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2021-11-07 11:46

今日の10分de1テーマ「三者三様の自己愛」について

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本職は編集者のエイドリアン太郎が1日1テーマを決めて10分話すpodcastです。 ※ご意見、ご感想、質問や話のお題などありましたら eidoriantarou@gmail.com へお便りください。

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はい、というわけで始まりました。
本日はですね、1日に3回、違う人から自己愛って言葉を聞いてですね。
それもちょっと面白かったんで、その自己愛についてあった話っていうのをしたいなと思います。
えーと、一つはですね、あのまあこれは会った人じゃないんですけど、移動中にですね、
YouTubeスケッパーでですね、ヘッドホンして移動してたら、自動再生で全然違う動画が流れてきてですね。
で、それが本紹介YouTuberの動画でですね。
で、何の本紹介してたかというと、エイリヒフロムの愛についてっていう本なんですよね。
愛するということかな、愛についてかな、まあそういうような本なんですけど。
でですね、エイリヒフロムのその本は僕は読んだことないんですが、
まあその本の紹介を軽くしてて、
まあね、愛は技術なんだみたいな話をしててですね。
で、エイリヒフロムの言う愛ってちょっとガンディーに近い愛なんですけど、
人間全体に対する愛みたいな感じなんですが、
人間全体に対する愛なので当然その対象にですね、自分も含まれてるんですよね。
自己愛っていうのが含まれてると。
でですね、その自己愛と言っても、利己的ということじゃないと。
いやむしろその利己的と真逆なのだと、自己愛っていうのは。
で、利己的という人はその逆で自己愛が全く足りてないんだと。
だからそれをですね、なんかこう外部のもので埋め合わせようとする。
なんかこう俺を見ろとかね。
俺はどうだ、こんだけ持っているんだぞとかね。
なんかそういうことでですね、埋め合わせようとして、
まあ態度としては自然と利己的になると。
でも利己的な人っていうのは自分のことを愛せてないかわいそうな人なんだと。
だからちゃんと哀れんであげないといけないんだみたいなこと言っててですね。
なるほどなっていうか。
そんなめちゃくちゃ新鮮な目線というわけじゃないんですけど、
まあそうだよなと思いながら聞いてたんですよね。
でですね、その後ちょっと打ち合わせがあってですね、
会社に戻って会社であるクリエイターの人と打ち合わせをしてたらですね、
またちょっと自己愛についての話になったんですよね。
その自己愛はですね、何かを作って人に見てもらおうとする時点で、
すごくナルシスティックな自己愛が強いんじゃないかと言ってて、
それは自分もそうなんだと思って言ってたんですよね。
だからですね、この人様にね、どうだ私のこれを見てくれっていうのは、
本当に自分は自己愛が強いな、ナルシスティックな自己愛が強いなと思ってるみたいなことをですね。
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その後僕はエリヒフロムの話は何もしてないんだけど、
なんか話の中で出てきたんですよね。
で、はーっと思ってですね、
ついさっきエリヒフロムの動画を聞いててそんな話してたんですよみたいな話もしたりしたんですけど、
でですね、なんかそれを思ったのが、
確かにですね、自己愛に満たされてる人、満ちてる人、
そのまあ、大全自弱としてるというかね、
なんかこう、堂々としてる感じがしてですね、
なんかそんなにこう、表現の必要みたいなことがないんじゃないかなっていう気がするんですよね。
で、表現せざるを得ない人っていうのはですね、
やっぱなんかこう、何かですね、自分の足りない感じとかですね、
逆にその足りないからなんか溢れてる感じみたいなのをですね、
うおーってやりたいっていうのがあって、
やっぱあのー、どこかですね、
自己愛欠けてる部分っていうのはやっぱ表現する人っていうのが出るものなのかなーっていう風に思うんですよね。
でも自己愛に満ちててですね、表現する人っていないんじゃない?
いないんじゃない?どうなんだいないんじゃないかなと思っていて、
でですね、まあその、自分に欠けてる分もですね、満たしたいので、
すごく美しいものができると。
例えばですけど、まあルソーとかもそうですよね。
その、あのー、ルソーの言ってることとかね、
そのエミールとかで描いてるようなことってすごいこう、
美しい割と人間さんかみたいなことをですね、すごく描いてるわけですけど、
まあルソー自身はね、むちゃくちゃな部分があってね、
その露出狂で、
あのー、ドリムでね、あのすごいSM大好きでですね、
で、あのー、
5人?5人子供なんか作って、全員個人送りにしてたみたいなね。
でもなんかそういう感じでですね、
多分そういう風にしか生きられない人だからこそ、
美しいこう、なんかね、人間性の憧れみたいなのがあって、
本当はこういう風になりたいんだよなーみたいなものをですね、
多分表現した結果がそのエミールとかだったりすると思うんですよね。
だからですね、やっぱり何か欠けてるものを埋め合わせたいというものを描くと、
それが美しい表現物になると。
で、ってことはやっぱりですね、
何か欠けてるってことが表現の一つの必要条件じゃないんですけど、
そういう人じゃないと表現ってなかなかできないのかもなーなんて思いながらですね、
夜にちょっと約束のあった別な人に会ったんですよね。
で、それとはちょっと有名な方でですね、
それともある種のクリエイターの方なんですけど、
でですね、すごい人気者でですね、
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移動中もですね、道行く人に気づかれて、
キャー、うわー、キャーみたいな感じで囲まれちゃうみたいな感じで、
こんなことあるんや、ほんまになーと思いながら見てたんですけど、
その人がですね、自分で顔を出してね、
いろんなクリエイト活動みたいなことをやってるんですけど、
それとはすごかったのが、めちゃくちゃ自分のことが好きだと。
もう、ただですね、自分のことが好きなんだけど、
いわゆるナルシスティックなとかレコ的な自己愛っていう、
つまり自己愛が足りない自分のことが好きって感じじゃないんですよね。
自分のことが好きすぎる素で、みたいな。
なんか、その人はですね、
全員俺ぐらい自分のこと好きなんだと思ってました。
みんな言わないだけでみたいな。
そしたら俺が特別自分のこと好きだったみたいで、みたいな感じでですね。
そんなあるんやと思ったんですけど。
じゃあなんでそんな顔出しして、
キャラクターになりきってですね、
クリエイト活動をやってるんですか?みたいな話を聞いたらですね、
そしたら、僕自分のことめちゃくちゃ可愛いと思ってると。
自分が出てる動画とかを見て、自分でニコニコしちゃうと。
めちゃくちゃ可愛いと。
だからこんな可愛いのいるからみんな見てって言って、
紹介してるつもりでやってると。
だからですね、もう本当に自分の可愛さをですね、
もう皆さんに紹介したいからやってるって感じだと。
俺をもっと見ろとかっていう感じじゃないんですよね。
良いですね、これ。良いでしょ。
皆さん良くないですか、これ?みたいな気持ちでやってるんですよね。
それまたすごいなと思ったんですけど。
その時に言ってたのが、
その人の動画とかってすごく見てて安心するんですよね。
実際安心するからですね、女性とかすごい好きでですね、
みんな見てるんだと思うんですけど。
でですね、その安心感っていうのは多分、
俺のことを見ろみたいなね、っていう感じだからじゃないから
安心感が生まれてるんだと思うんですよね。
自分でも分析してて。
俺のことを見ろ、とにかく見ろっていう人は不安になると。
なんで不安になるかっていうと、
見ていると自分から何かを奪おうとしているという感じがすると。
僕はもう自分が満たされまくってて、
その満たされまくっている自分があまりに可愛いから人に紹介してるだけで、
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だからですね、何かを奪おうという感じがしないんだと思うんですよね。
だから安心して見れるんだと思います、と言ってて。
すごい面白いなと思ったんですよね。
だからですね、確かにこの飢えた感じの自己愛の人ってですね、
ちょっと落ち着かないんですよね、一緒にいてね。
少し言われると思ったんですけど、薄っすら不安を感じるんですよね。
それは何の不安なのかって言ったら、
自分から何かを奪おうとしているという感じがするんだなと。
奪おうとしているというのは、例えば僕今一人、
そういうセルフィッシュな自己愛がすごく強い人を思い浮かべてるんですけど、
その人には僕はもうNOと言わないことをしてるんですよね。
NOと言うとですね、ものすごい勢いで反論されるから、
で論破とかしてくるんで、ちょっとですね、
めんどくさいのもあるし、不安なんだろうな、
NOって言ったらかわいそうかな、みたいな気持ちもあってですね。
NOって言わないようにしてるんですよね。
でもかといって嘘もつきたくないので、
イエスとも言わない場合もあるんですよね。
別にこれどうかな、イエスじゃねえなと思ってたらですね、
うんうんうんうんって言って、ただ聞いてるだけ。
安心したいんだろうな、みたいな感じで嫌なんですけど、
やっぱりですね、その、なんていうんですかね、
俺大丈夫だよな、これで。これで俺大丈夫だよな。
なあ、みたいな感じでですね、
その求めてるものを取りに来てる感じっていうのを
多分感じてたんだなと思ったんですよね。
ということでですね、ここはやっぱり、
その自己愛っていうのをですね、
満たされてた方が安定しますけど、
満たされてなくても、それを自分で作った美しいもので
埋めるっていうこともいいよなって、
まさに消化ですよね、あの昇るに花と書いて。
ただ満たされてないのをですね、
くれ、くれってやるだけじゃなくて、
それが表現物としてちゃんと消化されるっていうのは、
それはそれでいいことだし、
満たされて大切に自作してるのもいいし、
落としてるのもいいしね、
溢れ出てね、その溢れをそのまま人に伝えてるっていう人もいるんだなあなんて思ってですね。
なんか自己愛の三者三様あるなあなんて思いながら、
話聞いてました。
というわけで本日は以上です。ありがとうございました。
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