ART ROOMへようこそ。この番組は、アートが好きで、作家さんを応援したいという気持ちから、展覧会情報や作家情報、作品の情報などをお届けしている、DE アートの活動の一つとして始めました。
今回は、神代かつらの彫刻について、最終の回になります。 ただいま開催中の小田原もあ展、芽吹くは、本日3月30日が最終日になります。
1時から2時半まで、作家がそれぞれ作品について語るアーティストトークもありますので、お近くの方はぜひお越しください。
予約は不要で、無料でご覧いただけます。 場所は皆春荘、山縣有朋別邸です。
小田原もあ展が終わってからも、こちらの作品は見れる機会がありますので、朝比奈賢さんの個展、4月30日から5月12日に、小田原ダイナシティウエスト4階ギャラリーNEW新九郎で開催されます。
そちらでぜひご覧いただきたいと思います。 では本編へどうぞ。
絵を描くほうが疲れるって言ってたんだっけ? そうですね。
思考と筆がダイレクトだから。 はい、なので思考と筆が直接繋がっちゃってるから、
ほとんどその描くことと思考が、 絶え間なく頭使わなきゃいけないような感じが僕はするんですよね。
だけど彫刻の場合は、一箇所やるのにもいろんな機械で、いろんな工程で少しずつ進んでいくから、そんなに思考しなくていいっていうのかな。
ちょっと語弊あるかもしれないけど。 作業工程が多いので、体の快感が上回ってる感じがするんですよね。
思考より手が動いてるっていうか。 そういう要素の方が大きいんじゃないかなとは思います。
楽しみだな、これ見るの。
ぜひぜひご覧いただきたいですね。
もあ展はまた山縣有朋邸っていう、普通の展示場所じゃないから。 山縣有朋の別邸になるのかな。
和風建築なんですかね。 そうですそうです。
なんか生えそうですね、木の作品。 結構、縁側に置くのか畳の部屋に置くのかどっちかだと思うんですけど。
楽しみですね。ちょっとやっぱり自然光が当たって欲しいなっていうのはあるんで。
露木さんは楽しみでしょうね。 ああ、露木さんね、あの木材がこんなになったのっていうふうに、ちょっと思っていただきたいかな。
きっとね、寄せ木細工で使えるなら使いたいって思ってるような素材ですもんね。 いやそうですよ、本当に。
すごく貴重な木だと思うので。 この貴重な木を仕上げた感想っていうのはどういう感じですか。
仕上げた感想か。 この作品のタイトルは
神代の漢字の真ん中にのって入れて、『神の代』っていう風にしたんです。 なんだろうなぁ、やっぱり
自分の中では この1000年以上っていう時の流れへの
敬意というか尊敬の念というか 悠久の時に対する
恐れの気持ちって言ったらいいのかな そういうものを
自分なりに表現できたらなっていうのがあったので
最初から最後まで本当に手を抜かずに ちょっとやっちゃったなっていう削り落としちゃったなっていう場面もそういうの工夫を凝らし
ながら修正を加えてなんとか最後の最後まで 磨き上げまでやりきったっていうことで
その日に体調がクーンと崩しちゃったんですよね。 安心しちゃって。 そうなんだ、完成した日に。
なのでやっぱり気を張ってずっとこの作品に対して これが仕上がるまではみたいなのが
無意識の中にはひょっとしたらあったのかなっていうのがあって その後2日3日寝込んじゃったんで
自分としてはね、その木に対する思いっていうのは 成し遂げたのかなっていう感じがしています。
いや感想を聞けてよかった。 いやー今改めて見てどうですかこの姿を見て作品の。
そうですねー ちょっと今これ以上に技術的にも体力的にもこれ以上のことはできないっていうことを
今回この彫刻に関してはやれたので すごく深く満足しています。
いいですねー。
なんて言ったらいいのかな。深い満足ってすごく大事で それっていうのは
目標を定めちゃうと ひょっとしたら出てこないのかもしれないですね。
うまく説明できないんだけど何々に向かってやろうっていうんじゃなかったんですよね。
やれることをやり尽くそうっていう感じだったんですよね。
それが例えばビジネスの世界で言えば過剰品質って言ったらいいのかな。
販売価格に対する労力がかかりすぎてるっていうような状態で そういうことやってると回っていかないというか成り立たないことになっちゃうんだけど
彫刻とかね絵に関してはどっちかというとその神のよっていう名前をつけたけれど
僕の場合はその芸術の神様がいるとしたら そこに奉仕するって言ったらいいのかな。
捧げるって言ったらいいのかな。
そういう気持ちで臨んでるんで 全身全霊でやれたっていうのはあります。
そこに関して宮大工さんの言い伝えを僕は大事に思っていて
宮大工さんが住宅は作るなっていうふうな言い伝えがあるらしいですね。
それはじゃあなんでかっていうことなんですけど
なんでもかんでも宮大工さんで技術が超一級にあるんだから
住宅だろうが何だろうが作ればいいじゃんって思うんだけど
それをするなって言い伝えがあるっていうのはどういうことかっていうと
住宅を作った時に対価が払われるじゃないですか
それが腕を鈍らせるって言うんですよ
人間対価が生まれた時にそこまでしかやらなくなっちゃうっていう考え方らしいんですね
ちょっと資本主義の経済の中に生きてる我々にとっては
ちょっとなんだろうその考え方はっていうようなところはあるんですけれど
宮大工が捧げてる先は仏様なわけですよ
だから食えない時は宮大工になる前に畑を学べって言われていて
食えない時は畑で耕して植物を作って植えをしのぎなさいっていうことらしいんですね
要は何か人間に対して対価がある時に
それ以上のパフォーマンスができるかどうかっていう問題が出てくるみたいなんですよ
そこのパフォーマンスを最大限に上げるには
やっぱり何か対価っていうものを考えてたらちょっとそこで留まってしまうんですね
だからある意味ちょっとした狂気、狂った気持ちですよね
ちょっと狂気に近いものを持ってないとそこまでいけないのかなっていうことを最近感じます
集中して作業をやればやるほど
僕の場合自営業っていうかクラスの運営とかそういうのがあるんだけど
真面目に制作に打ち込めば打ち込むほど過剰品質のものをやればやるほど
この彫刻1個作ったってお金に換算したらいくらになるかはもう分からないぐらい
全然対価としてはそんな生まれないと思うんだけど
それに膨大な時間をかけていっちゃうと生活の方がね
どんどんどんどん削られていって圧迫されちゃうようなところがあって
それを分かっていながら制作に時間をかけるっていうことの
何て言ったらいいのかな自分どうにかしちゃったのかなみたいなぐらい心配になるし
さっき5時間が5分ぐらいに過ぎちゃうっていう風な夢中に時間を過ごせるっていうのは
人生の中で本当に最も素晴らしい時間の過ごし方かなって最近すごく思うんだけど
それが本当に純粋なそれだけの喜びかって言ったら
やっぱりなりわいである暮らす運営とかそういうことはやっぱり頭のどっかにあるわけだし
それがなんかちらつくこととそっちが圧迫されてって生活が成り立たなくなっちゃうのかもしれないみたいなことの
恐怖心もやっぱり潜んでたりしてそれがスパイスになってるのか
分かんないんだけど生きてく力がそこから生まれて喜びがより膨らんでるのかも分かんないんだけど
単純に純粋な喜びだけっていうことではないんですよね
そうとして常に生活っていうのはかつかつと皆さんそうでしょうけど
特に自営業っていうのは固定でお給料入ってくるわけじゃないから
どうしてもこういう政策に時間をかけてしまうってことはリスクになっちゃうんだけど
芸術の神様に捧げる時間のようなものはやっぱり必要だろうし
そういうところの暮らしと政策の葛藤って言ったらいいのかな
うまく単純には言えないような喜びと恐怖心と
それは狂気がないと進んでいけないような道なのかもしれないし
そういうのがちょっと入り混じってますよね
秋の宮大工のと通じるものがありますね
そうですね本当は畑やってしのげみたいな心がけというか覚悟がないとやれないのかな
制作過程はyoutubeの動画で見ることができます
写真はブログに掲載していますのでぜひご覧ください
ではこれで終わります最後まで聞いていただきありがとうございました
作品とのいい出会いを