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こんにちは、ブルッセルからHazeです。
このチャンネルでは、ベルギーの大学院に留学中の私、Hazeの日常をお届けしております。
今日は、私の生い立ちについて、いくつかに分けて喋っています。
今回は、高校を卒業して留学するための学校に入ったという話になります。
えーと、ノートにも書いたことがあるんですけど、その学校は東京にありました。
そこはですね、高1の時点で、大学の図鑑みたいなやつ、図鑑っていう表現ですけど、それに乗ってて、
説明会を札幌でも定期的にやってたんで、そこ行って、あ、良さそうだな、ここだなって結構早く決めましたね。
高1の時点で決めました。
そこに、高3で受けて入るんですけど、受験というわけで、14月ぐらいに終わってたので、
ヘッドスタートっていうやつで、3月から早く入るんですよね。
東京入って、そこ通うんですね。
3月はちょっと思い出せないな。
その時寮に、民間の寮に入るんですけど、多分最初からそこ入ってたんじゃないかな。
そこで行きます。
もっと言うとその前に、高3の夏の時点で体験入学みたいなのが2週間あって、
その時はおばあちゃん家から通ってたんですけど、そこで授業を受けて味わってみて、
その時の知り合ったクラスメイトたちが、ほとんどがその学校に入りましたね。
そうじゃない子たちもフェイスブックとかで繋がりましたね、その後で。
そんなような環境で入ったので、もうすでに結構知り合いがいるっていう感じのとこに行きました、3月から。
高校の卒業旅行は、そういうわけで私行けでません。
生徒会の子たちがみんなで行ってたんですけど、私は一緒には行っておりません。
東京に行って、その新学校、新学校じゃないですね、専門学校になるんですけど扱い的には、
英語ですよ。授業も全て英語ですよ。
そこに入って、最初は英語のクラス1学期あって、
あと2学期は近くにある定型校、姉妹校ですかね。
そこがアメリカの大学のジャパンキャンパスだったんで、
東京にいながらアメリカの大学の授業を受けて単位取れると。
それをもって編入ができるっていうところに行きました。
詳しくはノートに書いたんでなんですけど、そこの学校は正直あんまり合わなかったです。
主義的には合わなかったですね。
通っている子たちはとっても良かったです。
今も繋がってるし、みんな本当に良い子なんですけど、
学校の期待する生徒像と私は違ったっていう明確な認識があります。
それでも私英語ができましたから。
そこにいる時にトッフルの点数がものすごい伸びて、
大学1年生でしたけど、その時点でもう大学院に入れるぐらいの英語力が実はありました。
そして私一応出身は東京なんですけど、
大学生になって一人で東京に戻るというか出ていくという形になって、
住んでいるところも板橋ではなく、ちょっと離れたところだったので、
なんていうかな、東京生活を一人暮らしもそうですけど、寮だったんですけど、
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なんか謳歌したという感じがありますね。
例えば、当日特にそうだったんですけど、
雑誌に載っているようなお店は原宿にしかないとかね、
札幌にはないとかあったんですけど、
そういうのを楽しむこともできたし、
あと普通に夜に一人で歩いてみたりとか、コンビニ行ってお菓子買ったりとか、
ルミネのセール寄ってから学校行くとかね、
そういうことができたので、
学校にはクラス受けにだけ行って、
あんまり私が気に入るような勉強スペースがその学校にはなかったので小さかったし、
なのでうちの近くの図書館行ってとか、
そんな風にしてましたし、
正直当時あんまり勉強してなかったと思いますけどね、
かなり東京生活は楽しんでました。
あとはね、板橋の幼馴染たちにも会いましたね。
その時、それまでは女友達にしか会ってなかったんですけど、
その時初めて男の子たちに会います。
幼馴染、初恋みたいな人に会って、
カラオケをオールしたんですけど、すごい覚えてるんですけど、
それが何になるっていうことはなかったんですが、
一応顔は見ましたっていう感じになりました。
その時期はですね、
父親がかなり私に会いに東京に来ていましたね。
その度にものすごい量を食べさせられるんですけど、
そんな感じで父親がお世話になった上司の人と会ったりとかっていうこともありました。
あとは仕事仲間でアメリカの大学出てる人に会わせてもらったりとかっていうこととかもありましたね。
そんな1年を過ごして、
5月とか6月とか、6月だった気がするな。
大学の2年生になったその時期に私は都米します。
夏はですね、東京の学校が最初は大体その低傾向に割り振って、
私たちは割り振ってホームステイ先とかも見つけて、
最初はみんなで授業を受けて慣れさせるみたいな感じだったので、
夏はサンフランシスコの郊外のコミュニティカレッジに行ってました。
元々友達だった人とか、
そんな喋ったことないけど同じ学校だった子たちとかと一緒に行きましたね。
その後私はニューヨークの大学に行くんですね。
それもコミュニティカレッジなんですけど、
ニューヨーク都市から1時間の郊外にあります。
東京に出た時にも思ったんですけど、
父親に今でも言われ続けていることがあるんですけど、
週末はとにかくいろんなところに出かけた方がいいと。
そうは言っていても、宿題があったり用事があったりで、
行けないこともあるから、年のうちに何週間しかなくて、
そのうちのこれくらいは行けないとなると、
もうこれくらいしか本当に時間がないんだから、
いろんなところに行った方がいいよっていう、
切羽詰まって行きなさいっていう感じではなく、
行くべきだよっていうのをすっごい言われたんですね。
なので東京にいる時にも六本木とか行ったりしました。
亀原は行けなかったんですよね、結構遠かったから。
でもまあまあいろんなところに行った覚えがあります。
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その東京生活がやっぱり楽しかったんですよね。
都会で広いので、札幌と比べると全然、
札幌も地方都市としてはそれなりなんですけど、
やっぱり東京の刺激の多さは全然違うし、
新しいお店とかもどんどんできるし、
一駅違えば全然違う世界が広がっているということで、
都会がとても楽しかったんですね。
それがその後の私の人生にも関わってくることになるんですけど、
それでやっぱり都会に行ってみたいなと思ったんです。
東海岸に行きたいというのもあったし、
カリフォルニアの気候が良くて人も良くて、
アジアの人も多くてみたいな環境に、
だから何っていう感じだったんですね。
私は全然心惹かれなかったので、
東に行きたい、ニューヨークを見てみたいということで、
ニューヨークの大学に行きます。
そこのプログラムが良い学校に編入できるプログラムがある学校だったっていうのもあります。
これまでの優等生の流れでいくとですね、
アメリカに行くと札幌行った時もそうだったんですけど、
あの人が勉強ができる人だみたいな評価は全くない場所に行くことになります。
そしてアメリカの評価軸と日本の評価軸は全然違うので、
例えば質問をしている人が評価される、
それは自分で後で調べればわかることだったりするんだけど、
それを自分で調べなさい、そんなことを聞くなって言われるのが日本だとしたら、
アメリカではそれが積極的に参加しているということで評価されたりとかするようになります。
ので、ますます自分が優等生でできるっていう意識はなくなっていくんですけど、
まあそんなのは関係ないですね、アメリカ行っちゃったので。
全然違う世界なので。
で、その辺りでこう、なんていうのかな、
才能っていうか能力的にできること。
能力と努力みたいのを感じるようになりまして、
能力的にはできるかもしれないけど、
実際に努力とか準備をしておくかどうかが、
結果を出せるかどうかに関わってくるんだなっていうすごく当たり前なことなんですけど、
私はそれまで能力で決まってるって思ってたので、
そうじゃないんだなっていうのをニューヨークにいる時に学んだりとかしますね。
あとはですね、アメリカに行くとなんかやっぱり褒めるんですよね、文化的に。
すごく褒めるし、バスに乗り合わせた人とか全然知らない人に、
それいいね、どこで買ったのって言われるとか、
あとね、モテます、簡単に言うと。
モテるっていうのもなんかすごくびっくりしたんですけど、
アメリカ行って私いきなり魅力的になったらしいっていうのすごくびっくりしたんですけど、
なんかそんな感じで割と環境が変わってくるんですよね。
当時も私は自信のない子供でしたけど、
この辺の話は、留学生活ってすごい濃いんですが、
結構ノートにも書いてきているし、
なんか今そんなに自分の心理に関係ない気がするので、
詳しくは話さないんですけど、
私自分が思ってるよりもダメなやつじゃないかもしれないなって思うことが、
結構連続して起こるんですよね。
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なんかディベートの大会出て、勝つことができて、トロフィーもらったとか、
ニューヨークの大学もそんなに新学校に行ってやるっていう子たちの集まりではなかったんですけど、
ニューヨークなのでね、ファッションとか演技とかそういうのに興味があって来てるようなこととかもいたんですけど、
そんな環境にいても結構いい大学に編入することができたりとかしてですね、
なんかその辺りで自分にフォーカスするようになったりとか、
その時はね、なんかちょっとスネオ的なというか、
留学に来る子っていろんな子がいるんですけど、
私のその行った学校の子たちなんか特に積極的でキャラクターがすごく濃いっていう子たちだったので、
なんかその人たちの周りにいたりついていけばいいことがあるかなって思っていたことはあったんですよね。
そんなにいいことないんですけど、なくて、むしろその人たちから聞いて、
自分で自分のできることをやった方がいいなって思うようになった時期でもあって、
なんかそのあたりで日本の子たちとも一対一はいいんですけど、
集団ってちょっと合わないなって思うようになるんですよね。
そんなところで日本の人が全然いないような大学に編入をするわけです。
そこでさらに自信を回復するような出来事が起きて、
私の話を聞きたいって思ってくれる人がいるんだなっていうのと、
私は自分の意見を言うことで周りを笑わせることができるんだなって思うようなことがあって、
そこですごく自信を回復するんですよね。
そして自分からデートに誘うとかもできるようになって、
すごい遅いですけどね、彼氏とかもできるんですよね。
で、そうしているうちにティーチングアシスタントをやってくれないかとか、
あとレジデントアシスタントをやってくれないかっていう話が入ってくるみたいな、
結構いい循環に入ったなって思いますね、その時は。
個々で見ると色々あったんですけど、そんな感じ。
で、大学では私専攻を何度か変えてるんですけど、
それまでにも恩師に見出してもらって伸びるみたいなパターンを私持ってるんですけど、
それはもともと父親がそうだからだと思うんですけど、
その時に大学でも興味のある方向に行ってみて、
やってみたらちょっと違ったな、こっちの方がいいなって言って、
そこでいい教授に会って、その人について行ってみたらめちゃくちゃ伸ばしてもらったっていうのがニューヨークだったし、
で、編入してペンステーと行ったんですけど、そこでもきっかけがあって、
大学院にMBAとってこいって言われてたんですよ、父親の友達に言われてたんですけど、
ちょっと私はビジネス向きではないかもしれないって思って、
国際関係で大学院行くんですけど、その中でもいい出会いがあったりとかしてやっていくわけですね。
で、その中でいくつか話をしようかなと思うんですけど、
一つはそこで心理学にちゃんと出会っています。
ペンステーとはすごく大きい大学、めちゃくちゃ大きい大学ですね。
州立大学なので文工的なのもたくさんあるんですけど、
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私が通ってたのはメインキャンパスで、
メインキャンパスもその中にフットボールスタジアムとかあるし、
フットボールって雨フットですね、もあるし、
なんかコンサートとか来れるようなところとかもある。
無料のシャトルバスもいくつも走っているっていうめちゃくちゃでかい大学なんですけど、
そこにクリニックもあります。
なんでワクチンとかそこで打ってもらえたんですけど、
そこにカウンセリングセンターもあります。
で、そこに通っている時に、大学に通っている時に、大学院か、
なんかきっかけがあって、
人間関係を通してやったんですけど、
その相手が原因じゃないなこれはって、
私側の理由だなって思った時にちょっと調べると、
どうやらカウンセリングを受けたりすると改善できる案件であると。
それは良かったということで、そこを行くようになるんですね。
その時に、何度か書いてるんですけど、
大学の図書館でインナーチャイルドとか、
毒親の本とかの現象を読めたので、
なんかそんなのを読んで、
私の過程って普通だと思ってたけど、
普通じゃなかったんだなっていうのをそこでこう知ることになります。
ただなんかそれはまだまだ出会いなので、
そこからずっと今まで続いていくわけなんですけど、
波ありながら。
そこで心理学に出会えてようやくっていうことにはなります。
あとですね、大学院の時なんかは特に、
割とうまく回ってた時期だと思うんですよね。
家に住んで、40人の家に住んでたんですけど、
そこのハウスメイトたちもすごく良かったし、
クラスメイトも仲良かったし、
善と陽々という感じではあったんですけど、
それが卒業すると一変するんですね。
それまでお金を払って学校に行っていて、
これが面白そうだからクラス取ってみたい、
やってみたいっていうのが許されたんですけど、
それが仕事になると、
この経験がありましたからできますっていうことを
言わなきゃいけなくなると。
アメリカの労働市場的な苦労なんかもあったりしましてですね、
大学院終えた時には高校の時とは違って、
別にやり直したいとか一切思わなかったです。
ただその高校のことで言うと、
結構YA、ヤングアダルトの小説が好きなんですけど、
アメリカ行ってからも、
アメリカの高校への憧れみたいなものはあったと思います。
特にコミュニティカレッジって高校の延長みたいなところあるので、
スクールバスで高校に通っているのとか見て、
いいなって思ったりとか、
写真のクラスとかが高校でも撮れるっていいなとか、
結構思っていた覚えがあります。
ですが大学院を終えて、
それなりの成績も取ったし、
バイトとかもそれなりにしたし、
仲間もできたし、
良かったなという感じでとりあえずは終えます。
続きはまた次回、その後ですね、
卒業した後の話をしたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
平治でした。