ラ・リョ・ローナには、強固なカトリックの宗教的倫理観だけでなく、スペイン人征服者に挙げられた先住民という植民地時代の深い歴史的トラウマが色濃く反映されているんです。
歴史的なトラウマですか?
ええ。同じようにアフリカで広く語られるマダムコイコイという伝説があります。赤いハイヒールをならして歩く女教師の例なんですが。
学校に出る階段ですね。
はい。これも植民地時代から続く非常に厳格な教育制度や理不尽な規律を強制する権威への恐怖の表れなんですよ。
心理学者のユームが言うところの、影、シャドウや恐ろしい母といった元型、アーキタイプですね。
まさにその通りです。
要するに、これって都市伝説はただのエンタメではなくて、社会のルールを守らせたり、トラウマを共有したりするための悪夢の姿をした公共広告として機能しているってことですか?
ええ、そういうことです。コミュニティが抱える倫理観や言葉にできない不安を怪物という形に変換して共有することで、間接的に社会の秩序を維持しているんです。
なるほど。でも、ちょっと待ってください。そこまで聞いてあえて反論したいんですが。
はい、なんでしょうか。
学習塾の帰り道や、キャンプファイヤーで語り継がれていた時代ならわかりますよ。
でも、現代は誰もがポケットにスマートフォンを持っていて、何か怪しい話を聞いても数秒で事実確認ができる時代ですよね。
そうですね。すぐに検索できますからね。
だから、私たちは昔の人よりずっと迷信深さからは抜け出しているはずですよね。なぜ私たちは未だにこんな不合理な恐怖に引きつけられるんでしょうか。
ああ、スマホがあるから迷信を信じなくなったというのは実は大きな誤解なんです。
え、違うんですか。
資料の社会学的分析によると事実は全く逆なんですよ。私たちは決して迷信深くなくなったわけではなくて、恐怖の対象と物語が作られる構造がシフトしただけなんです。
シフトしただけ。
インターネット社会への移行と共に代表してきたのがクリーピーパスタと呼ばれる新しい形のデジタルフォークロアです。
ああ、匿名掲示板のフォーチャンやレディットなんかで見知らぬ人たちが共同制作していくいわばオープンソースの神話ですね。
はい、代表的なスレンダーマンを例に挙げましょうか。
顔のない異常に高いスーツ姿の怪人ですね。
ええ、彼は元々ネット上のちょっとした画像加工コンテストから生まれた単なるキャラクターでした。
はい、最初はただのコラージュ画像だったんですよね。
そうです。でもそこに不特定多数のユーザーがこんな設定はどうだとかこんな目撃情報があると継ぎ足していって巨大な神話体系を作り上げたんです。
みんなで育てていったわけですね。
怖いのはこれが単なるネットの遊びで終わらずに現実の行動に影響を与えてしまったことです。
2014年の事件ですね。スレンダーマンの存在を完全に信じ切った少女たちが彼の生き根として友人を刺してしまったという。
ええ、痛ましい事件でした。
物語が現実に侵食してくる民族学でいうオステンションの極地ですよね。
なぜそんなことが起きたのか。それは誰か一人の作者が作った小説や映画と違って無数の人々が断片的な証拠を共有し合うからなんです。
断片的な証拠ですか。
偽の日記とかフェイクの監視カメラ映像、不気味な音声データといったものです。
これによってかつての友達の友達から聞いたというFOAFのリアリティがデジタル上で極限まで増幅されたんですよ。
ネットの集合地が逆にリアリティを作ってしまったと。面白いですね。
そして現代特有の恐怖といえばリミナルスペース、境界的空間の概念も外せませんよね。
はい、あれも非常に現代的です。
誰もいない深夜のオフィスビルとか閉店後のショッピングモールを歩いている時のあの独特の不安感です。
リミナルスペースの恐怖はモンスターが突然飛び出してくるような従来のホラーとは根本的に異なります。
本来なら人がたくさんいてにぎやかで何らかの社会的な目的があるはずの空間が完全に無人になっている。
ええ、見慣れた場所なのに別世界みたいになりますよね。
物理的な空間は安全なのに、そこにあるはずの社会的な文脈や構造だけがポッカリと抜け落ちているんです。
これが自分の存在意義すら揺らぐような実存的な恐怖を喚起するんですよ。
日本のネット発祥の都市伝説である木更木駅や無限に続く黄色い壁紙の部屋をさまようザ・バックルームズなんかがまさにそれですね。
ええ、空間自体がおかしくなっている恐怖です。
そして、空間だけじゃなく私たちが毎日使っているテクノロジー自体が恐怖の対象にすり替わっているのも現代の特徴ですよね。
資料にあったユーザーネーム.666の話は強烈でした。
ああ、YouTubeで特定のユーザー名を検索して何度もリロードすると、サイトのインターフェース自体がバグを起こして血のように赤く染まってモンスター化していくという話ですね。
はい、あれです。ここで非常に重要なのがフランスの哲学者ジャン・ボドリアールのシミラークルという概念の応用なんです。
シミラークル、どういうことですか?
現代のクリーピーパスタが描く恐怖は外部からやってくる幽霊や殺人鬼ではありません。私たちが日常的に完全に依存しているメディアやプラットフォーム、テクノロジーそのものが腐敗し崩壊していく恐怖なんです。
なるほど。脅威は画面の中にいるモンスターではなくてYouTubeというシステムそのものが狂っていくことなんですね。
その通りです。さらに言えば監視カメラやスマートスピーカー、ベビーモニターといったデバイスを通じて私たちは常に見つめられているという偏在する監視へのパラノイアも現代の神話の強力なテーマになっています。
いつも見られているかもしれないという不安ですね。なるほど。でもここで最後の大きな疑問に行き着くんですが。