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はい、というわけで始まりました。本日はですね、ブッダに関する本を2冊読みまして、その内容についてちょっと話したいと思うんですけど、
はっきり言ってですね、こうやってですね、読んだ本の内容とかですね、それで思ったことっていうのを人に話すとですね、記憶が定着するんで、
こうやって本を読んでですね、いろいろ思ったこととか、そこに書いてあったことをまとめるためにですね、以前だったら人を誰か捕まえてですね、
最近こんな本を読んだんだけどとかそんな話をしてたんですけど、今はですね、このラジオがあるんで、このラジオで話すことでですね、記憶として定着させようというですね、
試みというか、いつもそんな感じなんですけど、ですと。特に今日はですね、もう本当に書いてあった内容をですね、ただちゃんと覚えたいなというモチベーションでやるのでですね、
あんまり自分の感想もそんなんねえんじゃねえかという感じで、かなりダラダラした話になりそうだなと、かつ長くなりそうと思ってるんですけど、とりあえず一通り話してみようと思います。
まずですね、なんでブッダの本読みたいかと思ったかというと、最近ずっと仏教に興味があって、仏教関連の本読んでたんですけど、特に最近ですね、またちょっとその熱が上がってたんですけど、
それはなんでかというと、最近ですね、自分の悪癖みたいなことにですね、ちょっと気が付くというか、ちょっとそこに嫌気がさしてきたところがありまして、
何かというとですね、一緒に仕事してる人のミスを許せないっていう部分があるんですよね。
何かですね、一緒に仕事していて、事務っぽいことを任せてる人がですね、すごい仕事がちょっと雑だったりとかですね、
何かそんなミスするっていうようなミスをしたりとかするとですね、ものすごくイライラしてしまうんですよね。
でですね、あと他にもですね、これは以前から自分にあったマーク壁なんですけど、
何でしょうね、何かこう、自分がですね、例えばこれだっていうものを見つけたら、
例えば音楽とかでもいいですし、何でもいいんですけど、例えば映画とかでもいいですし、
何かですね、これ、これはすごいいい、これだっていうのをですね、見つけたらですね、
自分の中で序列をつけてですね、そうじゃないものを見下すっていうですね、悪癖があるなっていうことをですね、
ちょっと前から自覚をしていてですね。
で、今僕41なんですけど、そうなってくるとですね、そういう悪癖が積み重なってくると、色眼鏡が分厚くなってくるんですよね。
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でですね、この色、この分厚い色眼鏡を外したいっていうのをですね、すごく思っててですね、
そこには自分のですね、何か、これは、あの、これはいいな、これはその、えっと何ていうか、
例えばですね、褒められた趣味だぞ、みたいな気持ちですね。
あの、あるものがいいという風に決めると。
そしたらそこにですね、じゃあこれは安心して乗っかっていいものだ。
そして安心してですね、えっと、誰が見てもいい、自分もいいと感じるっていうものの上に安心して乗っかって、
その見地からですね、それ以外のものを見下すみたいなですね。
そういう部分が自分の中に何かある感じがしててですね。
で、そういうものの見方がですね、自分のその色眼鏡にも繋がっていってるというのがあってですね、
そんな感じでこう、一緒に仕事してる人のミスにイライラして、自分が苦しいということとですね、
変なですね、何かこう、何ていうんですかね、そういう色眼鏡っていうのをどんどん分厚くしていってですね、
で、良くないっていうのがあってですね、
そんなことを思っていたら多分ですね、なんかいろいろ、宗教関連のほうとか面白くて読んでたらですね、
やっぱ仏教はですね、なんかそういうものをですね、なんかうまくこう、
デトックスしてくれるような考え方だなというふうには思ってたので、
まあ、えー、その仏教のほうとかも結構興味あったんですけど、
ほんと最近ですね、もうほんと一緒に仕事してる人のミスが続いてですね、
もうすごいイライラっていうのがあったんで、
あ、もっと、何だろう、ちゃんと、あの、勉強しようと思ってですね。
で、仏陀のほうに2冊借りてきて読んだんですよね。
まあ、簡単な解説書みたいなやつなんですけど、
えーと、一つはですね、
ダンマパダっていうですね、真理の言葉っていう意味なんですけど、
これはまあ、仏陀の原稿録で、と。
で、もう一つはですね、
ネハンギョウというやつで、
これはまあ、仏陀が死ぬまでのですね、
まあ、ちょっとどういう戦いがあったかというとですね、
死ぬ前後、前後って語はないですけどね、
死ぬ前どういうことを言ってたかみたいなことの、
まあ、言葉を残しているこれはもう、まあ、原稿録ですね。
まあ、お経ってね、基本的にはその仏陀の言葉ってことになってるんで、
まあ、両方お経なんですけど、
まあ、その、えー、原稿録であると。
でですね、あの、あ、そうそうだ。
あの、一つですね、そんな感じで僕その、
なんでこんな人のミス許せないのかなと思った時にですね、
なんか試してがってんの映像を見てですね、
試してがってんで、その、えー、
なんかお坊さんにですね、なんかドッキリを仕掛けて、
あの、アイスコーヒー頼んでるのに、なんか、
間違ってですね、店員さんが何度も違うものを持ってきたりとかですね、
ちょっと無礼な態度を取る、
お坊さんはどういうリアクションをするのかみたいな、
ドッキリを仕掛けるみたいなのがあったんですけど、
ずーっと穏やかな感じでですね、
あ、アイスコーヒー頼んだな、アイスコーヒーです、
アイスコーヒー持ってきてもらえますか?みたいなことですね、
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ずっと言っててですね、
で、なんかスタッフがですね、5回、6回繰り返したところで、
ま、出てきてですね、
あの、いや、すごかったですね、
なんか全然怒らずにね、
あの、ほんとドッキリかけてすみませんでしたみたいな感じで、
あの、ちなみに、全然このアイスコーヒー持ってこない、
買ったことについてどう思ってるんですか?って聞いたらですね、
あー、あの、
次は持ってきてくれるといいなーと祈っていました、
って言っててですね、
これはすごい良いですね、
って言っててですね、
これはすごい意気に達してる人間だなと思ったんですよね、
その、人のですね、
ミスにイライラしているっていう自分と比べてですね、
あー、こういう意気に達したいものよ、とか思ってですね、
で、まあ、そんな感じで、
あの、本読み始めたんですけど、
そのですね、ダンマパダっていう方ですね、
ぱっぺらって最初めくったですね、
もうまさにそっくりその、
それそのものみたいなことが書いてあってですね、
他人がしたこと、しなかったことに目を向けるな、
自分がしたこと、しなかったことに目を向けろ、
って書いてあって、
いや、その通りだな、みたいな、
そうですね、もう僕がその、
ある事務作業をお願いしていた人っていうのに、
が、まあ、起こしたミスっていうのはですね、
それがまあ、あの、
その人がそのミスを犯すという事態をですね、
やっぱ自分が何かをしていなかったことで招いているんだよな、
もしくはしたことで招いているんだよな、と、
少なくとも考えた方が楽だ、なんですよね、
なんか他人に期待してですね、
あの、そうやって、
あの、なんて当然のようにしてくれないんだ、
これぐらいのこと当然だろうっていう風に思ってですね、
イライラするよりは、
まあですね、あの、
自分の、自分の、
まあ、あの、
したこと、しなかったことって何だったのかな、
この事態が起こったけど、って考えた方が、
イライラしないってことに気がついて、
あ、もうそれでですね、すぐにこう、ちょっと、
その、仕事の対応でもですね、
あ、そっかそっか、じゃあこの辺からまずちゃんと説明をしておこう、
みたいな感じになれてですね、
これはやっぱり、ちょっとこの仏教にヒントがあるんだわと思ったのは、
まあ、穴勝ち間違ってなかったのかな、
って思ったんですけど、
でですね、えっと、まあまずそこでですね、
これはなかなかクリティカルなの来そうだぞ、と思って、
まあ、読み始めたわけですよね、
でですね、まあなんか、
その、まあダンマパダっていう方の話なんですけど、
まあここからですね、かなりほんの普通に内容の解説って感じなんですけど、
まあですね、まあ、
まあまずその、
ブッダの言ってること、
ブッダが言った一番最初の仏教ですよね、
はですね、もう本当に宗教的要素が、
もうほぼないんですよね、
唯一その時のその、何て言うんですかね、
常識としてあったですね、
リンネっていう考え方だけはあるんですけど、
そこだけちょっと宗教性があるんですけど、
そのリンネ以外はですね、
ほとんどこの神秘的な要素とかですね、
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神とかですね、全く出るもんないんですよね、
もう単純にですね、
ああ生きるの苦しいなと、
死ぬのが怖いなと思っていたですね、
まあちょっとその王族のその皇太子である釈迦がですね、
まあ出家して、
修行してね、
そしてね、頑張って一人でたどり着いた、
ただの哲学なんですよね、
でですね、まあそれがですね、
まあそんな感じで神秘的なものを全く想定してないんで、
まあめちゃくちゃロジカルなんですよね、
ひたすら考え抜いてですね、ロジカルでですね、
かつ、何て言うんですかね、
まあその、
ブッダってその前もその仏教の話した時に、
方便っていう考え方があって、
人に伝わりやすく話すっていうことをですね、
その人に響くように話すっていうことをめちゃくちゃ重視しているので、
まあわかりやすいんですよね、
で、すごいロジカルでですね、
何について例えば4つの決まりがあるとか、
6つの何々があるみたいな感じですね、
必ずなんか数とかも決まってたりとかしてですね、
まあその辺もわかりやすいんですけど、
でですね、まあその仏教、
そのブッダの言っている仏教のまあ一番ですね、
まあ根本のところのスタート地点なんですけど、
まあ生きるのが苦しいと、
死ぬのが怖いと、
まあ病気とかも怖いよと、
で、その時にですね、
まあどうすればいいんだと、
まあ当時の、
あの、
何て言うんですかね、
インド哲学から来た流れの常識で言うと、
まあ肉体をですね、
まあ痛めつけることで、
まあちょっとね、
これも突っ込むと話長くなっちゃうのであれなんですけど、
その、
ボンガイジニョっていうですね、
その、
えーと、世界とね、
自分が一体となった状態にですね、
自分を持っていくのだ、
みたいなですね、
まあそういう考え方はあったんですけど、
まあ最初はですね、
そういう考え方に、
まあ基づいて、
自分の肉体を痛めつけてたんですけど、
まあ違うなと、
これはもう、
あの、
心が世界を作り出しているんだから、
心を変えるしかないんだと、
で、
じゃあ心をどうやって変えればいいのだ、
っていうことをですね、
に、
まあ辿り着いてですね、
まあそこがまあスタート地点なわけですよね、
ということで、
えー、
全然話してないのにもう10分経っちゃったんで、
ですが、
えー、続きはまた明日になります。
よろしくお願いします。