00:05
はい、というわけで始まりました。
本日はですね、私は2回目のワクチン接種をしてきまして、
えーとですね、まあ、副反応とかね、今んとかなくて過ごせてるんですけども、
その話をですね、ある人にしたらですね、
そしたらまあちょっと、反ワクチン反マスクのですね、ちょっと話題になりまして、
ちょっとこれいろいろ思ったことがあったので、その話をしたいと思います。
でですね、まあその方はですね、その友達がなんかすごい反ワクチン反マスク派になってですね、
すごいそれをこう言ってくると。
それでもう、げんなりして困ってるんですみたいな話をですね、しててですね、
まあなるほどーって、まあそういうことありますよねーって話をしてたんですよね。
まあすごい一生懸命言ってくると。
でですね、それで困ったなーって話をしてたんですけども、
えーと、それでその方と話をしててですね、
あの、日本ではまあよくね、昔からこの政治、宗教、スポーツの話はするなということが言われてきたと。
つまりですね、そういうこう、あのー、まあ日本ってね、基本的に日本人の民族がほとんどじゃないですか、
だからですね、あんまり違いがないっていうことがやっぱ前提にあってですね、
そんな中で違いがこうすごく際立つ話題として政治、宗教、スポーツがあると。
でですね、そこはですね、まああんまり話題にするとこうね、あのぶつかっちゃったりするから、
えーそれは話題にせずに、まあ同じであるよねっていうことをですね、
まあ、あのー、前提で話していこうねみたいな感じですね。
人と人の違いをですね、について話すことからですね、ちょっと避けてるというか逃げてるというか、
いなしてきたわけですよね。
でですね、まあ海外とかですね、アメリカとかだったらですね、
まあ宗教が違うとかですね、人種が違うというのはもうはっきりあるわけですよね。
学校に入ったらもうそういう全然違うルーツの人がたくさんいたりするわけですよね。
なんでですね、まあそういういなすことというのはまあ難しくてですね、
やっぱりその違いについてまあ前提としてですね、
まあその違いをこう話してまあ乗り越えたりとかするというか、
まあそれについて話してきたというスキルがあるんちゃうかと。
で日本人はそれがなくてですね、
えー今までそういうことを話し合ってこなかったツケを払ってるんじゃないか、今という話をしてたんですよね。
でその話は面白いなと思いまして、
でですね、僕はですね、まあちょっとその話聞いて思い出したのがですね、
ある中国人の方が言ってたんですけど、
日本語の会話は面白いと。
全員で一つの会話を作り上げているって言ってたんですよね。
例えばですけど、誰かを誘ってですね、
まあご飯に行くという場面があったとして、
日本人ってですね、まあこういう時に、
お腹空かない?
あー空いてるね。
ご飯どうかなーつって、
あーいいねいいねご飯にねつって、
なんかスパゲッティって気分なんだよね。
あーそうだね。
じゃああのイタリア料理屋行く?
あーいいねみたいな感じで飯行ったりするじゃないですか。
で中国人はそんな会話の仕方をしてないと。
腹減ったからあそこ行きたいんだけどどう?
03:01
いや俺あっちが食いたいかなみたいな感じですね。
まあもっとパキッとしてるわけですよね。
でその感じですね、結構その日本語の会話って主語もないし、
まあ何をするかっていうのもですね、
まあ最後に動詞が最後に来るんで後回しにできたりとかしてですね、
ちょっと割とふわっとした会話に向いてるんですよね。
こうふわっとした会話をしながらですね、
なんかこう全員でですね、会話を作り上げて一つの形にしていくと。
で空気を探りつつですね、
一つにしていくっていうことができる言語でもあるし、
そういうスキルも持ってるし、
まあそういう会話をまあみんなしているって言っててですね、
まあなるほどなとそれはおもろいなと思ったんですよね。
まあそういうとこ一つとってもですね、
やっぱこう日本人特有なのかなとも思うんですけど、
やっぱこう人と人との違いっていうのをですね、
素情にあげて、
えっとそれについて話すっていうのをですね、
まあ避けるっていうやっぱ傾向はあるのかなと思っていて、
でこうやってまあそういうことを避けつつ、
みんなで同じものを作り上げていくっていうことをまあ、
結構やっぱしてきたんだと思うんですよね。
でそれはですね、別にこう中国が良くて日本が悪いとかですね、
その逆ってことでもなくですね、
まあよしよしあるよねって話なんですけど、
まあ今はですね、そういう危機的状況に際してですね、
どうしてもですね、その違いについてですね、
えっと触れなきゃいけないと、
いなすことができない状況になってですね、
えっとみんながですね、
違う主張をしてですね、
するのでですね、
まあやっぱそれに慣れていないからかですね、
なんかまあめちゃくちゃこう、
わーってなんか言っちゃったりとか、
それを聞いてゲンなりとか、
人って違うんだーみたいな感じでゲンなりしちゃったりとかしてですね、
まあそういうの慣れてないよねっていう話なんですけど、
まあですね、まあもちろんですね、
人がどういう主張をするかというのはもちろん自由でですね、
えっとお前こういう主張にしろよって言ってですね、
強制するってことはまあやっちゃいけないことだと思うんですよね、
実際ですね、ワクチンとかはやっぱり危険性ゼロかつったらあるわけで、
不可反応もありますし、
その結果死ぬっていう可能性も、
まあ亡きにしもあらずなわけですよね、
100万人に1人とか、
それぐらいの確率で死ぬっていうデータもあるんですよね、
でですね、じゃあマスクしてたらですね、
やっぱ熱の放出がですね、
よくなくてですね、
日射病とかで死ぬことっていうのもまあ考えられますよね、
だからですね、まあそういうとこ、
そういうことをですね、
まあ総合的に見てですね、
みんなこう自由に選択してですね、
それでどういう主義主張とですね、
あのーをするかというのはですね、
もちろん自由で、
それをまあ犯しちゃいけないと思うわけですけど、
まあですね、やっぱネガワクパですね、
あのー、
こう一生懸命になって、
こちらも説得しないので、
えっと、できれば説得もしないでほしいな、
というのは思うわけですよね、
でですね、
あのー、そうやってですね、
まあお互い、まあ違うよねと、
違うことはまあしょうがないよと、
まあそれはお互い我慢していきましょうっていうのがですね、
まあ、
多様性ってことなのかなというふうには思うわけですけど、
でですね、
結構これをですね、
こう攻め合うことになるとですね、
06:00
どういうことになるかというと、
まあお互いをですね、
思考停止だ、科学的態度じゃない、
と言って結構両方を責めるんですよね、
で、これはですね、
すごく科学的じゃないものの主張をしているように見える人でもですね、
思考をですね、停止せずにですね、
科学的態度を取ってるというふうに結構主張するんですよね、
例えばなんですけど、
フラットアーサーズっていうですね、
人たちが今すごい増えていってるんですけど、
何かというとですね、
地球平面説って言って、
これ実は球体じゃなくてですね、
平面だって主張する人がですね、
すごい増えていってるんですよね、
インターネットの影響で、
陰謀論とかいろいろ流れる影響でですね、
どんどんどんどん増えていっててですね、
で、その人たちをですね、
なんとかですね、
地球は丸い玉だということをですね、
説得しようというような映画を見たことがあるんですけど、
説得しようとするんですけど、
えっと、難しいんですよね、
エビデンスワッってなるんですよ、
そのエビデンスワッって、
こういうのエビデンスあるじゃないかと、
宇宙から見たらほら、丸いじゃんって言ったら、
だからこれはお盆みたいな形してるんじゃないのとか、
あと政府が発表したものをそのまま信じるのか、
みたいな感じですね、
全然こう難しいわけですよね、
でですね、
じゃあ、
まあそれでですね、
向こうは向こうで、
政府が発表したものをですね、
思考停止せずに考え続けてるわけですよ、
すごい調べてたりすると、
でですね、
えっと、
だからそういう思考停止してないわけですよね、
で、
それに対してずっと考え続けていてですね、
そういうところも自分は科学的態度を取ってるっていうことをですね、
誇りに思ってるわけですよね、
だからですね、
地球が丸いんだ、
球なんですよって言ってきたら、
思考停止したりするわっていうような感じなんですよね、
エビデンスワッってなっちゃうんだと、
でですね、
じゃあ結構難しいんですけど、
じゃあエビデンスワッって言ったらいいんですね、
僕の考えでは、
エビデンスなんて結構任意に決められると思ってるんですよね、
じゃあそのエビデンスと言うものって、
じゃあ、
例えばどこからエビデンスなんだと、
なんか専門の教授がですね、
一人こういう、
これは間違いないですって言ったらいいのか、
100人が言ったらいいのかとか、
で、
検証実験ができたからいいのかとか、
で、
でも仮にですね、
こういう実験結果が出ましたと、
で、
僕が同じ実験をしてですね、
違う結果が出たんで、
これ違うんじゃないの?って言ったらですね、
それはお前の実験の仕方が違うよ、
って言われるかもしれないわけですよね、
ということでですね、
なんか、
もう、
万人が見て、
もう間違いなく確かなものだっていうものは、
もう絶対存在しないと思うんですよね、
そういうものはですね、
その人の立場とか、
その人の利益とか、
そういうものによってですね、
任意に決められると思うんですよ、
でね、
そういうことをちょっと考えていたらですね、
なんか、
大乗仏教の話を思い出したんですけど、
09:02
大乗仏教のですね、
大聖したインドのですね、
リュージュっていう人がいるんですけど、
その人はですね、
大乗仏教の僧みたいな人がいてですね、
その人は空の思想ですね、
全ては空、何も存在しないのだっていうですね、
空の思想っていうのを言ってるんですよね、
それはですね、
それまでの仏教というのがですね、
それまでの仏教というよりは、
定座仏教といわれる、
大乗仏教じゃない方ですね、
悟りのためにすごく、
修行とかをする方ですね、
出家したりとかして、
っていう人たちの間で、
割とプラトン的な考え方っていうのがあったらしくてですね、
プラトンのイデア的な考え方があったらしくて、
何かものっていうのには本質があるんだと、
本質っていうものがあって、
必ず存在するんだみたいな考え方をしてたらしいんですよね、
琉磯はそんなもんないと、
そもそも例えば仏像というものがあると、
仏像は仏像あるやんけって言われるんだけど、
いや仏像は、
これは単純に木と、
木が彫られた木の面と、
その木の面に触れているこの空間ですよね、
その空間の関係性しかないって言ってるんですよ、
仏像それは例えば人間から見たら、
わあ仏像だって思えるんですけど、
白有りから見たら普通の木なわけですよね、
その仏像を晒しめているものは何かって言ったらですね、
木と空間の関係性でしかないと、
仏像そのものというものは存在しないんだっていう、
そういう考え方なわけですよね、
それはその空の思想でですね、
それそのものってのはないんだ、
全て関連性でできているみたいな、
っていうような思想なんですけども、
そういうものだと思い出すというか、
エビデンスは、
これは間違いないっていうものをですね、
やろうとするとですね、
それそのものっていうのはつかめなくてですね、
なんですけど、
そういうことですね、
その話を考えていたら、
これなんかちょっと、
全てはない空の思想というのを思い出すなと思ってですね、
この話はまたしたいんですけど、
そんなことを言っていたらですね、
もう10分たったので、
本日はとりあえず以上にしたいと思います。
では続きはまた明日よろしくお願いします。