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スピーカー 1
それを録音とかもチョロチョロやってたんですよね。
ずっとスタジオとかでやったりとかしてたし、
だからより面白い音源とか、音に対する広がりとかっていう意味で、
そういう科学的な視点で音を研究するっていうのがすごく大事だと思ったので、
別にエンジニアになりたいっていうわけでもないし、
エンジニアをやってたけど、普通にお金をもらってやってるけど、
それをずっと続けていきたいっていうわけではなく、単純に興味として、
しかも今自分が仕事としてやっていることが深まるしついでに、
だからいいんじゃないかなって思ってやってみて、
そうするともともと映画とかも好きだったから、
音響フォレイとかやるんですね。
音響フォレイとは?
例えば人を斬るっていうシーンがあるじゃないですか、サムライの人が斬る。
スピーカー 2
その時にキャベツを切ってたりとか、交換音ですね。
スピーカー 1
ああいう差し替えの音、本当に霊をやってる音じゃないけど、
そういうものを表現する交調音みたいな、交換音みたいな、
そういうのをフォレイって言うんですけど、
フォレイアーティストっていう人たちもいるんですよ。
宮崎駿さんの作品とかやってるんですよ。
そういうのをやる機会があって、
それでそれがすごい面白かったから、
映像と音って確かにあるなっていうのと、
その時に教授が映像だけ見せたんですよ。
音がない映像だけの状態ってこうだよって、
その後に音を足して、セリフとか環境音とか、交換音とかってなった時に、
情報量がこれだけ違うんだよっていうのを見せられて、
確かになって、
あとテレビ、主婦の人とかが料理をしながらテレビの音を聞くとかってあるじゃないですか、
だから音ってすごい情報量なんだよなって、
でも映像ってすごい刺激的。
だから今、映像に疲れた人がラジオに行くっていう流れがあるじゃないですか、
音の情報ってすごく多いけど、
でもどれだけ刺激的かっていうと、映像よりは刺激は少ないし、
洗脳されにくいという状態なのかなって思って、
そしたらやっぱり映像のこともちゃんと学ばないと、
ここら辺の解釈がフワッとしてるなみたいな感じで思って、
で、もともと映画好きだしっていうのと、
あと舞台がすごく一番好きなんですけど、
なんかそういう人が動いたりとか風景が動いたりとか、
そういう図面画面とかで表す表現っていうのに、
そこで改めて認知して、意識的にそれをちょっと理解していこうという気持ちはそこで芽生えてっていう感じですね。
映画のフォレイの授業があって、そこでフワッて思って、
で、次ちょっと映像を学ぼうっていうので、そこで決めて。
で、そこまで終わって、その次じゃあ映像でやろうっていうので、
で、その時にはもうVRとかがあったんですよね。
で、やっぱり新しい技術っていうのは面白いし、これからのもの。
で、特に自分はミックストーリーあるいはMRと、あと拡張現実、ARとかすごい好きなので、
そっち系の面白さ、なんかこう、実際のこの空間に映像がどんどん拡張されて足されていくみたいな価値観がすごい面白いなと思ったから、
そっち系をやろうということで、とりあえず手始めにまずVR、空間認識やったりとかスキャンとかそういうのを学ばなきゃと思って、
で、VRの映像制作っていうのは始めてっていう流れでしたね。
で、そうすると普通の映画もその間に撮ったりとかするんですけど、
スクリーンで見ますっていう映像の作り方と、
例えばゴーグルをはめて360度でこう動いて見渡しますっていう映像の作り方がかなり違うっていうのがあって、
あと求められている要素もかなり違う。
VRだと双方向、お互いにやりとりできるっていう要素が発生して初めてある意味VRじゃない?みたいな。
360度の映像を撮って、それをゴーグルパッとつけさせてただ眺めてるだけだったら、それはVRと呼べるのか?
360度映像なんじゃない?みたいな議論とかもあって。
なので初めてやりとりができて、そこで何かが変わるってことが起きたときに、それは360度のVR映像になるとか、拡張現実になる。
だからそういう設定をまずできるようにするとかってなるとプログラミングとかになるので、
もともと興味があったからそういうのはちょこちょこやってたので、自分で。
それも組み合わせつつっていう感じで、映像制作を他の監督さんとか、監督志望の子たちとかいろいろいるので、そういう子たちと一緒になって、そういう作品を作るとかってことをやってて。
そのときに音響を映像ってなったときに、自分が結構、お前音響できるじゃんとか、カメラできるじゃんみたいな感じで撮ったみたいな感じになるんですよ、グループワークとかなるときに。
でもそうかと思って、音響ができるっていうのって、音響をやらされちゃうんだよなって。
そうしたらずっと音響ばっかりやってることになっちゃうなって。
なんかその映像とかカメラとかも撮ってたから、カメラマンか音響監督。
スピーカー 1
これって自分の表現っていうよりも、体現に近いっていうのかな、モデルさんみたいな位置につけたと思うんですよね。
モデルさんってある種、ウォーキングで表現とかもいろいろすると思うけど、どっちかっていうと体現。
だから誰かに求められたそれを表すっていう、カメラとか音響とかもそうだなと思って。
表現をしたりっていう視点が自分の中にそれまであんまりなかったかなって。
音楽もやっぱり頼まれて作ってる部分とかも多かったし、これがウケるんじゃないかとか、これはお金になりやすいとかもあったから。
じゃあ音楽でやりたいか表現をとか、映像制作で表現やりたいのかって言ったら、舞台を見に行くのは好きだけど、じゃあ舞台作りたいかなってなったときに、
なんかその立場になるのは、なんかあんまり好きじゃないなって。
舞台監督とか、ディレクションをするっていうのがちょっとしんどいなって思って。
だけど、なんか自分が1から100というか、初心観というか、全部自分でやりましたっていうことを一回やってみたいって思ったときに、
なんかこのテキスタイルで作って、表現して、複字で、それで最後ショーまでやって、モデルさんに演じてもらうっていう、
そこまでだったら自分で全部完結してできるかもっていう、規模感的に。
やりたい内容とも合致してるっていうので、それでテキスタイルに繋がったっていうのがあるんですよ。
で、自分は音響をやってるし、映像制作もやってるから、それに関して、絶対音響の映像は必要だよなと。
エッセンシャルじゃないですか、無音で演じてもらうってことも演出として全然いいと思うんだけど、
どっかでやっぱり音つけなきゃとか、SNSとかに投稿するとき一つ撮っても、その映像であったりとかを制作、自分で撮っとかなきゃとかってあるから、
そういうときにやってたことってめちゃくちゃ生きる。今までのこと全部生かせるし、
で、しかもそれを人にある程度は頼まなくて済む。
自分でできるから。
で、そうすると自分がどうしたいのかっていう、どういう画角で撮りたくて、どういう音色が欲しくてとかっていうので決めていけるし、
音源とかも自分で、例えばこのアーティストさんのこの曲が好きで、このときこの音ってのはこういう繰り返しで、こういう構成だから、ここでこういう動きをさせたらこういうふうに見えるとかっていうのが自分の中でやってたから、わかるからっていうので、
なんかすごくこうメリットになった状態で、で、しかも科学的なこととかが興味があるから、布の加工っていう方だったらもうがっつりそれだなと思って。
で、デザイナーになりたいわけじゃない。
デザイナーは仕事だから、なんていうか仕事も大事なんだけど、それは誰かが求めているものを形にしていく。
スピーカー 2
それはある程度生産として、これで効率的にご飯を食べていくっていうことを目指すときにその要素は必要だから、できるように獲得はしとく技術として、それは大事、効率的にお金を稼ぐためにこれでっていう。
スピーカー 1
だけど、それはそのお金づくりのために、自分の活動を続けていくための資金づくりはそれで賄って、で、活動自体でやりたいことっていうのはこっちだから、表現のほうだから、
それをこういう形でやるっていうので、今の状態になっています。
だから生産もやるけど、でも表現がしたいのが基本だから、基本的には表現のほうで研究をする。
研究が好きなので、もともとずっとなんかそうやってやってきたから、
だからそういう何かを知って落とし込んでアウトプットするってことはやっぱり自分の中で自然の行為であって、
それにプラス科学的な要素が好き、映画が好き、舞台が好き、面白い。
で、そこで表現をするっていうのを考えたときに、この形が一番合うなって思って。
スピーカー 2
それは何かきっかけがあったんですか?
テキスタイルがこれまで学んできたものを総合的に表現するに、
スピーカー 1
あるいは研究も含めて表現するのに一番いいっていうのに気づかれたっていうか、出会ったというか、何かきっかけはあったんですか?
スピーカー 2
なんか結構周りの人たちから、いつもすごい素敵なものを着てるねとか、
スピーカー 1
あまりそんな意識してたわけじゃなくて、別にファッションがすごい好きと思ったこともなくて。
だけど、いろんな人が例えば服をくれるっていう機会があったりとか、
うちの母がこれ似合うと思うわって言って、
スピーカー 1
どっちかっていうとうちの母の方が全然ファッション好きだと思うんですけど、
それぐらいの服を買って着てくれたりとかっていうこともあって、
それで聞いたりとかしてる中で自分でも、
そういえばこの服とこの服って組み合わせたらどうなんだろうみたいな、興味があったりとかして、
っていう風にしてたら、すごくいつもおしゃれだよねとか、綺麗だよねとか、ファッション好きなの?みたいに言われるようになって、
小さい時から言われてて、別に好きじゃないのになんでそんなこと言ってくるんや?っていうのがちょっと不思議で、
じゃあ一回ファッションって何なのかっていうのを、ちゃんと自分の中で整備した方がいいかもしれないみたいな、
考えてみて、工場見学といろんなとこ行ってみて、
別にファッション自分好きってわけじゃないし、そもそも人の顔もわかんないわけだから、
用紙に対しての執着ってそんなにそもそもあんまりないかって気づいて、
でもじゃあなんでこれとこれは面白いんじゃないかとか美しく見えるとか楽しいって感覚があるのかって言ったら、
なんかこう作品みたいな意味合いが強いなと思ったんですよね。
生産されてる生産品なんだけど、だけどある意味作品でもある、そのバランスがいいなって。
で、じゃあそこをどこで判断してるの?って思ったら、
例えばこのスカートとかでも、このフロッキープリントがいいんだよなっていう、
このメッシュ地、こんなにぼこぼこ穴が開いたところにこの毛を植えるこの技術、これが面白いんだよねっていう、
なんかそこをだなと思って。
ってことはやっぱり布って、なんでじゃあ布に惹かれるの?って言ったら、
科学的な背景とか、物の成り立ち、仕組み、これを理解した上でやってる人たち、
この人たちに私は興味があるっていうことが分かってる。
だからデザインをしたいとか、デザイナーとかっていうことではない。
この仕組みを理解して、この人たちに会いたいし、話を聞きたいってなった時に、
職人さんというかその産地で働いてて、で、技術とかにちゃんと明るい人たち、
スピーカー 1
ただただ手を動かしてるだけではない、自分たちで考え抜いて、これがいいんだって信じて、
こういう生産につなげてるその人たちと話がしたり、みたいな。
なるほど。
そこが広がり、自分のこれからのまた広がりに繋がってくるかなって気がしたから、
なんかそういう広げていくみたいなことなのかなと思って、知識とか自分の好奇心ってものを。
だからテキスタイルなのかなっていうのをすごい思ったんですよね。
スピーカー 2
このテキスタイル、今活動曲は日本ですか、メインは。
スピーカー 1
メインが日本で、ちょうどコロナになりました、世界中がこうなってなった時に、
アジア人差別とかちょっとまた激化しそうだなと思って、
一旦ちょっと日本に帰って様子を見てみようと思ったんですよね、イギリスに行った時に。
で、帰ってみて、そしたらその産地とかもいろいろあるけど、
縮小かなのとかって言われて、プロダクト作りとかもすごく弱くなってきてるみたいな感じだったので、
なんかいろいろこうファッションとかって何なんだろうとか面白そうだなとか、
ちょうど考えてた時にそんなだったから、
とりあえずちょっとどういう状況になってるのかっていうのを見てみようみたいな。
その時に一番効率的に、しかも家からもある程度近い距離で、
っていうのがそこの副職学があって、
とりあえずここを足掛かりというか、真口にして、
そしたら交流しやすくなる、直でやりとりしやすくなるだろうなって。
施設は学校の中に全部管理されてるから、
そこで生産とかもできるしっていうのが一番効率的だなと思ったので、
そこにとりあえず入って、出入りするようにして、
そこからもほとんど産地に行くみたいな感じでしたね、ずっと。
毎週とか、結構通ったな。
月一ぐらい最低でも必ずどこかちゃんと行く感じにして、
生産の話とか、どういうものがここの産地だと、
こういうものとか、もう得意としてるんですけど、
こういうものは作れますかみたいな、自分で決めてって、まず産地に行く時に。
そこの業者さんがどういうものを作ってるかっていうのをちゃんと下調べしておいて、
この業者さんにはこういうものを作ってみて欲しいんだけど、
これは可能ですかっていうことも聞けるように行ったらっていう状態にして、
それで行って、こういうのだったらいいよとか、これはちょっともうちょっと相談しようかとか、
これはとりあえず図案を送ってもらって、それからこっちで判断してみるねとかって、それぞれ違うから、
それでやり取りをしながらっていう感じで、
で、その時に生産が大量生産、大量ロットンみたいな、
いっぱい作っていっぱい出すっていう形じゃないと、なかなかちょっと工場の規模感的に対応できないよっていうところは、
そんなにいっぱい物って自分は欲しくないし、作りたくないから、
そういうやり方でご飯食べるためにっていうのはちょっとやめとこうと思う。
ちょっと合わなすぎて、たぶん後々苦しくなるし、
で、無理してると興味を失って、つまらなくなってやめちゃうだろうからっていうので、
規模感がちょうどいいところ、少なすぎず多すぎず生産できるところ、
あとは一点物とかの対応もできるところっていうふうにどんどんちょっと絞っていくっていう形にして、
で、そういうところは自分の作品を頼むっていう形でお頼みして、
で、また生産で布を作るっていう時は、
そういう生産を得意としているところに別注でまた頼むっていう感じに、
スピーカー 2
なんかちょっと分けて、どんどんやり取りして考えてっていうふうにやってるっていう感じです。
スピーカー 2
なんか、何だろう、日本の、それこそ産業的な話をしたらさ、
学校で習った日本の製品産業の比率がどんどん縮小していくイメージの中で、
それこそ少量に対応できる工房とか生産者さんとかって、
ぶっちゃけ彼らも食べていかないといけない中で、
食べていけるのかとか、で、食べていけなくて畳んじゃってみたいなので、
なんかどんどん少なくなってるイメージが勝手にあるんですけど、
けど、例えばそのお付き合いされるというか、
方たちっていうのは、でもそういう中でも、
スピーカー 1
きちんとこう販路とか技術とかを持ってビジネスをちゃんとされている方たちっていうことですか?
いろいろですね、その工場さんが、例えば家族経営規模とかの本当にちっちゃい工場さんとかだと、
辞めるに辞められないとか、辞めるにもお金がかかるじゃないですか。
で、結構もう働くだけ働いてるけど、すごく昔から稼げてたわけじゃないしっていうので、
辞め時を失っちゃってる工場さんとかも結構あったりとかする。
そうすると辞めるために、じゃあ工場を辞めたってなったら、そのままにしておくわけにもいかない。
土地だけ持っててもまた税金取られちゃったりとかする。
じゃあさらちに戻さないといけないのかってなった時に、
じゃあここ何千万でさらちに戻せんの?土壌汚染とか大丈夫?とかってなっていくんですよ。
でなったら辞めるに辞められなくない?っていう現実がある。
各地方の産地の本当にちっちゃい規模の工場さんとかでめちゃくちゃ頻発してて、
そういうところはどうしようもないどうしようっていう状態だから、
それだったらちょっとでも生産してプラスに持っていくとか、
せめて辞められるだけの金額、ちょっとお金をどうにか訓練するとか、
何かしらもそういうふうな形でしていかないといけないからっていうので、
それでとりあえず生産をするっていうところもあるし、
あとはそういう本当にちっちゃい会社だったとしても、
今まで山ほどサンプルを取ってきて、情報量とか知識量とかめちゃくちゃある。
それが必ず売上げにつながってきたわけではないけど、
なんとかその日その日その月で売上げを補填していって、
スピーカー 2
もう100%赤字です、もうひどい状態ですみたいなことではないし、
スピーカー 1
なんとか細々とでもやっていけてる。首の皮一枚みたいな。
それでもここで働きたいんだとか、情熱を持ってやってるっていう人たちいるからそこはなんとか成立してるみたいな。
ところとかだったら、そういうちょっと大きめの案件とか、
いってものを作るんだけど、費用的に結構バーンて出す。
で、バーンて有名なところで飾ってくれるみたいな。
そういう案件とかもあるので、そういうのを持って行ったりとかすると、
あ、いいねっていう。うちのポートフォリオにも載せられるから、
スピーカー 2
お互いにいいねっていうバランスを見つけて、そういう生産をしてもらうとか。
そうなんですよ、私の場合、他の方の展示、アーティストさん。
スピーカー 1
例えば今だと書道の先生、お知り合いの方でいらっしゃるんですけど、
その先生がちょっと大きい展示場に作品を飾るという時に、
自分の書いた書をプリントで表現して、
またちょっとそれが普通のプリントっていうよりもちょっと変わった素材感のプリントだったりするんですけど、
それで入口のところに一番目立つように、
外から窓越しに見ても分かるように飾ってほしい。
それをこういうちょっと変わった並べ方で飾ってほしいんだ、みたいなことを言われたので、
それを今やってるんですけど、工場さんと。
それはみんなが知っているようなギャラリーに展示されるという状態なので、
じゃあこのプリント誰が、どこに頼んだんですかっていった時にそこの工場さんの名前出すとかってなったら、
それもプラスになっていく、また仕事につながっていくっていう感じなので、
そういう案件とかも自分はやったりするので、
服とか布の生産だけじゃなくて作品作りとか、
そこからそのアーティストさんとかを通して広まっていく、
新たな顧客を獲得であったりとかっていう形のものをするので、
スピーカー 2
そうするとお互いにそこでいいねってなって生産をしてもらう、みたいな。
スピーカー 1
しかもその時にやった案件とか技法っていうのは、
やっぱり変わったものを作ってほしいっていう依頼になるから、
今までこういうのやったことないよねっていうものを存分に発揮できてるとかするんですよね。
そうすると向こう側としてもアーカイブとして取っておける。
この時こういう生産して、こういう加工はこれでできるんですよ。
だから他の人とかに提案する時に、この時にこういうのを作って、こういうのができたんでって言って、
実際にデータとして見せて納得してもらったら、それが新たな生産につながるとかっていう形になるので、
そういうちょっと特殊な加工をする機会とかも提案できたりとかっていうのはありますね。
スピーカー 2
それがお互いにプラスになっていけば、そういうふうにお仕事として頼める。
そういう工場とか生産者さんとつながるのは、誰かの紹介とかそういうものなんですか?
それともご自分でここ面白そうだなと思ったら連絡したりとかもあるんですか?
スピーカー 1
自分で調べて連絡することもあるし、それこそ職学校が組んだツアー、
産地巡りツアーみたいなところから始まってるっていう縁もあれば、
あとはその産地に行って、その産地の人から話を聞いたりとか、その人の友達っていう形で、
また他の産地に行って話を聞いたりっていう縁もある。
あとSNSをやってると、布のことを発信したりとかしてると、
スピーカー 2
もちろんでもネットでお話いただいたみたいに、やっぱりその作品を作るための活動資金としてのお仕事の柱もきっとあるんだと思うんですよね。
だからそこは何か割とビジネスマインドでやられてるところもあるのかなと思いつつ、でも何か面白いね。
たぶん初めて、私いろんな人のキャリアヒストリーとか、そのライフからキャリアに向かってとか、出会って、今はこれをやっててっていうのを聞いたりもするんですけど、
なんか初めて聞く流れの感じがして、でもすごく、何て言うのかな、何で初めて聞く感じなのかな。
普通の人が頑張って1個、2個、2個、3個ぐらい身につく技術をものすごい早いタイミングから、どんどん自分のものにされている中で、すごい拡張していってる感じがする。
その拡張したものの、その要素をシフトしていくんじゃなくて、全部盛りっていうか、全部使い合わせて表現できるもの、しかも好きなもの、興味があるものっていうのでのテキスタイルっていうのがまた面白いなっていう。
なんかね、出発点はすごく感覚的なものから来てるのかもしれないし、もしくは別に好きだったわけでもないけど、なんかできちゃったみたいなところからスタートしてるんだけど、でも想像以上にすごく、すごい内省する方なんだなと思ったんですけど、
結局そのテキスタイルに落ち着いたファッションとか、そこに行ったのは、服が好きだったからでもないし、
でもそのファッションを褒められることが多かった。それはなんでなんだろう?
そういう内省がものすごく重ねられて、それ以外に自分がやってきたこととの関係にも折りなしていって、そこにたどり着く、すごく旅する感じがすごくあるなと。
だからご自身としては、すごく必然的に今の形になってるんだろうなと思うんですけど、出発点では全くそこにたどり着くとも思わないし、周りの人から聞いても、たぶんこの話聞いても、なんでテキスタイルなのかなって、
でもご自分の中ではすごくロジックがつながってるんだなぁと思ったし、きっとそうなんだろうって思ったんだけど、
今ゆう子ちゃんが言ったみたいに、一つ一つすごく考えてらっしゃって、自分の中に落とし込んでるというか、
例えば音楽をやられる時も、自分にとっての意味というか、こういう環境だったら興味を持てるんだとか、こういう環境だったらきついなとか、すごい落とし込み方が深い感じがすごくする。
だから、割っていくっていうか、全部織りなしていく感じになっていくのかな、そんな感じがすごいするね。
旅してシフトしてるんじゃなくて、全部織り込まれて、織り込まれて、すごい服装的な感じになってる印象を受けました。
そう思います。まさにテキスタイルっぽい。いろんなものが厚みのあるものに織りなしていく感じがすごくする。
単純な要素だけじゃない感じがするし、でも本質的になんでなんだろうっていう、構造的なものだったり、普遍的なものっていうか、物理とか科学とかみたいな自然科学的なものに、
普遍なものに答えというか、自分自身のなんで自分がこう思うのかとか、なぜ私はこのように動いたのかも、
自然の節理的なところに、自然法則みたいなところに回帰しようとしている感じがするというか、すごいイメージの話ですけど、そういう印象を受けたんですよね。
私もそれを受けました。すごい自然の節理に真摯に向き合おうとされているというか、
あんまり理解している、理解されていない、あんまり言語化することがそんなに、そういうふうに簡単に説明したくない、説明されたくないみたいにおっしゃってる一方で、
すごく言語化に捉えされている感じもするし、理由が説明できること、それが完全に言語で説明されるかって言ったら、言語じゃないかもしれないんだけど、
でも、そうなんじゃない?だからその表現がテキスタイルだったり、言語の限界ってあるじゃん。
そうね、それを超えるものなのかもね。だから表現になっているのかもね。
すいません、勝手に我々回答。
私の感覚、そう、そういう解釈というか、受けた印象として、
なんか一個一個がすごく普遍な自然法則的な、一個一個シーンみたいなものを集めていくんだけど、
スピーカー 2
でも最終的に出来上がるものは、なかなか言葉とかでは説明できない。
でも世の中ってそうな感じがするっていうか、
たくさんいろんな真実が、真理があるんだけど、
でも結局はよくわからないものっていう、でもなんか素敵とか、
でもその両方を行ったり来たりしながら、表現というか創作活動されてるんだなと思うし、
それのいちいちに才能があっちゃうっていうか、できちゃうみたいなのも面白いなって。
でもだからお母さんが、でもね、今こうやっていろいろお話をしてくださったけど、
子供の時はほとんどずーっと考えてるけど、話さなかったって言ってる感じも、
それもすごいよく、わかんない、理解してもらえる気がしなかったのかもしれないし、
スピーカー 1
突然話し始めたみたいな、言われたんです。
言葉があんまり何も言わないし、小っちゃい時から寝てばっかりみたいな感じで、
スピーカー 2
言葉の話し始めみたいな、パパ、ママみたいな、突然話し始めて、
スピーカー 1
周りの言葉とかいろいろ聞いて学んで、中に入れて、それからアウトプットっていうのが、
小っちゃい頃からそういう仕組みなのかなって思うんですよ、自分の中で。
どうなんだろう、自分で自分のことは、この感覚でしか生きられないから、
普通というか、これがスタンダードなんだけど、
他の人からすると、きっと違う風に見える。
他の人自分が見た時も、その人が思ってるスタンダードとは全く違う姿で見えてる。
自分にとって、都合のいい解釈で人を解釈してるって自分のことを思ってる。
それはきっと人もそうなんだろうな、自分が見てきたものとか、
分かってきたもの、分かったと思ってるものに当てはめてみようとするじゃないですか、結局。
それじゃないと言語化が難しいっていうのがある。
言語を嫌う人っていうのもすごく多いのが分かるけど、
特にアーティストの人とかって、言葉で説明したら軽くなっちゃった気がするよね。
だけど、人と人が通じ合うって全然簡単なことじゃないって自分は思うから、
言葉を尽くして尽くして、尽くしても多分無理だっていう時に、
それでも言葉を諦めないで紡ぐしか、
きっとその人と繋がるっていうのは難しい。
それをずっとやっていくと、言葉じゃないところで繋がれるって気がする瞬間がある。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
繋がってんのかなって思うから、こっちが良くてこっちがダメとかっていう話じゃそもそもないから、
とりあえず全部なんとかやって入れ込みまくって、
それがアウトプットとしてどっかで紛失したその瞬間を見逃さないようにするみたいな、
それの繰り返しだから、大事な人とかになるべく伝わるように言葉を尽くせる自分で入れた。
だけどそれも限界があるから、その時に言葉じゃない、
スピーカー 2
例えばこのテキサルでもいいけど、何かで伝えられる術を持ってたらいい。
スピーカー 1
っていう多重というか多層の構造で自分の表現があると。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
いろんな人に話ができるのかなっていう感じがする。
言葉で話すとか物で話すとか。
なんか全然できないなって思うからこそ、
なんとかならないかなと思ってやるみたいな感じな気がします。
本が読めたら別本に読んで終わりでいい。
読めるからこそ読まない人もいっぱいいる。
それはなんかいいなと思うんですよね。
でも自分は読めないからこそ読もうとするみたいな性格。
なんか知りたいなと思う。
なんて書いてあったのこれみたいな感じで。
だからそういう性格なのかなっていう感じがします。
別に誰にそれを強制されたわけでも求められたわけでもないのかもしれない。
考えてみると。
だけどそういう性質があって、
それが生まれてから今まで関わってきた人たちとか物事とかに影響しあって、
今この流れになってるっていう感じですかね。
だからよくわかんない。
スピーカー 2
いやいや、でも非常に面白い。
何か、最終的なものが何なのかとかわからないけど、
理解、何らかの形で分かち合いたいみたいな、
遠征的にね、どうせわからないから、
わかる人にだけわかればいいとか、
あるいは私のことなんて誰もわからないとかってなっちゃう人もいるのかなっていう気もするし、
場合によっては、
それが不思議なところで、
アーティストの方とかで自分を表現する割に、
本当の自分のことなんて誰もわからないんだって閉じこもっちゃう人もいるかもしれないけど、
でもなんか、
たぶんすごいいろんな困難さとか、
文字であれ、音であれ、
いろんなものの限界を感じながらも、
そのもどかしさを何らかの形で乗り越えようとする、
何らか分かち合おうとする切実さみたいなものも、
感じるところはあるし、
スピーカー 1
それを、あとね、
スピーカー 2
淀みがないなとも思ったんです。
なんかわかんないけど、
すごく今お話ししたことが、
わかんないけど、人生の順度、
わかんないんだけど、
何に触れても、
何と出会っても、
結構自分の今おっしゃった創作だったりっていうところに、
全部落とし込まれていく、
人生の全部がそこに関わっている、
生活の全部が関わっているようにちょっと感じられたんですけど、
それはそんなことはないかもしれないけど、
なんかそういう純粋さと言いますか、
切実さと言いますか、
そんなに重い感じではないけど、
でもなんかそんな感じもした。
そうね、なんか多分、
一本目かな、出さないとみたいな話もあったと思うんだけれども、
排泄に近いみたいな話もあったかもしれないです。
淀んでない感じはわかる?
流れてる?
確かにね。
常に流れてるっていうか、
でもそれはなんか本当に血が循環するとか、
そういうのと同じような感じの、
自然の節理に近いぐらいで、
消化させていくっていうか、
消化させて出していってっていうのを繰り返していくことが、
なんだろう、生き物としてやる感じの。
そうだよね、そうだと思う。
でもなんか、なかなかいない、
すごい類いまるな才能ですよね。
スピーカー 1
すごい好きだな。
なんだろうな、
多分そういう人がいたとして、
今の世の中で、金銭的にとか居住とかが安定した状態で、