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2021-09-28 13:08

今日の10分de1テーマ「ブッダの教えの超ざっくり解説」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

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はい、というわけで、昨日の続きです。
ちょっと仏教、仏陀のことを調べてますと。
2つの本を読みました、という話でですね。
仏陀がですね、これはもう心が世界を作り出しているから、心を変えるしかないと。
心の変え方はこういう変え方だよ、ということですね。
まあまあ、その長い修行の中でですね、答えが出たんで。
それのことをついて、弟子に話していると。
その言葉をまとめたですね、そのお経というのがあって、
そのお経の内容をまとめた本というのを読みました、という話なんですけど。
まずその4つの心理があると言っているんですよね。
その4つの心理は何か。
まあ、こんな感じですね。
四十何か、4つの心理、6つの内容とかですね。
なんかすごいわかりやすく、ポンポンポンとマニュメイストみたいなのを並べるんですけど。
4つの心理、1つ目はですね、
生きることは苦である、ですね。
苦しいと、生きることというのは苦しい、本質的に苦しいですね。
2番目、苦の原因は煩悩である。
ふむふむと、煩悩があるから苦しいのかと。
3番目、煩悩を消せば苦は消える。
なるほど、その原因の煩悩を消せば苦は消えるのねと。
4番目、煩悩をなくし悟りを得るために消す。
8つの方法がある、なんですよね。
この時点ですね、数学みたいですよね。
まず生きることは苦であるという定理をですね、バシンと決めてですね。
定理から演劇的にですね、ポンポンポンと話を進めていってですね。
最終的にですね、煩悩をなくしですね、苦しみをなくして悟りを得るためにはですね、
8つの方法があるって言って、また次、8個のアプローチを提示するわけですよね。
でも8つの方法というのはですね、発祥道かな、
そんな風に8つの正しい道みたいな感じで書くんですけど、
正しい物の見方とか、正しい努力とか、正しい考え、
正しい言葉とかですね、みたいな感じで正しい何々みたいなことが8つあるんですよね。
そんな感じでですね、とりあえずこの4つの真理からスタートしてるわけですけど、
まずね、よく言われるのが仏教のね、すべて生きることは苦であるとかっていう仏教とかブッダですね。
ブッダのその考え方はですね、結構ネガティブ、笑みたいな感じのリアクションってすごい多いんですけど、
これはですね、ただ僕、なんていうんですかね、なんとなく僕的にもしっくりは来るんですよね。
別に普段ですね、苦しい苦しいって生きてるわけじゃないんですけど、
ただですね、本質的には苦しいんだけど、楽しい時にそのことを忘れてるっていう感覚なんですよね、僕の中では。
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でですね、辛いことが起こるとですね、思い出すって感じなんですよね。
あぁそうだよなぁ、こんな感じだよなぁ、みたいな感じですね。
なんか思い出すみたいな感じで、なのでですね、
生きることは本質的に苦であるということで、僕的には結構スッと入るんですよね。
でですね、それで苦の原因は煩悩である、これも間違いないですよね。
前にね、ガンディの話してるときに、執着は全部の原因だと言ってるのとほとんど一緒のことなんですけど、
やっぱり苦しい原因はやっぱり煩悩とか執着にあると。
で、それはですね、たとえばお金が欲しいって言ってたら、お金を失ったら悲しいわけですし、
憎しんとの私別とかもですね、悲しいわけですよね。
で、苦しいわけですけど、こんな感じですね。
愛情っていうのも一種の執着ですよね。
なのでですね、当然欲しいとかですね、あとは当然自分のものとしてあるみたいなものがですね、
失われたりとかした時に苦しさを感じる、手に入らない時に苦しさを感じると。
でですね、その目線で言うと愛情っていうものも執着、良くない、煩悩だっていう風にブッダとか言うわけですけど、
これとかもですね、なんか面白いですよね。
西洋的にはですね、西洋哲学とか西洋的価値観で言ったらですね、愛って言ったらもうですね、一番良いものじゃないですか。
なんですけど、西洋的に褒められるようなものもですね、良くないっていうのがですね、結構ですね、基本的にそうなんですよね。
ほとんど、後でまたその話になりますけど、西洋的な価値観とか、もしくは現代の僕らの価値観で言うとですね、
これ何も考えなかったら良いものじゃないのっていうものをですね、結構ですね、それ良くないって言うんですよね。
でですね、そんな感じですね。
生きることは苦。苦の原因は煩悩。煩悩を消せば苦は消える。
これはもうね、1、2が正しければ3はそれはそうだよって話ですね。
4番目のですね、じゃあその煩悩ってどう消せるの?8つの方法があるって言ってたけどと。
その正しいですね、ものの見方とかですね、努力とか考えとか言葉っていうのはどんなものなの?っていう話に入っていくんですけど、
こんな感じですね、終始ロジカルですよね。
まるで予備校の授業のようにですね、話がポンポンポンポン、ロジカルに進んでいくんですけど。
それぞれですね、細かいことはいろいろあるんですけど、基本的にはですね、3つの骨格みたいなものをですね、
3要素っていうのをですね、ちゃんと理解してですね、そういうものの見方ができれば絶対的な平安であるですね、
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涅槃に至れるって言ってるんですよね、悟りを開けるって言っててですね、
またここで、はい、それは3つありますみたいな感じですね。
もうなんか本当に寝られた授業みたいな感じなんですけど。
その1つ目はですね、さっきと被るんですけど、一切皆苦、全てのものは苦しい身である、ですね。
でですね、2つ目がですね、諸行無常、これはね、もう皆さんご存知の通りっていう感じなんですけど、
全てのものが移ろっていく、永遠不変のものはないっていう考え方なんですけど、
これですね、なんかこう、なるほど、面白い例えだなと思ったのがですね、その本に書いてあったんですが、
物事っていうのはですね、一瞬一瞬常に滅んでいっていると、
人間もですね、一瞬一瞬、その瞬間瞬間で失神でいっていると、
この例えばですね、机の上に鉛筆が置いてあると、
でですね、その鉛筆はもう、そこに置いてあったらですね、
誰かが触ったりとかですね、地震でも起きない限りですね、
ずっとその場所に存在し続けるわけでですね、
まるでそれを見てですね、ずっとこれあるのかなみたいな気持ちがしてくるわけですけど、
でもですね、1000年経ったら、1000年後じゃあ同じようにその鉛筆はそこにあるかっていったらですね、
多分木製のものだし、朽ちて、バラバラになってたりすると思うんですよね。
でですね、じゃあいつそれは朽ちたのかって言われたらですね、
決定的なタイミングはないわけですよね。
やっぱりですね、ずっとどの瞬間も絶えず朽ちていっているんですよね。
で、その積み重ねとして1000年後にですね、バラバラになっているだけなんでですね、
そんな感じで、もう本当に常なるものはなくてですね、
全てのものは移ろっていっていると。
それは全てのものは滅んでいっていると。
でですね、3つ目がですね、処方無我って言うんですけど、
これはですね、私というものはどこにも存在しないんですよね。
全てのものは関係性からできていて、私というものはどこにもないのだっていう感じですね。
これちょっと分かりづらいんですけど、
特にね、その関係性からできているから、私というものがない。
どういうこと?みたいな感じで分かりづらいんですが、
これはその車輪の例え話を出しているんですけど、
車輪っていうのはですね、
あのね、その義車とかについているような車輪ですよね。
ここをパッと出されたら、車輪ありますねってあるように思うんですけど、
実際はですね、木とかを切ってですね、組み合わせた木片の要素がですね、
その形に組み合わされていることで、
人間がですね、車輪というものがあるように思っているというだけでですね、
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その車輪を構成している要素を全部バラバラにしたらですね、
木材にして並べたらですね、それはもう車輪じゃないと。
そんな感じですね。
車輪というものは、車輪の形を作っている要素の集合体にすぎなくてですね、
それはこの順番、この形で組み合わさっているという関係性の中で、
車輪というものがたまたまそこにあるように見えるというだけなんだという考え方なんですよね。
それをですね、人間とか自分というものに重ね合わせると、
人間というものはですね、例えば細胞とかのレベルで考えても、
無数の別々の要素の集合体がですね、何かそれぞれ関連し合ってくっついているものでですね、
その中に自分という意識みたいなものがですね、あるように思うわけですけど、
自分という意識もですね、周囲のものと知らず知らず影響を与えられているわけですよね。
例えば誰かとの親子関係とかですね、
それこそ家にあるものとかでもそうですし、
家に飼っている動物とかでも何でもいいんですけど、
周囲のものとですね、関係性において自分というものがですね、
要素の中から、要素の関係性の中でたまたまあるように見えるだけでですね、
それがですね、括弧としてあるというふうに思い込んでいるのは間違いなんだと。
私というものはどこにもないよっていう、これも覚えて帰ってねみたいな感じなんですよね。
でですね、この3つをしっかりともう体得してですね、覚えて帰って体得していれば、
寝飯に至れると。
煩悩がなくなってですね、煩悩の持ちようがないよと。
全てのものはもう移ろっていっている。
ってことはですね、なんかこうね、
これはもうこの家は絶対俺のもんだとかですね、
金が欲しいとかですね、言ってもですね、
そんなものがですね、全てのものは移ろって言っているので、
家手に入れたと言ってもですね、どんどん滅んでいくわけですね。
永遠不変のものなんてないと。
だったらですね、執着というのは薄れるはずですよね。
でですね、何でしょうね、例えば自分が楽しい、人生楽しいよという気持ちもですね、
執着、例えばですけど、勝ちたいという気持ちがあってですね、
それで誰かを打ち負かして勝ちました。
よっしゃあ、楽しいなあ、だとですね、
結局その楽しいという気持ちは執着から生まれているんですよね。
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なんですね、でもその執着というのは苦しみの原因なので、
楽しい、人生が楽しいと思っていると、それは間違っていると。
もう苦しんだよっていうことをですね、もう覚えて帰ってねと。
で、自分というものはもうないんだと。
で、なんかね、俺が俺がって思ってたらですね、
まあやっぱりそれはそこから執着が生まれて、苦しみに繋がっていくと。
いや、そんなもんないと。
ただただ小要素というのはですね、組み合わさって人間みたいなのができていたりとかですね、
周囲のものとか人との関係の中で自分というものができているだけでですね、
かっことある自分なんてものは存在せんのだと。
いうふうなことをですね、もう本当に奥から理解すれば、
執着は消えて、苦しみはなくなって、二派に至れると。
まあそういうようなことが基本的な考え方なんですよね。
ということですね、もう本当その解説していたらまた10分は過ぎたんで、
続きはまた明日話します。よろしくお願いします。
ご視聴ありがとうございました。
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