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はい、というわけで始まりました。本日はですね、教育の話をちょっといろいろ考えたので、その話をしたいと思います。
というのはですね、昨日かな?話してて、学生時代にこういうことを教えて欲しかったなーなんていう話をしててですね、
それで、そんなことを考えてたらですね、今僕がすごいハマっている古典ラジオという、歴史を教えてくれる、歴史についていろいろやってるポッドキャストがあるんですけど、
それを聞いてたらですね、ちょうどその教育の回でですね、それを聞いていろいろ思ったこととかをちょっと話したいなと思います。
まず、教育に興味を持っている人っていうのが、僕含めてすごい多いなって感じるんですよね。
特に僕の同世代くらいの人の中ではやっぱり多くてですね、僕もそうですし、周囲の人もそうなんですけど、
この間ですね、ソニーの社長だった、代表取締役だった方がですね、めちゃくちゃそのソニーの業績を好転させて、
で、どうなるかと思ったら、そのまますぐ退社して、教育にこれから力を入れていきたいと思いますって言ってですね、
めちゃくちゃそのソニー大復活の立役者みたいな人だったのに、さっと辞めて教育のことを始めるという感じでですね、
それ聞いてもやっぱり、教育にこんなにみんな興味あるんだと思ったんですよね。
で、なんでそんな風に教育のことをみんな気に惹かれていくんだろうと考えるとですね、
やっぱり潜在的なニーズみたいなのを感じているからだと思うんですよね。
そこはちょっと困りごとく多いというか、ここは何か何か必要だぞってみんなそれぞれの立場で感じているから、
やっぱり教育に興味が出てくるんだと思うんですけど。
でですね、そのコテンラジオの教育の歴史の話を聞いててですね、
今の教育の形っていうのが出来上がる過程の話っていうのはすごい面白かったんですよね。
いろいろ西洋とか日本とか中国とか、いろんなところの教育を取り上げてたんですけど、
西洋に絞って考えるのがやっぱり分かりやすいなと思ったんですが、
やっぱり教育の今の仕組みのルーツで全部ヨーロッパから来てるんで、
その話が面白かったんですけど、
まずですね、どの文化圏でもそうだったんですけど、
教育っていうのは一番最初、古代とかメソポタミアとか古代中国とかそうなんですけど、
どこも共通しているのが、国土が広がるにつれ、それを管理するための官僚が必要になってくると。
官僚にはある程度の計算だったりとか、文章を書いて残すみたいな能力が必要なので、
その人たちを養成する教育が必要になってきたと。
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なので教育の始まりでだいたい官僚育成が目的なんですよね。
基本的には官僚育成を目的としてですね、
今みたいに子供は教育しないとダメだとか、しないといけないよねみたいなですね、
そういう感覚は全くなくてですね、
まず子供っていう概念がそんなにないんですよね。
まだ一人前じゃない大人みたいな感じでですね、
子供として特別扱いをしてないんですよね。
なのですごく働けるようになったら働かせるし、
教育が必要じゃない階層の人だったら、
教育しようと発想自信がないみたいな感じだったんですけど、
さらに言うとですね、子供ってすごい死亡率が高かったんで、すぐ死んじゃうので、
今みたいな濃度で愛情をかけてると精神が持たないと思うんですけど、
おそらくそんな理由でですね、愛情をあまりかけないんですよね、子供に対して。
なんでヨーロッパとかだとですね、貴族の子供とかでも、
もう子供をですね、赤ん坊の時に動いていって回るとすごい大変なんで、
泣くとめんどくさいんで、布でぐるぐる巻きにして壁にかけとくっていうね、
おくるみみたいな状態にして壁にかけてミノムシみたいな状態にしておいて、
ミルクあげる時間になったらお土産あげるみたいな、そんなレベルだったらしいんですよね。
なんでですね、子供っていう概念がそもそもなかったわけですけど、
労働をですね、最初、だから子供はさせられていると。
で、産業革命とかが起こってですね、すごい劣悪な環境で長時間労働とかさせられていて、
それがですね、どんどんちょっとこれかわいそうなんじゃないの、子供みたいな空気が出てきてですね。
で、それとはだいぶ遡るんですけど、
宗教改革があったときに、宗教改革ってルターとかが聖書に書いてあることを元にちゃんとやろうと、
教会から離れようみたいな動きだったので、聖書を全員が読める必要があると。
なので、全員が聖書を読めるような教育っていうのは必要だよねっていうのは一方であったんですね。
宗教を元にした教育の必要性っていうのがあって、
で、あったんですけど、一方でですね、子供っていう概念が少しずつ出てくると。
この子供って労働させちゃあかんのちゃうかみたいな感じの概念が出てきてですね。
で、子供の労働っていうのを少しずつ減らしていくっていう中で、
いろいろこう、いろんな考えが出てきて、人権という考えが出てきて、
貧富の別なく、宗教とか関係なく教育を受ける必要があるんじゃないかみたいな、
っていうような考えが出てきて、
で、それはですね、ルソーの書いたエミールって本で理念的にすごく示されたと。
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それはほとんど今の現在の教育の理想系の一つみたいな形なので、
ルソーのエミールがほとんど教育の厳選みたいな、今の教育の厳選みたいな感じになってると。
でですね、じゃあその教育、ルソーの考えたような教育っていうのを、
じゃあ誰がどうやって行うのかっていった中で、
国が税金使って担うべきなんじゃないかっていう風にどんどん流れていくんだけど、
そこにちょうどナポレオンの大統の時期と重なってですね、
ナポレオンがフランスを初めて国民国家にまとめ上げて、
めちゃくちゃヨーロッパの国を蹴散らしていったみたいな、
あの時期と重なってですね、
なので、国が税金を払って国民を全員教育を貧富の別なく受けさせると。
それは元々はルソーのエミール的な思想っていうのはあったんだけど、
ナポレオンが一つの国を国家として成立させる時に、
みんなをですね、この国の一員として教育をしていく必要があるっていう、
ちょっと違うニーズとくっついて、
いわば国民会学校というか、
国民が全員学校に通ってシステムが出来上がっていったと。
なのでですね、元々はルソーのエミール的な理想っていうのは後ろにあるんだけど、
その現実的なニーズとしてはですね、
例えば兵隊とかにしてもですね、
ちゃんと右向け右って言ったら右向くやつが欲しいんですよね。
農民とかがいきなり連れてくると、
そういう右向け右って言ったら右向かないといけないの?みたいなところから教育する必要があるし、
数学がある程度出来る必要があるし、
作戦を文章で出したり読める必要があるというようなですね、
それですることが出来て兵士として一人前であると。
その教育というのを全員、国民が全員出来るようになっておきたい。
なぜかというと徴兵をしたいからというようなですね、
国が国民をちゃんとですね、
自分の国の一員であり、
国として使いたい時に使うという時のニーズというのとですね、
現実的なニーズというのとくっついて、
今の形になっていると。
今の形というのは発達段階に合わせて学年、年齢で学年を決めると。
貧富の差なく同じカリキュラムをさせると。
管理しやすいようにクラスに分けていると。
というようなですね、
ナポレオンの時期とかに起こって、
その後色々整理されていって、
今の形になっているんですけども、
基本的にはですね、やっぱりこの2つがルーツにあるんですよね。
ルソーのエミール的な理想と、
もう一つはナポレオンの国民国家を作りたいというような
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現実的な要請ですよね。
この2つがルーツになって今の教育というのがあるんだと。
今もその形をですね、
何とかかんとか応用しながら、
ほとんど今の日本も同じような形でやっているわけですけど、
やっぱりですね、これは多分、
僕含めていろんな方が感じていると思うんですけど、
教育を国家が担うということの限界が来ているんですよね。
国家運営の学校ではですね、
ニーズを満たせないんですよね、教育を受ける側の。
なのでですね、みんな塾とか行くし、
僕とかも子供が中学受験しているんですけど、
すごい学校と塾両方行かなきゃいけなくて、
すごい大変だったりするわけですよね。
でですね、そういう感じで、
なんだけど国家運営の学校というシステムは、
これは義務化されているので、
子供が通う義務じゃなくて親が通わせる義務ですけど、義務化されているので、
それを外れた教育というのは考えられない。
だからそこにプラスアルファでボンボンボンって乗っていって、
すごい過重な形に今はなっていると。
一方でですね、やっぱり国家が運営するということの無理加減というのもあるので、
多分ドワンゴのN校とかですね、民間もいろいろ乗り出していっている。
というのが今の教育の状況だと思うんですよね。
でですね、ちょっといろいろ国家運営の教育というのに無理が来ているなというふうに思っていて、
じゃあどういう教育がいいかという話なんですけど、
ちょうどこれぐらいで10分過ぎたので、また明日お話ししたいと思います。
今日はありがとうございました。
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ではでは、失礼します。