他人を変えようとする傲慢さ
こんにちは、ドキンちゃんです。ドキンちゃんのお金と豊かさ研究室へようこそ。今日はですね、対人関係の話、パートナーシップだとか、お友達関係だとかの話をしたいんですが、
人を、他人を変えようとしないことっていう議題についてお話ししてみたいと思います。
今、自分の周りの環境がちょっと納得いく環境じゃなくて、燃え尽いてる人だとか、周りにちょっと小肉たらしい奴がいるんですっていう人だとかは、ぜひ最後まで聞いていただければと思います。
はい、ちょっとまず最初に雑談を、雑談するんかいっていうね。今日も私はいつものごとくスポーツジムに行ってきました。私の通ってるスポーツジムね、すっごくいいんですよ。
車で7分ぐらいで行ける場所にあって、道が空いてたら4分で行けます。ヨガもあって、ホットスタジオもあって、普通の常温のスタジオもあって、普通のトレーニングマシンもあって、プールもあって、お風呂もあって、マッサージ機もあって、みたいな感じのところに通ってるんですけど、
気づけばもう6ヶ月通っているということにね、今まさにスポーツジムの駐車場でね、ふと振り返ると気づきました。私はもうすでに半年このジムに通っていたようです。
継続は力なりなんて言いますが、なんかやっぱ楽しんで継続していると、継続するという意識でもないんですよね。ここに来たら、体を動かせて私は気持ちがいい。
普段は家の中に引きこもっているけれども、ここに来たらいろんな人と時を共にすることができて、なんだか面白いことが起こる、みたいな感じで、この場所を楽しい場所として設定して、気づいたら運動がとても苦手な私が6ヶ月も続けることができました。
スポーツジムさん、大変ありがたいです。
今日も京都で45分かける2クラスをやって、この後スーパーに寄って家に帰ろうかなと思っているのですが、
ジムで体を動かすと、いつも皆さんにお伝えしたいこととか、こんな新しい考えが出てきたとか、いろんなことが閃いたり、言いたいことが出てくるんですよね。
言いたいことの一つが、自分以外の他人を変えようとしなくていいんだよっていう話を今日はしたくなりました。
皆さんの人間関係の差の中で、私はずっと一人ですって人はいないと思うんですよね。
何かかしら人と関わると思います。家族だったり、職場の同僚だったり、お友達、地域の方々。
生まれてから死ぬまでずっと一人ですって人はいないと思うので、絶対に他人という存在が皆さんの世界の中にはたくさんいると思うんですけれども、
その他人の中でもね、自分にとって心地がいい人、そしてなんだこいつという心地が悪い人、いろんなうぞうむぞうの他人が自分の目に見える世界の中にきっと存在していると思います。
ドキンちゃんはですね、いろんな人がいて観察してて面白いなと、いろんな他人を観察対象としてですね、面白いなと思いながら日々見ています。
何で面白いなと思えているかというと、いろんな意見があって、それもいいねって思ってるんですね。自分と同じ意見の人がいるとして気が合うからそれもいいね。
自分と全然違う意見の人とかが仮にいたとしても、そんな考え方あるんだ、なかなか面白い脳みそをお持ちですねみたいな感じで、それはそれとしてね、それもいいねみたいな感じで、私はいつも他人を見るときに、いろんな考え方があること自体を面白がっているんですね。
そう、ふーんって、あなたはそういうふうに思うんだね、それもいいねみたいな感じです。なので私の中で結構それもいいね、歌っちゃダメだった。それもいいねっていう歌があるんですけど、それもいいねっていうふうに肯定することって私の、
何ていうのかな、自分と自分以外の人、他人が共存、共栄して、共に生活して、共に豊かになっていく、共に栄えていくっていう中で、割と大きな大事な考え方なんですよね。
自分自身は主体的に生きるということも大事にしているし、かたい一方で他人に関しては、それもいいですねみたいな、そういう感じのことを大事にして生きています。
なので、ちょっと前に私が自分のプラスリッジサロンの中で、月に1回か2ヶ月2回ぐらいのペースで酔い取りズーム会っていう、ちょっと酔っ払いながらフリートークしましょうっていう、そういう気軽に参加できる会があるんですけれども、
その中でね、何か言われたんですよ、武錦ちゃんの考え方すごく好きで、ありがとうございますと。自分をすごく持っているんだけれども、他人を許容しているところも好きですって言われたんですよ。
なかなかあなたセンスがありますねっていう、自分で言うなよって感じなんですけど、なかなかそういうところをちゃんと見に行けるあなたセンスがありますねって思ったわけです。
言ってくださった方はね、武道さんという、とてもご自身がすごく面白い生き方をして見える武道さんという方なんですが、武道さんから自分を持っていて、他人のことも許容できる、攻撃的にならない、ふんわりした、武錦ちゃんならではのマインドっていうのがすごく好きですと言われて、すごく嬉しかったんですよね。
すごく嬉しいとともに、じゃあなんでなんだろうと、なんで私はそうやって、自分のことも大好きだし、自分と同じように人様のことを受け入れることができるんだろうって思ったら、その中の一つが、それもいいねだったんですよね。
そうそうそう、それもいいねの中には、あなたに完全に賛同しますって思ってるわけじゃないっていうのもあるんですよね。
わかります?あなたのことを肯定するけれども、私は違う意見を持っていたって、私に対してもそれもいいねなんですよ。
わかります?ちょっと今日抽象的すぎますかね。
そうそう、私は私で、自分の意見や自分の脳みそ、自分の考え方を持ってて〇。で、方や目の前にいるあなたは、違う意見を持っているけれども、あなたはそう思うんですね。それも〇みたいな感じですね。
人を変えようとすることに対してちょっと思うことを話すんですが、自分以外の他人を変えようとするっていうことって、結構大変なことだと思うんですよね。
そうそう、いろんな前提条件が揃ってないと他人って変えられないんですよ。
私は基本的には他人を変えるっていうことにあんまりパワーを裂きたくないんです。
なぜなら、ものすごくいろんな前提条件が揃ってた上で、相手が自分の言うこと、自分の発すること、発言を聞く耳をちゃんと持っているとか、いろんなね。
そうそう、自分自身が変わりたい、お相手自身が変わりたいって思っていることだとか、いろんな前提条件が揃ってないと、そもそも相手を変えようとすること、他人を変えようとすることってね、私は結構傲慢な考え方だなって思ってるんですね。
多様な人々との共存
どこまで話しましたっけ。相手を変えようとするのは傲慢だよって話をしましたよね。
自分のこと、自分が変わることとか、自分のことにもっとリソースを裂きたいですよね。
一度しかない自分の人生の中で、なんか他人のことで頭がパンパンになっているような生き方だと、なかなかね、それは私の好みじゃないなっていう感じでございます。
もう一つ大事な考え方をお話しすると、そのようにね、いろんな自分以外の他人を受容する、受け入れるみたいな話をすると、なんか私が誰でも彼でも受け入れる、とても仏様のような人に、もしかしたら私のこのラジオを聞いている聡明なリスナーさんは思うかもしれない。
逆なんですよ。そうじゃないんですよ。私は結構人に関しては潔癖で、嫌なやつをね、なるべく自分の生活の中に入れない、そもそも嫌なやつが入ってこないようにすることに対して、ものすごくパワーをかけているという話もあわせてさせていただきたいです。
私、もう辞めちゃったけど営業の仕事を20年間してきたじゃないですか。結構営業の業績も良かったんですよ。目標達成をガンガンしてっていうタイプだったんですが、さらにニュートラルでいろんな人を受け入れるっていうふうにすると、なんというか、とっつきやすい営業かと思うじゃないですか。
思うじゃないですか。ところがどっこいですよ。私ね、自分とものすごく合うお客さんと、普通のお客さんと、片手も持ってたんですが、片手一方でめっちゃ私のことを嫌ってくる人っていうのも一定数いたんです。
そう、つまりね、万人受けする営業ではなかったということです。そうそうそう。
なのでね、たまに会社にクレームが入ったわけです。営業担当を変えてほしい、みたいな。ドキンちゃんとはちょっと合わないです。っていう感じでね、営業担当を変えてほしいというクレームがたまに会社に入ることがありました。
はい。で、そんな時になんか私がどう思ってたかっていうと、どう思ってたと思います?皆さん。なんとなく想像つくかと思うんですけど、私はラッキー!やったー!って思ってたんですね。
自分が好きな人とか、この人は手放したくないって思ってる人から変えてほしいって言われたら、さすがにそれは心にくるけれども、なんかさ、営業担当を変えてほしいって言われるケースって、大概私も相手のことちょっと腹立ってたりするんですよね。
そうそうそう。なんかさ、自分が新規開拓して、自分で見つけてきたクライアントさんだとあまりお互い合わないってことはないんですけど、なぜなら最初の初回取引の時点でね、お互いのことをリスペクトする気持ちがあって、合うから取引がスタートしてるわけじゃないですか。
なんですけど、たまに会社で退職者が出た時とか、その人のクライアントを引き継がなくちゃいけない時に、自分に合う合わない関係なくエリアがちょっと合うとか、自分の得意な業界のクライアントさんだとか、
なんかそんな感じで、合う合わない関係なく顧客がフッと引き継ぎでやってきたりする時って、自分に合わない人である可能性も大いに含んでいるんですよね。
なので、合わない人が自分のテリトリーに入ってきちゃうっていうリスクを、会社員とかだと、会社員で営業やってると抱えちゃったりもするんですけど、
お互い合わないなと思いながら過ごす時間ってめっちゃ無駄じゃないですか。めっちゃ居心地悪いじゃないですか。
なので、私のこと聞いてくれてありがとうって感じですね。
これは強がりとかでもなんでもなく、全人類に好かれようと思ってないからっていう。
全てのクライアントさんにとっていい営業、素晴らしい営業なんていうのは、そんな存在いるのかな?みたいな感じで、いないんじゃない?って思って。
Aさんには好かれるけれども、Bさんには嫌われるっていうことって、人間あると思うんですよね。
あると思って、しかもそれがすごい自然なことだと思うんですよね。
なので、それ自然なことなのに、嫌われるっていうことを引き受けられないと、不自然なんですよね。
人から嫌われるって別に普通のことなのに、それを受け入れないと、すごく気持ちが悪い、不自然なんですよね。
じゃあなんで嫌われたくないと思うんだろうっていうと、さっきの会社の例でいくと、会社にクレームを入れられて、営業としてダメなやつだと思われたくないとか、
仕事ができないって思われたくないとか、無価値、自分に価値がないって思われたくないとか、そういう雑念が根底にあって、
その人からクレームを入れられるっていうのを受け入れがたいのではないかと考察するんですが、そこ関係ないからっていう。
別に会社にドキンちゃん嫌だ、変えてほしいっていうクレームを言われたとて、私の営業としてのスキルが低いから、そういうふうに言われているっていう、そこをイコールにする必要ってないんですよね。
たまたま人間として合わなかったんじゃないとか、ちょっと方向性が違うだけですねぐらいにね、女子には言っときゃいい話なので。
そういうクレームを入れられるイコール、自分がダメなやつ、仕事ができない人間だ、みたいなところをイコールにしないことが大事ですよね。
なのでね、自分のテリトリーに入れる人間っていうのは、入れる人間を誰にするのか、誰を選別するのかっていうのは、かなり気を遣った方がいいと思います。
私はそのように思うのですが、皆さんはいかが、いかが考えますか。
なんかここでさ、今のクレームを入れられるみたいな感じのところのケースでいくと、ここで相手を変えてやろうとか、相手に合わせて納得してないのに自分を変えなきゃって思うのって、
どうなんだろうね、そういうことをしだすとちょっと人間生きづらくなるよなって思いますよ。
合わないから相手を何とか変えてやろうって思うのは傲慢だなって思うし、相手に気に入られるように自分を何とか変えなきゃ、自分を何とかいい営業に見せなきゃって思うのも息苦しいだろうなって思うから、
相手と私があまり今世で気が合わなかったみたいですね。来世では気が合うように生まれてくるといいですね。
それではバイバイみたいな感じでね、気持ちよく手放すというか気持ちよく自分の世界からグッバイするっていうのがいいんじゃないかなと思います。
自己変革の苦しさ
何か何か無理やり相手を何か変えさせようとか、相手に合わせて自分を無理に変えようってするのは何かちょっと違うなって思う次第です。
今日はちょっと長く20分も話してしまいましたが、皆さん最後まで聞いていただきありがとうございました。
はいまたこの放送がね面白いなぁいいねと思ったらいいねマークハートマーク押して帰っていただけるととっても嬉しいです。いつもありがとうございます。それでは失礼します。