港のすぐ近くなので、大村からであれば歩いて10分以内には着くと思うんですけれども、ハートロックカフェさんをご紹介させていただきたいというふうに思います。
すごい綺麗な、でもやっぱ南国感ありますね。
なんかいいね、テラス席が気持ちよさそうな感じですね。
こちらね、二味の港からすぐ目の前にあるハートロックカフェさんになっています。
で、やっぱり港の外観なんですよね。
ログハウスっぽい感じ。
そうそう、このログハウスで作られたようなもので、かつ店舗はこういった形なんですけれども、道沿いにね、ガジュマルの木がね、もう競り出していて、テラス席とかもガジュマルの木陰に覆われてる状況なんですよ。
これがやっぱり、本州ではまず見ないなという感じですよね。
やっぱリゾート感はあるね。
ありますね。
この画像だけ見ると南国の、それこそサイパンとかグアムとかハワイとかなんかわかんないけど、そういう感じはありますよね。
小笠原はね、沖縄とかよりはムシムシはしてないんですよ。
僕の印象だと、風が当時はわりと良くて、24度5度くらいが大体日中の4月だとね、ぐらいだったので、すごく気持ちよかったですよ。
この木陰で癒されて。
そうか、だからもっと夏になってくるとより暑くなってくるから、多少対策とかいろいろ必要かもしれない。
なるほど、4月ぐらいで24、5度。
だしたね、だいたいね、昼はね。
実際これじゃあ何をいただくのかということなんですけれども、ぜひお勧めしたいのがですね、名物ですね。
サメバーガー。
サメバーガー?
サメ食えんの?
はい。
これですね。
これね。
見た目はフィリオフィッシュみたいな感じですけど、サメなんだこれ。
そうなんです。
小笠原の海はもう本当に生物の宝庫なわけですけれども、特にサメは多いんですね。
で、小笠原の漁業っていうのは基本的にメカジキが狩猟なんですよ。
アジとかサバとかじゃなくてメカジキなんですよね。
あれはハイナワとかで獲るわけですけれども、そうするとね、ハイナワって言うは、ブワーって何百メートル渡ってこう石付いて、それをカジキが食いついて釣りみたいになってるわけですけれども、
一晩の間カジキがそこに捕まってるわけなんですけど、それをサメが食べちゃうことがあるらしいんですね。
だから翌朝漁師の人が引き上げとしたら、もう死んでるカジキが引き上げて、なんだこれ意味ねえじゃんみたいになっちゃったりもするそうで、
で、サメの駆除っていうのもちょっと進めなきゃいけないというふうなのも漁業の問題からもあるそうなんです。
ところがサメというのは小笠原にもたまに青浜山にもあるんですけれども、基本的にアンモニア臭いが臭いと。
アンモニア臭いなんだ。
進め方が悪かったり、鮮度が落ちたりするとすごく腐っちゃうっていうんで、食べられることが基本的にないそうなんですね。
フカヒレとかヒネの一部とかをねっていうのがあったり、小笠原のカマバコとかもサメを使ったカマバコだったりもしたんですけれども、
そういうスリミとかに加工しないと生魚とかで基本食べられないものだっていうのは一般的なものなんですよ。
ところがやっぱりサメでも生物であり世界遺産に生きるある意味仲間でもあるわけですから、
生命はいただくとはいえ、やっぱりそれを捨てるだけっていうのはちょっとどうなんだっていうことをやっぱりこの方はすごくエコツーリズムにすごい関心のある方でもあるので、
人間の手でうまく調理することで、生命をいただいて捨てることがないようにしましょうということで、このサメバーガーというものを開発したんですね。
これね、結論から言うと全然美味しいです、マジで。
臭みとか全くなくて、フィレオフィッシュには本当に近いんですよ。
ちょっと身の噛んだあたりにニルっていうところがややあるかだっていうところはあったんですけれども、
やっぱり揚げてあるのでその衣と合わせて食べたら気にならないし、そこはねすごく美味しいなって思いましたから全然抵抗なく食べれますね。
基本的にはその白身の具材みたいな感じ。
魚の旨味とかアジの磯気のある旨味とかはないんですけれども、揚げてある以上は別にそんなに何もこれがサメだと言われても気づかないと思いますね、正直。
普通に見た目美味しそうですもんね。
美味しいですよ。
なのでこの辺で軽めにお昼をとっていただくのもいいのかなと思いますね。
他にもヘルシーカレーっていうのもあるんですね。
あとやっぱり小笠原はメカジキが大きな漁業の収穫物になりますので、これのメカジキを使ったカレーとかもね、このお店以外にもあるんですけれども、この辺は全然美味しいですよね。
やっぱり晴れてたらテラス席でいただくのがいいですね。
そうですね。
そして僕はあんまりコーヒーが詳しくないんですけれども、ここでスペシャルなのが小笠原産コーヒーというものなんですね。
これは後々話すんですけれども、小笠原諸島っていうのは本当に複雑な歴史を歩んできたんですよ。
その中でただやっぱり農業というものに非常に栄えた時期があって、特に戦前は小笠原諸島の住人というのは、日本の本土に暮らしている人たちと比べても非常に裕福だったと言われてます。
バナナとかそういったパッションフルーツの栽培に大成功して、農業とか漁業っていうのがめちゃくちゃ栄えて、それを日本の本土で売りさばくことで、すごい莫大な衝撃を上げていた。
そうか、だから日本の本土にしてはレアなものがたくさん売れるってことだよね。
それを今で言うようは促成栽培みたいな要領で、季節外れのものとかも彼らを出荷できたんですよ。
なので農家の人たちはすごい裕福な暮らしをしていたそうなんですよ。
そういった中で小笠原の機構を活かしてやってみようと、心見られたのがこの小笠原産コーヒー。コーヒーをやろうとしたんですね。
なかなか国産のコーヒーってなさそうだよね。
そうですね。コーヒー詳しい方はコーヒーベルトなんていう、要は赤道付近の、ああいった機構の中でしかコーヒーというのをうまく育たないっていうのが一般だと思うんですけれども、
要は日本の中でこの赤道に近いといえば小笠原とか、あるいは奄美沖縄ぐらいしかないわけで、その小笠原の方には後々搬出場で移民の方も多かったので、
やっぱりそういうノウハウだったり、あるいは願望を持ってる人が多くて、このコーヒーを作ると心見られたと。
実際に戦前ではコーヒーというものを作ることに成功して、ある程度の卸しもしていたそうなんですね。
だから国産コーヒーというのがあった時代があったんですよ。昔はね。
ただそれはやっぱり戦争の時に七島自体は太平洋戦争のすごい部隊にならなずに空襲を受けてしまって、その時もやっぱり大きな被害を受けたんですけど、それでもそんなに比較的甚大な被害はなかった。
ただ一方で、同じ小笠原諸島の南の方に行ったところには、いわゆるイオウ島があります。
これはもう歴史の許可書に載っていますけれども、太平洋戦争における本当に悲惨な戦場として歴史に名を留めてしまった場所で、日本軍がここで全滅をしたというね。
以前、渡辺健さんが主演でね、イオウ島からの手紙というすごい戦争映画で国際的に評価を受けた映画がありましたけれども、
あれの舞台になったということで、小笠原やっぱり戦争の時も島全体を見て大きな被害を受けた戦地になってしまったんですね。
そういった中で小笠原諸島は連合軍に占領されて、1945年の終戦から1968年の23年間はアメリカを取得する連合国軍の占領下にあって、日本に返還されませんでした。
その間だから欧米系の人しか住んでなかった、日本じゃなかった時期がある島ですよね。
なった時に、逆に言うと欧米系の文化が入ってくるわけなんですよ。住民が欧米の人しかいないからその時。
なった時にはやはりコーヒーというものもあって、コーヒー農場はただその後日本に返還されたり親々になって戦前にあったものももう壊滅戦になってしまったので、
やっぱり改めて今も日本の観光地として世界遺産になったということで、世界遺産のお土産として小笠原だからこそのコーヒーをやろうじゃないかっていう新たに起こした人がいるんですね。
その戦前にあった農地というのを再度開拓して、小笠原産コーヒーというのを今作ってる人がいるんですね。
ただやっぱりそれはなかなか難しいことらしくて、小笠原というのはやっぱり夏になると台風も来ますし、風も荒れたりもするからっていうので栽培が一応にはいかないという中で、
本当に貴重なわずかな飲みが今でも取れている。
ただこのハートロックカフェに行くとそれがね、やっぱりストレートでは飲めないらしいんですよ。もう量が少なすぎて。
だからブレンドっていう形であれば提供できるかろうじての量を確保しているらしくて、一人の農家さんから卸してもらった豆を使ったブレンドのコーヒーをここでは味わえるんですね。
本当に貴重なんですね。
いやでもまあそもそも国産コーヒーっていうのは珍しいからね。
そうなんですよ。
是非飲めるんだったら飲みたいですよね。
なのでそういう意味でもやっぱり小笠原の流行りとして、サメのバーガーっていうのもちょっと異質な感じはしますけれども、
それとともにこのいわゆる日本の本土とは全く違う環境の中に来てるんだなっていうのを、この小笠原産コーヒーとかを通じて船を直しながらゆっくり考えていただければいいんじゃないかと思うんですね。
やっぱ新鮮な感じがすごいあるな。
ということでね、ハートロックカフェさんのご紹介でした。
ちなみにこのハートロックっていうのは小笠原島の千島のすごい有名な観光地なんですね。
もろハートですよね。
すごいねこれ。
これ自然のもの?
自然のものです。
この岩壁が赤いハートになってますね。
そうなんですよ。
これちょっとマジで画像を見てほしいですけど。
本当にハートだよね。
本当なんか人工物なんじゃないかぐらいの綺麗なハートだね。
そうなんですよ。
これもツアーとか申し込めばいけますので。
ここにね、お弁当を食べた時の思い出っていうのはこの天使さんにとってすごい大切な思い出らしくて、そこから取ったというふうに大きさに書いてますね。
というハートロックカフェさんでした。
そうしましたらこの千島の中心部である大村、小笠原諸島全体でも最も中心になる村役場とかもあるところなんですけれども。
ここで小笠原島の概要というのを改めてちゃんと知っておきたいというふうに思うんですね。
そこで行くのがハートロックカフェさんから徒歩5分ほどのところにある小笠原ビジターセンターです。
ここは観光案内所みたいな感じなんですかね?
これは小笠原に行ったらまずはここへというふうになるんですけど、ミュージアムになってます。
ミュージアムで入場無料なんですけれども。
大まかにおけて自然のパートと文化歴史のパートという2つの展示に分かれていて。
小笠原諸島の特に千島というものをどっちもの角度から概要をちゃんと知れるというものになってますので。
最初に行くっていうのがやっぱりすごく意味のあることだと思うんですね。
散々小笠原の船内でもネイチャーガイドさんの解説の時間もあったりするから、結構前提知識としてあるかもしれないんだけれども。
やっぱり船よりで寝込んでましたとかいう人もいたら、そういった概要の部分はここで知ってほしいなと思うわけです。
あとは自然の話っていうのは結構小笠原の中でも話してくれるんですけれども、歴史の部分っていうのは意外とそんなにだったりするんですね。
ただこのビジターセンターに行っていただくと、小笠原諸島の歴史というものをシアターとかで映像を見ながら解説がされています。
のでやっぱり世界自然遺産ってことですから、自然の話っていうのはメインになるんだけれども、一方で小笠原島っていうものが生んできた、得意な歴史っていうものが、
なんでこういうものが島があって、なぜ今日本なのかっていうことも含めて、非常にちゃんとわかりやすく解説されていますので、
このどっちも合わせ持っているミュージアムとして最初に訪れていただきたいと思うんですね。
ここでですね、ちょっと我々自身も改めて小笠原諸島というものがどういたしまうのか、ちゃんと考えてみたいですね。
じゃあまずこの小笠原諸島の成り立ちについて、なぜ小笠原諸島は世界遺産なのかっていうことを改めて考えてみたいと思うんです。
これは小河丸の中で話してくれるネイチャーガイドさんも非常に言う言葉で、必ずどっかで耳にするキーワードなんですけれども、
ズバリですね、「海洋島」っていうのが非常に大きなキーワードになるんですね。
海洋島、これは理科の用語なんですけれども、これ何かわかるでしょうか?
まあ文字はそのまんまですよね。海洋にある島っていうことですよね。
だから周りにあんまり陸地がない割と古島っぽいような島のことを言ってるんですかね。
はい、その通りです。ただね、周りに陸地がないっていう意味で言うと、例えば沖縄の本島とかもいくつかあるけれども、これは海洋島ではないんですね。
何が違うのか、これは今の問題じゃないんです。
過去の歴史的な経緯から、日本の中における海洋島っていうのは本当にごくごくわずかで、小笠原諸島がその代表、あとは一部沖縄県の大東レッド、大東島とか、東大東島とかの辺りは海洋島らしいんですけれども、他は全部大陸島って言われるんですね。
この大陸島っていうのが逆にヒントになるんですけれども、何が違うんでしょうか?大陸島と海洋島は。
なんか出来方が違いそうだよね。
そういうことです。
いや、わかんないけど。なんかその、陸地から連なってる島とそうでないかみたいな違い?
はい、そうなんです。海洋島っていうのを一言で言うと、この島というものができて以来、たったの一度も陸地的にならなかった島。これを海洋島と言うんですね。
逆に言うと沖縄本島とかが逆に繋がってた時代は。
そうです。もう人類が逆らってずっと前の話ですけれども、日本列島のほとんどの島というものは、かつてはユーラシア大陸の一部だった。
それからだんだんプレートとか近くの変動によって、あれば海の水の深度が変わったことによって陸地から分離されたんですね。
だから日本列島というのは今でこそ島国ですけれども、ユーラシア大陸の影響を自然環境上も大いに受けているんですよ。これが大陸島であり沖縄本島とかも含めてもそうなんですね。しかしながら小笠原諸島は違うんですよ。
最初からずっと島なんだ。
そう。一度として日本の本島とも陸続きになったことはないんですね。小笠原諸島はですね、だいたい約5000万年前に地球上のプレートの沈み込みによって噴出したマグマの噴火活動によって海の中に突如としてこのマグマが吹き出してできた島なんです。
つまり大陸があって分離したんじゃなくて、ある日突然海から吹き出してきたこれの解析物によってかたどられた島。だから全然成り立ちが違うんですよそもそも。
何か数年前にできましたよね。
そう。あれもまさにそうです。あれもまさに小笠原諸島の一部分です。
あれ何島だっけ。
西の島ってやつです。
西の島か。
あれ割と衝撃的な映像だったと思うんですよ。
あれもなんかすごいなと思ったけど、海中からマグマが吹き出してきてそれがだんだん固まって陸地になっていくっていうね。
そういうことですそういうことです。あれと同じことが起きたんです。
それが千島とかの場合は5000万年前。
千島はちょっとそれから下るらしいんですけれども、いずれにしても海洋島なんですよ。
ってなるとですね、大陸にいた生物がたまたまその時日本、今で日本にいて、いつの間にか帰れなくなっちゃったっていうのがある意味日本の生物なわけですよね。
そうかそうか。
基本的には。
だからもともと大陸一緒になってるから、いつの間にか陸地が離れてきて、大陸の生き物がそのまんまいるっていうのが日本列島なわけね。
基本的にはそうなんですね。
だけど小笠原そうじゃないんですよね。
そうか、断絶してるわけね。
断絶してるんですよ、完全に。でまして1000キロのね、今でさえ1000キロの先にあるわけですから、哺乳類とか泳いで来れるレベルじゃないんですよね。
そうですね。
ってなると何が起こるか。小笠原諸島にたどり着いた生物っていうのはめちゃくちゃ借りられるんですよ。
そうだね。私もうその島でしか生きられないようになるから。
そう。
まあもう本当独自のものになってくるよね。
そうなんですよ。これが海洋島というものなんです。これがまず第一の条件なんです。
うん。
ただその中でも小笠原でも生き物はいるわけで、彼らはじゃあなぜやってこれたのかということなんですよね。
はいはい。
これをネイチャーガイドの人は三つのWって言うんです。
うん。
彼らがやってくる条件。一つがウィンド。
風ね。
風。
うん。
そしてもう一つがウィング。
羽か。
羽。そして最後がウェーブ。
波。
はい。
へー。
風、羽、波。この三つでしか海洋島である小笠原諸島に到達する生き物はいないはずなんです。
いないんです。
そりゃそうだね。
うん。
陸地がないからね。
そう。現に今小笠原諸島にいる保有種の哺乳類はたった一種しかいません。
うん。
これはコウモリなんですね。
へー。
小笠原大コウモリって小笠原諸島にしかいないコウモリがいて、これしか哺乳類はいないんです。
あーなるほどね。
猫とか犬とかってのは別にしてね。自然由来のものっていうのは。
うんうんうん。
うん。
はー。
まあだからそのコウモリにしても羽があるからね。
そういうことなんですよ。
あー。
まあ羽の話で言えばさっきのカツオドリとか、あとアホオドリなんてのも横の羽にいるわけですけれども、
あとは渡り鳥の休む場所になったりとか。
あるとすると、その風に乗ってやってくる種、種子とか、胞子っていうのがある。
あーなるほど。
これも後々話しますが、キノコとかそういった類のものが風に運ばれてやってきたんですね。
はー。
あるいは雨に乗ってやってきたのかもしれないんだけれども、こういったレベルの微細なものなんですよ。
はー。
うん。
そうか。
あーだからもうそういう植物も含めて生物っていう。
そうですそうです。もちろんそうです。
そしてあともう一つは波に乗ってやってきたもの。
うん。
海とかをイメージするかもしれないけれども、海はある意味別にどこでも泳げたらいけるわけじゃないですか。
まあまあそうね。
なのでそうじゃなくて、波に乗った流木とかによって偶然紛れ込んでしまったものがいるんですね。
うん。
このわずかにわずかに本当に偶然紛れ込んだものっていうのが、島における爬虫類とか昆虫類になってくるんですね。
はー。
うん。
そうか。だからまず到達するのが難しいわけだね。
そうです。
うん。
なるほどね。
だから一度として陸神と一緒になってない。
はいはい。
から小笠原は、これも海洋島に続くティーワードなんですけれども、とにかくよく言われるのが固有種というものです。
日本に昔からいるものを在来種と言います。あるいはその特定の地域にいる在来種、小笠原にも在来種いっぱいいます。
小笠原諸島にもともと住んでいた自然由来のものということですね。在来種いっぱいいます。
しかし小笠原が日本の中で特別なのは、小笠原諸島にしか世界中どこ見てもいないものという固有種の数と割合というのが圧倒的に多いんですね。
うん。そういう状況だったらね、そうなるなと。
はい。例えばですね、陸産海類、これは要はカタツムニなんですけれども、これは小笠原諸島にいるカタツムニの94%は小笠原にしかいないものなんです。
へえ。
日本、世界のどこにも見られないものがこの島に生きている。
ほう。
うん。これはめちゃくちゃ貴重なことなんです、世界レベルで見ても。
はいはいはい。
だってここにしかいないんだもん。
そうだね。
ここが終わったらもう終わりなんです。世界上からその島が絶滅するものがいっぱいいるんですよ。
はあ。
うん。
いやあ、まあだからよくね、ガラパゴス諸島とかがね、言われるけど。
はい。
まあなんかそのような環境なんだよね。
そうですそうです。だからまさに東洋のガラパゴスなんて言われてる。
うん。
まあお互い世界遺産になってるわけですけど。
はいはいはい。
っていうものがこの小笠原諸島ってものなんですね。
うんうん。
っていうのがまず自然の話になります。
はいはい。
で自然の話がね、ちょっとこの3日間メインになりますので。
うん。
まずそのちょっと大条件として、この古竜種と海洋島っていうのは非常に大事なキーワードなんで。
うんうん。
覚えておいていただきたいと。
はい。
思うわけですね。で、そして一方で歴史の話もちょっとしておきたいと思うんです。
うん。
5000万年前に小笠原諸島がまあ自然発生したわけです。
はい。
先にまず植物が栄えて昆虫が現れて羽を休めるコウモリが出現して鳥が渡ってきてという話があるわけですけれども。
うん。
彼らは彼らだけの人類がいない生活というものをおそらく日本の中で最後まで多分していた部類に入るわけですよね。
はい。
しかし今小笠原諸島には人が住んでいるわけです。
うん。
そして明確に日本の東京都小笠原なわけなんですけれども。
はいはい。
ここに至るまでの歴史っていうのもね、すっごい得意なものなんですね。
ほう。
そして不思議なものなんですよ。
うんうんうん。
うん。
まず何年人がいるのかっていうことよね。
そうなんです。
うん。
これ何時になったかとかいうもう次元じゃないんですよ。
うん。
仰島とか南仰島とかの本当に一番南の方ですよね。
うん。
の方にかすかに戦死時代の人類がいたという痕跡があるらしい。
へえ。
ただそこには定住は多分できなくて、ほぼほぼ漂着して流れ着いてしまってやむなくそこに暮らさざるを得なかった人たちがいたんじゃないかという推測ができる。
はあ。
そしてそこから何千年の間は歴史に現れません。
うん。
次に現れる何かというと、中世に及んで主にスペインポルトガルの類が大航海時代というものをやってきて、太平洋というものを探検し始めるんですよね。
うん。
果たしてそれが実際上陸して探査したのかということも全然わかんなくて、単純に遠くから見てあそこに島があるんだなって言ってそれを報告したというだけにすぎない。そのレベルのものだったんですよ。
じゃあ一体いつから歴史の記録上に小笠原諸島というのは出現するのかということなんですが、これが大いなる謎なんですね。
へえ。
これは1593年、これは文禄2年にあたりまして、豊臣秀吉が天下統一をしてから要は3年後、関ヶ原の7年前です。
つまり秀吉の裁判年にあたるんですけれども、この1593年にかつてシナノの国、これ長野県ですね、守護大名を務めていた小笠原一族というものの一人である小笠原貞寄という人物がこの島を発見したということが言われているんですね。
どうしてこの人を発見したのかということなんですよ。
しかもシナノでしょ。
そう。
なんで?
海すらない国ですよ。
はい。
これはもう本当によくわかんないんだけど、この小笠原貞寄という人物が実在したのは間違いないらしいんだけど、伝承によると彼は徳川家康に仕えていて、家康に対してあるときどうしても自分の領地が足りなくて家康たちを養っていくのが大変なんだっていうヘルプを出したらしいんですよ。
家康はそのとき秀吉の政権下の後大郎の筆頭で非常に有力な武将ではあったけれども、天下人ではあまりないわけですよね、秀吉がいるからね。
ってなったときに関東をようやく治め始めて、領地がないとそんなに。お前にかわいそうだと思うけどあげてあげる領地がないんだよというふうな話を言った。
でもそれじゃ小笠原も困るわけで、どうしたかっていうと、一説には八丈島の南のあたりにまだ誰も領留していない島があるという噂を聞いたことがある。
その島をもし自分が見つけができたら、そこを自分の領地として認めてくれないか、切り取り自由にしてくれないかというふうに言って。
家康も別にそんなのあるかないかってよくわからないまやかし者かもしれないから、それで言うんだったら別にいいよ、探検してもいいけどっていうふうな許可を出した。
さだよりはそれを真に受けて、実際に船出をして、そして見事にその島を見つけて、これこそが私の島なんだっていうふうなことを言ったって言うんですよ。
いやすごい執念というか、よくぞ見つけたという感じだよね。
ところがですね、小笠原さだよりという人物が見つけたということは、実は同時代の記録には全く残っていないんです。
これはいつから小笠原で出てかというと、1720年代に入ってからなんですね。
これ当然江戸幕府ができて家康はとっくに死んでいて、八大将軍吉宗の時代、これ今までの話で言うと吉宗が飛鳥山に桜を植えたのがまさに1720年代なんです。
この時幕府の武道書に小笠原貞人という人物が突然出現して、浪人ですよ。役人でもないんですけれども、武道書にある一つの書物を差し出してきたと言うんですね。
これ何かというと、竜見武人島の木っていうものかな。竜見の無人島の印と書いてある、竜見武人島の木だと思うんですけれども、っていう謎の解文書を持ってきて、これを幕府の武道書に差し出したと言うんですよ。
竜見というのは南東を指す意味です。つまり南東にある無人島の木っていうものを、ある日突然一回の浪人がやってきてそれを差し出してきたって言うんです。
こいつは何を言い始めたかというと、自分の先祖に小笠原貞よりという人物がいて、この貞よりがこの無人島というものを見つけているんです。
これはそもそも家康様から認められていることであって、認めたに関わらず、我が小笠原一族にはその領地が与えられていない。
ついては、家康様が認めたこの権利っていうのはちゃんと履行したいから、私にこの無人島というものに都会する権利を認めてほしいということを、一回の浪人が言い始めたと言うんですね。
家康にその領地を探しに行きたいって言ってたのは、今出してきた印に書いてあったこと?
そう、書いてあったんですよ。これはでもよくよく見ると、つい最近書かれたものなんですね。だから、そもそもこの簡易文章が書いてあることって本当なのかよく分からないということになって、幕府もめっちゃこれを怪しむんですよ。
何をこいつは言っているんだと、変な山下なんじゃないかって言ったんだけど、一応いろいろ調べたら小笠原貞よりというのがいたのは間違いなさそうである。
しかももっと言えばこの無人島がどうだって別に幕府たちどうでもいいんですね正直言って。
まあね、あるかも分かんないし。 あるかも分かんないし、この話を聞いてるだけなので。
なんで別にいいよと、分かってもよく分かんないけど別にいいよって言い渡りたいならって言うしたんですね。
ところが、これにいいよと唱えた人物が出現したんです。これは何者だったかというと、武全の国、これは今の大分県の北部と福岡県の東部、今で北九州市が中心ですね。
の大名、武全小倉藩の小笠原家なんですね。っていうのが横に出てきたんです。
何を言ってきたかというと、その今江戸の巷ではこの戒文書の話がめちゃくちゃオカルト的に話題になってるらしい。
そして幕府はそれを信じて許可を出してしまったらしいけれども、そもそもその戒文書を持ってきた小笠原貞となる人物なんていうのは、我が優秀ある小笠原一毛のものではないって言ってきたんですよ。
そんなものは我々の家系図に存在しない。だから小笠原のプライドとして、そんな変な戒文書騒動に我々が巻き込まれるのは困るんだということを幕府に訴えたんですね。
そうすると小笠原っていうのは早くから家政に仕えていた優秀ある大名なので、そっちの訴えが通ったんですね。
そこで一旦幕府が小笠原貞人に対して認めていた都会の許可証っていうのはなんと後になって取り消されてしまって、その上貞人は優秀ある小笠原家の経歴を査証したという罪を着せられて詐欺師だというふうになり、なんと江戸の市中から追放されてしまった。
同時に、この戒文書であった辰美武人刀の機体は偽書だとされたんですね。偽りの書で佐田刀が捏造したものだと。この都会許可証も何もかもが全てご破産になってしまって、佐田刀はその後どうなったのかわからないんですね。
じゃあ結局発見はできてないわけだよね。
そうです。佐田刀はそれ渡れなかったんです。おそらく。しかしですね、江戸の市中の民というのは、小笠原佐田刀の事件というのに超熱狂したんですね。
用途決めく戒文書騒動っていうのが超ネタとして扱われたスクープとして。
無人島というものが八丈島の大きさにあるということが江戸の市中にオカルト的に広まってしまって、しかもそれが小笠原のものだったらしいと。ということで小笠原の印象というのはいつの間にかそれに勝手に付与されちゃったんですね。
大役にはやめてくれって言ってるんだけど、もう世論が盛り上がっちゃって。
小倉藩の目論みも及ばなかったんです。いつの間にか小笠原っていうものに関するスクープになっちゃったんですよ。
ネタみたいに扱いになっちゃった。
これは本当にあった事件なんですよ。
っていうのが起こったのが1720年代なんです。
話が前後して申し訳ないんですけれども、日本の歴史上本当に実在している小笠原諸島、今実在している海洋島にたどり着いた人物はもっと前に別にいたっていうのが明らかになってるんです。
これは何者だったかというと、1670年代に奇襲の港を発した船が江戸にみかんを運ぼうとしていた船があったんですね。商品として。
いわゆる貿易船ですよ。
これがある時、沿襲など静岡県の方で暴風に巻き込まれて、1ヶ月間で漂流していたんですよ。
そしたらどういう運命の悪戯か、誰も知り得ない、よく分かんない島に漂着して座礁してしまったんですね。
これが今の母島だったってことが後になった訳になってるんです。
それ後に伝わるってことは帰らないといけないよね。
帰ったんです。
すごいね、その人。
そうなんですよ。これは本当に歴史に残ってるんです。
ちゃんと名前も分かっています。
関西門という船頭がいて、もともとこれは阿波の国徳島の船だったのを奇襲の港からみかんを持ち込んで江戸に運んでいた。
みかんを食べて上をしのいでいたりしたらしいんですけれども、関西門というのは母島で死んでしまって衰弱によって。
残り6人の船員たちが残されたんですね。
彼らはこの母島なんてことも知らずに謎の島に倒りついてしまって途方に暮れていて人も見えないと言うんだけども、
ウミガメがそこら中にいるのでウミガメを捕獲してそれをさばいて調理してなんとかかんとか上を退しのんでいた。
そうするとこの島を見ていると島にはいろんな漂着物みたいなのがあって流木みたいなのが大量になったと。
その中に船台区みたいなのが多分いたんだと思うんですけれども、自分たちが乗ってきたその船と漂着している漂着物を組み合わせてなんとかかんとか船を作ったんですね。
北の方を遠目で覗いていたら北の方に僅かに島影が見えると。
とりあえずあの島まで行けば誰か人が住んでいるかもしれない。
あるいはあれが八丈島なんじゃないかと思ったと思うんです。
なんとか救護司来の船でみんなで漕いで南風の吹く日に遥かな島影に行ってみたんです。
そしたら着いたんだけれどもそこにも誰も人がいないんですよ。
これが七島だったんですね。
母島の方が南にあります。
これ現代のフェリーで言っても2時間かかるんです。
ところ彼らは救護司来のよくわからない船で行ったんですね。
すごいね。
そして七島に着いた。
七島の方が広かった。
またさらにそこに漂着物がいろいろあるっていうのでまたそれで補修をして
七島に数日滞在するとやっぱり北の方にまた島が見える。
これが今の向島。
これはさっき我々が小笠原丸に乗ってきた島になるわけです。
ってなって岩とか島をこの変なばら癖みたいなのに繋いでいった時に
このまま行けばあるいは八丈島へ着けるんじゃないかって思ったんですね。
慎重に慎重に吟味を重ねて南風が一番強い晴れの日っていうのを狙って
ついに向島から太陽に乗り出していって
なんと八丈島に到着できたんです。
すごいね。何時間かかったんだろう。
いやほんとね。何時間何時かかったのかってことなんですけど。
いやーよくついたね。
奇跡の生還を遂げたんですよ。
八丈島にいるとちゃんと江戸幕府の役人とかもそこにいますから
なんなんでお前らってことになって
みんなで事情を話してこれはとなって
すぐに伊豆の下田にその時大漢がありますから
下田の人が八丈島へやってきて
彼ら残された6人の戦員を伊豆に運んだんですね。
そしてどうやら下田にたどり着くことができて
幕府の取り調べを受けて
お前らが言ってきたのは外国。これ外国にとっては罪になるんですよ。
だから外国じゃないのかって言ったら
いやいや違う本当に誰もいなかったんです。
でも確かに八丈島の南に誰も住んでない島があったんです。
ここにはウミガメがいました。
カツオウドみたいなよくわからないのがいました。
ここをこう行ってこう行ってこう行くと
八丈島にたどり着いたんです我々は本当に。
決してキリスト教とかにも古いてないし外国人にも会ってません。
って言って彼らは無事にふるさとに生還できたんですよ。
ただこのことは忘れ去られていたんですけれども
これ本当にあるのか
彼らの言ってたのは本当なのかということを
その5年後くらいににわかに話題になったんですね。
そして幕府は1675年に及んで
いよいよ探検隊を派遣しようということになったんです。
この無人島が本当にあるのだとしたら
そこにも大漢を置いて支配すると
幕府のために何かになるんじゃないか。
そもそも八丈島の近海にそういうのが本当にあるのだとしたら
それを把握しておいても良いと
いうことになったんですね。
そこで大船を作って
南を指して探検隊を派遣しようとした。
しかしながらこの時
鎖国を始めてから40年くらいが経っていて
幕府は初代名に大船建造の金というものを出して
大船を作っちゃいけない海軍力を持っちゃいけない
というフレを出してたんですよ。
幕府もつまりそのノウハウを持ってないし
初代名も持ってなくなっちゃうんですね。
だからこの探検隊を幕府から派遣することができなかったんですよ。
ってなった時に
長崎に
島屋一財門という人物がいて
これは60をいくつも超えた超ベテランの扇動であると。
彼は鎖国が始まる前に
衆院戦貿易とかによって
東しなきゃよかったって台湾だとかマカオだかっていうのと
取引をしている経験があるものが
もう最後の老人が一人残っているというのが分かって
それを幕府が
情けない皮肉な話なんだけど
自分たちに船を作る能力も操る人もいないから
この島屋一財門を長崎から呼び寄せて
これに出雲島だから船出させたんですね。
そして島屋一財門はさすがに
鎖国前の経験を持っている本当に最後の人物だったので
見事にその戦団を指揮して
ついに秩父島にたどり着いたんですね。
これが日本の歴史上に残る確かな記録の
本当に秩父島の発見なんです。
1675年
これは小笠原貞徳が解文書を持ち出す50年以上前の話です。
その時代に発見してるのに
その小笠原貞徳の文書が
訳わかんねえだろうって言われるのがよくわかんないね。
これなぜかというと島屋一財門は
実際に秩父島に上陸してその後母島とかにも行って
小笠原諸島っていうものの島を地図とかを
測量図とか回数を書いたんですね。
しかし彼は島の名前を知らなかったんです。
これは何島なのか分からなかった。
知らないんですよ。
そもそも名前も作れてなかった。
それはねほぼ第一発見者みたいな。
そこで彼は島に何を書いたか。
無人島とだけ書いたんです。
本当にただそれだけ書いたんです。
無人島をずっと書いてそれを幕府に提出したんです。
幕府はそれを見た。
島屋一財門の図は正確だった。
こんな島があるのか、そうかそうかと思った。
けどまあ八丈に比べれば
三宅島に比べればこれは何もなさそうだし
千キロだろうって話になって。
まあわかった。島屋一財門は本当によくやった。
無人島があることはわかったが
ここまでの危険を犯して何か幕府が手を入れる必要もなさそうだな。
まあ初期にこの図はしまっておこう。
そして島屋一財門の名とその図は歴史に埋没したんですね。
あまりにも離れてるし。
その島を何かすごい有効活用できるかっていうとそこまででもないし。
ただそこに無人島があって島屋一財門という人物が行ったっていうことは
密かに注目を一部の人物から浴びていた。
ある時それがどういう漏れ伝いかわかんないけれども
それが小笠原財門の解文書に書かれていたものなんだって
つまり島屋一財門を云々とかいう前に
その島は我が先祖小笠原財織が見つけている島だから
小笠原が漏洩すべきものなんだっていうことを言い始めたって言うんです。
はいはい。
それでさっきの話に繋がるわけですね。
そういうことです。
でもその解文書の時点では無かったものになっちゃってるし
正しい小笠原のものでもないよってことになってるわけですよね。
そうですそうです。
じゃあそこからどう小笠原諸島になるのかって話だよね。
そうなんですよ。
これが江戸の始中に無人島の解文書事件ってものが
小笠原財門で起こした大問題になって
それがスクープになったわけですよね。
それからだいたい数十年が経った時に
その頃になるとにわかに外国の勢力というのが
日本の近下に迫っているってことがわかり始めるんですよ。
いよいよ本当に危なくなるんじゃないか日本はっていうのに
一部の学者が気づき始めたんですね。
そこの時に林志平という学者がいたんですけれども
これ教科書に載ってる人物です。
この人は仙台藩の出身なんですけれども
日本の近海というのは今脅かされている。
しかし幕府はそれに気づいていないっていうことを思って
日本列島ってどういう姿であって
どういった海に囲まれているのかっていうのを
日本の国民は把握しなければいけないっていう風に言い始めたんですよ。
そこで日本の地図をまず書こうとしたんですね。
この時イノーズはまだないんです。
北海道はだいたいこんな感じだろうって
近くで書いておこうみたいな感じになって
本集は超正確に書いているある程度。
琉球王国っていうのがこの辺にあるんだろうと
オロシアっていうのがこの北海道のあたりにあるんだと
エゲレスっていうものもあるらしいよということで
世界というものが日本に繋がっている島なんですよ
っていうことを彼は把握してほしいと思った。
だから危ないんだと。
決してこの海は安全な海ではもうなくなるんだと。
だから幕府も我々も解剖というものをしなきゃいけない
っていうことを彼は考えようとした。
そのきっかけになるイメージ図みたいのを書いちゃったんですね。
そこにそういえば自分の仕入れた筋によると
遥かもう100年くらい前に島江一財門という人物が
無人島というものを発見したらしい。
それは八丈島を起こすこと何理だっていうふうに聞いている。
だいたいこの辺りなんだろうと。
近くでいくつか書いちゃったんですね。
そしてこの無人島ってそういえば
俺が子供の時に話題になった
小笠原事件のやつなんじゃないかということで
無人島って書いたんですけど
その注釈にこれは本名小笠原島と言う
という伝わっているって書いちゃったんですよ。
そこに林繁平が。
その書いた文章が三国通乱図説というものなんですが
これ大学受験の日本史の方は知ってますよね。
この生地書いちゃったイマジネーションの図が
日本の歴史の教科書に載るぐらいの
超歴史的な書物になってしまったんですね。
つまり島江一財門を見つけた無人島は
小笠原の解文書事件で小笠原と
イメージによって密着されて
一度それはひとえされたはずなのに
林繁平がそれを書いてしまったことによって
再び無人島っていう名のない島と
小笠原佐賀島は一緒になっちゃったんです。
これがしかも外国語にも翻訳されていっちゃったんですよ。
この三国通乱図説はめっちゃ大事な書物だっていうのは。
後に林繁平は幕府を批判し過ぎて処罰されて
図説は発見になっちゃったんですけれども
密かにこれは長崎に渡ってオランダに渡ったんですね。
そして小笠原諸島の図っていうのを見たオランダ人たちは
日本のこれは捕鯨地になるんじゃないかってことを
この繁平が適当に書いた小笠原島のことを
これはって思っちゃったんですよ。
これはヨーロッパ諸国のアカデミアに
どんどん廃下されていった三国通乱図説
それをいろんな人が訳し始めたんですね。
その時にただ
フランス人が最初にそれを発見したんですけれども
林繁平の書いた図説を読んで
無人島って漢字で書いてあった。
これが無というのがないというものを指す。
人というのが人を指すんだってことは分かって
なるほどこれは無人島って言いたいんだな
林繁平というのは分かった。
ところがこの時フランスの学者は
この無人島っていうものを
何と発音されていたか分からなかったんですね。
音が分からなかったんです。
彼は日本人とはないし日本人も知らなかったんです。
日本語の発音が分からない。
分からなかったんです。
そこでフランスの学者は何をしたかというと
過去の先人たちの日本人と話した
数かな記録を辿ったフランスの学者は
これはなるほど無人と読むのかな
みたいなことを推測で書いて
ここにボニンアイランドって書いちゃったんです。
このカイズに。
これはフランスの有名な学者で
これがロンドンに文書が渡って
英語で言ったらこれはボニンアイランドだな
という風になってしまって
いつの間にか日本の国内では林繁平のせいで
小笠原島という風になっている。
それが知らないうちに持ち出された
三国通ランスの翻訳によって
海外ではこの島はボニンアイランドと
呼ばれるようになってしまった。
これがボニンブルーになっていくんですよ。
タイトルについてるやつだ。
小笠原島のことを今でも島の人たちは
ボニンアイランドって言うんです。
これはいろんな歴史の不思議と勘違いによって
生まれた謎の故障なんです。
すごいね。
全部が噂で繋がっているじゃん。
そう、それぐらい誰も未知の世界だったんです。
彼らにとっても。
面白いな。
じゃあ結局その小笠原諸島に今なっているのは
その三国通ランス説に小笠原って書いたのが
そのまま正式になっちゃった。
そう、これはただその後さらに複雑なのが
その時小笠原島には江戸ワークがこれを放置してたので
誰も日本人が住んでなかったんです。
しかしボニンアイランド問題が結構回図が出回ると
むしろ外国の方がこの小笠原の価値に気づいてしまったんです。
狙ってくるよね。
捕鯨地になり得ると思った。
ってことになってアメリカとかが先にハワイとかグアムの方から
移民を送り込もうとしたんです。
そして結局1830年に初めてアメリカのハワイの方から
アメリカが移民を送り込んだんです。
日本人はそれを知らないんですよ。その時になっても。
無人島がなんですが
それから約20年後にペリーがアメリカから渡ってきます。
そしてペリーは意外と知られてないんですけれども
1853年に裏側へやってくるわけですけれども
その前その直前に小笠原の父島に寄ってるんですね。
父島にアメリカから移住したわずかな民たちがいるので
彼らと会談みたいのをして
今から俺は日本へやっていって日本を何とかしてやるって言って
そして父島から裏側に向かうんですね。
まあでもそこには日本人はいないわけですね。
いない。だからアメリカ人しかいないんですよ。
ってなった時にアメリカ、ペリーが来るじゃないですか裏側で開国しますよね。
ってなった時に初めて日本人も
あの放置していた通称小笠原島が
いつの間にかめちゃくちゃ世界的に大事なところになっていることに気づくんですね。
ただここちょっと謎で僕もちょっと解明できてる部分があるんですけれども
その時ペリー個人としてはやっぱり小笠原島はアメリカの基地としてなるべきだと思ってたらしいんですよ。
利益があると思ってたんです。
ところがこの後アメリカだけじゃなくてイギリスの利権があって
プロイセンとかがやってきて
フランスがオランダがあって安西の5カ国条件みたいな
なんかいろいろ結んじゃうんですけど幕府は
その時に小笠原の帰属が問題になるんですね。
みんなが欲しいんですよこの小笠原を。
ってなった時にアメリカだけのものにつかずるいって
いろんな国際的な攻めり合いがあって
結果的に落としところとして
何の力もないと外国が思っていた幕府に
1回渡しちゃおうと
つまりイギリスのものですって言われちゃうと
イギリスのものになっちゃうから
アメリカもそれ嫌だから
日本のものにとりあえず落としておこうと
まあいいようにできるだろうって
多分思ったんじゃないかと僕はこれ推測で言ってます。
ふうに思った。
そこでなんかタナボタ的に
小笠原諸島は結局
日本のものになって江戸幕府のものになったんです。
でその時に
幕府はようやく海軍がちゃんと
西洋支援の海軍ができたので
ちゃんと小笠原まで危険なく行けることができますから
太平洋を横断できるので
そこで日本の意味を初めて送り込むんです。
ただアメリカの本国が幕府に対して
その領域を認めちゃってるんですよね。
だから移住してきたアメリカ人たちは
ある意味ははしご飯されたって思ったかもしれないけれども
結局日本が江戸幕府はこれを支配します
って風になって
でも別に幕府は幕府でアメリカに対する遠慮は
こいつを追い出さなかったんですね。
だからアメリカの人たちと江戸時代の日本人が
一緒に暮らす島として
幕府が治めるものになったんですよ。
そしてアメリカ人たちはここをボニーアイランド
っていう風にずっと行ってるわけで
で日本人たちはここはボニーアイランドというのか
我々は小笠原島と聞いていたが
みたいな風になって
謎の風になっていくんですよね。
なんかすごい
なんか運命のいたずら
運命のいたずらですよ。
よくわかんない変遷を
そうなんですそうなんです。
ところがこの後どうなるかというと
結局幕府が倒れて
明治政府になるんですよ。
で幕府が倒れるときは
いろいろ情勢が悪化してるっていうんで
その日本人が最初来たのに
すぐ1年とか引き上げさせられちゃって
またアメリカ人しかいない島になっちゃったりもしてるんですよね。
で母親制度が起こって幕府がゴタゴタになって
倒れてた後に
明治政府はさすがに
まず彼らが外交的に目指したのは
不平等条約の撤廃なんですよね。
外国と渡り合う国になるってことが彼らの
第一目標であって
その時小笠原みたいなわけわかんない
幕府が変な風に残していっちゃったものっていうのを
整理しないといけないと。
幕府の気まぐれとかじゃなくてちゃんと
明治国家ってのは国際国家なんだと。
国際条約に基づく外交をするんだ。
だからいよいよ不平等条約に
回線乗り出していくんだと思ったから
小笠原島みたいなわけわかんない
グレーゾーンみたいなのも
ちゃんと法によって裁かなきゃいけないと。
彼らは思ったんですね。
その頃になると諸外国も
小笠原島に対する関心がやや薄れていて
距離的に考えても
日本に一番近いのは間違いないから
っていうんで結局
明治政府は1876年
明治9年になって
諸外国に対して公式文書で
この島は日本の政府のものである。
ということを認めさせたんですね。
諸外国するのを認めたんです。
その時、外務卿寺島宗
これ日本人の人は知っていますけれども
が発信した文書に
この島
小笠原島をって書かれたんですね。
こうして初めて
この島は小笠原諸島という
ふうに世界史に
登録されちゃったんです。
ボニンアイランドの方が通称になったんです。
まあそれはやっぱり
日本のものだよっていうアピールもあるよね。
アピール。あくまでは日本人が名付けた
小笠原島である、この島は。
世界はそれを小笠原島として
認めるものである。そして
住んでいたアメリカ系の移民たちは
日本に帰化するべきであるとして
日本人に帰化したんですね。
なのでその方々の子孫は今も
日本人としてこの島に生きているんです。
そして小笠原諸島として
明治政府のものになっていくんです。
いや面白いね。
そうそうそう。
なんか本当
噂と
諸外国からの
圧力とか流れとか
なんかすごく
流されて
小笠原諸島になったんだね。
そうなんですよ。
面白い歴史だな。
この辺は非常に面白いし、こんなことが起こるのは多分
海洋島である小笠原しかないんです。
だから最初に古代からいた人たちも
記録に残らなかった。
もう骨も見つからなかったこの地で果てた
漂流民たちたぶんいっぱいいたと思うんですよ。
ただ彼らは日本人もいたかもしれないけど
ポリネシアの方から渡ってきた人たちも
いたし、ハワイからグアムの方か
あるいは大航海時代のヨーロッパ人たち
っていう、もう記録も記憶も
何も残ってないその人たちの
痕跡というのは分からない。
だけど記録上はこの島や市財門
とかこのみかんを乗っていた漂流船
とか小笠原沢の海文書事件
とかっていう謎多き
ものに揉まれて今の小笠原諸島が
生まれたんです。
なんか世界的にも
そんな土地なさそうだね。
いないと思いますね。カオスですね。
まあまあそれで結局
運良く日本のものにはなった。
なってるんです。
まあその後一度ね、その太平洋戦争の後は
アメリカのものに一回なってるんですけど
返還、1968年に
返還をされました。そもそも
戦時中はやっぱり
七島からも東京への疎開をよりなくされます。
七島は軍族の人しかいない
くなる島になったんですね。
軍の島になっちゃったんですよ。
で、七島自体は幸い
大きな戦争は起こらなかったけれども伊予島の悲劇が
起こって、で、七島はそれで占領されて
戦時中も返されませんでした。
つまり島民たちは
七島を疎開という形で追われて
20年間帰ることができなかったんです。
で、七島にいた人たちは
戦後集結した後も
彼らは土地も持っていない。で、島に
帰れると思ったらアメリカがずっと駐留して
小笠原島はもうアメリカのものになっちゃった
っていう風になってる。
ていうんで帰れない。
ってなると裕福に持っていった人たちも
だんだん資産が尽きていってしまって
本当に悲惨なことに
自ら命を絶ってしまう家庭が出てきたり
とか、そういう悲惨な状況を
置かれている。で、日本は日本で
その時東京、大阪、横浜を何とか
しなきゃっていう部類ですから
小笠原島のことに関連している暇がなかったんですね。
ていうんでゴテゴテになって
いってしまって、その間にも島の人たちは
故郷を追われて帰らないままずっと
休房してしまっている。ただやっぱり
政府としての援助は全然後回しになっちゃって
交渉をいろいろ外務省もしたけれども
アメリカの方も
政府としては返してあげていいんじゃないかって
言ってる人もいたんだけど、軍はやだって言ってる。
それは軍がいざというときに
中国とかこれから冷戦が起こるかもしれないから
そういうときに沖縄と小笠原基地として
確保すべきであると
いう風な話もあって渡さなかった。
てことがグダグダやってるうちに20年が経ってしまって
ついにいろいろ冷戦とかも
言うわした結果
ついに68年になって
佐藤栄作内閣のときに
小笠原島の返還、4年後に
沖縄が返還になりますけれども
ていうのでようやく島に帰る
その間も欧米系の人たちは
日本人であっても先に返してあげるよ
とかっていう摩擦が生まれていって
しまって今も父島母島
とかはこのあたりの問題解決できない
ところもある。土地の所有権とかも
ぐちゃぐちゃになってしまって
そのあたりは今でもなかなか難しい問題が
絡んでいるという風に聞きました。
そんな歴史を辿った島ではあります。