00:01
田中優子
Dialogue cafe、筋書きのない対話から新しいアイデアと自分自身に出会う場所。この番組は様々なテーマで楽しみながらお届けします。
さあ、今回はですね、またゲストをお呼びしております、所親宏さんです。所親宏さんでいいですよね。
ところ、親宏さんなんて呼んだことないから。
キビタンと、以前ね、クラウドワークスで、かなり前ですけど、辞めたのはいつ頃ですか?
所親宏
えっと、だから、直前だから、2017から、7ですね。2015から2017。
田中優子
2015から2017の間、クラウドワークスで、フリーランスとして。
そうですね。
フルコミットで働いていただいていた、エンジニアさんなんですよね。ソフトウェアエンジニアの所さんです。で、キビタンって呼ばれてて。
岡澤陽子
優子ちゃんもキビタンって言うんだけど。
田中優子
あのね、でも、直接で話すことってそんなになかったけど。
所親宏
いや、なかった。
田中優子
まあ、でも、社内ではキビタンとしか呼ばれてなかったから。
所親宏
そうですね。
田中優子
所さんとか呼ばれてないんで、キビタンさんみたいな感じだった気がしますね。
所親宏
いわゆるところ、僕その時、CTO室っていうか、インフラの方をやってるチームにいて、途中で移動したっていうか、変わったんですよ。その時に、あ、所さんとキビタンさんって違う人じゃなかったんですよね。
田中優子
そうそう。キビタンって何ですかっていうのを、ちょっと最初に言ってきましょうか。
所親宏
キビタンは、TwitterとかGitHubとかのハンドルネームですね。で、キビタン自体どこから来てるかっていうと、ちょっと安直なんですけど。
僕、あの、福島県出身で、で、福島県にはゆるキャラがいるんですよ。で、それがキビタンって言うんですよ。
うん。
田中優子
ただそれだけ?
そう、黄色い鳥。
黄色い鳥。黄色い鳥なんだ。で、なんでキビ?なんでキビタン?
所親宏
キビタキ?確か。
キビタキ?
確か。県の鳥なのかな?
そうなんだ。
田中優子
確か。
岡澤陽子
へー。
田中優子
ものすごいマイナーキャラですか?
所親宏
いや、福島と結構いますよ、キビタン。
田中優子
福島にはね、福島にはね。福島にはそうだけど、でも私は…
知ってた?
だからキビタンしか知らない。キビタンっていうか、キビタンさんのことしか知らない。
所親宏
でも福島にいる人だったら、キビタンかお前みたいな。
アイコンにね、あの鳥が使ってたんじゃない?
昔は、今は変えたんですよ、なんかちょっと。
ベルリン移住と子育て
田中優子
そうそう、今違うけど。キビタンさんはですね、今ベルリンにお住まいなんですよね。
所親宏
はい、そうです。
田中優子
はい、でもこれは東京で収録してるんですけど、今一時帰国中ですよね。
所親宏
そうですね、そうですそうです。
田中優子
なんか育休なんですね。
所親宏
そうです、育休です。
田中優子
2人目のお子さんの。
所親宏
そうです。
田中優子
生まれて。
所親宏
そうですそうです。
岡澤陽子
え、どれくらい、フリーランスで育休っていうのは?
所親宏
今は僕、東京にいた時はフリーランスに東京で5年くらいやってたんですけども、今回ベルリンに移住したところでは現地就職。だから普通の社員ですね、今は。
田中優子
ビザの関係とかもあるから、多分。
所親宏
ビザが一番、フリーランスも検討したんですけど、現地就職の方がビザのそれこそ良かったんですよ、条件が。それが一番大きな理由ですね。
田中優子
なるほど。
ベルリンのスタートアップ系の企業。
所親宏
そうです、スタートアップです。
田中優子
そこで、もうベルリンに行って3年くらい。
所親宏
結構長いですよ。2017だからもう6年。
あ、そうか、もう。
6年、7年目?
7年目。
田中優子
もう長い。
所親宏
やばいですよね。
岡澤陽子
長い、長い。
所親宏
そんなつもりじゃなかった、全然。本当に。
田中優子
でも住めば、結構肌に合っちゃった感じですか?
所親宏
肌に合ったっていうか、本当そんなつもりじゃなくて、もともとワーホリで行ったんですよ。
1年で、僕の当初計画は、1年ワーホリで行って、ちょっと現地で、現地というか海外で暮らしてみました、みたいな。
何だったらちょっと働けたらいいな、みたいな、ちょっと体験をして、ワーホリで延長できないので、その後、西廻りで世界一周して帰ってこようというのが当初案だったんですよ。
1年です。
田中優子
夫婦で行ったでしょ?
所親宏
夫婦で行きました。
田中優子
結婚直後?
所親宏
いや、結婚して、直後2年くらいですかね。
田中優子
2年くらい。
あ。
奥さんも当時…
岡澤陽子
ワーホリで?
所親宏
うん。その2人とも別々でワーホリ取って、一緒に行ったって感じですね。
田中優子
奥さん、お仕事なんなんですか?
所親宏
その時は、デザイナーで、今はやってないですけども。
田中優子
じゃあ、2人で世界を回ってみようか、みたいな感じで。
所親宏
もともとは、ワーホリが終わって、そういうつもりだったんですけど、仕事が見つかって、ビザも更新できて、
そして、後で話すかもしれないですね。
あの、めっちゃね、ベルリンってベビーブームなんですよ。
めっちゃ赤ちゃんいっぱいいるんですよ。
ここ何?みたいな感じで、だんだん分かってきて、どうも育てやすそうじゃないみたいな感じで、
気づけば、2人生まれ、まだまだいるみたいな。
全然、世の中分かんないですね。
人生分かんないですね。
田中優子
お子さんは、ベルリン生まれ、ベルリン育ちな。
所親宏
そうですね。
田中優子
今、何歳と何歳?
所親宏
3歳と0歳です。
田中優子
3歳と0歳。
岡澤陽子
その、夫婦でワーホリに行こうって決めた時は、それぞれ何歳?何歳か?
所親宏
僕が、決めたのは、結婚して、27かな?27か8で結婚して、
で、そこで、次どうするってところで、2人で決めたんですよ。
だから、そっから準備して、ちょっと。だから、1年半ぐらい。お金貯めよう、みたいな。
もともと、旅行して帰るつもりだったんで、旅行して。だから、その旅費ですよね、どっちかっていうと。
貯めてたのは。
田中優子
もともと、結構旅行が好きだったんでしょ?
所親宏
そうです。
田中優子
放浪の旅が。
バックパッカーですね。
学生時代から?
インドへの旅行経験
所親宏
学生時代に、そうですね。
田中優子
結構、どんな場所に行ってきたんですか?
所親宏
それこそ、最初、大学3年生の時に、バックパッカーで、世界一周のつもりで行ったんですよ。
だけど、旅する人って、いろんなタイプがあって、僕は長期滞在するのが好きなタイプで、結局ね、インドまでしか行かなかった。西回りで。
田中優子
いっぱい行くつもりが。
所親宏
いっぱい行くつもりだったのに。
田中優子
気に入っちゃって。
所親宏
東南アジアで終わっちゃいましたね。
田中優子
インドにかなり長い時間いたんですか?
所親宏
インドは、どのくらい?2ヶ月くらいか?そんなでもありますね。
田中優子
まあまあまあね。
所親宏
最初に。
そこから、それが学生の時、20歳の時に出て、そこから西に行くまで、ドイツに行くまで10年。
田中優子
インドが好きで、またすぐ、ほっといたらすぐインド行っちゃうみたいな。
インドがやっぱり好きなの?
所親宏
インド好きなんですよ。
みんなに、ドイツ行くって言ったら、
え?インドじゃなくて?
田中優子
え?インドね。私も今ちょっと興味あるんだけど。
岡澤陽子
どんなとこが好きなんですか?
所親宏
カオス感ですかね。
田中優子
みんなそう言いますよね。
岡澤陽子
街はいろんな街に行ったんですか?
所親宏
その時ですか?その時はそんなに行ってないです。
その後だから何回か行ってて、その時にいろんな違う街行ったりしてますけど。
田中優子
じゃあ割と一つの街に長い期間。
所親宏
そうですね。
田中優子
それも同じ宿に泊まって、ふらふら生活するみたいな。
所親宏
まあそうですね。そのお気に入りの宿を決まって、周りのレストラン行ったりとか。
基本的に時間の制約ないんで、だから特に自分で自由に決まれるから。
気にならなかったら行けばいいし、なんかここ面白いなと思ったら。
田中優子
それでも学生時代から、夏休みとかそういうの行くの?それとも休学とかして?
所親宏
学生の時、最初に休学して行きました。
田中優子
そうなんだ。
所親宏
1年だけど。それで世界一緒のつもりだったけど。
田中優子
1年で東南アジアと中国、インドで終わっちゃったっていう。
所親宏
最初バリに入って、バリで1ヶ月経って、ちょっと急がなくちゃかなと思って。
でシンガポール行って、シンガポール1週間くらい。
でマレーシア行って、2ヶ月行って、ちょっとまだタイにも行ってないみたいな。
でタイに行って、タイはサクッと行って、インド行って。
で2、3週間行って。
で2、3週間行って、なんか聞いたらネパールが面白いよって言うんですよね。
でネパール行って、でそしたらカトマンズってところで、2ヶ月くらいでクリスマスで。
そろそろ急がなくちゃ無理かなって。
思ってインドにまた戻って、そこで1ヶ月ぐらい過ごして、フィニッシュみたいな。
その次のフライト、エジプトからだったんですけどね。
世界一緒旅行券っていうのが当時あって、16枚くらいあったのに、2枚くらいしか使ってなくて。
田中優子
そうなんだ。
でもそういう経験で、暇さえあれば旅行に行くみたいな、そういう感じだったんですか?その後も、社会人になってからも。
所親宏
暇さえあればっていうか、旅行に行きたいから時間を作るみたいな感じでしたね。
田中優子
なるほどね。
岡澤陽子
最初の社会人っていうか、卒業して最初は会社に入ったんですか?
所親宏
会社に入りました。
会社に入って。
岡澤陽子
何年くらい?
所親宏
そこはね、半年くらい。
田中優子
そうなんだ。
所親宏
そうですそうです。
田中優子
いわゆるサラリーマン、半年だけ。
所親宏
その後半年して、別の会社に行ったので、そこで1年半かな?トータル2年。
ちなみに今、ドイツに来て、それまでずっと社員してなくて、フリーランスして、こっちで社員になって、5年以上経ったんで、完全に最長。
田中優子
最長。
所親宏
そんなつもりなかった。人生わかんないですね。
エンジニアへの転身
田中優子
今エンジニアじゃないですか。
所親宏
はい。
田中優子
文系なんですね。
所親宏
そうです。僕、経済学部です。
岡澤陽子
そうなんですね。
田中優子
でも、エンジニアに学生じゃないからなろうって思ってたんですか?
所親宏
いや、思ってなかったですね。
田中優子
なんか気が付くと、みたいな?
所親宏
いやいや、僕、旅行してましたけども、あれは3年生の時で、1・2年生の時はめちゃくちゃインターンしてたんですよ。ベンチャー。今だったらスタートアップですね。ベンチャー。
で、してて、しかも最初は営業だったんですよ。
田中優子
最初就職?
所親宏
就職で。
就職で、インターンですけどね。
岡澤陽子
インターン、インターン。
田中優子
あ、そうなんだ。
所親宏
うん。
田中優子
だけど、自分で希望してエンジニアになったんですか?
所親宏
そこから、営業やってて、最初よくわかんなかったけど、だんだん売ってるうちに、自分の売ってる製品がいまいち良くないんじゃないのかなってことになってきて、だんだん嫌になってきて、そしてエンジニアがたまたま隣にいたんですよ。
そしたら、そのエンジニアってすごい楽しそうだったんですよね。
田中優子
うん。
所親宏
それで、なんか楽しそうだなと思って。
うん。
自分が作ったものだったら、なんか売りやすいかなと思ったんですよね。
岡澤陽子
はいはいはい。
所親宏
自信持って。
田中優子
うんうんうん。
所親宏
って言って、まあ、インターンって、学生っていいですね。
だから、転職とか、転職、まあ転職じゃないけど、インターン変えても別にリスクないんで。
岡澤陽子
うん。
所親宏
期待値も低いし、そもそも。
田中優子
うん。
所親宏
だから、それで、ちょうどその時に会社が、開発をアウトソースするって言い出したんですよ。
岡澤陽子
おー。
所親宏
で、じゃあ僕もちょっと開発やってみたいし、ちょっとなんか違うところやってみたいと思いますって言って、で、開発の本だけ読んで。
田中優子
うん。
所親宏
で、それで、ちょっとでも、本だと実務との差がありすぎるっていうか、全然延長線上にある感じが、この差が全然わかんないみたいな感じで。
田中優子
うんうん。
所親宏
で、えっと、ちょっとやる気ありますみたいな感じで、その他のベンチャーでちょっと入ったみたいなのが始まりですね。
岡澤陽子
へー。
所親宏
エンジニアとしては。
田中優子
え、でも全然未経験で、やったことはなかったんでしょ?
所親宏
なかった。
田中優子
こう書いたりとか。
所親宏
まあその、ちょっと独学はしてました。
田中優子
うん。
所親宏
その時にやりましたけど。
田中優子
結構なんか、エンジニアってそうやって、なりたいですって言ってやるけど、まあまあ挫折する人とかもいるじゃないですか。
所親宏
あ、そうですよね。
田中優子
向かないみたいなんで。
岡澤陽子
うん。
所親宏
向いてたんですか?
まあそうでしょうね。その高校生の時にプログラミングはしてないんですけど。
田中優子
うん。
所親宏
それだとパソコン好きでした。
田中優子
あ、そうなんだ。
所親宏
うん。
田中優子
へー。
じゃあ割と、やりは、なんか軌道に早く乗ったんですか?やれそうだなみたいな。
所親宏
いや、面白かったんですけど、なんかすごい人はすごいんで、当時ですよ
田中優子
うん。
大学時代と就職
所親宏
僕その19歳の時で、やっぱねすごい人、5歳からやっている人とかいるんですよ。
田中優子
うん。
所親宏
ガチ勢ですね。
田中優子
ああ。
所親宏
そうね。
田中優子
ガチ勢ですよ。
好きな人がね。
いるんだよね。
所親宏
で、それで、まあそういう人とかいて、ちなみにその時は僕は運が良かったのか悪かったのかなんですけども、すごい人だったんですよ、その人たちが、たまたま見たのが。
田中優子
うん。
所親宏
で、それを見て自分、絶望感を感じながら、俺ってこれ、まあやってて楽しいけど、これ職業にできないなみたいなことを感じてました。
うん、そのときは。
田中優子
あ、そうなんだ。
岡澤陽子
そうなんだ。
じゃあそれで、うん、その大学時代にインターンで営業もやって、エンジニアもやって。
所親宏
はい
岡澤陽子
で、その最初の就職の時にはもうエンジニアとして就職したんですか?
所親宏
そこはまあ総合職っていうか、振り分けだったので。
岡澤陽子
ああ。
所親宏
で、うん。なのでだから、まあ結局開発で希望を出せるんですけど、その、まあどう振り分けられるかはって感じですかね。
岡澤陽子
はいはい。
所親宏
結局開発になって、まあほぼやってないけど、そこ短かったから。
岡澤陽子
うん。
所親宏
うん。でも開発でした。
岡澤陽子
あ、そうなんですね。
うん。
田中優子
なるほどね。で、でも、その会社。
まあちょっとなんだろう、就職したけど、それ大企業ではない?
所親宏
大企業ではないと思います
田中優子
大企業ではない。
だからそこを、もう、まあ割と比較的早く辞めたわけじゃないですか。
所親宏
はいはい。
田中優子
それ辞めたのは何でだったんですか?
所親宏
それは別に単純に体調崩したんですよ。
田中優子
ああ、そうなんだ。
所親宏
単純にね。
田中優子
そうなんだ。
所親宏
そう、それです。
田中優子
あ、そうなんだ。じゃあしばらく休もうみたいな感じ。
所親宏
そう、そうですね。
フリーランスエンジニアへの転身
田中優子
そうなんだ。
所親宏
そうですね。そして、2社目のところは、もうそういう意味ではすごい拾ってもらったりとか、すごい恩があるっていう感じでもあるんですけどね。
田中優子
へえ、そうなんだ。で、2社目でもエンジニア?それだったらずっとエンジニアでしたよね。
所親宏
そうです、そうです。なんか、なんかでもその学生の時にそのインターンした時に、なんかエンジニアっていいなと思って、だからやってみたいみたいな気持ちがずっとあったんですよね。
田中優子
へえ、そうなんだ。でも、でもまあ割とキャリアの早い時期からフリーランスにはなったってことですよね。
所親宏
そうですね。
田中優子
だってクラウドワークスにいたのが、そういう2015年ぐらいってことはもう、まあ8年前だもんね。
8年、9年前に働いてたってことじゃないですか。それよりも前から、えっと、フリーランスはやってたんですよね。
所親宏
そうですね。2社目、2社目だから終わったところが2012?
田中優子
2012か。あ、そっかそっか。あれ、じげんとかにいたの?
所親宏
あ、そうです、そうです。じげんにいました。2社目。
田中優子
あ、じげんもフリーランスでいたのか。
所親宏
あ、じげんは社員です。
田中優子
あ、じげんは社員だったんだ。
2社目だから。
そこから、そっかそっか。
所親宏
そこからフリーランス。
田中優子
あ、そっかそっかそっか。なるほどね。そっか。じゃあ、え、当時まだね、20代だもんね。
所親宏
そうですね。
田中優子
そうですね。まだ社会人歴そんなにない頃だけど、まあでも、エンジニアならもうフリーランス、まあ周りにもいっぱいいるし、やれるだろうみたいな。
所親宏
それもあったし、それもあったし、また体調崩したんですよ。
田中優子
崩しがち、崩しがちだよね。
所親宏
崩しがち、崩して、でもそれで、だから、まあちょっとフルタイムはきついなーとかって思って、でもちょっとは働きたいし、お金もなくなってきたしって感じで、でもフリーランスのエンジニア、なんかネットで見たことあるな、くらいの。
やってみようかなって、割となんかこう、まあやらざるを得なかったというか、まあじゃあせっかくだからやってみるかみたいな。
うーん。
田中優子
それで、どうやって最初、仕事は見つけたんですか?
所親宏
最初はもうほんと最初、多分ラッキーで、友達に、いやーちょっと俺なんかもうちょっと体調も崩したし、ちょっと家とかもお金払えないからー引き払ったんだよねって言ったら、あ、その、その彼は会社やってたんですよ。
ワーホリビザの取得とドイツ移住
田中優子
うんうん。
所親宏
そしたら、彼は受託系の会社やってたんですよ。
受託系の会社やってて、あ、そしたら倉庫で使ってるとこあるから、そこ住んでいいよって、それで仕事もあげるよって言って。
岡澤陽子
倉庫に。
でも仕事も。
田中優子
そうなんだ。
所親宏
倉庫だったらいいよって言って、でもなんか、あの、風呂なかったんですよ、そこ。
田中優子
おーおーおー。
所親宏
銭湯通いながら、で、その時に銭湯行って、めっちゃ銭湯好きになったりとかするから。
田中優子
まあね、インドに住むのと、まあまあそれより全然いいわみたいな感じ。
岡澤陽子
確かにインドよりもね。
田中優子
インドよりよさそうな。
所親宏
いや、インドにもシャワーありますよ笑
田中優子
笑 まあ、温かいからね、いいよね。
そうか、え、で、じゃあ、まあなんとなく、そうやって友達が仕事をくれて、そこで。
所親宏
そう、最初。
田中優子
じゃあ、受託の仕事だったんですか。
所親宏
そうですね。
だから、たまたまなんかね、いい感じの案件がたまたまあって、それやんないって言われて、で、やってみて。
で、最初わかんないから、結構ピヨってたんですよ、なんか。
田中優子
うん。
所親宏
いや、ちょっと、その、できないかもしんない。
でも、言っちゃえばね、まあ、社員でやってて、言われた、言われたことじゃないけど、やってたものから、やっぱり自分で受けるっていうのは違うから、ビビって。
田中優子
うん。
所親宏
でも、やってみたら、いや、でも、俺も案件取りたいからやってみなよって、こう、言われて。
田中優子
うん。
所親宏
で、やってみたら、できて。
田中優子
うん。
所親宏
あ、いけるかもしんない、みたいな。
田中優子
へえ、そうなんだ。
岡澤陽子
でも、なんか、今みたいな、その、最初の第一歩って、やっぱり、たぶん、どの年代になっても、怖い。
田中優子
うん。
うん、まあね。
岡澤陽子
そうだよね。
なんか、本当に通用するのかな、とか。
田中優子
そうだよね。
岡澤陽子
なんか、そういうのが、それこそ、20年会社にいても、30年会社にいても、そのあと、なんか、こう、フリーに受けたりとかするなんて、やっぱ怖い。
所親宏
うん。
岡澤陽子
でも、なんか、あ、いけるって思ったら、すごい自信に
所親宏
なりまし、
うん、なりましたね。
中でも。
でも、まあ、僕は、その、ちょっと追い詰められたというか笑
田中優子
そうだね
岡澤陽子
そっか、そっか。
所親宏
まあでも、まあでも、もっと独立っていうか、その、僕ベンチャーやっぱ好きだったので、もうずっと、インターンとかもしてたし、だから、そういうのは頭にあったってというのはあったから、だから、やってみた、やってみてもいいなっていうのありまして、単純にね。
うーん。
田中優子
なるほどね、そっか。
ね。
クラウドワークスはなんで 誰か誘われたんですか?
所親宏
クラウドワークスは元々だから 吉田さんのことは知ってたんですよね
僕が、開発をさっき言った2社目で覚えたところがドリコム
田中優子
そっかドリコムだったの
所親宏
そこでインターンさせてもらって
田中優子
それで当時吉田さんがドリコムにいたから
所親宏
そうですね でも関わりはなかったですけどね
田中優子
でも仕事は違うから 存在は知ってる
所親宏
あの、1インターン生ですから
それで名前は知ってて
でも何でだっけ なんか本当
多分すっごい初期ぐらいの時
でも僕そうだ
クラウドワークスの仕事を知ってはいたんですけど 吉田さんのことを
取るのには実は関係してないんですよ 吉田さんは
大場さんですね
田中優子
当時CTOだった大場さんっていう
所親宏
Rubyコミュニティ?
田中優子
そうそうそう Rubyで結構有名な方でね
もっとクラウドワークスの前はグリーで やってらっしゃって
所親宏
そうですね
田中優子
今は何だっけ speee かな?
所親宏
そうですね 多分 speee ですね
田中優子
っていう結構有名な
エンジニア界隈では有名な方がいて
その方がクラウドワークスにCTOに
私のね3ヶ月前ぐらいに入社されてたんでね
で当時いてエンジニアチームを作ってたから
結構ね大場さんに憧れてっていうか
大場さんすごいみたいなので入ってくるエンジニア
当時割といたかもね
所親宏
まあまあそれですね
田中優子
大場さんと知り合いだった?
所親宏
知り合いじゃなくてRubyのコミュニティで
ミートアップがあって
そこの新年会かなんかで
その時にちょうど僕も仕事取ろうと思ってて
大場さんとかも入ったしって言って
会社も知ってるしってことで
大場さんと野村さんと話してですね
じゃあやりましょうってなって
吉田さんはたぶん何にも知らない
田中優子
まあねそっかエンジニアねそういう
確かにね
なんかコミュニティの中でのね
あの人と一緒に働きたいとか
そういうのあるよね
リクルーティングにも結構良かったりする
そっかそっかでそれでクラウドワークス入って
でもまあフルコミットで3年ぐらいいたって
所親宏
そうですね
田中優子
もうねもうガッツリ
社員になろうとは思わなかった
所親宏
あーまあ悩ん
田中優子
だってなってくれとか言われたでしょ
所親宏
その時もありましたけど
ぶっちゃけ業務委託の方がお金よかった
田中優子
笑
岡澤陽子
笑
田中優子
いやー
それはあるかもしれないですね
確かに確かに
まあね色々制約もあるからね
所親宏
あとあとなんだその僕、業務委託の一つ
フリーランスやってた一つの理由が
旅行行きたかったので
でそれもあったかも
だからそのクラウドワークスで仕事してて
で結婚も同じぐらいのタイミングなんですよね
それで次どうしようって思って
じゃあ次ドイツとか
まあドイツとかどっか海外行ってみようと思ってた時だったんで
っていうのもあったけどお金貯めたいとか
だからずっとどっかにいるって
そもそも日本にいるのやめようみたいなその時はって
ちょっとどっか行ってみようって感じだったので
それもあったかな
田中優子
じゃあクラウドワークスはやめた時はもう
ワーホリ行くぞと
前々から行きたかったお金も貯まったし行くぞみたいな
所親宏
そうですそうです
田中優子
そういう感じでやめたって感じですね
所親宏
ドイツ行ってきますみたいな
田中優子
もう行き先はドイツって決まってた
所親宏
ワーホリを取って
田中優子
ワーホリのビザがねってことね
岡澤陽子
まずワーホリなぜ行きたかったのかっていうと
あとそのワーホリにいろんな国ある中で
なんでドイツなのかっていうので
所親宏
わかりました
ワーホリなんで行きたかったかっていうと
そういう意味だとワーホリを別に選んでなくて
海外で仕事したいなって思った時に
ワーホリが一番やりやすかっただけですね
ちょうどそうそれこそクラウドワークスにいた時の
同僚その人もフリーランスだったんですけども
がいた時に
なんかいきなり僕ベルリンに行くことにしましたっていう
記事をあげたんですよ
でそれ僕見て
その人は北米に行きたかったんですよね
でカナダとか行ってたんですけど
あ、違う、アメリカ行ってたんだけども
ビザ取れなかったんですよ
それで日本に帰ってきて
仕事したかったんだけども
英語っていうかそっちの社歴ないと
リクルーターの声かかんないしってことで
どうしようかなと思って
それで彼はドイツに行くことにしたって
ビザ取りやすいし
実は英語で仕事できるんですよベルリンは
なのでっていうのをちょうどあげていて
これいいじゃんと思って
ちょっと同僚だったから、話聞かせてもらって
この選択肢いいなと思って
最初のきっかけはそれですね
それでそこからなんでドイツにしたのかってことなんですけど
その後ちゃんと自分でも検討して
ワーホリってすごく有利なビザだなと思って
ちょうどギリホリっていうんですかね
30手前ぐらい
27、28ぐらいやったから
岡澤陽子
年齢ありますよね
所親宏
あと1、2年だったら間に合うなって
それだったらできるなと思ってお金貯めて
で
だからワーホリを狙ったんですよ
ワーホリ移住のきっかけ
所親宏
そうすると英語が行けるところが良かったんですよね
そうするともちろんカナダとかオーストラリアとか上がってくるんですけど
それを妻に言ったら
それはワーホリの行き先としてベタすぎてやだって言われたんですよ
岡澤陽子
オーストラリア多い
田中優子
まあね確かに
奥さんも好きな人なんですか
所親宏
好きですね多分
田中優子
いろいろ行くのがバックパッカー系の人なんですか
所親宏
バックパッカーではないんですけど
大学にすごい留学生が多い
田中優子
大学だったんだ
だったので
所親宏
割かし身近、海外に行くことが
田中優子
ワーホリ行きたいんだよねっていうのはもうその夫婦で共通の夢みたいな感じだったんですか
所親宏
ワーホリっていうか海外にいつか住みたいよね
どっか住んで仕事してみたいよねっていうところで
ワーホリって手段がいいねってなっただけですねそういう意味だと
田中優子
だってでもさ夫婦の片方だけが行きたいって言って
いやいや私は日本にいたいなとか
これから子供も産んでどうのとかっていうのがあるけど
そこは二人とも行こうみたいな
所親宏
それはそうですね
そもそもそれで言うとそこがあったから結婚したみたいなのがあるかもしれない
田中優子
なるほどね
それでじゃあ二人で
ドイツ・ベルリンへの移住
田中優子
でなんでドイツだったのかっていうのは
所親宏
オーストラリアカナダを外れて
それでヨーロッパって住むのいいなって
行ったことなかったけどインドまでしか行ったことなかったから
田中優子
確かに確かにね
所親宏
いいなと思って
でそれでそうするとイギリスももちろん上がってくるんですよ
でイギリス良かったんですけど
イギリスって抽選なんですよねワーホリは
田中優子
あそうなんだ
所親宏
基本的にめっちゃ当たんないんですよ
で二人僕らも出したけど
まあ二人同時に受かることはないだろうと思いつつ
もちろん落ちたし
あとは英語って観点と、あと仕事って観点ですよね
僕は仕事を試したかったので
だからソフトウェアエンジニアとしての仕事があるところ
それはさっき彼、深山さんに聞いて
ベルリンは仕事があるっぽいってことを聞いて
英語で仕事できるっぽい
でついでにあともう一個あったのは
一応考えてるんですよワーホリ終わった後に
じゃあもしそのあとも居たいってなった時にビザが取れるかどうか
イギリスはきついんですよここは
岡澤陽子
イギリスきついですね
所親宏
今もなんかどんどん抑制方向っぽいけど
田中優子
さらにねきついしかなくて
所親宏
まあ今だったらねアムスとかもいいかもしれないですけどね
アムスとかもオランダ
カナダオーストラリアとりあえず外れたんで
それであともともと、旅行して帰ってくるつもりだったんで
田中優子
なるほどね
でドイツには行きやすいから行ったと
所親宏
そうですねだから行って
ヨーロッパなんかいいじゃんとか
あとなんかちょっとドイツってワーホリあるの?みたいな
田中優子
そういうイメージがある
所親宏
僕もね
田中優子
そっか
でドイツの中で
どこに行くかっていうのは
所親宏
それはベルリンですね
だからその仕事が英語で仕事ができる
かつソフトウェアエンジニアの仕事が多い
キャリア探しと就職活動
所親宏
あと、スタートアップ
僕スタートアップ好きだったから
ベルリンはそのスタートアップのハブなんですよ
なのでベルリンに行ったって感じですねドイツっていうか
田中優子
で行って
それはなんかもうどこで働くか決まって行くんですか
所親宏
僕は決まって行かなかったです
田中優子
行って探すの?
所親宏
行って探す
岡澤陽子
それでビザおりるんですね
具体的に決まってなくても
先にビザが
ワーホリビザがおりて
そのから探すってことですか
所親宏
いや取れますね
その仕事取ってからで
岡澤陽子
それでも取れる
所親宏
取れるけど
僕はワーホリで行って
ビザはあったけど
これ1年で決まってるので
その後切り替えたけども
もしなかったとしても
ちょっと言うと確か
多分
もしソフトウェアエンジニアだったら
ブルーカードっていうのがあるんですよ
普通の労働ビザの上の
上のバージョンみたいなやつがあって
それは
多分そのコントラクトだから
確か仕事の
この雇用契約書を持って
申請しに行くので
だからそれは後からじゃないかな
ちょっとはっきり
僕もそうだったけど
田中優子
でもその
で行って
所親宏
はいそうですね
探して
田中優子
探してってどうやって探したの
所親宏
探してって分かんないかったんで
田中優子
分かんないよね
岡澤陽子
分かんない
田中優子
その一歩をどうやって踏みたの
分かんないから
所親宏
ミートアップとか行って
どうやって仕事探したの
こんな感じで聞いてた
聞いてたみたいな
田中優子
じゃあ口コミでってこと
所親宏
そうですね
全然分かってなかったんで
アホですよね
田中優子
いやいやいや
すごいよ
そうやってね
すごい行動力
分かんないようで
止まってる人いっぱいいると思うけど
岡澤陽子
分かんないから行動するっていうのがすごい
田中優子
そうそうそうそう
所親宏
なんかね
なんか後から聞くと
そんな人いなかったんで
あっちでも就職してから
仕事見つけてから来たのって
いやいやそんなことないやつ
ちょっと braveful だねみたいな
勇気あるねみたいな
田中優子
それでも行って
現地に行ってから探すわけですよね
所親宏
はいはい
田中優子
でなんかそれは仕事ない仕事がないって聞くってこと
それでもなんか紹介してくれるところがあるのか
所親宏
それもあったし
そもそもどうやって探したのっていうことをまず聞いて回った感じですかね
田中優子
それで実際にはどうやって回ったの
所親宏
実際にはその
やっぱいくつかその媒体があるんですけども
リンクトインとかでかかったりとか
田中優子
リンクトインで
所親宏
リンクトインはでもマストですね
もう持ってなくちゃいけない
岡澤陽子
うんうんうん
所親宏
リクルーターっていうのもあるんですけど
リクルーターって基本的に英語の職歴ないと
基本的に多分来ないと思うんで
僕はほとんど来なかったし
それ2社目以降じゃないですかね多分リクルーター経由だったら
田中優子
なるほどなるほど
所親宏
ただリンクトインは間違いなく見るので
絶対に整備しなくちゃいけない
田中優子
じゃあリンクトイン
リンクトイン上で応募するってこと
所親宏
それもあります
もあるしだから採用チャンネルの一つ
で自社媒体で行くこともあるし
あとはリファラルっていうのもあるし
僕を使ったのは逆求人があるんですよ
普通上って応募者が会社の求人に応募するじゃないですか
逆ですよね応募者がこんなことできますって言って
会社が応募してくるとかっていうそういう
メディアサービスなのかな
田中優子
そうじゃないとそうじゃないとっていうかね
向こうからオファー出すって言ったって
日本人でベルリンに住んでるってことは
仮にわかったとしても
この人がどんな仕事ができるのかとか
そんな向こうからって
よっぽど綺麗に
そういう経歴のある人じゃないと
なかなかそんな来るもんなんですか
所親宏
さっき言った英語の経歴とか
引っかかれば
結構来るもんなんだ
スキルが合ってれば
だけど基本的にそれはただの最初の一歩目なんで
その後がインタビューは普通に面接もあるし
田中優子
もちろんもちろん
所親宏
技術課題コーディングチャレンジとかもあるし
そこからも普通にただ振る分けられるという
田中優子
自分で逆で応募っていうか
私こういうのできますよっていうのを言うと
そういうアピールすることによって言ってもらうっていう
所親宏
そういうメディアなんですか
そういうサービスがあるんですよ
そうすると自分が登録をして
そうすると会社が応募してくる
それでインタビューとか
田中優子
それは書類選考を突破してるような感じですよね
岡澤陽子
確かに確かに
田中優子
マッチングみたいな
そうですね
確かに確かに
岡澤陽子
なるほどね
所親宏
どれぐらいで見つかったんですか
僕は結構苦戦したんですよ
苦戦っていってももしかしたらそんなに苦戦してない
3、4ヶ月ぐらいかな
10月から始めて12月に決まったからそのくらいですかね
岡澤陽子
なんかすごいワーホリできて3ヶ月ぐらい仕事見つからないと
なんか気持ちがもう3ヶ月経っちゃった
もう3ヶ月みたいな感じで落ち着かないっていうか
状態とかだったりはしなかったんですか
所親宏
ありましたけど
そもそもやっぱり旅行に行って帰ろうと思ってたけど
でも行ったらなんか欲しいじゃないですか
だからくそーみたいな
なんてこと思いながらやってましたやってました
もう完全にもうなんか結構僕20社以上受けてるから
30社近く受けてるからなんかね心折れそうになりますよね
田中優子
別に仕事できなくても旅行もできりゃいいやぐらいな部分もあったんですか
できれば仕事はもちろんしたいけど
所親宏
したいと思ってましたね
田中優子
でも別に働くことだけが別に目的じゃないからっていう感じだったんですか
所親宏
あったけどでもやっぱ働くことはやってみたかったんでやっぱやったら悔しいじゃないですか
田中優子
せっかくそういうビザで行ってるしね
で20社ぐらいでも受けて
なんかなかなかそこはでも採用してもらえたところとの何がそこはフィットするものがあったってことなんですか
所親宏
そうですね結局さっき逆求人とかいろいろ言ったんですけど
結局それは全然決まんなくて
僕これもなんかまあさっきのクラウドワークスみたいですけどまたミートアップで
田中優子
そうなんだベルリンでのそういうミートアップに行って
所親宏
それもルビーのミートアップなんですよ
田中優子
でその会社の方と出会ったってこと
所親宏
そこでそうですねそのミートアップやってて。いろんなミートアップの形あるんですけども
基本的に発表するのがあるんですけども、LTっていうライトニングトークス、軽いやつですね
5分間とか1分とかその場で募集のやつ、で、何か言いたいことある人いるって言って僕それに行って
いや特にないんだけど僕仕事募集してますみたいな
田中優子
すごい
所親宏
って言ったらそこのミートアップを
ホストしてる人が声かけてくれていいじゃんいいじゃんちょっとおいでよって言って
それに行ったらもう面接しかも2時間3時間ぶっ続けだから一撃で一撃だから
田中優子
そこでもう決める?
所親宏
技術面接と最終まで一回でバンってやって次の日の朝に内定、オファーですって来た
田中優子
すごい
所親宏
って感じでした
田中優子
どういう会社なんですか
所親宏
今は僕は Blacklane って言ってリムジンの配車を
グローバルでやってる会社なんですけども
田中優子
ベルリンにあるけどサービスはグローバル
所親宏
グローバルなんですけど日本でもやってますよ
そうなんだ
僕も知らなかったけど
田中優子
そうなんだどのぐらいの規模の会社なんですか社員数とか
所親宏
数百、結構大きいんですよね、もう10年くらいやってるし、スタートアップだけど、全然レイターっていうか
400か500くらいじゃないかな多分
田中優子
働き始めた時今もうその規模だったんですか
所親宏
そんな大きくなかったです、その時200人くらいだったんですよ
その時200人くらいかな多分
岡澤陽子
なるほどね
所親宏
でもカスタマーケア結構いるので
田中優子
そっかそっかそっか
なんかその働いてるスタッフっていうかは結構多国籍なんですか
所親宏
超多国籍ですね
田中優子
日本人は
所親宏
僕しかいないです
田中優子
でもドイツ人以外もたくさんいるってことですね
所親宏
そうですねドイツ人はマイノリティとまで言わないけどマジョリティでは間違いなくないし
もう社内は全部英語ですし
田中優子
なんだっけ経営者の方も元、なんだっけ、コンサル外銀
所親宏
BCG
田中優子
BCG出身の人が経営してる
所親宏
そうですね
創業者が
岡澤陽子
ドイツ人の方ですか?
所親宏
ドイツ人ですベルリン出身の
ファウンダーは二人いてどっちもドイツのベルリンの人なんですけど
CEOの方はBCGで
だからドイツの人で、バリバリドイツの人なんだけども、多分アメリカのカルチャーが入ってるんじゃないかなと
多分
CレベルにもCROとかBCGの人だったりするので、もちろんそれだけじゃないですけども
田中優子
そうなんだ
ベルリンのスタートアップって多国籍なのが普通ですか
所親宏
普通ですね普通です
ベルリンへのエンジニア移住の背景
田中優子
でもヨーロッパの方が多いのかな
所親宏
ちょっとね最近調べたんですよこれエンジニアに限ってですけど75%外国人・非ドイツ人で
そのうち25%がEU圏なので、だから半分が非EU圏出身
田中優子
そうなんだそれはどこの人が多いんだろう、アジア?
所親宏
どこですかね、でも印象としては東欧の人はちょっと多めの印象ありますけどね
田中優子
確かにね特にベルリンだとね地理的にも近いからね
所親宏
あとブラジル人結構いますね
田中優子
そうなんだインド系とか
所親宏
インド系もちろんいますよ
まあね確かに
多分アメリカみたいな、行ったことないけどもインド人だらけってほどではない
岡澤陽子
シリコンバレーも本当にインド系だらけってことはありますね
田中優子
確かにね
少少多数とかも
そっかでもドイツの中ではやっぱベルリンっていうのはスタートアップが結構集積してる地域っていう感じなんですね
所親宏
うんそうですね多分ミュンヘンとかもそうだけど、でもベルリンって感じですね
岡澤陽子
なんでベルリンがそういうスタートアップの街みたいな感じなんですかね
所親宏
そうですね、安かったからですよ
田中優子
それ土地が?
人件費が
所親宏
人件費が
そもそも僕の知ってる限り、ヨーロッパでスタートアップって言ったら3カ所なんですよ
ロンドン、ベルリン、パリ
でその下にアムスとかコペンハーゲンとかもあってって感じで
で多分ベルリンは上がってきてる感じなんですよね
もともと聞いてみると、僕はベルリンってどんなイメージ持ってたかって言いうと
僕も(イメージ)持ってなかったんですけども、行ってみたらみんなが言うのはベルリンっていうのは貧乏、みたいな
アーティストがいっぱいいてみたいな、緑がいっぱいあってみたいな
なんだここ、みたいな
田中優子
なんかねベルリンってね私のイメージはなんだっけあの映画あったじゃん
ベルリン天使の歌
岡澤陽子
天使の歌ね
田中優子
知らない?
ベルリン天使の歌っていうドイツ映画があって
ハリウッドで
そう悲しいやつ
岡澤陽子
悲しいやつね
田中優子
なんかちょっとファンタジーっぽいんだけどね
なんかなんだっけあれ死んじゃう人に
岡澤陽子
詳しく覚えてないけど
田中優子
覚えてないけどでもなんかハリウッドでリメイクされて
ベルリンのイメージと無数のアーティスト
田中優子
なんかそういう映画があるんですけど
そういうなんかね暗いの
それもちょっとモノクロモノクロかな
別になんか別に90年代とかの映画だと思うんだけど
モノクロなのねそのベルリン天使の歌っていうのも
なんかそういうイメージ
所親宏
暗い歴史的にはね。でもやっぱその辺が契機で
そのベルリンの壁があったわけじゃないですか
西ドイツ東ドイツがあって
で壁が崩壊した時に何が起こったかっていうと
東側が想定的に安かったんで、いきなり近くに安い土地が現れたってことで
若い人たちがここいいぞっていきなりやってきて
でなんかこうすごいアーティストとか
その1990年代とかのベルリンとかめちゃくちゃ面白かったっていう人多いんですよね
田中優子
へー
所親宏
ミュージシャンとかいろんなミュージシャンだったりアーティスト
いろんな分野の人がいたって言うんですよ
田中優子
テクノみたいな
所親宏
テクノ、そうテクノはもうなんかあれらしい
なんかもう聖地みたいな感じらしいですね
田中優子
うんみたいよね
所親宏
ちょっと僕も分かんないけど
田中優子
確かに確かに
所親宏
でそういう感じで外国人がいて英語がいて
でそういうところにだから人が取れるわけじゃないですか
田中優子
なるほどね
所親宏
安いぞって
田中優子
あーでも確かに
でもじゃあ移民がでもそうやって経済を支えてってことですよね
所親宏
そうですね
田中優子
なるほどね
所親宏
それでだからで産業がなかったんですよ、ベルリンは
田中優子
あー
所親宏
でそれで、しかももともと本社機能とかももともとあったんだけども
ベルリンの壁があるってことは常に戦争リスクがあるってことで
田中優子
確かに確かに
所親宏
みんな移動しちゃったらしいんですね
田中優子
あーなるほどね
所親宏
それはねそうするとね税金がもう入んないし
田中優子
あー確かにね
所親宏
っていう感じでそう
岡澤陽子
へー
田中優子
なんかねやっぱドイツってまあもともとね製造業が強いじゃない
所親宏
そうですね
田中優子
自動車とかもねそういう国だけどそういうことで
こうITとかもこう割と新しい産業が生まれてきてるってことだよね
所親宏
うんだからその意味で言うとそのミュンヘンとかフランクフルトとか
まあそっちはもうフランクフルトは金融の町だけどミュンヘンとかいわゆるこう
あっちの南ドイツの方がいわゆる重工業とかザ・ドイツみたいな
このBMWフォルクスワーゲンまあメルセデスベンツみたいなとか
とかっていうのがあって、そういうの(ベルリンには)いないんですよ
田中優子
なるほどね
岡澤陽子
確かにデュッセルドルフとかこっちが
田中優子
確かに確かに確かにね
所親宏
だからそれで貧乏みたいな感じに言われ
岡澤陽子
あーなるほどね
所親宏
でアーティストがいっぱいいて音楽やっててみたいなっていうところにスタートアップが入ってきて
最近は変わってきてる、テックが
岡澤陽子
確かにそう
入ってきてる
私の愛用する DeepL
田中優子
あー DeepL
あードイツの
岡澤陽子
あれドイツの会社
田中優子
あーそうなんだ
翻訳そう翻訳
所親宏
知ってます知ってますけど
あれ本社どこですか
田中優子
本社どこなんだろう
所親宏
ドイツの方ね
田中優子
それでもあれドイツなんです確か
あー確かにね
岡澤陽子
結構いくつかテック系の
ところでなんか性能がいい的な感じのテック系で
田中優子
なるほどね
岡澤陽子
ドイツ企業の何社か同じ感じで聞いて
田中優子
へー
岡澤陽子
ドイツすごいなって思った企業が
所親宏
へー
田中優子
なるほどね
知らない本人も知らない
在住者も知らない
所親宏
いや僕最近だからベルリンに僕同じ会社にいたし
あと子育てとかコロナとかあったりしたんで
田中優子
うん
所親宏
だから慣れてくるまでにもちょっと時間かかったから
やっぱ3,4年くらいもう疲れてたから
だからあんまりだからそんなに
外見れてなくて
次のだから2,3年くらいが僕はもうちょっと
まだ土地勘ないんですよだからそのベルリンのスタートアップの
田中優子
なるほどね
所親宏
これが僕の次ですね
田中優子
じゃあちょっと次回
はいはい
そういうベルリンでの子育てとか
あとそのコミュニティもうちょっとその仕事も
あと日本との比較とかも聞きたい
日本のスタートアップのでも働いてたわけじゃない
東京でね
所親宏
そうですね
田中優子
でなんかそれとそのじゃあドイツって何が違うのとか
そんな話も聞きたいなと思うので
次回それを
所親宏
わかりましたできる範囲で
田中優子
毎回言うって言ったんで
そうそうそう
番組をねフォローしてください
ぜひお気に入りしていただければと思います