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はい、というわけで始まりました。
今週すごく忙しくて、昨日とかも朝4時くらいまで仕事をしたりとかしてヘトヘトだったんですけど、
そういうこともあってかなり不定期感が出ちゃってるんですが、
今日は時間ができたので話したいなと思います。
今日ちょっと話そうかなと思ったらですね、すげーざっくりしてるんですけど、価値観の話という話をしたいなと思いました。
というのはですね、社内である新事業が立ち上がってですね、
それはこういう新事業ですよっていうアナウンスがあったんですよね。
そのアナウンスの内容を聞いてですね、すごく僕は感動してですね、
すごい共感してですね、ピシャーンってなってですね。
でも、もともとはですね、すごくこう、なんていうんですかね、応援してる人たちだったんで、
なんかですね、協力したいなと思ってたんですけど、
そのですね、こういうことをやるんですっていう説明を聞いた時に、
協力したいとかじゃねえなこれと、
もうこの思いみたいなのにですね、自分をクロスさせたいみたいな、そんな感覚だったんですよね。
なんか、あの、何でしょうね、多分自分ごと感があったんでしょうね、おそらく。
だからそこのですね、このオーダーに自分が答えたらどうなるんだろうみたいな感じだったんですけど、
でですね、まあ、もう本当ですね、そのアナウンスの言葉っていうのはですね、
ここまで自分の価値観をですね、嘘のない言葉で紡げるのかみたいな感じで、
すごかったんですけど、研ぎ澄まされてたんですけど、
まあですね、その新事業をやっている2名の方っていうのはですね、
多分まあ生きてて、こういろいろこれまであってですね、
で、それをこうね、この私たちが生きてきた上でいろいろあったことみたいなのをですね、
かなりこう2人ですごいこう話し合ってですね、
で多分2人とも結構その近い体験とかですね、近い価値観みたいなものを持っててですね、
その2人の間でこうスパークさせてですね、
お互いの言ってることを共感して話して多分、
その中で磨き上げてスパークさせて出したものって感じだったんですよね。
本当に言っちゃうと多分その2人のどっちか片方が別な人だったらですね、
絶対違う、全然違うものになってただろうし、
それどころがですね、形にすらなってなかった可能性もあるなって思うんですよね。
でですね、本当にこうなんていうんですかね、結構初めての体験で、
僕は例えば仕事しててですね、それなりに頑張ってね、
一つ一つのことをちゃんとやろうと思ってますし、
じゃあその何か一つ仕事しようとした時にですね、
今いる場所で合致するものっていうのをやろうという風にはやっぱ思うわけですよね。
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なんですけど、今いる場所に合致するものをやろうという時にですね、
今いる場所が持っている価値観というのをですね、すごく共感して、
だからやろうって感じじゃないんですよね。
僕がある価値観を持っていて、だからやりたいという仕事の中で、
今いる場所でやっても問題ないかなということをやってるって感じなんですよね。
だからですね、今いる場所でやれることっていうのはですね、
なんていうんですかね、
縛りみたいなもので、その縛りっていうのはある程度意識しつつですね、
でも何だったらですね、その縛り、実はこういうことをやってもいいよね、
俺こういうことをやりたいし、みたいな感じですね。
なんかこう、するくらいの感覚なんですよね。
だからその今いる場所のですね、掲げている何かの価値観に対してですね、
こう兵隊のようにですね、十字軍のようにね、
その価値観に共感してですね、やるぞとかなっているわけじゃないんですよね。
なんでそんなことを思ったことは今までついでなかったんですけど、
今回ですね、生まれて初めての経験だったんですよね。
こういう人の話す価値観にですね、めちゃくちゃ共感して、
ここで何かやりたいぞっていう気持ちになるっていうのは、
すごい良かったなっていうふうに思ったんですけども、
逆に僕ら編集者はですね、クリエイターにですね、
うまく火がつけられた時って、
クリエイター側からしたらこういう感覚なのかしらなんていうふうにも思ったんですが、
そんな体験があってですね、ちょっと思い出したのはですね、
この間、結構前ですけど、合理的な神秘主義の話をしたんですけど、
ラジオでも、合理的な神秘主義の話を思い出したんですよね。
どういう話かというとですね、
思想詩の話なんですけど、
思想には2つのストリームというか流れがあると。
メインの方はアリストテレスとかですね、
デカルト的な合理性というのをすごく重視している思想であると。
サブの方はですね、スピノザ的なですね、
ちょっと神秘的なものというのを重視している思想であると。
基本的にはアリストテレスとかデカルト的なですね、
合理性というのがやっぱりですね、
合理性ってまさにね、近代化とかのお勧め上でのすごく必須なものだったわけですけど、
合理性がですね、いろんな面で便利なので、
支配的になっていると。
どうしてもですね、逆に僕らもですね、
その頭の中も基本的にはやっぱりこのアリストテレス、デカルト的な価値観、
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考え方というのをゼとしている部分があるわけですよね。
なんですけど、それだけだとですね、
行き詰まると。
というのはその合理主義的なですね、ことだけにですね、
収まらないいろんな機能によってですね、
しかも機能というのはですね、
どういうふうに作動しているかというのもですね、
科学的になかなか証明するのが難しいぐらいですね。
人間と言っても、人間同士とかね、
ものすごい科学的にもどう説明をつけたらわからないぐらいですね、
すごい高度な非言語的なやり取りというのを行っていてですね、
人間の脳みそというのは。
で、そういうものですよね。
だからそれはもう合理すら超えているわけですけど、
そういう神秘的としか言いようがないぐらいのですね、
すごい力に支えられて生きているという部分があるので、
そのですね、神秘性というのを合理的にだけ考えていると無視することになるので、
どっかで行き詰まりというのが生まれると。
その時にですね、湧き水のようにですね、
そのスピノザ的な神秘主義的な思想というのがですね、
飛び出してきて、その行き詰まりを解決するというですね、
この最初にですね、
そういうような思想史の話があるんですよね。
だからですね、合理的なものでバンバンバンバン発展していったが、
行き詰まるといったらですね、
急にスピノザ的な神秘主義というのがバーンと出てくるというのの繰り返しを
ずっと思想史というのは行っているんだみたいなものでですね、
それはすごい面白かったんですけど、
これ思想史の話ではないんですけど、
実社会でもそうだなと思うわけですよね。
これは本当に迷宮に居たまがないなと思っているんですけど、
例えばですけど、
例えばこれアメリカ社会の言葉らしいんですが、
差別的な言葉でですね、
マジックブラックという言葉があるんですよね。
魔法使いの黒人という意味なんですけど、
これどういうことかというとですね、
基本的に社会は白人が魔法をしていますよと。
それは昔の言葉なので差別的な背景があるわけですが、
白人が魔法をしていますよと。
白人たちだけでですね、
社会をより発展させようとするとですね、
なんかこう、どこかで行き詰まると。
どうやって行き詰まって、
この行き詰まりを解決すればいいかわからないと、
まごまごとしていたらですね、
突然マイノリティである黒人がですね、
なんかポンと現れてですね、
その問題を解決して、
ブレイクするとして、
おお、こんなやり方があったとかってなってですね、
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そうしたらですね、黒人は去っていって、
その黒人のやり方というのをですね、
白人が真似して発展させていくみたいなですね、
そういう現象を指してですね、
マジックブラックっていう言葉がアメリカにあるんですよね。
でですね、こういうことってすごい、
本当になんでしょうね、
社会一般でもそうだし、
エンタメの世界とかでもそうですしね、
例えばアメリカ繋がりで、
ハリウッドだとね、
ハリウッド映画って1960年くらいにね、
ものすごい行き詰まりを見せて、
もう全然若者見に来ないしね、
作ってるのもおじいちゃんばっかりだしね、
これはもうダメだみたいなね、
全然新しいもの生まれねえと思ってたら、
そしたらですね、その時のこの、
全然映画の撮り方とかも知らない若者がですね、
突然こう、
俺らはこういうのやりたいんだよねって言って、
急にこう、
イージーライダーとか作ってですね、
映画的な技術とか技法としてはめちゃくちゃ、
でですね、
ハリウッドの技術者が見たら怒るみたいな撮り方ばっかりしてるんだけど、
それがですね、
ものすごい人気になるみたいなね、
で、
それでこうまた、
アメリカニューシネマみたいなのが生まれて、
そこでブレイクするか起こるみたいな、
そしたらそれをですね、
今度映画会社があれ売れてんだって真似してですね、
合理化されて、
組織化されて発展していく、
けど、
やはりまた、
後続化っていうのがして、
どうしようってなったらですね、
俺こういうのやりたいんだよねって、
突然周辺からまたそれやりたい奴が現れてですね、
おーすごい、
こんなやり方があったとかって、
繰り返しなんですよね。
というような話をしていたら10分経ちました。
ということでまた明日お話しします。
よろしくお願いします。