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放送回:「山口・防府天満宮 人形にさよならを」(2023年4月28日)

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真夜中コンビニの駐車場で。このポッドキャストは、一つの場所72時間にわたって停電観測する邦交響放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
豊富天満宮の人形感謝祭
今回は、豊富天満宮人形にさよならをという回について扱っていきます。
場所は山口県にある豊富天満宮というのが舞台になっております。
タイトルにもあるんですけれども、今回の中心は人形です。
人形を引き取ってお祓いをする人形感謝祭というのが年に1回行われているこの天満宮を舞台に、どんな人が人形を収めに来るのかというのに密着した3日間になっております。
ということで、本田さんいかがだったでしょうか?
本当に人形に込められた思いとか思い出とかっていうのが、ものすごく詰まったものがこの天満宮に一堂に開するということで、かなりスピリチュアルというか、当然それはそうなんですけど。
人形感謝祭ということで、基本的には雛人形とか五月人形みたいなそういう節句のお祝いでお子さんとかに買ってあげるものが、お子さんとかが独立して大きくなって、ちょっと必要もなくなって、とはいえゴミで捨てるっていうことではなくて、次の人に渡ってほしいなという思いの中でこの天満宮に、王様に来るっていう感じですよね。
だからこそ当然人形に関する思い出とか思いっていうのは、ひもづいて子供であったり、逆に言うともらった子供が親に買ってもらったものとして持ってくるので、親御さんとの思いとか孫の思いっていうような形で、人と人の間に人形がいるっていうようなイメージで、
その人形を返したそれぞれの思いがここに集結して、実際雛人形とか五月人形のちょっと怖いというか、暗闇の中では怖いような和の人形たちがこの天満宮の境内に指導に返するっていう、かなり絵力のある回でもありましたよね。
だってあれじゃないですか、2日目かな、真ん中くらいに心霊現象が収められてるシーンがあるじゃないですか。
急にね、なんかドーンと扉というか箱が開く。
人形が収められてる箱の扉が突然9時に開くってやつじゃない?
いや、風邪でしょあれは。
いやいやいや、わかんないですよ。
わかんないですけどね、なぜか意味ありげにそのシーンだけが切り抜かれてました。
でもね、今回最後に出るんですけど、過去最多の5000体が奉納されたみたいな。
やっぱり5000体並んでる絵面ってめちゃめちゃ強いですよね。
ところせましたって感じで積み上がってましたもんね。
しかも種類もいろいろじゃないですか。
さっき本田さんが言った日本人形とかそういうのもそうだし、そうじゃなくて熊のぬいぐるみとかもいましたからね。
そうですよね。
そういうのもいて、それこそ前の回でも扱いましたけどドール。
いわゆる西洋人形みたいなものとかもいたりして、本当に多種多様でいろんな思いが詰められたっていう人形の感じでしたよね。
それがすごいですね。
前回ドールで専門店でお迎えするっていうところから、今回さよならのお別れをするっていう、なんか人形でまとめてきたなっていうのが。
突然。
そう、突然なんか意味ありげに求められてるなと思ったんですけど。
割とわかりやすく前回のドール専門店と比較すると、やっぱりこれ子供向けに作ったっていうか、買った人形とかっていうところがあるんで。
自分で決して迎え入れたドールではなくて、割とやっぱり親に買ってもらった、おじいちゃんおばあちゃんに買ってもらった人形っていうところがその役目を終えて、また新たな道のりを辿っていくっていう。
いわゆるトイストーリーみたいな話だと思うんですけど。
そういう話になってるので、わかりやすくドール専門店で自分がこの人形をお迎えするんだって成熟した後でやるものとは少し違う形のお人形との接し方っていうところはあったなっていうのは思いますよね。
これでもまさに誰がさよならを言いに来てるかっていうことですよね。
そうなんですよね。
これって使ってた本人っていうのはあんまりいなかったじゃないですか。
どちらかというと少数でしたね。
そう、じゃなくてどちらかというと娘が使っていたものを親が、それこそ終活、終わりの数の終活で荷物届けなきゃいけないから届けに来たとか、家を整備するからもういらないと思ってみたいなところとか、自分じゃなくてやっぱり親とか他の人っていうのがやっぱりドールとは全く違うし、
この人形にさよならをっていうものの、実はその人形って子供の方が遊んでたんだけど、思い入れ的にはやっぱり子供とセットで親が寝てるから親の方の思い入れも乗ってるっていうのはありますよね。
そこが結構あるから、どちらかというとそれを使ってた人よりその親とかおじいちゃんおばあちゃんが持ってくるっていうのが結構多かったのが本当に印象的で、
子供のパターンもありますけど、亡くなった奥さんが買ったものとかもあったじゃないですか、結構最初インパクトあったんですけど、おじいちゃんがすごい凝ったフランス人形を持ってくるんですけど、
何を聞いても、いやわからん、これはフランス人形、洋人形ということでよろしいですか?みたいな言ったら、いや知らん、いつ買ったのかもわからんみたいなのをおじいちゃんが言ってて、
最初それを見て、え、何これ盗まれてきたのかわからんからかなって思ったんですけど、結局やっぱり奥さんが買ってきたもので何年か前に高いされてしまって、
この人形についていつどうやってどう買ったのか聞くことができないっていう、逆に言うとおじいちゃんの哀愁みたいなのが後半ガンと出てきて、
ダンシャリしてるんだっていう中でご自身もガンになられたりして、本当に家の中をダンシャリしてるんだっていう話も言ってたぐらいで、
でもやっぱりそれってフランス人形自体が、型自体は買ったものではないんだけど、結局やっぱりそこに奥さんとの思い出というか、奥さんが大事にしていたものって、
それをしっかりお別れしてあげるっていうようなところが、非常に最初のインパクトとは違って、またずっしりと哀愁のある重みのあるお別れだったなっていうのも結構印象的でした。
人形の思い出と想いの葛藤
本当そうですよね。さっきのおじいさんの例とかすごいわかりやすいですけど、その人形が当人にとって、その人形と遊んでいたとか一緒にいた当人にとってどういう思いかっていうのは大してわからないわけじゃないですか。
それこそ娘が子供のとき遊んでたって言っても、実際物心つく前とかだったり、ついた後もそんな頃の記憶が鮮明にあるわけじゃないし、明確な意図を持ってそんな人形と遊んでたっていうよりも、同じサイズでそばにいておもちゃだったからみたいな理由かもしれないし、わからないけどやっぱり親とかそうやって、敗業者とかが想像してみたいな、
っていうところがより思いが乗ってきて、どんどんそれが膨らんできて、捨てるに捨てられなくなるみたいな現象で。
で、今回過去最多っていう話さっきしましたけども、コロナが断捨離で増えたって途中で出てくるんですよね。やっぱりコロナもそうだし、さっきのガンっていう話もそうなんですけど、やっぱりきっかけっていうのを求めてたんだと思うんですよね。
結局それってなんて言うんだろうな、こんまり的にときめかときめかないかみたいな話なんですけど、そういう問題でも一概に切れないっていうか、別にときめかないかもしれないけど捨てられないものだと思うんですよ。
それをじゃあ実際使うのかとか、必要かって言われると、まあ三角なところはあって、でも捨てられない。だからそれを神社に奉納してお祓いをしていくっていう。
特にこの天満宮面白いところは、そういうシステムなんだって僕が思ったところは、お祓いの後欲しい人が持ち帰れるっていうシステムですよね。
そう、僕なんか焼いたりするのかなって思ったんですよね。
最終シーン絶対お炊き上げだと思ったんですよね、僕は。
そうそうそう。まさかのその後翌日に先着順で引き取っていいっていう。
そんななんか突然バザーじゃないけど、うちはいないですけど、そんな感じになるんだと思って。
なかなかね、実際この3日間っていろんな人の思いというか、こんな思い出があってっていう思いが乗りまくったやつを、割と最終日みんなせっせと運び出してお迎えしてましたよね。
なんかわかんないんですけど、これはここまでのストーリーを見てしまうと持って帰れなくないですか?
そうなんですよ、かなり持ってきた人と引き取って帰っていく人たちの中で、すごい多分隔たりがあって、それは多分あった方がいい隔たりなんですよね。
本当にこういう思いがあってとかっていうのを知れば知るほど引き取れないじゃないですか、やっぱり。
そうなんですよね。
天満宮の人形御供祭とその意義
そういうことより多分、これがこの人形が気に入ったとか、あとは正直に言って、とはいえめちゃめちゃ新しい全然新品同様なものみたいなのもたくさんあったんですよね。
そういうのから優先的にもらわれていくんだろうなっていう、多分そういう市場原理がありそうだなと思ったんですけど、いずれそういう状態の良いものから引き取られていくっていうのは、多分ここにまつわるストーリーを知れば知るほど引き取りにくいだろうなと思って。
小道具屋とかも結局そうじゃないですか。ある程度そこの情報は消されているからこそ、割と単純にこれいいな、レトロだなと思って引き取れるのであって、そこがいい具合に隔たられているのが逆にいいなと思いましたけどね。
最近の傾向っていうか、ここ数年の、数十年くらいかな、の傾向とは逆ですよね。っていうのも、物に対してやっぱりストーリーがあった方がいいんだ、物語があった方がいいんだっていう話ってすごいあるじゃないですか。
それこそブランディングみたいな言葉って、じゃあそのバックがどうやってできたのかとか、それが動物の皮を使っているって言ったらそれは使わないっていう人もいるし、でもそうじゃなくて、じゃあ植物由来の何かでできてますとかって言ったら、じゃあそれは他のものと違うからやっぱり物語があることによって価値が生まれるみたいな。
そういう傾向って絶対的に多分ここ数年どんどん強くなってきてるんですけど、物語の塊じゃないですか、今回の話なんて。信じられないほど物語があるわけですよ。しかもそれこそその人が本当に人生の支えというか、子供の頃本当に友達だったとか、そういう嫁入り道具だったとか、本当にもう肌身離さず一緒にこう
家の中で肌身離さず過ごしてきたみたいな。そんな物語が尽きすぎると逆にそこがサステナブルに循環しなくなるっていうことなんですよね、この話って。
そうですね、今回の人形の場合においてはね。
それって結構ね、だからじゃあどうやって循環するのかっていうと本田さんが言ったみたいにシンプルに新しいものとか、そこが市場原理っていうところになってくるんですよね。
いや、だから意外と市場原理っていうのがやっぱり重要でというか、今回過去最多5000体あって、コロナ禍とかダウンシャリがあったと思うんですけど、やっぱりもう一つの大きな要因としては、やっぱり世代的なものがあるんじゃないかなっていうのは思うんですよね。
つまり基本的なメイン層は日本人形で、雛人形とか五月人形だったと思うんですけど、やっぱりこういうものを買って、それこそ床の間に何十年も置いてたんですって話ありましたけど、
いわゆる床の間に日本人形が置いてある状態自体が、やっぱりもう年々なくなってきていて、いわゆる現代化によって、世代交代によって、昔はそれが実家に何年も受け継がれていたものが、簡単に言うと捨てられちゃうような世の中になってきていて、
そういう意味でお気軽に、と言うと失礼ですけど、雛人形とか五月人形が送り出せる場所として、一番いい場所としてここの豊富展望具があるっていうことで多分皆さん持ってきているので、そういう意味ではどんどんそういう人形的なものを代々受け継ぐというような感覚が、やっぱりもうだいぶなくなってきてるからこそ毎年増えるんだと思うんですよね。
送り出し手が増えるというか逆に。
っていう状態になっているので、そこで実際にはこの展望具でお清めされた後は、史上原理によってガンガン持っていかれる最終日の光景っていうのが、すごい循環を表しているような気がしていて、ちょうどいいよなと思うんですよね。
なんかね、清々しいですよね。
清々しい。
感謝祭と人形里親探し
本当に感謝祭っていうのはこの密着期間ですけど、その後が人形里親探しですからね。
持ち帰り期間は。
いったんね、いろんなストーリーをここでキャンセルというか本当にさよならして、人形自体は新たな道を歩んでくるみたいなところがあって。
これもね、でもやっぱりこの山口の豊富展望具だからだなと思ったんですけど、単純に結構いい日本人形たくさんあったじゃないですか。
結構高そうですよね、値段のアジュートあれですけど。
でも実際目つける人が目つければ、そういうものを業者的に引き取っていって、いろんなところに売り捌くっていうことを考える人もいると思うんですよ。
いますよ絶対。
でもやっぱそういうのはお断りですっていうのは当然そうなんでしょうけど、実態として絶対そういう人たちもいる中で、あれだけ翌日先着順ですみたいな、結構適当な運営みたいなので成り立ってるのって、
都内でやると多分そういうことでめっちゃ引き取っていく業者みたいなトラックで乗りつけるやつとかいそうだよなって思うと、これはちょっと山口の豊富展望具という地域、場所制や豊富展望具が持ってる、そういうのじゃないんでっていうのをルールじゃなくて雰囲気で出すことができる権威性って言うんですからね。
そこが多分非常に効いていると思うので、これはなかなかこれが継続してほしいなというか、そういう悲しい状況にはならないでほしいなっていうのは結構見てて最後思いました。
これ梅まつりも同時にやってるじゃないですか、梅まつり見に来た人たちが梅と同じテンションで人形見て世間話してるじゃないですか、中で出てくるのって、その感じが壊されたくないっていうかいいですよね、その感じ。
そうですね、まつりと並行してなぜかやってるみたいな、梅見に来た人がモノミユガンでも見て帰っていくみたいな、あの感じが本当にいいですよね、整理券とか配られてる感じじゃないところが。
結構その話聞いてると、東京から来て捨てにというか別れに来たんですみたいな人よりも地元の人が多そうな、周りの人が多そうな印象でしたもんね。
そんな感じでしたよね、だからいわゆる地域の伝統的な文化的に受け入れられている感じがちょっとするというか、でもこれも実は開始されたのは17年前っていうことで、これもまた絶妙な古さだなっていう。
いやーそうですよね、2005年とか6年とか。
やっぱりそういうことなんですよね、多分その時ぐらいから地域の人のお願いとしてそういうことをやってほしいっていうのが多分出始めてると思うんですよね。
いわゆるそういう日本人形的なものの行き場がないっていうのが、本当に現代的な問題として出始めて、それに天満宮側がこうしたというか、というのが多分始まりのような気もするので、非常にこれ自体はある程度現代的なお祭りというかやり方なんですけど、
とはいえ史上原理しすぎないところが、当然天満宮っていうそういう施設なんですらそうなんですけど、そこがうまくはまって地元にもしっかり文化的に根付いてるっていう雰囲気が今回味わえたので、そういうとこはちょっと安心というかね、そういうとこはなんかありましたよね。
ポポちゃん人形と人形の今後について
僕はでも途中に出てきたポポちゃん人形ですか?ポポちゃん人形にやっぱこう世代的にはね、非常に懐かしさを覚えましたけどね。
あー確かに。そういう世代感もあったな。
なんかこう日本人形とかって、ある意味世代感ないって普遍的なものじゃないですか?
前のところはね。
昔のものだったのが再解釈され海外で受けみたいなのがあるじゃないですか。
もうありますね。
なんか循環してる感じあるんですけど、ポポちゃんとか一時期こうなんていうのが、そんなになんか、僕もだってこれ出てきてポポちゃんがって言われるまでポポちゃんっていう名前すら忘れてましたから。
確かに僕が子供の時とかにドラえもんとかそういうテレ朝の何か見てる時にCMでやってたなみたいな、うっすらと記憶が突然思い出されるみたいな。
あれギリギリ不気味の谷越えてないですもんね。
そうなんですよ。
なんかそういう懐かしさっていうか、でも本当に温田さんが言うようにこういう人形を人形と遊ぶみたいなものとかっていうのも、だんだん減ってきてるっていうか、もっと趣味化してるんだと思うんですよね。
そうですね。
子供の時は絶対人形と遊ぶみたいなのとかよりも、それこそ今よく街中とか歩いてると、おじいちゃんおばあちゃんとかよりもすごい勢いでスマホ使ってる赤ちゃんとかいるじゃないですか。
そうですね。
なんかYouTubeですごい速度で自分が見たいやつを出してる赤ちゃんとかいて、なんかすごい現代だなとか思うんですけど、そういう娯楽の多様化によって人形だけが術じゃなくなってるっていうのもあると思うんですよね。
だからこの過去最多の5000体が更新されるのかどうかっていうのは、そこはちょっとどうなんだろうなと思うとこありますけどね。
人形自体のあり方はだいぶ変わってきてるっていうか、当然子供の本当の幼児期に買い与えるっていうのは結構あると思うんですけど、
果たして4,5歳から10歳くらいまでの間にままごと的に遊ぶ人形のようなものっていうのが、果たしてどれだけそれ専用のものだけで成立してくるかなっていうと、多分しないかなっていう。
それを幼児向け玩具を大人が趣味として遊ぶっていうのがかなり定着してきてる。
もしくは幼児向けではない、そういう専門のドールみたいなのがこの間みたいに生まれてきてるっていう中では、人形自体のあり方はかなり変わってきてるなとは思うので、
そうなればなるほど、親から子供へ受け継がれた時に発生するさよならみたいなのは、もしかしたら起こらなくなり始めるかもしれない。
ゼロにはならないと思うんですけど、5000体っていうのは今だからっていうのはめちゃめちゃあると思います。
人形のあり方と未来
ちょっと一つの分岐点と言ってもいいかもしれないですよね。
ただこんな流れの話をぶった切るようであれなんですけど、UFOキャッチャーあるじゃないですか。
ぬいぐるみ取るやつあるじゃないですか。
UFOキャッチャーとかたまにやるんですけど、ぬいぐるみ取れるんですよ。
UFOキャッチャーの快楽ってUFOキャッチャーで取るまでじゃないですか。
正直。
欲しいキャラがいて取るっていう目的があったら別だけど、ゲームとしてはそうじゃないですか。
そうするとぬいぐるみがゲットできるわけですよ。
しかも結構そこそこ大きいやつ。
それを捨てるのもしのびないじゃないですか。
その場すぐはね。捨てるのはしのびないから。
とりあえず家に持って帰って置いといたりするんですけど、家にどんどんぬいぐるみがたまっていって、今回の人形とは全く別で、あんまり人形に対して強い思い入れはないんだけど、捨てられないみたいなぬいぐるみたちが大量にあるわけですよ。
今回はわりと思いが強い人形だったけど、もっとそういうライトに、かといって袋詰めして捨てるのはちょっとかわいそうな気がするんですよ、僕は。
それをもうちょっとライトに収められる場所が、こんな人形観察会みたいな大々的な場所じゃなくて、もうちょっとあってもいいのになと思いましたけどね。
それこそバザールやガレージセルダーのものになるんじゃないですかね。
それが今話したみたいに、バザールとかガレージセルダーと物語が続いてるじゃないですか。
この人が使ってたんだなとか、子供がちょっと大きくなった子供が売ってると、きっとこの子が使ってたんだろうなみたいにちょっと思っちゃうじゃないですか。
そこの一回リセットが欲しいなって思うんですよね。
そこはね、正直UFOキャッチャーのぬいぐるみにはそこまでの魂はついてない気がするんですよ。
そもそもね。
だって本当にバザールとか飲みの道で見ても、本当にこの家で使われてたんだろうなっていうのは全然思うけど、別にそんなのってこないというか、
だって実際そういう扱い方されてるし、UFOキャッチャーで。
そこはね、言いたいことはめちゃめちゃわかるんですけど、
バザールで適当に袋詰めされてるぐらいがちょうどいいんじゃないかなっていう。
つかみ取りみたいなことですよね。
やっぱりそれがその人の気持ちの差が現れてますよね。
今回の感謝祭に持ってくまでその人形やその人形にある思い出がどこまで乗ってるかっていうのがやっぱり現れると思うんで、
UFOキャッチャー的なものにはUFOキャッチャー的なさよならが待ってるんじゃないかとは。
人形感謝祭のあり方
ちょっと残酷な言い方ですけどね。
それはそうだと思います。
企画対象としてね、わかりやすいからその下っていうのもあるんですけど。
本当そうなんですよね。
難しいですよね。
すべての人形が人形感謝祭にたどり着くのか、それはトイストーリーみたいな話ですけど、たどり着くのかみたいなことじゃないですか。
本当そうだと思います。
そうじゃなくて、ここの人形感謝祭にたどり着いた人形たちは人形として感謝されてるから、
いいというか、人形的に言うと嬉しいのかもしれないですけど、そうじゃない人形が多分無数にいて、
ここが数年経ったときにこのホーフテンマングの人形のエリアがみんなディズニーのキャラクターになるかって言われると、みんなダッフィーちゃんとかになるかって言われるとわからないじゃないですか。
どうなんだろうみたいなのもあるし、そこはやっぱり人形感謝祭は感謝祭としてのあり方みたいなものがより劣質に現れてくるのかなと思うんですよ。
そこは二極化じゃないけど、人形も二極化みたいな味が、さっきUFOキャッチャー的な景品としての人形なのかとか。
それがさっき言った通りここがピックなんじゃないか論と一緒で、今回のところでも自分の中で印象的だったのは、女性の方が花嫁修行で作った日本人形だったじゃないですか。
ありましたね。
洋裁する手習いの中で作った日本人形に着物を着せてっていう、その着物を自分で作られたというか、仕立てて作った日本人形で嫁入りの時にそのまま持ってってずっとこのまま飾ってたんですってあったんですけど、はっきり言ってそんなのって絶対存在してないじゃないですか。
現代においては。でも確かに祖母の家とかってあったな、あるじゃないですか。いわゆる五月人形とかでもない、ちょっとよくわからない日本人形みたいなのがなぜかあったりしたじゃないですか。
実はそこにはそういう本当に花嫁修行で作ったっていうストーリーがめちゃめちゃ載っていて、何十年もそこの五月先の床の間に飾られてるわけですよね。そこまでの思いが載ったものっていうところが、多分今後発生はやっぱりしえないんじゃないかなっていうのがあるので、
そういうのとUFOキャッチャーぬいぐるみ的なところはそれなりに開きがある中で、今後どっちに本当に二極化するんだろうなっていうのの中では、そのような思い入れの入りまくった人形っていうのは、数は圧倒的に減るんだろうなと思うんですけどね。
花嫁修行の思い入れ
これ言ってしまうとやっぱり前回あったようなドールの五人形たちっていうのが、もし持ち主の方とかオーナーの方が亡くなられた場合に異族の方が、これはなんかありそうだなと思うんですけどね。そういうパターンは多分今後もしかしたら新たなパターンとして増えるとは思うんですけど。
なかなか花嫁修行で作った日本人形なんて本当、今後はあり得ないだろうなと思っちゃうんですよ。
減ってくる相対的には減ってきますよね、絶対ね。
でもこういうストーリーがあったんだなって自分の中ですごく納得して、印象的でしたね。だからそれこそアーカイブとしてはかなりすごい良いものを見たなと思いましたけどね。
一回行ってみたいですけど、それこそ梅を見る気持ちみたいな感じじゃないですけど、本能するものがどうするかっていうのがありますけど、じゃなくてシンプルに見に行くっていう。
そういう人形ウォッチャーの方々も多少いましたもんね。今年はこんなのが来てるみたいな。
ぜひそういうのを見に行きたいなというところですからね。
はい、では今回は以上となります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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