1. WoodStreamのデジタル生活 (マイクロソフト系Podcast)
  2. 第580回 昭和の日に昭和のパソ..
2021-05-01 2:19:49

第580回 昭和の日に昭和のパソコンを語る (2021/5/1)

YouTubeで動画を配信しています。 番組オリジナル「木澤君ドヤ顔ステッカー」を実費配布中です。 この番組はクラウドファンディングでこちらの皆様のご支援をいただいております。 Yasunariさん kazunornさん […]
00:01
マイクロソフトの製品や技術を楽しく、分かりやすくお話しする Podcast番組、WoodStreamのデジタル生活です。
第580回目の配信になります。お届けしますのは木澤です。よろしくお願いします。
今週もお聞きいただきありがとうございます。
この配信は、クラウドファンディング・キャンファイアのコミュニティより、皆様のご支援をいただいて配信しております。
今回もいらっしゃる皆さん、ホワイトカラーさん、鶴間さんをはじめ、合計10名の方にご支援をいただいております。
ありがとうございます。
ご支援の内容に関しましては、この番組ウェブサイト、windows-podcast.comでご案内しております。
もしご協力いただけるようでしたら、よろしくお願いします。
また、リスナーの皆さんとのコミュニケーション版として、チャットサイトDiscordにサーバーを開設しております。
こちらはPodcast番組、電気アワーカーと共同運用しております。
よかったら参加してみてください。
DiscordサーバーのURLは番組ウェブサイトにリンク貼ってあります。
はい、ということで、たぶん皆さん5月の連休に入った方もいるんじゃないかなと思いますけど。
先日ですね、4月の29日ですね、昭和の日に。
YouTubeの方のライブで、昭和の日で昭和のパソコンを語るというライブをさせていただきました。
今回ですね、このPodcast番組の中でその時の内容を音声でお送りしようかなと思っています。
マイクもね、いつもと違うマイクをとってYouTubeの動画の録画を音声切り出しているというところで、音質はいつもと違うと思いますけど。
そこはご容赦いただければなと思っています。
よく私が話をするね、パソコンを始めた頃からの8ビットパソコン。
あとはFMタウンスとかあそこら辺まだなんですよね。
昭和の日に昭和のパソコンを話すということで、お話をさせていただきました。
ライブの方に結構皆さん来ていただきまして、その皆さんとお話ししながら。
いろいろネタをいただきながらね、お話をさせていただきましたので。
YouTube向けの音声なんで、Podcastには向かないなというところがあるかもしれませんけども。
久々にいろいろお話しさせてもらって楽しかったので、配信させていただきたいと思っております。
実際の時間は2時間半あります。
どっかの番組かってくらい長いんですけども。
この後ね、お送りしたいと思いますのでよろしくお願いします。
ようやく始めます。こんばんは、木澤です。
今ライブは、すみません、もう8人の方に来ていただきましてありがとうございます。
ちょっとタイムラグがあれかもしれませんが。
私のところで今8人となってます。
9人ありがとうございます。どんどん増えてきてますね。
今日から連休の方おられると思います。私もちょっとお休みいただいてるんですけど。
よく考えたら今日昭和の日だったと。
昔は天皇誕生日、緑にありたきて、昭和の日ってことでね。
昭和の日なんで、せっかくだから、昭和の話を年一回しようかなと。
03:03
去年はIoTあるじゃんっていうコミュニティで、ローガイLT、ライトニングトークですね。
ということでいろいろお話をさせていただいて、その後FM7の話とかさせてもらったんですけど。
そんなところで。
長島PCサポーターさんこんばんは。いつもありがとうございます。
ということで今日話をさせていただきます。
と言ってもね、特に特別情報なんか用意したってわけじゃないんですよ。
ダラダラと昔話をして、私の近い年の方おられたら喜んでいただければなと。
コメントの方もね、今ここにMacBook Proがあって、スタンドがあってちょっと高めに置いてあるので見やすいところに置いてありますので、
なんか拾ってお話できたらと思います。
新島さんどうもこんばんは。ありがとうございます。
そういうことでね。
いきなり宣伝かよって言いましたけど。
またAmazonのですね、Kindleのところでね。
これからにする内容も結構変わると思うんですけど。
我が青春の8bitパソコンってダラダラとですね、8bitパソコンの思い出話みたいな話をしております。
Unlimitedの方は0円で読めますので、よかったら見てみてください。
ここ書いてありますね。結構日本語の構成がうまくいってなくてですね、結構適当に書いちゃったところがあって。
トッチャンさんこんばんは。E6時さんこんばんは。
多分世代的に近い方が来られたと思うんですけど。
ということでね、文字の間違いが多いとかね。
懐かしさにはありますが文章がなってませんとかね。
中身も薄いですとかね。
ひどいですね。この本を読みたい人思う人はすでに知っていない。
まあそうかもしれないですけどね。
どれだったかな。
いいことも書いていれば、そうでもないこともご指摘もありまして。
そんなところでこんな話をさせていただくんですが。
じゃあまず、昭和の話ということでね、8bitパソコンの話をさせていただきたいなと思っております。
もとはといいますね、私昭和のラジオっていう雑誌、今昭和のラジオであるかな。
ネタに出てきたやつを適当に検索して。
昭和のラジオ。売ってますかね。
Ioとかは今でも売っているんですけどね。
絵とかが出てくるのがよかったんですけど。
画像で見せたほうがいいですよね。
こんなのがあった。あったあった。
これだったかな。
これこれ。これです。いきなりこの話ですね。
今時々下を見てる、こっちを見てるの。
06:00
YouTubeのコメントを見たりしてるんで。
ここ私中学校、一応私年は1967年のレイトモデルです。
レイトは1967という、まあ世代的にはもう良い予算なんですけど。
ちょうど中学校1年生の時が1980年だったんですね。
1980年ってちょうどいわゆるマイコンブーム。
いわゆる一部のパソコンと呼ばれ始めた頃ですよね。
マイコンブームっていうのがあってですね。
マイクロコンピューターですよね。
そこで中学校1年生で学校にクラブがあったんですよ、クラブ活動が。
すごいね、電子工学部っていうクラブで、アマチュア無線とかそういうのやってて。
もうちょうど中学校1年生ですのでやりたい時期で始めたっていう頃でね。
やってたんですけども。
その時に、これたぶん中学校2年生の時ですね。
1981年6月号、たまたま見つけました。よかったですね。
これですよ、この初歩のラジオ、1981年6月号。
これのおかげで私はこの世界にこんな目にあってしまったっていうところもあるんですけども。
ここでですね、君もベーシックをマスターしようっていう特集があったんですね。
ベーシック言語って、ベーシック言語って皆さん、何て言うか知ってます?
ここにいる方は何か知ってそうな気がしますね。
Beginner's All-Purpose Symbolic Instruction Code、ベーシックということなんですけども。
このベーシックを基本的な、ステートメントって言ってましたけどね。
プログラムを解説をしてくれたんですよ、特集だったんですね。
だから、いわゆるプリント文とかインプット文とかね、GoToとか。
あとは、ゴーサブリターンもあったし、フォーネクストも。
大体こんなもんだったんですけど、変数の形とかね。
こういうのをやってまして。
コメントどんどんいただいてありがとうございます。
突然それに陥って脱線しますんで、よろしくお願いします。
これって当時、やっぱりプログラムってどうやって組むんだろうっていうのがすごくあったんで。
この後、ポケコンの話もなるんですけども。
これをね、読んだんですよ。土曜日の夜に一生懸命。
そしたら、中身理解できたんですよね。
プログラムが組めるようになったっていうんで。
今思えば一晩で理解できるような内容なんですけど。
この時は感激でしたね。
プリントA、GoTo10ってグルグルグルってAって文字がたくさん流れてるとか、
そんなのは当たり前だったんですけど。
複雑だったのは、制御文ですね。
ゴーサブリターンっていうのはサブルーチンの考え方だとか、
あとフォーネクストね。
あれフォーネクストを始めて、何言ったかよく分からなかったんですよ。
09:02
そんなループみたいなのもあって、こういうのできるんだって理解できたっていうのが、
この初歩のラジオ、1980年6月号ですね。
1050円、在庫なしか。
なんかあったら買ってもいいかなと思うんですけど。
この当時ってパソコン雑誌って、初歩のラジオ、ラジオの制作、
あと月刊ラム、あとiOですね。
IOは今でもありますよね。私ちょっと住む前に記事書かせてもらいましたけど。
そういったのがあって、
あとはちょっと後になるとね、私よりちょっと年下の世代になると、
マイコンベーシックマガジンで、私はベーマガで勉強しましたとか。
電波新聞社はラジオの制作もあって、
あとは月刊マイコンってのもあったんですよね。
月刊マイコンちょっと分厚かったんですね、広告があってね。
そんなのがあって、
すごくいろいろあって楽しい時期でしたね。
ちょうど今、
げんちゃんさん、
羅生派でしたか。あ、そうですか、私ね、初羅だったんですよ。
初歩のラジオ。
ちなみにアマチュア無線も、初歩のラジオの別冊でね、
完全マランキーってやつね、電話系のアマチュア無線機種って。
今の持ってます。今あれ永年なんで、ずっと持ってますけどね。
そんなのをやってまして、
ラジオの制作は、読んでましたね。
ちょっと前に、今話したの、
中学校のクラブ活動で、
コモンの久保田先生がね、
知ってる方知ってると思いますけど、
部品を買ってくれてたんですね。
初歩のラジオとラジオの制作を毎月、18日発売ですよね、雑誌ってね。
発売をした時に、
雑誌の起立って、みんなで競い合うようにして、
読んでたっていう覚えがあります。
あ、そうか、BCL。
インターフェースか。
そうですね、親父さんとか、そういう世代はインターフェースとかかもしれませんね。
BITとかね。
BITSでしたっけ?新人生のパソコン。
忘れちゃいけないの、ASCIIとかね。
そんなパソコンが、結構雑誌型っていうのは、
すごく良かったかなと。
いろいろ勉強させてもらうし、
当時やっぱり今ほど、いろいろ難しくないですよね。
今は大変ですよね、クラウドだとかウェブだとかAIだとかね。
あんなの最初からやらされたらたまんないなと思うんですけどね。
ベーシックから入って、
すんなり入って良かったなと思ってますけど。
テレビ番組もそうですね、NHK総合で、
今、長島PCサポートさんが書いていただいてます。
NHK総合でも夕方にベーシック講座みたいなのやってました。
やってましたよね。
NHKなんで、
NECのPC8cmのNECとPC8cmってとこにね、
あれ、ラベル貼ってね、見えないようにしてたっていう。
12:01
当時のNHKはそうだったんですけどね。
今は商品名全然出してますけどね。
あとは、コンピュートナイト。
あれ?コンピュートナイトなんだっけ?
本日のFM7だったんで、コンピュートナイトっていうのをやってましたし、
やってたって見てました。
あとはパソコンなんとかって、
シャープのパソコンの提供のやつもやってましたし、
結構メーカーごとのっていうのをやってましたね。
コンピュートナイトだな、
石田先生ってもう亡くなられちゃいましたよね。
東大のK&R、C言語のK&Rの
役割を掛かって石田先生とかもお話をされてて。
そういう石田先生を応援したことなんですよ、私。
そういうテレビ番組も結構やってて、
あれなんだっけ?不音声で
ピーヒロイラッと音を鳴らして、テープから
ベシックかなんかの。
あ、そうだ!パソコンサンデーだ!ありがとうございます!
日曜日にやってたんですよ、パソコンサンデーってことはね。
あの先生なんて名前だっけ?
ご年配の先生も言われましたけど。
まあまあ、パソコンサンデーと
コンピュートナイトと。
なんだっけ、そういうテレビ番組やって、
あとはその不音声かなんかで
音を流してそれをプログラムで
ダウンロードできるっていうのはちょっとやってたかな。
でも昔ね、ベーシックじゃない、
カセットインターフェース
出てこないか。
プログラムの外部記憶装置ですね。
おかたく言うと。
あれはカセットでしたね。
カセットインターフェース。
カセットインターフェース
出てくるかな?
こういうのあったんですね。
テープレコーダー、データレコーダーってやつですね。
データレコーダーって言いながら
普通のカセットテープと録音再生ができるやつで
普通のカセットテープレコーダーだったんですけどね。
データレコーダーって言い方してると
ちょっとカッチよかったんですけど。
こういうのでやってて、そういったテレビの音声を
これ拾って録音したやつを再生してプログラム読ませるっていうのを
ちょっとやってたかなと思ってますけど。
お、こまさんこんばんは。
こんばんは、ありがとうございます。
これで
1200BPSか300BPSとかだったんですね。
ビットパーセックですよ。
ここで何よりもこのカセットインターフェースって
不安定でしたよね。
とにかくそもそもアナログのテープを読ませて
低速度であっても読ませるんで
フィギュアフィギュアやってるんだって結局
15:02
まあまあ
読まなかったっていうか
よくエラーになりましたよね。
FM7はここのカセットインターフェースが
すごいしょぼかったんですよね。
回路図の上に書いてありますけどね
ここに書いてあるんですけども
とにかくね
波形が生っちゃうんですよね。
FM7もそうだしNECもPC8800とかも
あんまり弱かったんですけどね。
一番良かったのがシャーブです。
MZ80とX1
最初はMZ80ですね。
今ちょっと
MZ80B
そうそうMZ80Bで使ってたんですよねパソコンさんでね。
MZ80B高かったですねあれ278,000円ですよね。
当時の最高級の10年先を見活かせた
クリーンコンピューター
シャープはカセットインターフェースを標準で付けてたんですよ。
これやっぱりもう定番ですね
MZ80の話をするか
これですよね。今言ったMZ80Bってこれですけど
MZ80Kとか
MZ80はこういう風にカセットテープが付いてて
あとはX1
パソコンテレビX1って新しいものが出てくるか
こうやって出てきますね。
X1はちょっと持ってましたよ。
内蔵なんですよね。
内蔵だからねやっぱり
色はきちんと相性よくっていうかね
作られてたんじゃないかなと思います。
シャープはすごく
カセットインターフェースは安定してましたよね。
ちょっと困った話しますけど
よくパソコン屋さん行っていじってたんですけど
電源入れたらクリーンコンピューターなんでね
ベーシックすぐ使えないんですよね。
モニタープログラムってのが一回立ち上がるんですよ。
SP1002っていうやつですけど
それが立ち上がった後にベーシックを
ダウンロードして
10分ちょっとのローディングという
ヨシー小僧さんのお話がありますけど
それでダウンロードをしてやっとベーシックが使えるようになりました。
そっからゲームのプログラムをダウンロードして
ロードして使ってたってことがありますけど
MZ-80でもテープ選ぶんですね。
やっぱりそうだったな。
やっぱりそれぞれMZ-80は苦労があったのかな。
MZ-80はROMがないんですよ。
ROMって言ってもモニタープログラム
SP1002というモニタープログラムがあって
まずテープからロードするのを待つっていうね。
18:01
あ、そうですね。
草場さんカセットに記録せんしょっちゅうこれ。
FM7は弱かったです。
サンヨのデータレコーダーを使っているの?
そうですよね。フジツー製じゃなかったんですよね。
FM7買ったときにセットで
ちょうどフジツー純正のデータレコーダーがなくて
これ同等品ですって言ってサンヨにしてもらったんですね。
全く一緒ですね。
サンヨデータレコーダー出てますかね。
サンヨって私の友達出所したんですけど
今どうしたかな。パナソニックの人になってるかな。
これ、これ、これ、これだ。
MR11DRこれだ。
ここのとこは塗装が剥げてきちゃってね。
あ、これですよ。私が持ってたの。
いいやつになるとこういうやつで買おうかなと思った子がいます。
あとこんなタイプもありましたね。
どんどん良くなってたんですね。
FM7は何度も言うけど弱くて
結局何をしたかっていうと
ここの間にダイオードを入れて
ダイオードで良かったのかなよく考えたら
ダイオードを入れて波形をもっとくっきりさせるっていう
回路を作って発表されて
私その間にハンダ付けして
要はこの
オーディオジャックの間にね
そういうのを入れたことはありますけどあんまり効果があったような
なかったようなって感じでしたけどね。
スピードも
FM7は300BPS
ちょっと今コメントいただいた
BPSって千役坊
BAUDだったかな
なんとか坊って言ってましたよね
300BPS
デジタル化って言ったけど
一体この区形波にするために
今だったらあれですよね
オスロスコープ個人で持ってる方は
測っちゃう人いるんじゃないかなと思いますけど
1200BPS
300だったかな
こんな状態でシャープのX1が
2700BPSだったんですよね
すっげー速かったんですよ
後にフロッピーディスクの時代に来るまで
大サニーだったんですよ
そんなね
そういうところでこれを持ち歩いてました
カセットテープ
これをね
中学生の時に私
パソコン持ってたかと思ってなかったんです
買ったのはFM7で高校1年生です
高校受験が終わった日に
パソコン買っていいぞ
21:01
私のお小遣いとかお年玉貯めたい
1983年
3月7日ですね
ラオックス
セアの駅の前にラオックスがあったんです
すっげー今ローカルになってますけど
昔は電気の松並みが
ラオックスが買収してラオックスになったんですけど
よく来て笑ってる店員さんがいて
お店によく来てたんですね
今の山口電機みたいな感じ
パソコンがうちの子供が欲しいんですけど
お店じゃなくて
ラオックスのセア店の店員さんが
家に来てカタログを持って
私はFM7がいいって言ってたんで
FM7とか周辺機器を持ってきて説明をしてくれて
届けてもらったっていう
ことやってますね
地元なんで知ってます
駅前ありましたよね
イクラマさんこんばんは
PCDR311あったね
片番覚えてますよ
MZヒューベーシック
SP5031でしたっけ
SB5031でしたっけ
ちょっとうろ覚えですけど
届けてもらったっていうことがあったんですけど
それまでどうしてたかっていうと
パソコンって家にもないし
高校受験もあったんで遊んでられないっていうか
中学生に10万20万の買い物
20万の買い物ってできないですよね
今でも10万20万の買い物きついですけど
どうしてたかっていうと近所のパソコン屋さん
電気屋さんにパソコンを使わせてもらいに行ってました
希望川河の駅の近くにロケットがあったんですね
あそこが一番行ったかな
自転車で行ってましたよ
電車じゃなくて自転車で
あとは大和のLAOXと大地家電機
あそこにも電気屋さんにパソコンがあって
デモンストレーションをしてるんですけど
すごかったですね
当時8bitのパソコンっていろんなメーカーから出てましたけど
基本的にPC8000HとMZ80が基本だったんだけど
やっぱ行ってた
やっぱ行ってますよね
24:00
いろんな人いたからひょっとしたら顔合わせてたかもしれないですね
同じ場所にいたかもしれないですよね
行ってほとんど1日か半日ずっと使ってました
この産用のデータレコーダー持って
自分でカセットテープ持ってね
Ioとかの雑誌のプログラム打ってゲームしたりとか
私はゲームしたっていうか
自分でベーシックのプログラムを組んで
ノートに手で書いてそれを動かすのが楽しみだったんですね
割と自分でプログラムを組んで
一生懸命ね
中学校時代に
学校で休み時間とかにプログラム一生懸命書くんですよ
プリントを何とか
何とかといくつでネクストとか書いて
それをその日の土曜日にね
土曜日とか日曜日にお店行ってプログラム打って
動かすのが楽しみでした
でも面白かったのが
当時電気屋さんって使わせてくれてたんですよ
結構ね
全然大丈夫でした
中にはひどい噂が聞いて
やっとプログラム打ちあって
大地化電機もラオックスもロケットも
結構使わせてくれてました
どうぞどうぞ使ってくださいっていう
いいデモンストレーションにもなったんでしょうね
こんな中学生使って
お店の中でパソコンコーナーに人が群がってるように見えるじゃないですか
そういったところもあって
横浜の日井か
ビットインとか秋葉原まで私行けなかったんですけどね
横浜まで行ってなかったな
でもよく使わせてくれましたね
途中からなんとなく使えない雰囲気になるっていうか
わざと掃除始めたりとかね
なんか途中で言いづらくなっちゃったっていうのはありましたけどね
ちょうどその頃に中学校卒業して高校になって
パソコン買ったんで
まあまあいいかなっていう
ってことになりましたけど
まあすごい勉強になりましたしね
当時のロックスも
店員さんにロックスもね
今はなかなか方向性違ってます
デューティーフリップショップとかに家事切ってますけどね
大地下電力もロックスも感謝したいですね
ビットイン横浜にあったんだっけ
あったかなぁ
あれ?ビットイン?
あれ?エジソンプラザじゃなかったっけ
この前行ったけど
エジソンプラザっていう横浜の石川町からちょっと歩いたとこに
あったんですよ
27:00
今でもあるんです
この前行きましたよね
ワンクワの勉強会の中に
あそこにパーツが売ってて
今はTゾーンないか
TMDシステムズっていう豊村というお店の
パソコン専門ブランドがTMDシステムズ
でそこにあったんですね
そこでもねそんなとこ行ったけど
あっちゃパーツ屋さんかエジソンプラザ
今はコンビニになってますけどね
あそこが豊村TMDシステムズ
後のTゾーンですね
やっぱり当時面白かった
あの時のスライドあったかな
スライド
ワンクワ
IOTあるじゃん
去年のIOTあるじゃんって
ローガンLTだったんですけどね
自分で書いてありますね
これノートはちょっと違うけど
あとこれこれのって言い方知ってませんでしたかね
当時プログラムを組むってやつの方が
俺はすごいんだってドヤ顔だったんですね
基本的にパソコンゲームしかいらないやつ
っていうのがいたんですよ
今だって私もゲームしてますけど
結局プログラムの中身を理解しないで
雑誌のプログラムだけ一生懸命売って
ゲームだけやってくという
そういう人たちに何のコマンド使えるかというと
セーブとロードとリストを取って確認することが
実行するLAN
セーブロードレストラン
っていうのが当時あったんですけど
言いませんでしたかね皆さん
これあったねって話もあるし
そんなこともあったっていうことがありまして
まあまあねそんなところがあって
あとは中学校の時のクラブ活動で
ハイパーVじゃねえや今
パソコンあったんですね
まずいったらこれ
わし
あれ出てこない
MZ40と違うのか
これこれ
あの
中学校のクラブ活動の時にあったんですよ
あのあれですよね
技術課程の授業で
そこにねマンボードマイコンです
シャープのMZ40
KはキットのK
これがあったんですよ
16芯キーとブザーと7セグLEDの4つ
30:02
これ確か4ビットマイコンですね
なんて名前だったかな忘れちゃいましたけど
これがあって
これを初めて使ったのが
マイコンがこれですね
結局何があったかというと
データを入力して
あそこにあったの
久保田先生が買ってくれたんですよ
入学した時はもうあったんです
私は1校上の先輩がICのハンダ付けをして
当時中学校1年生2年生の人たちが
ハンダ付けして動かしてたんです
私ハンダ付けすると音楽上手かったんですけど
すごいハンダ付け上手い人がいたんですよ
音も音楽になったとか
つまり入力したデータを再生するというだけで
いろんなことができるっていう
今言ったことは大したことなかったんでしょうけど
これが7セグLED出してサイコロゲームだとか
出た数字でスピードを出してカーレースゲームだとか
というサンプルアプリケーションがあってですね
要はここの出た数字で自分たちで想像膨らませ
ゲームをやるっていうのがあったんですけど
これがあったのこれが最初のパソコンです
MZ40K
その後パソコンの話をどんどんしておくと
ポケットコンピューター
これがですね
PC1211ってポケットコンピューター
シャープですねずっとシャープですね
これも
技術課程の
このクラブの先生が
学校の事務用に買ったんです
買ったのを我々使ってくれました
成績の記者さんがこれをやってたんですよ
これね
同じやつ使ってますよ
全く同じの触ってたんだ
感激
これPC1211ってデータレコーダーも
カセットインタフェースついてて
メモリーが4KB
初めてベーシック
ポケコンライブレー
この本も買ったな
これでベーシック覚えて実際
触ってる
実際私より年下の方は
シャープのコンピューターは
この後PC1245とか
PC1500とか
その後にPCE200とPCE500
いわゆる科学技術計算
エンジニアリング向けのポケットコンピューター
33:02
その後今小畑さんがやっているPCG800シリーズ
出てきてるんですね
工業高校だと高専だとか
学校で教材として買ったのか買わされたのか
して持ってたって方多いですね
一行だけでキャラクター表示だけで
何桁だったかな24文字だったか忘れてたけど
そのぐらいしか出てこなかったんですけど
これでも遊びましたね
この中に
プログラムの例で
ゲームプログラムとかあるんですよ
これの中で面白かったのが
軟着陸ゲームっていうのがあったんですよね
月面で月からロケットで
噴射させながら着陸させるっていう
ゲームなんですけど
スピードが落ちる早すぎるとガーンと落っこっちゃって壊れちゃう
あとは滝すぎると県外に飛んでってしまって
着陸できないっていう
そこで上手い具合に燃料調整しながら
ぴったり月面下に着陸させるってゲームになったんですね
軟着陸ゲームっていうね
これはどういうゲームだったかっていうと
ここに数字を入れるんですよね
燃料いくら入れますって
入れてどんぐらい上昇しました
あとどんぐらい加工しました
加速度がどんぐらいですって
あとゼロになるまでってことね
一生懸命通常調整しながら入れていくっていう
そういうゲームだったんですけど
プログラムをロードできる
これも自分用のカセットテープ持ってって
やっぱりプログラム動かしてました
あとこれプリンターね
ドットインパクトプリンター
今でも適当にいじってたらね
成績らしきものがジャーっと出てきちゃったんですね
先生どうしましょうって顔色変えて言ってて
今の同窓会で先生と話すときに
プリンターいじって適当な数字がたくさん出てきて
成績が出てきたと思って顔色変えて飛んできたの
今でも覚えてるって笑い話に言ってましたけどね
そんなこともありました
プリンターもドットインパクトプリンターですね
あとアプリケーションバイオリズム
やっぱりキャラクターベースでバイオリズムを印刷するっていうのもあって
結構それはいじりましたね
でね
もう一個中学校時代に使ったやつ
シンクリアのZX81っていう
これイギリスの会社のパソコンです
値段が19,800円
はかっくに安いんですよね
メモリーZ80を使ってて
メモリーが1KB
36:00
でプログラムを組めたんですけどね
結構マシンゴを使えたりしてね
すごかったですね
これ私より一個年下ですんげー
頭良くてパソコン詳しい奴がいて
こいつはマシンゴで使いこなしてて私全然ついていけなかったですけどね
鈴島ってやつなんですけどね
どうしてるかね彼ね
パソピア買ったんですけどね
この時期って
やっぱり
これですよねPC-8100
これが王者でしたね
一番売れてたパソコン168,000円
これね
写真は出てこないかな
3年くらい前の1月にですね
このPC-8100を開発した後藤富代さんって
元NECの技術者の方と
実際お会いしてお話しさせていただきました
ブログ仲間の方に
私がさっき言った
例のこれですね
電子書籍こういうの書いたっていうのもあるし
木澤さんっていうマイクロソフトMVPの方がいますっていう
方がいて一回お会いさせてもらったことがあります
TK-80だとかPC-8000だとか
PC-100だとかですね
あとPCエンジンとかも開発された方
もう感激すぎてどっかに写真があるけど
探してるとプライベートの写真出てきそう
あれですけどね
シンクレア
全治さん使われてたんですかこれ
西川全治さんって
今コメントで言ってたんですけど西川全治さんって
Podcast番組でもほとんどレギュラーに出てますけど
OXとかOMZのライターもされてたんですよね
ちなみにね
OXとOMZで
ライターしてた方で
SOSっていう企画があって
その方で高校時代の先輩なんですね
今でもFacebookで雑談してますけど
その方で西川全治さんとお友達なんですね
当たり目だよって一緒にやってたんだから
のこと言ってましたけど
今こんなPC発売にしまったし
でもやっぱり一番
思い出たのはMZ-80ですかね
さっきも出てきましたけどね
MZ-80っていうのは初期モデル
10万台突破したつって
記念モデルみたいになってますけど当時パソコンでも
MZ-80Kっていうのがあったんですけど
これKってキットのKなんですね
MZ-40Kと一緒ですね
ガボッと開けるんですね
これ全部鉄製ですけど
ちょっとハンズ系がなんかするんですよ
39:01
ちょっと大きくするかな
キーボードも真四角なんですよ
マトリックス型のキーボードなんですね
それこそさっき出た石川町の
エジソンプラザで
このキーボードって言ってちょっと買ってみようかなと思ったことあるんですけど
これがMZ-80
これがカセットテープからベーシックを10分くらいダウンロードする
モノクロモニターですよね
確か画面が40文字×25行だったかな
あと細かいものすると
80文字×25行
40文字×20と
もしくは80文字×25行だっけ
これグラフィックはできなかったです
PC-8000もキャラクターとしてはそんな感じですよね
あとPC-8000は
グラフィックができたんですね
160×100ドット
今のどんな携帯電話よりもあれだろうって言うんですけど
そうそう
K、K2は配置がずれてない
まっすぐな配置
入力しづらいっていうか
当時はこんなもんだったのかな
って気がしますけどね
その後出てきた
このMZ-80B
これはちゃんと配列
普通のキーボードのタイプだったんですよね
ティンキーもあったんですね
MZ-80Bの後に
K2E
K2Eもまだこれだったっけ
MZ-80
K2Eというのがあったんです
Kと完成品の
MZ-80と
K2とK2Eというのがあって
10万台記念突破モデルだったかな
これもそうだったな
MZ-80
MZ-80Cというのがあったんですよ
これで配列が
いわゆる
真四角じゃなくなったんですね
平安京イリアンってゲームが流行ってて
平安京キーボードって言ってましたけどね
MZ-80Cになってから
ラムが48KBになったんだ
大容量ですね
26万8千円
さっきよく出てきたMZ-80Bが
62KB済んでたんですね
8ビットパソコンって
42:01
普通にアクセスするのに
62KBの限界だったんで
当時はあったんですね
PCRセンチは16KBでした
MZ-80Cがずれた感じ
そんなところがあって
このMZシリーズで
それの時代になった後に
ポケコンの話に戻しますけど
これですよ
これ
シャープPC1500
ハイエンドポケットコンピューター
59800円
値段覚えてる?
プロッタープリンター
ボールペン4色で切り替えて
プリンターの位置を
グラフィックが描けるんですね
さっきのバイオリズムは
プロッタープリンター
AだったらAをカタカタカタ
Bをカタカタカタ
一生懸命書くんですよ
4色カラープリンター
フルカラープリンター
これがシャープPC1500
何がいいかというと
マトリックスドットが並んでるんですけど
ドットごとに描画ができたんです
つまりグラフィックができたんです
これが衝撃的でしたよね
ポケットコンピューターで
24桁の文字しか出せなかったのが
グラフィックが書けるようになった
ドットレベルでゲームができたんです
これ確か火星の軟着陸ゲームだったかな
迷路の中を他のドットにぶつからないように
カーレスゲームだとか
そういうのもありましたね
これは大地下電気に行って
これも使ってました
カセットインターフェースがオプションであって
こういうのがあってね
プリンターはなかったかな
でもシャープPC1500みたいなやつで
ずっと曲が流れてたっていうのがあって
こういうのもありましたね
ちなみに私ポケットコンピューターは
これカシオFX702P
これ持ってました
キーボードがね
ABCDってアルファベット順に並んでるんですよ
字数配列じゃなくて
これがポケットコンピューターとして初めて
中学校時代に買ったやつですね
PRTって短縮されてるんですね
45:04
これポケットコンピューターって言わなかったんですね
プログラマブルカリキュレーター
っていう名前でしたね
これどうしたんだっけ
この前処分したのは全然動かなくて
プロッタっていうのも懐かしいですね
PC6001のオプションでありましたね
PC6021だったと思うんですけど
シャープのMZ700
731
全自産が持ってたのが732
731って上位モデルはプロッタプリンターだったんですね
これ
カラープリンター内蔵のパソコンって書いてある
これMZ700カセットが付いて
ここにプロッタプリンターが付いてるんですよ
MZ700シリーズってMZ711つってるのが
本体だけでカセットインターフェースもなかったんです
MZ721っていうのはカセットインターフェースが付いてるんです
MZ731っていうのがプロッタプリンターが付いてるんですね
そうですね
サンモデルっていうのはまさにこれですね
MZ700プリンター付き
これって
我々MZ80 PC8000Hの
次の世代で
廉価版のホビーパソコンを出そうっていう動きがあったんですよね
一応
すみません
FM8っていうの不実
これもビジネスパソコンです
21万8000円もしたんですけど
その後出てきたホビーパソコンの流れとして
これを語らなきゃいけない
PC6001ジャンケンポンカセットポン
ジャンケンポンカセットポンのパピコンですね
そういう風にパソコンをパピコンということは何事だと
私は怒った思いがあるんですけど
このキーボードも
独特のキーボードでしたよね
こんなのもあって
これはグラフィックもできてカラーのグラフィックができたんです
PC8000Hはできなかったんですよ
カラーのグラフィックができて
確かPSGですね
AIなんとかだったかな
FM7とかに乗っけてるやつは
プログラムモビルサウンドジェネレーターで
音楽が34億円くらい流されてたんですね
その後にFM音源って言ったら
ヤマハのYM-2203積んだやつがどんどん出てくるんですけど
音楽が鳴らせてカラーのグラフィックができて
どっかに後ろか
カートリッジがあるんですね
そこにロムのカートリッジを挿してゲームができます
というのもありました
FM8の話
48:01
語ると長いよ私FM8
富士通のパソコンは
今1103CHさんのFM8って2人いましたよね
あれは何だった
よくぞ聞いてくれました
磁気メモリーですね
磁性体のメモリー
半導体メモリーみたいなものです
ただ磁気を使ってるってもので
駆動部分を持たない
まさにメモリーカードみたいなものになったんですよ
容量は結構な容量ですよ
バブルメモリー
このバブルメモリーが
デバイス名として残ってたんです
FM7から外れちゃったんですけど
BUBR01っていうデバイス名が付いてて
このバブルメモリー用のやつを
FM7のRAMディスクメモリーにしたりとか
プログラミングをしたこともあります
そういうのがここにあったんですよ
FM8の上に当面プラスチックで開く
キーボード良かったですねFM8
蓋が開いてる
これですねバブルメモリー
しかもこれFM8の中身だ
すごい
去年のIoTアルジャンのイベントで
FM7の開発設計をされた
櫻井さんと一緒にセッションさせていただいたことがあるんですけど
櫻井さんはこのFM8に憧れて
入社して
FM8のハードウェア開発設計部隊に行ったら
次のFM7っていう
性能は倍値段は半分っていうのが開発されてる
って言ってFM8買うのやめたらしいです
それ以来FM7も発売になるんだけど
その後にFM7が出るの知ってたんで
買うに買えなくてFM7シリーズ買ってなかった
って言ってましたけどね
当時のFM7ってブレッドボードみたいなやつに
机いっぱいにあってそれを小型化して
買ってって話してましたけどね
まあまあ話し通っちゃいましたけど
これFM7?
ここの上の黄色いカバー外れます
FM7あったかな
あのねFM7ね
私の世話の実家にまだあります
これこの写真
拡張スロットなんです
漢字ロムだとか
RS232Cカードだとか
その後にFM音源カードとか
そういうのが3つスロットあります
広瀬の決まったコネクタなんですけど
51:00
これに拡張ユニットで
IOで刺せるんですね
これがガバッと外れるんですね
そうZ80カードね
さっき言ってた桜井さんという方は
Z80カードの開放されてます
この後FMリブも持ってたんですけど
ちなみによく言う
ここにチョコレート入れたら溶けちゃいました
それはここに電源アンダー当たり前だろ
今日はFM7の話したら止まらないので
後でアーカイブにした時に
ここにリンク置いておきますので
FM7は私のYouTubeチャンネルで
FM7の話をスライド付けでやってます
結構人気の動画ですのでぜひ見てみてください
FM7で何故か提案でいたこと
遥かなるオーガスタとかね
惑星ミフィウスとかね
惑星ミフィウスは良かったですよね
FM7もそうしPC6cmもそうだし
あとはビジネスパソコンとしてはね
話がどんどん発散するな
東島のパソピアね
これは欲しかったな
パソピアにしようかFM7にしようか
悩んだんですけど
そのまんまPC8cmですよね
Z80積んでて
パソピアって2種類あったんです
東島のパソコン
パソピアTベーシック
東島のTですね
Tベーシックが搭載したタイプと
OAベーシックが搭載したタイプ
TベーシックはPA7010
OAベーシック搭載がPA7012
ロムで搭載してました
あとここにもカセットがいて
パスカルとかが動かせたんです
そういう東島のパソコンです
確かMVPの大沢さん
これのパソピアの1012と
OAベーシック版を持ってたはずですよ
ちょっと1回会ったらそのハッシュタイン
なかなか会えないんですけど
そんなところがあって
そういったパソピアにしても
廉価版っていうのがモデルなんですね
すでにもう話タイムライン出てますけど
これパソピア7
横浜やすしさんがやってて
これ木村一発ですよね
木村一発こんな
これ確か子供の頃ですけど
パソピア7っていうのが出てました
これもパソピアっていうのも
グラフィックも確か
54:02
320x200ドットだったと思うんですけどね
パソピア7下向きでベーシック
すごいですねベーシック
素晴らしい
多分だから素晴らしい経験を
ベーシック作ってたっていう
パソピアって音源
ちょうど書いてありましたね
当時PC6100とか
FM7とかX1とか
MZは
MZはホビー路線はあまり行けなかったのかな
2000までなるまで
あまり行けなかったんですけど
30Wまでだったんですよ
AYなんたらっていう
パソピアは2つ積んでたんですね60W
ここはねちょっとすごかった
っていうのがあったけど
ちょっと
東芝ねその後ダイナブックで大成功するんですけどね
ちょっと今の状況はしませんけど
結局これ
買わなくてよかったのかな私はね
これねありますね
カセット付いてますよね
T-BASIC OA-BASIC
CPMあったんだ
解像度600
パスカルが多い
当時パスカルがすごかったのか
っていうわけじゃないんだけど
やっぱりベーシックとマシン語ばっかりの時に
東芝はこれを買いました
失敗だったんじゃないかな
彼はいろいろできますからね
MZシリーズ
そこでねやっぱり語りたいのはさっきのパソコンテレビX-ONですね
あのシャープのスマートフォンで
X-ONって出した時に
X-ONってあのX-ONですかって喜んじゃったんですけど
実際違ってましたけどね
PCウォッチ
PCウォッチにこれですね
あのこれはですね
あっ言ってた?
スーシュは
でもねやっぱりね
彼はやっぱり私の中のすごい
一個後輩でしたけどいい友人でしたよ
いろいろ彼から教えてもらったことあるし
でX-ON
これはですね
パソコンじゃないですテレビなんです
であの
57:02
ホビーパソコンとしては
あれなんですよねセパレートタイプなんですよね
これ初めてじゃないかなホビーパソコンで
あのキーボードと本体が今でこそ別になってますけど
一体型が普通だったんですね昔からね
でPC8801で
キーボード分離だったんです
ちょっと憧れてたのがあるんですけどね
富士通のFM77になってから分離になったんですけど
一番最初のホビーパソコンでキーボード分離になったのは
X-ONだったと思います
で赤でしたね当時まだ通常の3倍っていう
ガンダムはそれほど流行ってない時期だった
今だったらもう多さにしてたんでしょうけど
ここに書いてあるのは珍しい
テレビがあります15インチのテレビだったかな
本当にテレビの受信ができるテレビです
テレビがついてて
テレビと連動してたんですね
もちろん録画とかできないんだけど
パソコンとテレビと
合わせてできる
あとスーパーインポーズってありましたけど
テレビの画面とパソコンの画面と重なわせができる
当時画期的だったんですね
富士通もこれができるようになったのは
FM77AVからです
これX-ONですね
これいくらだったかな
X-ONはちょっともう私がFM77を買った後に出てるんで
この後ね
私中古で映ってもらったのこれ持ってました
X-ONCっていうこれ一体型ですね
MZ700みたいな感じですけど
これ私も持ってました
大学時代にX-ONCって言ったら
X-ON TurboとかX-61000の時代だったらもういらないって言って
売ってもらったんですけど
5千円でも売ってもらったかな
そうですね本体色X-ONのこれが元祖だった
X-ONって赤が目立った赤と黒と白ですかね
今のはエプソンのプリンターみたいですけどね
X-ONCはシルバーだったんですね
シルバーだったか白じゃなくて
パソコンテレビで
面白いのが今じゃ絶対にありえないけど
同じメーカーでパソコン2系統出してたんですよ
今だったら選択肢収集とかいって
絶対こんなことありえないんですけどね
パソコンMZ80を作ってたコンピューターを作ってる舞台と別に
テレビ事業部っていう
シャープの土地に焼いた工場ってあった
今のあんのかな
そこが作ってたのがX-ONなんですね
2つであったんです
全然違うんですよ
開発舞台の考え方
ホビー出してたのはXシリーズっていうのは
1:00:01
シャープのパソコン2つ出てて
テレビ事業部
焼いた工場が出してたのがX-ON
その後にX-ON Turbo X-ON Turbo 2 3 Z
X68000ですね
結局MZシリーズって
あの後どうなったかというと
今MZ80は散々出てきたので
ビジネスパソコンの方向としては
MZ2000というのが出てきたんですね
これは私の
友達に買いましたね
当時として一番いいパソコンだと言って
X-ONもクリーミーコンピューターです
そうです
ただ
仮設インターフェースのボーレートが2700BPSだったので
早かったんです
X-ONもクリーミーコンピューターですね
MZ1200
1200は語らなければいけない
これね
MZ1200
最後のMZ80シリーズ
2000に対して1200
キーボードもしっかりしていて
単色のグリーンディスプレイなんですけど
これがすごい綺麗だったんです
いわゆるグレアタイプ
今の光っているように見えますよね
ブラウン管のグリーンモニターとして
一番綺麗でしたね
1200いいですよね
今でもお部屋に欲しいな
一台
別にMacでも何でもいいですけど
かっこいいな
いいですね
MZ1200も
あったんですが
その後もMZ2000
これもクリーミーコンピューターですね
60KB積んでて
グラフィックが640×200ドット
という解像度でした
この後ね
MZ2100とあった気がする
あったかあったか
今突然思い出した
分離型でMZ2200
今まで忘れてました
数十年間
本体とセパレットタイプで
MZ80K直径の光景が1200
そうですね
1:03:00
これね
MZ80B
2500
こいつですよ
スーパーMZ
フロッピーディスカ内蔵してるんです
2521とか
同じ下宿にいる先輩が持ってて
2500でね
これキーボード良さそうだな
スーパーMZですよ
グラフィックがモノクロで
640×400ドットいったんじゃないかな
フロッピーディスク2つ積んでて
カセットインターフェースだってあるし
頭出しとかできる
巻き戻ししたりできるんで
フロッピーディスクのような使い方ができてたんです
MZ80の時からですけどね
スーパーMZ
MZ2500
Z80Bを6面で動かして
Z80マシンで最高速
これが最後だって言ってたけど
実はこいつがあるんですね
MZ商品
いい絵が出てこないな
MZ2800
これがあったんですね
テレビ好きカセットデッキ
MZ2800って言ってるのは
レトロPCさんのサイトね
これもスーパーMZなんですけど
MZ2800正式名称が
これ
MZ2800
商品が一緒になってたんじゃないかな
これもスーパーMZ
これがMZシリーズの最後になったと思います
2861
ポイントこの86という数字
インテルプロセッサー8086乗ってるんですよ
つまり8ビットのMZ
Z80と
16ビットの8086
これを積んでて
MS-DOSが動くんですね
これ今商品って言葉が出てたな
商品だ
MZ商品なんてのがあったんだ
1:06:01
16ビットキーですよ
これシャープの
見えますかね
商品ワープロ機能搭載MS-DOSバージョン3.1標準搭載
MZ2861
いくらしたんだこれ多分40万ぐらいしそうですね
これで
要は98に対抗しようとしたんですねシャープはね
ダメでした
残念これがもうMZ最後
商品が動くってこれすごくないですかね
私は東下のルポでした家
シャープは書院
NECは文豪でしたね
今思い出した
MZ2200とMZ書院は十数年間忘れてました
ごめんこれ
もう一個MZがあったんだ
MZしつこい
MZ5500
これこれ
あったんだよこれ
MZ5500
以上です
よく頑張った
これも昭和なのかな
これ多分どうだった
MS-DOS3.1が動いた時代なんで
これが最後だったかな
MZは
結局一応言ってみますけど
FM7の話はここでリンク見ていただいて
FM11というのも
富士通はビジネス路線であったんですね
これ
FM11はADは私持ってました
これよかったですよ
完全スチール製でね
フロッピーディスクドライブが
2Dという320kB
ここは
HDという1MB記録できる
というモデルがあって
FM11って何で11かというと
8bitと16bitの間です
8086
8088を積んでたタイプもあったんですね
8088ってバスアーバン8bitも8086ですけどね
タウンズはどうしようかな
別に買い儲けたいところですけどね
ハードディスクも積んでる
なんで11かというと
8と16足して22で割る2で
11
1:09:02
FM11です
これがFM8の後継機として
FM7のホビーパソコンとビジネスパソコンの
2つの8bitラインナップで出した
というのがFM11ですね
持ってました
これでZ80カード持ってて
ちょっと話し通りちゃうけどね
SOSってあったんですよ
SOS THE SENTINEL
SOSっていう企画がOMZ OXの企画だったので
セーバーシステムってやつで
ちょっと見づらいかもしれないけど
Z80マシン共通で動かせる
モニタープログラム
OSみたいなもんですね
というのがあって
これがつまり
BIOSみたいなのを作って
全部共通でSOS用っていうと
MZ PCもあったな
ソニーのSMC37とか
Z80シンター
カシオのFP1100あったな
あとはFM7とかね
FM7は6809を
Z80のエミュレーターを
すげー遅いんですけど動かしてた
というのがあったんですね
そこに書いてあるFM7版
これをFM11に移植したんですよ
これで
OXかOMZ編集部に持ち込みました
さっき言った
ZENJIさんのお友達
野望内先輩に連れて行ってもらって
当時植木さんだったかな
よくバックスペースFMで松尾さんがお名前出しますけど
採用してくれる雑誌に載せてくれる
って話はしてたんだけど立ち入りになって
今更FM11もねって話になったらしいし
実はこれSOSの別冊が出るはずだったんですよ
その時については
FMシリーズ版は木沢さんの方が中身精通してるから
木沢さんに記事書いてもらえますって話になってたんです
ここでバックスペースFMを
昨日皆さんにちょっと
よくZENJIさんが
ソフトバンク行って
中華食べたって言ったけど
出前取ってくれるんですね
みんなに肉焼きそば頼むんですよね
ご飯も頼まずに
ZENJIさんと一回お話したんですよ
その話
どっかでお話できないかなと思って
そういう時代もありました
1:12:00
FM11は
エイタの兄貴文で
弟文ですね
FP1100か
今日の今日まで忘れてた
これね
8bitパソコン
これもDFCPだったんだ
遅かった
すっげー遅かった
ほんとに遅かった
それ覚えてる
カシオの
電卓の一応だよねってみんなに言われてた
パソコンは背の台地だ
不動産生産ができた
どういう理屈だったか忘れちゃいましたけど
そういった計算ができる
そんなところで
大分
8bitパソコン系の話ができてよかったな
ポケコン関係で
さっきPC1500の話
これ覚えてますか
ポケットコンピューター
ハンドヘルドコンピューターです
こういうのもあったのと
あとはね
これね
HC20って
覚えてますか
これはね
私の一個上の先輩が
持ってました
HC20とHC40が出るんですけど
このHC20はエプソンです
エプソンが出した
ハンドヘルドコンピューター
モニッキ画面が
4行あるのすごかったんですよ
当時ポケットコンピューターが1行だけだったので
その後PC1250で
やっと2行とか
G800とかE200とか
E500で4行になりましたけど
当時この液晶のタイプでは大画面でしたね
このHC20とマイクロカセット
あとこれね
プリンターは寒熱式でした
静かで速いんですけど
熱を与えると真っ黒になってしまう
そう小さいやつ
横浜のどっかの店で触ったこと
これあれじゃないですか
ひょっとしたら
エディスコブラザーの1階にあった
1:15:01
豊村じゃないですかね
なんか私もそんな気がする
あとHC40とか出ましたけど
キーボードがすごくしっかりしたんですよ
最近のパソコン見習ってほしいなって
やっぱりキーボード手抜かなかったんですね
ハンドヘルドコンピューター
そんなところがあって
F1の中島悟さんでしたっけ
そうだったかもしれない
出てこねぇか
なんか違う
本当に中島悟さん
中島悟さんが
F1のチームで使ってたんじゃなかったですか
なんかそんな覚えありますよ
喋ってるうちに思い出すな
音響カプラ
どっかにあるかな
中島悟さんのチームで
HC20を活用してますみたいな
中島悟さんとタイアップしてたんですかね
F1にエプソンのロゴ入ってた気がするんですけどね
そんなこともありましたね
すごいな20人くらいの方に聞いていただいて
すごい私のチャンネルにしては
すごい聞いていただいてありがとうございます
音響カプラですよ
今の若い人だと老害って言われるんで言わないようにして
電話機を挿して
300BPSが精一杯でしたね
音響カプラ
すごい時代でしたね
まさに昭和
HC20は
確かそういうのに使われてたと思います
マジ使ってたのかね
モバイルパソコンとしてはすごく面白かったと思うんですけどね
ありがとうございます
忘れてましたPC8201
言おうと思ってPC2001の話をして
話がぶっ飛んでました
これはね
これはね
赤い赤い
これもね
PCウォッチに書いてあるの
スペック多分書いてそうですね
グラフィックが40桁
8行ですよ
1:18:00
8桁
HC20の倍
グラフィックが244x64
大画面ですよね
これはね憧れたな確かに私も
このカーソルキーですね
すごく覚えてます
この切り方をしたカーソルキーは
すごく覚えてます
PC8201とかのPC2001
NC結構こういうのやつなんですけどね
あーツルモさん
PC81002
あれはちょっと微妙だったね
PC81002はね
NECはマーク2系結構出したんですよ
マーク2は所詮マーク2しかない
PC81001のマーク2ね
88の後の
意外と88の話今回してなかったな
この後の
88のマーク2ね
88マーク2遅かったんだ
遅かったんだ
遅くてその後に出たマーク2SR
これがね早かった
倍のスピードでグラフィックもあったし
サウンド機能もあった
カワウソの88マーク2を買った後に
マーク2SRが出た
この時のこの人
これが出た時の88マーク2のユーザーは
ショックだったと思いますよ
キーボードもあんまり
みんな持ってるんだ
キーボードはね
ちょっとイマイチだったと思いますよ
今くらいは良かったんでしょうけど
なんか使ってる時に引っかかるような気がするんですけどね
SRはFM音源ついてるし
TR持ってたんですか88マーク2TR
カプラスイッサンじゃないですか
TRはテレフォニーのTですよね
それだ音響カプラス機だ思い出したこれこれ
音響カプラス機だったんじゃない
電話機能が横についてるTRの後と
あとは1MBのフロッピーディスク搭載のMRね
SR、TR、MRっていう三兄弟です
電話付きだったんだ
そうだったんですね
そうだったんですね
シングル、スチル、サイクル
どうだったのか
FM77シリーズもそうだったんですね
PC版とかありましたね
ニフティサーブとかね
1:21:00
私ニフティサーブのアマチュアエンジンフォーラムのサブシステムやってたんですけど
そんなことはどうだっていいんですけどね
MR2の話をしてたんで
8cmMR2もあったんですよ
今言われてましたけど
これも後継機で
何が特徴だったのかな
記事見てみるか
グラフィック強化だったんだ
320x200ドットから4色
ちょっとね
これもFM7世代
出して
ちょっと残念なことになっちゃいましたね
あとこのPC8101MR2と
あとはさっき言った
パピコンのPC6101MR2
ちょっとここはNEC出しすぎてて
迷走し始めてた感じじゃないですかね
ここでついでに
このPC6601とかね
これもビジネス志向
若いですね竹田哲也
143,000だったんだ
ちょっとこれまでどこかで掘り下げてやりたいですけど
6600のMR2
6601MR2は出た
6601MR2はあったのか
書いてねえな
だから6000シリーズと8000シリーズがだんだんわけわからなくなってきた
あ、そう
80001MR2はN80ベーシックだったんです
長島PCサポートさんパピコンでしたか最初
私も最初パピコンになるかもしれなかったんです
ジャンケンポンカサイポン
あれですよね
当時10万円切ったんですよねパソコンがね
私もあれをあの時
買ってもらわなくてよかったかな中学生の時
MR2を出さなかったのは98シリーズだけです
それはそうだったっけ
当時ねMR2だなんだってよくMR2で出ましたよね
MR2とかベーシックマスターですねMR2
もうあのね
これは外しちゃいけない
これも外しちゃいけないマシンが出てきましたね
GR100
発出した電気
54800円
ちょっとすみませんGR100発出する前にね
89800円っていうやつが
あれ
これね
ビッグ1001 49800円ってのがありました
1:24:01
これもコモドルです
これもあったんですね
GR100
これも面白かった
グラフィックが
キャラクターが多かったんですね
プログラマブルサウンドPCG
キャラクターごとに絵が付けられて
自律的にプログラムを組める
グラフィックができるってのがあったんですね
あとはPC81001には春研究所の科学が
グラフィックキャラクタージェネレーター
キャラクターごとに自分の好きなドット絵を書いて
ゲームにもできます
PCG対応ゲームとかにもあったんですけどね
そういうのもあったんですけど
これ
PC100
私も買おうかと思って
買ってくれないかと思ったんですけど
高校受験控えてて
パソコンやってる場合じゃないだろうってことで
結果的にFM7にしてよかったんですけど
PCG
プログラマブルキャラクタージェネレーター
PSGプログラマブルサウンドジェネレーター
この3文字の略がよく張りましたね
なかなかGR100に戻れない
GR100って
ゴムだったんですよね
これで54800円で
ベーシックが使えて
あれの
モジュールそのまま繋げたんですね
これ松下からね
ナショナルパーソナルコンピューター
GR100とGR200
これがちょっと
これも
いまいちだったかな
あ、GR100って
ゴムを押すとクリック音がピピピピピ
思い出した
感触がよかったね
たぶんトッちゃんが使ってるGR100
私も触ってます
大使館で電気かな
GR200は普通になっちゃった
ゴムだったかな
ホームコンピューター時代
ナショナルパーソナルコンピューター
パナソニックじゃなくて
やっぱりこういう時代からみんなパソコンやってたんですね
パナソニックは
レッツノートってすごくいいブランドで確立してますけどね
やっぱり200もゴムですか
ゴムのキーボードですね
1:27:02
10万円を切るやつっていうのが
結構
パソコンがいろんな出てくる
80年代前半のパソコンの
いわゆる
昭和50年代のね
50年代のパソコンの
ブームのきっかけになったんじゃないかな
その後
ファミリーコンピューター
ファミコンが出てゲーム専用機になって
一気にそっちに食われてしまったっていうのがあるんですけどね
いきますかMSX
俺ねMSX持ってなかったんですよ
マイクロソフトMVPとしては
MSXはしなきゃいけないんですかね
これは
パソコンのアーキテクチャが
いろいろありすぎた
今ちょうどいろいろありました
当時企画を作ろうじゃないかということで
マスキーがまだマイクロソフトの
日本文字みたいなもんだった時
ということで出したっていう企画です
MSX
マイクロソフトXです
MX1とか2とかMSX2プラスとか
ターボRとかもあって
今はワンチップで出てましたね
私のFacebookのお友達の
今いるかな笹野くんっていうのが
大好きなんですね
ワンチップのMSXとかもありましたけど
マイクロソフトXって書いてあるかな
黒歴史にするかな
8ビットパソコンで
グラフィックもできてゲームもできて
テレビにもつなげてっていう
みんなで共同で作りませんかって
言ったのが出るんですよね
各メーカーから出てました
NECとシャープ以外から
NECとシャープは絶対乗らなかったんですよ
NECシャープ対その他連合だったと思いますよ
アスキーとマイクロソフト
キャノンも出してたか
キングコングとか
三菱も
マルチエイトは出してなかったな
比較にはサンドウェルスが参加しない
これNECだな
シャープは
別に
シャープとNECは出してなかった
1:30:01
各メーカー特徴を出してて
例えば
MSXのヤマハが出してたんですね
出てくるか
これ
ヤマハが出すと音楽MSX
パイオニアもMSX出してましたよね
パイオニアはAVパソコンですね
MSX
パイオニアはかっこよかったですよ
パイオニアがパソコン作ってたのはすごい話ですよね
本当にNECは乗らなかった
でもさすがにNECと思いましたよ
王者だなと思いましたよ
そうだこれレーザーディスク
レーザーディスクと連携ができたんですよ
パイオニアのMSX
これ名前なんだっけ
PV-7って名前だけ覚えてるな
これなんだっけ
CASIOだ
FP-100
電卓に続き
CASIOですよPV-7
さっきのパソピア7もそうなんですけど
FM-7で成功したもんだから
タイムギャルっていうゲーム
あったんですかね
当然私もね
これ今出していただいてますが
富士通大好きな私から見せると
FM-Xですよ
富士通なんで出したんだと
最初で最後のMSX
今長島PCサポーターが書いていただいてる
これFM-7と連携ができたんですね
これどういう連携だったのかな
ちょっと覚えてないんですけどね
FM-7のインターフェースにぐるっと回せて
連携ができてたんじゃないかなと思いましたけどね
PP-7からだったんですね
みんなMSX
好きだったと思いますね
やっぱりゲームパソコンとしても
よくできたと思うし
共通企画なんでMSX用だったら
このゲームみんなで遊べますよっていうのがあったんで
このMSXっていうのはある意味よかったと思いますよ
基本的にカセットで出すのもあれば
ロムカートリッジでも提供っていうのがありました
タモリ
これFM-7でタモリがキャラクターだったんですけど
結構可愛い男の子が出てて
タモリと2人で出てて
タモリがこのおじさんのFM-7と連携してみない?
1:33:01
って言ったら
FM-X持ってる男の子が
お母様と相談してからって言ったら
タモリがしつこいのに連携しよう連携しようって
お母様と相談してからっていう
そんなCMがあったと思います
結局
MSXって
結局
流れからすると
ファミコンに壊れちゃったんですよね
値段もパソコンだったから8万円とか
安くても5万円じゃないですか
ファミコンぐらいで2万円とかそのぐらいだったんですよね
結局
時代の流れですよね
ファミコンに壊れたパソコンがたくさんありました
MSXもそうだったのかなと思いますけど
みなさんありがとうございます
お気電気を忘れてた
みなさん好きですね
嬉しいなもう
これもZ80マシンだと思います
これビジネスパソコンですね
私の大学時代の先輩が
持ってて
やっぱりソフトが全然ないんで
これ私のFN7の経験でもそうなんですけど
どうしたかっていうと
これでピン動かすために他のパソコンのプログラムを移植してたんですね
動かしてた
だからMZもPC8000シリーズもみんな知ってた上で
勉強できてさらにこれを
iPhone100に持ってきたという
逆に勉強になったって言いましたね
マイナンスパソコン持ってるならでは
お気電気
それと
全部やっちゃうか
あれ
マルチエイトって言ったらペンが出てきたな
三菱のマルチエイト
これも
SIGMA計画
なるほど杉浜先輩
SIGMA計画をコンピュータ業界に
そういう考えだったんですかね
三菱のマルチエイトっていうのも
これもロングカートリッジもあるのか
12万3000円
安い
当時にしては買いやすいですね
Z80積んでてメモリー
1:36:01
64KBでしょ
GVRAM48KBなんで
620x200で8色
PSGによる30万
これで12万8000円
つまりスペックFM7です
FM7ですよね
残念売れなかったんですよね
これと
マルチ16
ビジネスパソコン8086のステル
CPMか何か
マルチエイトとマルチ16
三菱が出していました
当時これね
石原義史さんだっけ
気象技法師がやってる石原さんが
パソコンが得意な経営
石原雄二郎お前は今日からマイコン出す
マイコン出か
今マイコンって呼び方入らないんですよ
パソコンですよって言ったけど
石原雄二郎がお前はパソコン出す
パソコン出かって
昭和ハッピー地区みたいな
太陽に吠えるの
スポンサーが三菱電機だったんですね
だからパソコンはマルチエイトが出てました
石原義史さんが
街で最新型のパソコンだって
ショーウィンドウで見るんですね
若い女性の警官だったかが
パソコン見ると少年のような顔になりますね
スポンサー丸々
スポンサー丸々
スポンサー丸々
スカイラインの中にもPCありました
今流しているPCサーバーさん
当時の8bitパソコン
FM7を超えることが目標だった
とにかくFM7が最強だったと思います
それほどマイナーでもなく
それほどメジャーでもなく
当時NECが互換性を維持する
98もそうだったと思うんですけど
互換性を維持するのは思い切ったことができない
よく聞いてたんですよ
88マーク2SRってよく出しましたよね
FM7は当時は
目標の一つだったかもしれませんね
MSXもあったし
1:39:01
ホビー系の話をしたかな
どこで話したか色々しようと思ってたんだけど
ホビー系のパソコンもあるし
X1とX2のサーバーもありますけど
88の話
MECの話
違う
AVパソコンの話があります
FM7製のAV
これ持ってました
テレビも15インチモデル
スーパーインポーズもできて
総天然ショック
620x200ドットで発色
320x200ドットで
4096色出せたんですよ
これはね
この色数は
同時発色
総天然ショック
開発コードネームデイジー
これが
AVパソコンという走り
ハイエンド8ビットパソコンの世代になってくる
例えばシャープデイは
X1ターボ
後にPC
X68000に行きますけど
X1ターボ
X1ターボだったし
当時MZ2000も
この中のうちだったと思うんですけどね
あとはPC8801
MAX2
SR
こういうSRのシリーズもあったし
これがダヒットですよね
これの廉価版FR
MRか
ここら辺になると
MAXFRか
今持ってる方いますよね
部屋に積んでるとか
ヒタチの話するの忘れてた
ベーシックマスターとS1とか
AV世代の
パソコン
ヒタチの
MBS1
ヒタチはですね
ベーシックマスター
私が初めて使ったパソコン
あれが6800
1:42:02
ずっとモトロラ系を使ってたんです
B16ってビジネスパソコンシリーズ
8086
B16ってXTのソフトが動くんですよ
あとは
ベーシックマスターレベル3になって
ベーシックマスターレベル3
レベル2
これこれ
ちょっといきなり逆モデルしますけどね
これが初めて私作ったパソコンです
これね
さっきの廉価版とかジュニアってありましたけどね
これが初めて
私中学校の時に
浜銀
横台のところに
博物館っていうか
浜銀博物館ですか今ね
あそこで当時
横浜なんとか館っていう名前だったんですけど
パソコン講座があって無料だっつって行って
行ったら部屋中にこのパソコン並んでて
ヒタチの人が来てこれでベーシックの講座があって
初めてそれが使ったパソコンですけどね
ベーシックマスターレベル2
レベル3っていう6809を積んだ
ものがあって
さらにここに書いてるんですね
MBS1ですよ
JRもあったし
ジュニアもあったし
マーク5エヴァンゲリオンか
レベル3に5ってなんだって
ヒタチも出してましたね
鶴村さん言われて
88マックスがきっかけになったっていう
その時に使ってたパソコンとかの影響を受けて
ちょっと話が
ちょっと待って戻るのを必死に考えて
ベーシックマスタージュニア
低価格のパソコンのうちの一つです
キーボードがすごく良かったですね
キーボード横から見るとこういう絵になってる
ステップスカプチャータイプキーボード
打ちやすいキーボード
これも欲しかったな
やっとMBS1に
いくんですけど
OS2も動くし
68092つ乗っけてるし
後で中古でも買えないかなと思ってたくらい
ヒタチのベーシックマスター
こういったのがあって
ちょっと話戻します
AVパソコンの話に戻しますと
X3 Turboにしても
FM77AV
1:45:00
FM77AV40
SX
やっぱりそこが
いいとこまでいって
そこで
エネルギッシングの動きが
88MAXSRで止まってるんです
88MAXSRって
TRFRMRって出したけど
その後もモデルいろいろ出てるんですけど
88SRを超えてないんです
AV機能として大幅に遅れを通ってる
というところもあったんですよね
それでも圧倒的にゲームソフトとか多いんで
流行ってたんです
NECの技術屋さんとしては
もっとやりたかったんじゃないかなと思うんですけど
一方NECはゲーム機ってことでPCエンジンとか
そういうのを出してて
そっちの方にも過剰機っていったってところがあったと思うんですね
NECは98シリーズ
富士通は
FM16βとかも出しましたけど
FMRとかも出しましたけど
富士通とその後のFMタウンズに繋がる話とかで
だったんですけど
メインにはならなかったんですよね
シャープはMZの2800もダメだったんですけど
ヒタチはベーシックマスター1600も出したり
あとはB-16、B-32ってシリーズがあったんですけど
ヒタチはまあいいか
入社したときに
ヒタチのB-16ってお得だったんですよ会社に
びっくりしたのが当時のヒタチの人たちって
自分たちのパソコンが一番だと思ってたんです
よくできてますよ
ただ市場を見れば98でしょって
98なんか認めん
B-16だろって
変なところがありましたね
そういうところもあってですね
さすがいいとこ見つけた
実はさっきからこの話をしようしようとして
つなげようとしたのが
おっしゃる通りですがトッチャンさん
FM、つまり16bit、32bitで
AVパソコンでハイエンドのものが出てきて
NECが乗れなかったんです
実はこの話しようと思ってたんですよ
フジツーはFMタウンズ、シャープはX68000
ハイエンドのもう
いわゆるワークステーションズって言ってもいいくらい
いいものを出してたところで
NECは結局98から飲まれられなかったんですね
そこで出したのが
イケサイトユキ
AVじゃない、VA
1:48:00
これです、サイトユキ
これね、私これのカード持ってますよ
どっかに捨ててないですね
PG88VAという
AVパソコンを出しました
サイトユキですよ
今のサイトユキはスケバンデカの
大好きだったんですけど
88VAってどんなスペックでしたっけ
ちょっとこれだけ
お願いウィキペディア
そう、V30だ
V30だ
本当にNECの98の成功っていうのは
良くも悪くも
引っ張っちゃったとかあったかもしれませんよね
でも98好きな人に言わせると
98語らせるとすごく奥深いんですよ
私は98なんてあまり好きじゃなかったんですけど
NECの交換機は持ってたし
親父も98ノート持ってましたけど
語らせるとすごかったですね
じゃあこのPG88VAいきます
これはですね
マルピオPD9002 V50のカスタム品ですね
これか
V50ってNECはVシリーズで
インテルの8086の互換チップ出してたんですね
NECもV30使ってたりした時期がありましたけど
ここのVDP
ビデオディスプレイプロセッサ
こういったところもあって
結局これ何かというとスプライトですね
当時ゲームとかやるって
プログラム組むのすごい大変だったのは
何かというとキャラクターを動かすし背景もあります
何をやってたかというと
キャラクターを動かすけど背景はちゃんと残さなきゃいけないということで
キャラクターを動かす時に
背景も描画した上で
マージして描画
それをやってたのは
いわゆる普通にVRAMを持ってた人たち
そういうものだったんですが
X68000とか
ゲーム機になるとスプライトを
背景を1画面持ってて
重なり合わせの処理をハードウェアでやってた
スプライトの表現でよかったかな
これも
キャラクターが
スプライトは32ドット×32ドットまでだとか
という制限が割とあって
ゲームでキャラクターを動かすにはいいんだけど
それだけだよねってところもあったんですが
1:51:02
この88VA
256×256ドットで最大32倍の
スプライト機能がある
びっくりしました
これでゲームすげえのが出るなと思ってるし
Z805缶
88のソフトも動かせましたよね
レイヤーの機能ですね
ゲームスプライト機能があるかどうかで
作り方が変わる
FM7のゲームプログラマーかわいそうでしたけどね
サブCPUにデータ送ってなってやってたんで
ゲーム出なかったんですよ結局
かわいそうですよね
サウンド機能だってFM音源
良かったしフロッピーディスクだっていいの載ってたしね
スプライト機能
あとは独自OSPCエンジン
PCエンジンという
ゲーム機のPCエンジンとはまた違うんだけど
PCエンジンの名前を使ってOSを作って
MS-DOSバージョン2って書いてありますね
そこでちょうど下にスクロールして
持っていってやると
PC98DUというのが出てくるんですよ
VAはVA2、VA3で出てたんですけど
良いパソコンで欲しかったんですけど
やっぱりX-ROCKMAN戦とFMTOWNSの戦いには
ちょっと入れなかったですよね
98DUいきますか
ありがとうございます
こんなに98DUまで話しに行くかなと思ってなかった
ビープだ
98DU
V33を積んで
88と98のソフト両方動きます
あれ?
これ98DUか
あとPCエンジンか
話しとれちゃったな
これ98DUの話もあったし
88とPCエンジンの合体タイプだよね
これですよね
88の最後のシリーズだったと思うんです
CD-ROMドライブ搭載で
PCエンジン
これ88MCか
88MCってPCエンジン
搭載タイプで
あれ?
1:54:02
一緒のやつってありませんでしたっけね
PCエンジンとくっつけてやったっていうのはありました
これ
PC8000値を買った後藤富代さんが
CD-ROMすぐ押してたんですけど
当時のNECの上層部がなかなかCD-ROM認めてくれなかったらしいんですよ
俺行ったのにって言ってましたね
すごいそこは残念だったのかな
こいつですか確か
ありましたよね
これか
88MCと
DOOT
PCFXってあったな
これのことでしたっけ
88シリーズの最後はね
もうわけわかんなくなりますね
確かにもうわけわかんなくなってきたんですね
ゲーム機かほとんど
ゲーム機でしたねFXはね
PCエンジン持ってましたけどね
あ、PCFXって
PCエンジンの攻撃機だったんだ
それはちょっと
全然ちょっと思い出せない
覚えてないですね
結局その
この後って
実は各社結構迷走してったんですよね
X68000も
どうしてたかというとですね
これになると昭和なのか
ツインタワーもあるし
あとは横型のX68000で
エクシブとか16メガタイプだとか
横型のデスクトップ型になったX68000だとか
最後68030も積んだのかな
というのもあったんですけども
結局これって
パーソナルワークセッション
これね結局どうなったかというとですね
市場がしぼんでっちゃったんですね
マンハッタン
まずね
これ聞いた話だと
ゲームソフトが出すんだけども
不正コピーをみんながしたんで
1:57:02
ゲーム全然儲からない
結局いいマシンを出しても
ゲームやってもみんなでコピーしちゃってるから
全然売り上げにならないって言って
結局ね
いいゲーム出してたんですよ
ジェノサイドとかいいのありましたよね
結局それでしぼんでっちゃったっていうのが
このX68000のすごくかわいそうなとこです
ヒューマン68000ってソフトもあったし
GUIのソフトもあったし
その後で出たSXウィンドウとかのやつもあったし
私ねX68000にしようかFMタウンズにしようか
買うの悩んで
富士通派で行こうってFMタウンズにしたんだけど
これはちょっと最後は悲しいことになってしまったなっていう
パーソナルワークセッションでした
プロは横型だった
X68000よかった
逆にFMタウンズっていうのは市場的に厳しかったところもあるんだけど
CD-ROMで発売してたんでコピーができなかったんですね
満開製作所
流石麻生ゲーム先輩
ネゼファンはいるし
X68000ユーザーって
FMタウンズの言葉はやたら悪く言うんですよ
X68000ユーザーとはすごい仲悪かったです
今の言うMacとWindowsみたいな
冗談で言い合うような仲じゃなくて
本当に仲が悪かったです
X68000
これは昭和ではなくなってしまってるんですが
ハイパーミディアパソコンFMタウンズですね
80386の設定
MS-DOSバージョン3.1
FMR版に対して
ファーラップ社の386DOSエクステンダーという
32ビットネイティブアプリを動かすための
ラップスルーソフトをつけて
さらにタウンズOSというGPUに乗せて動かした
パソコンです
純粋に386ネイティブで動くパソコン
ハイパーミディアパソコンFMタウンズ
これは私買いました
1989年の11月に
NHKがお昼のニュースで
フジツーが32ビットの
ホジPPAパソコンを発売すると
出したんですね
その後に東京ドームで
お披露目会をやったんですが
当時天皇陛下の御用態が悪くなって
そんなお祭りさえやってるわけないだろう
日産のセフィールも
2:00:00
イノウエスがお元気ですかとやめてしまったのと一緒で
結局延期になって
平成元年の3月に発表になった
平成元年の2月28日に
正式発表になって
その後東京ドームで発表になったんですよね
という戦いがあって
これはすごく
良かったですね
CD-ROMのパソコンだし
FMタウンスについては別に回を設けて
話したいと思うんですけど
フジツーの
この前亡くなられちゃいましたが
フジツーの当時の関澤社長がすごく力を入れてて
ただやっぱりフジツーは
文教市場で
FMタウンスかなり売ってて
この後の一体型もあるし
ゲームコンソール型のFMタウンスマーティ
3DOなのかピピンなのか
という縛りも出しちゃったんですけど
これである程度
教育市場にはかなりの視野を持ってたんです
4割くらい持ってたんです
文教市場というフジツーは
CD-ROMが飛び出すんです
回転したまま止められなかったんです
初代持ってたんで
飛び出しはしなかったんです
今流しのPCサポーターさんに言われてましたね
多分FM7から入ってX68000にいた人の中に
フジツーへのなぜ68000マーションを出さなかったかという
恨み節もあったんだよ
私そうでした
フジツーには
モトラル大好きだったんですZ80
CPUの湧きでマシンゴを散々プログラム組んで
だからフジツーは
68000を出した32ビット版パソコンを
出して欲しかったんだけど
386って聞いて
インテルかよって
今全部インテルですけどね
悩みましたよ
X68000を取るか
フジツーのパソコンを取るか
悩んで私はフジツーのパソコンを取ったんですけどね
当時はどうでもいい悩みだったかもしれませんが
当時は40万50万の買い物だったんでね
悩んだ
FMタウンズの基本ソフトのファイル名はMS-XAだった
黒歴史?いやいや
そこはフジツーファンとしては
すごく悩んだとこありますよ
2:03:01
逆に私X68000を買ってたら
多分
マッキントッシュに行ってましたね
マッキントッシュ行って
Windowsなんかクソだってずっと言い続けて
今でもApple最高だぜって言って
なんでマイクロソフトなのかよ
ああいう人生を辿ってたと思うんですよね
私はこの後FMタウンズを使って
Windows 3.0
with Multimedia ExtensionというWindowsが動いたんです
最後FMタウンズMXって486のタウンズ
買ったんですけど
そこで最後タウンズOS使わないとほとんどWindows使ってました
ソフトたくさんあったんで
人生変わってましたよ
今頃私Microsoft MVPなんてやってないです
あの時X68000
アンチマイクロソフトの9000歩をやってました
G4まで行ってないな
マイク買えなかったです
それでWindowsを使ってて
結局Windowsの話が共通にできてるうちに
周りのアマチュア無線のクラブとか
中に
PSVってありましたよね
あとPSVVisionとか
あれを設計してた大和研究所の方がおられるんです
今でもFacebookでもついこのままやり取りしてるくらいの方で
そういった方から
iBeam PC-80互換機って面白いよって
色々教えてもらったんですけど
その中で
色々教えてもらって
パーツを買ってきて組み合わせるんだと
台湾に行くと安いんだ
当時そのPC-80286
16MHzノーウェイトのマシンを
安く1万円か何かで譲ってもらったんですよ
98取らない
ちょっと触れたけど
それで
DOSV動かしてWindows動かして
Windows3.1で秋葉原に買いに行って
そこからマイクロソフトどっぷりの
ダークサイドに落ちてしまったっていうのが私の歴史なんですけど
やっぱりだから
FMTownsのWindowsの流れがあったから
今の私にいるかなと
今のお付き合いの皆さんの
いると思ってます
多分ね
そっちの道行ってなかったらきっとね
なんだあのマカノキザワって
あいつ頭おかしいんだよ
アップしか頭ないんじゃね
98の足しねえのかと
2:06:02
しなかったね98の足
98買ってないんですよ
生涯買ってないです
親父が98ノート持ってた
あと98からのノート
NCか
持ってたし
あと私98としてはPC286VGという互換機持ってました
だから98使ったことないことないんですけど
なにすか
杉山先輩何言ってるんですか
そう
98はすごかったです
国内市場値は9割超えてたでしょ
今でもFC9801という形で
FAパソコンとしては残って
販売してないけどメンテナンスではしてますし
NECのシステム
あるお客さんのとこで
NECシステム入ったりすると
98がまだいたりするんですよね
良かったけど
私から見ると市場試合にかまして
なんでも取られてたっていう
仇の存在だった
買ってないですよ杉山先輩
98RAとかVMとか
私ね
アンチ98だったんで
当時
FMタウンズとか
FMタウンズみたいに
市場はマイナーマシンであっても
良いものは良いんだと
あんな98みたいに市場シェアだけに支えられて
性能なんて1世代2世代前のYSじゃないかと
なんであんなのが良いんだっていう立場だったんですよね
だから今
マイクロソフトWindowsが良いと
私はナンバーワンだと
MacOSよりいいと
Appleよりいいぞって言ってるやつを見ると
当時を知ってる私の学生時代の先輩からすると
今Mac持ってますけど当時Mac
持ってませんって言ってた
Macを使ってないのか
しかもWindowsを喜んで使ってるのかと
XPだったんですよ
マイクロソフトのMVPだと
お前はダークサイドに落ちたのかって散々言われてた
っていう笑い話もありますけど
まあまあ
そういったとこも色々あってですね
市太郎使いたいから98
そうですね市太郎みんな使ってましたね
あえて市太郎の話ちょっとしますと
市太郎私使ってましたFMタウンズで
FMR版バージョン3
2:09:02
5万円予定しました
FMタウンズはFMR50のソフトが全部動くんですよ
FMRタウンズ用市太郎バージョン5か
私バージョン3でしたね花子がなかったんですね
花子がなかったんで
絵が描けなかったんですけどFMRタウンズ版
市太郎バージョン5か
5だったかな
3だった気がしますね私が使ってたのは
持ってましたよ
ちゃんと買ってました
98ユーザーのことなんか言ってるわけじゃないですよ
ちゃんと買ってましたよ市太郎
市太郎バージョン3良かったですよね
その後市太郎バージョン4が酷かったんですよね
バージョン4.3になったんだけど
品質的に酷かったんですね
品質的に酷かったんですね市太郎バージョン4
なんで品質が悪かったか市太郎バージョン4
市太郎5は
ジャストウィンドウとかあって
ウィンドウズに対抗しようとしたんですよ
マルチウィンドウで
ただやっぱりもう立ち打ちできない
市太郎バージョン6かで
ジャストウィンドウ諦めたんですよね
ある意味
栄談だったのかな悔しかっただろうけど
なんで市太郎バージョン4が不安定だったのか
どっかのメーカーがバンドルさせるんで
急いで作らせたんですね
さあどっかのメーカー
それは
すいません声を出していません
なんだっけあのメーカー
だめ出てこない
出てこない
あれこれじゃなかったっけ
おかしいなあ
そうひたちのパソコンです
プロサイドっていう
あれプロサイドプロなんとかだったかな
フローラーの前なんですよ
フローラーは
エイサー
フローラーっていうのは
エイサーのパソコンを
NOEM受けて作ってるやつですね
あプロセットだ
ありがとうございます
プロサイドは
これプロセット
かっこいいでしょ
絶対欲しいですよ
ひたちの
2:12:01
おそらくトツカ工場で
作ってたと思います
いいのかな
これ
大きくできないか
これは
電話付き
本当に電話付いてました
要はですね
こういったメニューもあったんですけど
ひたちの
おそらくトツカ工場
キャノンのナビ
あの流れです
ほとんど一緒じゃないかな
メール電話ファックス
私も結局これ一度も
見てないです
OA事業部だ
いいのかな
ひたちのトツカ工場だけど
OA事業部っていうのが
というような言い方があったんですよ
ひたちって
エビナ工場でフローラー作ってるのと
そう立ち画面ですよ確か
フローラー
AT55X巡機あったかもしれない
フローラーやめとこう
プロセットは
いろんなのに
何が特徴かというと
ワープル一太郎バージョン4
作図花子バージョン2
買ったらもう全部できる
当時のワードとかがそこまで
出てなかったんですよ
一太郎が一番シェアを持ってた時代です
つまり買った日に
一太郎も使える花子も使える
メールもできる電話もできる
ファックスもできる何でもできる
プロセット30
聞いた話は
社内で聞いた話じゃないですよ
いろんな噂で聞いてると
どうもプロセット30に間に合わせるために
結構ジャストシステム急がせた
という話で
なかなか品質維持のために時間取れなかった
という話を聞いてるんですね
業界的な話を聞くと
おかげで
とばちりをジャストシステム食ってしまった
という話もあります
ジャストシステムは
2:15:02
一太郎バージョン4の不安定さを反省していて
バージョン5出す時も
最強の一太郎を出した時に
当時の雪川社長も二度と会うことはないようにします
品質管理しっかりした
売れるに決まってるよ
確かこれいくらだったっけ
というのがありましたね
ゴトークミコです
パーソナルワークスルーですね
マイクロエネルギー機械研究所
そういうところで
いろいろしてきましたけど
何か話してたかな
海外のパソコンの話は
あまりしなかったですけど
Ivy PC、AT5関係だとか
ビッグ戦士とココンボールを出した
シンクレイのZX-80もしたけど
これですか
これもあんまり話すことないんですよね
高校時代の同じクラブ活動の人で
親父が持ってるって人が言いましたね
アップル2
リサとかね
以上です
これはあんまり話すことがないです
アップル製品で語る話をすると
昭和の時代ってなかったんだけどね
気になるかな
これあたりと
初代のiMacとかですね
アップル製品に興味があったのは
マックワールドエキスポとかも行って
これか
セントリスとかね
クアドラっていうやつがあったのが
すごく欲しいなと思いましたけど
これはまたの機会に
お出しをさせていただく
そんなところですかね
こんな感じになっちゃうね
2:18:06
そういったところで
ここら辺のくだらない話っぽいところは
レビューでボロかせに書かれてる
私の電子書籍も書いてますけど
別にこれ書く必要ないです
私が喋ってるようなことしか書いてないんで
こんなのもありますし
今2時間半もやってますので
今日は昭和の日ということで
懐かしの話もさせていただきました
あと皆さんありがとうございます
いろいろと突っ込んでいただいたおかげで
思ってもないFP1100とか
いろいろ話できてよかったです
またこういうお話も
していきたいと思ってます
こういう話も好きだけど
未来の話をしようよっていう人もいますし
名前には振り返ってしてみても
よかったんじゃないかなと思ってます
アカウントとして残しておきますので
また見ていただければなと思っております
今日昭和の日 昭和のパソコンを語ろうということで
ライブ配信をさせていただきました
ありがとうございます
もしこの動画面白いと思ったら
チャンネル登録をしていただけると嬉しいです
YouTuberならではの挨拶で締めくくります
どうもありがとうございました
2時間半もお付き合いいただきましてありがとうございます
またよろしくお願いします
ありがとうございました
02:19:49

コメント

スクロール