1. 営農とサブカル
  2. 物語が途上で終わるのは何故か..

今回の農業描写探偵の題材は、宮崎駿の「シュナの旅」(徳間書店アニメージュ文庫、1983年)

宮崎駿の原典とも言える作品で、その後の監督作に出てくるキャラクターの原型とも言うべきキャラクターがたくさん出ている絵物語となってます。


この作品に影響を与えたと言われている、植物学者、中尾佐助の「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書、1966年)と、チベット民話「犬になった王子」を元に、その影響や、作風について改めて検討していきます。


なぜ物語が旅の途中で終わるのか?

農業描写への中尾佐助の著作の影響は?

意図的に異なった農業描写をしている意図は?

気になる方はぜひお聞きください。


当然のことながら、ネタバレ全開でお話をしていきます。

読んでなくても聞けるし、聴いてからでも楽しく読める作りにはしておりますので、よろしかったらお聞きください。


ご感想はTwitterハッシュタグ #営サブ までお寄せください。


キーワード

照葉樹林農耕文化複合 / 堀り棒 / 根菜農耕文化 / サバンナ農耕文化 / 地中海農耕文化 / シコクビエ / オオムギ / はだか麦 / 犬になった王子


チャプター情報

OP

概要

Aパート シュナの旅の農業描写に見られる中尾佐助著作の影響とは何か?

Bパート 原典と異なった農業描写を意図的に入れているのは何故か?

ED

00:01
皆さんこんにちは。この番組を配信しております北海道在住30代米農家をしておりますジョンと申します。よろしくお願いします。
本日は2022年3月8日金曜日となっております営農とサブカル会と同日に収録をしておりますね。
今回はですね、私は札幌市が厚別区にある開活クラブのワンツーカラオケという風なボックスでこちらの音源を収録しているような状況となっております。
周りにですね、カラオケをする人がいなければ非常に静かでとても良い収録環境だなと思いながら収録をしているんですけども、
そろそろですね、ちょっと周りにカラオケがちょいちょい始まりまして、音がうっかりしたら乗る可能性もあるなと思ってはいるんですけれども、
なんとかならないように注意して収録をしておりますので、その辺でちょっと聞いていただけるとありがたいです。
今回はですね、農業描写探偵として宮崎駿さんが1982年に出版されました絵物語、シュナの旅を扱っていこうと考えております。
このシュナの旅という風な物語はですね、その後のスタジオジブリの作品の中にかなり影響を与えております作品となっておりまして、
例えば作中の中に出てくる馬みたいな、ヤギみたいな生き物、ヤックルという風なのはですね、その後モノノケ姫のアシタカの乗り物としてヤックルはその後のヤックルという風な名前で出てきたりとか、
あとは作中の中に出てくるキャラクターとか、そういう風なのがですね、色々と他の作品のモチーフになることで、
宮崎駿作品の原型になるような、そんなようなことがいっぱい描かれている作品だったりするんだよね。
この作品はですね、元々のように原作になっておりますのが、チベットの民話となっております。
そしてその当時、宮崎駿さんが大好物にしておりましたアーシュラ系ルグインのゲド戦記が結構タネホントの中に入っておったりするんですよね。
そしてこの作中の中の農業描写というのがいっぱい出てくるわけなんですけども、この農業描写に影響を与えておりましたのが、
1966年に出版されました植物学者中尾さすけが書いた栽培植物と農耕の起源という本があるんですけども、
これがですね、かなり影響を与えていることになっております。
今回の栄野とサブカルでは、この中尾さすけの本とシュナの旅の関係についてフォーカスすることによって、
宮崎駿の作品の根幹に似合っている部分がどういうふうなことなのかというふうなのを、30分から40分間ぐらいでいろいろとお話をしていこうと思っております。
当然のことながら、このお話をする都合上、シュナの旅についてはですね、あらすじを全ネタバレするというふうなことをやらざるを得ないんですよね。
ただ、読まれていないという方もですね、あらすじだけ聞いて、今回の話を聞いた後で作品を買っていただいても楽しく読めるかなとは思います。
ただ、今現在本棚にあってつんどくしているという人がいたらですね、10分ぐらいで読めるんで今すぐ読んでくださいというふうなところだけお伝えをさせていただきます。
そんな感じなので、よろしかったら90万部ほど販売されておりまして、今現在文庫本が660円プラス税というふうな感じで購入できるような、ただ同然で買って読めるような状況となっておりますので、
03:11
よろしかったらお手元にあった状態でちょっと今回の話を聞いていただけると幸いです。
というわけで今回も参りましょう。
Aノートサブカル。
今回扱いますのは、1983年徳間出版、アニメージュ文庫出版から出版されております宮崎駿の絵物語、シュナの旅を扱っていきます。
このシュナの旅はですね、時系列的には宮崎駿さんのナウシカの漫画版が連載されましたのは1982年。
映画の公開が1984年となっておりますので、ちょうどナウシカの方が先には始まっているんですけども、その次に出版されましたのがこのシュナの旅という形となっております。
内容的にはですね、文庫本で非常に薄い絵物語となっております。
毎ページ毎ページカラーで絵がついておりまして、それについてですね、ちょっとずつ絵本の文章量ではない程度の文章量で文字が書いてルート風な非常に短い作品となっております。
どのぐらい短いかというと、NHKでですね、1時間のラジオドラマで1から10まで話が作られちゃうぐらいの、そんなような短いお話となってたりするんですよね。
で、今回こういう風な形でですね、ちょっと扱っていく都合上、いろいろとちょっと全ネタバレはしたいだろう得ないので、ちょっとあらかじめご了承ください。
で、その全ネタバレのあらすじをちょっとこれから読み上げますけれども、どんな話なのかというと、主人公になりますのは、辺境の山深い谷底にある小国の王子シュナとなります。
あの見た目はですね、アスベルとアシタカを足して2で割った感じっていう風に言うと、まあだいたい伝わりがいいかなと思います。
彼は収穫量の少ない貧弱な雑穀しか育つ、貧窮に喘ぐ国を深く憂いていたが、ある日生き直れた旅人から豊かな実りをもたらす麦の存在を聞き、国を救うために新人の国から麦を持ち帰ることを決意する。
で、その際にですね、ヤックルと呼ばれている、ヤクなのかヤギなのか馬なのかよくわからない生き物がいるんですけども、これに乗って旅に出るという風な形になっております。
ヤックルについてはですね、モノマケ姫のアシタカに出てきたやつとビジュアル満々同じそうなと言われるのでね、やつらは多分このチベット原産家、そういう風な感じの生き物なんでしょうなという風なところになりますね。
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で、このアシタカは、アシタカじゃない、シュナはですね、旅の途中で奴隷商人から少女テアとその妹を助け出します。
その後、この少女テアと姉妹とですね、この奴隷商人の追っかけっこみたいなのがあるんですけども、この逃走劇を繰り広げた後、単身でシュナ一人で新人の国へと乗り込んでいき、苦労の末にようやく麦を手に入れるも、その際の壮烈な経験から人間らしさを一切失ってしまいます。
ただ、その後、北国の方に逃れていたテアとその妹に手厚く献身的な介護を受けることによって、徐々に自我と人間らしさを取り戻していき、やがてテアと一緒にその村で麦を見事に実らせて、麦とテアの姉妹と一緒についに生まれ故郷への帰都へ着くという風なお話となっております。
まあ、だいたい読まれた方だったらこんな話だったよなぁとかね、いろいろ抜け落ちてるなぁと思う方もいらっしゃると思うんですけどね。とりあえずこんなあらすじのお話となっております。
ただね、いろいろとディテールはいっぱいありますのでね、詳しく知りたい方は今すぐにでもAmazonでご購入いただけるとありがたいですね。
要はこのシュナが旅に出て麦を手に入れて、麦の種子を増やして、その人に作るところで終わるという風なお話となっております。
大雑把な筋からもちょっとわかる通りですね、この後この作品の中に出てくる宮崎駿作品の中に出てくるようなキャラクターというのが作中の中にはいっぱい散りばめられていたりするんですよね。
それこそシュナは本当にアシタカとアスベルを足して2で割ったような状況になっておりますし、なんだったらこのシュナの声はですね、NHKのラジオスペシャルの方ではアスベル役の方が声を当ててたりするぐらいに、そういう風なキャラクターになってたりするんですね。
あとテアはナウシカとシータを足して2で割った感じの女の子となっておりますのでね、イメージ的にもそういう風な部分に近いなと思います。
あと絵を見てたらですね、クロトはいるとかね、自己暴が出たとかね、ドーラみたいなおばあちゃんがいるとかね、そんな感じでですね、どっかで見たようなキャラクターが出てくるんですけども、それぞれ全然違った役割を負って作中の中に出てきております。
本の感じで、その後の宮崎駿の作品の中に出てくるようなキャラクターの原型のようなものがいっぱい出てくるような作品なんですけども、この作品にはですね、それぞれ影響を与えているタネ本が3つあると今現在公式で言われております。
まずその一つ目がですね、1964年にイワナミ出版から出版された自動書、イワナミのお話の本、白い竜、黒い竜、中国の楽しいお話に掲載されていたチベットの民話、犬になった王子。
これはもともとのタイトルは、鎮攻朱子的来歴っていうね、言葉にすると面白いんですけども、直訳すれば裸の木はどこから来たのっていう風な、そんなようなタイトルのお話だと思ってください。
これがもともとこのシュナの旅のお話の基本講師となっております。
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これはですね、シュナの旅の後書きの方にも宮崎駿さん自身がこれをモノにしておりますよっていう風なところで書いてたりしておりますね。
シュナの登場した国がですね、おそらくチベットをモデルにしているだろうなという風なのは、このお話の原話がチベットの民話だという風なところから影響を受けているのかなと思います。
そしてシュナの旅の作中の雰囲気もですね、中欧アジアが影響が強いなというか、中欧アジアの雰囲気がするなという風なのも、このチベットがモデルになっていたからっていう風なところが影響になってくるのかなと思いますね。
このお話についてはですね、本編の方でちょっとずつ解説をしていこうと思います。
基本的には小国の王子が麦を求めて遠いところに旅をして、そして麦を地元の国まで持ってくるという風な、そんなようなお話となっております。
詳しいディテールの方は本編の方で詳しく話をさせていただきますね。
このチベットの民話以外にもですね、影響を与えたという風に言われておりますのが、当時宮崎駿がハマっていたことで知られているアーシュラ系ルグインの自動文学、ゲド戦記がこの辺のタネ本とか精神的な部分で影響を受けているという風に言われております。
この後スタジオジブリではゲド戦記が映画化されております。
ゲド戦記見られた方とかはですね、ちょっとあんまり面白くなかったよとかね、特にゲド戦記の原文を読んでられた方とかはですね、話が全然違うとかっていう風に思われた方もいっぱいらっしゃるのはそんな作品だと思うんですけども、それもそのはず。
このスタジオジブリで映画化されたゲド戦記という風なのはですね、このゲド戦記という風なタイトルはついてるんですけども、タネ本にしているのはシュナの旅だったりするんですよね。
というのも、もともとこの映画化の企画が始まった際にゲド戦記の映画監督を務めておりました宮崎駿さんの息子の宮崎吾朗さんが監督が映画化しようとしてたのはシュナの旅だったそうなんですね。
なんですけども、これはお父さんの宮崎駿さんに大意見をされてシュナの旅の映画化はできなかったんですけどね。
なんですけれども、その際にプロデューサーの鈴木敏夫さんから、シュナの旅ももともとはゲド戦記なんだから、じゃあゲド戦記を映画化してシュナの旅をやればいいんじゃねえのって言われたことがきっかけで、ゲド戦記をシュナの旅に寄せるという風な形で映画を作ってしまったんですよね。
その結果ゲド戦記としてもちょっと話の展開が微妙になってしまったりするし、シュナの旅として見ると近いところもあるんだけどだいぶ違うという、そんなような変な状況になってしまったというわけなんです。
なんですけれども、シュナの旅でやろうとしていたことっていう風なのは、例えば世界の根幹につながるような物事をとある小国の王子が解決するようとするんだけれども、その途上で人間らしさを失ってしまうも一人の少女の献身によって元に戻っていくという風な話なんですよね。
これだけ聞くとゲド戦記もシュナの旅も結構話を2回やってる部分だったりしておりますね。
12:00
という風なのも、種本にゲド戦記があって、そしてややこしい形で映画化されてしまったよという風なところで、このシュナの映画のゲド戦記があるよという風な形になっております。
そしてこの作品で影響を受けていることになっております本が植物学者中尾さすけが1966年にイアナミ書店から出版しました。
栽培植物と農耕の起源という風な本がこの作中の農業業者においてかなり影響を与えているような状況となっております。
今回私この本を買って読んで、そしてシュナの旅を見比べて思ったんですけども、気持ちがいいぐらいに中尾さすけの本から影響を受けている描写がいっぱいあってですね、今回農業描写探偵をしていて非常に楽しかった部分がこの辺だったりしております。
今回はこの本とこのゲド戦記の話を中心にいろいろとやっていこうと思います。
この本どんな本なのかというと、この本はですね、世界各地の植えてから食べるまでの文化史を調べていった、そんなような本となっております。
中尾さすけ自身はですね、世界各地にある農業は4つの4大農耕文化に修練されるという風な形になっておりまして、
その4大農耕文化がどこを起源として発祥して、どういう風な特徴を持っていたのか、そしてそれぞれが世界で混ざり合った結果、どういうような農耕文化を生んでいったのかという風なのを、1966年に分かっていた最新の科学的知見から元に、農耕文化という風なのを描いていったという風な本だったりするんですよね。
それがですね、作中の描写の中に気持ちいいぐらいに落とし込まれておりますので、今回のAノートサブカラーでは、この中尾さすけの著作が宮崎駿の首脳の旅にどのような影響を受けて与えたのかという風なのを、農業描写の部分から見ていくという風なのを最初のパートの方で扱っていきます。
そして、そのパートの方で農業描写の中で描き込んだ部分と、あとその辺の部分で原点と祖母が出てくる部分があるんですよね。
その祖母が出てきた部分がなぜ祖母が起こったのか、そしてあとは原点の方ではなく、この名塚尾さすけの描写の方を中心に描いたのはなぜなのかという風なのを後半の方のパートの方でお話をしていきます。
それぞれを踏まえて、首脳の旅の中に描かれてくるキャラクターの原型とかそういう風なものが、宮崎駿さんの作品体とかそういう風な部分にどういう風につながりがあるのかという風なところを今回頑張って話をしていきますので、30分から40分間ぐらいお付き合いのほどよろしくお願いします。
Aパート、首脳の旅の農業描写に見られる中尾さすけ著作の影響とは何か。
ではここからは首脳の旅に描写されております農業描写の方から中尾さすけの著作の影響がどういう風な点で見られるかという風なお話をさせていただきます。
まず首脳の旅にはですね、2箇所農業がされているシーンという風なのが写っております。
まず1箇所目がですね、冒頭、首脳のいる小国で行われている農業だったりしておりますね。
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そこで行われている農業ともう1つの方が、首脳と手羽の姉妹が小麦を育てることになります。
西の果ての小さな寒村で行われている農業がありまして、この2つを元にですね、この農業描写の方を紐解いていこうと思います。
首脳のいる小国ではですね、雑穀を育てているんですよね。
そして育てているのは架空の雑穀なんですけども、ひわびえという風に言われている稲家の雑穀を育てているようなものとなっております。
このひわびえはですね、赤い半天のようなちっちゃい実をつける、ひえに近いような姿形をしている、そういう風な雑穀となっておりまして、それを栽培してたりするんですね。
実際にチベットの方ではですね、四国びえという風に言われている雑穀が栽培されているそうです。
そしてその雑穀を栽培して出来上がったものを粉でひいてひえ粉という風なものを作って、これからなんとかパンみたいなものを作ってそれを食べたりするそうなんですね。
そんな感じでですね、今現在このチベットで行われている農業においてもひえとかは随分に使われてたりするわけなんですけれども、
これはですね、同じようにシュナとテアの姉妹が暮らす西の果ての乾燥の方でも同じような見た目のひえを栽培してたりしております。
この栽培の方法もですね、非常に似通ってたりはしております。
この2つともですね、収穫の方法とか発種の方法とかそれ以外の描写はないんですよね。
ただシュナのいる小国では植え付けのシーンが描かれておりまして、
テアとシュナが暮らすことにより西の果ての乾燥の方では収穫と田を起こしというか畑を起こしているシーンが出てくるんですけども、
このやり方もですね、チベットの農業に非常に酷似した農業をしてたりするんです。
ってことを考えると、この2つの村と国はですね、非常に似通った農耕文化圏に属していると考えられます。
特に冒頭ヒアビエの植え付けに使っている道具と、あと育てている作物がヒアビエという架空の植物ではあるんですけど、
雑穀を育てているという点からですね、商用樹林農耕文化複合の特徴を持っているのではないかと私は考えております。
知らない単語が出てきたね。これについてちょっと今回はAパートの方では詳しく話をしていきますね。
まずシュナのいる王国の描写の中ではですね、このヒアビエの植え付けのシーンという風のが描かれております。
このシーンの方で特に文字の解説とかはないんですけども、
女性たちが先端に鉄のついた棒を持っていて、その棒を使って畑というか地面に穴を開けて、
そしてどこかで幾病したであろうヒアビエの苗を転発していくという風な描写があります。
これはですね、稲家の農業とかそういう風なことをやられている国内の農家さんだったらですね、非常に奇妙な植え付け方をするなという風に思われる農業描写だったりするんですよね。
一見するとですね、農家をしているとそんなやり方絶対しねえよという風に思っておりまして、
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私もこの本を中尾さすけの著作を読むまではですね、間違ったやり方をしてて、宮崎駿またやってるなという風に思ってた部分だったりするんですけども、
ただこれはですね、チベットにおいての農業としては間違ってはいないんですよね。
実際にこのようなやり方をするそうなんです。
この先端に鉄のついている棒はですね、掘り棒という風な名前がついておりまして、
コンサイ農耕文化特有の農業だったりするんですよね。
また知らない名前が出てきたね。
このコンサイ農耕文化という風なものは東南アジア発祥の農耕文化と言われております。
これは中尾さすけの著作に出てくる四大農耕文化の一つとなっておりまして、
基本的にはインドネシアとかマレーシアとかその辺発祥の文化となっております。
ここの文章文化ではですね、バナナですとかタロイモですとかサトウキビですとかヤムイモですとか、
そういう風なものを主な生産物としておりまして、
基本的には多年層の植物から実をもいで食べるという風な恵まれた農耕文化なんですよね。
本当に狭い裏庭の農耕をするだけで基本的に1年間食うのに困らないような、
そんなような農耕文化だという風に感じておりましてですね。
ここの本を読んだだけでもですね、
例えば1年間に1週間働くだけで1年間分の穀物が摂れる植物があったりですとか、
あとは焼くとパンみたいな味がなるパンの木とかという風なのが出てきておりまして、
非常に有用そうな植物が多いところなんですね。
そしてバナナとかタロイモとかがですね、かなりの幅の品種がありまして、
それこそ煮てもよし焼いてもよしだし生で食べても当然いいしという風な形でですね、
それが起源前からほぼ作られて完成されたような形になっている農耕文化だったりするそうなんですね。
これがですね、東南アジアを中心にどんどん広まっていきます。
そしてこのような農耕文化はですね、それぞれ日本国内の方には、
例えばタロイモとかそういう風なものはですね、
こんにゃく芋とかいろいろ名前とかそういう風なものを変えて日本国内にも入っていきますし、
中国とかチベットとかそういう風なところにもやり方とかそういう風なものは昇ってきてたりするんですよね。
そしてチベットに伝わった際にはですね、この掘り棒とあとは根菜類の一部が伝わっているような状況となっておりまして、
農具として掘り棒を使って雑穀を植え付けるという風なのはやり方的には大正解だったりするわけなんですね。
で、実際にこのチベットの方でも掘り棒を使って四国美鋭という風な雑穀を植え付ける文化が今現在も残っているという風なのも、
私この後調べて知恵知ってへーってなった次第でございます。
で、この比叡はですね、この農耕文化、根菜農耕文化のものではないんですよね。
で、この比叡は比叡でまた別の部分から来た農耕文化の植物だったりするわけなんですね。
例えばこの比叡はですね、元々はインド原産という風に言われております。
比叡を始めとしてこういう稲を稲家の雑穀という風なのはですね、
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アフリカ大陸ですとか地中海ですとかインドですとか、
そういう風なところが発祥とされている植物となっております。
もともとは多年層の植物となっておりまして、
身からこうやって身の先についている穂をもいで、
それを砕いて、そして粉末芯にしたものを水で溶いて焼いてパンにしたり、
あとは粥にしたりとかっていう風な食べ方をするような作物となっているんですよね。
これらはもともと食べ物として栽培されていた植物となっておりまして、
今現在日本国内で南方状雑草となっております比叡花の植物なんですけども、
これはですね、もともとは食べるための植物が野生化した結果できた南方状雑草という形になっておりまして、
今回私がこの本を読んでいて非常にショックを受けたのがこの辺の部分だったりしておりますね。
で、こうやって比叡を中心とした栽培をする農耕文化はですね、
サバンの農耕文化という風な名前を付けられておりまして、
これはですね、このアフリカとか地中海ですとか、そしてインドですとか、
そういう風なところから東アジアの方にどんどん伝わっていきます。
で、その際でチベットの方にも雑穀の方が先に伝わるという風なことが起こっていきました。
そうやって伝わってきたのが四国比叡という風に言われている一年層の雑穀となっておりますね。
そしてこのシュナが取りに行く麦なんですけれども、
作中ではですね、シュナが手に入れる麦はですね、特徴から見ると六畳製の裸麦となっております。
描写の中ではですね、別の裸麦という風なことは言われてはいないんですけれども、
作中にはですね、皮を剥かれた実が出てきてこの実は死んでいるという風に言われる描写とかがありましたり、
あとはチベットの民話の方の犬になった王子もですね、そのまま裸麦、大麦という風に言われております通り、
基本的にはそういう風な裸麦であるという風なことは間違いはないかなと思っております。
で、麦はですね、基本的に一番最初の原種は皮麦といって、皮と実がべったりくっついているような品種なんですよね。
そのため、皮から剥いでいると基本的には死んでいるよねこの種はという風に思われても仕方ないようなものだったりしておりました。
それが突然変異で皮と実が剥きやすいという風なものができて、それが裸麦という風な名前になって、大麦としていろんなところに広まっていたという風な形になっております。
で、作中の描写を見ておりますとですね、例えば麦を作ったことがある農家でしたらですね、
この植えられないんだという風に言われている種、ダメ元で植えてみれば麦の種種の中にすぐにでも生えたのにねという風に思う部分ではあるんですけどね。
ただ、作中の登場人物たちはおそらく見たことがあっても雑穀かもしくは皮麦だったろうなという風なことを考えると、
植え付けができないという風に判断したのはやむを得ないことだったんじゃないかという風に考える描写なのはこの辺のものかなと思います。
で、そしてそれが肌かむぎとして大麦としてもたらされたという風なものはですね、今現在のチベットにおいても大麦は育てられていて、
24:05
そしてチベットは未だに大麦をずっと食べていたりするのはですね、この辺のことが原因だったりするわけなんですよね。
という風なのも、お話が民話として伝わるぐらいにですね、古くからこの大麦という風な植物の穀物自給によって暮らしてきたという風な実感がありまして、
今現在でも大麦を食べる文化という風なのが非常に長くあったりするそうなんですね。
そしてこの麦を食べる文化という風なのは地中海発祥となっておりますので、地中海農耕文化という風に中尾さすけによって命名されております。
そしてこれがですね、チベットから取りに行って、そしてチベットの方にもたらせることによって出来上がった文化という風なのが、
松葉樹林農耕文化複合という風に言われております。ざっくりと一言で言うと松葉樹林農耕文化という風に言われるものがあるんですけども、
これがこのチベットの方で発展していたよという風なものになります。
宮崎駿のこの首脳の旅において描かれている農業という風なのはですね、この松葉樹林農耕文化の特徴をすべて兼ね備えているようなものとなっておりますので、
松葉樹林農耕文化圏のお話なんだろうなという風なところはまず間違いはないかなとは思いますね。
この作品のモデルになりましたチベット・ミンワの犬になった王子はですね、こうやって影響を受けていたりするわけなんですけども、
元々のお話としてはこんな感じになっております。
基本的にチベットのプラ国にいる、小さな国にいるアチョー王子という風なのがいるんですけども、
彼は蛇の王から麦の種を盗み出して、その際に蛇の王様から魔法で金色の犬に変えられてしまいます。
この金色の犬に変えられてしまった魔法はですね、真実の愛によってしか解かれることがないという形になるんですけども、
これがですね、旅先で遭遇した美しい少女ゴマンによってですね、見染められたことによってこの金色の犬になってしまう呪いから解けて、
そしてチベットの犬になった王子の方ではですね、この戻り方という風なのが独特でして、
まずこの犬はですね、人間に戻っていく過程でちょっとずつ麦の種を落としていくという風な戻り方をするんです。
それで私は一足先に自分の国の方に帰りますんで、
お嬢さん、私のこの植えた麦の跡を伝って戻ってきてくれれませんかという風な形でお話をするんですね。
そうやって点々と麦を植え続けながら地元の国に戻っていきまして、
そして人間に戻ったアチョーオオジと少女ゴマンは一緒になってめでたしめでたしという風なところでお話が終わるんですよね。
で、追っていくのはですね、麦の種を追っていくという風なところなので、
地中海からどんどん大麦が広まっていったよという風な分かりやすいお話もなるかなと思いますので、
そんな感じでですね、こうやって伝播をしていきましたよという風なものになります。
ただ、シュナの旅の方ではですね、シュナは一旦この西の果ての村、
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要は新人の国、犬になった王子でいうところの蛇の王様の近くでこの村の方に行きまして、
そこで療養しつつ麦の栽培をして種を取るんですよね。
それを種を取ってそこでの暮らしが中心になって旅立つところで話が終わっていきます。
この話が旅立つところで終わるのは何でかという風な部分についてはですね、
Bパートの方でお話をさせていただこうと思います。
Bパート、意図的に原点と異なった農業描写を入れているのはなぜか。
ここからはお話と違う展開が含まれているのはなぜなのかについて、
農業描写の方から紐解いていこうと思います。
まずこの厳選でありますところのチベットミーンは、
犬になった王子とシュナの旅が大きく違うポイントを2つ挙げさせていただきます。
まず一つ目が最初の段階で雑穀を育てているという風なところが大きく違います。
そしてもう一つはAパートの方でも話しました。
シュナの旅は自分たちの村に戻る、帰都に着いたところでお話が終わるけれども、
原点の方はちゃんと地元に戻って結婚してめでたしめでたしという風なところで終わるという風なところがあります。
まずこの雑穀を最初から育てているのは何でかについていろいろと話をしておきます。
ちなみに犬になった王子の方では、主人公であるアチョー王子が住んでいるチベットのプラ国という風なところの方ではこんな風な描写が書かれております。
食べ物といえば羊やヤクの乳と肉ばかりという風な形になっているんですよね。
要はラクノオだけをやっていた遊牧民的な生活しかしてませんよという風なところがこのチベットのプラ国の描写としては描かれてたりするんですよね。
実際に今現在のチベットにおいてもラクノオも中心的な産業となっておりまして、
大麦においてもラクノオと法木と同じような形で点々としながら植え付けをしているそうなんですよね。
面白いなと思ったのはチベットの方では植え付ける場所を点々と書いて、そして植え付けをした場所ごとに家を建ててそこで収穫をしたりするということを
法木と一緒に繰り返しながら作付けをやっていくという風なことをやってたそうですね。
1966年に書かれた本に書かれた本ではそんな感じになっておりました。
アチョー王子が旅に出る目的っていう風なのも
いい伝えに聞いた美味しい食べ物のできる穀物の種を求めてっていう風な形があるので
そもそも雑穀なんてなかったよっていう風な形の口ぶりで語られてたりするんですよね。
物語の書き出し自身も何千年も昔の話っていう風な形で訳されておりますので
かなり成立の古い民話だろうなという風なところであったりしております。
なのでもしかしたらチベットの民話の方というか伝わっているような状況では
実は雑穀よりも前に大麦が入ってきたのではないかという風な
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そんな説もあったりするようなものとなっておりますね。
ただ中尾さすけの著作の方ですと
松葉樹林文化圏の方では麦よりも早く雑穀を受け取っていたという風な描写がありますので
そういう風に書かれておりますのでそこを参考にして
宮崎駿さんは作劇の中には麦よりも早く雑穀を育てていたのではないかと
私自身はちょっと考えておりますね。
ただこれ以外にもですね
このシュナの旅の中において
そもそもシュナたちが農業をしてなければならなかったという風なところで
雑穀を育てているようにしていたのではないかなと私自身は思うんですね。
そしてシュナの旅が途中で終わらなければならなかった理由という風なのも
フォーカスしなければならなかったのは農業をしているという風な
そこの部分にフォーカスをしたかったためではないかと
私自身は思っていたりするんです。
ちょっとどういう風なところかというと
シュナの旅、要はシュナの旅自身は種を取りに行って
盗み出すところまでがシュナの冒険だったりするわけなんです。
なんですけども重要なのは
この戻ってきたシュナが人間性を失った後で
そしてそれを支えていく少女テアの活躍の方も
堂列に扱いたかったからではないかなって私自身は考えてるんですよね。
この作品のもう一人の主人公になりますのはテアという
元々奴隷商人に買われた少女だったりするんですけども
彼女は一番最後の章は目次の方にもテアという
彼女の名前を冠した章がついております。
この章は基本的にシュナよりもテアが大活躍する話なんですよね。
テアは何をするかというと西の関村でずっとの小さな
子供のいないおばあさんの家に妹と一緒になって住んでいて
そして貧しい関村ではあるんですけども
一生懸命働いてそこで暮らしているんですよね。
要は宮崎駿作品のその後にもいっぱい出てくる
働く女の子をしてるんです。
彼女はこうやって働く女の子をしつつ
ある時戻ってきたシュナが本当にボロボロになって
言葉もしゃべれなくなったような状況になってるんですけども
その彼が戻ってきた際に彼をケアをしつつ
そして彼が持って帰ってきた麦の苔を増やすために
畑を作って植えるっていうふうなことをやるんですね。
その間にシュナを食わせなきゃならないというふうなところで
テアは一生懸命農業を頑張るっていう風なのが
このシュナの旅の一番最後の章では語られてたりしております。
この章で例えばテアはこの村の人々と一緒になって
そこの村で栽培されてるであろう四国芸みたいな
ヒワビエを一生懸命栽培されてるんですね。
ちょっと作物体がですね
ヒワビエの一番最初の絵面とちょっと違うので
微妙に違う雑穀なんだろうなと思いますけどね
それを育てているところを今一緒くだになって
頑張ってやってるっていう風なところが描かれておりました。
こうやってテアがこうやって活躍するという風なパートが
一番重要であって
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そしてそれを同列に語りたいがために
この作品を描いていたのではないかとすら
私自身は考えてたりしております。
その他ですね
例えば盗み出した新人の土地はどうなっちゃったのかとか
あとはどうやって戻るんだとかね
そういう風な物語は続きそうな形で
この作品は終わっていくんですけども
ただこのシュナの活躍も
シュナをケアするテアの活躍って風なのも
同列に扱いたかったって風な意図があるんじゃないかなと思います。
そのためにテアもシュナも農業をしていて
そして農業の有難味という風なのを
それぞれ知ってるような作品にしたかったから
雑穀を植えるという風な原点と違うイテイトを
持ち込んでたのではないかと
私自身は思ってたりしておりますね。
そんな感じでですね
宮崎駿アニメのこのお母さんみたいな少女
働く少女の原型という風なのは
このテアに求められるかなと思います。
それこそね
なんか昔はこういう風な見方
例えば宮崎駿はバブって怯える
ティーンの女の子に頼りすぎ問題みたいなところで
嫌な書かれ方をしてた部分あったりはしてたんですけども
それは当時の女の子の役割が
当時の世相からそういう風に扱われがちだった
という風な部分だけだと思うんですよね。
実際に宮崎駿アニメの方には
例えばラピュタの方に出てきたシータですとか
パンドコパンダのお母さん役をやっていたミミコですとか
それこそ働く女の子でいえば
魔女の宅急便のキキもいますし
千と千尋の神隠しに至っては
千尋という異界に赴いた上に働いて
それを解決していく女の子というのが
出てきたりしておりますね。
そうやって働くことで
世界の根幹についての問題を解決していく
という風なことを描いていたものとなっているんですよね。
これこそが多分シナの旅が
旅の集結がお話のオチにならなかった部分の
一番の原因じゃないかなと思うんですよね。
要はシナの旅自体も
頑張って無理をして戻ってくるという風なのは
冒険の一つでありますけれども
この戻ってきた人をサポートしていく
生活をして働いていくという風なところも
同列に扱ったという風なところで
実際のところそこで結論が出てくる話なんですよね。
そして人に戻るという風なのは
また別の物語別の冒険になってしまうので
それはそれという風な話になってくるんですよね。
もしかしたらこれでこの2人が一緒に戻っていく過程で
また別の村に戻って
麦の種を植えてもいいし
うっかりすると子供ができてしまって
そこでしばらく定住しなければならなくなったし
という風なところになって
そっちはそっちはまた全然物語が
変わってくることになるかなと思います。
でも冒険をする人の英雄性と
働いていく人の英雄性という風なのを
同列に扱ったという風な点では
ここでオチが作っているのは
非常に良かった部分かなと思っておりますね。
この後多分宮崎駿作品以降ですね
多分影響を受けたような
アニメーターみたいなものは
当然のことからいっぱいいるかなとは思いますけれども
この生活をする人の英雄性の細かいディテールを
36:01
やっている作家さんという風なのは
あんまりいるようでいないかな
という風なところになってたりしておりますね。
それこそこの世界の片隅にの
片渕監督とかはですね
それを極限までに描いて
鈴さんの戦争を描いてたりする部分がありますので
その辺の部分は
多分同列に語っていい作品かなと思います。
あと私がうまいなって思いますのは
新海誠さんですね。
それこそ天気のこの
あの女の子の部屋の描写とかがですね
生々しくて好きですね。
それこそ新海監督が結婚されて以降の
家庭の生々しい描写みたいなものは
すごくうまいかなと思いますね。
そんな感じでちょっと話が
迷うにはなってきつつあるんですけども
こうやって農業描写とか
そういう風なものを描くことによって
働く人の描写とか
そういう風なものにフォーカスすることによってですね
それを冒険をする人と
同列に語るところまで
引き上げたという風な点で言えば
首脳の旅は本当に面白い作品だなと思っております。
こういう風な形の物語って
私は他にあまり読んだことがないんですよね。
なので気になる方が良かったら
ぜひ660円で今現在も
Amazonとかいろんな書店で
お買い求めいただくことができますので
よろしかったらこちらの作品
手に取っていただけるとありがたいなと思います。
あと当番組
なぜか海外からも聞かれていることがありますけれども
この旅
この首脳の旅は
英語版が海外で発売されたという風なニュースが
出ております。なので
英語版が出回ってる場合がありますので
手元に取るのが難しいわという風な方も
英語版で出版されつつ
ちょっと探してみてもらえたら
もしかしたらそっちの方が
入手しやすいかもしれませんので
良かったら手に取ってもらえると良いかなという風に
思っておりますね。そんな感じで
長々とお話をさせていただきました。
今回もお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではエンディング
入っていきます。
はい今回も長々と
お聞き下さいまして誠にありがとうございました。
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とかね
このサブカルについて話してくださいませんか
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やれるものとやれないものが結構
ございますので寄せるだけは
ただでございますので何かございましたら
お寄せいただけるとありがたいですね。
そんな感じで今回
シュナンの旅についてお話をさせていただきました。
今回はですね
やれて面白かったです。
39:00
最近いろんな農業文書探偵を
やろうと思っていろいろ作品を
見たり調べたりなんだりしてるんですけど
大抵のサブカル作品はですね
農業描写にそんなに力を
入れてることがないんですよね。
どうしたってね作画コストもあるし
あと描写のコストもありますから
手を抜く部分だったりするわけなんです。
なんですけどもたまに
こういう風に尖った描写とかそういう風なもので
はっきりとちゃんと描かれてる
ものとかがありますとですね
やって楽しい部分ありますね。で言ってしまえば
スタジオジブリの作品やれば
全部そうなんですけどもそれは
それでですねやるのにかなり
体力とカロリーがいるんですよね
隣のところをやろうと思って
頑張ってるんですけども
雑草をどういう風な植物があるか
分類するのが
えらい大変という風な形になっておりまして
今現在は難航しておりますね。
でもいずれちょっと
やりたいなと思っている作品で言えば
今回ちょっと作品の方でチャラっと話した
片渕監督の
この世界の片隅に
あとはこの世界のさらにいくつもの
片隅にという風な映画がありまして
この辺もですね
夏ごろに終戦記念日とか
ちょっと話をしてみようかな
と思ってたりしておりますね
そんな感じでいろいろとちょっと話をさせてもらって
こういう風に気合を入れて
できるサブカル作品とか
もしありましたら
私が知ってる作品でも知らない作品でも
リクエストなどお寄せいただけると
ありがたいですね
番組の補足としてはですね
商用樹林文化についてはですね
当然のことながら
1966年に書かれてた本となっております
今現在はですね
ちょいと批判とかそういう風な
否定的な見方もされてるような学説と
なっておりますのでね
詳しく知りたい方は商用樹林文化論
という風な形で検索していただきますと
いろいろと出てきますので
そちらの方を読んでいただけると
ありがたいなと思っておりますね
気になる方はですね
本のリンクとかその辺も番組の概要ページとか
あとはツイッターの方に
あげておきますので
ツイッターの方も合わせてご確認いただきますよう
お願いいたします
そんな感じでエンディングの方で
話したいこととしてはこんな感じかな
で次回何やるの
ですけれども今現在ちょっと有力だな
と思っておりますのはね
えいのんぞう作からの
農業業者探偵でやろうと思ったんだけど
結局やれなかった
コールドケースという風なのが
いっぱいあるんですけども
それについて雑多に話すコールドケース特集
というのをちょっと考えたりしております
あの作から
あのサブからいろいろ出てたけど
どうなってんのかなという風なことが気になる方
よかったらその辺も聞いてもらえると
嬉しいかなと思っていますね
そんな感じでいろいろとやっておりますので
今後もおコーヒー機にしていただけると
ありがたいです
というわけで長々とお聞き下さいまして
誠にありがとうございました
では次回もお楽しみに
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