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第123回『価値観は人それぞれ!自分のキャリアの変遷、意識の変化を語ろう!(後編)』というテーマで株式会社エービーエフキャピタルのメンバーが多角的な視点で語ります。


【ハイライト】

・自分のキャリアの変遷を語る(宮田/中野/伊達)

・『目の前の人に直接価値を届ける仕事をしたい!』

・『どこかで守ってもらうより自分で生き抜けるスキルを!』

・『自分が生きてるうちにやりたいことをやりたい!』


~お知らせ~

株式会社エービーエフキャピタルのメンバーがそれぞれ日々気になる事、書籍、日々の悩み等何気ないテーマから、経営戦略や投資実行等の広くビジネスに生かせる話題に至るまで、戦略コンサルタント、ファイナンスプロ、データアナリストのプロフェッショナルが多角的な視点で語るトーク番組です。


パーソナリティー:

熊原 充志(株式会社 ABF Capital代表取締役)

東京大学理学部物理学科卒業後、同大学院理学系研究科物理学専攻に進学し、宇宙物理学を専攻。

新卒でBCGに入社、メーカー・ファンド・製薬・通信会社などの業界を担当。

その後アドバンテッジパートナーズに入社し、多様な領域への投資を実行。


伊達 慶明(株式会社 ABF Capital取締役)

京都大学農学部応用生命化学科卒業後、同大学院農学研究科に進学し、生命科学を専攻。

新卒でBCGに入社、通信・メディア・物流・電力・産業材など幅広い業界を担当。

一貫してビッグデータ・地図を扱った戦略の立案を行う。


中野 拓真(株式会社 ABF Capital取締役)

東京大学理学部地球惑星物理学科卒業後、同大学院理学系研究科地球惑星科学専攻に進学し、気象学を専攻。

新卒でBCGに入社、小売・エネルギー・通信会社などの業界を担当。

経営戦略の立案だけでなく、成果の創出までクライアントを幅広く支援。


蔡 亮成(株式会社 ABF Capital取締役)

東北⼤学⼯学部機械知能航空⼯学科、同⼤学院⼯学研究科に進学し、エネルギーシステムマネジメントを専攻。

新卒でBCGに入社、⼩売・通信・保険・パブリックセクター等幅広い業界のプロジェクトを担当。

事業戦略及び事業計画策定のコンサルティング、マーケティングを⽀援。


番組プロデュース:サンキャリア


カバーアート制作:小野寺玲奈


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https://note.com/dailylife_fund/


株式会社 ABF CapitalのHP

https://abf-cap.com/


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ファンドマンの日常 今日も始まりましたファンドマンの日常
ABF Capitalの代表の熊原です。 同じく取締役の伊達です。 取締役の中野です。 取締役の西です。
宮田くん、ストーリー あ、いいですか。でしたら、ちょっとこれでも話すのが難しいテーマだなって思いながら皆さんの話それぞれ
面白い話聞いてたんですけど、僕も軸二つあるって言いながらですね、僕は皆さんと違って野球少年でずっと大学まで小学校の3年生から野球続けてたんですけど、でも
西さんもおっしゃってましたけど、どっかのタイミングで、僕の小学校の選抜チームみたいなところでプレイした時だったんですけど
地元のですね、全然豊田市、僕愛知県の豊田市出身なんですが、豊田市の選抜チームみたいに出た時に
全然投げるボールも速いし、周りの人たち、打つ距離もすごいしっていうので、なんか自分がプロになるっていう絵は
なんかそこであまり描けなかったんですけど、まあアマチュアとして野球はすっごい好きだったんでずっと続けて、今もよく見てますし
EBF入った理由の一つでもあるんですよね。結構スポーツとも一緒にやってるみたいなのがすごい面白いなって思ってるんで
そこはちょっと今後何かしらやっていけたらなって思ってるんですけど、そうじゃなくて本当の自分が働く仕事はどうしようかなっていうのを
小中学校、小学校の後半ぐらいから中学校ぐらいから真剣に、真剣にって言ったらあれですけどね、なんとなく思うようになって
でもやっぱりあれなんですよね、なんか人のためになる仕事みたいなことをなんかしたいなっていうのはなんとなくあって
なので最初はお医者さんとか、そういう医療関係の仕事がいいかなっていうふうに思ってたんですが、お医者さんもいいんですけど
素晴らしい、本当に素晴らしい仕事なんですけど、なんか薬もすごく面白いなって中学校の時に思ってですね
で、それは薬1個作れば世界中の人に届けられるんじゃないかっていうのがなんかすごく面白いし、新薬もっといろんな新薬求められてるし
面白いなっていうふうに思ったのがきっかけで結構薬学に興味持って、大学も薬学部選んで勉強してたんですけど
いざこう結構ちゃんと勉強始めるとですね、皆さんはそこまで挫折はなかったかもしれないですけど、僕の場合はやっぱりもう本当に薬学部のすごい天才たちがいますし
あとはすごい種みたいなのがいっぱいあるんですよね。ただそれに対して問答としては届けるところまであんまり行ってないなっていうのがすごく課題感として当時僕感じて
つなげる仕事っていうのが、これ鞘師さんもおっしゃってましたけど、そういうことを仕事にしたいなっていうふうに思って
そういうポジションって薬学会社にもいっぱいあるんで、最初薬学会社に行こうかなと思ってたんですけど、たまたまコンサルの人が薬学の先輩にもいて
そのつながりでインターンを受けてみたいな形で、コンサルの方がより最初からそういうつなげる仕事に関われるんじゃないかっていうので
03:00
薬学会社の医療のコンサルをやりたいなって思ってVCに入ったっていうのが最初の仕事を選んだ経緯でしたね
それで結構やってたんですけど、やっぱり一番の転機は、毎回ちょっと被るんですけど家族で
結婚する前後で、僕の祖父が亡くなったりとか、あとは子供が逆に生まれたりとか、あとはシンプルに自分の両親が毎年毎年
1年ずつ年を重ねていくのを見る中で、いろんな人に価値を届けるような仕事を繋いでいくみたいな仕事をしていくっていうのも
すごく本当に価値のあることだと思うんですけど、なんか目の前の人に価値を届ける、直接的に届けられるようなことを何かしら
していきたいなっていうような思いにちょっと変わってきて、全員食事大好きなんで健康にもつながるし、とにかく心が満たされるじゃないですか
美味しい食事って、なんかそういうことができる仕事をしたいなっていうのを色々探してるときにですね、たまたま熊原さんからお声掛けいただいて
今3月からですけど入ったっていう形ですかね
素晴らしい、すごい、すげー
次どうしようかな、どっちがいいかな
だてちゃん最後に
俺は今回はちゃんと真面目な話はあって、俺はなんか自分の人生で何となく5、6年置きぐらいに大きな意思決定をして
5、6年走ってっていうのが続いてるんだけど、一番最初は小学校6年生の時に中学受験をするということで
たまたまそれまで青海大島に住んでたんだけど、父親の転勤で鹿児島の本土に上がったからそれで中学受験ができるようになったっていう話もあり
そこから中学受験して私立のところに入りましたっていうのが一つと
その後は高2の春に進路を決めるっていう話があって
よくある話かもしれんけど結構親からは医学部に行ってほしいみたいな話がある中で
医学部に行ってほしいっていうか地元に残ってほしいみたいな話があって
鹿児島に残れとか、あとは鹿児島じゃないですよ九州にみたいな話とかがあったんだけど
なんとなくちょっと医学部はないなっていうのは
ちょっと俺は医師として人の命に自信というか責任を持てないなっていうのを思って
医学部はないなって思った時に何らかちゃんとした自分のこれをやりたいから
ここにはいかずにここに行くみたいな話をしないといけないなっていうのをちゃんとその時初めて考えて
06:05
その時に思ったのが僕さっきも言ったようにもともと鹿児島で
昭和高校とか青見大島で住んでいて
青見大島、鹿児島もそうなんですけどめちゃくちゃ台風が来ますと
で後の話にもちょっとつながるんだけど
父親がインフラ関係の電力関係の仕事もしていて
インフラなので台風が来たら九州どっかに来たら
その台風に突っ飛び込んでいくみたいな仕事なんですよね
インフラがやられるのでいけないっていう話で
で僕の父親は本当に電柱に登って復旧するみたいな仕事をしてた人なんですけど
別に父親のこと全然嫌いじゃないんだけど
台風が来たら父親が一週間いなくなるっていうちょっとしたお祭り感があって
そこからなんとなく台風への親近感っていうのを持っていて
台風って面白いじゃんっていうのが一つと
僕その時当時一番得意なのが理系だったんですけど地理で
地理を活かして台風とかに関係があるようなとこないかなって思った時に
ちょうど東大に手頃な学部があったので
そこで行こうかなって思って
僕はここに行くから鹿児島にも九州にも乗っからないっていう話をして
一人で東京に出てきましたと
そうなった時にお金は出さないから自分の奨学金もらってやりなさいって
なったせいでお金がなかったみたいな話
前回の話のことにも繋がるんですけど
そういった話で東京に来ましたっていうのが
高2ぐらいの転機の時
その次が大学4年生からM1ぐらいにかけての進路を決定する時で
大学に入って結構遊びも受けてたので
あんまり将来何も考えてなかったんですけど
結構一つ大きな自分の中でターニングポイントが
東北の震災がありましたと
僕が東京にいて地元は鹿児島なので
別に東北とは全然あまり関わりはないんですけど
父親が電力関係の仕事をしてたっていうのがあって
例えばあの震災で東電がすごい大変なことになって
原発が大変なことになって
僕の父親は当時鹿児島に原発があるんですけど
原発があるところに赴任していて
そこで話を聞いてると毎週金曜日にデモがあるみたいな話を聞いて
その時に思ったのが
僕の父は高校出てその会社に入って
頑張ってやってるなっていうのを何も知らなかったけど
大学生の時におぼろげに思っていて
父ちゃん頑張ってんじゃんって思ってた矢先にそういうことが起きて
安定した企業に入って40年働くみたいなのって
もう東電とかでさえこうなるんだとすると
無理なんだなっていうのを何となく知ったっていうのが一つ
09:00
もう一つが僕台風の研究してたんで気象予報士の資格持ってるんですけど
気象予報士ってみんな聞くと
お天気お兄さんみたいなイメージを持たれると思うので
僕も気象予報士のそのお天気お兄さんのセミナーみたいなものに参加したことがあって
その時にいろいろ考えたんですけど
自分の研究って台風の目の構造の研究をしてたんですけど
30年後に人の命を救うかもしれない研究と
本当に明日傘がいるかどうかぐらいではあるけれども
明日何千万人かにちょっとだけ役に立てるかもしれない
どっちがいいかなって思った時に自分は後者だなと
そっちの方がいいなって思って
研究の道も他にもいろんな理由がありますけど
なさそうだなビジネスの世界だなと思って
さっきの最初の話も踏まえて
だったらどっかに入って守ってもらうよりは
自分でちゃんと生き抜いていけるスキルを身につけてやっていくことが
真の安定なんじゃないかなって思って
そういうスキルが身につくコンサルに入ったっていう
真面目エピソードが
そうたまには真面目なんですよ
普段面白いエピソードがね
じゃあ最後だってちゃう
一番小さい時は明確に覚えてるんだ
ウルトラマンになりたかったことがある
小学校の時は博士か大工さんか宮台神社とか
ずっと基本的には高校ぐらいまでは博士になるか宮台君になるかで
言ってたけどもこういうのもちょっと品がないけども
テスト得意だったから
大学行けるんだったら行ってた方がいいだろうっていう感じで
結構その学者側の方に
方針が切られ始めてっていう感じで
ノーベル賞に憧れてたっていうのも前回の話でもちょっとあったと思う
それもあるんだけれど
学者になろうっていうところでノーベル賞を取ろうっていうので
宮台を選んだわけなんだけども
当時自分が高校2年生の時に
IPS細胞
巨大の先生が
IPS細胞見つけてすごいってなった時に
これからバイオの時代だっていう気分がすごい高まった時期があったと思うんだけども
その時期でじゃあ自分もって思って
バイオテクノロジーっぽい学校を選んだんだけれども
これは細君がすごいなと思うのは
ちゃんと大学でどういう研究してるのかっていうのをちゃんと事前に調べて
自分は学部の名前しか見てなくて
京都大学農学部応用生命科学科っていう
いかにもすごい応用生命しちゃう学科
絶対ここだろうと思って入ったら
動物細胞を取り扱ってなくて
植物と微生物しか取り扱ってないことを入ってから知って
やりたいことできないじゃんと思ってそこから2年ぐらいちょっと
12:00
勉強に身が入らないみたいな
今の田地ちゃんからあんま想像できない
そのリサーチ力
リサーチ力実績だった
しっかり知ってよ
植物の研究
いい先生がいて矢崎先生っていう人が
授業が面白くて植物の代わりの研究面白そうだなっていうので
ちょっとだんだんそっちに身が入ったんだけども
その後で大学4年生ぐらいでちょっと知ったのが
植物でノーベル賞は取れないっていう
ノーベル賞
過去に植物系の学者でノーベル賞取ったのは1人だけで
それも結構動物細胞への応用が効く現象を見つけて
それでノーベルセリ学賞取った学者が1人いるんだけど
それだけでノーベル賞もちょっと難しい
どうしようかなっていう
そこからはでもバイオベンチャーも流行ってた時期だから
バイオベンチャーとか研究してやってみるのも面白いんじゃないかなっていうので
大学で研究を進めていく中で植物っていうものが圧倒的に不利であることを
やる中でどんどん気づいてきて
植物って1週間とかで実験の1サイクル回せたりするんだけども
場合によっては2日3日で1サイクル回せたりして
植物ってどんだけ頑張っても1サイクル実験回すのに1ヶ月かかって
しかも遺伝子組み替えが全然安定しない
微生物とかって結構原始的な生き物で遺伝子がガバガバだから
結構組み替えやすいんだけど植物って人間もそうなんだけど
変な遺伝子が入ってきたらそれを防ぐためのフィードバック機構がめちゃめちゃたくさんあって
結構ここを組み替えたからすぐこう変わるみたいなことが全然起きなくて
時間もかかるしで自分が生きてるうちにやりたいことできないかもしれないなって
だんだん思うようになってもう少しちょっと早いサイクルでも合わせて
結果も筋で見れて
しかも社会的地位だったりとか待遇というところで跳ね返ってくるようなとこないかなっていうところを見てたら
コンサル結構いいかもしれないなっていうのをちょっと見つけて
当時この間の話は終わったけどブラックストーンという本を読んだとこ
時期ともちょっと重なってこっちの方が向いてるかもしれない
って思って博士行くのをちょっと諦めて就活をして
ワビシジ入って今に至るみたいなそんな感じ
面白い
みんなそれぞれあるんですね
サマリミスだもんね
いいねって話だね
15:00
ちょっとなんかそんな前回くまはな回答してて
どんな人生だったかなって振り返ってた
今日はこんな感じで
また来週
15:16

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