始まりました、映画の話したすぎるラジオ第207回になります。
この番組は、大阪で映画トークバーイベント、映画の話したすぎるBARを開催している店長メンバーらによる映画トーク番組です。
私、映画の話したすぎるBAR店長の山口です。
大石です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、マリオンさんが体調不良で、今回収録不参加となってまして、
2人で話していきたいと思うんですけれども、
では、まず近況の話から入っていこうかと思います。
大石さん、いかがされていましたか?
最初ちょっと映画なかなか見に行けてなくてですね、
まあただちょっと映画関連のことはしたので、その話しようかなって思ってるんですけど、
あのー、スーパーハッピーフォーエヴァって去年僕が、
去年のベストに上げた映画があったかと思うんですけど、
ちょうどそれを友達と一緒に、今最上位みたいなのがどこどこでやってるんで、それを見たんですね。
その友達と先週の土日に、そのロケ地に行ってきました。
ロケ地のホテルですね。
に泊まってきました。
下田の黒船ホテルっていうホテルなんですけど、
スパーハッピーって、見た人ならわかると思うんですけど、めちゃくちゃ狭い場所の話なんですよ。
で、映画見てるとホテルがあって、ホテルのそばに海岸があって、
で、そこからちょっと歩いてる時にフェリーが出ててっていう伊豆っぽい風景はあるんだけど、
なんかすごい狭い地域の話をしているなっていう感覚があるんですね。
で、一体びっくりしたのは、まずロビーは映画で見たままのロビーなんですけど、
ファームレス見るとわかるっちゃわかるんですけど、
結構いろんな場所の絵を継ぎはぎして、ちょっとの狭い場所に見せてるんですよ。
だからそのホテルから見える海の景色って、映画で見えてる景色とは、
これは違うものだなっていうのが行くとわかって。
ただ、映画の中ではその空間っていうのが何の違和感も繋がるわけですよね。
で、どの映画も大体そういうもんではあるとは思うんですけど、
なんかこの感覚面白いなっていうのを持って、
映画っていうものの中にもある種フィクションなわけですけど、
場所自体もある意味、継ぎはぎというか編集のようにして作られてるものなんだなっていう、
舞台そのものかというか。
なんかそのお話自体がフィクションであって、
そのある場面というかある人の人生の一部を切り張りして、
その人の人生であるかのように見せてるのと同じように、
場所そのものも編集できるんだな、映画ってっていうことをちょっと感じたんで。
それはなんか、実際行ってみて全然違う空景を目の当たりにした時に、
面白いなっていうふうに感じたっていう、そういう話です。
でもそれって映画のマジックそのものですよね。
まず設定上の舞台となっている場所じゃないところで撮るみたいなのっていくらでもありますし、
それで、もちろんそれが映画上も嘘に見えちゃうみたいな時も、
たまにあると思うんですけど、
いやでもこれって映画の中ではこういうものとして成立してるよねみたいな時もやっぱりあって、
それを実現できるのが映画の面白さだなとは思うんですよね。
そもそも、全部嘘だからっていう。
そうなんですよね、いくらでも嘘はつけるっていう。
まあその、映画の話している時って、やっぱりその時間的なギミックを編集の妙として僕ら話しすることが結構多いかなって気はするんですよね。
時間をコントロールできるのが映画のマジックだみたいな切り口で話すこと多いと思うんですけど、
いやでも場所とか空間の嘘もめっちゃついてるよねっていう。
それも映画の魅力の一つだよねっていうのは結構あるよなっていうのはありますね。
そうなんですよね。だから映画見てる最中って、その映画の、例えばまさにその狭い場所が舞台の映画だったら、
なんとなく地理的感覚って僕らの脳内にできるじゃないですか。
その場所の地図というか。でもその地図どこにもないんだなっていうか。
むしろこれをどう考えて、偶然出来上がったものがその地図としてというか物語として立ち上がってくるのか。
それとももう緻密にここのシーンはこういう絵を撮りたいからその絵を探しに行こうって、まさにロケーションハンティングって、
ロケハンなんて言いますけど、してったのかっていうのがどっちなんだろう。どちらでもあるんだろうなとは思うんですけどね。
っていうのも含めて、なんて言うんでしょうね。その、映画作るってすげーなっていう。
たん的に言うとそういう感想をすごい抱きました。
あと、すごいこれも興味深いし面白いなと思うことなんですけど、いわゆる聖地人類みたいなものの一つだと思うんですね、それって。
ロケ地を見に行くとか、設定上の舞台になった場所を見に行くとかってした時に、それが嘘だったっていうことを暴きに行ってるわけじゃないですか、それって。
実際はそうじゃないっていうものを見てて、もしかしたらそれ、フィクションっていうもののベールをはぎに行ってるような気もするんですけど、
別にそれによって我々何かにがっかりしたりはしないと思うんですよね。
だからその、作り手が作ったストーリーのベールを這いでも、自分たちのナラティブでそれを上書きできるっていうのが結構興味深いことだと思うんですよ。
なるほどなるほど。
特にアニメの聖地人類とかって、実際そこ行ったらめちゃくちゃ生の現実がそこで待ってるんですけど、別にそれによってはがっかりしないんですよね。
うんうんうん。
で、じゃあ、我々が何を見てるのかっていう話になってくると思うんですよ。何を楽しんでるんだろうっていう。
うんうんうん。
それがもうフィクションで描かれたストーリーじゃなくなってても、自分たちのナラティブがあればそれを乗り越えられるっていう。
いや確かにそうなんですよね。今回そのホテルで泊まりに行こうってなったのって、もうめちゃくちゃハッピーよかったよねってのもあるんですけど、それ以上に文振りに出るんですよ。僕らと。
で、出るために、その本を一冊仕上げに行くっていうことをそのホテルでしたんですね。
え、え、え、まず本出すんですか?
はい。僕がというよりかは、僕はお店を出して、で、友人何人かに本を書いて、それを取り扱うというか。
著者の人も立ってもらうし、僕は場所を作るっていう役割なんですけど。
え、え、ごめんなさい。おいさんは本を売る側として、何というか、その作家のセレクトをした立場として、その文振りに出てるってことですか?
そういうことになります。プロデューサーですね。
え〜〜〜。作家そのものじゃなくて、プロデュースする側として出るって、え〜〜そんなことがあるんですか。すごい。
本当は僕も書けりゃよかったんですけど、なんかいろいろと時間がなかったし、そんなに文章たまってなかったんで、それよりも周りで出したいって人たくさんいて。
じゃあこの人たちの本まず出しちゃいいじゃん、っていう発想になってしまって。
は〜〜〜〜。
ちなみに前田さんもいるんですけど、その中に。
ええっ!?
何をしてるんだ、あの人は。いや〜。
いやでも、めちゃめちゃクリエイティブですね、それ。
うん、そうなんですね。元周りのみんなすごいなってなって。
最後のやっぱり、とはいえ、もう一歩で形にできないところってのがたくさんあって
今回の、僕ともう一人、僕の友達で同じくポッドキャストやってる
ままだないからラジオでもってポッドキャストやってる高畑さんって人がいるんですけど
この人は歌集を編んだんですね
で、表紙が決まんないと
どう頑張ってもすごい簡素な表紙になっちゃって
僕は本を作る側として、あまりにもそれはシンプルすぎるから
もっとキャッチーにしたいっていう話で結構揉めちゃったんですよ
本当絵をつけたかったんですけど、絵をお願いするようなイラストレーターさんもちょっとなかなか見つからなくて
で、彼の趣味が写真だったので
じゃあスパハピのホテルに行って写真撮ろうぜっていう話になりまして
ほうほうほうほう
それで行ったんですよ
ほいほいほいほい
なんでその、彼の歌集の表紙になる
表紙として相応しい写真を撮るためにわざわざ
伊豆の下田まで行ってホテルで一泊するっていうことをしたんですね
なので、山口さんおっしゃってたナラティブで上書きするはマジでやってて
なのでスパハピのホテルっていうのはある意味きっかけだし
もちろんすごく好きな映画、お互い好きな映画だったんだけど
その先のなんていうんだろう
映画の先にある物語というか
もう一個自分たちの続編みたいなものを
そこに乗っけてる形には確かになるので
で、それをまさにその歌集、編んだ本に
さらにそこを託すというか
もう一個繋げるみたいな
そういうことを実はやってたっていう
面白いですね
なので一応ここでちょっとだけ宣伝させてもらった
5月11日の東京ブンフリに
ウェアアバウツという店名で出してるので
もしご興味のある方は来てくださいという
軽い宣伝です
そういうのってなんかもう
なんていうかプログラムみたいなのって出てるんですか
まだウィブカタログは公表されてないと思いますけど
もうちょっと、もうそろそろ多分出ると思います
なるほど
ただ一見して僕が出してると
多分どうても思わないんじゃないかなと思いますが
僕の方ないですし
まあでもそういう店名で出してますので
もしよろしければぜひぜひという
そんなところです
はい、えーと僕はですね
お題作以外だと
アンジェントルメンと
ヒプノシスマイク ディビジョンラップバトルを見てきました
で、まずアンジェントルメンの話をさせてもらうと
まあよくできた
痛快スパイアクション映画だと思います
ふんふんふん
はい、最近のガイリッチーは調子いいなっていうのを見て実感できますね
乗ってんなっていう
なるほど
で、あのまあ
第二次大戦時のナチスのUボートですね
そのイギリスの補給を建ってた潜水艦に対抗するために
そのUボートに補給してる船を爆破しに行く集団なんですけど
ただイギリスの軍本体の命令からは外れたことをしてるので
ナチスに見つかってももちろんダメだし
イギリス軍に見つかってもダメなんですよ
何者っていう
無人か無許可の集団ということで
で、結構たまによくあるっちゃよくあるタイプのやつかなとは思うんですけどね
正規の軍の補給に則ってない超補給的集団っていう
まあ面白いやつじゃないですか
で、予告とか作品情報でも言われてるんですけど
007のモデルだっていう言われ方をしててですね
実際にあった話なんですね
モデルがいる
そうです
そうだった
で、僕はジャンル映画として見に行ったので
その辺りが現実に乗っとった話とはついも知らずに見に行って
そしたら007のモデルって言われて
で、始まって早々にイギリスの軍の超補部なのかな
みたいな人でイアン・フレミングが出てくるんですよ
ほうほうほうほう
で、イアン・フレミングって007の原作の小説を書いた人
ほうほうほうほう
なので、この人が出てくるっていうことは
007の元ですっていう宣言みたいなもので
そのイアン・フレミングが出てきたところで
ちょっとテンション上がるんですけど
で、まあとんでもない
命令を聞かないから選ばれたやつらみたいな感じの集団として出てきて
まあそいつらがぐちゃぐちゃの無茶苦茶をしまくるっていう
まあ面白いねっていう映画なんですけど
あのめちゃくちゃ面白い映画なんですけど
はっちゃけてるようで
ウェルメイド、よくできた
バランスのいい映画っていう感覚です
すごいですよこれは
ある種の革命っていう言い方をすると大きいかもしれないですけど
まともなヒプノシスマイクが出たタイミングで
結構ヒップホップの人たちが熱くなったっていうのは
確かアトロカなんかでも言ってたりして
実際この出来もすごくいいし
バーサの取り方とかそこら辺ももちろん
プロが作ってるっていうのもあると思うんですけど
それがなんかより
これまでヒップホップってやっぱりコアな文化だったじゃないですか
日本語ラップっていう文化が
っていう中でそれをより大衆に届けるための
一個の手立てにはなって
その前はそもそもラップバトルっていうものを
そのラップっていうものがあったところから
ラップをバトル化したっていうところが
まずトップ的にヒップホップを
日本語ラップを進めていくっていう一個の手札だったのに
そこをさらにアニメとしてカルチャーにしていくっていうところで
まず発明だよねっていう話を確か2年前か3年前に
歌森さんがしてたのは聞いてたので
それがよりなんていうか
両方の文脈をより極めてって
今映画館でそういうことになってるんだって初めて知ったんで
いやちょっとすげーこと起こってるなっていうふうに思いますね
映画カルチャーの最先端がそこにあります
そうだなーなるほどな
いやこれはね一見の価値はあると思います
もちろんその好みはあると思うんですけど
見といていい
映画の可能性が今広がっているって思える現象が起きてます
なるほどなー
いや乗れるかなっていうのをすごい今考えてます
僕も100で乗れない部分はあるんですよ
ただやっぱりいいです
僕はいいと思いました
なるほど
いやちょっと話し逸れたかもしれないですけど
思ってるのが
最近映画館を使ってライブを流すっていうの割と増えてきてるじゃないですか
あるいはライブの録音した録画した映像をそのまま流すっていう
映画館の生き残り方だと思うんですけどねそういうのを作って
特にそこがさらにインタラクティブになってきた時に
自分が映画に求めてるものって何なんだろうってちょっと考えちゃう気がして
自分でゲームもちょっとやるんですけど
ゲームと映画ってやっぱり根本的に違うなっていうのをいつも思ってるんですよ
そこの中に連れてかれる感覚がないというか
映画って行きたくない方向に行かせられることがやっぱりいいなと思ってるんですね
なんかそれがゲームだと何て言うんだろうちょっと役演じてる感じなんですよ
自分がカメラで監督みたいな視点に立って
こう動かすんでしょって思って動かしてるところがちょっとあって
あんまり純粋に入り込んで楽しめてないなっていうところが結構あるんですね
映画がすごくインタラクティブになっていて
これに関しては少なくともそこまで大きく自分たちが物語を動かすっていうふうには
なってないかもしれないんですけど
たぶん一時期Netflixのブラックミラーとかが結構それを試されてた映画だったかなっていうふうに記憶してるんですが
映画っていうものとゲームっていうものの境目がより曖昧になってきた時に
自分は何を芸画に求めていたんだろうっていうのを
多分もう1回考え直す必要が出てくるんだろうなっていうのをちょっと思っていて
どこまでだったらインタラクティブであるべきかってちょっと山口さんのご意見も伺いたいなって思ったんですけど
そうですね僕ってやっぱり決まりきった話の映画大好きなんですよ
作り手がこういうことを言いたい
だから答えは一つしかないっていうものって大好きなんですよね
でその何というか違う可能性って僕たちが作ったらいいから
映画はもう一つの可能性だけを示してくれたらいいって思いはすごくあるんです
映像芸術としての映画としてそこは大好きなんですけど
同時にエンターテインメントとしての映画として見た時に
その家でテレビで見てるわけじゃなくて
他の人がいる場でわざわざ映画館っていう場所に行って映画を見てるけれども
でも結論は一つしかないものを
初めから分かった状態で共有しているっていうことの
何というかそこにそこ以外の可能性もあるよなっていうのはあって
わざわざ人が集まってるんだったら
その人が集まってることでしか生じない可能性の開きみたいなものを
映画が表現できてもいいんじゃないかっていう気持ちはあるんですよ
例えばその音楽ライブとかだったら
観客からのレスポンスがライブに影響し得るわけじゃないですか
それは例えばクラシックのコンサートとかだったら
それはあるべきではないですよね
ただそれこそロックバンドのライブとかだったら
全然むしろコール&レスポンスしてなんぼというか
その相互作用みたいなのもあり得る
でも一つの形しかない映画が良しでしてるっていうことは
それはクラシックのコンサートしか認められないっていうことになってしまう気がするんですよ
そうじゃないですっていう
音楽はクラシックのコンサートだけじゃないし
映画は一つの結論だけを出すものではないのかもしれないっていう可能性があるっていう
それをちょっと僕は見れたっていうのが非常に面白かったです
なるほどな
映画の幅が広がることっていうのは
そもそも映画ってある種のもう一つ古びてる
というか古びかけているコンテンツとしての生存戦略でもあるってことではあるのか
あとやっぱりそこにあるのって当事者性ですよね
自分がそこに関わっているっていう面白さがあって
映画の内容と観客の自分はもう絶対的な断絶によって隔たれているっていうものではなくて
関連し得る影響を与えるっていう感覚自体がその映画体験として全然違うものになるっていう
もちろん本作で描かれてることって
ある程度のパターン化されたものの組み合わせが変わるだけではあるんですけど