というわけで、よろしくお願いします。
プロフィールから漆のイメージが変わった。
自動車とか、私の中で漆って室に入るサイズでなきゃ無理じゃんって。
だから箱、湿度の高い箱に入れてないと無理だけど、車とかどういうこと?
一番でかいものは建築って言いますね。建築、自動車。
今までで一番大きいものって何ですか?漆に関わった。
大きいものは?
面積で言うと建築ですよね。
フローリングを塗ったり、フローリング家具を塗ったり、
フローリング天井を塗ったりとか。
天井があるし。
それは細かい材を塗るとかじゃなくて、出来上がっているところに塗っていく?
フローリングとか、部材で塗れるものは部材で塗った方が工期も短く過ごし楽なんですけど、
どうしても施工した後の現場で塗らなきゃっていうのが時々あったので、
それを可能な限りは何でもやりましたね。
塗った後どうやって固まるんですか?
漆が固まる話は先にもされたので、
ある程度の温度と湿度がないと漆が固まってくれるんですよね。
季節を選べば、今の時期はほっといても乾いてくれるので、
それはいいんですけど、
建築の情報って真冬の1月とか2月、3月に塗ったりするのも結構あるので、
その時は漆の方で工夫するのと、現場の方で加温加湿でいえばする。
その時にはどうするかを考えますね。
漆は漆屋なので、漆の方である程度調整できるんですよ。
漆を調合して冬でも乾きやすい?
乾きやすいように調合していますね。
それは漆の調合とか配分とか、
佐藤さんの親世代の代から教わったものとか、
そういうのよりは研究されてやったこともかなりありそうなお話で聞いている感じなんですけど、
どうなんでしょう?
僕ももともと家業を継ぐつもりではいなかったので、
大学は西山産業省で、理系で農学部でやったので、
研究から漆を触って、
初めて触って、漆って面白いなと思った。
漆に触ったきっかけもあって、サイエンスの目線から入って、
漆を伝統的なものだけど、
科学的に見て分析して、ということを始めた。
そうすると、どうすれば乾きやすくなるのかとか、
丈夫になるのかとか、そういう実験を一番初めにやった。
漆にかかっているので、一番初めにやったのはそういう研究を始めた。
何の研究をされていたんですか、その農学部?
大学は農学部、農業に教科があって、
高校生ぐらいのときはバイオテクノロジーというのが流行ったんです。
ちょっと遺伝子とかを触れるようになり始めた時代。
高校のときにバイオテクノロジーに興味があって、
家内科学や農学の授業をいろいろ受けたら、
バイオテクノロジーのいく種の先生の授業を掛けたら、
あまり面白くなかった。
大洋昆虫学部の先生の授業がすごく面白かったので、
そのまま研究室は大洋昆虫学部に入ったんです。
大洋昆虫学部?
農学部なので、農業害虫の研究と、
農業害虫の点滴の研究を大学にやっていました。
それって今の漆の研究につながる部分はあったりするんですか?
研究って、軍は何をやっても、
結局やっていることは課題を見つけることですね。
あるいは課題があるのをどう解決するかという道筋ですよね。
僕ら実験をやるので、課題を解決するためにはどういう実験をするか。
その実験を実行して、客観的なデータを取って、
そのデータを客観的に分析して、解決すると
さらに新たな課題が出てきて、繰り返しですよね。
全ての研究は一緒だと思っていて、
漆にそれが置き換わってもやることは基本は一緒だなと僕は思っています。
これは面白いなと思っています。
それはサイエンスの目線でも面白いと思っています。
文化性とか歴史とかも面白いなと思っています。
一番初めに研究が、自動車に漆を塗ろうという。
一番最初に。
お題が。
自動車を塗るための下準備をするというのが、
僕が一番初めに漆に関わった時の実験程度というか、
それは依頼があったんですか、自動車屋さんから?
いえ、漆を買い入れを開出して、乾きやすくするとか耐光性を良くするとか、
漆の需要が減っていた中で、
うちの父親が何か漆のできることがないかと言って、
京都市の産業衣装研究所と共同研究をして、
漆を応用範囲を広げようと研究をしたんです。
そこで基本的な特許が取れてできたのがMR漆という漆で、
MR漆を従来の用途、漆器とか物端とかじゃないところへいかなく発信しようかという時に、
やっぱり車に漆を塗らなければいけない。
車にはいらない。
どこで塗るか、誰が塗ってくれるかというと、
それを塗るためにはどうしないといけない。
課題が多いですね。
そういうのがあるし。
それは大学校に出られてからのお話なのですか?
大学は修士課程に出ていて、あまり就職するときとは違うなと思って。
研究職で。
修士が出たときに、研究が何かも必要で、何かもいいかなと思って。
青年海外協力隊に行ったんですよ。
どこに?
中米のエルサルバトリー。
そこで農業の教員、外畜法従の専門家として2年間行って、
それで帰ってきたのが2002年の2月。
農業科では、ジャイ科の専門家になるということ。
エルサルバトリーに行っているときに、ジャイ科の農業プロジェクトがあって、
そこに専門家がいろいろ行ったんですよ。
そこもいろいろ出会いしていたんですけど、
佐藤君、この仕事好きやろ?
はい、と言って、楽しかったです。
佐藤君、日本に帰ったら、とりあえず博士で取って、
そのまま戻ってみなさい、みたいな。
自分もそのつもりで、2年間の協力隊に行って、
そのまま博士課程、入学試験で入っている。
それと同時で、うちの父親から、
博士の研究を、サミス研究所と共同研究をやっているから、
主任人事でいいから、博士の実験をアルバイトでやってみて、と言われて。
父さんはすでに研究…
うちの父親は研究者では全然なかったので、
研究はできなかったんですよね。
ただ、研究ってことは奨励するようなことをやらないと、やっぱりあかんなって思ったし、
その前に、うちの父親の時代に、
漆を科学する会という会を業界の人たちで立ち上げていて、
漆をちゃんと科学的に見て、科学的な見せで見ることで、
将来何をしようかという会があった。
お伺いする限り、ちょっと研究したというレベルじゃないんですよね。
そうなのよ。
私、特許庁のサイトでMR博士の記事を読んで、
あれ?聞いたことに既視感があるぞと思って。
そういえば、インタビューしたいというふうにずっと岡田さんが言っていた人、これ?と思って、
リンクを送ったら、そうって言って。
全然、特許のウェブサイトを見る人、普通にいる人はあまりいないと思うんですけど、
仕事から見るんですよ。
岡田さんもR&Dというか、新規事業のことを会社でやられていますよね。
そうですね。会社員もやっているんですけど、
会社はハードウェアの技術を新しいテクノロジーで作るということで、
だいたい今のトレンドとか、どんなものが出ているかなをチラチラ見ている。
北山さんが何か始めようとするときに、まず論文から入るみたいな。
それは同じです。
逆に会社的には、論文じゃなくて特許をあまりチェックするなというふうに怒られているんだけどね。
それはなんで?
やっぱりそこからインスピレーションが湧いちゃうから。
他の会社の特許からインスピレーションが湧いちゃうと、揉め事になりがちだから。
そこで膨らますなと。
そこから膨らますなというか、そこから着想するなと言われているけど、
個人的な好奇心で見ちゃう。
それは止められない、会社の。
特許は事実というのを全部飾っていますね。
そうなんですよ。
ワンダーランドなことが本当?みたいなことを書いていて、
結構たまに読むと面白い。
読み物として面白いサイト。
とはいえ、写真とか載っていたんですよ。
車、バイクとか、ウェブサイトもあるのでリンクを概要欄に載せていただきたい。
エレベーターのドアと矢野部賢治さんのアート作品とか。
情報量多いと。
表面だったら。
これだ、この記事だ。
特許っていう記事です。
新しい、最近。
そうです。
拝見しました。
昔って何も分からないままそれをむしろやってたんですよね。
それはすごいな。
たまたまちょっとしたことに気づいちゃった人すごい。
中々高速な方なんですけど、
昔みたいに高速なの知らんのにそれを今使ってた。
今やから当たり前というか理解できるけど、
昔の人はすごいなって思いますしね。
ウルシアさんのご子息がたまたま、
例えば農学部とはいえ、論文を書く。
例えば僕、論文を書く学校に行ってなかったので、
論文を書くってどういうことかあまりよく分かってないから、
お作法とか手順も知らないし、
どこに提出したらいいか分からない人なんですけど、
それがたまたまウルシアさんのご子息だから、
ウルシに関する発見を論文にも書けるし、
論文で出したことによっていろんな人がそこに
平等にアクセスができるようになったっていうことが
淡々と語られてるけど、
すごいことをお話として聞いてるなって今ちょっと思ってます。
今日佐藤清正さんの本社のある京都市内でいうと
金閣寺にほど近い場所ですけど、
もともと創業時からこちらでご商売されてるんですか?
創業は京都府庁前っていうふうに聞いてます。
その場所があんまり佐藤じゃないからよく分からないんですけど、
その府庁前から上行区西陣の街中のほうへ移動して、
そこから今のここの場所に移ってきてます。
ここも西陣、一番近いと言うと西陣近いですよね。
西陣が結構ビジネスの相手としては大きい市場としてあるってことですか?
はい。京都って伝統作業がいっぱいあって、
いろんな伝統作業を伝統作業で漆を使うんですね。
うち創業100年になりましたけど、
漆屋として一番新しいですね。
そうなんですね。
京都五県、元々六県がしてるだけで、
うち一番新しくて、漆器とか別だったりするとか、
漆屋さんが言った、
こちらは西陣の漆屋って言ってますけど、
西陣寄りで漆を使うんですよね。
金漆とか銀漆とか引き分ける。
うちは西陣の地域で、
西陣で使う漆を作って供給してた。
もう一つが型ゆうぜんですね。
ゆうぜん染めの中でも手書きじゃなくて、
型紙で染める。
型ゆうぜんの型紙に漆を塗る。
書き渋塗ったりとか?
書き渋塗ったら渋字紙とかに絡まって、
昨日のシャオハルムですよ。
その上に漆で貼る。
型紙用の漆、西陣用の漆というのが多い漆。
シルクスクリーンの膜を大元の技術で出す。
またインサートやらせる。
ここに来る時にシルクスクリーンの版がいっぱいあったから、
なんでシルクスクリーンなのかと思ったら。
シルクスクリーンがここに入っています。
そういうことですね。
シルクシャが貼ってあります。
この細かい柄の。
これがシルクの糸のシャが貼ってあります。
それも異性型紙です。
じゃあこれ手彫りってことですか?
手彫りです。
これまた写真を載せないと音声メディア的に通じないけど。
狂気を感じるレベルだね。
こっちのシャも本当にシルクですか?
そうです。
うちは三重県の静岡の首都という地域に、
型紙業界のために漆を供給するために支店と工場を持っていた。
そうなんですね。
テキスタルとの関係が強い漆屋さんがいるんですね。
後で写真撮らせてもらいます。
一色十なんですよ。
だから紙に漆を塗るっていうのは本当に佐藤さんとのメインの仕事で。
前回の紙のコップの話はありましたけど。
そこは面白いな。
昨日の漆というのは佐藤さんとのアイデンティティとして既に備わっていたので。
国さんとのご関係が急に急接近していくわけなんですか?
会社の立ち上げ段階から相談に参加が来られて。
はじめはステンレスのシンクのタンフラーに漆を塗ったものを商品にして。
事業として会社を立ち上げようと思っているけれども。
それが事業として成り立つのかどうかという段階で相談が来られて。
アイデアを誰も今までやったことがないし。
これはまず面白いなと思ったのと。
あとは事業として成り立たせるためにはコストとか量産性とかそのようなことをおっしゃっていたので。
あとは経験のあるプロの職人が塗るというよりも、むしろあまり経験のない若い人たちが仕事にしたいというコンセプトがあったので。
成り立たせるにはどうしたらいいかなと思って。
なかなかまず量産試験しようって40回やったかな。
うちの社員と2人がやればいいのに。
1日で何個塗れるかという時にタイムに。
時間トライアルで。
そう。
ずいぶん考えとる。
何個できていくらできるのか。
材料どれだけ使うか計算して。
これちょっと面白いなと思って。
焼き付けやったしね。
焼き付け使うとこれちょっと面白いな。
そういう創業前段階から始まったんですね。
一緒になので、ゼロから商品を育ててくれたのが佐藤さんとスタッフでレプリコさん。
なので家族みたいな気がする。
海の親でも。
丈夫にはなるだろうと思ってたんですけど。
佐藤さんのところは染め粉や織物の西陣の漆屋なので色漆が得意なんですよね。
焼いたら色がどうなるかっていうところはそこまで今までそんなに知見がなかったのが
やればやるほどに結構思って色出るなみたいな感じが。
じゃあその西陣の漆やってなかったらそんなに色漆っていうものを扱うことは漆器とかだったらない?
漆器でも今は結構増えましたけどやっぱり赤黒の世界ですね漆器とか。
伝統的にはやっぱり色漆を使うものが少なかった。