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2024-08-15 07:53

何度も語って定番化すると、ウソになってしまう

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言葉にも鮮度がある。賞味期限がある。そして、言葉にできないことのほうが大半である。日々書いているとつい忘れてしまうが、大事なことだ。

「何度もインタビューを受けていると、言っていることが本当かウソか分からなくなる」

あるインタビュイーに言われたことがある。ニュアンスで書いているので、実際は違う言葉だったかもしれない。ただ要旨としては、自分の作品が話題になり取材を受けることが増えたが、同じような質問を受けて答えるたびになんだか答えがテンプレート化していって、本当に表現したいことからずれているような気がする……ということだったように思う。


 

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DIY BOOKSの平田大です。
いろいろ、私もですね、ウェブ編集者とかライターとか、いろいろやって、インタビューやったりコラムやったりしているんですけど、
思うのはですね、言葉にも賞味期限があるっていうことですね。鮮度があるみたいなこと。
言葉だったりエピソードっていうのもあると思うんですけど、
やっぱり言葉にできないことの方が大半だなって思うんですね。
日々そういうふうに書いているとついつい忘れてしまうんですけど、大事なことだなと思っていて。
で、ある原稿をですね、書くときにインタビューさせていただいた方に言われたことがある。
で、この方だけじゃないですか、何人かに言われたのは、やっぱり何度もインタビューを受けていると、
自分でもちょっと思い出せなくなるとか、この言っていることが本当かウソかわからなくなるっていうふうに言われる方もいらっしゃるんですね。
つまりいろんな取材を受けていると答えがテンプレート化していく。
本当に表現したいことがそうだったのかわからなくなるという現象があると。
これは僕以前にですね、ロフトプラスワンかなであった文学都市でのドラゴンクエストっていうのを出版された、
さやわかさんのイベントで同じようなことでですね、言われてたなと思っていて、
聞き手のお立場としてなんですけど、文学都市のドラゴンクエストってすごく面白い本で、
いわゆる国民的RPGと言われているドラゴンクエストの作者堀井悠二さんが、
現実とフィクションとの関わりみたいなところとかが同じ兵庫県出身で、
同じ時代にですね、早稲田大学の文学部のキャンパスにいたっていう村上春樹さんとのリンクを分析した本なんですけど、
イベントでさやわかさんが話されてて、これちょっと正確じゃなかったら申し訳ないんですけど、
ただ私は確かそこを聞いたなというのは、何で堀井さんに直接インタビューしないんですかって言われることがあるんだけど、
堀井さんは何度も同じ話をしているから、どこか嘘になっていることがあるんじゃないかと思ってますっていうようなことをさやわかさんが言われてたんですよね。
だからさやわかさんはドラクエの3とか1,2,5,6とかでもいいんですけど、
出た当時の雑誌ファミ通とかのインタビューとか関係者の証言とか、
それ別の資料を当たってその事実とか浮き彫りにしていくっていう話で、
この姿勢は僕は未だにライターとしてすごく素晴らしいリスペクトするなと思うんですけれども、
私自身もインタビュアーとして仕事をする際に同じような姿勢を取ろうと思ったり、
その相手の何度も語られていることはどのぐらいで受け止めようかなっていうのを結構考えているところだったりします。
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やっぱり新作の映画のテーマとか撮影の工夫みたいなのって、
よく映画とかを例にすると、その監督ってキャンペーン期間に何回も聞かれるわけですよね、朝の番組から。
もちろん専門誌とかで、深さとか質問の角度とか違うにしても結構同じことを繰り返し話すと、
やっぱりどこかで聞いたような話になっちゃうのと、
やっぱり言葉の端々がその場合に端折られてしまったりとかすると、
その構造だけが残ってしまったりする場合があるんですよね。
お笑い芸人の方のエピソードトークだったり落語家さんの落語っていうのは、
当然毎度笑わせるそういう技術があるんですけど、
私とか和芸を本業しない人っていうのはここはすごく難しいところだなと思ってますし、
基本的にインタビュアーに対して答える話って、
笑いを取るためじゃなくて情報を届けるべき部分だったりするんだけど、
その話の中に伝えるべき本質があるのに、
その大部分っていうのは実は言語化できない部分の方が大きいんじゃないのかなと思うわけですよね。
やっぱりホリーさんオトピア殺人事件とか、
その前から例えばゲームコンテストに出たとか、
なんでゲーム開発するようになったのかとか、
ただドラクエをなんで作ったのかとか、
いろんな、鳥山明さんとの出会いとかいろんなことを聞きたくなるけど、
それに何度も答えているうちに言葉にできない部分が車掌されてしまって、
言葉が中心になっちゃう。
だから体験とか物語とか経験みたいな部分が抜け落ちてしまう場合もあるのではないのかなというふうに思います。
言葉っていうのがやっぱり現実とか過去を、
それをそのまま再現できない代わりに表現するっていうツールだと思うんですけど、
やっぱりその言葉で記号表現、記号で表現できない部分のニュアンスは抜け落ちるし、
受け手の方がその記号をどう受け取るか、
その辞書がお互い違ったら当然ニュアンスはまた抜け落ちていくしっていう部分で、
どんどんやっぱり伝わりづらくなるっていう連鎖が起き得るんだろうなと思います。
やっぱり言葉にもそういう意味で鮮度があるんですよね。
取りたての魚みたいになっている。
その言葉自体が本当に真実を捉えているかはわからないし、
しかもその魚を放っておくとどんどん鮮度が落ちていくんですよね。
腐っちゃうというか、冷蔵庫に入れたとしても。
やっぱり自分の体験や感情を書くときでもそうだなと思っているし、
やっぱり自分の体験とか言葉を持っていることを、
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真にその本質を言葉にできるかっていうのはやっぱりわからないなというふうに思います。
ただいずれの場合も聞き手側の問題としては、
僕は何度もこの言葉を引用するんですけど、
ブルータスの編集長だった西田善太さんが言われている、
好奇心を人任せにしないっていうのがやっぱり僕は聞き手側の問題としてはすごく大事だと思っていて、
やっぱりドラクエが何で同時代で抜きに出たゲームタイトルになったのかとか、
何で作ろうと思ったんですかとか、
それが自分が本当に気になるっていう出発点になる動機を忘れないようにするっていうのがすごく大事だと思うんで、
その動機に沿って材料を集める、
西岡さんの場合で言ったらファミ通の資料とか、
信頼できるソースを当たるっていう、
やっぱりそういう自分の本質的な興味、熱量のある興味に従って経営というか、
サーキットというか回路というか、
それを作っていって形として本になるとか記事になるっていう、
だから実はそれはもしかしたらやっぱり語り手の方がまとめるその経営、
物の集まりと聞き手がその主眼というか熱量の持ったテーマで集めたトピックのピラーというか、
そういうものが違うのは多分当然だと思うんですよね。
なんだけどやっぱりそこはその人がそこに介在するからその記事とかコンテンツがあり得るっていうことだと思うんで、
やっぱりそこはあくまで聞き手とか受け手とか関係性だと思うんですけど、
ある程度言葉っていうのはそこまで信用はできないかもしれないっていう前提に立つ方が、
かえって僕は誠実なんじゃないのかなっていうふうに思ったりしております。
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