1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S3 ep25 図工を超えて憧れを超..
2024-02-20 1:11:42

S3 ep25 図工を超えて憧れを超えて生活を超えて 佐々木さんゲスト回編集後記

兼業工芸家・佐々木さんによって持ち込まれた工業/工芸論は、3人の振り返り回でも止まりません。というかいつものことですが、振り返り回の範囲を超えてだいぶ話がずれていっている気も...

⚪︎3月2日(土)LISTEN主催のリアルイベントに出演します(岩田のみ)

あなたのおしゃべりが だれかの毎日を楽しくする

ポッドキャストでつながる音声コミュニケーション by LISTEN

https://fabcafe.com/jp/events/kyoto/240302_listenmeetup


【番組の感想・質問・リクエストなどはこちらから】

⁠Cra出しRADIO おたよりフォーム⁠

#concra でも感想お待ちしています!


【今回の話題の関連リンク】

ギター・マガジン 2024年1月号『エレキ・ギターと木材の話』

https://www.rittor-music.co.jp/magazine/detail/3123111009/

伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィス

http://traditional-arts.org/

石見神楽公式サイト

https://iwamikagura.jp/

フランクゲーリーが建築した建造物

https://www.nipponsteel.com/product/trantixxii/column/frank-owen-gehry.html


【ConCra Information】

ConCra公式サイト

⁠⁠⁠https://concra.jp⁠⁠⁠

誰でも参加できる実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)⁠⁠⁠⁠⁠

https://basic.motion-gallery.net/community/concra/⁠⁠⁠


パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

サマリー

クラ出しラジオは、使わなくなった大切なものを様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブです。番組では、コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて考えています。軽さと重さについての話から、木材の産地や音の違いによる商品価値の話、手作業と機械加工の違いについても語られています。作品を通じて伝統芸能の継承や工芸の楽しさを語っています。また、メタルクラフトと伝統クラフトの違いや、技術見本の展示についても考えられています。さらに、工芸とサイエンスの関係や、実験器具を自作することの意義についても話し合われています。工芸における色の理解や建築家のアイデアの重要性についても話し合われ、佐々木さんにはアイデアを具現化し続けてほしいという思いがあります。岩田さんは近日中にポッドキャスターイベントに登壇する予定です。図工を超えて憧れを超えて生活を超えて、佐々木さんゲスト回編集後記のエピソードでは、倉田氏ラジオで話が来た岩田さんのイベントの話や岩田さんの個性についての話題が展開されています。

クラ出しラジオ紹介、工芸と工業の違い
クラ出しラジオは、使わなくなった大切なものを様々な手法で生まれ変わらせるコレクティブ。
コンクラのメンバーが、工芸を軸に、物と人との関係、物を作ることについて、皆さんと一緒に考えていく番組です。
コンクラの岩田です。
海です。
四方です。
はい。
えー、振り返り回ですね。
はい。
はい。
えー、佐々木さん回。
はい。
途中でちょっと抜けてしまったので、あのー、ちょっと聞かせて後でもらったという手、あの手というか聞かせてもらったんですけど。
今さっき聞いたとこですね。
そうですね。はい。
まだボリューム、後編がだからまだ、あのー、リリースされてないときに振り返り回が撮ってるから、
ちょっと公開前に一回聞いて、どうでした?四方。
いや、あのですね、いきなりそこに行って、後半の話になっちゃうのにいいの?
そうか。
いきなり最初から後半に行っちゃっていいの?
まあいいんじゃないですか。
どうですか。
まあ、工芸と工業の違いについてちょっと喋ってらっしゃるなっていう、みんなで話してるなと思ったんですけど、
うん。
私の工芸と工業の違いって、
うん。あるんすか?
どうか今説明しようとして。
かぶっちゃって。
あのー、効率化だけではなくて、
うん。
工業の方は、まず俗人化がいらないように、
えーと、日本語がほんまにつかない。
多分だから、あのー、一定のレベルにどの人がやってもこのレベルになるよっていうものが手作業なりでもあるようなもの。
例えば溶接面をAの板とBの板がくっつけるっていう作業に工芸性があるかないかって話したとすると、
誰がやっても同じようになるかどうかみたいなこと?
まあ、プロトコル化する、なんて言ったらいいんだろう。
あー。
マニュアル化するとかそういうその、
効率って手でやって一人で作家でも効率するから、
考えるしね。
効率化だけだとちょっとやっぱ工業と言えないんだけど、
その俗人性っていうのが効率を妨げている場合に限って、
工業のベネフィット、地域性と工業の関係
他の人でもマニュアル化したりとかプロトコル化したりとかできるっていうところが、
工業である最大のベネフィットっていうか、
それによって値段も安定させることが安くするっていう、
むしろ多分安定性、生産の安定とかを守るためとかで金額を固定したりとか、
生産性とかを先を見るってことができる。
やっぱり俗人で一人しかできないってなったら、
その人の抱えている仕事量と時間っていうのはわかるけど、
その人が例えば病気になっちゃったりとか、
材料がうまく手に入りませんとか、
ちょっとしたことでそういうブレが生まれてしまうっていうのが、
やっぱり十分な時間を取るっていうのが私の持っている工業の…
安定性はそうだな確かに。
でもプロトコルだけの話だと、もしかしたら工業も持っているような気がして、
民芸とかね、無学で無名の人達が同じものを作るみたいなところに
柳が価値を見出したみたいなのは、
あれはそのプロトコルがあるから、その地域で同じものがずっと作られるっていう。
もう一個言い忘れていたのが、地域性とかをやっぱり歌いたがるっていうのが、
工業だとあんまりそんなに地域性を歌うとなると、
逆に可能性をやっぱりブランディング、マーケティングにはいいけれど、
例えばシャンパンとか、シャンパンに打ち方でしか作っちゃいけないよと、
製法方法同じだけど、シャンパンに打ち方じゃないとシャンパンで読んじゃダメとか、
なんとか塗りとか、なんとか教会に入ってないと、
何々塗りって言っちゃダメだよっていうのに近いっちゃ近いけど、
工業の場合はそこまで狭めちゃうと逆にある意味、
仕入れの値段を下げるのに、あるいってやっぱり広くみんながやるようにならないと、
素材とか機械の仕入れが高くなっちゃうから、あんまりそんなにラグジュアリーに囲えない。
いけずな言い方ですけど、あれとかどうですか?
ツバメ山城、工場の祭典とか。
ツバメ山城は地域性でブランディングしてるじゃん。
かつ、すごい微妙な境界線のところに行ってると思ってて、
ツバメ山城はいまだに打ち物でアカウント作ってるところもあれば、
普通に工業化されてる金属加工のところもあるわけじゃないですか。
Appleのコインにしてた工場もあるぐらいだから。
だから塩さんが言った、工場とか工業が地域性を歌い出すとどうなるかっていうのを。
例えば、テキスタルなんかちょうどいい例なのかなと思ってて、
テキスタルは私はやっぱり工芸っていうのと、機械工芸っていうのと、
手で作る、ニットしたりとか刺繍もあったりとかして、
結構グラデーションがすごくある中で、
やっぱりなんとか織りとか、名前が付くのは地域性とか、
場所とか俗人、特に場所&俗人がテキスタルにやると、
そこでしか作れないよっていう風に囲いがち。
でもそうでもしないと残せなかったんじゃないかなと思ってて、
やっぱり日本でやっていくって、お金をもらう国にサポートしてもらわないと、
一個人ではなかなか不安定な事業だったりとかすると、
陶芸と金工の比較、銀の食器の特殊性
もらったりするじゃないですか補助金とか。
その時に思うのが、日本で作っている漆とか、
日本のなんとかとか、何々地方のなんとかとかだと補助金が多いのに、
金属は少ないなっていうのが、金属工芸家が食べていくのに不安定になりがちだっていうのを聞いたことがあるし、
そこが佐々木さんの話を聞いていて、
すごくやっぱり振り返ってみて、
すごい現実的に突きつけられた気がしたし。
あの後ね、収録終わった後に飯食いに行ったんですけど、
佐々木さんと。
それで本編では言い忘れたなみたいなことで言うと、
工業化されている工芸みたいなところで言うと、金属と同様にセラミックもすごいそうだよなって話をしてて。
陶芸。
陶芸、そうそう。
普通に絶縁用の外資だったり、宇宙工学的なところの素材開発もそうだし、
あとはハウスメーカーが使っている、ちょうど塩さんと僕も見てるけど、大量のタイルの。
石切り、石を収録、撮影とかしてる。
ありとあらゆるテクスチャーが試されてて、しかも企画化されて商品にやってるっていう工業化がある中で、
陶芸化がいまだに存在している理由も、僕ら一般対象からしても、
陶芸化は別にいるよねっていう妙な納得感とともに存在を認識してるけど、
均衡はやっぱりおらんなっていうのがめっちゃ思うところですね。
そこの多分違いが、人間もそうなんですけど、
自分の日常にどのくらい使うものとして置いてあるかっていう話もあって、
イギリスで銀の食器って、一般家庭ではもうだいぶ見なくなったけど、
結婚式とか結婚した時にさ、
うみくん名古屋の人ですけど、タンスを持たせたりとかしてた時代があったでしょ。
ユイノオとかででしょ。
そういう感じでね、シルバーベアを持たせるんですよ。
それをちゃんと1年に1回から2回、引き出しから出して磨くっていう作業が大事なのね。
やっぱりそれを引き継ぐっていうのが大事なの。だからおばあちゃんから引き継いだとか、
そういうのをいいお家柄のとこ行くと見るのよ。
それって工業ですかって言われるとちょっとやっぱ違うよなって。
そういう感覚があるんですね。
思うので。
ただ手でやってるのか機械でやってるのかを置いといて、
ちゃんとデザイン性とかもあったりとかして、
3台とか持ってたりとかするとさ、
もはや様式火みたいなのもあるんだよね。
なんかある。
時代のビクトリア朝とかなんかわからんが、
ちょっとあんまりカトラリーの歴史知らないんだけど、
言いたいのはシルバーのナイフとフォークならまだわかるんだけど、
シルバーの皿、使いにくくないですかっていつも思うわけ。
傷ついちゃったりとか。
ステンレスのスプーンでやったらあっちのほうが柔らかいから。
なんだけどやっぱりセットなんだよね。
セットで皿、ナイフ、フォーク、スプーン。
しかもティースプーン。
全部出して全部並べて磨いてまたしまうみたいな。
磨いてそれで一年に一回料理を食べるみたいなことじゃなくて、
磨くだけでしまうんですか?
そんなに毒殺に怯えてた時期がある?
それはわかんないけど。
シアンとかが混ざってると銀って変色するんで、
食い物に毒が入ってるかどうかの。
それどこの国だっけ?
お箸が銀だっけ?
日本もあるんですか?知らんけど。
どこかの国ですよ。
殿様とか王様がやってそれで銀の食器が普及したっていう。
ちょっと調べたいですね。
それで言ったら、
そのぐらいあんまり日常に銀の器とか、
銀の皿でお食事を毎日やるかって
考えられなくないですか?
詰まるところ、陶芸家みたいな感じで
金工家が日本におらんのは必然じゃないかっていうのが
ショウさんの話ですよね。
身の回りになるとジュエリーぐらいとかになっちゃうよね。
全然違う話になっちゃうしね。
宝飾品だから。日用品じゃなくて。
その話、佐々木さんの話聞いてて、
すごい須藤さんにシーズン1で
一番最初にゲスト回に出てもらった時の須藤さんの話と
クロスする部分とかを聞きながら感じたりとかもあって
須藤さんの回を久々に聞き直したんですけど
倉田氏ラジオ、面白いですね。
自我自賛。
倉田氏ラジオ、結構最初から面白いですね。
素晴らしい。
シーズン3から聞いてもらっている人にも
シーズン1から聞いてほしいですね。
聞いてほしいから、いくらでもあるからね。
須藤さんも、佐々木さんの話と須藤さんの話で
佐々木さんの話聞いて、これ聞いたことあると思ったのが
高校の時に授業で指輪を作ったっていう話。
須藤さんもそうです。
そうですか。
何の意図がみんなあるんだろう、先生。
須藤さんは学校に入って最初は大工さんになりたいから始まって
バイオリン作るとか、バイスターみたいなのに憧れて
木工の方でちょっといったけど
先生と価値観合わんみたいなところから
金工に行ってみたいな話がありましたけど
木工の人に言われることとして
木工で作ったものは生活の中で埋もれていくけど
金工で作ったものは
これも佐々木さんの話にもありましたけど
宝物、特別なものとしてあり続けるっていうことだから
須藤さんのその時の話で
そうであるからこそ一世時代で買うものであるとか
ずっと大切にするものを作らないといけない
金属による工業製品は工業の方が買ってるんだから
サッシとかは工業でしか作れないんだから
自分たちが工芸として金属を扱う時には
特別なものを作るみたいなところに
やっぱり注力していくみたいな話が
軽さと重さの話
ってことはやっぱり生活シーンとか密着するってよりは
ちょっと特別感のある晴れ時計で言えば
晴れ側のものにならざるを得ないし
そうしたらやっぱり需要も限られるから
陶芸とはやっぱり違う
そうだよね
あとさ、重さの話もしてたじゃん
してた、超合金とかの
だからやっぱり軽いというものと重いというものだと
重いとやっぱり特別感が生まれたりとかするっていう
あの時話さんかったけど
アルミとかがすごい面白いって言ったらあれだけど
めっちゃ軽くて
資源も今のところは枯渇しきってはいないので
減ってるとは思いながら
軽さと地金のあれで僕ら全然高級に思わんのよね
アルミって私の中でお菓子のポテトチップスの袋の中
とかスイカとかのカードとかのコイルとか
アルミで一時できてた時期もあったから
ああいうめちゃめちゃ工業の中でも
まあね、1円ですしね
もうあれアルミ
大丈夫なのって
1円っていう扱いがアルミの軽さを
めちゃめちゃ消費を増やしてる
なんでそうなっちゃったんだろうね
まあそれはさておき
軽さは一つの理由でありそう
納得のいく軽さと
意味の軽さも含めて
それ考えず昔の税金の支配の仕方たわらで
米だったじゃん
米の1票っていう重さっていう
価値観っていうのは関係あるのかな
関係ないか
でもまあ分かりやすく
自我ネットよりは
積まり具合で価値が決まるっていう意味で言うと
重さは重要だったんでしょうね
木ってさあ
そんなに重さで値段決まらなかったりしませんかっていうか
木のこと言われたら分からんな
でも高い木はだって
シャミセンに使ってるシタンとかさ
シタンとかなんか詰まってる感じ
詰まってて重い感じはやっぱり高い木だな
っていう感じがしますよね
分かりやすく言うとギターとかでもさ
アルダーとか軽いけどでも高級品だもんな
そっかよく分からん
その辺もちょっとあれだね
全然今海さんがギターの話して思い出したけどね
この間出てたギターマガジンの特集が
木材の産地と商品価値
結構工芸っぽい話で
ギターの木材とかの産地と音みたいなところを
かなりあれすごいですね
ギターマガジン進行ミュージックの雑誌作りすごいですね
すごいね世界中の産地の木材の種類とか
調べ上げてマッピングして
音の違いみたいなことを書いてるんですけど
昔のフラットメイトにめっちゃ送ってあげた
アコースティックギターをやってるんですよ
彼スペインとかに行ってギターを買い付けてくる
バイヤーもやってるって言ってたっけ
絶対に弾けるプロフェッショナルなギタリストにしか
卸してくれない作り手がいて
そこに買いに行くっていうバイトをしてた
ギター屋さんに頼まれて
自分でそう思いついたんです
お前なら売ってくれるから売ってこいって
気に入った人にしか売らない
でもギターって木材の産地みたいなことって重視されるし
かつアメリカのギターを日本でずっと置いてると
日本の質度で音が変わるみたいなこととかよく言いますけど
そういう意味では最初に地域性みたいな話を
地域性が商品の価値に付加されるというか
重視されるみたいなことで言うと結構工芸っぽいよな
確かに
家具屋でバイトしてたことがあるんですよ
家具屋というか工場で
そこはどっちかというと工芸っぽい製作所だったんですね
手で一本一本
佐々木さんの作品の何筋っていうの
均等割り付けの
均等割り付け
あれを木でやる
例えばテーブルのここ何て言うんだろう
側面
側面全部縦で
手で切っていく
手作業と機械加工の違い
なんでそんなめちゃくちゃめんどくさい装飾してるんですかって思って
こんな切り方はしないけど
手間かかりますねこれ
それが一応ブランドだからなのかなと思って
でも聞いてみたら何か意味があるのかって
そうしたらあって木はどうしても横に広がったり縮んだりするので
木の切り方によるけど
だから止めるために縦の線を付けてます
そうなんだ
理にかなってんだ
装飾日と機能日が融合している
そこは私すごいその線を愛するようになって
私の仕事はその線を職人さんが均等にやったら
紙やすりでちょびっとだけ角をピュッピュッと取るのが私の仕事
でも下手するとダメにするじゃん
変に下手った感じになるね
最初はやらせてもらえない
だんだんこいつできるようになったら
数ヶ月後にこうやってシュッとやった時は
ずっとそれしかやらないんだけど
1日で60巻ぐらい
でもなんか嬉しいわけ
それは工業なんですかって言われると
私やっぱり違うんじゃないかなと思う
手でやってるからっていうよりは
この山一個に意味があるな
美と機能化みたいな思いを込めて削ってると
やっぱり作品に見えてくるっていうのは
わからないでもない
それも意地悪なことで言うと
NC加工でそれ風にできそうだけどね
全然できると思う
そう言われると
その頃私NC加工なんて知識なかったから
なんでって聞けなかったんだけど
なんだろうね
ただのギザギザじゃなくて
台形でちょっと痛いからさ
全部尖ってると
ちょっと落とすんですよ尖ってるとピュって
それも加工できるのか
今金属の話に戻ると
佐々木さんが置いていかれた一輪雑誌を
もう一回眺めながら喋ってますけど
これあれですよね
本当に江戸切子みたいに
ヤスリでこう引いて
しかもヤスリの長さより長いから
ちょっと言葉で説明しないけど
腕の一振りだとこの長さいかんから
腕の一振りを行き継ぎしないと
この長さ出せないから
普通に鉛筆で線を一本引くのを
二回引いて真っ直ぐな線を引くのって難しいじゃないですか
一筆で行きたいところで
そういう難しさがちょうどあるぐらいのやつなんですけど
一回たぶん鋭利な尖ったヤスリで当てた後
その間をコウマルにしていくように
コウマルは半円状にするっていうか
そういうのをまた一本一本やっていくっていう
聞いてると相当気の遠い作業
これが機械でできますかっていう今の質問に近がり
たぶんだけど
刃の当て方とかが機械だと当時はできなかったとか
今だとできるようになったとか
そんな話じゃないかと思ってて
話でもあるし
例えばこれがジュエリーでこういうデザインのものを出すってなった時に
佐々木さんはこうも言ってたんですけど
こんなん別にワックスでやれば
最後の方ちょっとピッてやればいいだけだし
やりようは別にいくらでもあるし
AIをどう使うかの話の中で
佐々木さんも言ってたから
たぶん今後テクノロジーが加工技術がめちゃめちゃ進化してても
考え方的には大きくは変わらないそうですけどね
これたぶん昔の倉田氏ラジオで言った気がするんだけど
工業だからって言っていきなり安いわけではないって話なんかしなかった?
したっけ?
したかもしれないけどしてください
一応プロダクトを開発したことが何度かあります
会社で
その時に私何にも知らなくて
電化製品がどういう風に作られて
マスクプロダクトになっていくかってことを知らなかったので
最初のプロトタイプに500万1個だけに
基盤とか
まだこれ全然だからとか言われて
これは普通だからって言われて
あとこれ何十回かやるんで
数千万かかるでしょ
その後に数千万以上のかかる機械を持っている工場に
お願いしてそこのラインを作ってもらっていたから
やっぱり契約にも数千万とか以上
めちゃくちゃお金かかる最初の投資は
最初500万って聞いた時に
こんなダメダメなやつに500万とか
頭おかしいと思って
こんなのだったら逆に作らないですっ飛ばして
ちゃんとこれっていう形になってからやればいいのに
そういうとどのメーカーでもできることではないとは思いながらですけどね
思ったの?
この人らはお金を指数に使って
本当にアメリカだなみたいな感じの
物作りの仕方が雑いぜと思ったんだけど
結局人が手でできる限界をやるのが機械だから
例えば基盤とかも
なんで最初は機械でやらないんですかって聞いたら
さすがにそっちの方は時間がかかるよと
なんでかって言うと500個以上作ります
5万個がミニマムオーダーですとか言って
それができてないのに
はいじゃあまた変えますまた変えます
いちいち5万個作るわけにはいかないわけだから
手でやります
人間の店では
畑さんとかで頼んだらもっと小さい基盤ができるかもしれないけど
限界があるよということで
でかくてバルキーなのに500万っていう
見た目も超絶カッコ悪いみたいなのができる
工業だからって言って
いきなり安く安定した
いつかしたものができるっていうのは違うんだよなと思う
それを目指してるってことだよ
某大手IT企業のネット広告ですごく儲けてるからこそ
R&Dにお金を置くと時間をかけられるっていう
ちょっと極端な例ではありつつも
さっきちょっと話してたのが
松原くみひもさんとかって
量産とプロタイプというか研究の部分が
未だに共存している
限られた宇治のあそこの中で共存していて
組ひもを作る機会もあれば
まだ組ひもって西人のジャカードみたいに
出す糸と出さない糸とかをやるのに
未だに手でやらないといけない研究があるから
それはまだ量産化するプログラムというか
それこそプロトコルが確立してないやつは
手でやり続けるっていう
結構仕分けがもう終わってるから
だから帯締めとかでもやっぱ数万円
ほぼ1点もので数万円のものもあれば
修学旅行生が手に出しやすい
ちゃんとストラップとかそういうのもある
松原くみひもさんは本当に成功例で
珍しいぐらいだと思う
そこまでの振り幅を作れたのは
それはやっぱり作っている人と
それを人に説明したり
フィードバックをもらったりする人が
若手でいるっていう環境が
まず珍しいと思う
普通工場とかでやってる人
表に出てこないじゃん
そんなことしてる場合で
どんどん作っていかないと
伝統芸能の継承
間に合わないんだから
こぼってやりたいわけなんだけど
でもそういうコミュニケーション的なポジションを
とれてかつ作れるっていう人を
育てられるっていう環境って
あんまりあるけど
すごい少ないと思う
ちょっとヒントが見えてきましたけど
ハローワークでごねる人を大事にしろ
っていうのが一つ
あとはさっきの陶芸と金属で
陶芸家はいるのに金工家が少ない話で言うと
結構マジで思うのは
高校生とかにもっとジュエリー作りやらせた方が
プレイヤーが絶対増えるんちゃう
必須科目だよね
そうなんですよ
須藤さんと佐々木さんのそのエピソードが
同じだったっていうのが
全然曲も違って
そこまでの
須藤さんはどちらかというと
工芸というか職人というか
具体的な結構イメージが
かなり早い段階であった人ですけど
何かターニングポイントのところに
指輪作りみたいなのがポンとあった
共通してるのが面白いなと思って
僕この間
土曜日なんですけど
伝統芸能アーカイブ&リサーチオフィスっていう
トラディショナルアーツアーカイブ&リサーチオフィスで
略してTAROっていうのが
気になる略し方なんですよ
今旬のアーティストだからTARO
大阪万博的な意味ですか
このTAROっていうところが
報告会みたいなのに参加してきたんですよ
センスのお客さんがそこで
古いセンスの再現みたいなのの
報告をするっていうので
見に行ったんですけど
伝統芸能のアーカイブをやってるところなんで
各地の民族芸能とかを
どういうふうに継承していくかみたいなところの
各地からのリポートみたいなのがあったんですけど
島根県の岩見香倉ってわかります?
わかんないです
岩見銀山とかありますよね
鉱山があるところですか
岩見香倉の子どもクラブみたいな
子どもクラブというかちょっとレベルがすごかったんですけど
小学生から高校生までの
浜田市っていうところね
鬼の面かぶってるけど
お囃子が太鼓とか笛とか鳴り物とかのお囃子がいて
お面をかぶった演者が出てきて
踊りながら演劇をするっていうやつなんですけど
これが全国でも継承がめちゃくちゃうまくいってる事例なんですよ
ここの子どもの幼稚園児とか小学生の
一番人気の遊びが岩見香倉ごっこ
そんなポピュラー
面を作ったりとか大蛇
大蛇みたいな大蛇が出てくるんですけど
そういうのを作ったり
産業として全部この市の中で回ってるので
産業としても工業としても
市民が触れる機会がめちゃくちゃ多いから
自然に伝統絶やさないように
みたいなことを意識しなくても継承されてるっていう
押し付けじゃないってことですよね
小学生とか中学生がやってたんですけど
めちゃくちゃハイクオリティ
だから仙台もののごっことかを了解してるわけでしょ
もう俺が一番人気ってこと
何がそうさせてるんだろうね
難しいね
盛り上がってるな
工芸の楽しさと作る喜び
盛り上がってるしやっぱりやりたくなる要素がある
だからやっぱり若い時に触れるっていうことなんやな
と思ってそれも見ながら
憧れのお兄さんとかがいたとして
そういう人がこういうのをやってる時に
かっこいいなって思えるとか
あの話したかもしれないけど
ノットの鬼太鼓って書くやつとかの
夏の祭りとかも行っても
これほどじゃないけど近いものを感じて
普段は水道工事とかやってるような近所のおっちゃんが
あの人は一番うめえんだよみたいな人が
指先まで魂がこもってんだよね
子供らは身を見真似でやってて
こういう手本がいいと
普通に地元で引き継がれていくんだろうな
っていう想像はつくというかね
これでも写真だけで見てるけどちょっとすごそう
ちょっとすごそうだね
だから現地行ってみたいなと思いました
今回はちびっ子の舞台を見ましたけど
それでもすごかったから
中国のすごいダンスあるじゃん
雑ギターン的な?
そう
それは身体勢のすごさだけど
これはなんか構成とか
ダイジャンみたいなやつの
お面のすごさとか
いろんな要素がぎゅって詰まってるのすごい
圧倒されるもののクオリティとか演技に圧倒されて
総合技術感があるんだよね
そうそう
かっこいいって思えるんじゃないのかな
確かに中華街とかの春節とかの
2月の祭りとかだいたい雑ギダンとかがやってたりするけど
あれは別に小さい子が真似して
それを引き継いでいく感じは1ミリもないよね
あれはアスリートすぎるんだけど
ただよく龍とかでガガガガンって鳴らしながら
そっちはみんなやってるよね地元の子らはね
あれがすごかった
お前ボーってなのに何か似てるのか
話すれすぎてるんだけど
ちょっと思ったのが小学校までは工作なんだよね
中学になっていきなりさ
美術と工芸
中学が美術で高校になると美術工芸
文科省的には確かに
それが分からなくて
そもそも工作やめろって言い方を
図が工作
何を教えたいのかよく分からない
図が工作
平面と立体みたいな雑に言うとそういう感じ
それはアートなのかデザイナーなのか工芸なのか
よく分からんぞっていうところで
何か器用さを教えたいのか
物の見方を教えたいのか
数学的な立体性とか教えたいのかとか
ちょっと今言いかけたけど
算数と数学も中学で言い方変わるけど
ただの計算なのかもっと論理が加わってくるのか
子供のことちょっとバカにしてるんじゃないかなって
思ったりするわけで
もっと複雑なことをポンってやっても
いけるんじゃないかなと思って
なんでそうしてるかって
みんなができないといけないって
思い込んでるんじゃないかなと思って
小学校は
みんなができることができないとダメだから
みんなに平均値に合わせて
図が工作っていうシンプリシティに
いっちゃったのかなと思って
あそこで指輪とか
小学校でもやれると思うんだよ
肩打つとかぐらいはさ
刻印を打ってみるとか
刻印を打つだけとか
鈴を柔らかいやつでペンダントヘッド作るとか
しっぽを焼きとか小学校でやらなかった?
やってないですね
私たぶん学校でじゃなくて
お祭りかなんかで
なんかの子どもの会で
しっぽをやるよって言われて
やったーって言った覚えがある
だってあんなの家のオーブンでできるわけじゃん
トースターでさ
ああいうのとか全然やればいいんだねって思う
図が工作と家庭科で料理作ったりとか
エプロンとか雑巾作るのって
感覚的には境目なかったね
俺やっぱ
小学校の感覚で言ったら
塗ったりとか切ったりっていう
紙で作るなんかと
ミシンで作るエプロンとか
感覚的には何の差もなかった
バッグとか作ると
3D化してくるじゃん
街を考える
あと機能性とかね
そこがすごいもやもやしてて
名前を変えろと言いたいんじゃなくて
やってることをシンプルにするなと言いたい
最初から可能性が
平均値で生きていきましょうみたいなことを
擦り込まされてて
それがうまくできないと
私は不器用だからっていう
ことにいってしまうっていう
なんかもったいないなと思って
一番大事なのって
うまくできることじゃなくて
面白みを見つけることじゃん
指輪作ってみて面白いと思えば
頑張れるわけだし
スポーツだってそうじゃない
いきなりみんなが身体性がすごい高いわけではないけど
身体性が最初高くなくても
面白いと思った人が頑張って
プロフェッショナルなんとか
とかになっていくわけだから
そういう作ることは
なんでそうなの?
佐々木さん回の振り返りとしては
彼はすごいいろんな視点を振りまいてくれたんだけど
今の話でいうと
例えば工業と工芸の違い
もっと言うとテクノロジーと工芸の
在り方みたいなところも踏まえつつ
今言ったような作る楽しさとか
そういうものの喜びとか
好奇心とかね
やっぱり佐々木さんの言葉で印象なのは
作ったら興味がない
興味ないっていうか
作ったらもう次行きたいって
完全にアスリートタイプな考えで
後ろは振り返ってないじゃん
次に考えることが楽しすぎるから
いちいち過去のものに
引きずられていないっていうところが
すごい印象的
なんでここに
佐々木さんの作品と無理ゲーの思い出
タケシの挑戦状っていう
ファミコンのカセットを置いてるのかっていうと
いきなり
ここにファミコンのカセットがあるんですよね
何の話題にもしなかったけど
しなくてもいいところだったんですけど
佐々木さんの作品を
作品って僕らが読んでるだけなんですけど
見てたときに
無理ゲーとか理不尽なゲームの
エンディング画面に思えてきてて
いつリセットしてもいいんだけど
自分はそれクリアしたんで
あんまりこのゲームは興味ないんだけど
みたいな感じにちょっと思えてきて
ゲームの結果
エンディング画面とかを
共有してもらってるような
ちなみにこのタケシの戦国風雲寺は
めちゃくちゃむずい
タケシの戦国風雲寺
これじゃなかった
タケシの挑戦状っていうのもあったんですけど
タケシの挑戦状は
ファミコンの中では
無理ゲーとして名高いというか
理不尽で人が死ぬし
クリアがすごく難しいんですよ
僕の友達の相当やり込んでたクラスメイトでも
そんなにクリアした人いなくて
ファミ通だけで
クリアした時の裏技が乗ってるんですけど
それさらにすごいのは
エンディング画面が鳴った時に
しばらく放置すると
タケシからのメッセージが出てくる裏技があって
そのメッセージがすごいよくて
こんなゲームに一生懸命マジになっちゃって
どうすんのっていう
それは
バカにされてるんだけど
ある種の称賛にも聞こえるような感じがあって
それをある種の称賛として
多くの工芸家に送りたいなみたいな
メタルクラフトと伝統クラフト
そういうのも含めて
無理ゲーのエンディング画面のように
僕全然わからなかったから
興味がなくて
次のが思いついたら
いつでも地金として潰してもいい
っていうところを想像してたんだけど
強いて言うと
無理ゲーのエンディング画面かもな
スターフォックスとか
クリアできなかったけど
あれを解いた人が
エンディング画面を
持ってきてくれたのかな
そういうような
なんて言ったらいいのかな
もしも地金に困ってなかったら
潰す必要はない
ぐらいの話なんだと思う
目の前から聞いてほしいとか
巨大な作品を作ってたら
確かに潰せざるを得ない
スペースの問題はあるし
現代美術とかそういう問題
やたらでかいものを作る人とか
技術見本の展示
矢野弁健二さんとか
椿昇さんとか
そうなんだけど
若い時の作品が少ない
っていうのは聞いてたんだけど
むしろ
自分が
彼はそういう意味で
アスリートチックなところがあって
さらにもっとやってみたいこと
の方が勝っちゃうから
それに地金が足りないんだったら
あえて今まで作ってるものを
潰しますよってことだ
物を大切にしてないとか
自分の作品を軽んじて言ってるとか
全く愛着がないとか
そういうことではなくて
工芸とサイエンスの関係
むしろ自分ができることを増やす
貪欲さの方が強いんじゃないかな
じゃあゲーム画面ともちゃうのか
ちょっと違うのは
ゲーム画面もそれ以上でしかないけど
まだノートにさ
次にやりたいこと書いてあったんですよね
後半の方で言ってたでしょ
ってことはまださ
あり得るわけだよ
アイディアが尽きてないっていう
これがすごく大事だと思って
やっぱり
作れなくなる時ってあるんですよ
物が
それってだいたい
アイディアが切れるというか
情熱が消えちゃう
どっちかかどっちも両方だと思うから
アイディアはあるし
けれど今やる
よしやったるぞっていうのが
優先度がどうしても低くなっちゃうのが
生活の日々のさ
何かに巻き込まれてそうなっちゃったりとか
するとやっぱり制作の方に手が及ばなくなる
それを私は本当に小肌がいいみたいな
日本政府はもっと危惧した方がいいよと思って
すごい文化の喪失だから
今日本って
話があれだけど
資本主義の国じゃないですか
お金が
表向きは
社会主義
株式市場もあって
でもやっぱり一番大きかったのって
戦後に高度成長時代に
みんなが中級・中流の家庭を目指した
というところにあって
その中では
だからさっきの図工工作が生まれちゃう
ある種のソフトな社会主義みたいなことを
やってたわけですよね
戦後の日本っていうのはね
今はさ
ちょっと違うじゃん時代がって思うんですよ
拡散社会だったりとか
何が起こるかわからないって言われているので
みんなが中流ですっていう
どうしてもしたいなって
一回この国って
真っさらにならないと
そこまた戻れないかもしれないのに
あの時よかったって言ってるから
戻れるわけないわけですよ
一回ぶっ壊れないとさ
あとは前も言ってたけど
コモンズの意識が低くて
公園とかみんなのものっていう意識が低いと
そのエネルギーが湧いてこないよね
与えられてる権利とかそういうものを
本気で自分らの勝ち取ったものとして
守るのにも戦う気力もないかもしれないし
そこまで話す?
佐々木さん回振り返りで
コモンズの話でも
佐々木さんが自分の手を離れていった後に
それがどうなってるのかなっていうのに
彼は思いを馳せてたかどうかっていうのは
聞きたかった
聞きそびれた
だってやっぱり使ってもらう形をしているし
物の意図があるでしょ
ロウソクだったり一輪だったりとか
フォークだったりとか
誰かが使っているってことを想像しながら
作っている可能性がもちろんあるはずなんですけど
でもそれが彼の作りたいという欲求の中核なのか
モチベーションなのか
それとも使う人に挑戦をしているのか
これを使えるくらい
面白い生活してくださいっていう
挑戦状なのかわからないけど
ただ金属が好きで
僕は科学者のように金属の性質を
いろいろ試してみたくて
やった結果の実験なのかわからない
わからないというか聞きたかったなという風に
思ったと後半の方を聞いて
特に思ったというところではある
あとはその作業とかプロセスとか技法とかを
楽しいと心底を思える感覚もありながら
それを客体化して
それってどういうことなんだろう
どういう物理的な現象が起きているんだろうという
引いた目も同時に持たれていたので
それもすごい印象的で
それとすごくリンクした話が
教えるということと分かることの違いというか
ステレオグラムでしたっけ
立体式ステレオ
砂嵐みたいな絵を
あれが見れるか見れないかとかは
どうしても教えようがないという
いくら言語化を頑張っても
そういう風に例えられるぐらいは
ブラックボックスを
手触りと同時に捉えられているということも
言えると思うので
そういう感覚もあられるんだなという
技術に対しての眼差しみたいなところを
すごい思ったですね
そこはマニュアル化がめちゃくちゃ難しいのが
一人一人みんな違うから
トライアンドエラーをする時期が
たった2年とかで教える
4年間で
教えきれないと思う
時間切れになっちゃう
今日の一番最初の話に戻ると
結局溶接の職業訓練を受けても
言語化しきれないところの教え方は
そんなに金属工芸と大きな差はなかった
という話がありましたけど
一番今日最初に話した
プロトコルの話で言うと
プロトコルって共通言語みたいなことじゃないですか
その言語を使えばちゃんと意思疎通ができる
みたいなことじゃないですか
でもそこをどうしてもプロトコル化できないものですよね
多分言語化できない感覚みたいなものが
それが工芸にあるんですけど
工業の世界に今身を置いている佐々木さんが
工業の中でも感じていることでもあったりする
やっぱりプロトコルがあるのが工業でないのが工芸
みたいな分け方も全然違うし
効率化だけで区切れるものじゃないし
地域性だけで区切れるものじゃないし
いろんなファクターを組み合わせても
やっぱり混ざってるなっていうのが
精密系ってやっぱりさっきの音を聞いて
って人もそうだけど
やっぱり面に見えてない
数値化できないっていうところに
突き詰められてしまうと
サイエンスでも解明ができてないから
やっぱり俗人性がどうしてもできちゃうっていうのは
なんかあるんだよね
それが企業努力でさ
次の台にたくさん100人育てれば
そのうち中に1人
タンパキンの卵がいるかもしれないみたいな
とかってやっぱりやってらんないから
なくなっちゃうのかなって
テキスタイルよくあるんですよ
機械の使い方分かんない人が
分かってる人がやめちゃって定年で
病気でやめてしまって
機械が埃かぶって隅に置かれてる
それさえ使えれば
あんなこともこんなこともできるのに
っていうことっていっぱいあって
そういうの掘るのが好きなんですけど
結局それを知ってる人にも
出会わないと掘れないから
やっぱり今がたぶん
際どいところで
その情報でリーチするのが
今がたぶんボーダーライン
テキスタや工業化されて
いろんな機械が出て
それをよく知ってる人たちがまだ
お元気でっていう
最後の効く世代なんですよ
我々が
金属とかも十分そういうことに
いつか陥る可能性がある
加工とかでも
もうあるかもしれないし
印刷だってそういうのもあるかもしれない
いろんな視点を認識するために
また僕意地悪なことを言うんだけど
テキスタや印刷とか
そういうのでも
今までなかったものとか
技術見本自体が
ただ暗いところに展示して
スポットライトがあったら
作品に見えることって結構あるんですよね
むちゃくちゃ乱暴なこと
見せ方とか
台を作ったりとか
そういうのと
ただの技術見本じゃん
って思えるような
メディアートっぽい
してるものとかも
すごいいっぱいあるんだけど
一方で佐々木さんの話とかだと
工芸
そんなこと言い出すと
AI使ったら工芸じゃなくなるかどうか
以前に
既製品の板剤使ってること自体で
その議論は僕らには終わってるんだよ
みたいな
ようなニュアンスとかが
話があった時に
それは別の言い方でも言ったけど
高い目とかを追ってもあんまりしょうがないよ
ただ佐々木さんが
ここはちょっと気を付けた方がいいよ
って言ってたポイントがいくつかあって
工芸と伝統工芸は違うよ
っていうことと
あとは
これが言っても本物だよ
っていう人は本物だよってことを
結構強めに言わないと
っていうのは言ってた
そこがすごい印象的な
一見矛盾するんですけど
両者は
なんだろうな
サイエンスで昔
自分の実験道具は
自分で作れっていうのが
私たちの世代の前の先生たち
そうやってわざわざ
ガラスの講習会行って
実験器具を作ってたんだって
何でかって言ったら
自分が実験して
使うものその形状だったり
その素材を理解していないと
どういう風に物が
作られてるかを理解しないと
発想が生まれませんよと
あとは観察力がないですよ
って言われてたから
作って授業で入ってたらしいんですよ
でもそれやっても
あんま関係なくない?
ってなって
今ないのが
私の数年前で
それが廃止されたわけです
大学の授業から
必修から
工芸と色の理解
ちなみに早稲田でね
具体名出てきました
今は別に隠してない
自分に合わせた関係で
それが私でも
もう一回やりたいと思って
講習受けに
行ったんだけど
結局
何て言ったらいいのかな
物の成り立ちを
理解してるかって言って
じゃあ素晴らしい工芸家になれか
って言って
そうとも限りません
それだけじゃ足りないです
逆説的に
物の成り立ちを
知らない工芸家は
いいもの作れないからそうでもないです
っていう話なんだけど
ただし
パイは増えると思うんだよ
プレイヤーの
思いつきパイが増えると思う
この金属って
こう触れるとこうなるのか
っていう経験値増えると
思いつきで
こうやってみようか
増える可能性はあるじゃん
うん
それだけなんだけどね
今ふと
大学の時に
他の家の人が
インテリア系の人
だったんだけど
CAD使っちゃダメで
T定規で絶対製図使わなきゃいけない
そういうの聞いたことある
いやーしんどそうと思って
ブーブー言ってたね
すごい確証はないけど
ダメな授業ない気もしてて
デザインの時に
色カード作んなかった?
自分で
自分で絵の具混ぜて
作るでしょ
呼び込む時だけど
カメラがフィルムだった時に
フィルムを色を保存する
あれに使ったりとかして
自分専用の
色見本とか作ってた
私イギリスのファンデーションコース
に出てるんだけど
色カードは自分で作らなきゃいけない
今の時代にさ
印刷すりゃいいわけじゃん
綺麗だから
また岩田さんみたいな人が
同じ色言っても印刷違いますから
言う人は絶対
それはそれで
いい経験じゃん
視点の解像度は
低いか高いか
なんなら高いよね
網点の違いがちょっと
自分で色を混ぜると
こうやると
グレーになっちゃうなって
失敗を体験したいとか
することが大事
綺麗に塗る
塗らないっていうのは
実は二の次だったりするわけじゃん
色の仕組みって
ちゃんと
わかるってこと
としては
指輪を
作ってみようか
高いというか
あとだから
建築の話でもう一個は言うと
建築でも色々
意象的なところから構造的なところまで
色々範囲があると思うんですけど
基本的には理系の学校の
理系の学科とかだって構造計算とか
昔してたわけじゃない
あれもソフトウェアで
ポン出して
これってできるんですかみたいなのが
ソフトウェアでできるようになっちゃった時に
構造計算の
マンパワーでやる
作業が省かれた時に
翔さんがさっき言ったみたいに
こんな建物ってできんのっていう
気づきとか思いつく
プレイヤーは増えるなとは思った
ザハハリド
もそうだし
フロエフから始まる
スイス人の
あの人
ヘルツオーク
ヘルツオークではなくて
ヘルトンファンデーション
のあの人だよね
すごい少ない言葉で
共有してるあれねとかっていうのも
すごい変な感じなんですけど
岩田さんに言うと
FLOYD
原画がグシャグシャグシャやって
手のひどい
こんなんで建築作れるのっていうような
手の途中に描いた
その時以下のグシャグシャなんだよね
こんなんで構造計算すら
しようもないだろうみたいなのから
物事が立ち上がっている
現代のすごさみたいな
すごいなと思って
なんとか美術館の
ご家族の
アーティストがいるんですけど
その方イギリスで勉強してて
原画とか見る
機会があったわけ
丸に
言葉終わりが
だけだったのね
それで色んな作品が出来上がってて
間のトランスレーション
穴埋める人が
この丸がここになるみたいな
この間万博公園に行って
太陽の塔の中見てきたじゃん
ああいうのも全然
いけると思うんですけど
一応原画とかが置いてあったわけ
それの方がよっぽど
建築家が
やりやすそうさが違ったというか
ちゃんと出来そうな感じでした
爆発だって言ってる人が
ちゃんと建築家と共通言語で
話してる感じはあった
ちゃんとデッサンしてたよね
それを
トランスレーションをしよう
そこはさ
太郎だから
最近
岡本太郎の
古本で買った
70年代くらいに書いた本を読んでる
トイレに置いといて
1ページずつ
タイトル忘れたけど
1ページずつトイレ文庫で
読んでるんですけど
建築家とアイデアの重要性
古本太郎って
直上型というか
爆発という言葉に引っ張られて
みんながそう思いがちだけど
めちゃめちゃ
シュルレアリズムとか
ちょっと前の世代とかだと
僕らの世代からは想像つかんけど
だいぶ
理屈っぽいところから
パリで修行したんだもんね
そう
青山だっけ
岡本太郎のスタジオが
青山
あそこに結構
資料が残ってるんだよね
彼の残したメモとか
かなり
考え込んで
もちろん
論理的だし
どうやったら人に伝わるのかな
みたいなことをすごい意識して
すごいプロデューサー
どっちがいいかわからないですけどね
アナウメ力がいいのか
説明力がある方がいいのかは
こと工芸に至っても
ちなみにさっきの建築家ってフランクゲイビーでしょ
そうです
全然違った
フランクロイドとか
それはかなり
明治
もうそろそろ話が
ぐちゃぐちゃになってきたので
そろそろ終わりましょうか
帝国ホテルの話でもしゃーないし
もう佐々木さん回の
振り返りでもなくなってるので
お時間もちょっといいと思います
そうなんですけど
佐々木さんには
ぜひとも
手を動かし続けてほしい
アイデアがあるんだったら
それを
物質か具現か
人の手に取れるか
して残していって
欲しいなっていう勝手な
思いあるから
何も苦労とか知らずに
頑張ってほしいですっていうのは
酔わせてほしいな
と思う
苦労も知らんで
思っている海君が横にいる
それはないですよ
僕だって内心思ってるんですもん
だっていろんな人が
手を止める理由っていろいろあるわけですよ
俺は他の人よりも
下手でやっていけないと思ったとか
作業が辛すぎるとか
アイデアが架空した
物を作る人にとって
一番怖い感情だと思うけど
アイデアがなくなったとか
曲作るとかでもいいんだけど
ミュージシャンでも
全然そういうことがないわけなので
作りかけのこれあったわ
佐々木さん
朝起きる時に
これ作りたいから早く起きちゃった
っていう
ぐらいの
余裕ができる
いろんな理由がありますからね
ご家庭だったりとか
慣れていくのは
いつか来るので
先輩面してます
子育てって
そういうものじゃない
多分佐々木さんは
同じような状況の作り手
みんなに言いたいっていう感じですよね
今日最後に
誰でもそういう時は来るし
なんか
今やらないと
後悔するなって思ってるんだったら
ポッドキャスターイベントの告知
やる
思わないんだったら
わかったって感じ
後悔しないようにしてほしいなと
塩さんの代わりに言うと
塩さんはこれやりたいあれやりたい
っていろいろ言ってるけど
どうしても体が動かないときも逆にあります
そういう人も
すごく愛情を持って
その感情を受け止めたいなと
僕は思います
でもいつかは
起きられ
朝起きてよしやるぞ
って思える日が来る
と思う
僕は一緒にお祈りをしてます
それしかできないので
そんな感じでしょうか
そんな感じですね
一個告知をしておかないといけない
3月の2日に
僕だけなんですけど
ポッドキャスターとして
イベントに登壇します
ポッドキャスターって
職業名聞いたことないよね
でもポッドキャスターって周りが
岩田さんのことを言うんだったら
そうとしか思えないと思う
僕も
以前から
リッスンっていう
アプリケーション
というかサービス
ここからすぐ目と鼻先の
ここを歩いて5分以内
からお声掛けいただきまして
3月2日にファブカフェ京都で
開催されるリッスンが
リッスンを使って
ポッドキャスターを配信している人たちに
話を聞いて
その会場に来ている人たちで
ポッドキャスターを作ってみましょう
ワークショップ形式の
そういうイベントなんですけど
そこでお話しします
企画としてやってほしいことがあるんだけど
リッスンで
海ですとか
岩田ですって
四方ですってやると
四方が
四方
塩とか
自分の名前なのにちゃんと発音できてないのが
ショックで
発音の教室
名乗り方教室
ポッドキャスターで
聞きやすく
学ぶようになれるといいな
ショウさんとか僕は
そっち側に回って学ぶ方として
ポッドキャスターの講習を受けたいなと
僕も思います
自分で聞き直して
いつもへこんでるからね
ぜひ岩田さんの
お姿をチェックしに来るでも良し
近藤さんがリッスンを
作っている
近藤純也さんの
リッスンニュースという
リッスンの中でやっている番組の中でも
このイベントの話をされていましたけど
岩田さんのイベントの話
このイベント
自体もポッドキャスターとして
配信するかもしれない
ヤバい
四方ですみたいなのが
出るのか
分かんないけど
そういうのを聞くと
倉田氏ラジオって一方的に
流しているだけになっている気持ちの時も
僕らはあったけど
誰かしらが聞いて
誰かしらがちょいちょいと言って
つっついたりするような
プログラムにはなっているんだなと
そこまで行き着いたか
ちょいちょい聞いてますわ
みたいな話で
面白いよね
こんなに広くネットで
やっているのに
すごいローカルなところで
イベントやる機会をもらえる
面白い
ネットマジックというか
そうですね
岩田さんの個性について
共通の
人のつながりから
今回
なぜか倉田氏ラジオに
話が来た
岩田さんご自身の感覚としては
そうかなのかもしれないけど
というわけで
イベントページのリンクも貼っておきますので
ぜひ3月2日
お近くで
お暇な方は会場に
お越しくださいということで
岩田さんがどんな人かって
見れるっていう
どんな人が興味ある人いると思うよ
大きく聞いてない
写真はアイコンの写真だけで
普通のサラリーマンを
名乗っている岩田さんですけど
当日どういうファッションか
楽しみに
情報チェックしてください
特な方もいらっしゃれば
というわけで
倉田氏ラジオの方は
来週も火曜日に配信しますので
ぜひ続けてお聴きください
また来週も
3人会通って思っている人とかは
3人会ですけど
3人会ですけど
こんな人に話を聞いてみたらのリクエストも
お待ちしています
ハッシュタグ
俺に言わせるか
こいつつまずかんから
ホームでも
佐々木さんへの応援を
募っておりますので
届けたい方
こっそり伝えております
はい
というわけで
この週もありがとうございました
01:11:42

コメント

岩田さん、イベントのご紹介をいただきありがとうございました。 当日を楽しみにしています。どうぞよろしくお願いします!

ConCra 岩田
スクロール