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2021-10-25 16:44

今日の10分de1テーマ「プラグマティズムとソクラテスと天皇制」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。


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はい、というわけで前回の続きです。
天皇制の本と同時並行で読んでいたプラグマティズムというアメリカで生まれた哲学の本を読んでいたらですね、
すごい天皇制の話に結びついて気付きがあったみたいな話をしていました。
プラグマティズムというのは結構いろんな略語があるんですけど、実用主義とかですね、道具主義とか呼ばれていてですね、
アメリカっぽいというか、役に立つんだったらいいよみたいな、アメリカっぽい感じがしてですね、
そんなに興味は元々なかったんですけど、実際日本でもそんなに人気ないと思うんですよね。
プラグマティズムの有名な提唱者の人たちの名前を挙げていくと、
ウィリアム・ジェームズ、パース、ジョン・リュウィン、ジョージ・ハーバード・ミードとかですね、
全然聞いたことないですよね。
例えば同時代のヨーロッパの哲学者とかだったら、ニーチェ・ハイデカーとかサルトルとかいるわけですけど、
その人たちの知名度と比べると、あんまり馴染みないですよね。ほとんど聞いたことないですよね。
そんな感じで、そんなに興味もなかったんですけど、呼んでみたらすごく面白かったんですよね。
というか、むしろすごく今っぽいなというふうに感じたんですけど、
どういうふうな内容かというと、ヨーロッパの哲学はソクラテスが一応起源みたいなふうにされてますよね。
ソクラテスの時代から一つの真理というのを探していこうと、
そのためだと喧嘩もじさねえぞみたいなソクラテスがするキャラクターだったわけですけど、
そこを出発して発展していったわけですよね。
一つの真理をずっと追いかけてきたと。
それに対してプラグマティスムというのは、一つの真理なんてないよと。
ある考えとか概念がもたらす効果とか結果に注目しようというような考え方なんですよね。
例えば宗教とかでいうと、ヨーロッパとかだとキリスト教がずっと信じられてきていたんですけど、
それが科学によって脅かされてきたという歴史があるわけですよね。
キリスト教がバーンと出たキリスト教がいかに正しいかというのを何度か理屈をこねて、
トマス・アキナスとかああいう人たちが理屈をこねて、
キリスト教が唯一正しい真理なんだということを証明しようとしたわけですけど、
一方で科学が発展していたらあれ?みたいな感じになって、
ニイチェが神は死んだと。
これまで神の言う通りにやってきたんだけど、神は死んだからもうここから虚無だと。
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なんだけど虚無の中を超人になって生きればならないよねみたいなことをニイチェとかは言ったわけですよね。
だから常に一つの真理を追い求めて、
神は違うんだ。神は死んだ。じゃあ虚無だ。
じゃあ虚無の中を生きる超人だろうみたいなですね。
一つの真理をみんな探っていったわけですけど、
それに対してプラグマティズム的な考え方というと、
例えばある人が生きてて科学の恩恵を受けますと。
そういうのだったらいいねって感じですね。
逆に宗教も持っててですね。
宗教を信じてると心が救われると。
宗教の聖書に書いてあることは科学的におかしくないみたいなことがあっても、
宗教で心が救われてればはっきりと効果があるよねと。
じゃあそれなりに正しいってことでいいじゃないかっていう考え方なんですよね。
絶対的な真理の絶対的に正しいことはなんだ一つ考えようみたいなですね。
ヨーロッパ的な絶対的な真理を追い求めると違ってですね。
その都度その都度のそれなりの正しさというのをですね。
見ていこうよと。
信じればいいんじゃないかと。
ただですねそれなりの正しさを信じてたら、ある時効果がなくなったりもしてですね。
あれなんか宗教信じてる前もすごい良かったんだけど今救われないなってなったりですね。
そしたら効果がなくなってるってことだから、
またですねちょっと考えて別のですねそれなりの正しさというのを探していけばいいじゃないかというような考え方なんですよね。
それなりの正しさというのは効果のあるなしで測られていくものなんだと。
絶対的な一つの真理とかあるわけじゃないよみたいな考え方ですね。
さっきの科学と宗教別に両方信じてても一つの人間の中で別に矛盾してないよねみたいな。
っていうそれぞれの正しさがですね複数個あってもいいよねっていうような考え方でもあってですね。
個人の中にもまあそうやって複数の正しさが重なり合っているし、
集団の中でもですねいろんな人がいるわけですよね。
いろんな人の中でこの人はこういう正しさを持ってる、この人はこういう正しさを持ってるって中で、
でもそれらは別にAの正しさとBの正しさはガチンコで見解してどっちが正しいかみたいなね。
クラテスみたいにですねガチンコで見解して決めるみたいなね。
そういうことをせずともそれが重なり合っているっていうことはあっていいでしょっていうような考え方なんですよね。
すごく今っぽい感じがするんですよね。まさに多様性というかね。
面白いなと思ってですね。もうちょい勉強したいなというふうに思ったんですけど。
それがプラグマティズムの話はそんな感じで読んでてですね。
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ちょっとすごい注目したというかハッと気がついたのがですね。
このプラグマティズムっていうのはやっぱりアメリカっていう環境だから生まれたものなんだなというふうにやっぱり思ったんですよね。
アメリカというフードでですね。
ものを考えたりとか、他人とコンセンサスを取ったりとかですね。
もっと平たく言うと他人と喧嘩せずに一緒に生きていくためにどういう土台が必要なのかっていうのの答えがアメリカの答えがプラグマティズムだったんだなと思ったんですよね。
そんな感じで環境によってどういう思想というのが生まれるかというのがやっぱり違っているんだなということを改めて思ったんですよね。
アメリカだったらその移民国家なんてすごい多様な民族がいるわけですよね。
かつすごい人口国家というかですね歴史がないので。
民族の一つの民族という、我々アメリカ人だよというですね。
一つのアイデンティティというのも微妙にそれぞれずれてるし、歴史もないと。歴史というバックボーンもないと。
だからですね、それぞれ立場が違うわけで、すごい違うバックボーンの人たちが一つの国に住んでいるという状態ですよね。
だからですね、違うバックボーンでもこれは正しいよねっていうものがですね、どうしても土台として必要になったんですよね。
それがですね、プラグマティズムというかなんですけども。
プラグマティズムというのが追い求めていくものは何かというと、それなりの正しさなんですよね。
それなりの正しさというのがジャスティスとか言われるんですね。
ジャスティスというと正義なんで、悪を退治する正義みたいなね、そういうイメージをするんですけど。
どちらかというとですね、悪に対する正義、日本のこの意味の悪に対する正義って、悪はイーヴィルで正義はグッド、善ですね。
っていうニュアンスなんですけど、英語のジャスティスというのはどうもそういうニュアンスじゃなくてですね。
不正ではないってことなんですよね。
公正さを持っているってことを正義って言うらしいんですよね。
いろんな民族がいてですね、それぞれの歴史もないよっていう中でですね、みんなで何か一つのことを納得しよう。
納得して進める一番基礎の土台を作ろう。
なんだ?って言ったらですね、公正さなんですよね。
その正義、公正さでですね。
その公正さを導き出すもの、それぞれでそれなりに正しいっていうことをですね、頑張って考えていこう。
全然違う人たちの間でっていうのがですね、その手法としてプラグマチズムがあるんですよね。
一方ヨーロッパはですね、いっぱい国はあるんですけど、ただ全体として西洋人というアイデンティティを持っていると思うんですよね。
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国が違ってもそれを持っていると。
元々のヨーロッパ哲学の生まれたギリシャっていうのは、まさにですね、ポリス市民っていうね。
アテネの市民ですみたいなですね、すごいわかりやすいアイデンティティがあるんですよね。
それ以外はバルバロイですみたいなね、蛮族ですみたいな感じですね。
かなりこう、なんて言うんですかね、同一性が強い高いんですよね。
なんですけど、歴史はですね、それぞれの国によって歴史が違うので、多様性があるわけですよね。
これはギリシャも一緒でですね。
元々その哲学っていうのが生まれた、ギリシャ哲学っていうのが生まれたのが、
ギリシャにとって、アテネとかにとってですね、歴史っていうのは神話だったわけですけど、
他の国との貿易とかの交流が進んだらですね、そっちはそっちの国との交流が進んで、
他の国との貿易とかの交流が進んだらですね、そっちはそっちで違う神話を持ってると。
で、行ったときにあれ?ってなってですね。
なんかこれ国によって神話違うなぁと。
ってなってですね、神話っていう土台が元々あったんですけど、歴史っていう土台があったんですけど、
歴史っていうイコール神話っていう土台がですね、使えないぞと。
これいろんな、人によっては結構違うぞ地域によってってことが気付かれてですね。
じゃあなんか代わりの土台を何か作らないといけないよねっていうときにですね、
一つの神竜を探しに行こうというようなですね、一つの神竜を追い求めようというのをソクラテスが言ったっていう、
そういうスタート地点になってるわけですよね。
だからですね、これはもうギリシャでもですね、ヨーロッパのでも一緒でですね、
やっぱりですね、こう、みんなの同一性はありますと。
俺たちは西洋人だよね、ギリシャ人だよね、みたいなですね、自覚はあってですね。
なんですけど、歴史は違うと。
なので歴史っていうのは土台になり得ないんですよね。
俺たちの歴史講座なんて言っても違う、俺とこ違うんだけどってなってですね、議論ができないと。
だからですね、みんなが納得できる真理っていうのを一つ見つけてですね、
それを土台としようっていう、ヨーロッパはヨーロッパのニーズがあったわけですよね。
話がすごく巻き戻るんですけども、もともと天皇の話をしていたわけでですね。
じゃあ日本はどうかっていうとですね、実質ほぼ単一民族国家でしたね。
本当はいろんな民族がいるわけですけど、単一民族国家で、俺たち日本人だってアイデンティティーになったと。
歴史も一つですよね。
その歴史がですね、歴史を土台として使えるわけですよね。
俺ら江戸時代を経てさ、って言ったら1億3千万人がですね、みんなふんふんって言うわけですよね。
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なんで歴史が土台に使えると。
でですね、その歴史のという土台のですね、一番底の底の部分ですよね。
土台の土台になっているのが天皇制なんだろうなって思ったんですよね。
この歴史が土台っていうのがですね、その感覚っていうのを僕らも自然と思ってしまってると思うんですけど。
例えばですね、聞いたことのある企業だと安心みたいなね。
ちょっと財閥系の企業とかですね。
なんかすげーVVはしてるんだけど、すごい実績上げてるんだけど聞いたことのない会社よりですね。
聞いたことのある企業のほうが安心だなとかですね。
この間前話していたですね。
社長の息子ですって言われたらですね。
社長の息子ですって言われたらですね。
多分この感覚はですね、アメリカ人からしたら意味分かんないと思うんですよね。
時期社長は息子ですってなると思うんですよね。
やっぱプラグマティズム的な考え方で言うとですね。
その効果は?とかいうふうに思うわけですよね。
でですしね、それなりの正しさっていうのをその時その時で答え出していけばいいんだっていう考え方なんで。
効果があるものを選んでいけばいいんだって考え方なんで。
多分ですね、普通に時期社長代理するうちはですね。
確からしい実力の人っていうのはですね、とりあえずつけてですね。
で、ダメだったらどんどん交代させていけばいいんじゃない?
それなりの正しさをその時その時で見つけていこうよ。
みたいなのが多分アメリカ人のメンタリティなんですよね。
他民族国家でですね、歴史がないっていう国が編み出したメンタリティだと思う。
で、日本の方は単一民族国家で歴史が長いという中でですね、どうもこういうメンタリティみたいなのをですね、持ってしまっていると。
で、やっぱこれがですね、日本っていうのは既存企業、明治時代とか戦後すぐに作られた企業っていうのはずっと強いですよね。
ですし、ベンチャーっていうのはなかなか育たない。そこに食い込んでいけない。
学歴を重視するところですね。
こういうところ全部多分こういう面から来てんだろうなというふうには思うんですよね。
一言で言うと、昔からあるということが一番納得材料になってきるんですよね。
そう感じてしまう環境に僕らは育っていて、そういう国民性を持ってしまってるんだなっていうことに気がついたと。
その歴史をですね、一番古くからそこのそこで担保しているのが天皇制なんだなというふうに思ったんですよね。
だからですね、みんなで何か一つのことをしようとかですね。
あとですね、納得して変わっていこうとかですね。
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みんなで納得して次のステップ行こうとかですね。
っていうようなターンになったらですね、一番重要なのが多分天皇という存在なんですよね。
だからですね、多分天皇という存在はこれからも重要であり続けると思うし、その権威が落ちるようなことというのはですね。
家康もですね、どうか避けてくださいと天皇にお願いしているわけですけど。
そういう意味で言うとですね、なかなかセンシティブなことがあるんですよね。
話はさかやのぼってですね、小室慶さんの権とかもですね。
下手すると権威を落としかけないことになるぞというのはですね、何かガミガミ言いたくなるというのはですね。
多分そういう心理が働いているんじゃねえかなというふうには思うんですよね。
ただですね、個人の意見としてはもう別に大人なんだしいいがな、ええがなというふうには好きにさせたらばと思うんですけど。
逆にこういう権威みたいなものをしっかり演じ切らなきゃいけないという、いわば人権がないというのも天皇制なんですよね。
そこもですね、悲しいものがあるというかですね。
好きにさせたらええがなというのは人権があることが前提ですよね。
なんですけど基本的には皇族は人権がないと思うんですよね。
ないように扱われているというか権威をちゃんとやるということを求められている人たちなんで。
なのでですね、複雑なものがあるなというふうには思いました。
というわけでですね、長くなりましたが以上となります。ありがとうございました。
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