前回のときに、世界で一番最初に万博始まったのはイギリスだよって話だったけど、
そのクリスタルパレスっていう建物、
結構イギリス人にとってはすごい大事な建物で、
それが壊されて直されるとかでいかに揉めたなと思って、
記憶で。
万博のときに作ったのがずっとあった?
あったあった。
そうなんだ。
今もあるかわかんない。
老朽化したんで壊しますみたいな反対運動があったなと思って昔。
それが一番最初の万博で作った?
はい。一応文献というか、
もののあれによると鉄とガラスを使った革新的な当時の建築物ってことで。
それ自体がテクノロジーだったんだね。
多分そうだと思う。ガラス加工と。
やっぱりイギリスっぽいじゃん。金属使ってるってとこが。
製鉄技術と産業革命がありつつ、ガラスもこんなに自由に加工できますよ。
僕あんまり知らないんですけど、このクリスタルパレスっていうのは。
もうまっすぐだったり曲面もある綺麗な植物園。
今だと植物園みたいな感じ。
多分今の植物園がクリスタルパレスをしてるような気はしないでもない。
そうなんだ。
っていうのが1951年。日本でいうと完全に幕末に差し掛かるところですね。
鎖国中?
鎖国中です。
参加できないじゃん。
そうなんですよ。だから鎖国が解かれてから江戸時代に一回パリ万博に参加してます。
それが日本としての初めましてなの?
おそらく多分初めましてで、幕府と薩摩、佐賀藩が出品。武具や陶磁器、漆器を出品してジャポニズムっていうのがヨーロッパで流行る。
ジャポニズムって言葉はフランスからじゃん。ジャポンって日本って言いますから。
だからジャポニズムじゃなくてジャポニズムって言葉。
私それちょっとだけ関係感じるのが、万博ができたパリであった建物の中に私レジデンスで滞在してたので、ちょっとやっぱりパリ万博って自分から遠くはない感覚。
ヨーロッパって建物を用途がなくなったとしても一応キープして作り直しながらキープするんで、元日本館だったパレード東京っていうところで、今もパレード東京は美術館なんだけど、美術館って呼ぶな、アートセンターだって呼べるから。
穴が開いた床とかいまだにありますよね。工事中、いまだに工事中。
そこに終わって、一応美術館になったのかな、一回で。二つあるんですよ。一つはパリの国立の美術館があって、そのもう片方は廃墟になってたの、十何年か。
一回映画学校になって、映画学校も引っ越しちゃったから何年も廃墟になって、床に穴が開いてる、鳩がすんごい住んでるみたいな。
それをパレード東京っていう風にして、パリ市と企業が半分半分出し合って、壊れてるの直しながらアート出し、ある意味ここに壁必要って言ったら、逆に壊れてるから壁作ろうかっていう風に作品によって設計して作っていけるよっていうのが売りだったんだよね。
パレってどういう意味なんですか?
宮殿の宮殿。パラスが宮殿だから、パレだとパラスでなんとか宮って意味。
多分19世紀の万博って、ヨーロッパの列強主導なところがあるんで、パリ万博何回か実はあって、幕府が最初に参加した1867年の後、1878年にもパリ万博っていうのがあって、
今度はもう維新政府が、新しい日本すげーぞっていうことでものを出品しだすんですけど、ここから工芸立国みたいな、うちの技術すごいんですけどっていうことを表現するっていうのをより注力するっていうステージになっていくという。
最初に日本からパリにいろんなものを運んだ時は船で運んだんだけど、すんごい大変だったらしくて、船が死んじゃったりとか、病でかな。
今より船が大変な時代ですよね。
それでギリギリ頑張ってやっと着いたら死ぬとか、お侍さんみたいな格好してたから、侍魂みたいな風にフランス人で美化されたストーリーになって、今その人のお墓がパリのお墓墓地にちゃんとあるっていう。
ペルラシエルですか。
ペルラシエルで、名前は捨てちゃったけど調べたら出てくるんだけど、多分幕府の人だったと思うんだけど、侍って言われてて。
そうなんですか。ざっくりしてますね。
侍が安泊に物を持ってくるのかって、ちょっとハッってなるじゃん。
インターネット当然ない時代だし、手紙が何日もばっかりですね。
刀とか持って行ったら鎧とか持って行ってたら侍扱いされるのかなと思った。
ちょっとどっちのやつか分からないけど。
最初の方のパリ万博やったら普通に武士階級の人が行ってるから侍ですよね。
武具を持って行ってますからね。
侍か。
侍の墓がパリにあるんだよって言われてみに行って。
確かにでもおもろいですね。江戸時代の末期に一応参加してたっていうね。
今その人が亡くなったというか、その人がパリに着いた日が亡くなった日扱いなのか記念日になってて、
集まる人が日本人がそこにパリに住んでる。全員じゃないよ。
よく20人くらいだと思う。
でもコミュニティがあって。
面白いなって思ったんだよ。そこで知り合おうって。
なるほどね。万博をきっかけにして、万博きっかけのフランスの日本人の集団がお祭りにみんなで行くっていう。
さっき言ってたパレード東京も日本館だったとこなんで。
もともとそう。
万博の。
建物自体は戦中に一回閉じられちゃってるんだよね。日本と関係ないっていう扱いになったらしい。
そこの前の道がもともと日本のアビニュートーキョーとか東京通りとか日本に関する名前だったのをウィルソン通りって名前になったのかな。
ウィルソンってアメリカの。
めちゃめちゃアメリカ人っぽい名前ですね。
当時戦争中、名前が変わったんですよ。今も多分名前はウィルソン通りのまんまな気がする。
だからその建物自体が万博と日本に関するってことは結構みんな忘れちゃってたんだよね。
そうなんだ。
パレード東京ができるときにその歴史をさすがになかったことにするのやめませんかってなって、その建物がパレード東京っていう名前になった。
そこのレジデンスに志穂さんも入ってたことがあるというと、遠い関係がありますね。
そう。最初私日本関連のなんかかと思ったら全然関係なかったんだよ。
ただ単に建物の歴史とその場所の歴史が忘れたらあかんっていうだけで東京っていうのをつけられたという。
なるほどね。
でもあれですよね。万博、オリンピックもそうですけど、国際的なイベントを開催するにあたって土地開発が行われて、もっと広く言うと都市がそれによって都市計画がなされて、
東京オリンピック最初の64年の東京オリンピックはめちゃめちゃそういう面があったわけじゃないですか。
70年の万博で、スイタの街って行くとわかるんですけど、万博の記念公演になっているところを中心にして玄関上に広がっているようなニュータウンができていたりとか、
明らかに万博っていうものが来るっていうところに合わせた開発が周辺でもされているし、
ないね。
ないんだけどちょっと面白いなって思ったのは、このでもエクスポっていう人たちの万博世代っていう観光をしたりとか、
これは全然万博とは関係なく勝手にやってる人たちの機関誌なんですけど、
万博世代。
勝手にやってる人たちが言ってることが現代っぽいんですけど、
この表紙に載ってる女性とか大学院生なんですけど、岩田さんがおっしゃってるように一応大阪の市民として、
いいかどうかわかんないのを、もうちょっと感覚を解像度上げたいっていう意味で、
こういう万博を取材して、自分なりにそこの世界に入り込みたいっていう。
わりかしオルタナティブな人もいて、そういう人もいるんだとこの間思いましたね。
でもってところに。
ネガティブな前提があるってことですよね。
しかしながらっていうのがかかってるんですかって質問したら、そうなんですって。
ネガティブっていうよりは、しかしながらっていうのは、みんなあれこれ言うけど、
そこにあるものを、ただシャッとするんじゃなくて、見方を自分で広げて楽しみましょうっていう風に活動している。
なんか私すごいいいなと思った。
読んで面白かった。
とにかく今関西にいろんな国の人とかがいるっていう状態を、どう面白がるかっていう意味で言うと、
万博って8時か9時くらいで終わって、
彼ら各国の人は例えば大阪の中心で飲んだりとかするかもしれないから、勝手にこの人たちが、今回はオーストラリアの特集ですって言って、
福井酒屋に特集をみんなでやりませんかって。
他の地下街とかレストランとかで、集まりやすいような仕掛けをやってたりとか、
勝手に応援してる。
そういうのはオルタナティブなアクションとしてちょっと興味深いっていうのはちょっとありました。
万博じゃないですけど、さっき岩田さんが言ってた東京オリンピックに向けてどんどん街が綺麗にされていくっていう。
それをちょっと皮肉にして、現代美術家とかがハイレッドセンターって言われてる人たちが、
やたら街のマンホールを質用に磨き出して白色を着てとか、
それはやたら美化されていくことに対しての皮肉のパフォーマンスとか、
そういうことも含めて受け取った方が、
芸術の教育を受けた人としては、そういう見方もあっていいんじゃないかって思う方ではあるんですけど、
今回の万博はそういう意味でやるとちょっと注目はしているというか。
と言いつつ、展示に秀夫さんと僕らも絡むからね。
部外者でもあり当事者でもあるっていう両方の視点がどうしてもあるんですけど。
部外者ですね。
そうですよね。
展示はいつどういうものをやるっていう話でしたっけ?
7月14日から20日まで1週間。
関西パビリオンの京都ブースっていうところに出すお話があった。
産業っていう、ウィークで命とか職、産業って分けてて、なぜかうちは産業。
でもプレスリリース出たからもう言っていいよね。
ZOZONEXTさんっていう、ZOZOっていうアパレルの会社の先進的なテキスタルを研究しているチームと、
ZOZONEXTのマトリックスチームというのがあります。
彼らと何かできないかっていうのを、お互いっていうのはSHOさんを中心にしてやってたスマートテキスタルの研究と合わせて、
何か面白いことできないだろうかっていうところで、今回全王テーマにしたテキスタルスピーカーを展示させてもらうという感じで。
それが僕らは言っても、お客さんっていうかね、当事者感はないよね。
そのオファーは万博協会みたいなとこから?
関西パビリオンの運営の人たちから連絡が来ました。
SHOさんの会社がちょうど京都をロケテッドした状態で。
まさにここです。収録している。
登記しているのが京都だからっていうことで、何かの噂を聞いて、
SHOさん京都で何か会社立ち上げたらしいんですけど、何か出せるものありませんか?
何もその時なかったんだよね。
登記したばっかだったから。
でもプロジェクトは実はじわじわとやってて、
ないといえばあるけど、まだできてないですみたいな。
でもね、1年もあったかわかんないけど、準備期間があれば発表の場を持った方が
みんながまとまるなと思って。
ちょっと例えが正しいかわかんないですけど、
岩田さん、例えば曲の練習をするよりは、
ライブの日程があった方が気持ちが締まりません?
そういうのは多分あるなと思って。
やっぱりね、一応技術開発なので、プロトタイプを常に続けるってことなんですけど、
見て体験していただくとなると、ただ素材作ったりとかじゃなくて、
人が入って体験するんだってことを想定すると、また作るものが変わっていくなっていうのはあったし、
すごいいい機会をいただいて、戦々恐々と最近までしてたんですけど、
本当にできるのかこれはっていう。
私も万博の噂とか色々聞く度に、本当に開催されるの大丈夫なの?
いきなりラシーとかあるの?とか、オリンピックの色々とかを見てしまったために勝手に模倣してビビってたんですけど、
全く問題なくスムーズに今のところ。
全部がスムーズではないですけど、僕らの話でもあんまりちょっとあれなんで。
産業扱いはもののかったっていう話ですね。
だから多分万博のありようっていうのが、工芸とか産業の新しいものを出していくぜっていうところから、
20世紀の初頭になってからは、大正とかそれぐらいからは、
どっちかっていうと、モダンデザインみたいなものを出していくっていうところに経路がだんだん。
それはウィーン万博の頃ですか?
ウィーン万博は1873年とかで、
でもこの頃は本当に日本の工芸とかが外貨の獲得手段として。
順番でイギリス、パリ、ウィーン、パリだったの?
国が何回か被ってるんで、この頃って。ちょっと年表をしっかり見ないとわからないんですけど。
なんでいきなりウィーンに行ったんだろうと思って。そんなに。
ウィーン、パリ、フィラデルフィアとか。
フィラデルフィア飛んだね。
アメリカだね。
で、シカゴがあって、1900年にもう一回パリ万博があるんで。
パリ何回もやってますね。
なんか私のイメージはやっぱりエクスポ好きな末っていうイメージ。
パリ万博好きですか?
3回目やってるからね。
なんかイメージ的に。
もうなんか19世紀末に。
そこでいろんなものができてるっていうのもある。
新しい表現を紹介されたりとかして、
みんなに広まっていって日常に定着してたとか、
なんとかスタイルとか。
ジャポニーズムもそうだし、
そういうのが否定されずに一応みんなの日常にダウンロードされてて面白いなって思う。
だから第一次大戦とかの直前ぐらいから、
モダンデザインとかの競い合いみたいに性質がちょっと変わっていって、
大衆の工業製品みたいな大量生産がいろんなもので可能になったから、
競うものがデザインぐらいしかない。
工芸どうしちゃった?
なんか曖昧になってたんだろうね。
っていうのがある。
僕らはもうその時代来てないから、
それは一つの視点からの振り返り方にはなると思うんですけど、
だからそれって今考えるとどっちかっていうと、
雑に言うと今そういう役割を担っているのって、
ミラノサロネとかデザインの国際イベントみたいな。
そうそう、それも思って。
例えばそういうデザインだったり、
あとテクノロジーのカリフォルニアとかでやってるセス?
セスですね。
ラスベガスでやってるやつですね。
ラスベガスか。
だからああいうものがむしろビジネスで各国がつながる上では、
むしろあっちの方がダイレクトに、
次のステップに各企業なり国が行けるわけですけど、
万博はそこがすごくふわっとしてるんで、
別に小段階でもないし、
何なんだろうなっていうのはちょっと思ったんですよね。
何を見せたいのかな結局みたいなのは。
一応万博をやってた時期に、
日本は明治期に自分の国の産業とか工芸を発展させるための
内国官業博覧会っていうのもやってたんですよ。
国内で?
国内政治権みたいなやつ。
一応そういうので日本自体の層は尽くしたりとか、
そういう言い合いもあったんですけど、
その頃の話も僕は本当に学校で習ったぐらいしか知らないんですけど、
それをめっちゃ感じたのが京都の宮古メッセとかの、
そこ自体の名前がたぶん正式名称が、
京都市官業館。
京都市官業館ですよねまさに。
進める業なりわいの館。
あそこの京都は本当に工芸の伝統の品目が何十個かあって、
それで一応オーガナイズするっていう京都市のやり方があるんで、
その品目別に展示がちゃんと並んでて、
定期的にメンテナンスされてたりとかっていうのが、
宮古メッセの地下1階の工芸とかがいわゆる、
こういう感じだったんかなっていうことを勝手に想像したりします。
だけどそれがいきなりデザインにとかいって振らないでしょ。
宮古メッセがもうこれからデザインのものしか、やっぱみたいな風にさ。
そうそう。
だから国内の工芸技術とかの共有とかアーカイブみたいなところは、
宮古メッセみたいなところが地味にちゃんとそれをやろうとしてるのも感じるし、
それを国外で見せようと思ったときに、
やっぱり京都のいろんな工芸品とかを
ミラノサローネでどう見せるかっていう話はよくあるじゃないですか。
なので、現代的なことでいうと、
19世紀末のやろうとしてたこととかは、
今そういうことにリプレイスされてる感はちょっとあるなっていうのは。
その博覧会はやっぱり文化の一個一個にフォーカスして、
展示してるっていうのはわかるんだけど、
万博はどっちかっていうと国とか文化を伝えたいっていうところで、
でもなぜかテクノロジーを入れたがるじゃん。
それはでも由来がそうだったからでしょうね。
その時の採用ですから。
そのせいで工芸が今はデザインですって流れになっちゃったってこと?
展示物を知らないんですけど、やっぱり1900年以降はそういう経緯がだんだん強くなる。
でもこれでもわかるのは、これから第一次世界大戦に向かっていく中で、
いろんなところの株式会社とかがいろんな製品の開発のスピードがすごい上がったり、
飛躍的に開発してから物ができるまでのスピード感が上がっていく時期なんで、
劣況は特に。
じゃあ競うのはデザインぐらいしかないかなみたいな。
ちょっとわかんなくはないっていう。
人芸とかウィリアン・モリスとかのアート&クラフト運動とかが出てきたのも同じ時期なんで、
それはデザインとかコストの事情とかで内側処理にされていくクラフトマインドみたいなのを
もう一回復興させようみたいな反動とかがこの時に起こってるから、
まあまあわかるなという感じですね。
シーズン4の最初がその話だった気がする。
もやまやするのが工芸の在り方ってそもそもその時代なんだったんだろうと。
要するにリプレイスメントデザインっていう風にされてしまっているところに、
じゃあもともとデザインって工芸の発展系っていう風に捉えられるわけじゃん。
めっちゃ捉えられると思いますよ。
今振り返るとデザインと工芸って繋がりあるのかとか、
その辺が私よくわかってなくてもやまや。
純粋に初期の万博の頃は物の凄さとかを競ってた感じはあるんですけど、
どんどんマスプロダクション化していくんだと思うんですよね。
物の凄さがその物作りの技術の凄さ。
ある意味そこは当時のテクノロジーをどうやって見たという風にも通るわけじゃないですか。
全然そうだと思います。
そこはどこがシフトになったんですか。大量生産がすごいよっていうどやりになっていったのかが、
私の未だに全然見えてこない風景。
多分だけど19世紀の後半って一般人が手にするものとかも
そんなに大量生産品がなかったんじゃないかなと思うんだよね、今ほど。
いきなり大量生産してないんじゃない。
そうそう。だから多分移行期ですよね。
一応鉄道とかでレールとかはすごいいっぱい作ったりとかはしてるんだろうけど。
多分だけど今までは手で一個一個作る人が最初から多く作ってたんですけど、
今は手で一個一個作る人が最初から最後までやってましたよっていうのを見せてたっていう風に言えて、
それが大量生産はしてないが、生産のコスト、例えば今のサステナビリティもある意味それに近い考えかも。
どうやったらもっとリサイカブルな作り方ができるのかとか、
例えば無駄なゴミが少ないとか、ある意味工業デザイン、考え方としては。
なぜなら工業としての製品の作り方を語ってるから、サステナビリティという視点自体が。
それって未来だよねって言ってるのが同一感だったとするなら、
そういう感じでマスプロダクションいきなりすげえじゃなくて、
こういうものがもっとみんなの手に渡りやすいように作り方を考えましたのでって見せてたのかなと思った。
ドイツ感ですか?
デザインって急に振ったっていうのは何なんだろうって振り返った時に、
一人の人が何か時間かけて作ってすごい技術です。
これはもう日本しかできませんっていうだけじゃなくて、
みんなの日常に手に安く手に渡るものが少ないところだから、
その豊かさっていうことをみんなに分け隔てなく、
工芸品一般人が使えてるって今も昔もないわけじゃん。
工芸品っていうのはすごい技術の工芸品ね。
日常生活であったら漆ぐらいかな。
使ってる日常で。
気軽に使える工芸品ってそんなにたくさん種類あるわけではないからさ。
バウハウスとかの影響を受けてる日用品とか、
ちょっと時代は1950年代に下るけど、
ミッドセンチュリーのイームズの椅子とかって、
大量生産の技術を使いながら、いかにシンプルでいいものを作るかって発想。
それがもう1段階後の話で、
私は工業っていうのはどうやって生まれたかっていうのが気になってしょうがない。
工芸からいきなり工業ってすごいステップでかいと思ってて。
なんかみんなが日常が便利に、
そしてちょっと気の利いた、
そして素材も効率よく使えるから値段も下げられるよっていうきっかけがデザインだったのかもしれないし、
それができるようになってマスになったんじゃないのかっていう仮説。
でも時期とかわかりやすいですよ。
だって僕ら時期って全然ありがたくないじゃないですか。
目の前にありますけど。
昔時期ってすごいラグジュアリーなものらしい。
例えばポーセリンとかそういう、
チャイナって言われてるやつとか?
明治ぐらいの時期の染め付けの骨董とかを見てても、
骨董としてはまだ明治とかが全然価値はないんですけど、
赤絵って呼ばれてる鉄系のこういう役で筆の勢いを重視するようなフォーマットがあるんですけど、
これ別に大したものじゃないけど、
手で一個一個描いてるなっていうのがあるんですよね。
それって多分今の時代の手作りであえてやりましたじゃなくて、
それが一番最良の文業のプロダクションだったんだと思う。
僕が今回の万博に行ったところで全体像が全然見えてないのと同じように、
19世紀のパリ万博に日本が初めて工芸品を出品した時に、
日本人としてはうちはこれだけの技術を持っている国なんだぞっていうことを、
国の力を示すために出したかもしれないですけど、
ヨーロッパの人はそれを未開の国が手でこんな変なやべえものを作ってるっていう、
多分違う解釈のされ方。
どっちかというと完全に未開人として日本人を見てたはずなんで、
そこがこんなものを作ってるんだみたいな見え方だったと思うんですよね。
こっちはもう国が一番誇れるもの、一番イケてるものを出したと思ったけど、
向こうの捉え方とは必ずしもイコールじゃなかったと思うんですけど。
なんか違う文化、素敵みたいな。
だからオリエンタリズムでしょ。
日本もフィラデルフィア万博の時に人間博物館とか行って、
あんよの人をそのまま展示したりとか。
人を?
人の生活をそのままあんよの人を連れて行って、
そこで見せるみたいなことをやって。
言ったらそういう帝国主義的な文脈っていうのは幕が覆ってるので、
大量生産と工芸品みたいなところだけフォーカスしてると、
ちょっと多分全体像つかみにくいと思うんですけど、
そういう帝国主義的なものがある程度第二次大戦を経て反省されて、
じゃあどういう風に見せるかっていうときに、
塩さんがさっき言ったみたいな一般の人も使えるものが、
こんな風にうちの国は作れるようになったんですよっていう、
どっちかというともっとデモクラティックなものに文脈を変えていったっていうことはあると思うんで、
その中でオリエンタリズム的な宗教芸品の見せ方みたいなものは、
やっぱり減りますよね。
あとクラフト文脈とか、
これ共有しやすい話題かわからないですけど、
ドイツにクラフトワークってバンドがありますよね。
その名前すごい面白いと思うんですけど、
当時めちゃめちゃ新しい電子楽器とかシンセサイザーとか、
みんなが使いこなせないところでロックバンドみたいなものをやるみたいなので、
めちゃめちゃ雑に言うとテッキーなバンドだったと思う。
未来的な。
未来的な。
その技術が大衆化して追いついたときに、
彼らのことを今見る目線ってなんだろう、
ある種のレトロフューチャーみたいなことって結構否めないなと思っていて、
2000年くらいかな、ドイツでバンパックがあったときに、
クラフトワークがエクスポっていう曲作ったんですよ。
エクスポを聴いて、今聴いたらどうなのかなと思って、
この間レコードがあったんで聴いてみたんですけど、
別に振り返る価値があるかどうか本当によくわかんないぐらいの、
やっぱりレトロフューチャーなんですよね。
レトロフューチャーって、前の大阪バンパックもレトロフューチャー扱いやん。
今となっては。
今となってはだけど、来ない未来の話をしてたりしたわけだよね。
空飛ぶ車まだないし、ただ携帯で行けましたねとかそういう。
一応空飛ぶ車ある設定ですけどね。
一応ドローン、車って呼ぶかどうかっていうのはあるけどね。
結局技術とか工芸もそうなんだけど、できてなんぼとかいうよりは、
どうやってみんなの生活とつなげるかによって生き残りが左右されるなってすごい振り返ると。
例えば携帯とか、そんなものマジでいらないってなったら、みんな今使ってない。
けど、もうないと死ぬみたいな言っている若者もいるわけでしょ、今。
そんぐらいみんなの生活にインパクトを振るなっていくのは残りやすいし、
工芸でも使いやすい工芸だったら手に、漆のお茶もあるとかもそうだし、手に残りやすいよねとか。
一応喋ったほうがいいかもしれないのは、工芸の展示、今回の万博あるんですよね。
ちょうど明日からあるやつとかはいけないんですけど、
漆の地球理とかね、和島とか。
それ見た話するの忘れてた。
ちゃんと言いました。
私見てない。どんなんだった?
だから、それは技術的なすごいっていうのとありつつも、
今、僕言葉が下手ですぐ出てこないんですけど、やっぱり人間ドラマ的な改修のされ方を今の時代だと工芸をする。
だから展示の順番としては、まず和島塗りっていうのがこういうものです。
その生地を作るところから、こういう風に漆を塗っていって、金彩施してみたいなことを順番に説明するパネル展示があった後に、
動画で作り手のインタビューみたいなものを見せる部屋があって、
その後にドーンと夜の地球儀って、夜に宇宙から見た大都市は明るいし、アフリカは暗いみたいなそういうのを、
明るいところと金で表現したっていう巨大な地球儀が出てくると。
やべえ、私それに近いもの昔作ったことある。夜の地球儀っていうランプ。
一体ご自身の話じゃないですか。
同じアイディアの話。
で、ちょっと一回和島の話しきらないといけないんですよね。
技法の説明と、ああいうものを展示するときに、絶対制作過程のいい感じの映像っていうのが必要なご時世だなと思っていて、
メイキングムービーがむしろメインコンテンツみたいな。
今のある種の工芸の受け取られ方とか、我々は工芸にどういうものを期待しがちなのかっていうのをどう答えるのかみたいなのはちょっと。
なんかね、もやもやするのが。
自分が同じコンセプトで夜の地球儀っていうランプを作ったことがあって、その時私技術とかそういう問題じゃなかったの。
むしろ資本主義によって地図っていう地勢が変わって見えなくなっている土地もあるじゃんかっていうことを言いたかったんだけど、
そのウルシのやつって、ウルシにすごく特性が合うから夜の地球儀にした。昼の地球儀しなかった理由って多分ウルシと金でやりやすいからってことでしょ。
でも逆説にテーマに全然合ってないわけですよ。
その心は。
地球の中で見えるのが電力を夜も使っている国しか存在しないなんて表現してどうするんだって今思ってもやってきた。
なんかふつうとした。
イラ立ち。
朝鮮半島が上半分だけ暗いみたいな。
金がいいんじゃないんです。ウルシの方が美しいんですって言ってみろやっていうところを言いたい。
どっちも美しいという発想はないですか?
だったら金使わなくていいんだよ。
全部ウルシの例えば凹凸とかで表現したっていいわけだからさ。
なんでそこで金が目立つ方をやってて、まんまさぎな表現として。
難しいですけど、和島塗り全体の技法の中でやっぱり金で絵柄を施すっていうところは技法の中では外せない部分ですし、
やっぱりウルシをどれだけ光沢を持たせるかみたいなことに対しても力を注いでいる部分があるので、
うみさんおっしゃる通り別にウルシも金もどっちも美しいから全体が美しくなるんだっていう捉え方ができるようにはなってると思う。
逆にしたらいいんだよ。だったらウルシがある方が暗い。
暗い方が金にして、電気がついてない方を金にして、ウルシが見える方が電気がついている方にしたっていいわけじゃん。
金っていう資本のマテリアルとして使われるやつと電力があるってところが変にマッチしてて、
海だったりとか電気を使わないところがウルシの美しさでってそこがぐしゃっとされちゃってるようで。
ある意味僕面白いなと思ったのは金ってやっぱり面白いですよ。
なんでかって言うと、昨日ぐらいのフォーブスのメールマガジンのヘッドラインに金の価格が高騰しすぎて、
ユーロを超える準備資金になりつつ、世界大の。
そうだよ。取れない。
それに言うと資本の…
限界みたいな。
俺はめちゃめちゃ感じるから、ある意味めちゃめちゃ政治的な材料でもあって。
そうだから、なんで金使っちゃったのかなとか。
面白いでしょ。
もしもそういうテーマがあるならいいよ。
それを展示してるならいい。
わざとそういうコンセプトで実は裏テーマでした。
一回見ましょう。
現代美術的なコンテキストで見ちゃうとこうなっちゃうよね。
それはすごい面白いなと思って。
やっぱり展示の仕方に現代美術的な批評性みたいなものはあんまり感じないです。
技がすごいですよねっていうことを見せる。
それが終わった後、次の部屋で国の伝算品の制度の話とかがあって終わりみたいな感じなんで。
あれはもう明らかに工芸の技術のすごさを見せるっていうことに完全に振ってて。
見てる人たちの横でいろんな人が見てる中で聞こえる感想とかも聞いてると
地球儀だけじゃなくて東京、ニューヨーク、北京、ロンドン、大都市ばっかりですよ。
世界の大都市の夜景みたいなものをそれも近西でやったやつが展示されてるんですけど
普通に綺麗みたいな感じなんですよね。見てる人の感想は。
別にそこにそもそも今塩さんが指摘したような批評性とか特に求めても来てないし
単純に綺麗なものを見に来たっていう感じ。
技のすごさみたいなことよりも単純にものとして綺麗だなっていう感想で見て帰っていくみたいな。
それはもう見た人の捉え方次第ではあるけど
明らかに展示の手段はそこの批評性みたいなことには全くない。
のとは特に去年正月にワジマノリ自体が震災被災した
地震を生き延びた。もっと5年ぐらい前から作られてるんで
地震があったけどそれで壊れずに今こうやって展示できてるんですっていうそこのストーリーもあるっていうもんなんで
そこが現代美術的な流れみたいなものとやっぱり交わらないんだなっていうのは
ある意味象徴的なのかもしれないですね。
私はのとの人だったらガチギレしてるかもしれない。
今ないんだよ光がのとにそんなに。
そうですか。
だって震災起きちゃってさ暗くなっちゃってんじゃん。
それをわざと禁災にするの?みたいなデリカシーないなって思っちゃうんだけど。
のとの人じゃないからねじほさん。
言ってたじゃん。私はのとの人だったらこれ全部禁災なしにしようぜみたいな。
禁災の意味を違う。例えば何だろうな好きにしようぜとかさ。
美学校の好評会じゃないよ。
だってずっとそう考えてないとさ。
そこが私たぶん。
例えば私がのとの人に私のコンセプトでやってくれって言ったら絶対躊躇すると思うんだよね。
資本主義を逆にグローバルディスコってタイトルだったんだけど私の地球儀のやつは。
わざと光が漏れてミラーボールっていう効果になるようにしててそれがくるくる回ってて
ミラーボールでバカバカしい感じで資本をキラキラさせて見せてたんだけど
それをじゃあ工芸でやりましょうって言ったら工芸の人にしてみたらさ
何のメリットもないじゃん。
それを高く売りたいわけですからねやっぱりその工芸はね。
売り物だし。
アートも売り物として。
私実はそれ売ったんだけど。
でも今のショウさん面白いなと思ったのは工芸の今おっしゃったこと自体が
現代美術の交わらなさをなんかすごい証明してる話というか
あの展示が工芸の展示だっていうことは日本の人だったら共通で感じる話なんだけど
現代美術と交わらないっていうのは面白い側面を取り出していただいたなとは思います。
交わらせようと思ったら全然できるんだけど
テーマからちゃんと素材から手法からちゃんと意味のつながりを考えないと
現代美術的にしんどいから工芸はそこは一旦っていう
別ジャンルってなってるのがちょっと辛いなと思うが
ちゃんと考えてる工芸の人もいるわけで
そこがガチャってグシャっとなって工芸って言われるのってしんどくないですかっていう
工芸がだから定義できないっていうのは