でもビジネス的なポイントになることってやっぱり今の戦略みたいなこともそうだし、何だろうな、他にもいろいろあると思いますけど。
なんかその、ここ揃えていったら方がいいよねとか、私たちもそれこそサイクルっていうサービスでワンワンをいろんな方とした後に、
ここの認識ちょっと逸れた方が良さそうだねとか、そういう話を内部でたくさんすると思うんですけど、
その、それを例えば、サービスとか入れてない皆さん自身がワンワンでそういうことを見つけていくってなった時に、
どうやって見つけたらいいんだろうとかがちょっと疑問に思ったりするんですよね。
なんか、それって第三者じゃなくても内部でも見つけられるものなのか、見つけられるものだとしたら、なんか問題が起きそうだなってアンテナが立ったらとかなのか、
なんか誰かが苦しんでる瞬間だったりするのか、それとも大体この辺だよねみたいな、戦略の立て方だったりビジョン一つだったり、
そこら辺を揃えておいた方がいいよねみたいなことなのか、どう見つかっていくものなのかなってすごい思ってるんですよね。
なんか見つかるっていうことの発想が、どういう立ち位置で田並さんが話してるかが、僕の中でちょっとわからないところがあるんですよね。
今みたいな、こういう言い回し自体も土台がどう揃ってるかなっていうのを確認しながら言ってるってことになるんですけど、
対話の前提は立場というかその土台を揃えようとすることであるっていう話をしてるので、なんかその見つかるというより、ただ揃えようとするっていうだけなんですよね。
この会話で一番揃えなきゃいけないことはっていうか、揃えたいなって思うので、たまたまその時は戦略って話かもしれないし、その別の時には仕事、何でもいいんだけど、ビジョンならビジョンについてでもいいし、何でもいいけど、
なんか、抽象度の高い言葉っていうのは、とにかくディティールがいろいろあるはずなので、それを定義していくっていうことにしない限り、ふわっとしてるはずなんですよね、なんかその横文字系の言葉とか結構多いと思いますけど、
それの中身のディティールと構造っていうところを整理しない限り、その会話が噛み合うことはないはずなんですよね。
それを揃えようとしてるだけだから、見つかるとか見つからないというより、揃えようとするとなる、みたいなところなんですけどね。
なんか人間関係以外のところで言うと、概念として持ってきてそれ使おうとしてるよね、みたいな言葉だったり。
そうですね、フレームワークって言われるものだったりとか、だから僕らがよく言うところでは、ビジョン、ミッション、コンセプトって言葉で組織を定義して、組織の在り方みたいなことを定義しましょうって時に、
ビジョンとミッションの違いは何かとか、コンセプトはビジョンとミッションとどのような関係にある言葉なのかとかっていうのを定義するから、
ビジョンとして何かの言葉が出てきた時に、それはビジョンというよりミッションなんじゃないとかっていう議論ができるっていうことなんだと思うんですけど、
その定義がないと、ビジョンもミッションもパーパスもよくわからんけど、ふわっとした言葉でなんとなくいいよね、みたいな感じで、なんかいい感じみたいなことになるけど、それも全然何の役にも立たないと思うんですよね。
だからそういうキーワードは、フレームワークとかに出てくる言葉の定義は揃えたほうがいいよと。
さっきちょっと間違ったと変なふうに捉えちゃったあれだなと思ってるんですけど、人に関しては僕はどっちかというと揃えたいというより、揃うわけがなくて、その人のこと全てを誰も理解できないから、
だから自分の思ってる何々さんっていう印象っていうのは、不十分他の側面がある可能性があるっていうことを理解し続けるっていうことが大事であって、固定しちゃったら、
かえってその対象者を、言葉は悪いけど殺してしまうっていうか、個性を活かせなくなってしまうっていうことになるから、むしろ私からはこう見えてるけど他の人が違う見方をしてるとか、ちょっとニュアンスに差があるっていうことで、
何々さん像っていうところが、自分が思ってるより何か違いがあるぞっていうところに対して常に留歩し続けるというのが対話によって生まれているってことが重要だと思っているので、そのフレームワークとか何かの言葉はきちっと決めたほうがいいけど、人に対する印象は自分だけじゃないよっていうのを持ち続けるっていうのが対話の意味だと思いますけどね。
なんかちょっとずつ理解してきた気がするのは、その最初にお話しされていた言葉の定義みたいなところで言うと、例えばそれをふわっとさせてしまった後に組織内でみんなが何かを判断行動するときに、ちょっとずつズレが起きてくよね。
よかれと思って、こないだこれがこう決まったしって思って、頭にあって、よかれと思って成果を出そうと思って行動したけども、例えばちょっとずれが出るみたいなことに影響する言葉たちとか、ビジョン、ミッション、コンセプトの定義だったりとか、そういうものはやっぱり揃っていると、みんなの努力が同じ方向に揃ってくるよねみたいなものたちは、
なんかやっぱり揃えていった方がいいんだなみたいなのが一個理解と、あとはもう一つ後半におっしゃっていた人間関係のところで言うと、たぶんその人自身を完全に固定しようとしているわけでは全然なく、もちろんその人自身もずっと変化をし続けるし、
でも何かそのチームでやっていくんだとしたら、その人をこういう人だと固定しないっていう前提で、ちゃんとそこを、なんだろうな、感性はこないけども知ろうとし続けるみたいな姿勢でコミュニケーションを取る、そのために対話型の対話をするっていうことがなんか大事なのかなって思ってちょっと理解が進んできた感じがしてます。
その組織を良くするってことは関係性を良くする、関係性から始めましょうっていう話を、ダニエル・キムのモデルとかってよく話をしますけど、関係性が良いってどういうことって話になったときに、
その抽象概念的なビジョンだミッションだとか戦略だとかっていう言葉は定義がしっかりしてる方が、そこがないから関係性が良くなりますっていうことになりますと。で、一方で人間関係の方に関して言うと、何々さんは単的にダメなやつだっていうふうに固定しちゃうとダメだし、逆にあの人は素晴らしい人だっていうふうに固定してしまうことも、
その人の言うことで鵜呑みにしてしまったりとかっていうことが起こってしまうってところがあるから、人間関係に関する評価的なものはむしろ幅があるとか揺れがあるっていう、どんなことも一面だよねっていうように留保し続けることが関係性に柔軟性をもたらす、いろんなケースでお互いが関係し合える、この状況ではあの人には絶対声をかけられないとかってなっちゃった時点で、
その人のリソースは使えないっていうことが起こってしまうわけなので、なんか余地が常にあるっていうふうにするためには、人間関係とか人の評価に関しては幅を持ち続ける、誰かがでも俺はあの人苦手だけど、たのみさんはなんかそうでもないって言ってたし、なんか可能性あんのかなって思える何かを知ってると、その人のリソースを使う可能性が残るんですよね。
でも、みんながあいつはダメな奴って言った瞬間も、その人のリソースはその組織の中で使えないんですよね。なので、そういう人に対する評価はいろんな可能性があるっていうことを対話的に何か揃えよう揃えようとすれば、揃えようとすればするだけ違いが分かる、違いとか固定できないことが気づくはずなんですよね。それが関係性を良くするっていうことの。
なんか今すごい思ったのは、その対話によってその言葉っていうのは概念であって、理解できる範囲が一定こうある、こういう枠組みだよねみたいなものがあって、それを正しくこう理解できることで使いこなせるっていうものであるし、人間関係の方の人っていうのは、だから可能性その何かがこう決まって構造としてそこにある。
わけじゃなくて、可能性はもうどこまでもきっと無限大で、なんか頑張ろうって思えばいろんなことができるだろうし、なんか新しいそれこそ概念を取り入れればもっと違うことに挑戦できるだろうし、みたいな。
無限大とかっていうふうにとって、実際無限なんだと思ってるんですけど、僕は単純に固定できないものっていうぐらいのつもりではいるので、すごく無限に開いてるとかっていうには、なんかそういう意味ではないと思うんですけど、
例えばこれって第三者がいない中で、なんかでもそれって大事だよねって気づいた人が実践してみる、なんか調整役にとどまらずあくまでもみんなが自分の仕事があってみんながそれぞれコミュニケーションをとっている中で、
一人が気づいた時にそれを何か今起きた、ここまで話してきたようなこととかをなんか組織の中に実現していくこととかってできると思いますか?
それは非常に難しいってなっちゃうんですよね。難しいっていうのがどこまでをやろうとするか、できる範囲とできない範囲っていうのがやっぱり出ちゃうだろうなって思うんですよね。
人間関係がそこに直接的にやっぱたった人は感情も動くし、嫌な思いをしたらなんかやっぱ苦手だなって気持ちになっちゃうから、おっかなびっくりにもなっちゃうだろうしとかっていうのがあるから限界はありますと。
でもそれでもやらないよりマシっていうか、それが小さく連鎖していくってことはあるだろうなっていうぐらいですかね。
誰か一人が組織の中でやるっていうのは難しいというか、社長と社員の気持ちがどこまで揃うかみたいな話と似てくるとこあるんですけど、
100%全部が合致して、一心同体的にみんなで何かやってますみたいな状態をゴールだとするなら、そりゃそこにはならないよねって話になるんですよね。
だけど結構権限が強い人が引っ張っていくリーダーシップ的に動いていって一定のところまで行くってやり方もあるだろうし、みんなで一緒に考えながらちょっとずつさずれを直しながらちょっと前に進むってやり方もあるだろうしっていうのはもうどっちも前には進んでるんですよね。
ただ進め方が結構強い人がガッと行くとか、みんなでなんとなくじわじわ行くみたいなところとかがあるときに、さっき言った気づいた人が、もしリーダータイプの人が気づいたとしたら一定の依存というか、あの人が言ってるからっていうふうに対話的というよりは、この人が人間性と能力で一定程度の範囲をまとめて前に進む。
それでもちょっと対話的になってるんですよ。リーダーちょっと考えながらやってるから、こいつにはここ以上はさすがにもうしょうがない俺の言うこと聞いてもらおう。ここわかってくれそうだからちゃんと最後まで一緒に理解できるところまで行こうとかっていうのをやりながらやるっていうことがリーダータイプの人に今その気づきが生まれたとするなら、ちょっとそういうことが起こるだろうってことが起こると。
逆に部下のタイプの人で上司が全くそういうことに興味がないって話になると、これやっぱりすごい限定的にどうしてもならざるを得ないと思うんですよね。そういうときに一定組織が大きかったら斜めの位置というか、あんまり聞いてくれないって言うとあれだけど、そういう人が仮にいたとするなら、その人じゃなくその上に社長がいるんで社長と話すとか、もしくは隣の部署の部長さんと話をするとかっていうことを通じて、
結果的にちょっと固い人に対して何かの圧力というか何かが変わる。対話的に隣の部署の話をすると部長と話ができた。もしくは社長とちょっと話ができたってことを通じて、その間に入っている人に対して別の形の影響力っていうのが発生する可能性はあると思うんですよ。でも難しいですよ。やっぱりお前俺を飛ばしていったなみたいな話になったら、逆にこうなっちゃったりもするだろうから。
だから誰がどの位置でそういう気づきを得たかによって影響力っていうのは変わらざるを得ないっていうところはあると思うんですよね。
そうですね。あとにも各にも何かのまとめ役だったり、リーダー職みたいな方々が気づいてこのチームを変えれないかなって思うことが一番大事というか可能性が出てくるっていうところなんですかね。
なので人の集まりなので一般的には権力の勾配があるんですよね。権力のある人とない人っていうところに勾配がどうしても傾斜があるっていうことになるのはこれはもう事実なので、たまたまそこが傾斜が緩いところもあれば何かだけが突出してるところがあったりとかって言ってみないとわからない。その組織に。
なのでそれを中にいながらして感じる人はいるもちろんいると思うんですよね。でそれでも口に出せる出せないがあるっていうところがあるから組織って難しいってなっちゃうから第三者でありながら第三者であればここにこんなずれずれずれというか権力の強いとこ弱いところなんか思ってそうだけどこれは言えないよなっていう気持ちだったりとかっていうところが見えるっていうところがあるっていうのはそこに依存関係がないからっていうことですよね。
外からでもそんな僕らであってもやっぱり決済者としての例えば社長っていう人がいるわけだったとしたらその社長さんがすごく圧が強くて成果をすぐ出せみたいなタイプだったとするなら僕らのやってるのって結構漢方薬みたいなもんでじわじわなんとなくやっていきましょうみたいなとこだからいつなった成果出るんだとかっていう人だったとすると
その社員の人たちはなんか話を聞いてくれてちょっとずつ良くなってる気がするとか気持ちだけでもなんか変わったなとかと思ってても何の成果も出ないからやらないみたいなことっていうのは起こっちゃうと思うんですよねでもそれは仕方がない
そうだから僕らが第三者でもやっぱりその権力の強い組織の中で権力の強い人にとって僕らのやってることが意味ないって思われてしまったらやっぱり動かせないからどっちも限界はありますよねやっぱりねしょうがないですよねでもこれ運と縁となんだろう時間かかるよねって思いながらやるでいいかなと思いますけどね
でもそうですよねなんか聞きながらどうしてもそのもうちょっとこうできたらいいのにとか対話ができたらいいのにとか分かり合えたらいいのになぁみたいなのってなんとなくですけどそのどうしても組織組織て役割分担だけれどもそこに上下関係っていうものが無視でもあってその上下関係の下にいる人たちの方がなんかやれたらいいのになって感じやすい部分