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こんにちは、ブルッセルからHazeです。
このチャンネルでは、ベルギーの大学院に留学中の私、Hazeの日常をお届けしております。
今日は、私の生い立ちについて、いくつかに分けて喋っております。
私が収録をアップしている最中にというか、その中でフォローとか、いいねとかいただいています。
ありがとうございます。このまま続けていきたいと思います。
高校生が終わったところで、自分の語り方がシフトするのがすごい分かっていて、高校生までは子供だったと思うんですね。
子供時代にいたし、感情が動いているところも聞いてもらえると分かると思うんですけど、
それを覚えたところからはすっかりスッとして、そんなに心の深くにはいかない感じで喋っているなと思います。
そして、ハラン魔女ですね、私の人生ってね。みんなそうなんでしょうけど、人の数だけストーリーがあるっていう感じするんですけど。
そしてスケールがでかいですね。東京から北海道行って、そこからアメリカ行って、今日の話ではネパールにも行けると思います。
大学院を卒業した私なんですけど、知識としてですね、アメリカで留学生が学位を取った後、
それは2年生の大学でも4年生でも大学院でもそうなんですけど、取った後に1年間オフィショナルプラクティカルトレーニングって言って、
ビザなしで1年間働けるっていう期間がつきます。ベルギーにも似たような制度があります。
それを使うために私はワシントンDCに移ります。
というのも、ペンシテイトは本当に大学の街です。日本で言うと筑波ですね。田舎にある大学しかない、ただ大学がめちゃでかいっていうところにあります。
で、別に私は大学に残るつもりもなかったし、国際関係の仕事をアメリカでしようと思うとほとんどがワシントンDCなんですね。
なのでそこにインターンの場もないまま私は移ります。
移る前に2ヶ月ぐらいかな、量の契約が切れるまではペンシテイトにいたまま、
インターンにものすごい数を応募します。最初の2ヶ月は結構やる気あってやるんですけど、あまりに反応がないんですよね。
何度か言ってるんですけど、100近く応募して何か連絡があったのって本当に3件とかそんなもんです。
日本の就活とは比べ物にならないです。正直。なので日本の就活を知ってる人にたどり着けないのって思われるかもしれないんですけど、
そんなもんです。繰り返しますけど、私だけではなくて、アメリカの現地の大学生でも卒業生でもみんな苦戦してました。
そんなわけで大学院まですごく良かったんですけど、良い大学の良い環境にいたんですけど、ちょっと不安になってきます。
DCに移ってですね、イベントに行ったりとか日系のというか日本人の集まりとかもあったりするし、
あとは北海道の会みたいなのがあるんですよね。そういうところとかで人に会ったりとかして、
なんとかネットワーキングを進めていくわけなんですけど、結局半年経ってですね、年が明けてから一学期間インターンをするっていう機会にありつけます。
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そこは無休でしたけど、それ以外は全部希望がかなっていて、私が東京からニューヨークに行った話をしましたが、
私都市の仕事をしたいって思ったんですよね。それを国際関係の後に言うんかいなっていうのはまたあるんですけど、
それでその都市の政策をやるシンクタンクでインターンということになります。
そこは有名なところで、留学生がよくインターンするのそこだよっていうのを話し聞いていたところでもありましたし、
日本人の先輩がいたこともあるみたいな、日本の教授とかもたまに来てる、たまにっていうか一人はいつも来てるのかなっていうようなところではあったんですけど、
そこでインターンすることになります。
それまでの半年がですね結構辛くて、
その時もまた自分が3年間住んだんですけど、3年間住んだステイトカレッジっていう街を出て、
その寮の仲間っていうか、ご飯食べに行けば誰かと話せるみたいな環境も出て、
結局部屋借りたんですが、なんか大家さんというよりはホームステイ、ホストファミリーみたいなすごいよくしてもらう環境にはなったんですけど、
その新しい場所で、ちょうどですねその時私別れた後だったんですよね。
それもその時は、別れてすぐは全然平気だったんですけど、
数ヶ月経ってDCに行って、自分の人生をこれから何をしたいのかをすごく考えなきゃいけないっていう時に、
そもそも失恋のショックから立ち直れないっていうですね、すごいそういう状態になるんです。
それが大学院の同じ勉強をしている人だったので、共通の知り合いっていうか友達がほとんどで、
事情があってその子たちにその話ができなかったんですね。
なので私はここでもまた頼る人がいないっていう、頼れないっていう状態になるわけなんですけど、
そんなんでなかなかインターンも決まらず、いつ決まるんだろうみたいな、やる気もだんだん落ちてくるわけですよね、そんなに反応がないわけなので。
なのでその時期は、まあでもそうですね、図書館行って毎日行って、
ジムにも、ジムに歩いて行けるところをわざわざ選んだので、ジムにも毎日行ってましたけど、
すごくめちゃくちゃ食べてましたね、当時。
どれだけ食べてもお腹がいっぱいにならなくて、
でもDCって物価高いし、学生の街のように安く食べれる場所とかなかったので、
でもなんかすっごい食べてましたね。
ジム行ってたからそんなに太らなかった、目に見えて太るっていうことはなかったけど、
でもやっぱあれもストレス解消だったなって思います。
そんな中で、ボストンのキャリアフォーラムに行くんですよね。
留学生、もしくは留学経験のある大学生ってみんなそこで仕事決めるんですけど、
私は希望が国際機関とか、会社じゃないパブリック側だったりしたので、
あんまり目欲しいところが正直なくて、
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そしてアメリカにいなくてもいいけど、日本は絶対嫌だって、
日本付近、あの辺は絶対嫌だっていう気持ちとかもあったんですが、
あまりにインターンが見つからないので、ちょっと妥協して行ってみようかな、
友達も行くって言ってるし、一緒に泊めてもらえるかなみたいな感じで行くんですよね。
行って、そこで惨敗するんですよ。
それがなかなかにショックで、
コミュニティカレッジを出てるような人でも仕事が決まるっていう話なのになぜ大学院を出て、
しかもなんかディベートとか、なんかティーチングアシスタントとか、
なんかいろいろやってきた私がなぜ評価されないって、
結構ショックを受けるんですよね。
で、受けるんですけど、
なんかそれでもう少し自分でやりたいこととかを捨てて、
もう本当に幅広く見てみようかなって、
その時思うんですけど、
なんとその週末ですね、
DCに戻った時に、
そのシンクタンクのインターンから連絡があって、
スッと決まるんですよね。
そんな不思議なことがあるんだなって思うんですけど、
なんかその時に私は、
自分の道を切り開いていかなきゃいけないんだなって思いましたね。
なんか他の人と同じ大多数の道を行くっていうのではダメで、
なんかできるって思ってやってみたらできることもあるかもしれないって、
なんかニューヨークの時からずっと思ってるんですけど、
なんかそういう感じでしたね。
そのインターンを始めるまでは、
それが無休だっていうのもあって、
短期でバイトしたりとかっていうのもありました。
インターンをしていて、
なんか人にも会ったりするんですけど、
その後結局私はネパールに行くことになるんですね。
ネパールでインターンしてみたいなっていうのは思っていたんですよね。
それをなんか人に言っていたら、
いい人が見つかって、
見つけてくれた人がいて、
日本に1ヶ月戻って、
それからネパールに行くっていうことになります。
アメリカのそのインターンは、
内容としてはすごく興味のあることで良かったんですけど、
チームワークが全然良くない、
あとお金もないところだったりとかして、
あとすごく思ったんですけど、
学生でただ出てきましたっていうだけだと、
就活がものすごく不利で、
経験のある人が圧倒的に有利だって感じて、
それはビザを取る部分でもそうなんですよね。
もしくは、
私はその日本が嫌だったので、
アメリカにいながらも日本の会社で働くとか、
アメリカにいながらも日本とやり取りをしているみたいな仕事は、
そもそも嫌だったんですけど、
なんかそういうどちらかを妥協しないといけないなっていう印象を受けましたね。
やりたいことを優先するか、
優先して日本に戻るか、
もしくはどうしてもアメリカにいたいから、
そこは目をつぶるかっていう感じに当時は思いました。
なので、少し経験を積んでから戻ってきた方がいいなっていう感じもしましたし、
そういうわけでネパールに行くわけなんですね。
ネパールは、
これはこれで喋ろうと思うと喋れるトピックだし、
まだノートにも書いてないと思うんですけど、
そこはちょっと気が向いたらということにして、
結局2ヶ月半いましたね。
そこはスタートアップだったので、
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すごく小さくて、
アットホームで同年代の子ばっかりがいて、
すごくチームワーク良かったので、
ネパールは国としても安全だし、
面白いことが起こるんですよね。
すごく面白かったんですよね。
だから毎日朝起きるのが楽しみみたいな、
今日も仕事行くぞっていうのが楽しみっていうのを過ごしました。
その時に一緒の家に住んでいた子たちとは仲良くなったりもしました。
そしてその間にも仕事を受けたりとかして、
その面接のために日本に帰るみたいなのがあったりとかしてたんですけど、
その後は東京に戻ります。
その時にはうちの実家が札幌から引き上げていて、
弟が東京の大学に通っていて、
母も会社は変わらないままなんですけど、
本社に呼び戻されて、
行きたいって言って戻ったので、
私が戻った時にはその2人が一緒に東京で暮らしていました。
それは板橋の家ではなかったですね。
板橋からほど近かったんですけど、
そこの家はずっと借り手がついているので、
他のところに住んでいました。
私もそこに、一応そこが実家ということになったんですけど、
そこで覚えているのは友達の結婚式に行きましたね、札幌で。
その時はあんまりその後のキャリアのこととかは、
あまり考えていなかったというか、
深刻さはなかったと思います。
都市の仕事をしたいなというのはあったんですけど、
ネパールはそんなに都市じゃないし、
そっち側の仕事にいろいろ応募しているうちに、
決まったのが国連のインターンですね。
そこは都市は全然関係ない期間だったんですけど、
卒業して2年以内だったら応募ができるっていうところで、
日本事務所で募集してたっていうのもあるし、
あとは私の大学院のクラスメイトがそこの本部、
日本じゃなくてスイスの本部で
インターンしてたことがあるっていうのもあって、
そんな話をして、
なごやかに決まりましたね、インターンが。
私本当にインターンって特にそうですけど、
なんかスッと決まるんですよね。
あまり努力をせずに。
でも知り合いの捨てというか、
なんか関連のあるところが決まってはいるんですけど、
それが決まります。
そこで半年働くんですけど、
そこはちゃんとお金が出て、
最初のアメリカのとか無給でしたけど、
ネパールも全然出なかったけど、
国連はちゃんと、
初任給と一生ですね、
一生より多かった、一生くらいかな?
っていうくらいちゃんとお金が出て、
半年間インターンをして、
その中で、
インターンを取るの久しぶりだったっていうのもあって、
特にこの仕事やってくださいっていうのはない仕事だったんですよ。
だけどその中でも、
自分ができることは何かなって探したり、
手伝えないですかって言ったりとかして、
何かができるっていうことが分かると、
じゃあ関連しているこれもお任せしてもいい?
っていう感じで増えてくるんですよね。
そういう感じで半年を過ごしまして、
そこはオフィスも綺麗だったし、
霞ヶ関、虎ノ門みたいなエリアにあったんですけど、
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お昼とかめちゃくちゃ楽しみましたね。
半年で100軒くらい行きました。
いろんなところに行くのが楽しいっていう感じで、
霞ヶ関に半年通いましたね。
そこで延長はできたんですよね、規定的には。
1年までは延長ができるっていう話だったんですけど、
それが終わった夏に、
私はサマースクールの手伝いに行きたい。
自分が高校生の時に参加したところに手伝いに行きたいって、
学生の時から思ってたんですけど、
それがアメリカにいたのでできなかったので、
それに手伝いに行きたいっていうことで、
インターンはやめます。
そのサマースクール行って、
正直いろいろあったんですけど、
また自信をなくすようなこととかもあったんですけど、
それを経て、さあどうしようかなというか、
その時点で結構ですね、
私アメリカでフェンステートで一緒に住んでた子たちが、
沖縄PHDをやっている子たちで、
その人たちが今みんな教授になっているんですね。
みんなファンディングをもらって、楽しそうだったんです。
簡単に言うと。
なので私もそっち側に行こうかなって思って、
大学院を受けようかなっていう風になってくるんですよね。
その時にちょうど国連のYPPっていう試験を受けて、
書類が通ったんですよね。
その時はまだ対面で試験を受ける時期だったんですよ。
だから国連大学に試験を受けに行くことになって、
渋谷の渋谷、青山かなって。
なのでそこで私一回勉強期間に入ります。
その大学院のGREを、
私一回受けてるんですけど、もう一回受ける。
YPPの勉強もする。
あとはね、トッフルもちゃんと取ることにして、
それも合わせて勉強するので、
数ヶ月勉強期間に入ります。
まあフリーターっていうのかな、
フリーターっていうか働いてなかったんですけど、
勉強する期間に入ります。
あとその時にちょうどフェンステートの大学院の方から、
リクルートの手伝いをしてくれる人いたら教えてみたいな話が来て、
そこが日本のアメリカの大使館、
東京にあるアメリカ大使館が留学フェアみたいなのをやるので、
そこで留学経験者が話ししてくれるの募集してます、
みたいな話を持ってきたんですよね。
なのでそれを2ヶ月連続でやって、
私留学して、
コミュニティカレッジ行って大学に行って、
大学に行きました。
OPTもやりましたみたいな話をして、
留学したい高校生とその保護者の質問に答えるみたいな機会を
いただいたりとかしていました。
あとはその手伝いに行ったサマースクールの
卒業生のイベントみたいなのもあって、
そこでも話をしたことがありましたね。
私は大学の学部の専攻はスピーチコミュニケーションなんですけど、
とてもアメリカっぽい、日本っぽくない感じの専攻なんですけど、
それで習ったことを2回に分けて話すっていう機会を
いただいたりとかもしました。
今回は私がやったインターン3つの話をしました。
インターンはですね、実は今も探しているので、
次が見つかったら4つ目ということになるんですけど、
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当時はもう3つやったから、
もうインターンは一生やらないって思っていました。
次は働きながら都庁を受けて都庁に入るっていう話になるかと思います。
それでは次回またお会いしましょう。
平治でした。