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#149-2【小笠原】母なる島の生命のプリズム Part1後編
2026-06-11 1:56:56

#149-2【小笠原】母なる島の生命のプリズム Part1後編

母なる島の生命のプリズム ボニンブルーの詩を聴かせて1日目&2日目後編


今回ご紹介するのは、おそらく日本国内で最も到達難易度の高い地域……そう、「小笠原諸島」です。

世界自然遺産にも登録されている”母なる島”は東京から1,000km離れた秘境。およそ4,800万年のあいだ、一度も陸と繋がっていない”海洋島”は、世界でも希少な生態系を育みました。

その生態系を象る小さな生命の輝きに迫ります。

現地で体験した島の魅力と、入念な準備の必要性もばっちりリポート。

海と空と生命とが奏でる、ボニンブルーの詩をお楽しみください。


【目次】

〜 今回は後編です! いよいよ父島に上陸

〜 最初のランチは驚きの〇〇バーガー! 島ならではの味覚を堪能 【ハートロックカフェ】

〜 小笠原諸島の魅力の概要を知る キーワードは“海洋島”そして“3つのW” 【小笠原ビジターセンター】

〜 ★歴オタ話★ “小笠原諸島”の名の由来 江戸市中を騒がせた怪文書事件とは

〜 ★さらに歴オタ話★ “イメージ”と“誤解”によって生まれた小笠原諸島 “Bonin Island”を巡って

〜 世界に誇る希少な生態系 その価値と課題を知る 【小笠原世界遺産センター】

〜 たくさんのウミガメに触れ合える資料館&水族館 【小笠原海洋センター】

〜 沈没船を取り巻く静謐な絶景 【境浦海岸】

〜 父島の夜はぜひナイトツアーへ 生命の神秘に感動 【Huu Rin Sanpo】

〜 ★コラム★ 雨上がりの密林に光る“グリーンペペ” その儚い輝きと数奇な運命

1〜 1日目&2日目の振り返り


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サマリー

今回のエピソードでは、東京から1,000km離れた秘境、小笠原諸島(父島)への旅行体験が語られます。まず、父島に上陸した際の船酔いからの回復や、初日の過ごし方について触れられます。昼食には、小笠原の海で獲れるサメを使った「サメバーガー」や、歴史的背景を持つ小笠原産コーヒーが紹介され、そのユニークな食文化と島の歴史が垣間見えます。 次に、小笠原ビジターセンターと世界遺産センターを訪れ、小笠原諸島が「海洋島」として独自の進化を遂げた希少な生態系を持つこと、そしてその価値と保全の課題について詳しく解説されます。特に、外来種の影響で固有種が絶滅の危機に瀕している現状や、それを防ぐための島民の努力が語られます。 さらに、小笠原諸島の複雑でユニークな歴史についても深掘りされます。江戸時代の「無人島の怪文書事件」から始まり、島が「ボニンアイランド」と呼ばれるようになった経緯、そして明治政府による日本の領土としての確立まで、多くの謎と偶然が重なり合って現在の小笠原諸島が形成されたことが明らかにされます。夜には、ナイトツアーに参加し、国の天然記念物であるオガサワラオオコウモリや、光るキノコ「グリーンペペ」、そして満天の星空といった、小笠原ならではの神秘的な自然体験が語られます。ウミガメとの触れ合いや、沈没船が残る美しい海岸の情景も紹介され、小笠原諸島の多様な魅力が伝わってきます。

00:03
大人になりたい旅がしたい。このポッドキャストでは、旅行とお酒が好きな同級生2人が、大人だからこそ知りたい、ちょっとディープな国内旅行のモデルコースを紹介していきます。旅のお供はこの2人。
旅が生き甲斐なアルヤです。 ディープな旅がしたいけど知識がない旅行初心者、内田です。
はい、今回は母なる島の命のプリズム、ボニンブルーの歌を聴かせての1日目の後編ということになっております。
前編では、この小笠原諸島に着くまでの事前準備と、あとはこの船の中の過ごし方というのをお話ししましたが、いよいよこの後編から小笠原諸島、チチ島を見ていくという感じですね。
やっぱりすごく特別な体験になるなというのがよくわかりますので、ぜひ前編から聞いていただければと思います。
ということで後編どうぞ。
父島上陸と初日の過ごし方
というところで、ここからいよいよ上陸した後の話に入っていくんです。
チジマに着いたのは11時です。
その後僕もやっぱりアネルを飲んでたとはいえ、やっぱり気持ち悪くなってないんだけども、歩いてるとやっぱりすげー違和感があったんですよね。
なんかフラフラする感じの。
一旦ベッドに寝っ転がったんですけど、足が一人でに動いてるような感覚に襲われたんですよ。寝っ転がってるだけなのに。
勝手に足が運動してるようになってて、やっぱりちょっと抜けない感じがありました。体の部分が。
なるほどね。
多分全然違うだろうけど、その動く歩道から降りたい感じの、あのうわっていう感じがずっとあるみたいな。
そう、あれ20日乗ってたとこなんで。
まあやっぱさすがにね。
うん、そういうのがあるんですよね。
なのでその辺りのコンディションとかもちょっと整えていただいてからがいいのかなと思います。
で、千島に着いた日は要は実際観光半日しかできません。11時に着いてるので。
なので僕のあくまで個人的なお勧めとしてはですけれども、この日は疲れてもいい、睡眠不足でもあるし、下手したら気持ち悪いって人もいるかもしれないので、この日は昼間何も申し込まない方がいいと思います。アクティビティとかには。
ちょっと休める時間とか、動けたら街歩きするとかぐらいの感じ。
逆にその辺りで大村の、千島の中心大村ですね、の辺りの面白いちゃんと歴史とか自然の概要を知れる施設があるので、ミュージアムがあるので、その辺りに先に行っておいて、
で、翌日からの自然のいよいよ体を動かす田んぼのところに知識を置いといてほしいと、の方がいいんじゃないかなと思うんでさ、いろんなためにね。
ということで、お昼ご飯を食べるところから観光したいというふうに思います。
ハートロックカフェでの食事と小笠原コーヒー
港のすぐ近くなので、大村からであれば歩いて10分以内には着くと思うんですけれども、ハートロックカフェさんをご紹介させていただきたいというふうに思います。
すごい綺麗な、でもやっぱ南国感ありますね。
なんかいいね、テラス席が気持ちよさそうな感じですね。
こちらね、二味の港からすぐ目の前にあるハートロックカフェさんになっています。
で、やっぱり港の外観なんですよね。
ログハウスっぽい感じ。
そうそう、このログハウスで作られたようなもので、かつ店舗はこういった形なんですけれども、道沿いにね、ガジュマルの木がね、もう競り出していて、テラス席とかもガジュマルの木陰に覆われてる状況なんですよ。
これがやっぱり、本州ではまず見ないなという感じですよね。
やっぱリゾート感はあるね。
ありますね。
この画像だけ見ると南国の、それこそサイパンとかグアムとかハワイとかなんかわかんないけど、そういう感じはありますよね。
小笠原はね、沖縄とかよりはムシムシはしてないんですよ。
僕の印象だと、風が当時はわりと良くて、24度5度くらいが大体日中の4月だとね、ぐらいだったので、すごく気持ちよかったですよ。
この木陰で癒されて。
そうか、だからもっと夏になってくるとより暑くなってくるから、多少対策とかいろいろ必要かもしれない。
なるほど、4月ぐらいで24、5度。
だしたね、だいたいね、昼はね。
実際これじゃあ何をいただくのかということなんですけれども、ぜひお勧めしたいのがですね、名物ですね。
サメバーガー。
サメバーガー?
サメ食えんの?
はい。
これですね。
これね。
見た目はフィリオフィッシュみたいな感じですけど、サメなんだこれ。
そうなんです。
小笠原の海はもう本当に生物の宝庫なわけですけれども、特にサメは多いんですね。
で、小笠原の漁業っていうのは基本的にメカジキが狩猟なんですよ。
アジとかサバとかじゃなくてメカジキなんですよね。
あれはハイナワとかで獲るわけですけれども、そうするとね、ハイナワって言うは、ブワーって何百メートル渡ってこう石付いて、それをカジキが食いついて釣りみたいになってるわけですけれども、
一晩の間カジキがそこに捕まってるわけなんですけど、それをサメが食べちゃうことがあるらしいんですね。
だから翌朝漁師の人が引き上げとしたら、もう死んでるカジキが引き上げて、なんだこれ意味ねえじゃんみたいになっちゃったりもするそうで、
で、サメの駆除っていうのもちょっと進めなきゃいけないというふうなのも漁業の問題からもあるそうなんです。
ところがサメというのは小笠原にもたまに青浜山にもあるんですけれども、基本的にアンモニア臭いが臭いと。
アンモニア臭いなんだ。
進め方が悪かったり、鮮度が落ちたりするとすごく腐っちゃうっていうんで、食べられることが基本的にないそうなんですね。
フカヒレとかヒネの一部とかをねっていうのがあったり、小笠原のカマバコとかもサメを使ったカマバコだったりもしたんですけれども、
そういうスリミとかに加工しないと生魚とかで基本食べられないものだっていうのは一般的なものなんですよ。
ところがやっぱりサメでも生物であり世界遺産に生きるある意味仲間でもあるわけですから、
生命はいただくとはいえ、やっぱりそれを捨てるだけっていうのはちょっとどうなんだっていうことをやっぱりこの方はすごくエコツーリズムにすごい関心のある方でもあるので、
人間の手でうまく調理することで、生命をいただいて捨てることがないようにしましょうということで、このサメバーガーというものを開発したんですね。
これね、結論から言うと全然美味しいです、マジで。
臭みとか全くなくて、フィレオフィッシュには本当に近いんですよ。
ちょっと身の噛んだあたりにニルっていうところがややあるかだっていうところはあったんですけれども、
やっぱり揚げてあるのでその衣と合わせて食べたら気にならないし、そこはねすごく美味しいなって思いましたから全然抵抗なく食べれますね。
基本的にはその白身の具材みたいな感じ。
魚の旨味とかアジの磯気のある旨味とかはないんですけれども、揚げてある以上は別にそんなに何もこれがサメだと言われても気づかないと思いますね、正直。
普通に見た目美味しそうですもんね。
美味しいですよ。
なのでこの辺で軽めにお昼をとっていただくのもいいのかなと思いますね。
他にもヘルシーカレーっていうのもあるんですね。
あとやっぱり小笠原はメカジキが大きな漁業の収穫物になりますので、これのメカジキを使ったカレーとかもね、このお店以外にもあるんですけれども、この辺は全然美味しいですよね。
やっぱり晴れてたらテラス席でいただくのがいいですね。
そうですね。
そして僕はあんまりコーヒーが詳しくないんですけれども、ここでスペシャルなのが小笠原産コーヒーというものなんですね。
これは後々話すんですけれども、小笠原諸島っていうのは本当に複雑な歴史を歩んできたんですよ。
その中でただやっぱり農業というものに非常に栄えた時期があって、特に戦前は小笠原諸島の住人というのは、日本の本土に暮らしている人たちと比べても非常に裕福だったと言われてます。
バナナとかそういったパッションフルーツの栽培に大成功して、農業とか漁業っていうのがめちゃくちゃ栄えて、それを日本の本土で売りさばくことで、すごい莫大な衝撃を上げていた。
そうか、だから日本の本土にしてはレアなものがたくさん売れるってことだよね。
それを今で言うようは促成栽培みたいな要領で、季節外れのものとかも彼らを出荷できたんですよ。
なので農家の人たちはすごい裕福な暮らしをしていたそうなんですよ。
そういった中で小笠原の機構を活かしてやってみようと、心見られたのがこの小笠原産コーヒー。コーヒーをやろうとしたんですね。
なかなか国産のコーヒーってなさそうだよね。
そうですね。コーヒー詳しい方はコーヒーベルトなんていう、要は赤道付近の、ああいった機構の中でしかコーヒーというのをうまく育たないっていうのが一般だと思うんですけれども、
要は日本の中でこの赤道に近いといえば小笠原とか、あるいは奄美沖縄ぐらいしかないわけで、その小笠原の方には後々搬出場で移民の方も多かったので、
やっぱりそういうノウハウだったり、あるいは願望を持ってる人が多くて、このコーヒーを作ると心見られたと。
実際に戦前ではコーヒーというものを作ることに成功して、ある程度の卸しもしていたそうなんですね。
だから国産コーヒーというのがあった時代があったんですよ。昔はね。
ただそれはやっぱり戦争の時に七島自体は太平洋戦争のすごい部隊にならなずに空襲を受けてしまって、その時もやっぱり大きな被害を受けたんですけど、それでもそんなに比較的甚大な被害はなかった。
ただ一方で、同じ小笠原諸島の南の方に行ったところには、いわゆるイオウ島があります。
これはもう歴史の許可書に載っていますけれども、太平洋戦争における本当に悲惨な戦場として歴史に名を留めてしまった場所で、日本軍がここで全滅をしたというね。
以前、渡辺健さんが主演でね、イオウ島からの手紙というすごい戦争映画で国際的に評価を受けた映画がありましたけれども、
あれの舞台になったということで、小笠原やっぱり戦争の時も島全体を見て大きな被害を受けた戦地になってしまったんですね。
そういった中で小笠原諸島は連合軍に占領されて、1945年の終戦から1968年の23年間はアメリカを取得する連合国軍の占領下にあって、日本に返還されませんでした。
その間だから欧米系の人しか住んでなかった、日本じゃなかった時期がある島ですよね。
なった時に、逆に言うと欧米系の文化が入ってくるわけなんですよ。住民が欧米の人しかいないからその時。
なった時にはやはりコーヒーというものもあって、コーヒー農場はただその後日本に返還されたり親々になって戦前にあったものももう壊滅戦になってしまったので、
やっぱり改めて今も日本の観光地として世界遺産になったということで、世界遺産のお土産として小笠原だからこそのコーヒーをやろうじゃないかっていう新たに起こした人がいるんですね。
その戦前にあった農地というのを再度開拓して、小笠原産コーヒーというのを今作ってる人がいるんですね。
ただやっぱりそれはなかなか難しいことらしくて、小笠原というのはやっぱり夏になると台風も来ますし、風も荒れたりもするからっていうので栽培が一応にはいかないという中で、
本当に貴重なわずかな飲みが今でも取れている。
ただこのハートロックカフェに行くとそれがね、やっぱりストレートでは飲めないらしいんですよ。もう量が少なすぎて。
だからブレンドっていう形であれば提供できるかろうじての量を確保しているらしくて、一人の農家さんから卸してもらった豆を使ったブレンドのコーヒーをここでは味わえるんですね。
本当に貴重なんですね。
いやでもまあそもそも国産コーヒーっていうのは珍しいからね。
そうなんですよ。
是非飲めるんだったら飲みたいですよね。
なのでそういう意味でもやっぱり小笠原の流行りとして、サメのバーガーっていうのもちょっと異質な感じはしますけれども、
それとともにこのいわゆる日本の本土とは全く違う環境の中に来てるんだなっていうのを、この小笠原産コーヒーとかを通じて船を直しながらゆっくり考えていただければいいんじゃないかと思うんですね。
やっぱ新鮮な感じがすごいあるな。
ということでね、ハートロックカフェさんのご紹介でした。
ちなみにこのハートロックっていうのは小笠原島の千島のすごい有名な観光地なんですね。
もろハートですよね。
すごいねこれ。
これ自然のもの?
自然のものです。
この岩壁が赤いハートになってますね。
そうなんですよ。
これちょっとマジで画像を見てほしいですけど。
本当にハートだよね。
本当なんか人工物なんじゃないかぐらいの綺麗なハートだね。
そうなんですよ。
これもツアーとか申し込めばいけますので。
ここにね、お弁当を食べた時の思い出っていうのはこの天使さんにとってすごい大切な思い出らしくて、そこから取ったというふうに大きさに書いてますね。
というハートロックカフェさんでした。
そうしましたらこの千島の中心部である大村、小笠原諸島全体でも最も中心になる村役場とかもあるところなんですけれども。
小笠原諸島の概要と「海洋島」の秘密
ここで小笠原島の概要というのを改めてちゃんと知っておきたいというふうに思うんですね。
そこで行くのがハートロックカフェさんから徒歩5分ほどのところにある小笠原ビジターセンターです。
ここは観光案内所みたいな感じなんですかね?
これは小笠原に行ったらまずはここへというふうになるんですけど、ミュージアムになってます。
ミュージアムで入場無料なんですけれども。
大まかにおけて自然のパートと文化歴史のパートという2つの展示に分かれていて。
小笠原諸島の特に千島というものをどっちもの角度から概要をちゃんと知れるというものになってますので。
最初に行くっていうのがやっぱりすごく意味のあることだと思うんですね。
散々小笠原の船内でもネイチャーガイドさんの解説の時間もあったりするから、結構前提知識としてあるかもしれないんだけれども。
やっぱり船よりで寝込んでましたとかいう人もいたら、そういった概要の部分はここで知ってほしいなと思うわけです。
あとは自然の話っていうのは結構小笠原の中でも話してくれるんですけれども、歴史の部分っていうのは意外とそんなにだったりするんですね。
ただこのビジターセンターに行っていただくと、小笠原諸島の歴史というものをシアターとかで映像を見ながら解説がされています。
のでやっぱり世界自然遺産ってことですから、自然の話っていうのはメインになるんだけれども、一方で小笠原島っていうものが生んできた、得意な歴史っていうものが、
なんでこういうものが島があって、なぜ今日本なのかっていうことも含めて、非常にちゃんとわかりやすく解説されていますので、
このどっちも合わせ持っているミュージアムとして最初に訪れていただきたいと思うんですね。
ここでですね、ちょっと我々自身も改めて小笠原諸島というものがどういたしまうのか、ちゃんと考えてみたいですね。
じゃあまずこの小笠原諸島の成り立ちについて、なぜ小笠原諸島は世界遺産なのかっていうことを改めて考えてみたいと思うんです。
これは小河丸の中で話してくれるネイチャーガイドさんも非常に言う言葉で、必ずどっかで耳にするキーワードなんですけれども、
ズバリですね、「海洋島」っていうのが非常に大きなキーワードになるんですね。
海洋島、これは理科の用語なんですけれども、これ何かわかるでしょうか?
まあ文字はそのまんまですよね。海洋にある島っていうことですよね。
だから周りにあんまり陸地がない割と古島っぽいような島のことを言ってるんですかね。
はい、その通りです。ただね、周りに陸地がないっていう意味で言うと、例えば沖縄の本島とかもいくつかあるけれども、これは海洋島ではないんですね。
何が違うのか、これは今の問題じゃないんです。
過去の歴史的な経緯から、日本の中における海洋島っていうのは本当にごくごくわずかで、小笠原諸島がその代表、あとは一部沖縄県の大東レッド、大東島とか、東大東島とかの辺りは海洋島らしいんですけれども、他は全部大陸島って言われるんですね。
この大陸島っていうのが逆にヒントになるんですけれども、何が違うんでしょうか?大陸島と海洋島は。
なんか出来方が違いそうだよね。
そういうことです。
いや、わかんないけど。なんかその、陸地から連なってる島とそうでないかみたいな違い?
はい、そうなんです。海洋島っていうのを一言で言うと、この島というものができて以来、たったの一度も陸地的にならなかった島。これを海洋島と言うんですね。
逆に言うと沖縄本島とかが逆に繋がってた時代は。
そうです。もう人類が逆らってずっと前の話ですけれども、日本列島のほとんどの島というものは、かつてはユーラシア大陸の一部だった。
それからだんだんプレートとか近くの変動によって、あれば海の水の深度が変わったことによって陸地から分離されたんですね。
だから日本列島というのは今でこそ島国ですけれども、ユーラシア大陸の影響を自然環境上も大いに受けているんですよ。これが大陸島であり沖縄本島とかも含めてもそうなんですね。しかしながら小笠原諸島は違うんですよ。
最初からずっと島なんだ。
そう。一度として日本の本島とも陸続きになったことはないんですね。小笠原諸島はですね、だいたい約5000万年前に地球上のプレートの沈み込みによって噴出したマグマの噴火活動によって海の中に突如としてこのマグマが吹き出してできた島なんです。
つまり大陸があって分離したんじゃなくて、ある日突然海から吹き出してきたこれの解析物によってかたどられた島。だから全然成り立ちが違うんですよそもそも。
何か数年前にできましたよね。
そう。あれもまさにそうです。あれもまさに小笠原諸島の一部分です。
あれ何島だっけ。
西の島ってやつです。
西の島か。
あれ割と衝撃的な映像だったと思うんですよ。
あれもなんかすごいなと思ったけど、海中からマグマが吹き出してきてそれがだんだん固まって陸地になっていくっていうね。
そういうことですそういうことです。あれと同じことが起きたんです。
それが千島とかの場合は5000万年前。
千島はちょっとそれから下るらしいんですけれども、いずれにしても海洋島なんですよ。
ってなるとですね、大陸にいた生物がたまたまその時日本、今で日本にいて、いつの間にか帰れなくなっちゃったっていうのがある意味日本の生物なわけですよね。
そうかそうか。
基本的には。
だからもともと大陸一緒になってるから、いつの間にか陸地が離れてきて、大陸の生き物がそのまんまいるっていうのが日本列島なわけね。
基本的にはそうなんですね。
だけど小笠原そうじゃないんですよね。
そうか、断絶してるわけね。
断絶してるんですよ、完全に。でまして1000キロのね、今でさえ1000キロの先にあるわけですから、哺乳類とか泳いで来れるレベルじゃないんですよね。
そうですね。
ってなると何が起こるか。小笠原諸島にたどり着いた生物っていうのはめちゃくちゃ借りられるんですよ。
そうだね。私もうその島でしか生きられないようになるから。
そう。
まあもう本当独自のものになってくるよね。
そうなんですよ。これが海洋島というものなんです。これがまず第一の条件なんです。
うん。
ただその中でも小笠原でも生き物はいるわけで、彼らはじゃあなぜやってこれたのかということなんですよね。
はいはい。
これをネイチャーガイドの人は三つのWって言うんです。
うん。
彼らがやってくる条件。一つがウィンド。
風ね。
風。
うん。
そしてもう一つがウィング。
羽か。
羽。そして最後がウェーブ。
波。
はい。
へー。
風、羽、波。この三つでしか海洋島である小笠原諸島に到達する生き物はいないはずなんです。
いないんです。
そりゃそうだね。
うん。
陸地がないからね。
そう。現に今小笠原諸島にいる保有種の哺乳類はたった一種しかいません。
うん。
これはコウモリなんですね。
へー。
小笠原大コウモリって小笠原諸島にしかいないコウモリがいて、これしか哺乳類はいないんです。
あーなるほどね。
猫とか犬とかってのは別にしてね。自然由来のものっていうのは。
うんうんうん。
うん。
はー。
まあだからそのコウモリにしても羽があるからね。
そういうことなんですよ。
あー。
まあ羽の話で言えばさっきのカツオドリとか、あとアホオドリなんてのも横の羽にいるわけですけれども、
あとは渡り鳥の休む場所になったりとか。
あるとすると、その風に乗ってやってくる種、種子とか、胞子っていうのがある。
あーなるほど。
これも後々話しますが、キノコとかそういった類のものが風に運ばれてやってきたんですね。
はー。
あるいは雨に乗ってやってきたのかもしれないんだけれども、こういったレベルの微細なものなんですよ。
はー。
うん。
そうか。
あーだからもうそういう植物も含めて生物っていう。
そうですそうです。もちろんそうです。
そしてあともう一つは波に乗ってやってきたもの。
うん。
海とかをイメージするかもしれないけれども、海はある意味別にどこでも泳げたらいけるわけじゃないですか。
まあまあそうね。
なのでそうじゃなくて、波に乗った流木とかによって偶然紛れ込んでしまったものがいるんですね。
うん。
このわずかにわずかに本当に偶然紛れ込んだものっていうのが、島における爬虫類とか昆虫類になってくるんですね。
はー。
うん。
そうか。だからまず到達するのが難しいわけだね。
そうです。
うん。
なるほどね。
だから一度として陸神と一緒になってない。
はいはい。
から小笠原は、これも海洋島に続くティーワードなんですけれども、とにかくよく言われるのが固有種というものです。
日本に昔からいるものを在来種と言います。あるいはその特定の地域にいる在来種、小笠原にも在来種いっぱいいます。
小笠原諸島にもともと住んでいた自然由来のものということですね。在来種いっぱいいます。
しかし小笠原が日本の中で特別なのは、小笠原諸島にしか世界中どこ見てもいないものという固有種の数と割合というのが圧倒的に多いんですね。
うん。そういう状況だったらね、そうなるなと。
はい。例えばですね、陸産海類、これは要はカタツムニなんですけれども、これは小笠原諸島にいるカタツムニの94%は小笠原にしかいないものなんです。
へえ。
日本、世界のどこにも見られないものがこの島に生きている。
ほう。
うん。これはめちゃくちゃ貴重なことなんです、世界レベルで見ても。
はいはいはい。
だってここにしかいないんだもん。
そうだね。
ここが終わったらもう終わりなんです。世界上からその島が絶滅するものがいっぱいいるんですよ。
はあ。
うん。
いやあ、まあだからよくね、ガラパゴス諸島とかがね、言われるけど。
はい。
まあなんかそのような環境なんだよね。
そうですそうです。だからまさに東洋のガラパゴスなんて言われてる。
うん。
まあお互い世界遺産になってるわけですけど。
はいはいはい。
っていうものがこの小笠原諸島ってものなんですね。
うんうん。
っていうのがまず自然の話になります。
はいはい。
で自然の話がね、ちょっとこの3日間メインになりますので。
うん。
まずそのちょっと大条件として、この古竜種と海洋島っていうのは非常に大事なキーワードなんで。
うんうん。
覚えておいていただきたいと。
はい。
思うわけですね。で、そして一方で歴史の話もちょっとしておきたいと思うんです。
小笠原諸島の複雑な歴史:発見と命名の謎
うん。
5000万年前に小笠原諸島がまあ自然発生したわけです。
はい。
先にまず植物が栄えて昆虫が現れて羽を休めるコウモリが出現して鳥が渡ってきてという話があるわけですけれども。
うん。
彼らは彼らだけの人類がいない生活というものをおそらく日本の中で最後まで多分していた部類に入るわけですよね。
はい。
しかし今小笠原諸島には人が住んでいるわけです。
うん。
そして明確に日本の東京都小笠原なわけなんですけれども。
はいはい。
ここに至るまでの歴史っていうのもね、すっごい得意なものなんですね。
ほう。
そして不思議なものなんですよ。
うんうんうん。
うん。
まず何年人がいるのかっていうことよね。
そうなんです。
うん。
これ何時になったかとかいうもう次元じゃないんですよ。
うん。
仰島とか南仰島とかの本当に一番南の方ですよね。
うん。
の方にかすかに戦死時代の人類がいたという痕跡があるらしい。
へえ。
ただそこには定住は多分できなくて、ほぼほぼ漂着して流れ着いてしまってやむなくそこに暮らさざるを得なかった人たちがいたんじゃないかという推測ができる。
はあ。
そしてそこから何千年の間は歴史に現れません。
うん。
次に現れる何かというと、中世に及んで主にスペインポルトガルの類が大航海時代というものをやってきて、太平洋というものを探検し始めるんですよね。
うん。
果たしてそれが実際上陸して探査したのかということも全然わかんなくて、単純に遠くから見てあそこに島があるんだなって言ってそれを報告したというだけにすぎない。そのレベルのものだったんですよ。
じゃあ一体いつから歴史の記録上に小笠原諸島というのは出現するのかということなんですが、これが大いなる謎なんですね。
へえ。
これは1593年、これは文禄2年にあたりまして、豊臣秀吉が天下統一をしてから要は3年後、関ヶ原の7年前です。
つまり秀吉の裁判年にあたるんですけれども、この1593年にかつてシナノの国、これ長野県ですね、守護大名を務めていた小笠原一族というものの一人である小笠原貞寄という人物がこの島を発見したということが言われているんですね。
どうしてこの人を発見したのかということなんですよ。
しかもシナノでしょ。
そう。
なんで?
海すらない国ですよ。
はい。
これはもう本当によくわかんないんだけど、この小笠原貞寄という人物が実在したのは間違いないらしいんだけど、伝承によると彼は徳川家康に仕えていて、家康に対してあるときどうしても自分の領地が足りなくて家康たちを養っていくのが大変なんだっていうヘルプを出したらしいんですよ。
家康はそのとき秀吉の政権下の後大郎の筆頭で非常に有力な武将ではあったけれども、天下人ではあまりないわけですよね、秀吉がいるからね。
ってなったときに関東をようやく治め始めて、領地がないとそんなに。お前にかわいそうだと思うけどあげてあげる領地がないんだよというふうな話を言った。
でもそれじゃ小笠原も困るわけで、どうしたかっていうと、一説には八丈島の南のあたりにまだ誰も領留していない島があるという噂を聞いたことがある。
その島をもし自分が見つけができたら、そこを自分の領地として認めてくれないか、切り取り自由にしてくれないかというふうに言って。
家康も別にそんなのあるかないかってよくわからないまやかし者かもしれないから、それで言うんだったら別にいいよ、探検してもいいけどっていうふうな許可を出した。
さだよりはそれを真に受けて、実際に船出をして、そして見事にその島を見つけて、これこそが私の島なんだっていうふうなことを言ったって言うんですよ。
いやすごい執念というか、よくぞ見つけたという感じだよね。
ところがですね、小笠原さだよりという人物が見つけたということは、実は同時代の記録には全く残っていないんです。
これはいつから小笠原で出てかというと、1720年代に入ってからなんですね。
これ当然江戸幕府ができて家康はとっくに死んでいて、八大将軍吉宗の時代、これ今までの話で言うと吉宗が飛鳥山に桜を植えたのがまさに1720年代なんです。
この時幕府の武道書に小笠原貞人という人物が突然出現して、浪人ですよ。役人でもないんですけれども、武道書にある一つの書物を差し出してきたと言うんですね。
これ何かというと、竜見武人島の木っていうものかな。竜見の無人島の印と書いてある、竜見武人島の木だと思うんですけれども、っていう謎の解文書を持ってきて、これを幕府の武道書に差し出したと言うんですよ。
竜見というのは南東を指す意味です。つまり南東にある無人島の木っていうものを、ある日突然一回の浪人がやってきてそれを差し出してきたって言うんです。
こいつは何を言い始めたかというと、自分の先祖に小笠原貞よりという人物がいて、この貞よりがこの無人島というものを見つけているんです。
これはそもそも家康様から認められていることであって、認めたに関わらず、我が小笠原一族にはその領地が与えられていない。
ついては、家康様が認めたこの権利っていうのはちゃんと履行したいから、私にこの無人島というものに都会する権利を認めてほしいということを、一回の浪人が言い始めたと言うんですね。
家康にその領地を探しに行きたいって言ってたのは、今出してきた印に書いてあったこと?
そう、書いてあったんですよ。これはでもよくよく見ると、つい最近書かれたものなんですね。だから、そもそもこの簡易文章が書いてあることって本当なのかよく分からないということになって、幕府もめっちゃこれを怪しむんですよ。
何をこいつは言っているんだと、変な山下なんじゃないかって言ったんだけど、一応いろいろ調べたら小笠原貞よりというのがいたのは間違いなさそうである。
しかももっと言えばこの無人島がどうだって別に幕府たちどうでもいいんですね正直言って。
まあね、あるかも分かんないし。 あるかも分かんないし、この話を聞いてるだけなので。
なんで別にいいよと、分かってもよく分かんないけど別にいいよって言い渡りたいならって言うしたんですね。
ところが、これにいいよと唱えた人物が出現したんです。これは何者だったかというと、武全の国、これは今の大分県の北部と福岡県の東部、今で北九州市が中心ですね。
の大名、武全小倉藩の小笠原家なんですね。っていうのが横に出てきたんです。
何を言ってきたかというと、その今江戸の巷ではこの戒文書の話がめちゃくちゃオカルト的に話題になってるらしい。
そして幕府はそれを信じて許可を出してしまったらしいけれども、そもそもその戒文書を持ってきた小笠原貞となる人物なんていうのは、我が優秀ある小笠原一毛のものではないって言ってきたんですよ。
そんなものは我々の家系図に存在しない。だから小笠原のプライドとして、そんな変な戒文書騒動に我々が巻き込まれるのは困るんだということを幕府に訴えたんですね。
そうすると小笠原っていうのは早くから家政に仕えていた優秀ある大名なので、そっちの訴えが通ったんですね。
そこで一旦幕府が小笠原貞人に対して認めていた都会の許可証っていうのはなんと後になって取り消されてしまって、その上貞人は優秀ある小笠原家の経歴を査証したという罪を着せられて詐欺師だというふうになり、なんと江戸の市中から追放されてしまった。
同時に、この戒文書であった辰美武人刀の機体は偽書だとされたんですね。偽りの書で佐田刀が捏造したものだと。この都会許可証も何もかもが全てご破産になってしまって、佐田刀はその後どうなったのかわからないんですね。
じゃあ結局発見はできてないわけだよね。
そうです。佐田刀はそれ渡れなかったんです。おそらく。しかしですね、江戸の市中の民というのは、小笠原佐田刀の事件というのに超熱狂したんですね。
用途決めく戒文書騒動っていうのが超ネタとして扱われたスクープとして。
無人島というものが八丈島の大きさにあるということが江戸の市中にオカルト的に広まってしまって、しかもそれが小笠原のものだったらしいと。ということで小笠原の印象というのはいつの間にかそれに勝手に付与されちゃったんですね。
大役にはやめてくれって言ってるんだけど、もう世論が盛り上がっちゃって。
小倉藩の目論みも及ばなかったんです。いつの間にか小笠原っていうものに関するスクープになっちゃったんですよ。
ネタみたいに扱いになっちゃった。
これは本当にあった事件なんですよ。
っていうのが起こったのが1720年代なんです。
話が前後して申し訳ないんですけれども、日本の歴史上本当に実在している小笠原諸島、今実在している海洋島にたどり着いた人物はもっと前に別にいたっていうのが明らかになってるんです。
これは何者だったかというと、1670年代に奇襲の港を発した船が江戸にみかんを運ぼうとしていた船があったんですね。商品として。
いわゆる貿易船ですよ。
これがある時、沿襲など静岡県の方で暴風に巻き込まれて、1ヶ月間で漂流していたんですよ。
そしたらどういう運命の悪戯か、誰も知り得ない、よく分かんない島に漂着して座礁してしまったんですね。
これが今の母島だったってことが後になった訳になってるんです。
それ後に伝わるってことは帰らないといけないよね。
帰ったんです。
すごいね、その人。
そうなんですよ。これは本当に歴史に残ってるんです。
ちゃんと名前も分かっています。
関西門という船頭がいて、もともとこれは阿波の国徳島の船だったのを奇襲の港からみかんを持ち込んで江戸に運んでいた。
みかんを食べて上をしのいでいたりしたらしいんですけれども、関西門というのは母島で死んでしまって衰弱によって。
残り6人の船員たちが残されたんですね。
彼らはこの母島なんてことも知らずに謎の島に倒りついてしまって途方に暮れていて人も見えないと言うんだけども、
ウミガメがそこら中にいるのでウミガメを捕獲してそれをさばいて調理してなんとかかんとか上を退しのんでいた。
そうするとこの島を見ていると島にはいろんな漂着物みたいなのがあって流木みたいなのが大量になったと。
その中に船台区みたいなのが多分いたんだと思うんですけれども、自分たちが乗ってきたその船と漂着している漂着物を組み合わせてなんとかかんとか船を作ったんですね。
北の方を遠目で覗いていたら北の方に僅かに島影が見えると。
とりあえずあの島まで行けば誰か人が住んでいるかもしれない。
あるいはあれが八丈島なんじゃないかと思ったと思うんです。
なんとか救護司来の船でみんなで漕いで南風の吹く日に遥かな島影に行ってみたんです。
そしたら着いたんだけれどもそこにも誰も人がいないんですよ。
これが七島だったんですね。
母島の方が南にあります。
これ現代のフェリーで言っても2時間かかるんです。
ところ彼らは救護司来のよくわからない船で行ったんですね。
すごいね。
そして七島に着いた。
七島の方が広かった。
またさらにそこに漂着物がいろいろあるっていうのでまたそれで補修をして
七島に数日滞在するとやっぱり北の方にまた島が見える。
これが今の向島。
これはさっき我々が小笠原丸に乗ってきた島になるわけです。
ってなって岩とか島をこの変なばら癖みたいなのに繋いでいった時に
このまま行けばあるいは八丈島へ着けるんじゃないかって思ったんですね。
慎重に慎重に吟味を重ねて南風が一番強い晴れの日っていうのを狙って
ついに向島から太陽に乗り出していって
なんと八丈島に到着できたんです。
すごいね。何時間かかったんだろう。
いやほんとね。何時間何時かかったのかってことなんですけど。
いやーよくついたね。
奇跡の生還を遂げたんですよ。
八丈島にいるとちゃんと江戸幕府の役人とかもそこにいますから
なんなんでお前らってことになって
みんなで事情を話してこれはとなって
すぐに伊豆の下田にその時大漢がありますから
下田の人が八丈島へやってきて
彼ら残された6人の戦員を伊豆に運んだんですね。
そしてどうやら下田にたどり着くことができて
幕府の取り調べを受けて
お前らが言ってきたのは外国。これ外国にとっては罪になるんですよ。
だから外国じゃないのかって言ったら
いやいや違う本当に誰もいなかったんです。
でも確かに八丈島の南に誰も住んでない島があったんです。
ここにはウミガメがいました。
カツオウドみたいなよくわからないのがいました。
ここをこう行ってこう行ってこう行くと
八丈島にたどり着いたんです我々は本当に。
決してキリスト教とかにも古いてないし外国人にも会ってません。
って言って彼らは無事にふるさとに生還できたんですよ。
ただこのことは忘れ去られていたんですけれども
これ本当にあるのか
彼らの言ってたのは本当なのかということを
その5年後くらいににわかに話題になったんですね。
そして幕府は1675年に及んで
いよいよ探検隊を派遣しようということになったんです。
この無人島が本当にあるのだとしたら
そこにも大漢を置いて支配すると
幕府のために何かになるんじゃないか。
そもそも八丈島の近海にそういうのが本当にあるのだとしたら
それを把握しておいても良いと
いうことになったんですね。
そこで大船を作って
南を指して探検隊を派遣しようとした。
しかしながらこの時
鎖国を始めてから40年くらいが経っていて
幕府は初代名に大船建造の金というものを出して
大船を作っちゃいけない海軍力を持っちゃいけない
というフレを出してたんですよ。
幕府もつまりそのノウハウを持ってないし
初代名も持ってなくなっちゃうんですね。
だからこの探検隊を幕府から派遣することができなかったんですよ。
ってなった時に
長崎に
島屋一財門という人物がいて
これは60をいくつも超えた超ベテランの扇動であると。
彼は鎖国が始まる前に
衆院戦貿易とかによって
東しなきゃよかったって台湾だとかマカオだかっていうのと
取引をしている経験があるものが
もう最後の老人が一人残っているというのが分かって
それを幕府が
情けない皮肉な話なんだけど
自分たちに船を作る能力も操る人もいないから
この島屋一財門を長崎から呼び寄せて
これに出雲島だから船出させたんですね。
そして島屋一財門はさすがに
鎖国前の経験を持っている本当に最後の人物だったので
見事にその戦団を指揮して
ついに秩父島にたどり着いたんですね。
これが日本の歴史上に残る確かな記録の
本当に秩父島の発見なんです。
1675年
これは小笠原貞徳が解文書を持ち出す50年以上前の話です。
その時代に発見してるのに
その小笠原貞徳の文書が
訳わかんねえだろうって言われるのがよくわかんないね。
これなぜかというと島屋一財門は
実際に秩父島に上陸してその後母島とかにも行って
小笠原諸島っていうものの島を地図とかを
測量図とか回数を書いたんですね。
しかし彼は島の名前を知らなかったんです。
これは何島なのか分からなかった。
知らないんですよ。
そもそも名前も作れてなかった。
それはねほぼ第一発見者みたいな。
そこで彼は島に何を書いたか。
無人島とだけ書いたんです。
本当にただそれだけ書いたんです。
無人島をずっと書いてそれを幕府に提出したんです。
幕府はそれを見た。
島屋一財門の図は正確だった。
こんな島があるのか、そうかそうかと思った。
けどまあ八丈に比べれば
三宅島に比べればこれは何もなさそうだし
千キロだろうって話になって。
まあわかった。島屋一財門は本当によくやった。
無人島があることはわかったが
ここまでの危険を犯して何か幕府が手を入れる必要もなさそうだな。
まあ初期にこの図はしまっておこう。
そして島屋一財門の名とその図は歴史に埋没したんですね。
あまりにも離れてるし。
その島を何かすごい有効活用できるかっていうとそこまででもないし。
ただそこに無人島があって島屋一財門という人物が行ったっていうことは
密かに注目を一部の人物から浴びていた。
ある時それがどういう漏れ伝いかわかんないけれども
それが小笠原財門の解文書に書かれていたものなんだって
つまり島屋一財門を云々とかいう前に
その島は我が先祖小笠原財織が見つけている島だから
小笠原が漏洩すべきものなんだっていうことを言い始めたって言うんです。
はいはい。
それでさっきの話に繋がるわけですね。
そういうことです。
でもその解文書の時点では無かったものになっちゃってるし
正しい小笠原のものでもないよってことになってるわけですよね。
そうですそうです。
じゃあそこからどう小笠原諸島になるのかって話だよね。
そうなんですよ。
これが江戸の始中に無人島の解文書事件ってものが
小笠原財門で起こした大問題になって
それがスクープになったわけですよね。
それからだいたい数十年が経った時に
その頃になるとにわかに外国の勢力というのが
日本の近下に迫っているってことがわかり始めるんですよ。
いよいよ本当に危なくなるんじゃないか日本はっていうのに
一部の学者が気づき始めたんですね。
そこの時に林志平という学者がいたんですけれども
これ教科書に載ってる人物です。
この人は仙台藩の出身なんですけれども
日本の近海というのは今脅かされている。
しかし幕府はそれに気づいていないっていうことを思って
日本列島ってどういう姿であって
どういった海に囲まれているのかっていうのを
日本の国民は把握しなければいけないっていう風に言い始めたんですよ。
そこで日本の地図をまず書こうとしたんですね。
この時イノーズはまだないんです。
北海道はだいたいこんな感じだろうって
近くで書いておこうみたいな感じになって
本集は超正確に書いているある程度。
琉球王国っていうのがこの辺にあるんだろうと
オロシアっていうのがこの北海道のあたりにあるんだと
エゲレスっていうものもあるらしいよということで
世界というものが日本に繋がっている島なんですよ
っていうことを彼は把握してほしいと思った。
だから危ないんだと。
決してこの海は安全な海ではもうなくなるんだと。
だから幕府も我々も解剖というものをしなきゃいけない
っていうことを彼は考えようとした。
そのきっかけになるイメージ図みたいのを書いちゃったんですね。
そこにそういえば自分の仕入れた筋によると
遥かもう100年くらい前に島江一財門という人物が
無人島というものを発見したらしい。
それは八丈島を起こすこと何理だっていうふうに聞いている。
だいたいこの辺りなんだろうと。
近くでいくつか書いちゃったんですね。
そしてこの無人島ってそういえば
俺が子供の時に話題になった
小笠原事件のやつなんじゃないかということで
無人島って書いたんですけど
その注釈にこれは本名小笠原島と言う
という伝わっているって書いちゃったんですよ。
そこに林繁平が。
その書いた文章が三国通乱図説というものなんですが
これ大学受験の日本史の方は知ってますよね。
この生地書いちゃったイマジネーションの図が
日本の歴史の教科書に載るぐらいの
超歴史的な書物になってしまったんですね。
つまり島江一財門を見つけた無人島は
小笠原の解文書事件で小笠原と
イメージによって密着されて
一度それはひとえされたはずなのに
林繁平がそれを書いてしまったことによって
再び無人島っていう名のない島と
小笠原佐賀島は一緒になっちゃったんです。
これがしかも外国語にも翻訳されていっちゃったんですよ。
この三国通乱図説はめっちゃ大事な書物だっていうのは。
後に林繁平は幕府を批判し過ぎて処罰されて
図説は発見になっちゃったんですけれども
密かにこれは長崎に渡ってオランダに渡ったんですね。
そして小笠原諸島の図っていうのを見たオランダ人たちは
日本のこれは捕鯨地になるんじゃないかってことを
この繁平が適当に書いた小笠原島のことを
これはって思っちゃったんですよ。
これはヨーロッパ諸国のアカデミアに
どんどん廃下されていった三国通乱図説
それをいろんな人が訳し始めたんですね。
その時にただ
フランス人が最初にそれを発見したんですけれども
林繁平の書いた図説を読んで
無人島って漢字で書いてあった。
これが無というのがないというものを指す。
人というのが人を指すんだってことは分かって
なるほどこれは無人島って言いたいんだな
林繁平というのは分かった。
ところがこの時フランスの学者は
この無人島っていうものを
何と発音されていたか分からなかったんですね。
音が分からなかったんです。
彼は日本人とはないし日本人も知らなかったんです。
日本語の発音が分からない。
分からなかったんです。
そこでフランスの学者は何をしたかというと
過去の先人たちの日本人と話した
数かな記録を辿ったフランスの学者は
これはなるほど無人と読むのかな
みたいなことを推測で書いて
ここにボニンアイランドって書いちゃったんです。
このカイズに。
これはフランスの有名な学者で
これがロンドンに文書が渡って
英語で言ったらこれはボニンアイランドだな
という風になってしまって
いつの間にか日本の国内では林繁平のせいで
小笠原島という風になっている。
それが知らないうちに持ち出された
三国通ランスの翻訳によって
海外ではこの島はボニンアイランドと
呼ばれるようになってしまった。
これがボニンブルーになっていくんですよ。
タイトルについてるやつだ。
小笠原島のことを今でも島の人たちは
ボニンアイランドって言うんです。
これはいろんな歴史の不思議と勘違いによって
生まれた謎の故障なんです。
すごいね。
全部が噂で繋がっているじゃん。
そう、それぐらい誰も未知の世界だったんです。
彼らにとっても。
面白いな。
じゃあ結局その小笠原諸島に今なっているのは
その三国通ランス説に小笠原って書いたのが
そのまま正式になっちゃった。
そう、これはただその後さらに複雑なのが
その時小笠原島には江戸ワークがこれを放置してたので
誰も日本人が住んでなかったんです。
しかしボニンアイランド問題が結構回図が出回ると
むしろ外国の方がこの小笠原の価値に気づいてしまったんです。
狙ってくるよね。
捕鯨地になり得ると思った。
ってことになってアメリカとかが先にハワイとかグアムの方から
移民を送り込もうとしたんです。
そして結局1830年に初めてアメリカのハワイの方から
アメリカが移民を送り込んだんです。
日本人はそれを知らないんですよ。その時になっても。
無人島がなんですが
それから約20年後にペリーがアメリカから渡ってきます。
そしてペリーは意外と知られてないんですけれども
1853年に裏側へやってくるわけですけれども
その前その直前に小笠原の父島に寄ってるんですね。
父島にアメリカから移住したわずかな民たちがいるので
彼らと会談みたいのをして
今から俺は日本へやっていって日本を何とかしてやるって言って
そして父島から裏側に向かうんですね。
まあでもそこには日本人はいないわけですね。
いない。だからアメリカ人しかいないんですよ。
ってなった時にアメリカ、ペリーが来るじゃないですか裏側で開国しますよね。
ってなった時に初めて日本人も
あの放置していた通称小笠原島が
いつの間にかめちゃくちゃ世界的に大事なところになっていることに気づくんですね。
ただここちょっと謎で僕もちょっと解明できてる部分があるんですけれども
その時ペリー個人としてはやっぱり小笠原島はアメリカの基地としてなるべきだと思ってたらしいんですよ。
利益があると思ってたんです。
ところがこの後アメリカだけじゃなくてイギリスの利権があって
プロイセンとかがやってきて
フランスがオランダがあって安西の5カ国条件みたいな
なんかいろいろ結んじゃうんですけど幕府は
その時に小笠原の帰属が問題になるんですね。
みんなが欲しいんですよこの小笠原を。
ってなった時にアメリカだけのものにつかずるいって
いろんな国際的な攻めり合いがあって
結果的に落としところとして
何の力もないと外国が思っていた幕府に
1回渡しちゃおうと
つまりイギリスのものですって言われちゃうと
イギリスのものになっちゃうから
アメリカもそれ嫌だから
日本のものにとりあえず落としておこうと
まあいいようにできるだろうって
多分思ったんじゃないかと僕はこれ推測で言ってます。
ふうに思った。
そこでなんかタナボタ的に
小笠原諸島は結局
日本のものになって江戸幕府のものになったんです。
でその時に
幕府はようやく海軍がちゃんと
西洋支援の海軍ができたので
ちゃんと小笠原まで危険なく行けることができますから
太平洋を横断できるので
そこで日本の意味を初めて送り込むんです。
ただアメリカの本国が幕府に対して
その領域を認めちゃってるんですよね。
だから移住してきたアメリカ人たちは
ある意味ははしご飯されたって思ったかもしれないけれども
結局日本が江戸幕府はこれを支配します
って風になって
でも別に幕府は幕府でアメリカに対する遠慮は
こいつを追い出さなかったんですね。
だからアメリカの人たちと江戸時代の日本人が
一緒に暮らす島として
幕府が治めるものになったんですよ。
そしてアメリカ人たちはここをボニーアイランド
っていう風にずっと行ってるわけで
で日本人たちはここはボニーアイランドというのか
我々は小笠原島と聞いていたが
みたいな風になって
謎の風になっていくんですよね。
なんかすごい
なんか運命のいたずら
運命のいたずらですよ。
よくわかんない変遷を
そうなんですそうなんです。
ところがこの後どうなるかというと
結局幕府が倒れて
明治政府になるんですよ。
で幕府が倒れるときは
いろいろ情勢が悪化してるっていうんで
その日本人が最初来たのに
すぐ1年とか引き上げさせられちゃって
またアメリカ人しかいない島になっちゃったりもしてるんですよね。
で母親制度が起こって幕府がゴタゴタになって
倒れてた後に
明治政府はさすがに
まず彼らが外交的に目指したのは
不平等条約の撤廃なんですよね。
外国と渡り合う国になるってことが彼らの
第一目標であって
その時小笠原みたいなわけわかんない
幕府が変な風に残していっちゃったものっていうのを
整理しないといけないと。
幕府の気まぐれとかじゃなくてちゃんと
明治国家ってのは国際国家なんだと。
国際条約に基づく外交をするんだ。
だからいよいよ不平等条約に
回線乗り出していくんだと思ったから
小笠原島みたいなわけわかんない
グレーゾーンみたいなのも
ちゃんと法によって裁かなきゃいけないと。
彼らは思ったんですね。
その頃になると諸外国も
小笠原島に対する関心がやや薄れていて
距離的に考えても
日本に一番近いのは間違いないから
っていうんで結局
明治政府は1876年
明治9年になって
諸外国に対して公式文書で
この島は日本の政府のものである。
ということを認めさせたんですね。
諸外国するのを認めたんです。
その時、外務卿寺島宗
これ日本人の人は知っていますけれども
が発信した文書に
この島
小笠原島をって書かれたんですね。
こうして初めて
この島は小笠原諸島という
ふうに世界史に
登録されちゃったんです。
ボニンアイランドの方が通称になったんです。
まあそれはやっぱり
日本のものだよっていうアピールもあるよね。
アピール。あくまでは日本人が名付けた
小笠原島である、この島は。
世界はそれを小笠原島として
認めるものである。そして
住んでいたアメリカ系の移民たちは
日本に帰化するべきであるとして
日本人に帰化したんですね。
なのでその方々の子孫は今も
日本人としてこの島に生きているんです。
そして小笠原諸島として
明治政府のものになっていくんです。
いや面白いね。
そうそうそう。
なんか本当
噂と
諸外国からの
圧力とか流れとか
なんかすごく
流されて
小笠原諸島になったんだね。
そうなんですよ。
面白い歴史だな。
この辺は非常に面白いし、こんなことが起こるのは多分
海洋島である小笠原しかないんです。
だから最初に古代からいた人たちも
記録に残らなかった。
もう骨も見つからなかったこの地で果てた
漂流民たちたぶんいっぱいいたと思うんですよ。
ただ彼らは日本人もいたかもしれないけど
ポリネシアの方から渡ってきた人たちも
いたし、ハワイからグアムの方か
あるいは大航海時代のヨーロッパ人たち
っていう、もう記録も記憶も
何も残ってないその人たちの
痕跡というのは分からない。
だけど記録上はこの島や市財門
とかこのみかんを乗っていた漂流船
とか小笠原沢の海文書事件
とかっていう謎多き
ものに揉まれて今の小笠原諸島が
生まれたんです。
なんか世界的にも
そんな土地なさそうだね。
いないと思いますね。カオスですね。
まあまあそれで結局
運良く日本のものにはなった。
なってるんです。
まあその後一度ね、その太平洋戦争の後は
アメリカのものに一回なってるんですけど
返還、1968年に
返還をされました。そもそも
戦時中はやっぱり
七島からも東京への疎開をよりなくされます。
七島は軍族の人しかいない
くなる島になったんですね。
軍の島になっちゃったんですよ。
で、七島自体は幸い
大きな戦争は起こらなかったけれども伊予島の悲劇が
起こって、で、七島はそれで占領されて
戦時中も返されませんでした。
つまり島民たちは
七島を疎開という形で追われて
20年間帰ることができなかったんです。
で、七島にいた人たちは
戦後集結した後も
彼らは土地も持っていない。で、島に
帰れると思ったらアメリカがずっと駐留して
小笠原島はもうアメリカのものになっちゃった
っていう風になってる。
ていうんで帰れない。
ってなると裕福に持っていった人たちも
だんだん資産が尽きていってしまって
本当に悲惨なことに
自ら命を絶ってしまう家庭が出てきたり
とか、そういう悲惨な状況を
置かれている。で、日本は日本で
その時東京、大阪、横浜を何とか
しなきゃっていう部類ですから
小笠原島のことに関連している暇がなかったんですね。
ていうんでゴテゴテになって
いってしまって、その間にも島の人たちは
故郷を追われて帰らないままずっと
休房してしまっている。ただやっぱり
政府としての援助は全然後回しになっちゃって
交渉をいろいろ外務省もしたけれども
アメリカの方も
政府としては返してあげていいんじゃないかって
言ってる人もいたんだけど、軍はやだって言ってる。
それは軍がいざというときに
中国とかこれから冷戦が起こるかもしれないから
そういうときに沖縄と小笠原基地として
確保すべきであると
いう風な話もあって渡さなかった。
てことがグダグダやってるうちに20年が経ってしまって
ついにいろいろ冷戦とかも
言うわした結果
ついに68年になって
佐藤栄作内閣のときに
小笠原島の返還、4年後に
沖縄が返還になりますけれども
ていうのでようやく島に帰る
その間も欧米系の人たちは
日本人であっても先に返してあげるよ
とかっていう摩擦が生まれていって
しまって今も父島母島
とかはこのあたりの問題解決できない
ところもある。土地の所有権とかも
ぐちゃぐちゃになってしまって
そのあたりは今でもなかなか難しい問題が
絡んでいるという風に聞きました。
そんな歴史を辿った島ではあります。
世界自然遺産の価値と保全の課題
ただその後は
日本の島として独自の魅力を発信し続けて
2011年に
世界自然遺産についに登録されるという風になって
今に行くわけですね。
いやもう本当
歴史においてもちょっとガラパゴツ
かしらというか
独自の歴史だよね。
というビジターセンターにこういった小笠原の
すごいふつくらな歴史も学んでいただけると
いいのかなと思います。
そして
小笠原ビジターセンターから
徒歩3分ほど行ったところにあるのが
小笠原世界遺産センターです。
世界遺産センターって
言ってるぐらいだから
小笠原諸島は自然遺産だから
自然について見れる
っていう感じなんですかね。
その通りですね。
そういうわけで小笠原諸島というものは
世界自然遺産に登録されています。
これはぜひ生き世家さんを聞いてほしいんですけど
世界自然遺産の評価基準には
自然美、
地形、地質、
生態系、生物多様性
っていう4つのものがあるそうなんですね。
これのいずれかを満たす必要があると。
小笠原諸島は
当然自然とか地形も
すごいんですけれども
なんといってもここで認められたのは
生態系だったんですね。
これは先ほど言った通り
海洋島だったわけで
全く世界上にここ以外に存在しない
生態系がもう減少空間として広がっている。
っていうのが
登録の理由になったんです。
ですからもちろん1個1個の
生物をとっても固有種が多いってことはすごいことなんだけど
その固有種がいっぱい
いるという生態系全体が
世界遺産になってるっていうのが
ここの特色なんですよ。
っていうのがこの
世界遺産センターに行くとそのなぜか
っていうのもよくよくわかるわけです。
実際にどういった固有種がいて
どういった性質を持っているのかっていうのも
よくわかるわけですね。
なのでちょっとさっきの
3つのWの話とかをおよそしたので
飛ばしますけれども
この世界遺産センターで学んでいただけることは
この生態系というものが
大事なんだよということが
まず大前提にあった上で
そして今この小笠原の
生態系がどういう状況になっているか
ということが大事なポイントなんですね。
これは非常に我々旅行者が
来る前からちゃんと大切に
考えなければいけないことで
行動にも落とし込まなければいけないところなんですけれども
実はですね
今小笠原諸島というものは
この世界に認められた生態系
というものが崩れてしまう
という可能性があって
非常に大きな
課題を抱えている状況になっています。
これはどういうことかというと
例えば地形とかだったら
こうやってガーンとか削らない限り
変わらないと思うかもしれないけど
生態系っていうのは
めちゃくちゃ脆いものだそうなんですね。
具体的に言うと
何千万年もの間
誰も侵入してこなかった島に
せいぜいこの100年200年人間が
入ってきてしまった。
それによってですね
94%いたカタツムリの類も
全然天敵がいない状況で
何千万年も過ごしているので
外の生物に対する対策というのは
全く打てない進化を
遂げてしまっているんですよ。
人が入ってきた時に
食用で持ち込まれてしまった
アフリカマイマイとかっていう
外来のマイマイとか
あるいは
人間の持ってきた
工業的な物質
建築資材とかにまみれ込んでしまった
ネズミだったりとか
船にまみれてきちゃったネズミとかが
島の中、彼らにとっては
ブルーオーシャのブルーオーシャなわけですから
エサもいくらでもあるわけです。無抵抗のエサが。
っていうので
非常にそれが島の固有種たちを
食い荒らしてしまって
生態系が崩壊してしまっている
七島においてはその被害は特に顕著で
ネズミとかがやばい
っていうのがさすがに気づいて
駆除がどんどん進んだんですけれども
最近はプラナリア
っていうヒルみたいなものが
なぜか入ってきてしまって
これ分かんないんですって
なぜ入ってきちゃったのか。だけど入ってきたのは
間違いなくて、それが
駆除とかも追いつかないから小さい
微生物みたいなものなんですけれども
これがマイマイとかを
溶かして食べちゃうんですって
っていうのがこれが全然追いつかないんですって
あと人が持ち込んだトカゲとか
そういったものが入っちゃって
っていうので
七島はね実は残念ながら
このマイマイとかはもうほぼ
絶滅してしまってるらしいんです固有種は
そうなんだ
今この七島において何が起こってるかというと
そのわずかに残されている
マイマイたちの生息区域とかっていうのを
とにかくまず少なく守ること
も大事なんだけど
世界自然遺産は小笠原諸島全体で
登録されています。なのである意味
七島はもうダメだったとしても
とにかく他の島にだけは絶対
広げないようにしようっていうのが
もう一番大事な対策として取られてるんです
そこで
我々船を乗り降りする人間も
必ずですね
乗船前乗船後においては
海水の浸っている
芝生みたいなところで靴の
掃除をします。プラナリラは
不使用の環境で生きていけないんですね
厚底の靴とかに紛れ込んでるものも
見分けがつかないので
必ず一度海水に浸す。じゃないと
島への定理が許されていません。こういうことを
徹底してやることによって
なんとか他の島の生態系だけは
守ろうとしている。というのが
実情なんですね
まあそこは
頑張ってね徹底するしかないからね
私は観光客としてはやっぱり
それには必ず従って
やるしかないですもんね
これはやっぱりその世界遺産というものが訪れるだけの
資格として
島のあるいは環境省とか定めている
ルールに基づいてその島の
保留地として存続するためのもの
というのも我々人間もね
特に観光客はやっぱりやらなきゃいけないことなんだと
非常に大きな意味を持っているわけですね
そうですね
もちろん触らないとか生物の危害を超えない大前提
特にウミガメとかは
産卵に実は僕の言ったよりも産卵をしている
なんですけれどもそういうのも人のライトを
落としちゃうと人がいるってことでビビって
産卵をしないで帰っちゃったりもするそうなんですね
ということもあったりするので
こういったものは非常に今
岡沢諸島ではセンシティブな問題になっている
なるべく
生物もそうだし
植物とか土とか
そういうものに気を配って
観光しないといけないですね
そうですねただ一方で
アフリカマイマンにしても
グリーンアノールというトカゲ
ガエラのトカゲとかが問題になっているんですけど
これらもこれらである意味被害者ではあるわけですよ
人の手によって全く
関係ない持ち込まれてしまって
命を奪われていっているわけですよ
それはただやっぱり仕方がない
今になってはねなので
駆除は進んでいるんですけど
例えばペットと関われていた猫が
やっぱり野生化してしまっていて
これもやっぱり
小さな鳥とかを食べちゃうわけですよね
猫も要は駆除が
しなければいけないようになるんですけど
さすがにやっぱり動物愛護法とかの
問題もあって猫については
捕獲がされて森の中で
その野猫として捕獲されたものは
小笠原には
猫を人に慣れさせるための訓練施設
みたいのもちゃんと用意されていて
そこで訓練をして
人に慣れているようになってあと
売金とか規制中とか取り除いた後に
例の小笠原に乗って
東京の方の本土へ送還されて
そこで獣医さんたちの手によって
新たな舎頭屋を見つける活動みたいのも
やっているんです
というものがね
今やられている施策であってという
いろんな観点の自然保護というものを
この世界遺産センターは伝えるんですね
これはやっぱり大切な
視点ですよね
これは訪れる人は
必ず意識しなければいけない
ところですね
そうですね
実際にねチチ島ではほとんどいなくなってしまった
マイマイとか半苗とか
本当にちっちゃな何ミリ単位の命が
世界遺産のきっかけになっているんですよ
というものも
我々としても森になかなか入れない
時もありますから
この世界遺産センターでは
研究とか保護とかの研究者さんたちが
いっぱい働いているんですね
実際その研究者さんたちの研究室というものも
ガラス越しではありますけど公開がされていて
彼らがいかに
ちっちゃな1ミリ単位の命というものを
どういう風に扱っていて
育てようとしているかという
その姿は本当に目の当たりにできます
実際に小笠原でも
あと何十何百というものしかいないと
言われている貴重なマイマイとかも
飼育されていてそれは
ケース越しに見れることができるんです
ですのでそういった彼ら
小笠原市まで働いて
世界遺産を守ろうとしている人たちだったりとか
おそらく普通に旅行しているだけでは結局見れない
貴重な生き物というものも
ここに来ても見ることができる
自然保護ということと一緒に
今の小笠原諸島の
生態系を
一端を見入れるという感じですね
これから島の観光を始める前に
島の実態というものを
知っていただいて我々一人一人がどういった
意識で小笠原を旅行するのか
というのはぜひ考える企画になると
いいんじゃないかなと思いますし
僕も知らないことばかりでしたから
思うところがいろいろありましたね
小笠原世界遺産センターまで行って
ここが大村の中心部になる
ウミガメとの触れ合いと保護活動
わけなんですけれども
ここからせっかく小笠原の郊外にも行ってみたいと思います
ちなみに言うと
小笠原はバスも通っていて
本数は少ないなりに
公共交通もあるんですよ
あとはレンタカーも
少ないなりにあるんですけれども
台数を確保するのが
しんどかったりするし半日しかないので
僕がお勧めするのは
スコールとかに当たってなければ
レンタサイクルがいいと思っています
だし風邪を受けるのも気持ちいいんですね
ということで
小笠原世界遺産センターから
徒歩3分ほどのところに
小笠原観光っていう観光会社がありまして
そこでレンタサイクルができます
これ電動もあります
ここでレンタサイクルをしていただいて
そこから自転車で島を巡ってみましょう
レンタサイクルで
自転車10分ほど島の南側に
行っていただいたところに
小笠原海洋センターというところですね
これはさっきの
世界遺産センターみたいな
自然について
海に特化してっていう感じなんですかね
そうですね
海の中でも特に
ウミガメに特化した施設なんですね
小笠原海洋センターというのは
ウミガメに関する展示と
飼育も実際にして
それも触れ合うこともできるという
ミュージアム水族館もミュージアムなんですけれども
いわゆる開設する資料がある
ミュージアムと
水族館を兼ねたような施設になっているんですね
小笠原諸島は
本当にウミガメがたくさんいます
本当に歩いていてもいるんですよ
めちゃくちゃいます本当に
やっぱり日本あるいは世界で見ると
ウミガメというのはいろいろ
漁獲されてしまったりして数を減らしている
からやっぱり非常に保護が必要な
対象ではあるわけですね
なのでこの小笠原海洋センターでは
ウミガメというものがどういった性質を
持っていてどういった生き物で
なぜ今保護が必要飼育が必要なのか
ということを開催してくれているわけです
そういうのはもちろん
ウェブ上でもいろいろあるんですけれども
やっぱりこの施設の最大の魅力というのは
ウミガメそれものに触れ合えることですよね
なのでちょっと開催中の
プログラムを見てほしいんですね
おーウミガメ教室
2時間コースっていうのかな
ウミガメのレクチャーがあって
水槽の案内
給仕体験
甲羅磨き体験
へー
これもねなかなかできるもんじゃないと思いますよ
すごいな
すごいたくさん飼育されてるんですね
そうなんですよ
この施設はですね
飼育しているのにも大きく2つの意味合いがあります
まず1つは大人を飼育しています
ウミガメの生獣ですね
これはもうね
本当に1メートルを越すような巨大なウミガメで
なっちゃんとかって名前もついている
いわゆる動物園と水族館みたいな感じで
ちゃんと人によって育てられて
人ともに生活しているウミガメが
巨大な水槽の中にいるんですね
彼らにもちゃんと餌をあげられます
キャベツとかめっちゃすごい距離で食べるんですよ
野菜をだいたい彼らは食べるんですけど
3、4匹いたかなっていう感じで
もう相性もついているのがあります
一方で今この画像に出ているのは
ちっちゃなカメですよね
いわゆる小カメ
20センチくらいのちっちゃなカメが
もう100頭以上たぶんいると思うんですよね
ちっちゃなプールでそれぞれ
分かれていて
これ飼育されているんですね
これらは名前は一個一個ついてないんですけど
なんで関われているかというと
今年に生まれたカメというものを
ある程度の大きさになるまで
人口でここで保育して
そして夏の時期になると
これを放流するんですね
そしてその放流するときに
タグとかをつけてウミガメの生態とか
あるいはその保護の施策
っていうものの参考になり得るように
研究もしながら生息活動を
保っていこうというために
放流をするんです
じゃあこの小カメたちは
いずれウミに帰っていくと
そういうことになります
それに触れ合えるわけだね
はい
この小カメは非常にかわいくてですね
片手で持てるサイズのカメが
こうやって歯ブラシで磨かれているわけなんですけれども
すごいかわいいんですよ
この子たち
心なしか気持ちよさそうだもんね
そうそうそうそう
これは実際そうらしいですよ
やっぱりバイキンとか細かな虫みたいなのがついているのを
落としてあげるというのは小カメにとっても
健康維持のために良い活動らしいです
こんな2時間もね
ウミガメのことを考えることはないですかね
多分日本で唯一だと思いますね
それこそよく旅先シミュレーターで行っている
沖縄の黒島っていうところにも似たような施設があるんですけど
ここまでできなかった気がするな
これは普通にアクティビティとしても
良いですよね
小笠原はだいたい青ウミガメが
生息をしているので
このセンターでもほとんどが青ウミガメです
たまに赤ウミガメとかタイマイとかもいるんですけど
ほとんどが青ウミガメになっています
僕自身も実はこの2時間コースはやっていないので
コースに申し込まなくても
治療館とウミガメの絵付け体験はできるんですけど
甲羅磨きはできないんですけどね
やっぱりこのウミガメちゃんとやりたいなって人は
小笠原丸の
入港日出港日っていうのを
原則やる日なんですよ
なのでこの日じゃないといけないんです
入港したその日の13時30分から
事前申し込みが必要ですので
もしウミガメがしっかりやりたいよって人は
ビジターセンター世界遺産センターじゃなくて
こっちにまず最初に行っちゃう
っていうのが非常に大事なポイントになっていますので
是非見てみてもらえると
良いんじゃないかなと思いますね
小笠原諸島では
こういったようにウミガメの保全というものを
非常に力を入れている一方で
さっきみかん船が
漂着した時の話もしましたけど
ウミガメって実は島ではずっと
食用のものだったんですね
戦前とかはこれを家畜として
飼育していたみたいな歴史もあるくらいなんですよ
なので実は後々
話しますが小笠原ではウミガメ料理も
食べれます
ただもちろん文化として
残さなければいけないよねっていうのと
生態自然として残さなければいけないよね
っていうのは矛盾するわけです
というので
環境省だったり東京都というのは
非常に絶妙なバランスをとっていて
小笠原諸島では年間135頭
までのウミガメを
食用のために捕獲
捕撮して良いということになっている
ただしそれ以上は
絶対に漁をしてはいけないということが
決められているんですね
なんか食べていいのかな
っていう気持ちはありつつ
やっぱり固有の文化だから
行ったからにはちょっと食べてみたい
気もするし
なんか難しい
持ちのバランスが難しいね
そこも含めて
それはやっぱりそれぞれ思うところは
絶対あると思いますし
結果として食べないという選択肢を取る人ももちろんいると思うんですよね
だけどやっぱり
そういった多角的な
誰かの都合ではないものが結局
生き物であって地球なのかなって
僕も思うところであるので
そこはもうそれぞれの価値があるということが
わかっていただければいいんじゃないかなと思いますけど
少なくともこの青ウミガメが
絶滅とかしないように今では
統制制限が設けられた状態で
言われているという感じですね
という小笠原海洋センターでした
境浦海岸の絶景と沈没船の物語
そしてね
実はこの近くに小笠原水産センター
っていう魚を専門にした水族館
みたいのもあるんですけど
僕が行った時に休館していまして
海藻工事中で
ちなみに言うとこれ今廃止にするの
5月末6月ですかね
なってると思うんですけれども
海洋センターも間もなく改修工事に入るって
聞いています
今僕は行ったところしか言わないので海洋センターやったんですけど
ちょっと遠目の海洋センターが
見れなくなる可能性が高いと思うので
その時はぜひ水産センターが代わりに
リニューアルオープンしてるらしいので
そのあたりも参考にしてもらえるといいんじゃないかと思います
まあそれに関してもね
事前に入念に調べておいてもらって
入念に調べたほうがいいです
さん
そしてね海洋センターに今行った場合ですけれども
そこから自転車で15分ほど
さらに島の南の方行って
至れたところにあるのが
堺浦海岸です
ビーチシュノーケルで
沈没船探検ができるんですか
はい
はあすげえ綺麗な
ビーチなんだけどその
沖合に沈没船が
もう海面の上にも
出てるんですよね
うん
ああこれもちょっと歴史を物語ってる感じが
ありますね そうですね
あの堺浦海岸というのは
まあいま行けば普通のビーチで
まあ普通じゃないんですよ
めちゃくちゃ綺麗なんですよここ
あの七島にもいくつかビーチがあるんです
でさっきの海洋センターの周りも
製氷海岸ここもすごく
いいところでねめちゃくちゃ西日も
綺麗なんですけど
僕はねこの堺浦海岸が一番感動しましたね
いくつか行ったんですけど
ここはですね
もう本当に入り入りになっていて
海が穏やかで
本当にこう波の音のサーっていうのが
本当線を引くように綺麗な
吐けた吐くような繊細な音なんですよね
で波も静かで
その波の中に
本当に極彩色のような夕日にきらめく
エメラルドグリーンの
広がっていて
一体これは俺は何を
ここにどこにいるんだろうか
って思うような
本当になんか世界中にこんな場所が
果たしてあるんだろうかっていうような
自然のこう光の
可能性だったりとかっていうのを
すごい感じるような場所で
かつちょっと市街地から外れているので
貸切だったんですよほぼ
1時間半くらいの間
うん
ちょっとね写真もね
本当に現実物を撮ってきたのでね
はい
いやーすごいね
いやもう本当に明るい
青というか
もはや水色とか
それぐらいの色を
それにこう夕日が
これ5時頃だったと思うんですけど
夕焼けが渡ってる部分だけはちょっとなんか
紫というかピンクというか
虹色のようになってるんですよ
レンズみたいなんですよ本当に
いや綺麗だな
で真ん中にこう
突き出てるものがあると思うんですけどもこれが沈没船
なんですね
まあただやっぱりビーチとしてもね
僕も本当にビーチなんて
しかもましてそれ一人で行くなんて
普通にないだろうなって思うんですけども
うん
このあずま屋がね白の羽で吹かれた
南国のあずま屋があるわけですけども
ここでこうベンチにこう荷物を置いて
ずっと座ってるだけでね
本当に良かったですね
これはすごいなって思いました
本当に
うーん
なんかなんすかねこの
うん
まあめちゃくちゃ綺麗なんだけど
それだけじゃないやっぱその
沈没船の存在感
というか
この侘しさというより
なんなんだろうね
重みというか
ありますね
まあこのね沈没船の話なんですけれども
はい
これはねヒンコウマルっていうね
名前がついていた船なんですね
はい
で今はこの境浦海岸の数十メートルの沖合に
あってまああの実際泳いで
行くこともできるくらいなんですけれども
この船が何かというとですね
そういうわけで小笠原というのは第二次世界大戦中
太平洋戦争中非常に大きな
大事な局面において
登場する島になりました
で連合艦隊はここをやっぱり
日本の防衛の最前線と考えて
増強したわけなんですけれども
このヒンコウマルというのももともと
満州の方で使われていただから
ヒンコウショウという満州の地名から取られている
そうなんですが
これは戦艦ではないので
物資の輸送のための船だったそうなんですね
で海軍に
徴用されてしまって物資の輸送に当たっていた
そうなんですけれども
いよいよ本当に戦争の末期になって
1944年ですね
終戦の1年前サイパンなどで激戦
とか行われているあたりなんですけれども
その時にサイパンから小笠原
とかへ物資を輸送している間に
アメリカの魚雷の
攻撃を受けたと
一時的にそれで航行不可能になって
補修をして千島に避難したんですね
千島に避難した後に
さらに船出をしたところを
千島すぐ出たところでまた再び
魚雷の攻撃を受けてしまって
航行不能になり漂流してしまった
そしてこの潮の流れに
流されてたどり着いたのが
境浦海岸の入江で
そこの砂地に乗り上げて座礁してしまって
船は廃棄されてしまう
そしてそれがね
航行能力もない船なのでアメリカからも捨て置かれて
結果44年ですから
この82年間の間
この境浦海岸で漂着したまま
誰にも手を付けられず
ここに沈んでいるんです
この1977年かな
の映像とかだと
結構出てますよね
そうだね形的にはもう
船ってわかる感じですけど
全体錆びていて
甲板には木が生えたりとかね
してますよね
それが現在に至るまで
どんどん朽ちていってるんですね
そうですね
なのでこの貧困までは
避けられない運命として
いずれこの船は見えなくなって
完全沈没して朽ちて土に帰っていくのは
もう間違いないことなんですね
なので徐々に刻一刻と
この沈没は見えなくなっていくと思うんですけれども
僕がさっき撮った写真というのは
1ヶ月くらい前の写真なので
この時点ではやっぱり形が
わかるくらいにはまだ見えている状況でした
船室くらいは
この海面に出てて
よく見れば
船ってわかるくらいの感じですかね
そうですね
上から見るとやっぱり船だなってのはわかるんですけど
そうですね
ただやっぱりなんとも言えない
もうビーチの美しさというのに
まずただ魅了されるんですけど
その先にあるやっぱりこの沈没戦のドラマというかね
戦争の悲劇というものがいっぱいあったわけですけれども
こういったものもやっぱり
多角的に慕えているというのがこの海岸だなと思って
1つピックアップするのはやっぱりここなのかなというところがありましたね
はい
ちなみにこの坂寄海岸のこの沈没戦なんですけど
砂浜の方から泳いで行ってもいいらしいんですが
僕はちょっと
もう夕方だったというのと
翌日にマリンアクティビティを入れていたというのもあって
行かなかったんですよ沈没戦までは
ところが後で話すんですけど
この沖合の方から
実は翌日マリンアクティビティ入ることができて
結果的に僕はこの沈没戦の中で
スノーキングできたんですね
反対側の方から行って
行ったらやっぱりめちゃくちゃ魚がいて
魚たちにとっては格好の住処で
マンションみたいになってて
すっごいたくさん魚がいて綺麗でしたね
熱帯魚がいっぱい泳いでて
だからいずれはこの船は
熱帯魚の住処として海の中に沈んでいくんですね
ぜひなのでここ今予定では
坂寄海岸に16時15分くらいに
来ている予定なんですけれども
これは実体験として言いますが
僕本当にこれ1時間半以上いましたね
あまりにも良くて
レンタザイクル18時まで
返さなきゃいけないのでそれにだけ間に合うように
自転車に20分くらいかかりますから
そこは間違いないようにしていただいて
大村の集落に帰っていただく
小笠原の夜:ナイトツアー体験
というので一旦この半日の観光が
終わりになるわけですね
最後この日なんですけれども
ぜひね
小笠原諸島でやっていただきたい
アクティビティとしてですね
一つ大切なものがありまして
それがナイトツアーなんですね
これが
すごいんですよかなり
これちょっと
本当に自然のものなので
一概に僕と同じ経験できるとは言えないし
僕よりもはるかに
もっと良い経験をした人もいるかもしれない
できなかった人も多分たくさんいると思うんですけれども
あくまで僕が実際に体験したことを
お伝えしたいというふうに思います
ナイトツアーというのは
千島で盛んに行われているんですけれども
千島の
車がないといけないようなジャングルの中とか
海岸の中とかに行って
そこにいる夜行性の生物
というものを観察する
ウォッチングツアーなんですね
必ずこれは事前予約が必要です
小笠原村の
観光協会のサイトに行っていただくと
ナイトツアーを最高している会社
結構あるんですよ
という方が一覧化されていますので
先ほど言ったように船を取った宿を取った後に
申し込むということで
必ず事前に申し込みをしてください
料金とか工程はそれぞれまちまちです
僕はちなみに
風鈴散歩さんという
ガイド会社さんにお世話になりました
非常に楽しかったです
風鈴散歩さんについては
もし迷われたらここがおすすめだなというのを
一つだけお伝えしておきますが
どこでもそれぞれのプログラムはちゃんとあります
ナイトツアーについては
大体4月から
夏の期間はやると思うんですけれども
日没の時間の関係もあるので
19時に
宿に迎えに来てくれるというところから
スタートします
ですのでこの日は居酒屋に行かずに
宿に食事を僕もつけました
宿の人はナイトツアーとの連携というのは
お手の物になるので
ナイトツアーが7時に来るんですって言ったら
6時くらいから食事を出してくれて
7時に食事が終わっている状態に
整えていただけました
この時は宿の人にお任せした方がいいと思います
19時になりましたら
ガイドさんがワゴン車みたいなのに迎えに来てくれて
島の
そのいろんなところの宿をタクシーみたいに
寄っていってだいたいこのワゴン車に
入るくらいの人数でやることになります
風鈴散歩さんに関しては小人数っていうのを
非常に売りにしている会社さんだったので
上限6人くらいでやって
小さい時も6人でやりましたからね
小笠原諸島はやっぱり
1人で来るお客さんもすごく多いので
その中で仲良くなったりとか
っていうそういった出会いもありました
なのですごい親密にもなるし
ガイドさんの説明もちゃんと聞けるっていうので
小人数制は僕は1人旅には特にいいんじゃないかな
というふうに思いました
そして
このナイトツアーで見れるものは
3つあります
まず1つ目は小笠原
大コウモリですね
さっき言ってたやつだ
ちょっとこれ画像見てみましょうか
結構でかくない
はい
バリでかいですこれ
ほんとなんか
哺乳類ってわかるぐらいのサイズ感ですよね
そう
いわゆるコウモリでは
もはやないんですよこれ
ちょっと怖いかも
これだって両手で持ってますよね
はい
手のひらに乗るサイズではあるけど
普通のコウモリのイメージより
だいぶでかいですね
これは羽を広げると体長
80センチにも及ぶという
超巨大コウモリです
ほんと子犬ぐらいの
サイズ感ですよね
その子犬みたいに思うのはたぶん
顔もあると思うんですよ
これはまんま実はツアーガイドさんから
言われたことなんですけれども
皆さんが知っているコウモリと
小笠原コウモリの写真を見て何かがないことに気づきませんか
何かがない
というか何かが短い
極端に短くてもはやない
耳か
普通のコウモリって耳が結構
鋭く尖っていると思うんですよ
そうかそうね
実は小笠原コウモリには耳はなくて
ないというかパタンって
折りたたまれているちっちゃい耳で
もはやほんと子犬みたいに
見えますよねこれ
あるいは僕は猿だと思ったんですけど
これが特徴なんですね
そして目が
めっちゃぱっちりしてるとわかりますかね
コウモリってだいたい洞窟の中
とかに普通いますから目がもはや
退化していて彼らは
虫とか食べると思うんですけれども
超音波を発する
機能を持っていてそれによって
捕食をすると思うんですよね
だから目はもはやいらない
逆に耳というものが
ちゃんとないと大音波を感じられないので
そういったものが生存の条件になってる
と思うんですけど小笠原コウモリは
それと全く別の変化を
遂げたコウモリなんですね
つまり耳がもういらなくなっていて
逆に目で見るんですよものを
えーでもそれでも夜行性
ではあるんですよね そうなんです
つまり彼らは何を食べているかというと
虫とかじゃなくて
木の実とかを食べる
非常に我々と近いおいしいものを
食べてるものなんです
ということでね
実際僕が小笠原コウモリを撮影した
映像があるのでそれを見ていただきたいと思います
今木の枝に
捕まって木の実を
選んでるんですかね
ご飯を食べようとしてる
動画でしたけど
彼らはですね小笠原諸島に生えている
ガジュマルですとか
あとタコの木っていう
これもすごい珍しい植物なんですけれども
こういった南洋性の植物の実を食べるんですね
だから
動いているものを捕食するわけではなくて
木の位置をちゃんと分かっていて
そこによだよだ繰り出していって
実を食べるというそういった色性を持っているそうです
そうかだからまあ
夜でも目で見える範囲で住む
そういうことですね
逆に言うとすごい目がパッチリしていて
赤い目なんですよね
本当にこっちのことを見ているのよく分かるという
そして80センチくらいあるのが
木をよじ登っているので
猿に見えるんですよ
今しがみついている姿を見ると
確かに猿っぽいですね
逆に僕これ飛んだところは見たことないんですよ
今動画の中でキャキャみたいな音が
鳴ってたと思うんですけど
これ全部コウモリの声なんですね
彼ら超音波じゃなくて普通に発声するんですよ
そうか
うーん
いやーやっぱ不思議だな
知らない生物ですね
これはもちろん小笠原諸島にしか
もういない生き物です
世界の中でも
これはちなみにね
かつてはねやっぱりこうやって
木の実を食い荒らしてしまうっていうんで
戦前その小笠原の人たちがバナナとかを
作ってねそれによって農業をしていたときは
非常な害獣だったんですね
なのでとことん駆除を
してしまうという感じだったらしい
この風林散歩さんの鶴岡ガイドさんは
もう小笠原に移住してきて
30年くらいだっておっしゃってたんですけれども
この30年前とかは
もう乳島には残すところが
30頭くらいしかいない状況だった
そうです
絶滅ましぐらみたいな感じだったんですけど
そのタイミングでやっぱり
農業とか産業の変化が
あったというのとやっぱり
環境保護自然生態系保護っていうのが
大事だってことが分かり始めて
ほぼ活動が進んで
駆除がやめられて
今は乳島にも数百頭もいるようになっている
彼らは本当に今でも
大村の集落とかにも出没するので
結構固有種と言いつつもよく
見ました僕も夜な夜ないましたね
面白いのは
数百頭なんですけれども
やっぱりこのコウモリを研究してる人もいて
彼らはガジュマルダカの実を食べると
非常にグルメで
硬いところは全部食べないのでポロって落っことしていっちゃうんですよ
木の上に
食いかけの残骸みたいなのが大量に
出現するんですね朝になると
ツアーガイドさんが一個ずつ
その実を拾っていって
何をしてるのかと思ったら我々に見せてくれて
これ一個も同じのがないの
分かりますかって言われて見たら
確かにこう実を丸っこく
全部きれいに切り取ってるのがいれば
なんか吸っちゃったみたいな感じで微妙に
縦長に残っているのがあって残骸が
一個一個違ったんですよ
これどういうことかっていうと
コウモリというのも人間と同じで
一つとして同じ歯型のものがないと
それが個体識別になる
くらいのものなんですって
だから一匹として
食べ方が同じものがないから
この癖はあの子だなっていうのが分かるんです
っていうぐらい
癖のある食べ方をするそうなんですよ
そういう分類をもとに
今その個体識別だったり
保護っていうものをしようという風になっている
というのがこのオガサラオオコウモリの
実態らしいんですね
なんかここはうまく共存ができてる
感じがしますよね
でもそのツアーガイドさんはね
ご自身でも畑もやられてるらしいんですけど
フルーツを育てるらしいんですけど
一度としてまっとうに収穫できたことはないと
言ってましたね
そうか被害は
それでもいいと思って
このツアーガイドという仕事をやりつつ
コウモリを見てるんだと思うんですけどね
ここはなんかうまくできてるんですね
というコウモリ
これは夜になると活動し始めるので
見ることができます
はい
そしてもう一個がですね
これはオガサラの固有種ではないんですが
オカヤドカリです
オカヤドカリというのは
見たことはあると思うんですよね
割と大きめの
ヤドカリなんですかね
このカップぐらいはありますね
マグカップぐらいですかね
結構でかいね
巨大な陸に住んでいるヤドカリですね
ちょっと紫みを帯びている感じで
これはですねオガサラの固有種ではなくて
日本の南の方にはいるんですけれども
全て天然記念物に指定されているので
保護対象に
国としてもうなっています
オガサラだけじゃないんだけども
実はあえて見に行く理由があるんですね
これ何かというとですね
彼らヤドカリですから
気に入った貝だったりあるいは人工物だったり
背負って浜辺を歩いているわけなんですけれども
七島で
背負っている貝というのは何かというのを見てほしいんですね
出てくるかな
七島ってこれ
おー
割と普通の巻貝に
住んでいる感じですけど
はい
これがですね何かというと
アフリカマイマイの殻なんですね
あー
片つむりね
相当でかいね
アフリカマイマイ超でかいんですよ
こういうのをね
その残った死骸の貝殻というものを
オガサラヤドカリが採料しているんですね
つまりこれどういうことかというと
このアフリカマイマイって
本来オガサラに行っちゃいけないものなので
外来種なわけですよね思いっきりで
駆除対象になっているんですけれども
彼らがいたことによって
このオカヤドカリの一部が助かっているのが
事実であって
おそらくオガサラクルーシュの小さなマイマイとかだと
オカヤドカリここまで成熟できないんですね
海に行ったらサザエとかを拾ってこなきゃいけないらしいんですけど
このヤドカリは
海が苦手らしくて
海水に浸りたくないんですって性質として
なので浜辺の上とか
ジャングルの中を歩いているんですよね
ここにオガサラの生態系のいびつさと
現実が見えてくるところなんですけど
さっきの
コウモリも食べてたガジュマルというのは外来種なので
それによって
成り立っている生態系というのは今やや縮まる
実態のところもあると
コウモリはコウモリで固有種なので
守っていかなきゃいけない対象
その守る対象のためには実は外来種の力も
必要だったりするというところが
難しいところなんですよね
だからオカヤドカリはオカヤドカリ自体は全然
駆除対象でもないし守んなきゃいけない天然記念物なので
そもそもこれがいろんなところに
うろついているという時点で異常なんですけれども
天然記念物が
だけれどもここにオガサラのいろんな実態が
見えてくると思うんですよね
そうかだから外来種を
全部駆除すると
それはそれで困る種もいる
ということなのね
だからそこも含めて人間というものが
生態系をそもそもコントロールできるのか
というちょっと哲学的な問いも
なってくると思うんですよね
すべきなのかというところも含めて
だから結局
生態系って多分常に変化していく
ものであるけど
そこに人間の手が
入っちゃいけないよね
というところなのかな
だから本来ならそもそもアフリカマイマイを
持ち込んだ人が一番悪いわけですよね
まあまあそうね
その点はそういう意識なかったんだと思うんだけど
だから小笠原諸島というのは
人間に見つからない方が本当は幸せな生物が
多かったのかもしれないもしかしたらね
それはそうかもしれない
ただその人間というのも
いつまで文明があるかも分からないような生物
かもしれませんから5000万年前だって
分からないわけですから
これも一つの生態系として
いずれは淘汰されていくのかもしれないなと
思いつつもね
そういったちょっと答えのないね
というものをやっぱりその自然の実態として
見ることができる
ただおかえど狩りたちはここにいっぱい
生息をしているわけですね
まあ現状を
ちゃんと見れるっていう感じですね
そこから何を考えるかやっぱその人次第
なのかなと思うんですけど
ちなみにね
僕が行った時はねこのおかえど狩りはね
コペペ海岸というところに行きました
このコペペ海岸がまたすごくて
今僕は
ナイトツアーをね生物の生き物の
ツアーにやったんですけれども
もう一つ小笠原でね
本当にこれだけでも感動する
これのために行く人はいっぱいいると思うんですけれども
何があるか
わかりますかね
小笠原の夜に
星?
もうすごかったです
これは本当に
本当に感動しました
もうだって電気ほぼないわけじゃん
ないないほぼないんですよ
我々の懐中電灯だけなんです
そういった世界に立つ世界線って
人生に何度もあるだろうかって思うんですよね
ちょっとぜひね調べてみてほしいんですけど
七島星空から
多分すぐ出ると思う
本当にこういう感じです
いやもう本当なんか
教科書に載ってるような
天の川が見れる感じ
見れるんですよ
これはね本当に泣きそうになりましたね
目の前に起こってることは信じらんないんですよ
肉眼でもこれぐらい?
うん
マジ?すごいな
だから僕の知ってる夜じゃないんですよ
世界の夜ってのは
えーすごいな
だから多分ねこの星空観察のツアーもあるので
そっち行ってたらより多分望遠鏡とかもあると思うんで
いいと思うんですけれども
僕の行ったツアーはねもう星の名前とか
あえてあげつらなかったんですよ
それはなぜかというと
東京とか小田原におったら
小田原もよく星綺麗なんですけどね
あそこにシリウスがあってベテルデュースがあって
っていう風に言うわけですけど
そもそも星だらけなので
目立たないんですね
逆に進むのがもはや
どれだよっていう
いやすごいね
もし七島に二泊する方とかは
何とつは生き物のやつと星空のやつをね
合わせてもらうのもいいんじゃないかと思います
それぞれね
いやこれはね感動しました本当に
びっくりしました
いいね
一生に一度だとしてもね
すごいなと思いましたね
これは確かに
これだけで行く価値はある
気はしますね
特にそのコペペ海岸についてはね
もっとこのスペシャルな体験が
あったんですよ
おかやどかりをね浜で見た後に
ワゴン車まで帰る
駐車場まで帰るのが歩いて5、6分くらいあったんですけれども
その途中に川が流れてたんですよ
ちっちゃな川が
そこに石の橋みたいなのを渡って
行くんですけれども
懐中電灯照らしながら行くんですけど
そのガイドの方が橋の上でね
ちょっと止まってって言われて
ライト消してもらっていいですかって言われたから
またなんかコウモリでも出てくるのかなって
思ったわけですよ
生き物のツアーだったので
そしたら川が正面にあって
その周りに内容の樹林があって
その中に星空がずっとあるわけですけれども
ついつい何も出てこないからさ周りから
何だろうと思って
やどかにもいないしって思って
その星空をずっとやっぱり眺めてたんですよね
そしたら皆さん足元
よく見てくださいよって言われて
なんやと思ったら
下にね光がこう瞬いてるんですよ
それ何かって言うと
川がその小さな小川で波が立ってないから
川の中にね
星が映ってんですよ
これはねすごかった
川に映るんだね
川に映るんですよ星って
気象条件とかもよかったんだと思うんですけど
川の中に本当に色んな光が輝いてるように見えるんですよ
よく見ると
それ一個一個が星なんですね
幻想的じゃないですか
幻想的でしたね
本当言葉を失いましたねあれは
どれだけ僕の頑張っても
あのポッドキャストではね
少々伝わらない部分で
カメラでも伝わらないんですよね
同時にそれは
コウモリを見た後だったりとか
ヤドカ見た後だったりとか
流れてくる風の感じと
ずっと波の静かな音があって
っていう本当に
五感でしか体験しない
感動なので
これはねポッドキャストでいくら頑張っても
分かんないですね
現地に行かないとやっぱり
ただそれだけのものがある島が千島だったんですよね
なるほど
まあさすがに僕はもう
想像するしかないですけど
いやすごいな
星空専門ツアーじゃないんですけど
星空見れるよってこともあるんですよね
最後にね
一番ナイトツアーのメインになるものがあります
それがですね
三つ目の観察対象になるんですけれども
島の人がグリーンペペ
と呼んでいる
キノコを見に行くんですね
ちょっとこれも画像検索を
ぜひしてもらいたいと思います
あ光る
キノコなんだ
なるほどだから夜に見に行くわけね
そうなんです
緑に光ってますよ
これはちょっと不思議だね
ジブリっぽさも
あるし
このグリーンペペについてはですね
ここからまたエピソードがいろいろあるんですけれども
まずちょっと前提として
言っていただきたいのが
ナイトツアーとか検索するとどうしてもこの画像出てくるんですよ
グリーンペペが光ってる画像
これ見たいじゃないですかさすがに
なんですけどこれはね
見れるかどうか本当に運なんですって
見れない可能性も全然あるものなんですね
なので見れなかったとしても
それは自然のものに仕方ない
っていうのがまず大前提だと分かってください
その上でなんですけれども
グリーンペペというのは
ヤコオタケというのが
学術の正式な名前らしいんですが
彼らはですね
小笠原の樹林の中に
小笠原だけじゃないんですけれども
本当に密林の中にいる
キノコなんですね
しかも毎日光るかっていうと
そうじゃなくて
ある特定の発生状況を見出したときに
このキノコたちの何らかの作用が働いて
光る
昼に見つけててもその上が夜光るとは限らないんですって
どういう時に光るかっていうと
雨上がりに
光り始めるのがパターンが多い
雨を纏った後に
雨が上がった後の夜に
光るパターンが多いんですって
僕はさっき言った通り
千島に着いた日にこれ言ったんですけど
本当に偶然なんですが
ビジターセンター行った時雨降ってたんですよ
でも境浦海岸にレンタサイクル
行こうと思ったら雨が止んだから行ってるんですね
そのガイドの人も車で走らせながら
今日は行けるかもな
今日は行けてほしいな
とかずっと言ってるんですよね
っていうレベルのものなんですよ
ガイド参加しても
この風林さんぽさんは
このグリーンペペにめちゃくちゃ命燃やしてるというか
すごいこだわりがある方なんですけど
グリーンペペはそういうわけで
密林の中にいるんで
普段は人間の目に触れないんですね
ただ風林さんぽさんは
この密林の中の
土地を持っている地主さんみたいなのと交渉して
ツアーの時だけは
特定の地主さんの密林にだけは
入らせてもらえるっていう許可を得ている
すごいツアー会社さんなんですよ
それでもって
とある地主の方の密林の中に
入っていっても家も何にもない
真っ暗のジャングルの中に入っていったんですよ
道もないですから
ツアー会社さんの歩いたところを歩く
っていうぐらいのレベルで
僕も汗しつぶられしましたし雨上がりで
っていう入ったことのない
密林に入っていったんですよね
さらにそこが
これもちょっと暗い話になりますけど
すごいのは
とある樹木の前で
止まってなんだろうと思って怪盗をひたらすと
お皿の割れたものとか
謎の半合水素みたいなのが出てくるんですよね
これは
旧日本軍の兵士が使っていた
もの
父島の戦闘は起こらなかったんですけれども
何かの訓練の時だったのか
島から撤退するために捨てたのか
わかんないんだけど
旧日本軍の戦争の遺物が残っているのが
ジャングルだったんですよね
っていうものも見ながら
真っ暗闇
懐中電灯もすべて消して真っ暗体験
の途中で進むんですけど
ほんとに虫の声と
木のざわめきと
どっかからさらに逃げなく聞こえてくる
波の音と
例のコウモリの声
っていう中でいる人生っていうのが
時間で二度とないかもしれないような
ところだったんですよね
ところがですね
見つからないんですよこのキノコが
全然結構自信があったって言ってるんですけど
めっちゃ頑張ってガイドさんが
俺らが入れないところまで行ってくれたんだけど
どうも人見つからなかったんですよね
この人はですね
グリーンペペが大好きすぎて
こうやって見つからないこともあるから
それかわいそうだからお客さんが
自らそのグリーンペペと
全く同じ高度の
光のどね
光の原色のライトっていうものを
農協と一緒に開発して
お土産として売ってるんですね
それを持ち出して
もう見つからないから
仕方なく地面に刺して
見れたらこんな感じなんですよって言ってたんですよ
でもすごいなと思って
これだけでも
すごいなと思ったり
まだこれキノコが生える前なんだけど
グリーンペペは竹の葉に生えることが多いらしくて
朽ちた竹の倒木を持ってきて
特殊なライトって確かに
粉みたいのが光るんですよね
これはこの発育してない
グリーンペペの菌糸
キノコの胞子がここにまとっているっていうんで
それとか確かに
明かり照らすと光るんですよ
薄くぼんやり光るだけ
これを見てるとがっかりな感じだったんですよね
直後についてはね
でも仕方がないから
諦めて帰ろうとしたんですよ
ワゴン車のところに戻ってくる途中に
その時ツアーに参加されていた
男性の一人の方が
あれ光ってませんかって声を上げて
なんだって見たら
駐車場の近くにいつの間にか光り始めていた
グリーンペペがあって
それが見つかったんですよ
一本だけ光ってたの
へー
だからこんな感じで群青はしてなくて
残念ながら一本だけだったんですよね
その写真もね
ドライバーにあげたのでね
おーすげー
これが実物なんです僕が見た
へー
いや本当に光ってんだね
すごいな
奇跡的だね
奇跡ですでガイドさん超テンション上がって
本当にあり得ることになって
僕じゃ見つけられなかったんだって
へー
一本だけ光ってたの
でも同じ道を通ってたから
分かんないんだけど
行きの時には光ってなかった道が
10分くらい気まぐれで光り始めたかもしれない
うん
あー本当に
タイミングというか運だね
運なんですよ
あれだよねガイドさんはそのキノコが
ある場所はなんとなく分かった
なんとなくはでも本種だから飛んでっちゃうから
あー
4月の20日に行ったのかな
だけどちょうど
グリーンペペが発光し始めるかどうか
くらいのシーズンで
その時も今シーズン初めての発光だったっていう
くらいだったんですよ
だから今年の状況分かんない状況で行ったんですよ
そして今多分疑問に思ったと思うんですけど
発光するキノコが
ある場所が分かってんだったら
それをマークしとけばいいじゃないかって思うんですよ
これができないのが命の不思議なんですよね
なぜかというと
このグリーンペペなんで光ってると思いますか
えー
そもそもなんで彼ら光るんですか
いやー分かんない
なんか哲学みたいな
えーなんでなんだろう
宝石を飛ばしてるんすか
そうなんです
どうやって飛ばすんですか
いやまあ普通はねなんか気流とかに乗せて
飛ばしますよね
でもそれだったら光る意味なくないですか
そうだよね
うん
虫とかをおびき寄せてる
そうなんです
彼らはいろんな説があるらしいんですけど
まず蛍光色的に
鳥とかには食べられない危険分子ですよ
我々は危険ですよっていうのを蛍光色で
分かさせると同時に
虫とかをこの真っ暗闇の樹林で
人が見ても分かるくらいに
明るく光ってるんですよ
っていうと虫とか寄ってくるんですね
彼らはこれは
自らを食べられるために光ってるんですって
はぁー
ヤスデとかムカデとか
っていうものに彼らは
一夜にして食べられるんですって
はぁー
つまり翌日には彼らはもういないんです
たったこの地球の歴史の
1日だけ光るんですって
はぁー
でじゃあその虫に奉仕をつけて
遠くに運んでもらう
彼らとしては思惑通りなんですよねそれがね
その種の本族のために
自らを犠牲にして
光ってるんですね
どこまでかそのなんだろう
彼らはこの奉仕
だからよく分かんない
もう俺たちは考えても分かんないことなんだけど
この一つに人格とか気持ちがあるのか
ないと思うんだけど
奉仕というもの自体が人格を持っていれば
これはただの飾りに過ぎないのかもしれないんですよ
キノコっていうのはね
奉仕というものが命を動かしてるんだろうね
彼らは別に一つの飾りが取れたくらいにしか
思わないかもしれないんだけど
どうしてもこれ自身に生命が宿ってるように
見えるじゃないですか
だから
同じものは二度と見れないんですね
基本的に
彼にとっては運悪く残ってしまったものは
翌日も光るのかもしれないんですけど
だからこそ
会えるかどうか分からないんです
二度光ることはない
基本的にはないわけ
そうなんですもうないんです翌日行ってみて
だから探さないとないわけだね
そう代わりに別の奉仕から出た
発芽したこれが光ってるかもしれないから
なんとなくこの辺に多いっていうだけで
そっからは手がかりがないんですね
なるほど
うん
見れてよかったね
これは感動しましたよ
その人本当にファインプレース
僕は気づかなかった
すごいな
これ僕のスマホにとって
これですからね
神秘だな
いろんなことをその時みんな興奮して話したんですけど
ツアーガイドさんは結構いろんな
歴史とかにも興味のある方で
このグリーンペペっていうのは
小笠原固有地ではない
かつては日本のいろんなところに
あったんじゃないかって思うんですって
でも今はもう全然タクシー開発が
ほとんど見ることができない
見ることができないから気づかれないのかもしれない
もう人が入るところにはないから
なんだけど
その時言ってたのは
これすごく重いんです最近気づいたんですけど
グリーンペペって竹の葉に
よく付くんですよ
竹の東北によく付くことが
多いんだと
暗闇の中に竹の木があって
その中に光ってたんですよその時
って
もしかしたらなんですけど
わかりますかね
日本で最初に生まれた物語
って言われている
竹鳥物語
かぐや姫っていうのは
もしかしたらこれだったんじゃないかなって思うことがあるんですよね
って話されてたんですよね
うん
確かにね
もう竹にね
光るけのこ
でまあやっぱ遠目に見たら竹が光っているように
見えるんで
でその翌日にいなくなっている
移動したみたいに思われたのかもしれないけど
そういった昔の日本人
昔密林に何かの理由で
入ってしまった日本人が
古代の日本人が京都とかの矢部の中でこれを
見つけてっていう
神秘を日本人が
初めて作った物語がこれだったとしたら
これはすごくやっぱり
世代とか時空を超えて
同じ日本人が何かを感じた光だったんじゃないか
と思うんですよね
うーん
いやロマンあるね
これはわかんないですけど根拠はないんですけど
いや面白いっすね
うーん
はい
こういうねグリーンペーパーの観察は
多分いろんなことあると思うんですけど
僕も運良く一本だけこうやって見られただけ
だので
こればかりは運次第
もしダメだったら例の蛍光ライトをね
東京でやりましたので
風鈴散歩とか作った蛍光ライトが
結構ヒットしてるそうですやっぱり
見られなかった人が買ってくるんですかね
そうだろうね
夜光ると再現ができるそうなので
買っていただくのもいいんじゃないかと
家に持って帰れるので
というね
すごい夜を過ごしました
でこれでだいたい
9時くらいには終わるんですけど
僕の時はこのグリーンペーパーの
最後でめっちゃみんな興奮して
すごい長くなっちゃったんで
追加料金とか一切なしでしたけど
30分くらい延長で
やりましたね
9時半10時くらいに宿に帰って寝降りに着いた
という感じで
長かった2日間がね
1日目・2日目の旅程と準備の振り返り
ようやく終わるという感じですね
はいそれでは
1日目と2日目か
を振り返っていきましょう
まずスタートは2ヶ月前ですね
はいそうです
もう行くと決めたときに
その2ヶ月後の船を
まず取ると
その後すぐに宿を取る
でその後に
アクティビティ
やりたいアクティビティを探して
それを取ると
予約がまず大事ということですね
もうそこから旅が始まっている
と思っていただければという感じですね
でいざ当日になりましたら
まず東京の
浜松町駅ですね
ここに10時15分
よりもっと前ですね
にまず着いていただいて
そこから10分ほどで
竹芝客船ターミナル
に着きます
そこの前のコンビニで
アネロンというね
酔い止めですね
これをまずゲットしていただければと思います
これが結構大事な
お守りになるということですので
準備できる方はね
ぜひ前日以前にね
準備をしていただいて
もし持ってないという方がいましたら
その竹芝客船ターミナルの前の
コンビニで
そのアネロンを購入していただくと
そして
出港の30分前ですね
に乗船手続きがありますので
間に合うように行ってその乗船手続きを
済ませると
ここでもプリントアウトをしておかないと
いけないと
ということなので
これも事前準備に必要ですね
というもろもろの準備を経て
いざ乗船という感じですね
はるやが行った時は11時に
この竹芝客船ターミナルを出港する
小笠原丸に乗りまして
ここから24時間
船に揺られるわけですね
この24時間の船旅の中でも
レストランがとても充実していたり
自然についてのレクチャーがあったりと
いろいろと楽しめる要素が
たくさんあるということなので
それで24時間を
過ごすという感じですね
そして
翌日の11時ですね
二美湖という
七島の港に着きます
そこから船を
降りましてそこで
予約している宿の方が
おそらく待っていらっしゃるということなので
まずそこの方に
ご挨拶をしてまずはチェックイン
という感じですね
宿から徒歩で
移動しましてハートロックカフェ
でお昼ご飯をいただきます
こちらはもう珍しい
サメバーガーであったり
小笠原コーヒーの
ブレンドコーヒーをいただくことが
できるということですので
このお店の雰囲気も含めて
まずこの島に来たんだな
という異世界に来たなというのを
まず感じていただければ
というふうに思います
そこから徒歩5分ほど
小笠原ビジターセンター
ですねまずこの小笠原小島が
いかに特別な
歴史だったり文化だったり
自然がある島なのかというのを
まず
勉強をするという感じですね
そこから徒歩3分ほど
小笠原世界遺産センター
こちらでは自然に特化して
展示をしていらっしゃるということで
世界自然遺産に
登録されるほどに特有の
生態系があるというのを
こちらで見ていただければ
と思います
そこから徒歩3分ほど
小笠原観光さんに行きまして
そこでレンタサイクルを借ります
そこから
自転車で10分ほど小笠原
海洋センター
こちらはウミガメをね
メインに展示をされていて
予約が必要ではありますが
ウミガメに関する体験コースなどもね
ありますので
ウミガメに触れ合いたいという方は
ぜひこちら予約をね
事前にしていただければと
思いますね
時期によってはちょっと改装中になっているかもしれません
そうですね
そこら辺はちょっと事前にね
調べていただければと思います
そこから自転車で15分ほど
堺浦海岸
こちらは春矢が数ある
いった海岸でも
最もきれいだったと
そして
海洋にはですね
沈没船が残っているということで
本当にこの景色として
きれいな海岸
そしてそこにある
歴史の
なんていうんですかね
面影というか
いうのを感じることができると
そこから自転車で20分ほど
小笠原観光さんに戻りまして
レンタサイクルを返却します
そこからだいたい
10分ほどお宿に戻りまして
夕食を一旦食べます
そうですね
千島の大村は飲食店はあるので
外で食べても大丈夫なんですけど
僕の体験として
このナイトツアーが宿に迎えに来るので
宿の人と相談して
6時から食事を始めてもらったという感じです
はいはいはい
だからナイトツアーに参加する夜は
宿にいた方があるし
いいと思いますね
千島の飲食店については
翌日ちゃんと話したいと思います
なのでこの日は一旦
お宿で夕食を取るということに
しまして
19時ナイトツアーが迎えに来て
くれるということで
そこからこの夜の
千島を巡っていくと
小笠原大コウモリ
岡宿狩りグリーンペペ
ここら辺は
全て動物ですから
岡宿狩りは結構見れるのか
だと思いますね
特にこのグリーンペペはね
その光ってるシーンを
見るっていうのがね貴重なこと
ですのでここは運任せ
ということですけれども
ナイトツアーでこの夜の姿を
見ていくと
あとは星空ですね
これもなかなか
日本列島ではなかなか
見れない景色かなという風にも
思いますのでここら辺を
存分に楽しんでいただければと思いますね
このナイトツアーが
終わりますと宿に
送迎してくれる場所ですね
ですので宿に着いて
この日は終了という感じですね
この番組では
お便りを募集しています
番組の感想・質問・リクエスト・旅の情報
普通だなど何でも結構です
番組概要欄に記載している
お便りフォームのURLから投稿お願いします
また各プラットフォームの
フォロー・レビュー・コメント
それから我々の関連SNSアカウントの
フォローなどよろしくお願いいたします
ぜひハッシュタグ
おとたびをつけて投稿してください
そして我々のマイマップ
年表・ノートそれぞれございますので
参考にしてみてください
うーん
まあもう1日目から
すごい特別な島だなっていう
ビジバシ感じますね
うーん
やっぱ他にはない場所なんだな
っていうのが
うーんよくわかりますね
うーん
これはすごかったですね
今思い返してもやっぱり
特別ですよ
これは本当に
うーん
やっぱ小笠原諸島にあるのは
当然知ってるんですけど
ここまで特別なのか
っていうのは
知らなかったね
これはね
本当にすごかったね
あと
なんだろう
体が十分に動くうちに行っておいてよかったな
って思ったりもするけど
いやーなんか
うーん本当にこれは
人生の一つでやらなきゃいけないことの一つだったような気がします
うーん
いやーなんかこれもう
多分最後のまとめでも俺いいそうだなっていう
予感はあるけど
マジで行かないとわかんないね
そうね本当にそうです
僕も伝えられないですね残念ながら
これやっぱ体験が大事な感じがすごくありましたね
うん
いやー面白いいやでも話聞いてるだけの
すごい面白いですね
うん
ということで2日目は
どういうテーマになるんですかね
2日目はもう一日海です
マリンアクティビティをして
小笠原の海というものについてね
触れて体験しても
考えてみたいという風に思いますね
島ならではという気がしますね
これがやっぱメインですね
うん
ということでじゃあ
今回はこの辺でありがとうございました
ありがとうございました
01:56:56

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