日本最大級のエンジニアコミュニティQiita プロダクト開発部部長の清野俊文です。
この番組では、日本で活躍するエンジニアをゲストに迎え、 キャリアやモチベーションの話を深掘りしながら、
エンジニアの皆さんに役立つ話題を発信していきます。
前回に引き続き、ゲストは、AWSジャパン 技術統括本部 シニア機械学習デベロッパーリレーションズで、
久保さんとお送りする3回目のテーマは、「生成AI時代にアウトプットする意味はコミュニティにある」です。
ということで、3回目は久保さんのアウトプットについて、 いろいろお伺いをしていきたいなと思ってます。
本当に久保さん、Qiitaにも関わらないことを知れているので、 運命としては本当にありがたいなと思っているんですが、
そもそもアウトプットみたいなのは、 アウトプットというのは、
いつから始めたのかなというのが、 ちょっと気になっていて。
アウトプットは前職、 まだ全然新人エンジニアの時にGitの使い方とか、
あとはその当時、JavaScriptのフレームワークを 使っていたんですけど、
それについてまとめた結果というのを、 自分でも忘れないように公開しておくというために、
使い始めたっていうことです。
その当時、技術的なアウトプットは、 エンジニアならみんなしていこうねみたいな、
そんな感じの雰囲気はあったんですかね。
そうですね。
前職の会社だとエンジニアのアウトプットというのは、 結構好意的に受け止められていたので、
あんまりアウトプットをするというところに対して、 会社の制約があるとか、
何かを抑えた方がいいというのは特になかったですね。
それはとても大きな影響を受けたので、
今のお話だと結構メモ、 自分のためにもというお話だったと思うんですけど、
そこでもう外部に公開をしようかなと決めたのは、 どういう理由があったって感じですかね。
もうちょっと思い出せない感じではあるんですけど、
自分だけじゃなくて他の人にもシェアするっていうのは、
自分だけでなくて他の人にもシェアするっていうのは、
もうちょっと思い出せない感じではあるんですけど、
自分だけじゃなくて他の人にもシェアするっていうところが一つあって、
そもそもオープンソースの活動自体は前から行っていたので、
エンジニアとして自分の作ったものを外に公開して、 他の人にも使ってもらうっていうのが、
もうカルチャーとして染み付いていたので、 もう何の疑問にも思わなかったというところが。
当たり前のようにやってた。
そうですね、勢いを吸うかのようにやってたっていうところがありますね。
はいはい、そうだったんです。
その当時アウトプットしてたのは、 自分のブログとかそういう感じなんですかね。
私がアウトプット、自分のブログは特に持ってなくて、
Kiitaを当時使ってマークラウンですごい書きやすかったので、
ここでいいかなっていうふうにやってずっとやっていたという。
最初からKiitaを使い続けていただいてるってことですかね。
だと思います。多分Kiitaの前にそんなにブログとか書いてないんじゃないかなと思いますね。
そうなんです、ありがとうございます。
本当にもうKiitaの中でも、コントリビューション数だけで言っても、
多分トップ5ぐらいには入ってらっしゃるんじゃないかなと思ってるんですけど、
最初はそういう感じで始めてから、 アウトプットをずっと続けている理由というか、
そこが何で続けられているのかなみたいなところを ちょっとお伺いしたいなと思っていて。
アウトプットが集中していたのは、
主に機械学習の研究開発部門にいたっていう時で、
そこからしばらく自分のブログで発信をするようにして、
最近また少し、
幅広に伝えたい内容については書くっていうふうに 戻ってきたっていうところもあるので、
あんまり一番最初にKiitaを投稿した、
技術ブログを投稿した時から継続的に書いているかというと、
それはお休みの期間もあったかなっていうところではあるので、
あんまり月に1回必ず出すノウハウっていうのがあるかというと、 そうでもないっていうところはありますね。
なるほど。
そういうのも、これアウトプットしようみたいな、
こういうトピックだったらアウトプットしようみたいな 判断軸みたいなのがあったりするってことですかね、それで言うと。
そこはありますね。
研究開発部門の時とかだと、
まだあまり体系的にまとまっていない領域ですね。
多分一番大きかったのはその教科学習ですね。
教科学習は私が取り組んだ時は、
本当にまとまっている日本語のドキュメントは皆無っていう状態で、
論文、海外の教科書みたいなところは去って、
ようやく全体像と仕組みが分かるっていう、 そういう状況だったんですけど、
その時に教科学習について学んだ内容、
特に初歩の方式からいわゆるDQN、
ディープラーニングを使ったその教科学習の学習までっていうところの、
全体が組み立て上がるまでのストーリーっていうところを まとめたっていうところは結構大きくて、
私が結構書くっていう時は、
その一つ一つの要素が散らばっていて、
全体像が理解しにくい場合っていうところに、
結構まとまった記事を書くっていうことが多いですね。
なるほど。ありがとうございます。
そういうアウトプットをする時に、
読者の方からの反応とかって結構意識はされてたりするんですか?
反応っていうよりは、読んでもらいやすいような書き方をするっていうのは心がけてますね。
基本的にアウトプットする以上、読んでもらわないと仕方がないので、
どういう風にまず読もうという風な気持ちになってもらうのかっていうところと、
読んでもらった上で有益な情報が伝えられているのかっていうところは、
書くときには必ず意識するところですね。
ありがとうございます。
アウトプットしたものに対してのリアクションとかそういうのも気にしたりはするんですか?
そこまでは気にしないですけど、
めちゃめちゃ力をかいた記事があんまり泣かず飛ばずとかだと、
ちょっとかっかりするぐらいなとこありますね。
でもそれでアウトプットやめようとかそういうのは全然思わないっていう感じですか?
やめよう、リアクションを取るために書いてるわけじゃないっていうところがあるので、
さっきお話しした全体像が理解しにくいところっていうのを体系的にまとめておいて、
自分だけじゃなくて他の人たちっていうのが、
なんでそもそもこれに取り組むといいのかっていうコンテキストを理解した上で、
取り組めるようになったらいいなという風に思って書いてることっていうのが多いので、
あんまり反応がないからやめようかなっていう風になったことはないですね、そういう意味では。
そうなんですね。
そういう感じでリアクションあってもいいし別になくてもいい、
なくてもいいわけじゃないと思うんですけど、
そこではなくてやっぱりアウトプットすること自体に目的というものを持ってやってらっしゃるってことかなと思うんですけど、
逆にそれをやっててよかったなって思うタイミングとかってあったりするんですかね?
やっぱりあの記事読みましたっていう風に言っていただけるのは、
すごい純粋に嬉しいですね。
コメントとかあとはSNS上でよくまとまってるという風に感想いただけるのは純粋に嬉しいですね。
あとは書籍をシップする機会っていうのも結構ギリタの記事からっていうこともあったりしたので、
自分がこれまでチャレンジできてなかった機会っていうところが、
ギリタの記事のアウトプットによって広がったっていうのは、
これは純粋に嬉しかったことですね。
ありがとうございます。
なんかそういう感じでいろいろ声をかけてもらったり反応みたいなのが増えていく中で、
アウトプット自体の意味合いが変わってきてるみたいなそんなのはないんですか?
基本的にずっと同じスタンスでやり続けてるみたいな感じですかね?
アウトプットのスタンスが変わっているっていうことはあんまりないですね。
一番最初に多分力を入れて書いたのは、今では多分誰も知らないであろう
ノックアウトJSっていうJavaScriptフレームワークの記事か、
AngularJSとかを比較した記事だと思うんですけど、
その時のモチベーションと今直近書いたのはAgent Coreの記事なんですけど、
モチベーションがそれほど大きく変わってるかっていうと、
そんなに大きくは変わってないかなと思いますね。
じゃあ本当にやっぱりまとめていって、
自分のためでもあるし周りの人にとっても役に立てばいいなっていうと、
スタンスはあんまり変わってないってことですね。
そうですね。
なるほど。
アウトプットをすることで、
自分の何かしらのスキルが上がったなみたいなそういうのはあったりしますか?
テクニカルライティングのスキルっていうのは、
上がったなっていうよりは書くにあたって上げるようにしてるっていうところが大きいですね。
ライティングの書籍を読んで少し自分の中に取り入れてみたりとか、
特に全職の時は結構そのライティングのノウハウとかに関心があるメンバーがいたので、
そのメンバーが本を読んで得たノウハウっていうのを自分も取り入れてみたりとか、
あとは人間のモチベーション理論みたいなところっていうのがあったりして、
読む読まないっていうのを判断するのに、
どういうふうな人間の認知系っていうのが作用してるのかっていうところを解説した本とかもあったりしてですね、
そういうのを意識して書いたりとか、やっぱり書くって自分の時間も結構使うので、
あんまり繰り返しの作業にならないように、
その書くっていう作業自体がより自分の中で洗練されてくるように、
毎回何かしらの工夫を入れたい、入れようとは思っているっていうところがありますね。
ちょっと話変わっちゃうんですけど、
最近の方だいたい皆さんに聞いてるんですけど、
それこそやっぱりアウトプットってもともとそういう感じで自分のためにもなるし、
実際そういうのを出すと周りの人にとっても役に立つもので、
たまにフィードバックとかもらえたりとか、
何かしらの登壇とかの執筆の機会につながるみたいなところは、
毎回いろんな方にお話としては伺うところかなと思っていて、
その一方でこれからの時代っていうところで考えると、
やっぱり生成AIの登場によって、
人が書いたアウトプットの価値みたいなところって
まだ結構いろいろ変わってきてるなって気がしてて、
聞いたユーザーさんに実際ヒアリングしてるのも実際そうなんですけど、
最近技術記事の前に生成AIでいろいろ調べ物をしてますとか、
トラブルシューティングはどっちかというと生成AIがあるから、
それが勝手に解決してくれることもあれば聞けば教えてくれる感じで、
記事を読むっていうのは結構次のステップになってたりすること多いですみたいに
言ってらっしゃる方多いんですけど、
だからそういう時代になってる中でのアウトプットの意味みたいなのって、
改めて今考えるタイミングなんだろうなとは、
聞いた運営としてもすごい思っていて、
だからそこら辺の生成AIが登場したことによってのアウトプットの意味合いとか、
そこら辺の価値の変化の感覚みたいなのって感じたりすることはありますか?
私はそれほど大きくは影響は受けないんじゃないかなっていう落下的な見方をしていて、
確かに自分が開発コーディングをしていて何か例外が起きた時に、
その例外がどういうものでどういうふうに解決すればいいのかっていうのは、
一時検索をしなくても生成AIに聞けばいいという状態になってきたっていう意味では
ポジティブではあるんですけど、
でも芸術記事の役割っていうのが目の前に出てきたエラーを解消するためだけのものかっていうと、
それは違うでしょっていうところはあって、
特に前に書いていた機械学習系の論文とかだと、
そもそもどういう学問体系なのかとか、
どういう技術要素が連なって今に至っているのかっていうところの、
研究とか芸術発展のナラティブみたいなストーリーみたいなものを理解するのって、
生成AIだけだと結構難しいところはあるんじゃないかなというふうに思っていて、
何かを語るっていう時ってやっぱり人間が意図とか意思を持って、
その人ならではの歴史を持って語るっていうところがあると思うんですけど、
そういうようなコンテンツの価値っていうのは変わらないし、
逆に生成AIで細かいところが聞けるようになった分、
そういうコンテンツ、全体図を理解するとか仕組みを理解するっていうところの記事のバリューっていうのは、
むしろ上がったりするのかなっていうふうには思いますね。
ありがとうございます。
まさに今後、いわゆるトラブルシューティングみたいなところももちろんそうですけど、
どっちかというとその人だから考えられることとか、
その人だから出せるアウトプットみたいな、
そういう解説とか自分自身の意見とか解釈みたいなのを載せていくみたいなのは、
引き続き価値はあり続けるアウトプットになっていくんだろうなってお話聞いていて、
改めて思った一方で、
アウトプット始めるきっかけって、
他の人がアウトプットしてたからとか、
自分がアウトプットしてる人の記事にすごい助けられてたからみたいな方って、
大体きっかけってそういうところなんじゃないかなと思っていて、
そこが今後アウトプットするようになっていくであろう、
今いろいろインプットされている方たちが、
例えば生成AIでいろいろ学んで、
あまりアウトプットに助けられなかったとかってなっちゃうと、
アウトプットしてくれなくなっちゃうんじゃないかなっていうのを、
ちょっと心配やん思ってて、運営としては。
これ半分ただの悩み相談みたいになっちゃうんですけど、
これからアウトプットを始める人たちに対して、
今までアウトプットしてた人間として、
どうアウトプットっていいよっていうのを伝えていくべきなんだろうなっていうのは、
いろいろ考えたりするんですけど、
くもさんはそこら辺でどう伝えていくべきだろうなっていうのはあったりしますか?
逆説的に、アウトプットを全くしないエンジニアっていうのは、
どういう状況でその生活が楽しいのかっていうところを、
イメージして見るところからスタートしてみてもいいかなっていう気はしていて、
多分あんまり面白くないんじゃないかなっていう気はしていて、
なんでエンジニアがオープンソースっていう仕組みを編み出したのかとか、
オープンソースのツールを使ってない人って、
ほぼいないかなっていうふうには思うんですけど、
オープンソース上のコミュニティの中で生まれるつながりっていうところ、
自分の成果を公開して誰かのためにしてっていう、
それってアウトプットっていうよりはコミュニケーションだと思うんですよね。
普通に会社の中ではソースコードのやり取りをしていると思うんですけど、
それが社外の人とかにもつながって、
会社の中だけじゃなくて社外の人ともいわゆるコミュニケーションを取っているっていう状態が、
アウトプットの本質的なところの一部かなっていうふうに考えていて、
これがどういうことを示唆しているのかっていうと、
アウトプットをしていないっていうことはコミュニケーションが取れていないっていうことと同意なんですよね。
ってなってくるとコミュニケーションを取らないで生きていくのって、
仕事としてもプライベートとしても、
ちょっと色取りに欠けるかなっていうところはあるかなっていう気がしますと。
なのでアウトプットされたテキストの掲示の価値っていうところを考えるっていうよりは、
アウトプットを通じたコミュニケーションっていう意味にはまだ引き続き価値があるはずだし、
じゃあそのコミュニケーションにとって最適な媒体とか書き方とか伝え方っていうのは、
でももしかしたら生成の登場で変わるかもねっていう話なのかなっていうふうに個人的には思います。
ちょっとこのまま生きていける気がしないとは思うと思うんですよ、
素朴に。
だからそういう現状に対して、
むしろ今、
少なくとも私はいいおっさんになったおっさんっていうのが、
自分が性性愛で楽するとか楽しむとかだけじゃなくて、
自分が性性愛で楽しむとか楽しむとかだけじゃなくて、
この技術がどういう風な社会的影響とか、
エンジニアコミュニティとか、
そういったところに影響を及ぼし得るのかっていうことを、
そこに対してどういうケアをしないといけないのかっていうのは、
やっぱり上の世代がちゃんと考えて、
貢献していかないといけないんだなっていうのは、
強く思いますね。
そうですね。
やっぱり突然何か新しいコミュニティが生まれることもなければ、
突然何かのコミュニティが消失するみたいなのも、
やっぱりちゃんといろいろな活動をし続けてさえいればないとは思うので、
そういうものをちゃんと繋いでいく。
次世代の人たちがちゃんとそこも繋いでいってもらうみたいな、
そういう感じの雰囲気みたいなのは作っていきたいし、
そういうところである意味でちょっと息抜きというか、
そういうのがしやすいような雰囲気みたいなのを、
今、いろいろ考えているんですけど、
やっぱり、
今、いろいろやっている自分たちが
作っていくのが大事なんだろうなと思いますね。
萎縮させちゃいけない、
昔からまさかりみたいな文化がある意味であったとは思うんですけど、
よりそこら辺が力を増しちゃうというか、
そういう息苦しさの中で、
僕たちもまさかりとか投げていたら、
本当にアウトプットは誰もしなくなっちゃう気がするので、
そこはうまくオープンしつつ、
そうですね、
いろいろな人たちが参画してくれるようなところを
うまく作っていきたいなというのは聞いた運営としては思いました。
間違っているものをいろいろアウトプットしていいよは、
全然違うと思うんですけど。
そうです。私も今日話していて、
今、正々堂の時代になって自分が生き抜くことが
精一杯みたいなところは若干あったんですけど、
今日お話ししていて、
そういうところはやっぱり現実としてあるなというところがあると思ったので、
私も何か貢献できるところがあれば、
いずれも貢献させていただこうというふうに思いますし、
デベロッパーリレーションなんでね、
若いデベロッパーの方たちにどういうふうに
リレーションを取るべきなのかというのは、
ちょっと私もテーマとして考えたいなと思いましたね。
ありがとうございます。
まずは聞いたで引き続きアウトプットをさせていただけると、
ありがとうございます。
久保さん、3回にわたりありがとうございました。
最後に何か告知などお知らせありましたらお願いします。
AWSでは7月にニューヨークサミットで、
Amazon Bedrock Agent Coreというサービスが出て、
本当に本番環境で活用していくというところにあたって、
スケーラビリティとかセキュリティ、
あるいはオブザービリティといったところを、
なるべくマネージドでやってみなさんが
コアの実装に集中できるサービスというのが、
満を持して登場したというところなので、
こちらどういうふうなものなのかというのが分かる、
聞いたの記事が公開されてますので、
ぜひ一読いただければ、
デベロッパーリレーションとして幸いです。
ありがとうございます。久保さん本当に今回はありがとうございました。
ありがとうございました。
ということで、今回は久保さんとアウトプットについて、
いろいろお伺いをしてきました。
後半のほうで話した性性愛時代のアウトプットみたいなところは、
毎回そうなんですが、すごい発見とか学びはあるなと思っていて、
今までって若者の人たちを、
ある意味で恐ろしく思っていたというか、
性恐ろしさというか、
今性性愛ネイティブの子たちが社会人になったら、
自分たち本当に職を奪われてしまうんじゃないかみたいなのを、
僕は正直思ったりはしていたんですが、
自分がその立場になったときのことを想像してみると、
絶対そういう大変さというのは、
若い人たちは絶対持っているなと思ったので、
そこに対して今いろいろ自分たちはやっている中で、
提供できるものとかつないでいけるものは何かないのかな、
みたいなのを改めていろいろ考えていきたいなと思いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
さて、この番組では感想や次回ゲストへの質問、リクエストなどお待ちしております。
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