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2021-09-01 13:45

今日の10分de1テーマ「衆生絶対救うマン・親鸞の『歎異抄』がしびれる件」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。第53回目は「衆生絶対救うマン・親鸞の『歎異抄』がしびれる件」について話してみました。

※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

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はい、というわけで始まりました。本日はですね、原稿録が好きだという話の続きでですね、
原稿録で、僕が好きな本でですね、新蘭の、正確にはですね、新蘭の言葉をですね、
弟子のユイエンが書いたんですけど、の《丹二章》という本の話をしたいと思います。
新蘭というのはですね、僕思想系の本とかですね、図書館で借りることが多くて、
というのは図書館で、そんな思想系の本とかを予約されてくるとあんまないので、
新しい本じゃなかったら図書館で借りて読むんですけど、図書館でですね、思想系の棚とか行くとですね、
東洋思想とかに行くと、一番面積を占めている人物は新蘭なんですよね。
だからですね、もう一番の東洋思想というか、日本の思想界、宗教界の一番のスターなんじゃないかと思うんですけど、
すごい人気者なんですよね。
で、そのなんでそんな人気あるのかという話も、ちょっとしていきたいと思うんですけど、
もともとですね、仏教はですね、仏教と言ってるんですけど、ほとんど宗教じゃなくてですね、
ブッダの言っていることもあんまり宗教性ないですよね。
さらにですね、その大乗仏教を体制させた、前話してたリュージュとかもですね、完全にもう宗教じゃないんですよね。
哲学の話をしてるんですよね。
リュージュの空の思想ってやつですね。
物事には関係性しかなくて、実在とか本質はないのだみたいなね。
それ完全に言ってることって、ギリシャ哲学者とかの言ってるようなことに近いですよね。
内容は違うんですけど、宗教ではないってことですよね。
でですね、さらにこれも前話しましたけど、途中からブッダが言いそうなことだったらブッダが言ったことにしていいという謎ルールの適用があってですね、
もうそのアジア近辺のその天才たちがですね、もう経典をこれブッダだったらこう言うでしょみたいな感じで書き出しまくってですね。
で、やっぱそこもですね、かなりその哲学として練られていったんですよね。
なんでもう練り練られたですね、哲学聴覚をドサーッと経典として出来上がったっていうのがまあ仏教でですね。
それがインドから中国とかに蓄積していって、それを何とか欲しいねって言って日本人がなんとかそれを空海とか西朝とかあの辺の人が持って帰ってきて広めていったみたいな。
もう練り練られた哲学なわけですけど。
でですね、その空海とか西朝みたいなその超天才みたいな人ですね、それを理解して山の中で修行してですね、それを大得していって良かったわけですけど。
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その超高度な哲学っていうのをですね、当時の一般民衆はやっぱり理解できないわけで、
やっぱり問題としてですね、すごいね修行に完全に打ち込める、ある種出家した人とかね、もしくはちゃんと経済的に余裕のある人みたいな人は、
そうやって遠慮地とかに籠って修行をし続けて下達に至れればいいわけですけど、
それだとこう一般民衆の修行は救えないよねっていうので鎌倉仏教が出てきたわけですよね。
で、その鎌倉仏教の6人ぐらいいたと思うんですけど、中で一番のスターはやっぱり信蘭なわけですよね。
で、信蘭の思想とかはですね、全思想、全宗教の中で一番優しいと思うんですよね。
優しいっていうのは、心が優しいとか優しいと簡単という両方の意味であるんですけど、
もともとね、超難しいものを簡単にしなきゃいけないっていうのが、鎌倉仏教の流れにはもともとあったわけですけど、
その中でね、法念がかなり簡単にしたんですよね。そんな難しいこと言わなくていいよ、念仏唱えりゃいいよみたいな感じで。
かなりね、1日1回唱えりゃいいよみたいな簡単にしたんですけど、もうですね、そこからもうめちゃくちゃさらに簡単にしたんですね。
あの、生阿弥陀仏って言えばいいよ、いや、言わなくてもいいと思ってるだけでいい、いや、思わなくてもいいみたいなぐらいのですね、そんなレベルにめちゃくちゃ簡単にしたわけですよね。
でですね、その浄土真宗ですよね、信蘭が言った浄土真宗は、阿弥陀如来様っていうのを信仰してるわけですけど、
阿弥陀如来って下脱したのに、下脱してそこの輪廻から外れることができたのに、わざわざこの世に人を救うために残ったっていう設定の神様なんですよね。
だからなんかこう、なんだっけな、水かけ屋ついてるんだっけかな、とにかくこう、水かけ屋ついてるんじゃないか、まあ忘れました。
ちょっと前傾姿勢とかでですね、とにかく前のめりに人を救おうとしていると。
この阿弥陀如来がですね、その死んだ万象全てに宿っているから絶対大丈夫っていうのが浄土真宗なんですよね。
で、その信蘭の思想の中で、阿弥陀如来様が全てに宿っているっていう、これスピノザの反信論とかに近いわけですけど、
とですね、並んで有名なのが悪人正規説ってやつで、悪人こそが救われるってやつですよね。
もう全員救われるんだけど、悪人が一番に救われるって言ってるんですよね。
まあこれもすごいなと思うわけですけど、それはその、善人っていうのは自分で自分を救えると思っていると。
自分で何とかできると思っていると。
それは阿弥陀如来様に、なんていうかな、じゃなくて頼らずに自分で何とかできると思っているんだと。
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で、それももちろん救うけど、それよりは、もう自分で自分がどうしようもないと。
もう俺は本当なんて救えない人間だ、なんてダメなんだ、俺はもう自分のこともコントロールできないし、なんてダメなんだろうっていう人間こそが、
もう阿弥陀如来様も、もうこれも救わないで、まあこれいくぞみたいな感じで救ってくれるんだと。
だから悪人こそが救われると。
まあ善人、善人が救われるんだから、いわゆる悪人をやっているやつですよね。
これをですね、なんか結構時間が経って、それこそ担任賞だったのかな、担任賞だったか審覧が書いた経典かなんかをですね、
時間が経ったの、蓮友っていうね、お坊さんというか、浄土神社の偉い人がですね、
見つけて、お、これ審覧が書いたやつじゃん、みたいな感じですね。
見つけてですね、パッと開いたらその悪人証拠説とかが書いてあってですね、
これすげえこと書いてあるけど、これ絶対誤読されるわって言って、まあそっと辞したっていうね、っていう本なんですけど、それが担任賞だったのかな。
でですね、まあ実際にどうやらその、あ、これ悪いことやっていいんだって言ってですね、誤読されちゃったらしいんですよね。
で、それ結構審覧困ったらしいんですけど、まあそれはですね、ちょっと僕、悪人っていう言い方が良くないんじゃないかなと思いますよね。
自分で自分を救えない人、コントロールできない人っていうような感じなことなんで、
まあ悪人っちゃ悪人なんですけどね、不律本家とかもね、前話したの殺人鬼の不律本家とかもですね、この理論で言ったらまあ悪人なわけですよね。
完全に自分を、どうしようもない、自分ってコントロールできない人ですからね。
まあそれこそが救われるんだと、それこそがまあ哀れで救われるんだってことですよね。
まあなんかね、それはやっぱり不律本家とか見てて僕は哀れみ感じるっていうことからいくと、
まあよりですね、やっぱり救われる対象なのかもしれないなと思いますよね。
まあその信蘭がそれを指してるんじゃないかなと思うわけですけど。
でですね、なんでまあそういう思想に至ったのかなっていうことなんですけど、
僕はもうちょっと詳しくね、まあ信蘭の本って2、3冊ぐらいしか読んでなくてですね、短日誌を含めて。
まあそんなにめちゃくちゃ詳しいわけじゃないんですけど、まあどうやらですね、性欲がめちゃくちゃ強かったらしいんですよね。
でその円略辞とかにですね、こもってですね、お坊さんの修行をしているとですね、
お坊さんのね、その如犯をしてはならんとか色々あるわけで、
まあそこから外れそうな自分っていうのがいるわけですよね。
でそれは多分、もうすごい苦しんだと思うんですよね。
で、わあこんな風なこと思っちゃ俺ダメだ、全然悟れてないわとか、多分思ったと思うんですけど。
ちなみにガンディもですね、なんかすごい性欲が強いこと悩んでたらしいですけど。
でですね、だからですね、この実際診断は、譲渡真宗は最終的に妻を持つということも全然オッケーって言って、
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何がいけないのぐらいの感じになったわけですけど。
そんな感じでですね、自分に優しいというか、自分をめちゃくちゃ許したわけですよね。
でその結果ですね、他人に優しいというか、他人をめちゃくちゃ許すっていうことをですね、
考えとして結びついていって、めちゃくちゃ優しい宗教みたいなのが出来上がったと。
だからですね、やっぱその優しさみたいなのにみんな惹かれて、
新蘭好き、新蘭好きってなると思うんですよね。
優しい人に人が集まってくるようなもんだと思うんですけど。
でですね、まあちょっと完全に余談なんですけど、
その新蘭がですね、性欲強かったって話を聞いてですね、ハッて思いに立ったのがですね、
僕まあ今基本的にビーガン生活をしてるんですよね。
平日は少なくともビーガン生活して、週末は普通の飯食ったりするって感じなんですけど、
ビーガンのことを調べてた時にですね、仏教もね、肉食しないっていうので、
仏教とか精進料理とかもありますけど、
肉食わねえから、なんかちょっとどういう食生活してんだろうと調べた時に、
肉食わないのに加えてですね、
五運って言われるもの、5つのですね、なんかこう香料みたいなものもですね、
取らないっていうのを結構厳しくやってるとこがあってですね、
ほう!と思って。
その五運がですね、なんかニンニクとか生姜とか、あと玉ねぎだったかな?
なんかそういう匂いの強いような野菜類なんですよね。
それもあかんっていう風に、まあ仏教でやってるとこもあるんだみたいに思ったんですけど、
これですね、思えばですね、たぶん全部性がつくものなんですよね。
だから五運食べるとその性欲が強くなってしまうんで、
その性欲をこう厳禁しなければいけない、この仏教と、
昔の仏教とかからするとちょっとやばいっていうんで、
たぶん禁じてたんだろうなと思ったわけですけど、
まあこれは完全に余談でしたが。
でですね、まあそんなですね、診断のですね、他人も自分もめちゃくちゃ許してる人っていう診断の、
まあ原稿をですね、残したのがその弟子のユイエンが書いた短二章なんですよね。
短二章はですね、その、意を嘆く章って書くんですよね。
で、意っていうのは何かっていうと、その信蘭の死後ですね、
浄土真宗のことを勘違いしてる奴がいると。
で、それがもうその嘆かわしいと、本当の信蘭はこんなこと言ってたよっていうのをですね、
その弟子が書いたエッセイみたいなもんですよね。
まあなんでですね、そのユイエンとその、信蘭のですね、やりとりが書かれてるんですよ、ユイエン視点で。
それがもうめちゃくちゃ面白くてですね、
あの、突然この信蘭がですね、ユイエンに、
なんかさ、ふと思ったんだけど、つって、
この世界すべては信蘭のためにあるね、
って言うんですよね。
で、え?ってなってですね、
お前の言葉とか、その周囲の自然とか、すべてに阿弥陀様が宿ってて、
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それらすべてがこの信蘭のためにある、
って言ってたんですよね。
これ信蘭のためにあると、信蘭が言うってことは同じように多分、
すべての生きる人が、すべての事象が自分のためにあると、
多分思っていいんだよ、みたいなことだと思うんですよね。
それもなんかすごい思想なわけですけど。
で、ですね、あの、さらにちょっと面白いのが、
ユイエンがですね、すごいちょっと深刻に悩んでですね、
信蘭に打ち上げるんですよね。
実はあの、自分ちょっと、阿弥陀如来、信じきれてないんですよね。
実は信じきれてないところがあるんです。
これどうすればよろしいでしょうか?って信蘭に言ったらですね、
信蘭が、俺もなんだよね、って言うんですよね。
いやー俺もね、信じきれてないんだよね。
でもさ、信じられてないってことは、一番救われるってことだよね、
って言うんですよね。
この信じられてないっていうことを、一番こうですね、
あの、えへんって言ってるのがですね、
めちゃくちゃこの教祖の言葉として痺れるわけですけど、
そんな感じですね、これちょっと単に一緒はヤバいと、
そりゃあまあ蓮舘もそっとじするわと思うわけですけど、
そういうですね、めちゃくちゃ面白い本なのでですね、
これもいわなび文庫で100ページくらいなんで、
ぜひですね、機会があったら読んでいただければなと思います。
でですね、メールアドレス解説してますんで、
ご意見ご感想、質問や話のお題などありましたら、
ローマ字でadriantaro.comへお便りください。
今後ともよろしくお願いします。失礼します。
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