1. Cra出しRADIO 工芸とカルチャー
  2. S1 ep7 なぜ今民藝が関心を集..
2022-04-12 40:00

S1 ep7 なぜ今民藝が関心を集めるのか? 民藝の100年展に行ってきた(後編)

spotify apple_podcasts

前回に続き『柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年』@東京国立近代美術館に行ってきました回。だだ混みだったこの展示。後編では、なぜ今多くの人が民藝に関心を寄せているんだろう?という視点から語り合います。(展示は2022年2月13日に終了)

今回の話題:
なぜ今多くの人が民藝に関心を寄せるのか?/工芸の中の民藝 一般的にはそれほど分けて認識されているものじゃない?/SNS時代に生きる私たちの生活と民藝の視点の共通点?/コンテンツの時間が短くなっている時代に超えられない時間の積み重ねが感じられるモノに惹かれる?/コロナ時代には自己を振り返り過ぎて悩んでしまう/地産地消、サスティナビリティのヒントを得たい?/モノはミスユーズしてもOK /勝手にしゃぶしゃぶ用に使われた鍋/この形はなんだろうという好奇心/ロダンとの交流で得たモノとコミュニケーションに対する感動が柳宗悦の最初の成功体験/バーナード・リーチを通して英国のアーツアンドクラフト運動に出会う/私たちは国や地域を超えた人との交流に飢えてる?/オタクに憧れてカルチャーを飛び級摂取する人たち/自分が好きかどうかよりもフォームを気にしてしまう時代?/自分の好きを表明しにくい時代?/無名なモノに対する憧れ/ミュージアムショップで売られていた商品が人間国宝推し/民藝は段々権威主義的になっていった?/議論し続けられるムーブメント?/体系化されていない民藝/そもそも日本にはアートという概念がなかった/浮世絵からアートを見出した流れも民藝の誕生に似ている?/鞍田崇『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』/インティマシーの言葉の意味はモノへの愛着というよりはモノを含むストーリーへの親密さ/思いやりのデザイン/時間経過でまろやかになるモノ/いちいちモノに意味性を考えることができない現代/以前は100円ショップにも手作りのものが売っていた/ときめきや移動(旅行)への欲求

鞍田崇『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』
https://onl.bz/98dMJqy

鞍田さん、「民藝」について教えてください|遅いインターネットhttps://slowinternet.jp/article/20201005/

ConCraプロジェクトの詳しいコンセプトは公式サイトへ。
https://concra.jp

そしてここに掲げているコンセプトのもと、実際にモノを作っていこう人が集まるオンラインコミュニティであり実験場 ConCra Collective(コンクラコレクティブ)が2022年3月1日にオープンしました!
興味のある方はぜひお気軽に参加してください。
https://basic.motion-gallery.net/community/concra/

#concra(twitter)で感想、質問、リクエストなどお待ちしています!

パーソナリティ:岩田篤 蔡海 福原志保

00:01
CRA出しRADIOは、使わなくなった大切なものを、さまざまな工芸技術で生まれ変わらせるコレクティブ、ConCRAのメンバーが、
分かりたいけど勉強しにくい工芸について、見たり、調べたり、作り手のお話を聞いて、時に脱線しながら、皆さんと一緒に考えていく番組です。
ConCRAの岩田です。
海です。
しほです。
はい、というわけで前回は、民芸展に行ってきましたっていう、もうとっくに終わってる展示会ですけどね。
2022年の2月13日までやっていた、東京国立近代美術館でやっていた展示会に終了前日ですか。
前々日かな。
前々日、もう本当に終わる、もう図録は全部売り切れ、終わりますみたいな感じですね。
行ってきたお二人のお話を前回伺いましたが、すごい混みようだったということで。
それが最初の印象だったよね、本当に。え、なんでこんな混んでんのみたいな。
ちょっと僕もそこまでとはと思ったんですけど。
冷静になるのにちょっとね、時間が必要だった。
なんでそこまで混むのかっていうところを、ちょっと掘りたいなっていう僕の興味があって。
そうなんですよね。だから僕らもなんか言って、前回もそんなに整理された話じゃなくて、思った雑貫をバーって散らかしてる感じなんですけど。
やっぱりちょっとある種の感覚じゃないけど、きっとこうなんだろうなっていう仮説めいたものは考えたいとは思っていて。
多分なんかやっぱ、前回も言ったんですけど、工芸の中での民芸っていう立ち位置をそんなに意識してないお客さんもいるんで。
あるいはその工芸全体にちょっと期待したいことっていうことで、取っ掛かりとして開催されてた民芸展に行った方も結構おられるんじゃないかなとは思うんですけど。
なんか僕、いきなり喋りだしちゃっていいですか、なんか格論じゃないですけど。
多分一つは、なんか二つぐらいちょっと考えたんですけど、一つはあまりにも今の民芸と個人発信のSNSの時代っていう意味で言うと、
個人の生活者視点っていう意味で言うと、民芸の言ってることとSNS時代の僕らが生きてる生活空間って共通項もありそうな気はするんですけど、
03:11
無名の人が何かを営んでいく、それを共有する、それがマスであろうがすごい狭い世界であろうがっていうところは、無理くりでも共通点を見出せるポイントのような気はしてるんですけど、
なんか今の時間の間隔って、例えば何か言いたいことをツイッターの制限の文字で140時に収めなきゃいけないとか、あとはTikTokとかあれ何秒ぐらいですか。
要するに消費する時間軸っていうのがどんどん短くなっていってるんですよね。消費物とかコンテンツの時間が圧倒的に短くなっていってる。
っていうところで、圧倒的に時間がかかったものとか、ものすごく手が込んだものっていうのを載せるにはすごく難しい流れになってきてる。
中で絶対に超えられないというか、ちょっとにわかでは立ち打ちできないような時間の積み重ねを感じるものに対して憧れっていうのが結構あるんじゃないかなっていう気はするんですよね。
憧れだけじゃなくて、やっぱりそういうのが大切なんだよなって立ち振り返りたいっていう欲求があるのかなっていうのはありますね。
何を日々大切にして生きていけばいいんだみたいなこのコロナの状況の中で、やっぱり人と同じ空間で会って話すってことも難しくなってくるとすごい内緒的になっちゃうから、
その中で、自分は毎日生活で何を大切にしてるんだっけって、やっぱり振り返りすぎちゃって、見失い、悩みが出てくる人も多いって聞いたので、
そうやっていろんな時代、100年っていう時代でどういう人の営みが形として残ってるんだろうかっていうのを見たいっていうのは、もしかしたら関係性あるのかもしれないっていうのもちょっと思った。
そうですね。あとは、やっぱり地産地消みたいなこともそれに近いような言い回しが多分民間のコンセプトの一つにあったと思うんですけど、
06:02
そういうものと、いわゆる現代のサステナビリティとかSDGs的なその文脈とか連想からそのあたりに何か人間の考え方とか物との付き合い方に対してちょっとヒントを得たいなっていう人はあるのかなという。
そうだね。
サステナ文脈からの何かヒントはないのかなっていう期待感とかも何か講演に対してあるのかなという。
思います。やっぱりそのもともとの提案会が毎日新聞社が中心になってるし、あとNHK鳥取さんも結構大スポンサーみたいな感じだったので、
この前鳥取ちょうどお仕事で行ってきたんですよ。この前って言っても何ヶ月前か。去年。去年ね。
そしたら商店街、駅からすぐの商店街にノレンっていうのかな、幕があって全部SDGsの幕になってて、
そもそもさっきのおしゃれなネクタイそれどこのみんなが着き始めた、民間運動の人たちが着てた服って鳥取の工芸のお店が作ったものだったりとか、
いろいろ実は中心メンバーの人がお医者さんがいたんだけど、その人が鳥取の出身で、お医者さんなんだけど工芸をめでて、工芸というか民芸をめでてっていうので、運動。
資材を投げ打って何かお店を作ったりとか。
そういうのも面白かったんだけど、ヒントになったかっていうと、意外とミスユーズしてもいいんだな、物ってっていうのが私のヒントでした。
シャブシャブの鍋を見つけてどっかから、これなんかこの鍋の形すごいいいよねってなって、
もともとの多分使用用途じゃなかった使い方で、これいいじゃん、このみんなで肉を囲んでつっついて食べるって楽しいじゃんってなってそういう回をやってたらしいんですよ。
それがシャブシャブの起源だったって書いてあって。
それってちょっと岩さんこんくらみありませんか。
こんくらみありますね。
用途すら変わっていくっていうか、ちょっと手を加えたりとか、取ってつけるだけで別のものに変わるとか、そういうものってリクラフトっていう感じがしましたけどね。
なんかでもなんだろう、この形ってなんでこうなんだろうなっていうそのキュリオシティっていうのが結構彼らのスタートでもあるし、
09:09
あとはただ見て、なんかすごい美しいなって素直に感動したりとか、それだけでも集めてたりとか、
それはどっから来てるのかなっていうのもエピソードで、いきなり提談会の最初にロダンの彫刻を、もちろん日本でそんなない時代に、ロダンの本かなんかを書いたんでしたっけ。
そうでしたっけね。
なんか研究して、ちょっと私の記憶もすごい怪しくなってきた。それで送ったんですよ、ロダンにその本かなんかを。
そしたらロダンがありがとうって言ってロダンの彫刻ちっちゃいのを2,3体ぐらい送り返してきたんですね。
すごいラッキーじゃないですか。
ラッキーっていうか、そんなDHLとかがない頃に無垢のブロンズ像とかクッソ重たいものを、じゃあ送り返すぞって送ったんだって本当にびっくりしました。
物に対する感動とやり取りっていうのが最初の彼の成功体験の1個のエピソードで、提談会の最初にそれが紹介されてて、そこにお友達のイギリス人の陶芸家の方が、
バーナードリーチさん。
バーナードリーチさん。
彼結構いろんなところに登場していくんですよ。写真一緒に撮ってたりとかしてて。
それって結構重要な出会いだったんだよなってやっぱりわかるのが、イギリスがデザインっていうか、もともと作り手のやっているお仕事をそんなにないがしろにしないでよっていう運動がイギリスであったっていう。
ウィリアン・モリスとかの?
ちゃんと説明しないといけないんだけど。
そういうイギリスの運動っていうのと、日本でそういうのまだ作り手を守るというか、物を守っていくっていう運動がなかったから、たまたまやっぱり意気投合した仲間でそういうふうな運動になっていったっていう。
こういう話を今ってインターネットだとなかなかそういうことって起きにくいなって思うんですよね。
ネットでたまたまであって、言ったら岩田さんと海君もネットで出会ってるんですけど。
そう考えたらそうだ。
まだリアルで2回しかやってないですもんね。
そう。ハッカソンがオンラインだったからね。一応インターネットで出会ってるって言っていいと思うんだよね。東京と京都だから。
全然そうですわ。
12:01
うん。なんだけど、そういうのってほとんどハッカソンとかに参加しない限り起きないわけですよ。いきなり突然。
ネット上で仲良くなるって難しいから。
そうするとすごい最近みんな孤独感してるんじゃないかなって思ったので、やっぱり好きなものでコレクティブになっていくとか、運動とか思いを一緒にして長年誰かとやっていくっていうのに、
我々もしかして飢えてるんじゃないかなって、さっき海君の話聞いててふと思ったんですよね。
そうですね。よく言われることですけど、オタクの意味もすごい変わってきて、すごいポジティブになってきた中で、
オタクって本当に好きでしかないものをひたすら掘って追い続けるっていうような、誰に強制されるわけでもなく勝手にやってるんですけど、
とにかく情報量が欲しいんで、アニメも倍速で見て情報インプットして、とにかくちょっと飛び気をしたい人が多いんですよね。オタク的な情報インプットをするために。
それをお披露目し合うけど、そのお互いの名前もすら知らないから、君って呼べない間からなんでオタクっていうふうに呼び合ってたらしい。
言葉の起源として、宝島社とかですかね、言い始めたところが、だから今って勝手にやってたオタクっていうものに対して、岡田斗司夫さんがオタクイズデッドって最近じゃないぐらい、結構前に言ってるぐらい、
オタクっていう様式っていうのがもう仕上がってきて、憧れてなりたい人もだいぶ増えたっていう。
私、実は憧れてて、岡田斗司夫さんサインもらいに行ったことある。大分面白い話ですよね。
その時イギリスに住んでたんですよ。美大生で。でも日本のポップカルチャーとかオタクカルチャーって異質なんですよ。ヨーロッパ人からしてみたら。
それに対して説明できない日本人の私恥ずかしいって思い出して、やっぱりでもまだ日本にそんなしょっちゅう帰れないです。帰ったとしても年間合計2週間ぐらいしか私帰ってなかったんで、
本とかで集め出して情報を。そこで出会ったのが岡田さんとか他の方なんですよ。これだいぶやばい人がいるなと思って、
15:03
そうしたら彼もやっぱり人間の人じゃないけどめちゃくちゃ収集家で、ロケットとかのプラモデルとかの本、それだけを何個も集めてて、それだけ本出してたりとか。
すごい古いやつとか。それも見て私なんかかっこいいなって思い出したって、別にプラモデルも元々興味全然特にないし、ロケットもだったんだけど、その本買ったらめちゃくちゃ気に入っちゃって、みんなに自慢してて、こんなすごいコレクターが日本にいるんだぜってイギリス人に見せて回って、
夏休みに日本帰った時に岡田さんがブース出すっていう情報をゲットしたから、ものすごいコミケ並んで、炎天館に行ってサインしてもらったっていう。
最初の頃はまだオタクっていうのはあったんですけど、要はオタクに憧れるっていうこと自体がオタクっていうある種の作法とかっていうのがみんなに共有されていて、
オタクっていう作法に対して自分の行動を合わせていくっていう風になると、ある種の強制力になると思うんですよね。だからそれって本当に自分がほっといても好きだった、好きなものかどうかっていうよりは、
共有したいスタイルというかフォームが先にあるっていう、それがいいとか悪いとかじゃなくて、それはそれですごく楽しいとは思うし、僕もそういうところあると思うんですけど、さっきの話に戻ると、
誰から何言われてもこれって本当に好きなんだよねっていうことに、逆にもしかしたらすごく勇気のいる時代になったかもしれないなと。
気使って何か言わないと下手すとバッシングされるんじゃないかとか、よく私も聞かれる、作家として発表するのはバッシング怖くないんですかって聞かれるってことはみんな気にしてるんだよね。
表現することだけじゃなくて、それを外に出す勇気、しかも何か否定される恐怖っていう、でもそれってフェイスとフェイスで喋っていると怖いろだったら表情だったりとか、
批判を受けても受け止めやすいし、しかも面と向かって批判するってよっぽど情熱持ってる人なんで、前向きに意見として聞けるんだけど、ネットで顔も見たことない、しかも自分の実名出してないっていう、私からすると卑怯な奴らって思ってるんだけど、
そういう人たちに批判されてしまうと、普通の人はすごい悲しい気持ちになるんだと思う。ただ単に。何のポジティブさも残さないから。私はどっちかというと名前も実名も出さない、気の弱い、弱っちい批判する人たちの意見はただの一人言だとして、
18:09
一人言も言いたくなるよねっていう感じで撮ってるから、別にそんなに傷つくこともないんだけど、やっぱりやりづらい、本当にこの時代は。
ツイートしたらそれが全世界に対して、自分の本来的な意味のつぶやきが漏れちゃうっていうところ。
たった140字だからさ、しかも勝手に解釈されてさ、リツイートされたらどうしようみたいな。自分の本当の声を言いづらくなってきてるっていうのもあるけど。
それに無理やりつなげると、例えば民芸の無名声みたいなところに見に来てる人は引きつけられてたりするんですかね。
いく分あるんじゃないかなっていう気はするんですよね。それなしにちょっと戻すと、本当は無名なもの、それこそ国立近代美術館の字面そのものに対して、全部の文節に対してツッコミを入れていくようなものだったんですけど、
僕らがちょっとうんと思ったのは、ミュージアムショップでひやかしといて、それも激コミだったからすごい大変なんですけど、ノレンとかを見たときにこれいいなと思って、ラベルがなんだろう、人間国宝の誰々がこれをやってますみたいな、めっちゃ権威主義推しなんですよ。
これは結構僕のぐっときたポイントで、あえて別に批判的な目で見るのはやめて、この状況はどういう状況なんだろうって考えたときに、結構民芸は何であるとかそういうことに対して、要は現代から振り返って決まった答えはおそらくないんだろうと。
まだまだその概念の整理っていうこと自体に混乱しながら、いろんな人が意見を言いながらまとめているのがこれなんだろうっていうような、僕の解釈をしましたね。
なんかちょっと疑問だったのが、人間国宝の芹沢さんっていう方だったんだけど、でも民芸って本の使われてるテキスタイル、彼のだったりするんですよ。
人間国宝になったのっていつって思ってて、先に人間国宝だったのか、あまりにも彼のテキスタが素敵すぎるから別に人間国宝だけどまあいいよっていうふうになったのか、何なんだろうっていうのは。
21:00
いずれにしてもめっちゃ権威主義ですよね。
人間国宝って書かなくてよかったよね、別に。名前だけでいいじゃんみたいな。
無名でよかったかもしれない。
確かに。
めちゃめちゃそういうとコンセプチャルだけど、逆に言うと僕らの民芸店見た、お土産買ってきた、名がないとかっていうことに対して強いコンセプトを感じた可能性はありますけどね。
まあそうではなかったという。
そうね、たまたま買っちゃったのれんがそうだったじゃん。袋開けたらおおみたいな。
だからさっきのオタクの話でもずるかもしれないですけど、それが例えば最初のうちは同好会みたいな数人でこれやばいねっていうふうに言い合ってた中で、
わりと協力者とか共感者っていうのが増えてきて大きくなった時に、どのムーブメントでも起こり得る話だったと思うんですけど、
関わる人が増えって言った時に、いやそれは民芸じゃない、いやこれは民芸だ、いや違うみたいなところで、
結局その当事者同士でいろいろ議論があるうちに、それがマウントみたいになってくると、結局何かを生徒する権威主義っていうものをその中でも作らないといけない可能性はあるし、
多分最初のピュアな気持ちで民芸運動を始めた頃の空気感と、展示の終盤に近づいた、いろんな社会的なインパクトを与えてきた後のものっていうのはだいぶ様相が違うので、
工芸とかってすごい適切かどうかわからないですけど、ジャズみたいなものなんですよね。
なんかこう、技巧と芸術性の歴史みたいなところがありつつ、ある種の技巧みたいなところから一回それも脱構築して、リズムマシンを使うのもジャズの一部だったり、
下手したらヒップホップもジャズの一つの亜流って、今現代で考えたときに演奏すらできなくてもジャズであるっていうような価値観の行ったり来たりの横の触れ幅みたいなのがある中で、
ずっとずっとお前はやってることはジャズだ、いやそれは違うジャズじゃないとか、だったらこれだみたいなことが延々と議論が続けられているムーブメントみたいなものが工芸にもあるような気がしていて、議論があるってことはそれが求められ続けているし、概念としては成長し続けているっていう見方もできると思うので、僕はそれは面白いとは思うんですけど。
24:01
たださ、民芸ですって後から言われてるようなもんじゃない?作って出したら後からミレーションで民芸って言われちゃったみたいな。作ってる人がこれ民芸になったらいいなって思って作ってるのかっていうのはちょっと疑問。
だからそういうコンセプトが生まれちゃった後の現代では、自分がじゃあものを作ろうって手を動かすときに、そういう邪念を振り払うのはすごく難しい時代ではありますよね。これ俺がやってることは民芸かなみたいな。そういう邪念を振り払うのはすごい難しいなって。
あと民芸学とかそういうのまだないじゃん。工芸をアカデミックなコンテキストで教えるっていうのは、例えば手法だったり歴史とかを整理整頓して伝えていくっていう目標はあるけど、民芸学って学校でそういうコースとかってあるのかしら?どっかで。
いやどうでしょうね。少なくとも学校の授業だと、例えば図画工作が中学になったら美術とか美術工芸っていう感じになっていくと思うんですけど、それなんか日本っぽいと思うんですよね。美術と工芸合わせて美術工芸。
工芸も一応勉強することになってるんですよ。文科省的には。その中に、僕の学校はあんまり教科書通りやるところじゃなかったからなんですけど、民芸っていうのが登場したかどうかっていうのはなんかないような気もしなくはないですよね。聞いてまいりたいですよね。教科書に民芸って出てきましたかっていうのは。
なんかやっぱりほら、アートって何ですかって聞かれるから、日本でそもそもアートって概念ってなかったんだよね。海外から取ってきたやつなんだけど、それもある意味に民芸だったんじゃないかって思うと、
例えば浮世絵とかをたくさん、器とかを包む紙としてイギリスに壺とかを送るときに浮世絵の紙を一緒に鑑賞材として入れてたら、それ見て、何これすごいじゃんってイギリス人が思ったって。その状況って民芸の発掘に近いっていう。
まあそうですよね。
うん。確かに。
シフレーションとかの視点から収集が始まってるわけです。
このエピソードにつながる問いとして僕が投げた、なぜ今この民芸展っていうのがそれだけ多くの人を引き継げているのかっていうところなんですけどね。
今のお話とかって結構ハイコンテクストになってきたところの話で、つまり民芸っていうのがこうであるみたいなものがあるコミュニティの中で認識されたときに、民芸か民芸でないかみたいなことが議論に上がるみたいなことはあるんでしょうけど、
27:20
たぶん別にそれを見に来てる気はしないんですよね。今の民芸で生きてる人たちが。
そうですね。
僕がつんどくぼになってるんですけど、一つの視点としてすごく気になっているというか、一番民芸について話されている中でも共感するのが、
倉田隆さんっていう哲学者の方が言われていることなんですけど、つまりものとしての民芸というジャンルは、例えば無名性であったりとか地域性であったりとか、色々ありますよねっていうことではなくて、
そういう部分じゃなくて、現代に民芸っていうのが注目される要素として一番上げてるのがインティマシーっていうふうに言ってるんですけど、愛おしさ。
だからたぶん前回のエピソードでお二人がお話しされてた中で言うと、これかっこいいじゃんみたいなものとか、使ってて生活の跡が感じられることに対してグッとくるみたいなこととか、
だから民芸の中になぜか土偶があるみたいなこととかも結構インティマシーな気がするんですけど、例えばコロナの状況の中で何か個人のものすごい強い創作を見たいっていうことよりは、こういう民芸っていう、誰か個人のじゃなくて大ぐくりで、
ザッと全国の民芸品を集めたみたいなものを見に来るっていう心理も、何か強い表現を浴びたいっていうよりは、そういう愛おしさみたいなものを自分の生活の中に取り入れたいみたいな、そういう意識があるのかなって、めちゃくちゃこの倉田さんの話に引っ張られてるものを言ってるんですよね。
インティマシーって英語だと、何かと何か、人と人の密接な関係っていうのとかでよく使われる言葉なんですよ。
あとはものに対して、愛おしいっていう感覚って英国系の人はないから、どっちかっていうと大切に思っているものに対するじゃなくて、物の持ってるストーリーに対しての、なんか親密な感覚っていうか。
30:17
なのでインティマシーっていうのは物に対して使われると思う。
ちょっとこれまた概要欄にリンク貼ろうと思うんですけどね。
宇野恒弘さんがやってるオフソインターネットっていうウェブメディアで、この倉田さんの話が、その対談の記事がいっぱいあるんですけどね。
やっぱりそこでも今、まさにしほさんがおっしゃったようなことが書いてて。
物から事へみたいなことを言われてるけども、実際にじゃあ物が帰り見られなくなって、体験だけにシフトしたかっていうと、物の中にそのことが含まれているっていうところ。
それを表してるのが民芸の特にインティマシーの部分なんじゃないかっていうことが語られてるわけですね。
だからそれが使われてきた時間経過とか、作られた背景とか、その物自体が積み重ねてきた時間とかのプロセスとか、そういうところも込みで物と人が向き合うみたいなことに対して人が欲求してるんじゃないかっていう話。
鳥取のお医者さんが自分の病院に工芸品使ってて、それまでは手術台って真っ平な板の上だったんだけど、それだったら患者さんが長時間横たわってるのはしんどいからって言って、
今だとエルゴノミクスみたいなデザインだと言われ、人間工学的なふうにカーブが作られてて、それもすごく長年使われてるから艶が出てて、見た感じあったかい感じ。
それって思いやりのデザインだなって思ったんですよ。使うっていうよりは体験するというか、横たわる人たちの感情とか感覚に想像をはせて、こういう形のほうがいいんじゃないかっていうのがなかったものを作る人と一緒に伝えて作ってて、
使ってるとだんだん形もまろやかな、擦れたりして形もどんどん変わってくる。そうすると時間経過が出てくる。そういう誰かが使いやすくしてあげよう、これを使おうと日常が豊かになってほしいなっていう作り手の思いっていうのも込められてるものも多いなと思って、民芸って呼ばれるものの中に。
またでもスキ焼き、シャブシャブ、あれスキ焼きだっけ?スエヒロってスキ焼き?鍋、さっきの鍋の。
33:12
スキ焼きだったっけ?やべ忘れた。真ん中に穴が開いてるやつじゃない?
あれはでも違う用途で使われてる。勝手にキュレーション。そこはちょっとねコンフリクトしてるわけですよ。面白いけどね、そういう意味ではね。発想がすごいオープンだなって思いますね、そういう意味では。
私たちやっぱりそういうのに最近、この持っているものはどういう意味なんだろうとか、わざわざ考えて生活してたら、このものにあふれた日常で結構無理があるというか。
そもそもその大量生産されたものに対して意味性なんかあるのかって思ってはしまうんだけど、なんだけどたまに昔ダイソーとか行くと、どっかの国の手で掘ったような木彫りの器とかが、最近見かけないけど昔はなんか変えたりとか。
私持ってますよ、それまだ。でも今行くと100円ショップでは絶対もうそんな売ってないし。そういうものに出会うきっかけがだんだん減ってきてると思います。大切にしたくなるようなアイテムに出会うきっかけって。
そうだとしたらそこが見に来る人の求めてるところの結構大きい部分なのかもな。
そうなんだよね。だから仏欲って誰しも多少はあるとは思うんだけど、欲しくて手に入れたもので、手に入れる過程でも既に満足したりとかしていて、持ってるうちに本当にそれが自分が愛情を注げるものかどうかっていうのが結構こんだけものがある時代に分かんなくなっちゃってですよね。
だからやっぱり本当にときめくかどうかみたいなこんまりとかのメソッドとかは結構いろんな人に刺さるんだろうし。
やっぱり旅行っていうのも民間百伝点のかなりキーワードみたいになってるなって。イギリス行ってきましたとか、沖縄で行ったらこんな見たこともないような柄だったり、なんかものがあって、それ素晴らしいからちょっと本土の方に紹介したいとか。
やっぱり人が移動してセレンディピティで出会ったものっていうのもかなり重要なんだなって思ったんですよ。それって今できないから、このコロナで。
36:11
あとは岩田さんがおっしゃってたインティマシーっていうか感覚っていうの、そのこと自体は物に対する思い入れだったりとか、自分が感じてるストーリーだったりとかするとこで、必ずしも当たり前ですけど、
今僕らが大項目として話題にしてる工芸とかそういうものを説明する言葉ではないと思うんですよね。僕らはコンクラっていうサービスを構想したときに、一回工芸は脇に置いといて、
物と僕らのそれこそ愛おしみというかそういうところの関係に着目してきたところはあるので、それの有効な手段として工芸の力がそれをブーストさせるんだっていうような、前も言いましたけど、
そういうことについて考えていくと、何か面白い物との付き合い方がこんだけ物がある中でも見出せないかなっていう、それが例えばサステナビリティとかすごい大事ですけど、
そういうお行儀よくするというよりは物事を面白がっていくっていうようなことで、物との付き合い方を見直していきたいなっていうのはずっと思ってることではありますよね。
もし仮に物と自分との関係の中にある愛おしさみたいなものを見つめたいと思って民芸展に訪れた方が多くの方がいらっしゃるんだとしたら、
その中で僕らがコンクラでやろうとしていることも遠くないというか、かなりそこにフォーカスしていろいろやろうとしているので、
いろんな人とこのコンセプトでいろいろやっていきたいなというふうに思いますよね。
引き続きこれ捨てられないけどどうしようっていうフランクなご相談とか質問とか、そういうのは僕らはお待ちしていますっていう感じでしょうかね。
そういう意味で引き続きコレクティブメンバー募集しているので、概要欄からコンタクトしてください。
ツイッターでハッシュタグコンクラで感想とか質問常に募っているのでよろしくお願いします。
39:04
アンカー、スポットファイブ、アップルポッドキャスト、グーグルポッドキャストなど各プラットフォームで配信してます毎週火曜日なので、ぜひ番組フォローして毎週聞いてください。
はい、というわけでお時間、いい時間になったんでまた近い。
来週次何話しましょうって感じですけど。
はい。
そろそろ作り手が登場するのかもしれない。
そう、なんかね、やっぱこういう話もしていきたいですけど、なんかコンクラコレクティブでこんなんやってますみたいなことをどんどん出していけるようになりたいですよね。
そうですね。
作り手の話はほんと面白いんだよね。
どっちかね、その辺も。
はい。
では、ありがとうございました。
ありがとうございました。
40:00

コメント

スクロール