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2025-10-15 50:56

第234回『秒速5センチメートル③』さようなら、全ての”秒速5センチメートル”

『秒速5センチメートル』の話をしました。 主人公・遠野貴樹、ヒロイン・篠原明里、奥山由之監督、米津玄師、新海誠、One more time one more chance、昔からの秒速ファン、新たな秒速ファン、原作アニメ、そして本作。「秒速5センチメートル」を構成する全ての要素について話しています。 ■メンバー 山口 https://creators.spotify.com/pod/show/chottoeibana マリオン https://x.com/marion_eigazuke オーイシ https://x.com/pteryx_joe ■映画の話したすぎるBAR 日時:2025年11月22日(土) 詳細:https://virtualeigabar.com/eiga-bar 場所:『週間マガリ』大阪市北区天神橋1丁目11-13 2階 https://magari.amebaownd.com ■お便り https://virtualeigabar.com/contact ■SNSアカウント X(Twitter):https://twitter.com/virtualeigabar Instagram:https://www.instagram.com/eiga_shitasugi ■番組グッズ販売 https://suzuri.jp/virtualeigabar

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サマリー

第234回のエピソードでは、『秒速5センチメートル』のキャラクターである花江やカナエ、そして彼女たちの未来に関する仮説が展開されます。特に、東京と九州での生活の選択とそれに伴う感情について深く考察し、米津玄師の音楽との関連性が語られます。音楽や映像表現の解釈についても触れられ、アニメの実写化における挑戦が強調されています。作品が持つ感情や過去との関係についても考察され、世代の視点が反映されています。今回のエピソードでは、アニメーション映画『秒速5センチメートル』の独特のエモーションや表現が探求され、演出やビジュアル面に焦点が当てられ、その魅力が解説されます。また、アカリと高木の言葉のやり取りの重要性が強調され、記憶や忘却、特に手紙やメールといったコミュニケーションメディアの変遷についても探究され、思い出や感情の神秘性が再考されています。『秒速5センチメートル』を深く掘り下げる中で、作品の解像度が上がったことを実感しながら、リスナーにアニメの視聴を勧め、作品を理解することで登場人物との距離感について考える重要性にも触れています。

エレハと花江の未来
ちょっとじゃあ、エレハの話をしてみたいんですけど。 お願いします。
カナエのお姉さん、なんで東京に出てきたか、僕よくわからない。 あー、確かに。
エントリー恋愛してて、みたいな話がちょっとありましたよね。 えー、そこなのか。
でもね、一回戻ってもやれるんですかね。どうなんだろう。 戻って、また東京行ってんのかな、みたいな感じ。
一、二回目そうでしたね。 だから一回多分別れて、結局、ある種昇進して、一回地元に帰ってきた、みたいなことなのかな、とは思ったんですけど、あのタイミングでは。
だから、すごい、あの、ことの花庭だなって思って、あそこだけ。 あー、ちょっとね。
ちょっとありますよね。 いやでもやっぱね、好きだからさ、
秒速5センチメートル好きな人はことの花庭を好きだからさ、ちょっと入れ込むじゃん。
このタワーだけじゃなかったわ。入れ込んじゃうじゃん。
花江のお姉さんが、一旦外出てたのを種ヶ島に戻ってきて、教師やってますっていうので、多分このまま種ヶ島で生きていくんだろうなっていう感覚で見てたんですよね。
で、そこからの流れで、花江は今後どうするのかっていうことを考えてたんですよ。
で僕は、花江は福岡に行くっていうのが僕の中でも定説だったんですよ。
ちょっと詳しく聞きましょうか。
いやでもね、あのね、すごくね、わかるんですけど、だいたいね、九州の人で女性、女の子で上京をさせてもらえないことが多くて、
結構福岡までだったらオッケーだよって言いがちなんですよ。文化的に。
あんまそれどうなんだと思うんですけど。東京まで行かせてやれって思ってるんですけど。
花江自体がそんなに地元嫌いじゃなさそうだから、半分地元に軸足を置いてるような生き方をしたそうさを僕はちょっと感じてる。
サーフィン続けそうやなって思うんですよね。
九州でサーフィンやるんやったら宮崎とかあの辺りになるはずなんですよね。確かに。
そうなったら、でもちょっと都会のような鉄道感を感じてたんで、
だとしたら福岡やなっていう。花江は福岡に行くっていうのが僕の中でもずっと定説だったんですけど、
今回お姉さんが東京に来たことで、花江は種ヶ島に残ることになるのではという新説が生まれたんですよ。
どこにいるんだろう。
お姉さんが東京に行って花江は種ヶ島に残らないんだったら、花江はどっか行かなそうに僕は見えるっていう。
花江の地元と上京の選択
ちょっとそれ気になるな。今回の映画の小説版とか出てるんで。
映画で見たらわかるかもしれないですけど、ちょっとめっちゃ気になるな。
例えば一緒に上京するとかはあんまなさそうってことですか?
でもそれだったらなんかあれじゃない?同じくらいしょっちゅう会うくない?
出てこないことにってことですね。
どっちも東京行ったら会いそうじゃないですか。連絡はするだろうけど、
もうちょっと気軽に会えるみたいな描写になりそうな気がするかなって思ったから。
離れてそうな感じがしました。
確かに。飲み屋の買い物しに行くとかそんな感じがありましたよね。
打倒のライン確かに福岡かなって思って。
宮崎か、サーフィンってなって。宮崎ってマジで陸の孤島なんですよ。
あ、そうなんですか。
知ってます。
知ってますよね。
妻が宮崎にあんの。
あ、そうなんですね。じゃあもうお父さんと思うんですけど、
福岡行ってもなぁみたいな感じしません?
福岡とって行きづらいじゃないですか。
特に熊本か宮崎あたり。
どこが一番行きやすいんだ?宮崎なのかな?
いやでも、ちょっと都会志向があったら、なんで熊本までは行くと。
そうですね。そういう意味では確かに福岡かなぁって言うんじゃないですかね。
だから何個か説があって、谷川島に残ってる熊本、
熊本はこの話の中で新しいテーマの中で生まれた仮説なんですけど、
福岡、東京、あとは九州の人は関西は割と人は入らないんで、
結構大阪は来る人もたくさんいたし、
うちの妻もそうなんで、大阪まで勤めに出てた人なんで、
だから結構大阪あたりに出てる可能性も結構あるかなっていう。
確かにそうか。
大阪は行けそうだなって。
なんですよね。
なんていうか、カナエの解像度を上げたいっていう。
カナエすげすねー。
十分上がりましたけどね、今回の自社化で。
いやでも確かにちょっとそっか。
今か、カナエの今か。
あんまり書いてその後どうなったのかなみたいなのは、
余計ちょっと気になるようになったかなっていうのは確かにありますよね。
でもまあ耐えりがないのがいい耐えりっていうんで、
たぶん元気にしてる。
たぶんいい人生送ってると思うんですよね。
もうなんか初恋の思い出あったっすわーみたいな。
もう私も結婚してますけどねーみたいな感じだって嬉しい。
秒速5センチメートルの第3章に出てしまうってことは、
人生がうまくいってない傾向にしちゃうから。
そうそうそう。
不幸になってていいのは本当にタカキだけなんで。
まだこいつどん底にいるぞみたいなのはタカキだけで十分なんですよ。
あの世界で。
タカキの人生から切り離されて分離した方が幸せみたいな。
間違いないっすね。
秒速の世界においては。
コスモノースは本当にそれをするための感動の話ですからね。
その音が飽くんぞって思いっぱいなかったっすか?
でも憧れちゃうのも分かるしね。
分かりますよそれは。
東京に彼女入れてって言われながらね。
そういう人に憧れるんですよね。
ちょっと大人っぽさというか自分とはちょっと違うもの?
届かないかもしれないけどさみたいな。
しかも生地ちょっと近いかもしれない今回トリガーさんみたいな。
相手してくれるし。
あと今回未送信メールめっちゃ溜まってる描写自体はなくなかったですか?
一瞬だけ映ったんですけど。
メールを売ってるシーンはあったんですけど。
今回原作見て思ったんですけど、
原作の時のメールの文面見ても別に送る気のないメールだったなっていうか。
本当に日記だった。
そもそもが日記だった。
そもそも日記だったんだっていう。
日記だったなって改めて見てちょっと新視点だわって思ったんですけど。
僕もあれ送ろうとして送れないメールのことを書いてると思ったんですけど、
違うのはよく見た。
じゃあ本当に日記だったんだ。
そう多分ポエムの日記みたいなのを本当に書いていた。
そこまさに呪いの特徴の一つですよね。
よく見たらちゃんと別に原作と今回で文面が変わってくる。
そういうのもなかったんで。
じゃあ本当に日記だったんだ。
呪いになりうる文面結構見せながちというか、
あんま見せないじゃないですか。
心は1センチしか。
一緒に釣れますから。
原作してたらあれだってなってたんですけど。
そうなんですよね。
そこもやっぱり意図的かなって感じますけどね。
そんなに高木をエグい人間に見せないようなバランス調整をされてましたよね。
そうですね。
あれを見て今日のソラを思い出してたんですよ。
今日のソラにおけるヘイトコントロールを。
今日のソラはむっちゃ嫌な奴に見るようにコントロールされてたんですけど。
もっとやれたんですけどね。
もっとエグくできたところをバランス調整されてたんですけど。
やっぱ原作の描写よりも高木のエグみを減らしてないとは思って。
でも原作ファンにはしっかり死ねるポイントも作るというか。
そこはなかったことにしてるわけではない。
ちゃんと写ってますよみたいな感じでしたね。
そこの差事加減ですよね。
そういうことをしてるぐらいの感じ。
それの中身まではガッツリ見せないみたいな。
それも見やすくする調整というか。
嫌な奴に見えなさすぎないようにしてるみたいなのはアスラさんだとは思って。
完全に先生恩師から言われた時に嫌がりながら言うっていう。
ところでそこはわかってるんだねっていうのもこちらはわかるしね。
黒レシピの音に変えたような奴なんだよみたいなね。
そういうのはその視点はよくありますよね。
そこまではやっぱ成長してるんだっていう。
そうなんですよ。
あと、米津玄師の話をしたい。
1991年。
米津玄師の音楽と映画の関係
何度我々の前に立ちはだかるんだって感じですけど。
米津玄師今年も多いですよね。
米津。
米津玄師も読んでくださいパフレットありますから。
ちょっと独特な歌い回しするから聞き取りにくいところがある。
ドンピシャな歌詞を書くんすよねみたいな。
しっかり劇中にあったセリフだったりを引用しながらってのがまた上手いですよね。
そうなんですよね。
1991って年代の始まりなんですけど。
監督と米津玄師も年齢。
ミュージックビデオ2本作られてたりとか。
だから僕の1個上なんですよね。
92年前なんですよ。
マジで同世代の人が作ってるなって感じです。
ほんまですね。
なるほどな。
タイトルがこにくいんじゃないですか。
いつもだと思うんですよ。
読めずの曲はいつもタイトルがこにくい。
そもそも秒速5センチメートルってタイトルこにくいなって。
例えば原作が大箇所っていうタイトルの映画だったとするじゃないですか。
だとしてそれの主題歌を米津玄師が作ってたとしましょうよ。
秒速5センチメートルっていう局面にしそうじゃないですか。
劇中から拾ってきて。
この用語拾ってくれんや。こにくいね。
って思いそうなタイトルやなって思って。
そもそも秒速5センチメートルって。
じゃあそれが1回映画タイトルになった時に
じゃあどこを持ってくるかっていう。
ここを選んできてるっていうのが
なんか波長近いんじゃないかって思って。
じゃないかが波長近いというか。
ちょうどチェーンソーマンも主題歌2本作られてます。
その時に藤本竜先生と対談してるっていうのが
YouTubeに今上がってて。
その時に藤本竜先生が言ってたのは
米津さんの曲は聞くと映画の解釈になるから
映画見る前に聞かないようにしてるっておっしゃってたんですよ。
例えば君たちはどう生きるかも
あれ、曲が先に出たんだけど
絶対今日聴くと見方が固定されるから
見てから聴きたいっておっしゃってて
まさに今回もそうじゃないですか。
そうですね。
まだ劇場公開時に配信されてない曲ですけど
13話の配信とか言ってましたけど
本当にあんまり
でも解釈一致して
すごい解釈もピッタリ歌詞書くんだけど
結構やっぱりそのものずばり
ドンと書くみたいな感じでもない
ちょっと遠回りして書くみたいなことができるから
これが夜遊びだったら全部書くからさ
困るんですよ。
夜遊びはまさに
物となる原作を
それを歌にするっていう
あれは漫画になっちゃって
それはそれでいいんですけど
主題歌としては正解なんですけど
ピッタリなんですけど
フレルの時クロスレビューの感想とか
言いたいこと全部夜遊びに言ってんじゃん
みたいな感じで
すっげえ書くの困ったもんな
映画で言おうよっていうね
全然予想と関係ない話してますけど
本当に夜遊びに困ったなって思った声だったんですけど
そういうわけじゃないからな
米津さんがいろんな主題歌に
音楽と解釈
使われる理由ってまさに
映画って今回まさに
原作がアニメーションで
それをどう解釈して落とし込むか
っていうのを実際でやったっていうのと
同じことをおそらく
曲でやってるっていう
だから主題歌として作るっていうのは前提ですけど
J-POPに落とし込むとしたらどうするのか
っていうバランス感ですよね本当に
やっぱちょっとふわっとするんですよね
そこはやっぱり解釈の余地じゃないけど
広がりも足してくれるっていう感じは
すごいやっぱあるなって思って
やっぱりね
一種のカルト化してる作品に対して
これやっぱり挑める
人ってのはあんまりいないし
ちょっと怖いですよ
そうですよ
秒数5センチメートルで言えば山崎正義ですよね
みたいなのを
飛び越える映画じゃないけど
それに類する
映画に合った曲を別の人に作ってもらう
っていう挑戦をまずやってることも
ちょっとこれ偉いとこというか
しっかり別の映画ですよってやってるんですよね
やっぱあんまり過去に引きずられないようにしてるというか
そもそもの山崎正義の曲自体の使い方も
なんか別にやっぱ
ちょっと元が特別すぎたみたいな
とかはちょっと外したりとかするし
あと劇番とかも天門さんっていう方が原作作ってますけど
そのフレーズも一曲だけに留めてるとか
思い出は遠く日々のみたいなやつ
っていうところからもすごいやっぱり
挑戦はしてるなって感じはしました
実写化の挑戦
やっぱりアニメの実写化ってなると
どうしても原作に寄らせようっていう方が
それこそ前回チェーンソーマーの話をしたときに
漫画をどうアニメーションに落とし込むかっていうところこそ
やってる作品だから
あれは正解だと思うんですけど
どうしてもやっぱりそれが
原作保守的になっていくところって
どうしても作りとしてはあると思うんですよ
だってファンが多いから
特に見る人は保守的になっちゃうからね
その人たちに納得させるって相当難しいアプローチだなって思ってて
その辺のアプローチって
最近ちょっとそういうのが多いと思うんですけど
キックとドラゴン
あーそうですね
話をずっと今やってるなという感覚がすごいあるんですけど
そこで全く違う
まさに原作への再解釈みたいなところを
提示させて見せるっていうところに成功してると思うので
それをまさに曲も含めてっていう
そうですね
音楽も良かったんですよね
初めて知りましたけど江崎さん
どうしても同い年か
そうなんだ
怖いですよね
同年代が最前線の人が増えると怖いですよね
そうですね
個人的にはそこに対する何ですかね
それに比べて自分はとかには何もならなかったんですけど
これに関しては
むしろ背負ってたってくれてありがとうみたいな感じはしました
でもようやくあれですよね
いわゆるあるあるネタとか過去のネタみたいなものに
自分が分かるってなる
そうですね
ようやく自分たち世代がメインストリームに入ってきてる感覚
今年は無名の人生とかもまさにそうでしたけど
その方が僕らぐらいの世代の人に
刺さるようなリバイバルが増えてきてることみたいなのも
そういうことの一歩かなと思ってたんですけど
シャーマンキングのリメイクとかやってます
めっちゃ思ったんですけど
僕ら世代のやつやってるやんみたいな
っていうのがあったので
そのメインのコンテンツに
僕らぐらいの世代30代ぐらいの人が
ようやく立ってきてて
こういう増えやそうとしてるみたいなのが
あるのかなと思ってたんですけど
後作もそれの徹底版じゃないけど
個人的な中ではっていうのはすごいありましたね
でもそこで
秒速5センチメートルの
ある種の解体をやってるっていうのは
結構告報差しが高いなって気はしますね
世代と感情
秒速版をくすぐっといたら
究極いっちゃいい
それでまず大前提の成功なんですよね
でもそれだけでとどまらない
かと思ったら結構やっぱね
原作と同じカットをガンガンやすい
実写でもやりつつ
けどやっぱちょっと違うとこは違うし
さっき言ったカメラのアプローチだったりとか
そういうところは完全に変えてきているっていう
ワンマータイムワンマーチャンスの扱い方も
バランス僕はもっと少なくて良かったと思ってるんですけど
ただやっぱりメインに据えてないっていうのは
結構の勇気だと思って
秒速5センチメートルの中で
何が最もアンタッチャブルな世紀かと言われた
ワンマータイムワンマーチャンスの動きとかね
あれにクライマックスを置いといたら
なんかなるんですよね
そうしてないから
やっぱりそこはこう
ちょっと決断の底にあったとは思うんですよ
しかも使ってるのは一番気持ち悪いシーンに対する
っていうところが
わかってらっしゃるっていう
これもありますからね
すごいな
奇跡的な作品だと思いますし
ちょっと期待以上の回答だったなって話してて
より思えてきました
そうですね本当に喋ってて
僕もよりそれを強くしたなって感じはありますね
正直言いますけどめっちゃ心配してたんですよ
そうですよ
どれどれどんなもんかでみたいな
新海誠の後方彼氏面みたいなのが好きじゃんって
結構映画ファンの間でも
これは良いかなって言ってる方も
まぁまぁいらっしゃると思うんですよね
私最初のうちは
まあまあ背景ですなみたいな感じで思ってたんですけど
後悔日が近づくにして
ちょっと気がどうかしてくるんですよね
だんだんどうかしていってて
あれやばいんじゃないか
これがうまくいった暁に
僕どうなるんだみたいなとか
うまくいかなかったとしたらっていう
死んじゃうんじゃないのみたいな
どうなっちゃうのみたいな
その具合じゃなくて
もう楽しみっすねみたいな感じで
カッコつけたらそんなこと全然なくて
やばいことになってましたねラブトツーから本当に
あんまり出さないようにしたんですけど
これ僕見た回お客さん結構入ってたんですけど
秒速センチメートル自体を見てない人とか
知らない人から見た時に
本作ってどう見えてるんですかね
それちょっとこの後の場合もしいらっしゃったら聞きたいですね
ですよね
まずその深海誠っていう流れで
見に行ってる人がどれぐらいいるのかも
ちょっと想像つかみつけ
だってアニメじゃないって
ちゃうじゃんってなってるんじゃないかなと
そうですね秒速と深海誠が
多分ひも付いてるのはその
君の名は以前も知ってる人だけですからね
前提として
まあまあそうですね
そっからまあ
さかなぼって見てる人もいると思うけど
もちろんそれはいらっしゃると思います
ただ
結局だからリアルタイムで見てないにしても
触れたことある方はいらっしゃるとは思いますけど
多分触れたことない人もいらっしゃるだろうなと
思うんですよね
それこそ今の高校生とかだったら絶対
触れたことない子のほうが
割と多いんじゃないかなって想像はするんですよ
そういう人たちも
わかる感情感覚みたいなのは
残してんのかなって感じ
ありますよねそういう意味では
でそれがめちゃくちゃ呪いにもならない
普通にすっぱいラブストーリーぐらいの着地にも見えるかな
見えると
逃げて
かなっていうぐらいかな
ちょっとスイートに追われる
だからハナタムみたいな
こういうスタグライアに追われるんじゃないかな
確かに確かに
そうですね確かにそうかもしれない
あと
例えばその新海誠っていう流れで見てたとしたら
あのラストって
君の名はの裏じゃないですか
おっしゃる通りですね
はいはいはいはい
振り返ったのかーいってなってんちゃうかなと思って
あーなるほどな
君の名はだけ知って
そこの場面だけ知ってて
いかれた方としては
あれそうなんだっていう
むしろ君の名はって
その病俗を知ってる側からしたら
そこが裏だったわけじゃないですか
おっしゃる通りです
あれは呪いを解除するためのやつだった
っていうのはあったはずなんだよね
まずねまずね
あれはね
わかりますわかります
そこがこう見え方が逆転してたりするんじゃないかなと思って
あー面白いそれ確かにそうか
確かにな
病俗好きな人の見方
僕らはそのちょっとどっちかっていうと
過去との
もういい距離感
過去は過去で大事にしつつ前を進むみたいな
言い合わせとられてますけど
本当のガチのガチで呪いに囚われるみたいな映画だと思ってる人
どう見てるのかなっていうのはありますけどね
こんなんで使われねーよとかって思ってるのかな
その感想もありだと思うけど
俺はここがベストなんだみたいな
人が絶対たぶんいるとは思うんですよ
僕もこんなゴリゴリ進化のことは進化のことだって言ってますけど
僕らももっとゴリゴリな人いるんで
わしは星の声から追いかけておったわみたいなやつっているわけですよ
そうっすよね
あと単純に会わんのかい思んないわっていう人もいるかな
それも正しい感想な気がします
会んのかい
エンタメ性を求めてる人にとってはやっぱそう思いますよね
ラブストーリーとかで
幼馴染とくっつかないとダメな人っているじゃないですか
こういう人とどう考えてもくっつくでしょって人が
くっつかないのがダメ
苦手みたいな人がいると思うんで
わかりますけどね
幼馴染ルート好きですけどね
なんかちょっとそれに近い領域というか
そういう人もいるんじゃないかなと思って
くっつかんのになんでこんなすったもんだ見させられたん
ってなってもおかしくないと思うんですよ
それももう本当正しい感想だなって思いますね
そこに関してはでもやっぱ大人になっても
改めて見て刺さってほしいなっていう感じはあるかな
逆に多分アニメの秒速見て似た感想を見たことがあるので
そうかそもそもね
元の秒速がそう見える想定がある
だからこそサンペルの割れてるわけじゃないですか
それよりもっと巨大なものが入ってるから
その部分にくっつかないことそのものに
そんなに視点がフォーカスしてないから
お話はもともとそういう話なんですよ
そうですよね
なんかちょっと思ったんですけど
なんか先回のことのコメントみたいな
出てたんですけど
自分で言ってますよ
予測センチメートルが奇妙な物語です
大したドラマツルギーもなく
映画のテーマと表現
胸のすく活劇もなく
ヒーローも悪役もいない
みんなが理由もなく傷つき傷つけられ
いつも何かが満たされずにいる
みたいな書いてますよ
でもその20年前は
その何もなれなさが私たち自身の姿であり
生活であり
それを救い上げるようなアニメーション映画を
作ろうと思っていたのです
むしろ解釈不一致の部分もあるけど
呪いも込めてたのかな
苦しみも込めてたんだろうなっていう感じですよね
本人の切実な気持ちが書きたかったことだと思うんですよ
僕まだ見れてないですけど
テレビの中に入りたいとかも
まさにそうだと思うんですけど
映画の表現としての
自分の心の中の
モヤモヤというか
織りみたいなものの
消化としての作品でもあると
思っている
そういう映画があったと思うんですよ
人を幸せにするつもりが全くない映画
テレビの中に入ってたらそれやなと思ってて
みんなで呪われろって思ってる映画にも見える
許しはあるんですけど
それで許される人は結構適性があるというか
あとエヴァの急激とかも
僕大好きなんですけど
非常に嫌な気持ちなんだって
大好きですね俺
そういうのありやなと思って
だからめっちゃ嫌われるんですけどね
秒速5センチメートルも
やっぱりそこが長所でもあるし
何よりそこを丸くしたっていう意味では
やっぱり本作の到達度は高いかな
丸くしながら残してもいるという
この両方を達成できてるっていうね
演出と技術
初めて見る人は
しっかりエグみを捉えられるんじゃないかなって
逆に思ったりは
ここまで丸くなったとしても
多くの人がエグいと思えるというか
しっかりちょうどよくエグいと思って変えるっていう
そうなんですね
エグいかどうかをキャッチできる人も
選ばれてるから
もう完全にもう
食べませんって人も出てきちゃうぐらいの
一品にはなってると思うんで
だからこそすげえんだけどなっていう風情ですけど
そういうもんじゃないよね
それを嫌いっていうのも自由というか
そうだよねって思える作品だから
今回は食べた上で嫌いって言っても
まあまあそうですよねっていう
バランスにはなってるなと思って
食べ物にはなってる
元ってこれって食べ物なんですか?
食べ物ですか?みたいな感じで笑いますけど
じゃないとみたいな
食飯の方がでかかったですもんね
僕も最初食べた時に
そうですよね
そういうことありますから
やっぱすごいいいな
そう考えると
演出面で言ったら
めっちゃパストライブス意識してるなって思ったな
向きですよね
人の向いてる向き
その左向くか右向くかってところですよね
高木はやっぱり左向きがちとか
あかりは右向きがちとか
過去と未来の方向
特にあかりが未来
右向きを見てる率が高い
っていうのとかはあったりしたのと
あとあれですよね
コスモナウトでちゃんとワイジローが出る
ワイジローね
思いました思いました
劇中にあんなワイジローないんで
あれは絶対パストライブス
もう最高なやつじゃんと思うんで
嬉しくないですよねあれは
僕ワイジロー大好き人間なんですけど
いなかって会う位置よくありすぎて
そんなに象徴的なものとして見えなかったというか
もう僕はパストライブスに連絡があるから
全てにおいてそこが繋がります
行動から離れて
人の家に入っていく指導ってめっちゃあるから
分かるんすけど
分かるんすけど
象徴として湧いてあることはまずちょっと
そこで一個感動してほしいなっていう
まさに真ん中にこれが真ん中ですよ
っていうように照明が
ポールがね
ポールがあってっていうとこ
そこになんか伝説家とピューって分かれたり
みたいなとこ含めて
いやワイこれは
パストライブスみたいな感じだなって思いましたね
あとまあ単純に映画聞いてると思ってて
そうなんすよ
これ実は一番大事なことでもあるんですよ
描画をエンジニアにとるのは
絵が綺麗じゃないとダメなんですよ
ダメです
そもそも
ダメなんですね
特にコスモグのところに触れますけど
種ヶ島は美しすぎて
すごい終わったですね
やっぱり畑の真ん中を原付きで
原付きで走っていく絵とかも
あれはやっぱり実写じゃないと
出ない味はしたいと思うんですよ
そうですね
あとサーフィンしてるシーンは
基本やっぱちょっとやっぱアニメだと
動きも発生するから
ちょっとまあまあアニメっぽいなみたいになるんですけど
取り方してどうしようもなく
実在感のあるものしかならないっていう意味では
魅力しかないですよねそこは
しかもある種その自然の音というか
ちょっとこれ三宅章一夢な気がしてるんですけど
観客との関係性
あまり劇版よりも
実際の自然を街の音みたいなもの
あるいは虫の鳴き声みたいなものに
結構重きを置いてた気がしたんですよね
今回撮影で
そうですね
それこそ僕ちょっと見る前にも
事前に聞いてから言ったんですけど
結構僕映画見るときしがちなんですけど
好きなんで
そのアルバムは大体44分くらいなんですよ
って考えても半分もいってなくて
そうですね
意外と少なくってね
そういう意味では結構頑張ってるなって
感じがします
曲でこう盛り上げる
もちろんしてるんだけど
意外とそこを頼りでもない
そういう感覚はありました
まさにその高木が桜を見に行くシーンとかも
雪のガサッガサッって音だけで
似てたりとか
その音使いの演出の見事さ
それってまさにさっき言った
アニメでのフォトリアルな方に
からあえて世界見に戻すんだけど
現実であるっていうのは
その音に宿るわけじゃないですかっていう
そこら辺はやっぱり
ちょうどつなぎ止める意識はしてるんだろうな
と思うんで
まさに三宅翔がね
それこそ結構目を逸らせてとかで
やっていた演出法でもあるから
そうですね
でもあれか
三宅翔君で撮影カンペってあれか
シノニアさん
アーティストです
今回違う
でも相当レファレンスはあるよな
この人そうですね
今村圭介さんですよね
僕めっちゃ驚いたんです
余命十年の話したこと覚えてます
覚えましたね
一緒なんですけど
めっちゃ今によるルベツキみたいなことする
みたいな人だったりとか
そういうちょっとこったことできる人なんですよね
絵結構バキバキとか
どこから撮るかって
すごいこだわってたじゃないですか
あえて上からのカメラワークが
ところどころで挟まれたりとか
あとみんな大好き川村元気の8番出口とか
アホやって
それもやられてる
っていうような人だったよね今のとね
相当東方のもんは
そうですね
不自然に1人とって
踏んでるみたいなイメージがありました
結構はじめに肩なんかダメなぐらい
大事な部分だったんですけど
結構アップハウスにしてましたね
そうそうそう
そこも全体的にレピロフ高かった
肩だと思ったんですよね
日射から最後まで全部冴えてるなというか
あとソファに
プラネタリウムシーンとかも
長回しというか
視点がぐるっとかなり回るところで
しかもちゃんとそこで
未来の方向を向く宮崎
明のシーンからぐるっと回って
高木のところに映るじゃないですか
左を向いててみたいな
ぐるっと回ってみたいなとか
あの辺の一連の長い回しとかすごい好きですよね
結構たぶん作り手側としては
ロジカルではあるなって思いますよね
めっちゃ結構ロジカルだなと
思います作り方として
なるほどな
またですね
最後らへんもいつも
大丈夫って気づくみたいな
プラネタリウムシーンってやっぱあれじゃないですか
映画館じゃないですかみたいな
シーンとして撮ってるのも
もとはあのシーンプラネタリウム撮る予定じゃなかったみたいな
書いてたんで
でもやっぱそれ映画館が重なるように
映画館が重なるようにみたいな書いてます
そっかー
なるほどね
クライアントに見上げてるっていう
のはまさにそういうことでしょっていう
しかも後ろから来たみたいなシーンあるじゃないですか
完全に僕らじゃないですかみたいな
そうですね
前の席ですよねもうね
とは重なってるよねみたいな
結構そういうのちゃんと頂きにやられる人だなって感じがしますね
しかもそれはいやらしくないんですよね
やってますよって顔じゃない
ほんと自然とっていう感じですね
結構前作のアトザベンチは見てたんですけど
どっちかっていうと劇でやるようなこと
演劇でやるようなことを
映画としてチャレンジしてるみたいな感じで
あんまりカメラワーク的な
もちろんその3分ごとに
それぞれちょっとずつ変わるカメラワークは
ありますけど
あったんで
そこは面白いんですけど
とはいえ撮影が面白い映画じゃなかったなって
感覚はあったのかどちらかというと
まあまあまあ
話の不適もあるから
結構実験的な作品と一緒に活動すれば
自主制作
自主制作がノット人って言っとく
ケッドワンって言わないんですけど
これもあるんですけど
ただまあそうですね
商業ベースというか
一応メジャーに乗ったやつではなく
やってる実験的な作品ではあるので
ただなんかこれ見ると
まさかこれが2作目ってことにはなるんですね
長編作としては
長編作としてはそうですよね
すごいなあ
すごいな
とんでもない
とんでもなかったなあと思って
このねあれですよね
こっちがお兄さん
こっちがお兄さんで
弟さんの方はね
去年僕のお日様っていう映画をされて
作られた
兄弟で監督でしかもまあまあ
とんでもなく歴のいいやつを出してくるみたいな
すごいですね
それはとんでもない
どんな家庭で育ったんだよっていう
はあ?みたいな
うんうんうん
感じますよね
いきなりこんなの任せられるんだ
もちろんその前にさっき言ったMV
星野源と組んだりとか
米津玄師と組んだりとかっていうMVとしても
そもそもそこで信頼度があるっていうのは
絶対ありますけど
CMとか
アイセットのCMとか結構有名な
そうそうそうそう
言葉のやり取りの重要性
失踪感のあるぐるぐるのあれとか
なんかそれ
結構最初の方に彼がYouTubeで出たところとか
8ミリフィルムで撮影するみたいな
動画を
多分自主で出してるところとかをちょっと見てて
今あえて8ミリで撮るみたいな
すごいっすね
ここね
だから多分まさにフィルム庁側のこだわりだし
っていう風に思ってたんですけど
そうですね
さっき
あかりん
高木くんは大丈夫だよって言われる話の流れ
あったじゃないですか
これ見て結構心配されてたんや
みたいなのが結構思っちゃって
僕自分が山口くんは大丈夫だよって言われたら
結構あかんやつやと思いそうやなと思って
でもあの大丈夫はね
ドライブマイカー的大丈夫ですよね
そうそう
ドライブマイカー的であり
天気の個的であり
っていうのが本当に大丈夫って言われるんですよね
わかりづらい言われるの
心配されてたんやなって
ちょっとシュンってなっちゃって
自分やったら
確かに
心配されてる時にかける言葉か
でもあれは真実じゃないかもしれないですから
あそこのところだけ記憶が抜けてて
現代のあかりんに言われたことが
そこに置き換わってるだけかもしれないですから
そうですね
確かに
大丈夫でリフレインしてるのもある
小学生時代の時に
高木から言われてる言葉もあったね
一番最初に越してきての
つながりもありましたけど
あと一番初めの
クラスでも
ローカルみたいなのをノートで教えてあげるし
あれって元からありましたっけ?
ないです
別作業ね
あれ良くないですか
あと地味に変更点として
手紙じゃないっていう
交換手帳になってる
あーあれそう
はいはい
そうっすね
そっか
だから最初のやり取りもノート
手帳みたいなもんですよね
だからそういうつながりもあるし
なおかつ
手紙をなくすシーンがありますけど
あそこだけ手紙っていうので
そこをちょっとある神秘的なものでやる
それを供与してるみたいなバランスですね
結構ずっと文字のやり取りっていうものは
モチーフとして重要視されてたと思うんです
元が手紙とメールですよね
ただ手紙は相手に渡すようだという
メールは相手に送るようじゃなくなってるみたいな
フェーズの移行みたいなのが描かれてたと思うんですけど
今回言葉を伝えるための
メディアの種類が増えてたと思うんです
ノートの端書きになったものが
手帳を使うようなやり取りになって
もちろん今回もメールは出てくるし
あとあれですよね
付箋にメッセージを書いて
貼るっていうやつとか
確かに確かに
あと本屋さんのコップとか
言葉を相手に残すっていうことが
メディアが多様になることで
普遍的な領域のものとして
なってるというか
やっぱり元って
手紙っていうものの神秘性だけを
濃縮してたと思うんですけど
手紙というよりは言葉になって
フォーカスしてる
確かに確かに
手紙じゃなくしたことで
すごくいいなと思って
思い出が彼のところの手元に
残ってない状態になるんですよ
記憶と忘却の探求
分かりますそれ
あれめっちゃ効いてるなと思って
もう一回原作を見ると
手紙を読んで
送られてきた読みを
持ってるわけですよ
行くときに全部分類
覚えてるみたいなことを
言うわけですよ
怖い怖い怖い
怖いっていうか
だいぶやなみたいな
思ってたんですけど
今回のやつって
書いたことを
覚えてるけど
その時に多分書けられたであろう
大切なことを
覚えてないんですよね
多分詳細まで
思い出しようがないんですよね
だからこそ
アカリ側に残ってるからこそ
アカリが覚えてる理由にもなる
小学生時代の思い出のトリガーは
それを高木からやると
ちょっとお前さ
みたいになるけど
その部分はなってない
確かに
アカリを経由して
物語的に進むようになってる
っていうのも
いい回編って思った
確かに
なるほどな
ほんとだわ
なるほど
だからやっぱ最後ね
ロックハックの
その1号を忘れちゃったみたいなこと
がすごく来ちゃうというか
覚えてなかったって
良かったと思うんですけど
そのことに対して
めちゃくちゃそこにこう
後ろ髪を引っ張られてしまうみたいな
ことにも
切実さに繋がってくるんだな
確かに
完全にだから
あの再会の中の
あそこの一言だけが思い出せない
っていうのが
一番の引っかかり
そうなんですよ
そこまでにあったのは
アカリであることにも
言葉なんですよね
そうそう
その事情は覚えてるけど
ワントーンにかけられた言葉だったりとか
そこまでのやり取りの言葉がわからないことの
そこの彼なりの
そのめちゃくちゃ大きな
その引っかかりだった部分っていうのが
よりこう
ブワッとくる
しかもそれが言葉になることで
アカリが現代
それをある種
吉尾がいいと
言うわけですけど
そこに恋愛的な要素は
もうなくなってるんですよね
そうですね
ちょっとそこも
今回の魅力というか
恋愛ってももちろん読めるけど
ある種のソウルメイト的な
そうですね
文脈を乗せようとしてるなってのは
すごく考えましたね
なるほどな
いやー
言葉って本当忘れていくなって
最近は本当思うんですよ
本当にそう
そこで会ったことしか覚えてないみたいな
そこで飲んだねってことしか覚えてなくて
何を話したかまた
思い出せなくなってきてるんですよ
言葉ってめちゃめちゃ弱い
その生存能力が弱いんですよね
あともうなんか
ちょっと話ずらすんですけど
僕も本当に昔のこととか
すごい覚えてないこといっぱいあって
覚えてることって
エピソードトークになってるんですよ
エピソードじゃなくて
エピソードトークになってることは
わかるわかる
だからちょっと
歪曲されてる側面もあるんですよね
だから自分の中でも
人に話して面白くなるようにしてるし
自分の中でも面白くなるように
歪曲することでギリ残ってるみたいなことってあって
それをしてない生の記憶って
どんどんどんどん消えていってるんですよね
そうなんですよね
でも消えてったとしても
大丈夫だよっていう
だから忘れたっていいっていう
そう忘れたっていいし
本当の本当に
どっかに残ってたりするし
意外と気づいてないだけかもしれないけどね
気づかない程度でいいし
逆に残ってたら残ったら地獄ですよみたいな
人間って忘れられるからいいんだみたいな
あるじゃないですか
そこと重なるなっていう感じしますよね
残ったら逆にそれが呪いになる話でもあったし
そうなんだよな
だからやっぱり原作のアニメの方が
呪いとしての純度が高いと思うんですよね
やっぱり手紙で残るっていうことは
言葉自体の本来の形は残り続けてるから
たかきの中でも繰り返し
リピートすることができるっていうことで
濃縮できてしまって
自家中毒に陥ることができてしまってるんだけど
実写の方は自分の記憶の中でだけ
循環させてるから
強度が弱くなっていってると思うんですよね
それに対する怖さもあると思うんですよ
薄れてしまう怖さ
一番大事なことがあんまり思い出せなくなってる
めちゃめちゃ怖いやと思って
感情の神秘性
だからむしろ行くことに意味があるんじゃないですか
確かにね
そうだもん
だから行くんだもん
アイテム覚えてくれてたらいいなって
そうしたら取り戻せるからなっていう
そうか
もちろん手元に残ったら行かなくてもいいですもん
そうですね
あれも気持ち悪いなって思っておりますけど
意外わかりたいの切実さを持って行ってますから
っていうことは当然な
前提としてある
多分記憶の答え合わせをしに行きたいっていう
そこですよね
そっか
だからやっぱりその
恋愛の話感が少し上回ってるんですね
過去と未来の話感がより詰まってるかな
そうですね
なるほど
すごいですね
なんかめちゃくちゃいい実写な気がする
わかんないですけどね
僕らがいいように解釈してるだけかもしれないんですけど
だいぶここまでの中で
したところはあるかもしれないんですけど
それでも僕はいいなっていうレベルでは
僕にとってはすごくありがたい映画というか
忘れられない映画だったなっていう感じでしたね
今回やっぱ最初僕とかで最初の評判で
ここはどうなんだろうっていう風に言ってたと思うんですけど
割とこれ対応の中で解決してる気もしてて
そうですね
喋って面白い映画になってるのもまたすごいなっていう
解釈の余地もあるし
そこに対してのしっかりリカバリーもできてるしっていう
相当すごい
この後バーでどういう感想が出るのかが非常に楽しい
あのちょっと地獄かもしれないですけど
大変かもしれないですけど
今完全に養護派3人が集まってる状態
いやでも完全に武装できてる状態ですからね
そうですねあるいはここでステージができたぞみたいな
確かに武器は届くんだ
今からが戦いだなって夢は思ってますね
これからがホンちゃんのプロレスの試合じゃんみたいな
感じはしますね
今楽屋でね
楽屋でアップ中です今
腕にテープ巻いたりとかして
テープにしてます今
そうですね普通にそんなにっていう人も
いや絶対いる
全然いらっしゃると思うそれでいいと思いますし
本当に秒速にしても進化にも先にしても
嫌いな意見なほど面白いんですよ
これがね良いとこ良いとこって言うとあれなんですけど
人が出ますよね人がマジで出ます
いやそうなんだね
結局その人の話が面白くなるから面白いんですよ
結果進化のことを語るのはおもろいんですよ
僕を面白くしているのは彼のおかげですみたいな
ぐらいですよねやっぱり
その意味でもすごい作家ですよね
まぁちょっとこの言い方良くないかもしれないですけど
『秒速5センチメートル』の深掘り
いじられる作家はいい作家だと思うんですよ
まぁ確かにね
そうですね
本当にたまにそれやりすぎて距離感バグった感じになっちゃいがちですけど
適度な距離感やりすぎて
まぁちょっとネタでうちの深海がって言っちゃうとこあるから
そういうの言ってないなっていうのがあります
確かに
そこのバランス感覚は気をつけんと
面白い方に張り振りがち
やりがちなんですけどね
おもろくなるときあるからな
面白いんですよ
それやってるとき一番面白い
その辺のやりとり
ある種プロレス的にやったことによって
今日の場合来てくれるみたいな人もいるので
そういう意味では良かったなと思ってるんですけど
プロレスのブックとしていいんですよね
大好き派と大嫌い派というプロレス
今からが本茶の試合ですけど
ちょっとその前ぐらい
ちょっとした会のときに
まさに記者会見みたいな
あいつらは絶対負ける気しないけどな
記者会見みたいなことをやったおかげで来てくれることになった
今回山口さんと僕で練習試合を一回して
今体ほっこくると思うんで
本番に労働いただいて
本気で強い人いるから
ちょっとお二人では練習会にならないかもしれないですけど
割とこっち側だから
他なんかあります?
ダイヤルズの語り
ダイヤルズの語りは喋れたんじゃないかなと思います
じゃあそんな感じで
予測5センチメートルの話は終わっておきましょうか
ここまで一作院がっつり喋ったのはないんじゃないかな
やっぱり原作の話した回も
30分ぐらいしか喋ってないし
やっぱそこから月日も経って
より解像度も上がって喋れることも増えたし
僕はすごい良かったなと思って
このラジオを聴いても
実写映画が見られた方がおそらく
多くのラジオを聴いたと思うんですけど
もしアニメを見てなかったら
アニメも見てもらいたいですよね
この語り聞いた上でですけど
鎮海誠との距離感をどうしておくかっていうのは
結構別にそれが人生で必須とは言わない
必須だよね
我々と喋りやすくなる
是非我々と映画場で喋ろうみたいな
ひっかかりとしてね
ラジオやってるとこありますけど
一番の引きはここですみたいな
嫌いで全然いいんで
世の中にはちゃんと怖い人がいるんで
鎮海誠と言ってちゃんと怖い人がいるんで
ちょうどいます
そうですね
怖くています
そういう人たちとの距離感を知っておくっていう意味で
見ておくのもありかもしれないなって思います
僕さえはやったことがないんですけど
作品を通じた距離感
本当に怖そうな人がいる
嫌いなのは全然ありなんですけど
SNSであんまり話してないほうがいいかもしれないっていう
そのバランス感ですよね
ではそんな感じで
約5センチメートルの話を終わっておこうかなと思います
ではお知らせになります
映画の話したすぎれば
次回開催では決まり次第お知らせいたします
これまでは最終ドライブの開催が基本でしたが
今後は開催店員が流動的になりますのでご注意ください
場所は大阪南森町週刊曲がり
中古城区23時クローズです
またこの番組でお渡りを募集しております
番組全体でトークテーマ作品向けて
ご自由にお送りくださいませ
ファンの最新情報ディカイテーマは
Xおよびインスタグラムにて告知しております
格好案内や番組設定もご確認くださいませ
それでは映画の話したすぎるラジオ第234回
秒速5センチメートルの回を終わりたいと思います
それではまたお会いしましょう
さよなら
さよなら
50:56

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