なんですよ。
そうなんです。
わーって調べたら忘れちゃうじゃないですか。
はい。
だからそれを形に構造化していく過程でより記憶を強化できるんで。
うん。
その作業を必ずやってるっていう感じですかね。
もうそうなんです。もうそれが本当にこうルーティーンというか。
ルーティーンになっている。
うん。
そうなんですね。
競技プログラミングはいつもこの土曜日の夜9時に開催されるんですけど。
はい。
そっから100分問題解くじゃないですか。
はい。
うん。
あんまり変わらないかな。
なるほど。
逆に言うと僕はそんなにその何て言うんですかね人にたくさん見られたいとかいうモチベーションはそこまで大きいわけじゃないので。
うん。
そのツールのちょっとした使い方とかはあんまり逆に言うと書いたりしないかな。
うんうん。
それよりも多分これはみんな知らないはずだとか。
はい。
これはすごい奥深くまで考察したし調べたからまとめておこうとか。
うん。
そういう感じのことを残したいっていう感じですね。
うんうんうん。
そうすると生成愛はあんまり関係ないかなみたいな。
うんうん。
ありがとうございます。
なんかそのこう価値に気づく方法って何なんですかね。
なんかこうそれってアウトプットを続けてたりすると確実に気づける気がするんですよ。
はい。
確かにこういう整理して自分が学んだことを整理して文章にして。
なんか違和感あるところを直したりとか。
ここ曖昧だなっていうところをまた調べてみるみたいな。
それってアウトプットした人は気づける気がするんですけど。
これからアウトプットをしていく人たちはそれにどう気づいていくんだろうなっていうところが。
まあやってれば気づけますよ。
はい。
それこそ。
習慣化したことによる行為なんで。
はい。
それはだから僕は筋トレもするんですけど。
筋トレをする前は筋トレをした時に自分の体にどういうことが起きるかっていうのは体がでかくなるぐらいしか想像がつかなかったんですけど。
はい。
実際にはそれよりも遥かに重要な功用がめちゃくちゃあるんですよ。
今話を始めると長くなるのでやめますけど。
でもそれは継続するまで全く気づかなかった。
自分の身にそんなことが起こるっていうことは。
うん。
いやなんか面白い話で言うと、多分今日初めて会ったと思うんですけど。
僕年齢に対しては多分若く見えると思うんですよね。
そうですね。
これ多分筋トレの影響なんですよ間違いなく。
ああなるほど。
それが自分に起こるなんて僕は思ってなかったです。
みたいな。
なるほど。
うん。
いやそうですね。
僕が帰りのために筋トレやってますって人あんまいないでしょ。
そうですね。
いないですね。
でも筋トレにはものすごいアンチエイジング効果が実はあって。
うん。
みたいな。
だからそれと一緒で、やる前からこういう功用があるとかっていうことを予想しながらやっていくというよりも。
うん。
習慣化しているうちに自分でも気づかないうちにすごい遥か遠くにたどり着いているみたいな感じだと思うんですよね。
うん。
で、ただまあ何かしらその将来のメリットが感じられないと、
そんな何か物を書くって続けられないみたいなことが仮に問いがあるとしたら、
物を書くっていうのは人気者になるとかそういうことよりも、
そもそもその仕事でも何でもいいんですけど、
人間活動のものすごい根源的な要素だと思うんですよね。
うん。
要するにコミュニケーションなんで。
はい。
で、結局文章うまい人って仕事上手な人多いんですよ。
うん。
それは自分の考えていることを相手に伝える力がすごく発達しているから。
はい。
だからまあ基礎能力だと思ってやってみたらっていうのが一つ思うことですかね。
うんうん。
ありがとうございます。
それをこう世に出す、世に出さないで違いはあるんですかね。
あるんじゃないですか。
うん。
だって世に出すってことは、それこそなんかボロクさんに叩かれたりすることもあるから。
はい。
なんかそれなりに頑張って書くじゃないですか。
はい。
でも出さなくていいんだったら遅れ入りさせるんだったら適当に書いてもいいわけで。
うん。
やっぱりどれだけ人にも分かりやすく間違いなく自分の考えていることを伝えるかとか考え始めると。
うん。
そこの緊張感は一定数やっぱありますよねっていう。
うんうん。
そうですね。
まあそれであんまりその世に出すことにとらわれて書きたいことが書けないとか、
まああるいはその人気を集めるようなことばっか書いちゃうみたいになると本末転倒ですけど。
うん。
そこは自分なりに線を引いてきちんとしたものを書くっていうことの作用の中から生まれる効果はでかく大きいかなっていう気がしますけど。
うんうんうん。
なんかこう別の側面で言うと、初心者の人たちのアウトプットに対していろんな意見を持っている方たちがいるなと思っていて。
いろんな意見。
あー。
まあいろいろ。
なんかこう、まあそもそもそれをこうやっぱりこうまあそういうふうにアウトプットしていかないと、
まずアウトプット力って磨かれないからやっていけばいいじゃんっていう人もいれば、
そのやっぱ初心者の方ってアウトプットの内容、まあ内容自体もそうですし。
まあまあ内容自体がまあ。
性語的なところもいろいろあると思うんですけど、
そういうところに対してこうやっぱ思っている方もいらっしゃると思うんですよ。
そこを名古屋さん的にそこら辺のこうまあ初心者とかアウトプットを走りとして、
まあし始めている人たちに対してなんかどういうことを思っているのかなみたいなのをちょっと聞いてみて。
あんまり気にしなくていいんじゃないって僕なんかは思っちゃうけどね。
まあいろいろ言う人いるじゃないですか。
はい。
その間違ったコンテンツが世の中に氾濫すると問題であるみたいな。
はい。
でもそれはテクノロジーで解決すればいいでしょうっていうスタンスかな。
もちろんそれがその生成AIとか検索エンジンに与える悪影響とかあるんだけど、
それはどっちかというと生成AIとか検索エンジンが頑張らなきゃいけない話であって、
まあ意図的にデマ巻き散らすのはそれは問題だと思うんですけど、
たまたま書いたら間違ってたってしょうがないじゃんとしか思わなくて。
でそれをただそのそういうことを言われるのが嫌な人はちょっと聞いたの人がいる前で言うのもあれですけど、
そのパブリックな情報を上げるときに自分のプライベートなそのパブリックな場所ってあるじゃないですか。
自分用のブログとかに上げるか、それ聞いたとか前みたいにもっといろんな人が見に来る場所に上げるときで、
その性格性を担保することに心がけを変えるみたいなのは、
そういうことはまあやりたければどうぞっていう感じですかね。
うんうん。
じゃあそこに対してのこうまあなんかそんなにこうまあやるべきもやらない方がいいもん、
特にもうなにわさんのときにはないって感じでやりたければやればいいじゃんっていう。
かなあ。
うん。
ありがとうございます。
なんかこうここまででアウトプットのところでいろいろお話伺ってきたんですけども。
そうですね。もう一個聞きたいなと思ってたのが、
直屋さん自身が世に情報を出すときに気にしていることとか意識していること、大事にしていることみたいなところもあれをお伺いしたいなと思ってて。
ちゃんとしたものを書くときは僕は明確にオーディエンスを意識しますね。
どんな人が読んでてどういう期待値でどのぐらいの前提知識がある人がこれを読むのかっていうのを相当に意識しますね。
そうなんですね。
それはだから例えばカンファレンスで発表する資料を作るときとかはもうそっちのことしか考えていない。
自分が話したいことではなくて聞きに来た人が何を聞きたいと思っているかにターゲットを合わせて全てを構成します。
そうなんですね。だからそれをこうやる理由みたいなところはどういうところなんですか?
いや僕は別にその自己満足のためにカンファレンスでしゃべるわけではなく来てくれた人に満足してほしいという気持ちが強いので
僕の話を聞いてよかったって思ってほしいから。もうシンプルにそれだけ。
なるほど。
もちろん自分のしゃべりたいテーマであることはそうなんですけど
一方的に自分の知識を披露して全然みんながわからないみたいなプレゼンをすることに僕はあまり価値を感じないので
聞きに来た人がちゃんとわかるようにってことは思います。
例えばカンファレンスのスライドとかも最近の僕のスライドはそうなんですけど最初に結論を書いてるんですよね。
2ページ目ぐらいに。
で何だったらこの間のちょっとハスケルでアルゴリズムのプレゼンしたときはプレゼンが長かったんで
そのスライドのその後半50枚ぐらいあるスライドのうちすごい大事なスライド最初の5枚目ぐらいに
ここがキースライドですって先に見せてあって
だから何のためかっていうとプレゼンを聞いてる人がこの人はこういうことを言いたいんだなっていうのを最初に頭に描いた状態で
講談の詳細のプレゼンを聞いてくれた方が認知負荷が絶対低いからみたいなことまで含めて構成するんですよ。
なるほど。
だけど技術系のプレゼンでどっちかというと結論をなかなか言わずにもったいぶって
わーって話していって最後に驚きの展開みたいなプレゼンをする人がいるんですけど
それは50分聞いてる方はちょっとそれ展開無理だよっていうエンターテイメントでもないし
みたいなこととか僕も逆に聴衆側にいると思うんですよね。
だから自分のプレゼン聞きに来た人は退屈しないように
かもしくは最初の方聞いてこのプレゼン別に俺のターゲットじゃなかったと思ったら
さっさと別のプレゼン行けるようにみたいなことまで考えて構成します。
そこら辺の構成とかってやっぱそのご自身がこう頭談されるっていうのはもちろんそうなんですけど
なんかインプットみたいなのもしてるんですかね?こういう感じの頭談の方が面白いのか
いやそういうことはしていない。
それは上手な発表の仕方みたいな自己研発本とか読んでるかみたいな意味ですよね。
そうです。
いや全くしてないです。
そうなんです。でも基本的に経験ベースでやってらっしゃるって感じですかね?
でもまあ仕事柄はあるのかもしれないですね。
とにかく社員なり人に影響を与えるのが仕事みたいな仕事じゃないですか。
だから第三者にどれだけ強く影響を与えるかっていうことを考えると
その人が何を考えてるかをベースにプレゼンを組み立てるっていうのは当然になっていくんで
そういうことが影響してるのかもしれないですけど。
ですしやっぱりアウトプットまでやってきたブログ的なところのアウトプットとかも
本当にたくさんされてらっしゃると思うんで
そういうところがベースとしてあるみたいなのは実はあるかもしれないですね。
本を大体雑誌の記事の連載を持ってたりしたので
編集者がいて編集の人と壁打ちながら記事を書いたりとかしていたから
それでもしかしたら鍛えられた側面もあるかもしれない
こういう言い回しにした方が分かりやすいっていう指摘をもらったりとか。
ある意味でアウトプットみたいなものを
ちゃんと記事的にテキストでのアウトプットみたいなのをすると
音声でのアウトプットみたいなのがうまくなったりするみたいなのあるんですかね。
それはあるんじゃないですか。
というか何かしら音声でも記事でもいいんですけど
アウトプットをするためには当然ですけど
対象のことを理解してないとアウトプットできないわけですよね。
ということはアウトプットするためには
このぐらいのレベルで理解してないといけないっていう感覚値が
多分すごく性格性が上がっていくと思うんですよ。
だから自分の中で対象を理解したっていうレベル感っていうのが
どんどん深くなっていく。
このぐらいのことを書きたかったら
このぐらいのことを理解してなければいけないし
このぐらいのことをしゃべれるようになりたかったら