お金の価値観の探求
こんにちは、ドキンちゃんです。ドキンちゃんのお金と豊かさ研究室へようこそ。このチャンネルでは、25歳までに1000万円、30代のうちに5000万円以上の資産を築き純浮遊走になって、会社を退職し再度ファイヤーしたドキンちゃんがお金と豊かさについてお話しするチャンネルです。
はい、ということでね、毎回このオープニングコールをね、事実だからね、一応言ってるんですけど、5000万、6000万、私今ちょうど7000万ぐらいの資産形成なんですが、7000万円ってね、マネーリテー界隈では非常に中途半端な資産なんですよ。
なのでね、毎回ちょっと言うのが恥ずかしいなと思いながら言ってるんですが、一応ちょっと事実なのでね、お伝えをさせていただいております。
今日の話は、最近読んだ本からの学びのアウトプットで、イケてないと私が思うお金の価値観についてね、お話をさせていただきます。
はい、どんな本を読んだかは、ちょっと最後にお知らせさせていただきたいんですが、最近読んだ本にね、こんなことが書いてあったんですよ。
お金を稼ぐ時とか、自分が人生の中で生きている環境の中で、いろんな義務感、義務、義務の中で縛られて生活をしている。
いろんなことを犠牲にして、自己犠牲のもと生活をしている。いろんなことを我慢して生活をしているっていう、義務、犠牲、我慢のこの3Gがですね、
揃った生活をしていると、お金を使う時にもこの3Gがかなり大きなブロックとなって、自分の設定を、なんていうのかな、イケてない設定にしてしまうみたいなことが本に書いてあったんですよ。
具体的に言うとどんなことかっていうと、これすごくわかるなと思いながら本を読んでたんですけど、自分がお金っていうのをストレスの対価としてもらっている。会社で働くとか、あらゆる労働のストレスの対価として、自分がお金をいただいている。
ここのお金イコールストレスの対価っていうところがガチガチに結びついているから、世に出回っている商品の値段とかも苦労してないのに、大金の価格設定がされていると、そういう人にはぼったくりに見えるらしいんですよ。
なぜならお金イコールストレスの対価っていうところで、ここがガチガチに固まっているから。
だから、お金を見る目もかなり歪んでしまう。苦労してないのに、こんなに大金をいただくなんて、こいつは詐欺師だとか。
例えばですね。とか、原価はこれぐらいだってわかるのに、だいぶ上乗せして商品設定されてて、なんていうのかな、セコイ奴だこいつはみたいなね。
そういうふうに見えてしまうと、そうそうらしいんですよ。
これ、なんかそういう人、会ったことあるから非常によくわかるなと思いながら本読んでました。
逆に、苦労している人の商品は安いって感じるらしいんですよね。
こんなに大変なご苦労をして、寝る間も惜しんで仕事に励み、それでこのお値段ですか。
いやあなたこのお値段安いですよっていうふうに、高い安いの価値判断が価値に紐づいているんじゃなくて、ストレスの尺度に紐づいていたり。
他にもね、そういう方々は、お金を苦労して手に入れた、自分が苦労して手に入れたものだから、簡単に手放したくないって思うみたいなんですよね。
せっかく自分が一生懸命、義務、犠牲、我慢のもと、あらゆるストレスに買い抜いて得たお金を、もう話してなるものかと。
すごく重いエネルギーでお金を受け取って、お金をがんじがらめにしてしまうと、分かる分かると思いながらね、読んでたんですよね。
なので、そういう方々は、たくさんの富を持つことに対しても抵抗があるみたいです。
なぜなら、そんなにね、たくさんの富を持つっていうのは、お金は苦労しないと手に入れられないものだから、そんなにたくさんの富を持つということは、きっとそれ相応の対価として自分にものすごいストレスがかかるんじゃないだろうかっていうのを案に結びつけてしまうと。
だから口では、お金持ちになりたいって言っていても、その実、お金持ちになるような行動は取れないと。
なぜならお金をたくさん持つっていうことは、ストレスの象徴だから、みたいな感じ。そんな感じのことが書いてあったんですよ。非常に分かるなと思って。
こういうのもね、お金の設定ですよね。設定の部分だよね。
設定に関しては、良い悪いは極論ないと思っていて、自分が心地よい設定をその都度取り入れていけばいいんじゃないかなと思うんですが、
たださっきのその3G、義務、犠牲、我慢のもと、やっぱり生きてる世界観だと、本人苦しいだろうねとは思うよね。
自分が自己犠牲のもとを手に入れている今のこの生活、私がこんなに我慢してるんだから、あなたも我慢しなさいよ、みたいな感じで、どうしても自分一人だけでは我慢って消化しきれないから、周りとかに対しても我慢を強いてしまうような思考になってくるだろうし、
義務、犠牲、我慢は極力しないほうがいいんじゃないかなって、そんなものは手から離してしまいなさいよって私は思ったりしますね。
3GとLTEの対比
【佐藤】それでその本の中で、その3G、義務、犠牲、我慢じゃなくて、ここからはLTEですよっていうふうに書いてあって、LTEっていうのは何の略かっていうと、
ラブ、アイ、感謝、間違えた、ラブ、アイですね、サンクス、感謝、エンジョイ、楽しむ、このラブ、サンクス、エンジョイの頭文字をとってLTEですよっていうふうに書いてありました。
LTEの意識だと、どんな人生の捉え方になるかっていうと、やりたいこととか、自分が望むことをしながら楽しく報酬を得ることができる世界観で生きていけるようです。
別に自己犠牲のもと、お金はいただかなくてはならぬみたいな価値観とは違って、この辺ちょっと令和の若者っぽいですよね。
自分の本当にやりたいこと、自分の心がワクワクすることをしながら、それを報酬にもつなげていくことができる。お金っていうのは愛とか感謝、喜びの証であって、
そういうふうに基本的にはそことそこが結びついている。お金は自分の中では感謝、喜びの証としていただくものである。
なので、お支払いの時も、さっきの3Gの人とは違って、奪われる感覚がないと書いてありましたね。
3Gの人は自分の自己犠牲のもと、得たお金を人に払う時に、失いたくない、奪われたくないって持っていかないでって思うんだけど、LTEの人は奪われる感覚はないと。
そうじゃなくて、提供されるサービスに対して、こんなふうに思うらしいんですよ。私はあなたのご行為にこれだけ感謝の気持ちを示すことができ、感謝の気持ちをお金というツールを使って示すことができてとてもうれしく思います。
という感じで、提供されるサービスに対して、すごく軽やかにお金を支払いができる。さっき3Gの人は巨額の富を持つことを抵抗があるって言ってたけど、LTEの人はお金持ちイコールは悪い存在とは思ってないので、それだけたくさん感謝を受け取った人なんだろうなっていう風に思うのではなかろうかと書いてありましたね。
対比構造で書いてあったので、どうしても3Gが悪くLTEがいいみたいな感じで捉えがちだけど、ドキンちゃん的には本人が望むならどっちでもいいんじゃないって思うんですよね。
私は嫌ですよ。私は義務犠牲我慢したくないですと。だから義務犠牲我慢しませんって決めてるんですよね。
でもなんかさ、それが心地いい人もいるじゃん。
犠牲の上に成り立つ人生をさ、不幸な捉え方をする。自分が不幸な世界チャンピオンですみたいな。不幸選手権の女王ですみたいな感じの捉え方をずっとずっとずっとずっと手放さない人もいるから、
それってある種、もうそうなりたくてそうなったんじゃないみたいに。あなたそれに執着ありますよねっていう幸せになることを拒否してますよねみたいな感じに思っちゃったりもするので、
もうなんか3Gを楽しみたい人はもう何かもう思う存分楽しんで、もうある種自分で気づくしかないよねって。これ以上の我慢を私は私にさせてあげられないって本当に気づく時が手放し時なので、
あんまりなんか人にさ、そんなのおかしいから手放そうよLTEで生きていこうよって言われても、なんかその人たちにはきっと響かないんじゃないかなってちょっと冷たいように思うかもしれないけど、私は感じますね。
どう思いました?今日の話。私はすごく面白いなぁと思いました。はい、ということで今日の話、あのどんな本を読んだかっていうと、本のタイトルはもっとあの世に聞いたこの世の仕組みというタイトルの本です。
緑色の表紙の本なので、もし気になる方は手に取ってみてください。はい、ただねこの本ね、多分わかりづらいよ。
ちょっとねスピリチュアルな感じの考え方とかがたくさん出てくるんですよね。スピリチュアルの集合意識だとか、
なんか我々は神の分身であるみたいな話だとか、仏教的に言うとどういうことだとか、なんかいろいろ書いてあって、なんだろうね、
ワンネスみたいなね。そんなにとっつきやすい本ではないけど、私は結構面白く読めましたね。
はい、もし気になる方はぜひ読んでみてください。ということで、本日はイケテナイお金の価値観についてお話をさせていただきました。
ただこのイケテナイっていうのも、いわゆるドキンちゃんの眼鏡で見た時のイケテナイなので、それを自己選択している人はどうぞ勝手にって感じですね。
はい、ということで、今日の話が面白かったよという人はハートマーク、いいねマークを押して帰ってください。どうもありがとうございました。失礼いたします。