「かわいそう」という言葉への疑問
月乃セラビの宇宙で一番小さなニュース。 今日は、かわいそうという言葉についてお話します。
先日、針3本という沢さん、玉さんと3人でお話をさせていただいている番組の中で、 かわいそうって言われると嫌だよねーとか、
自分じゃなくてよかったっていうニュアンスがあるから、 使わない方がいいっていうお話をしてたんですけど、
ここで、私どんな時にかわいそうって言葉を使ってるのかなーって考えてみました。 子供が、
例えばひどい病気とか怪我をした時に、 かわいそうって言うことがあるんです。
でも、そこには自分じゃなくてよかったって意味は一切含まれない。
むしろ、自分が変わってあげたいって思うかわいそうなんですよ。
かわいそうっていう言葉は、相手のために発してるというより、自分のために発してる言葉なのかなって思ったんですね。
相手に聞かせたいわけじゃない。
でも、それが相手に伝わった時に、傷つけることがあるかもしれないなっていうのを念頭に置いておく必要がある言葉なのかなと思いました。
どんな言葉でも、その言葉を自分がどういうつもりで使ってるのかとか、相手がどう受け止めるかなっていうのは、
言葉を使う以上、念頭に置いておかないといけないなとは思います。
言葉って、発した人の配慮したことが現れるのと同時に、配慮しなかったことも現れるって思うんで、
気をつけたいなと改めて思いました。
仏陀の最後の食事とチュンダの話
最近、私が聞きまくってるポッドキャストがあって、物語で読み解く仏教っていう番組があるんですけど、
最初は初めての仏教っていう番組だったんですけど、途中で番組名が変わって、物語で読み解く仏教になったんですね。
番組名が変わる前に、ブッダが亡くなられるときに、最後に食事を提供した人物の話が出てきたんですよ。
その人がチュンダっていう人なんですけど、チュンダが提供した料理が原因でブッダは亡くなられるんですね。
自分が亡くなるって分かられて、亡くなった後にこの食事を提供したチュンダが後悔の念を起こすだろうとか、周りの人に責められるだろうっていうのを察して、
それを防ぐためにブッダは弟子に伝えたことがあるそうなんですね。
彼にこう伝えて安心させなさい。
チュンダ、あなたには大いなる利益と苦毒がある。私はあなたの食事を最後にこの世を去るんだから。
って伝えたそうなんです。これめっちゃすごくないですかって思って、
ブッダが悟りを開く直前に村の娘スジャーターから譲り受けた父が言うの話って有名ですよね。
それと、この亡くなる直前に、その煩悩の全てが消え去る、涅槃に入る直前にチュンダから提供された最後の食事っていうのが、
どちらも等しく、計り知れないほど大きな苦毒がある素晴らしい施しであるって説いたそうなんです。
この配慮がすごすぎるなと思って、この後どうなるのかなっていう未来を想像して、
自分の言葉によってその未来がどう作れるのかとか、配慮をして、自分が亡くなる直前にそれを実行、ちゃんと伝えるっていうことができるっていうのは、
ほんと素晴らしいなって感動しました。
これは簡単に真似できることではないかもしれませんね。
言葉の向こう側を想像する力
でも、今回かわいそうっていう一言に立ち止まったように、自分が発する言葉の向こう側に誰かを想像するっていうことは、
まっすぐできることなのかなとも思いました。
なので、こう想像力を働かせながら、これからもポッドキャストを通して自分の言葉や声や思いを発信していきたいなと思っております。
じゃあ今日はここまでです。
ではまた。