なぜバービーがここまで人気になったのかっていう説明としてもめっちゃ端的に上手いよなっていう、あの辺のやり方。
そうですね、しかもある意味冒頭ってポジティブな面だけを言うわけですけど、最初バービーの。
最初のその冒頭の導入としてすごく上手い導入ですよね。
本当に上手いなっていう。
確かにね、あまりバービー人形に対して思い出もわざとこともないですし、よくわからないこととかってある人多分多いと思うんですよ、意外と。
やっぱり日本に住んでると、そういった意味でもバービーってなんでこんなに世界中で人気なのっていうのを、やっぱあれだけですわかりやすく説明してくれてるって感じもすごくしますし、
本当にバービーのおもちゃ論としてもすごく、話に組み込み方としてもすごい上手いよなっていうふうに思いましたね。
それこそあれを見て改めて思い出したのは、妹が持ってた人形にポポちゃんって言って赤ちゃんの人形がいて、
懐かしいな。
ちょっと怖いやつね。
そう、ちょっと怖いやつ。目が閉じたり開いたりするやつ。
ただ、あれを女の子が与えられる意味ってなんだって考えた時にめちゃくちゃ怖くなって。
なんかでも、卵が先かニワトリが先かわかんないんですけど、私あんまりそういうおままごと的なことは全く興味がなかったんで、そういうものも基本的には持ってなかったんですけど、
自然と興味を持つ面もあるとは思うんですよ。
わかんない。わかんないですけど。
なんでかなってずっと思ってて。
100%与えられてる可能性もあるけど、でもそれだったら男の子は、男の子って基本的に乗り物に興味を持つじゃないですか。
そうですね、乗り物とか。
でもさ、それが与えられてるかって言われたらなんかちょっとわかんない。
なんでちっちゃい時から男の子と女の子って興味の対象があんなに分かれるのかなってめっちゃ考えてて。
あるんでしょうね、確かに。
外部要因も多少あるだろうけど、でもそれとも言えないぐらいにパッキリ分かれるところはあるよなっていうのがあって。
なんかね、不思議ですよね。
確か影響っていうのももちろんあったりするんだろうなって思うんですけど。
でも与えられてるっていう考え方はめっちゃ怖いですよね。
そうなんですよ。だから冷静に考えた時に、少なくともおもちゃを一番ちっちゃい頃に買ってもらうのって親じゃないですか。
で、例えば親が女の子らしく男の子らしくっていうのを望んでそれをしているとしたらめちゃくちゃムゴイことしてるなと思って。
しかも言って生まれたての子が生まれたての子を世話するみたいな構図になりますもんね。
そうそうそうそう。その時点で社会的なロールを与えられてるってそんな怖いことあるって思って。
すごいそれでいつも思い出すのが、保育園の時とかに保育園でお孫と友達とかとしたりするんですけど、
お孫の中にもカーストがあって、お母さんとかお姉ちゃんはカースト上位の彦がやるんですよ。
で、お姉ちゃんは姉妹ってことで3人ぐらいまでだったらできるんですけど、全員お姉ちゃんでも話進まなくなってくるじゃないですか。
で、私みたいなあんまりこだわりというかおままごとに対してそこまでこだわりとか興味がない子はだいたい赤ちゃんか犬の役なんですよ。
犬の役は何?
だから世話をされる側になるんですよ。犬っていうかペットね。ペットがだいたいワンちゃんだったんですけど、
そのエピソードいつも私思い出すんです。おままごとの話が出るたびに。
私は赤ちゃんか犬だったと。
そう。これって全国共通の感覚なんかなとか。
でも確かにごっこ遊びでカーストが出るっていうのは別に男の子でもやっぱりカースト上の人がヒーローの役やったりとか、
今は確かにそういうのは近いのはあるんでしょうけど、おままごともやっぱりそういうのあるんだなっていう。
そう、だから世話をする側が、それがおままごとの男優込みだったりもするんですね。
なんかしてあげるっていうことが。
普段は子供なんでしてもらう側なんで、それを普段的な役割になるっていうのが醍醐味でもあるんで。
まあでもその大人の影響があるとしたらやっぱり自分のお母さんとかを見ての影響のほうがあるかもしれない。
だからいくまでもおもちゃがあるあるいは与えられることだけがおそらく影響ではない。
確かで、子供の潜在的な意識として、多分母の真似をしたいというか、真似で遊びたいっていう欲求は多分あると思うので、
そこでちょうど当てがわれるのが子ぼちゃん的な赤ちゃん的なおもちゃではあるとは思うんですけど。
そうですね。
まあでもなんか結構ね、映画の感想とか見たら、赤ちゃんの人形を壊されるのが嫌だったみたいな人も結構いまして。
まあそれが好きだった人もいるよなっていうことですよね。
そうなんですよね。
まあ気持ちはわかるけど、これこういう意味だしなみたいなのは好き嫌いの話だしなって言うんで、それ以上何も言えないし。
まあでも真似ってわからなかったら結構ねショッキングな。
ショッキングですよ。
言えそうではありません。
うわー赤ちゃんの人形めっちゃ壊してるだけやーみたいなふうに見えるのは見えるよね確かに。
あとやっぱ冒頭のその描写もある意味稼働すぎるっちゃ稼働すぎるんですよね。
まあそうですね。
その後のバービーランドはバービーランドでのいびつさっていうのが見えてくるので。
冒頭ってとバービーは信じていたっていう繋がりに入るから。
だからあの極端な描き方っていうのは、それがバービーの願いというか、バービー側の期待っていう描かれ方ですね。
そうですね。
だから全体的にですけど、ちょっと単純化してる。
意図的に。
みたいな映画では多分あるんだと思うんですけど。
実は。
わかりやすくするのもあるし。
そうですね。
結構男と女って二言論的に語るシーンがかなり多い映画ではありますよね。
そうですね。
そこは映画の作品においての違和感はなかったですけど。
そこはやっぱりもしフェミニティブに語るのであれば、そこに関してはやっぱりニックになる部分ですね。
そうですね。
その一個の歪みっていうのがやっぱり一個そこの冒頭からもわかることだったりするのかなっていう感じですかね。
でもやっぱバービーランドの造形も結構、まずマッピンク、ほぼマッピンクっていうのが面白いんですけど。
あとなんか家がマジでプライバシー何もないみたいな家じゃないですか。
あれって。
でも実際お人形遊びしてる時の家ってあんなんだよなって思うんですけど。
そうですね。
だからまさにバービーが何も食べずに食べたフリをしてたりとか、そのままスーッて降りたりとか、あれもう完全に手が見えますもんね。
人形遊びしてる時の手が見えますもんね。
なんか結構設定がバガバンなのがいいですよね。
わかりますわかります。
なんかもう細かいことは無視して、人間世界とのつながりも正直よくわからんけど。
あのね、意外と行ったり来たり楽やなみたいな。
そうそうそうそう。
鑑賞しやすいなみたいなのはあるんですけどね、確かに。
確かにな。
家に妹がいたので、妹はいたんですけど、バービーとかリカちゃん人形とかなかったので。
シルバニアファミリーはあったんですけど。
シルバニアファミリー、日本では根強いですよね。
そうそうそうそう。
シルバニアファミリーもちろん家の半分はガバッて空いてて、そこでね、やれるんですけど。
でも、川はなんか反対側から見ると家の外観とかちゃんとしっかりしてるというか、川は。
反対側はおしゃれな洋風の家みたいになってたりするので、
バービーランドの家みたいにあそこまでスケスケ感じゃないっていうのがあるので、
なんかね、そこもね、すげーなって本当にスケスケだなっていうのが面白く見たんですけど。
それこそあのバービーランドの描写を見てちょっと思い出したのが、レゴブービーもちょっと思い出してというか、
遊んでる時の感覚というか、子供が遊んでる時ってどういうことを頭の中で空白を埋めて遊んでたかなっていうのをちょっと思い出した気がして、
自分はあれを、ああいうことをレゴでやってたんですけどずっと。
なのでその家を作って、家の中にその人形を置いて、それをまさにレゴムービーってそのままやるじゃないですか。
だから結構バービーランドの最初の描写は、おもちゃをテーマにした映画として、
遊んでいた時、遊んでいる状態そのものを映し出すっていうのをチャレンジしてるように見えて、そこは結構やっぱ面白い試みだなと。
しかも、おもちゃの世界を滑るようなポジションにまたウィルフェレルがいるっていうね、どっちも。
そうなんですよね。
どっちもウィルフェレルなんだよなっていうのがちょっとおもろいんですけど。
そこの冒頭のケンの描写どう思いました?
後々に関わってきますけど、アライアン・ゴズリング演じるケンが、あれこいつってってなるじゃないですか、最初見てて。
なんかあの、ケンの、冒頭のケンというか、ケンの描かれ方。
ケンの描かれ方は、実際の女性社会の対比というか、として描いている部分もあると思うんですけど、
男性が女性の付属品として描かれているのはちょっと面白いなって思いました。
&ケンっていうところで、そこに自信を持てずにいるみたいなところは、なんか結構良かったなと思って。
なんせライアン・ゴズリングが良すぎましたよね。
そうですね。本当にライアン・ゴズリングが最高だなっていうのもあるんですけど。
そう。なんかこう、なんていうのかな、すごくこう、バカっぽいのに等しいみたいな。
そうそう。
キャラクターとして完璧だったなと思って。
しかもそれがこう、今までのライアン・ゴズリングに対するイメージを全部覆してくるんだけど、マイナスにはならないっていうのはすごいなと思って。
うん、そうなんですね。
いや、ライアン・ゴズリングってなんかここずっとばかりに、なんかチャーミングさを押してくるのが上手いなって思ってるんですよ。
やっぱ基本かっこいい、クールで無口なキャラクターとかめっちゃにおいじゃないですか。
ドライブとか、ブレードランナー2049とか、かと思ったら今回のバービーとか、ナイスガイズとかの情けない声とか最高なんですけど。
あのギャップがめっちゃいいんですよね。
僕はそれこそ今回のライアン・ゴズリングにちょっとララランドの彼を思い出してましたけどね。
えー、ララランドそんなに、そんな感じなんですか?
いやまあ、彼なんていうかな、社会に居場所のないタイプの男というか。
だから誰かに届けたと思ってるみたいな、そういう感じの男で。
もちろん今作の件は、まずそこから一回アウェイクするというのがありますけど、
なんかそのアウェイクした後の彼も含めて、ちょっとこうララランドの彼に近いところを感じたというか。
なるほど、なるほどね。
その愛おうさはありましたね。
報告とかで見てるのに笑っちゃいましたもん、登場した時。
わかります、わかります。
飽きたぞっていう。
見てるだけで面白いなって思ってて、でも結構ね、人間社会、現実社会に行って、
男がこんなに輝いてるんだって思い出して、バービーランドに帰ってそれを持って帰って、
なんかちょっとアホな感じで広めていくのが、めっちゃ厄介な広め方してるなと思いつつも、
ちょっと愛おうしいとこもちょっとあって憎めないですよね。
馬ってなんだよっていうね。
馬乗ってたらいいのかよとか。
なんかよくわからんけどわかるっていうね。
そうそうそう。
なんかかっこいい男らしさみたいなのをするときに、なんか馬持ってくればいいみたいなのとかね。
でっかい車乗るとか。
なんでそうなるんだろうなっていうのはありますよね。
なんかツイッターで見てて面白い感想だなって思ったのが、
昔遊んでた男の子が都会に行って染まって帰ってきた時を思い出したって言って。
染まったなお前みたいな。
大学デビューして帰ってきたら、なんか全然違う男になってたみたいな、そういうのを思い出したって言ってて。
あの代わりをは確かにわかるかも。
あとガールズナイトとボーイズナイトの明確な差があったりとかね。
そこの違い結構大きかったですよね。
ガールズナイトは女の子だけで成立するけど、ボーイズナイトは女の子も一緒にいないと成立しないっていうのがあるっていう。
承認欲求の生き物なんだなーって思いながら。
ただ男同士でそれは埋められないんだなー競争心に入っちゃうからっていう。
なんかちょっと違うかもしれないけど、最近思ったのが、女性ってコミュニケーションすることが目的だったりするんですけど、
男の人って目的がないとコミュニケーションしなかったりするじゃないですか。
だから男性だけで成立しづらいのかなとかもちょっと思ったりしましたね。
そうなんですよね。結構そのケア的会話ができないっていうのは男性の良くないところだと思っていて。
会話をするために会話をするって多分ケアだと思う。
特に目的なく。そこから最終的に結論を導く必要なんてなくて、ただ自分の心情を話すというか。
それが目的なんでね。
それがなかなか目的がないと喋れないとか、他愛のない世間話するのめっちゃ苦手意識あるんですよね。
ふと時間が空いて、何もない時間を埋めるときの会話みたいなやつ。
僕はできるけど苦手っていう意識はあるっていう感じ。
コミュニケーション取りたいんだけど何を喋っていいんだっけみたいなところで詰まるみたいなことがあって、
本当にあの辺はボーイズナイトはこんなよく見るなって思いつつも、
そういうのはなりたくないなという関係を気づけないかな男同士でもっていうのは常に模索してたいなっていうのは常々思ってるんですけど。
うまいですよね。
まさにさっき冒頭でも言ったんですけど、
女性だけでもダメだし男性だけでもダメだしっていうところを最終的に掲げる以上、
どちらかを二言論的に扱ってるものを悪ってした瞬間に、
多分そのメッセージ性全部が壊れると思うんですよ。
だから悪役みたいのをつけずにどう終わるかって時の終わらせ方がめちゃくちゃグレタガオイグっぽいなと思ったんですけど。
それにいったら、アラン。
アランは扱い良かったのかなってちょっと思ったんですけど、
微妙にあんまり触れられず、ちょっと最後まで若干悲しそうな感じのままだったので、彼が。
アランの立ち位置をどう見るかって結構いろいろ人によって分かれている部分があるというか、
いろいろ重ねられるからだと思うんですけど、
例えばいわゆるホモソーシャル的な空間に馴染めない男性にも見えるし、
そもそもクイアな存在であるみたいな見方も全然できるしみたいな感じなんですけど、
ただちょっと彼の扱いはなんかほんまふわっと終わらないようなっていうのはちょっとあって、
そこはちょっと救いきれてないような気もするし、どうなんだろうみたいなところはちょっとありますね。
あと妊娠したバービーの扱いとか、あれいいんかなこれとか。
なんか一発ネタみたいな感じ使って終わってない?これ大丈夫だったっけみたいな。
っていうのはちょっとあそこはどう読み取っていいのかみたいなのがちょっとまだ分かっていないって感じですね。
結局さっきの男女の二元論になっちゃってるっていうところで、
女性もちょっと一枚は過ぎるというか、
男社会を作ってきたのって男の人だけなのっていうようなところもちょっと考えさせられるし、
そこは何でもかんでもやるのはちょっと難しいと思うので、
そこからどう考えていくかっていう話かなとは思うんですけど、
なんかもうちょっと違う意見、違う意見のっていうかが本来は女性の中にもたくさんあると思うので。
そうですね。
だからラストかなと思って、ラストあと途中で出てくるバービーの制作者というか、
おばあちゃんいるじゃないですか。
ルースさんですね。
そう、ルースさん。で、ある意味バービーのマテル社って彼女の名前が入ってないわけですけど、
でも本当にバービーを作ったというか、発案者の一人が彼女なわけですよね。
でも彼女自身が善人ってわけじゃないっていうのは結構面白いなと思って。
脱税したけどねみたいな。
そうそうそうそう。脱税もしたけどねってさらっと言うみたいな。
で、ちょっとラストに若干踏み込む話になっちゃいますけど、
バービーランドはある意味さっき言ったように二元論で単純な社会だし、
ある種の理想化された社会だと思うんですよ。
ただ今回の主役のマーゴとロビーが演じているバービーは、
そこから出て人間社会に行くっていう、要は複雑な社会を生きるっていう決断をするんだと思うんですけど、
そこが二元論でずっと語ってきたものを、でもまあ本当はそうじゃないけどねって言っているところなような気がして、
本当は社会を暮らさせてめちゃくちゃめんどくさいし、
それでもあなたは生きるというか、君はどう生きるかみたいな。
そうですね、確かに。
あそこでこの映画が白黒つけられない曖昧な領域に達していくっていうのが、
そこがすごくグレタガーウィグラシー、モラトリアムに刺さる話にしてくれてるじゃんっていうので、
もう大いに泣くんですけども。
前田さんがラストでしたっけ?ちょっと引っかかってるみたいな言ってたと思うんですけど、
その辺とかって関わってきたりするのかな?どうなんやろ?
ラストというか、本当の一番最後のラストじゃなくて、
最終的にバーゴッド・ロビーが、彼女はステレオタイプ、ノーマルタイプのバービーだから、
自分にはできることとかやりたいこととかが特にないっていうところで、
でもそれでもいいんだよって、ありのままでいいんだよっていうメッセージになると思うんですけど、
ありのままに生きるっていう言葉は、結構多くの人に届けられるというか、手はまるようなメッセージだとは思うんですけど、
この作品を通して私が感じてきたことっていうのが、
ありのままに生きたくても、社会的な抑圧だったり差別だったり構造的な問題でありのままに生きられないっていう現状があって、
だから社会を変えていかなくちゃいけないっていう方かなって私は思ったんですよ。
だからそれを個人の話に帰結させるっていうのは、それ自体はいいんですけど、
それまでのストーリーで感じてきたところと、自分の中ではストンと落ちきらなかったかなっていうのはあって、
気の持ちをみたいな話になっちゃうかなっていう。
個人の話になってしまったからこそ、ちょっと弱くなっている部分もあるよねっていうニュアンスっていうか。
ありのままに生きたくても生きられない人たちの存在を、ちょっと放っちゃってないかなっていうふうに思ったりもしました。
僕は、これもう卵がニワトリが先かって感じだと思うんですけど、
個人のそれが社会を変えるんじゃないって思ったので、今回の映画が好きって思ってるのかなっていうのがちょっとあって。
僕、ありのままってワードでもいいんですけど、
僕は最後バービーが人間界に行って人間になっていくみたいなのって、
不完全で不確かな何かを愛するようになる話だなっていうふうに僕は思ったんですよね。
自分ってその存在がそもそも何なのかっていうのが自分でもわかんないし、
こうだよねって思われてる人から思われてることも、それはあくまで本当の自分かわからないよねっていう、
そういう疑問というか疑いというか、
そういったものをちゃんとそれを認めてそれを受け入れていく話みたいな感じに僕は見てたんですよね。
バービーもだし、剣も同じように思っていて、
やっぱりなんかその自分って何なんやろうっていうのは、それは別になんか青春時代だから起こる問題とかでは全然なくって、
大人になっても多分ずっともうおじいちゃんになるまでずっとそれ考え続けていくことがなんか人生なんじゃないのっていうふうに思ってて、
それをなんかこの映画で言ってくれてるような感じがすごく僕したんですよね。
ラストシーンで流れる曲はまたビリー・アイリッシュの曲が流れるじゃないですか。
もうタイトルがWhat was I made for?っていう、
私は何のために生まれてきたの?みたいな感じになっていて、
歌詞とかもそういう感じがすごく出てるんですよね。
もう私というのは何になりたいのかもわかんないけど、
でもその不確かさを含めてそれは私だって言っていけるっていう、
それを認めていけてるっていうこと。
そういった人がどんどん増えていけば社会も自ずと良くなったりしないかなみたいなふうに僕はちょっと思ったんですよね。
なのであのラストは僕すごく本当にモラトリアムな自分に刺さるというか、
自分っていうものがなんかわかんないみたいなふうにもがく話なんですけど、
レディーバードにしてもストーリー・オブ・マイ・ライフにしても。
その何か機微みたいなというかその過程みたいなのがすごくやっぱり、
僕はすごく何かそういうのを見るだけで泣けてしまうんだなっていうのはありましたね。
麻原さんのおっしゃった問題意識は結構大もともだなと思う一方で、
あなたらしく私らしく生きれない人の物語って今作で一番描かれるのはむしろバービーじゃなくて剣なんですよね。
特にライアン・ゴズリンが演じてる。
彼自身は何のために自分が生きてるかわからなくて、
目的を見つけるんだけどそれは自分の外側から与えられたもので、
自分の内側から出たものじゃないんですよね。
僕は何をしたらいいんだって、
要はバービーたちに復権された後に彼は絶望的な顔をして言うわけですよね。
僕に何もない。君を失ったら何もないんだっていうふうに言うわけですよ。
そこでバービーは私じゃなくてあなたのしたいことを見つけなさいっていうところがあって、
それが多分二重構造になっているとともに、
多分それがまさに麻原さんの社会的なメッセージだと思うんですよね。
ステレオタイプに組み込まれる、あるいはそこの居心地の良さって、
本当にあなた、この自身から思っているっていう。
そのステレオタイプに居心地がいいからいるようにあなたは思っているかもしれないけど、
それは本当の意味であなたになりたいことですかっていうのを、
もう一回振り返ってみたらどう?って言ってると思うんですよ。
で、それが多分、おそらくノア・バンバックとグレタ・ガービグの脚本の中では、
それこそが社会を変える一番根っこ、ボトムアップから変えていくために重要なことだから、
もう一回自分を見つめ直してみたらいいんじゃないの?って言ってる映画だと思うんですよね、この映画って。
本当に草の根だと思うんですよ、それって。
草の根だし、結局それでステレオタイプの方がやっぱりいいやって戻る人もいると思うんですよ。
でも多分それでも、自分でそう判断して、そこにいるっていうことを言えるかどうかっていうところが、
まず一歩なのかなと思っていて、
それをみんながやって、みんながそれを発信していくというか、
発信をしなくてもいいかもしれないけど、
そのラストみたいなものを自分で考えて、ここはいいっていうのをどれだけやれるかに、
今後の社会というか、あなたらしく生きれる社会っていうのがどうなるかっていうのを託されているのかなっていうのは僕は思いました。
ラストはすっげー深い話になりますよね。
冒頭のすっげーポップなところからすごく色が落ちていく感じなんですけども、
白い空間に行ってって感じになって、無彩色になっていくぐらいの勢いで、
作品の党も変わっていくっていうのが、その味わいのギャップみたいなのを含めてすごくいいんだろうなって思いますね。
特にラストの重ね方で、結構ストーリー・オブ・マイ・ライフのラストともやっぱり重なるなと思う。
その先、丸さんおっしゃる通りで、
ストーリー・オブ・マイ・ライフも主人公が自分が小説家になる仕事をもらうっていう形で、
自分、これまでにない女性像というか、ロールとして生きていくことを決断して世界に退治するところで終わるじゃないですか。
その世界を前にして終わるっていう形が、レディーバードもそうだし、
やっぱグレタガービッグ作品のグレタガービッグ印と言ってもいいかもしれないですけど。
しかもそこにいろんな人の願いを込めてるっていうのが上手いというか。
ストーリー・オブ・マイ・ライフの場合って主人公のものだし、
若草物語を描いたオルコットの願いもこもってるしみたいなのが、
現実とフィクションが混ざった状態のまま出してくるじゃないですか。
あれをやりきっちゃうのがほんますごいなって思ってたんですけど、
マービーもそういう感じなんだよなっていうのがあって。
最初から最後までそういう複雑なことをずっとやりきって、
そのまま走り切ったみたいな映画だなっていう風に全然思ったので、
天才だな、やべえなっていう風に思ってましたね。
あとこれも語らなきゃなと思ってたんですけど、
本作の山場としてみんなが上げるシーンって、
中盤のマテルさんで働いてる女性、バービーの持ち主ですけど、
言うセリフの切実さだと思うんですよ。
バービーたちに対して、女ってほんと最悪っていう。
あそこのシーンはちょっと落霊してしまったんですけど。
バービーたちが願っている通りには生きれない。