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はい、というわけで技能の続きです。
ブッダは神秘性というのが全くないですね、すごい合理的な哲学として仏教というのを作ってですね、
その後、とはいえやっぱり難しい部分があるので、実践するのが難しい部分があるので、
それをですね、一般の人がどういう風に悟りを開いていけるのかという中で、
一般の人にもですね、開けるようなものとして大乗仏教というのが生まれたんですけど、
その大乗仏教というのは、完全に自分だけを、ブッダみたいにですね、自分だけを頼りに悟りに至るのだというですね、
修行をするような時間とかを取れない人たちなので、
ある神秘的な存在というのをですね、設定して悟りに至れるという形にですね、変わっていったと。
そのですね、もっとも割と結構究極的な形というのがやっぱり神覧が作った浄土神宗なんじゃないかなという風な話をしていました。
結構ですね、なんでブッダと神覧というのが結構比べると僕の中では対照的で面白いなという風には思っているんですけど、
そうですね、ブッダは出家している人たちをですね、共同生活するためのグループというのを作ったんですよね。
サンガというんですけど、それすごくうまくできているシステムなんですけど、
サンガというのでコミュニティを作ってですね、共同生活して、
卓発して日々の糧を得るみたいな、修行して卓発して日々の糧を得て暮らしていくというのがですね、
サンガというグループを作ったんですよね。
なんですけど、そのグループがですね、男女を分けるんですよね。
男の出家者、女の出家者というのはですね、別々のサンガにすると。
これはですね、やっぱり煩悩を消していく中でですね、女性がすぐ近くにいるというのはやっぱり結構やばいわけですよね。
煩悩が芽生えちゃうので、煩悩を芽生えないようにするために男女を分けていると。
そんな感じでですね、なるべく悟りを得られるような工夫というのがサンガはされているわけですよね。
特にやっぱり女性に、男の方からしたら女性というのは、女からしても男というのはあると思うんですけど、
に対してですね、というのはやっぱり気をかなり使っていてですね、
サンガの運営方法というのはですね、その後ずーっと温存されて、
今も東南アジアのお坊さんたちはですね、ほとんどブッダが作ったサンガというですね、
共同体の運営方式に則って生活しているんですよね。
だから今も東南アジアのお坊さんはですね、女性に絶対に触れないんですよね。
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その卓発する時もですね、地面に食べ物を置いてもらって、それから手に取るとかですね。
飛行機に乗る時もですね、飛行機会社の方もわかってるんで、
お坊さんが乗る時は必ずお坊さんを席固めるらしいんですよね、女性が隣にならないように。
それぐらいですね、煩悩を消すという、ブッダ的な考え方で煩悩を消すというですね、
生活の中で性欲というのはすごく大きな問題なんですよね。
このブッダの考える考え方ってですね、
割と前話してたガンディにかなり近いものがあるんですけど、
ガンディもですね、最後の最後まで割と性欲の問題にですね、悩まされるというか、
最後ですね、イスラム指導者をですね、なんとかインドが分離しそうだと。
インドとパキスタンかな。
ヒンズー教の国とイスラム教の国にですね、分かれちゃいそうだと。
ガンディはそれは良くないと。
そんな宗教の壁を越えてくっつかないとダメだよ。
インド一つインドにならないとと言ってですね。
で、そのイスラム教の指導者に説得に行くんですけど、
ガンディはですね、そのすごい人通力のようなですね、人間力でこう、
誰でも説得できてきたんですけど、
その時そのイスラム教の指導者は説得できなかったんですよね。
あまりにも利害が強すぎて。
ガンディはそこで、
これがガンディの面白い独特なところなんですけど、
説得できなかったのは自分の修行が足りないからだと思ったんです。
自分がまだ人間として未熟だからだと思ってですね。
で、ヨガを始めるんですよね。
これがまあすごい面白いところですよね。
その指導者は説得できないからヨガを始めるんですけど、
そのヨガの行の中の一つにですね、
女性と裸でベッドインするんだけど、
何にも触らないし何の反応も犯さないっていうそのヨガの行があってですね、
ガンディはですね、それをやるんですよね。
それをやってもう一段自分を高めてから、
指導者と話し合いに行こうってするんですけど、
よりもよってですね、その相手をですね、
自分の孫娘を選ぶんですよね。
当時19歳かなんかの孫娘をですね、
というわけでちょっとヨガの修行をするから、
おじいちゃんとね、裸になってベッドに入ろうと言ってですね、
その修行をやるんですけど、
周囲はですね、どんびきするんですよね。
まあ当たり前なんですけど。
ちょっとですね、ガンディのですね、晩年のその吸引力が落ちていく、
吸心力が落ちてくるその一員にもなったんですけど、
そんな感じでですね、
やっぱり煩悩の問題の中で、
やっぱり性欲の問題ってやっぱり大きいと。
それはシンラムはもうそうでですね、
シンラムはやっぱり比叡山で修行しながら、
自分の性欲っていうのはなかなか消せないというのでですね、
もうすごい悩んでですね、
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六角堂というところに100日間こもるのかな、
100日間こもってなんか瞑想するんですけど、
その時にですね、最終的にその、
まあ幻聴のようなですね、
阿弥陀様の言葉っていうのを聞くんですよね。
この言葉の内容はですね、
もうめちゃくちゃすごいなと思ったんですけど、
信頼のとお前はたぶん将来女犯することもあるだろうと、
女性とね、性行為することがあるだろうと、
でも気にするなと、
その時その相手の女っていうのは、
女性っていうのはこの私の身代わりだから、
私だからと言ってですね、
そういう言葉を聞いてですね、
信頼がハッってなって、
そっか、じゃあいいかってなるんですよね。
これが本当にすごいなと思うんですけど、
本当ね、自分がですね、我慢できなくなって、
女性と性行為に及んだ時の相手は、
阿弥陀様がちゃんと身代わりになっているから、
気にすんなよ、信頼っていうですね、
幻覚を見るわけですよね。
信頼の自他に究極的に優しいわけですけど、
見る幻覚まで自分にめちゃくちゃ優しいんですよね。
それがすごい面白いところなんですけど、
その辺もですね、
すごい仏陀と対極的ですよね、
同じ仏教なんですけど、
ついでにですね、
これまで話してきた仏陀の考え方とですね、
信頼の考え方がいかにかけ離れているかっていう話なんですけど、
前話の単二章にですね、
僕の好きなエピソードがありまして、
信頼の弟子の悠焉がですね、
突然信頼にですね、
あなたは私の言うことを全部信じる?信じますか?って聞かれてですね、
それはもうもちろんですって答えたらですね、
よし、それだったら、
しかもですね、なんかすごい念をしてきたらしいんですよね。
本当に私の言うことに背かない?って聞いてですね、
それはもうもちろんもちろんって言ったですね。
よし、わかったと。
じゃあ今から千人殺してこいと。
そしたら浄土に行けると。
王城できますよって信頼が言うんですよね。
で、悠焉が何?ってなって、
すいません、ちょっと信頼さんの恩恵ではあるんですが、
ちょっと私は一人も殺せそうにありませんって答えたらですね、
信頼が、
じゃあ何だよ、言うことに背かないって言ったんですか?って言ってですね、
悠焉がうってなってたら、
これでわかると思うんだけど、
全てのね、
事が自分の思うままになるというのだったら、
本当だったら浄土王城できるんだったら、
千人殺せって言われたんだから、
それは直ちにすべきだと。
なんだけど、
お前は一人も殺せるようなですね、
一人を殺すということもちょっと難しいような、
業を背負ってないから殺せないんだと。
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あと、勘違いするなよと。
それはお前が優しくて善良だからじゃないんだと。
だから優しくて善良だから人を殺せないんじゃなくて、
ただただその業を背負ってないだけなんだと。
で、逆に言うと、
殺さないとこ殺さないとこと思ってても、
百人を殺るか千人を殺してしまうこともあるんだぞ、
って言ったっていう話があってですね。
悠焉がですね、そのことを思い出してですね、
そのふうに新蘭さんおっしゃったんですけど、
良い存在だったら助かると思ってですね、
悪い存在だったら助からないと思うっていうような、
自分の善悪の基準に固執するっていうようなことじゃなくて、
もっともっとそういうのを超えたところの、
救いっていうのがあるんだっていうことを教えてくださったんだなと言ってですね、
単日書の中で言ってんじゃねえか。
これももうチレッキレのエピソードだなと思うんですけど、
これもですね、ブッダの自分だけを信じる、
まだまだ修行できる、足りないみたいな感じとですね、
もうこの新蘭のですね、
自分でどこへ行くなんて無理だと、
殺そうと思っても殺せないし、
殺さないでおこうと思っても殺すこともあるんだと、
これはもう全部身を任せようみたいな、
全部は皆様任せようみたいなですね、
もうこの神秘全部任せとですね、
もう自分しか頼りがないんだっていう、
もうこの極端な対局的な考え方なんですよね。
これって自由意志の有無みたいな話でもあってですね、
カトリックとプロテスタントにもやっぱ近いなっていうふうにも思うわけですけど、
なんかですね、どっちも魅力的ですよね。
っていう話をしてたらまた10分経ったんで、
また続きは明日話したいと思います。
よろしくお願いします。