発信への思い
おはようございます、いとうゆうこです。
このチャンネルは起業や副業を頑張りたい方を応援するチャンネルです。聞きに来てくださりありがとうございます。
今日はですね、お休みなのでね、ちょっと私も配信お休みにしようかなと思ったんだけど、
ちょっとね、これはちょっと残しとこうかなっていうところがテーマが出ましたので収録をしております。
タイトルまだ決めてないけど、発信でネガティブなコメントをいただいたそのお話をしようかなと思います。
ネガティブって言っても別にお相手の方もね、私を傷つけようと思って何か言葉を投げかけてきたというよりは、
私はどうしてもちょっとね、ここ気になるから伝えたいんだよねということでコメントくださったんですよね。
それを受け取って私がどう思ったかっていうところにシェアしてみようかなと思います。
ぜひね、これを聞いている方の多くはご自身で発信されている方がいらっしゃるかと思います。
みんなの反応があったら嬉しいし、コメントとか来ると、やったーみんな聞いてくれてるってわかるけど、
時にね、思ったのと違う反応だとか、こんなコメントが来ちゃったどうしようっていう場面もあるかもしれませんのでね、何か参考になったら嬉しいです。
本題に入る前に一つお知らせです。
私、コーチングっていう技術を使って、対人支援ということでね、それぞれの目指す未来に向かって一緒に伴奏するっていうサービスをしてるんですけど、
9月1日から3ヶ月、6ヶ月っていう単位でサービス提供することになりました。
なので事前にね、相談、まずは面談させてもらって、必要に応じた回数とか関わり方とかを決めてから、本契約っていう形になるんですけど、
それに伴ってね、1時間でコーチングセッションっていうのは基本的には受け付けないことになりました。
ただ今移行期間なので、9月末まで申し込んでくれた方に関しては、1回いくらっていう単発でもコーチング受けることができますので、
ちょっとでもご興味ある方はとりあえず申し込みだけしておいていただければ、12月末まで単発でコーチング受けることができますので、
ぜひご興味ある方は9月末までお申し込みください。お待ちしております。
子供食堂の体験
ということで本題なんだけれどもね、私昨日ですね、子供食堂っていうところに行ってきたんですよ。
実家がね、ある地域にあるんだけど、その実家の近くでたまたま子供食堂をやるっていうのをね、スレッツで見て、
えーなんか、あんな場所でやるの?みたいな感じで、そこにはね、子供だけじゃなく地域で住んでいる大人の方もぜひ来してくださいっていうふうに書いてあって、
私としてはね、両親がなかなか、もう年もさ70代後半だし、ちょっと父がね病気をして、
人との関わりがいろいろな面でちょっと減ってしまってね、心配な部分もあって、でも私が毎回頻繁に実家に帰ることもできないから、
できればこう若い人、子供たちと関わる機会があるんだったら、ちょっとうちの両親をね、その子供食堂に連れて行って、
なんか交流の時間が一瞬でもあったらいいなと思って、ちょっと行こうよって言って無理やりね、両親と、
うちのね、小児の一人息子も連れて、4人で行ってきたんですよね。
その子供食堂は子供地域食堂っていうふうに名打っていて、
どちらかというと、子供だけ、子供のね、いろんな事情で、食事とかいろいろ経済的な面とかいろんな問題があるような子たちに食事を提供するだけではなくて、
もっと地域としてね、大人も子供もみんなが孤独に食事をするっていうのを避けたい。
だからこういう場を作ってるっていう、そういう趣旨でやってる感じが、代表の方とか窓口の活動されている方とかの発言とか案内の文章とか見て伝わってきてね。
実際行ってみたらすごく開放的で、もちろんボランティアの方々も一生懸命動いてたりとか、
結構若いお母さんとお父さんとか子供たちもたくさんいらしてたし、ちょっと老人、うちの両親たちみたいな人たちはあんまり私たちが行った時間はいなかったけど、
でもなんかすごく開放的で、いい意味で適度な距離感もあってね、すごく私は素敵な場だなぁと思ったんですよ。
だからね、すごく素敵な場あって、うちの両親も喜んでたのでね、なんか子供たちが笑い合っている中で食事が取れて、
本当にいい時間ありがとうございました、みたいな感じをインスタのストーリーズで流したんですよね。
発信者としての挑戦
そしたらとある方がそのストーリーズを見てメッセージをくださったんですよ。
そこにはすごくね、私に対して配慮する気持ちがいっぱい伝わりながらも、
でもどうしてもゆう子さんのその素敵な場っていう言葉にどうしても自分は納得がいかないからっていうことでメッセージをくれたんですよね。
で、その方はやっぱり子供食堂っていうものがね、この世に存在すること自体が本当はおかしくって、
それは社会のね、大きな問題だから、なんかそういう大きな問題があるにもかかわらず、私が、
いやなんか素敵な場だったなんて言ってしまったら、それを見た人とかは、
あ、いい場なんだね、素敵だね、いいことやってるじゃんって、なんかそれを良いものとして捉えてしまう可能性があるから、
そういう素敵な場だったっていう表現するのはいかがなものかっていうご指摘をいただいたんですよ。
で、確かにね、なるほどなぁそうだよなぁって思いながら、ちょっとこう見てる視点が違うんだろうなぁと思って、
私は本当に純粋にその場に行って、主催している方にもご挨拶させてもらったし、
一生懸命ね、先頭だって動いている方ともいろいろお話させていただいたし、
実際その場で見て、空気感を味わった上で、いい場だなと思ったから、素敵な場っていうその目の前のものに対していい場だなって言ったんだけど、
それを受け取ったそのコメントをくれた人は、それを通してその元の根っこにあるそもそもの課題だよねっていうところを見てるから、
お互い見てるところが違うなっていうそのズレを感じて、だからこう、その方がコメントくださったことももっともだし、
でも私が純粋にこの目の前のことに対して素敵だなって言ったことに対しては私にとっては事実だし、そこは平行線だなって感じたんですよね。
で、だからまあ、その場は私がそれなりのことをお相手にお返事して終わったんだけど、そこからですよね、私たち発信者はどうするかっていうところだと思うんだけど、
なんかこう、もちろんそこで確かにこういう発言をすると、なんかこう、なんていうの、あたかもその状況がいいものだって思われるかもしれない。
誰かにこういうふうに思われるかもしれないから、こういう発言はやめよって思うのも一つの案かもしれないけど、
でも私は、それを思われてもいいから事実として素敵だったっていうことは伝えていきたいし、
やっぱりそういう子供食堂を実際に継続してやっている方々、もうその人たちもさ、初めてやったわけじゃないわけですよね。
ずーっとやってきた中で、それこそ私は初めてさ、言ったから良かった場だよなんて言っちゃったから、逆にね、私の発信でなんかその方々にご迷惑をかけたのかなって思うと、
ちょっとそれだけはね、なんか申し訳ない、変な発信しちゃったかしらっていう、ちょっとした心配はあるけれども、
でもなんかこうそうじて、自分たちがやってることに対してきっとネガティブな反応を受けたことはね、あると思うんだよね、そういう人たちって。
でもやり続けてるんだよ。そこに私は最大のリスペクトを感じてるし、
心差しを持ってやり続けている人たちの何かの力になるんだったら、私はその場に行って何かお手伝いをしたりとか、できることはね、やりたいと思うし、
それこそね、言ったことを宣伝っていう意味でSNSで発信して、こういう場でこういうことをやっている人たちがいるよっていうのは紹介したいなって思ったんだよね。
だからそれに対してネガティブなコメントをいただくことも覚悟の上っていう感じかな。
だからなんか、あんまりアンチではないよ。今回の発言に関してはね、お相手のコメントに対してアンチコメントもらったっていう受け取りはないけど、
でもやっぱり自分の発信に対してある一部分をその方が切り取って、それはちょっとおかしいんじゃないっていうふうに言われることに対して、あるあるじゃない?
我ら発信者においてはさ。でもそこを恐れて自分が思うことを喋らなくなったら何も言えなくなっちゃうよね。
だから今回いただいた指摘に対して、じゃあ自分はそこに共感する部分ももちろんあるわけだから、それも踏まえて今後どういう発信をしていこうかなって、プラスに加えて自分の発信をしていくっていうのはできると思うけど、
基本的に私はこういう発信をしていくっていうのを変えたくないなと思ったし、やっぱり行動している人を応援したいっていうのがあるから、なんかね、子供食堂みたいなので、何て言うんだろうね。
いろいろ思う人もいるんだろうなぁと思うとね、なんか考えさせられたよね。
今回コメントくれた方がそこまでいろいろ考えているかどうかっていうのはちょっと文面ではわからなかったけれどもさ、
もしかしたら一部の人には、例えばそういう子供食堂とか福祉的な活動をね、精力的にやっている人たちに対してネガティブに思って、それこそ偽善者だとかさ、
ボランティア活動の本質
あなたたち結局、自分がやっていることすごいでしょ、素敵でしょって、そういうのアピールしたいんでしょ、みたいに思う人もいるのかもしれないけど、
私は少なくとも自分で行動しているからこそ、そういう子供食堂をやるとか、それを何回も継続してやることが簡単ではないっていうことを知ってるんだよね。
だってさ、めんどくさいと思うよ。場所を借りて、材料も用意して、いろんな人に協力を仰いで、いろんな寄付とかもあるみたいだから、そういうのもきっと寄付先に対してお願いもしただろうし、
いろんな文章でいろんな人たちにアピールもしただろうし、それこそ当日の準備、野菜とかも切ったりさ、ボランティアの人集めたりとかさ、
パッと見えるのは、キラキラした子供食堂やってます、すごいっていう面しか見えないかもしれないけど、裏は相当くそめんどくさいことやってるはずなんだよ。
それは私が自分で行動してるからわかるんだよね。たかたか私みたいな、そんな子供食堂なんてやったことないけどさ、ちょっとイベントをやったりとかさ、ちょっとなんか自分で何か主催して行動したことがあるからこそ、
いやマジ大変だろうなって思うわけよ。だけどやり続けるっていうところに、やっぱ信念があるでしょうというところもあるし、
ぶっちゃけさ、そこにさ、もしよ、そういう何かこう子供食堂なり何かをやってる人たちの中に、心の中にね、
いやなんか、俺たちいいことしたなーって思う気持ちがあったとて、良くないって思うわけよ。
あの、何て言うんだろうな。100%相手のために自分の喜びなしに行動する人って、いないんじゃないかなと思うんだよね。
どれだけボランティア活動をする人がいたとしても、やっぱりそのボランティア活動をする人の心の中には、その行為をすることによって相手が喜んでくれて、笑顔になってくれて嬉しいっていう、自分の欲求を満たす部分があるじゃん。
それで動いてるじゃん。じゃなきゃ動けないじゃん。
だからこそボランティアをされる側も、あなたは私がそれを受け取ることで喜んでくれるなら、まあ受け取ってやるぜみたいな、本当はウィンウィンなわけよ、ボランティアだってさ。
だから、あの、何て言うんだろう。施されたっていうふうに思わなくてもいいし、受け取る側もね。
お互いにハッピーな時間を過ごしているはずだから、なんか受け取りゃいいのよって思うし、そういう活動をやりたい人はやりゃいいのよって思うわけよ。
自分たち本当にすごいことやってるじゃん。
あの、俺たち偉いんでしょ?偉いよね?って思いながら活動し続けたら、それだけの気持ちでもしね、活動し続けたとしたら、絶対周りは気づくと思うんだよね。
それこそそれを、そういうボランティアを受け取る側は、やっぱりわかるよ、そういうふふんみたいに思ってる人の気持ちは。
そしてみんな離れていくと思う。だから続かないと思うんだよね。
そう考えると、ずっと続いてそういう行為をね、やり続けている人たちっていうのは、自分たちの中に喜びはあるとしても、でもそこにはおごりとか、俺たちすごいことやってるよねっていう気持ちはあんまりないんじゃないかな。
それよりもやっぱり、何でこううまくいかなかったんだろうとか、なんかもっとたくさんの人にね、それこそ食事提供したかったのに、ちょっと材料がいっぱいで、最後お断りしちゃった。
なんか読みが甘かったなぁとかさ、いろんな反省を踏まえて、じゃあ次こういうふうに活かそうとか、こういうのをやってみようってトライアンドエラーでやり続けていると思うんだよね。
だからそんなに甘いもんじゃないから、なんかこう、なんていうんだろうね、その偽善者みたいな意見に対して、偽善の気持ちだけでやり続けるのは結構しんどいんじゃないかなって思いますが、どうですか皆さん。
ネガティブコメントの影響
よくわかんないけどね。
まあそうなので、今日はね、発信においてちょっとネガティブなコメントをいただいたことによってね、私もいろいろ考えさせられたんだけど、でもまあそうじて、なんかこう、いろんな反応を呼び起こすような発信ができたのは良かったなって思うかも。
やっぱり一番辛いのは無反応だからね。
そう思うと、何かしらの今回もね、コメントをくださった方は、どうしてもちょっと私心を動いたあなたの発信ちょっと変だと思うみたいな、そういう思いを伝えてくれた、そのきっかけの発信ができたっていう意味ではね、発信して良かったなって思うし、一生懸命ね、私を思いながらコメントをくださった方もありがとうって思うし、
それと同時に、じゃあ私はこれからどういう発信者としてね、思いを伝えていくかっていうのもやっぱり考えさせられたし、
悩みながら、模索しながら、またこういうコメントもね、取り続けたいななんて思いました。
良いタイミングだったなぁと思いましたのでね。
ぜひ皆さんも、毎日発信されている方もいらっしゃるかと思うんだけど、時々ね、こんな風に、どうかなーって自分の発信見直す機会があるといいんじゃないかなと思いました。
ということで、今日も聞いてくださった方ありがとうございました。
それではまたお会いしましょう。