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第8回 TCGトレーディングカードゲーム=競技性ゲームの本質・人は神さまの役割を担えるか?
2026-10-14 14:18

第8回 TCGトレーディングカードゲーム=競技性ゲームの本質・人は神さまの役割を担えるか?

()あいさつ

()僕はTCGが大好きだ

()TCGは永遠に未完成のゲーム

()スポーツとeスポーツは何が違う?

()人は神さまの役割を担えるか?

()エンディング


『音楽:BGMer』

http://bgmer.net

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サマリー

TCGは、麻雀のように運に左右されるドローを自分で構築できる点に魅力があり、メタゲームや環境変化、コレクション価値を生み出した画期的なゲームだと語る。ボードゲームが完成を目指すのに対し、TCGは新カードによって永遠に完成しない開かれたゲームであり、作者は『マジック・ザ・ギャザリング』の開発秘話にも惹かれている。さらにTCGを含むeスポーツと現実のスポーツを比較し、前者は人間がルールやゲーム内法則を設計・変更できる一方、後者は物理法則という共通の土台に従うと整理する。最後に、競技を成立させるルールの実効力を人間が完全には担えないため、eスポーツの作者は神様に似た役割を担うものの神様にはなれないと結論づけ、eスポーツのプロスポーツ化を問いかける。

TCGが生み出した選択と価値
今日も改めましてこんにちは、バロンです。 好き語る!好き語れの第8回は
TCGトレーディングカードゲーム競技性ゲームの本質 人は神さまの役割を担えるか
と題してお送りします。 それでは早速、僕はTCGが大好きだ
という章をお話ししていきます。 はい、僕はTCGが大好きです。
その理由を説明するためにこんな話をお伝えします。
僕は麻雀をやってて思ったんです。 灰山から何百回何千回と灰を積もってきている時に考えました。
プレイヤーは全員共通の山を使う。共通の山から積もる。 これって公平ではあるんですけど、どうしても運の偏りがありますよね。
それぞれのプレイヤーが受け取れるドラの枚数とか敗敗。 特にお互いが納得のリーチ、納得の天敗でめくり合いをした時にどちらが勝つか。
これは自分ではどうしようもない。 どんな麻雀のトッププレイヤーも積もる部分にそういくふうはない。
どれだけ実力があっても積もる灰そのものは選べない。 じゃあこの麻雀の山の部分をいじれたら?
自分で選択して積もる灰をいじれたら? そんな夢のゲームがあるんです。
それがトレーディングカードゲーム。 トレーディングカードゲームTCGではカードの山、デッキを作り、自分がこれから積もってくる灰、ドローするカードをそういくふうできる。
これはすごい発明ですよ。まさに画期的。 このトレーディングカードゲームがもたらした大きな変化は
僕にぶっ刺さりました。 まさに僕の好みだった。
メタゲームという相性という要素や環境という変化するゲームバランス。 まさにすごい発明です。
またトレーディングカードゲームはコレクションという要素も作りました。 新しく商品としての価値も生み出したわけですね。
これには賛否両論あると思いますが、 ルールを適用し、それをもとに効果を設けただけで価値が生まれる。
同じように印刷されたカードの価値に違いが出る。 これはとても考えさせられるというか、
TCGは永遠に未完成のゲーム
なんというか社会実験としてすごい面白いことだなと僕は思っています。 次はTCGは永遠に未完成のゲーム
という章をお話ししていきます。 まずボードゲームとTCGの違いについて考えてみたいと思います。
作者の視点から見るとボードゲームは基本的に リリースされた時点で完成を目指すゲームだと思います。
完璧なゲームバランスで閉じていることが良いボードゲームの証だと僕は考えています。 一方TCG、トレーディングカードゲームは開かれていると思います。
新セット、試育カードを出すために新しい環境が生まれる。 このTCGとボードゲームの性質はどちらが良い優れているとかはないと思います。
歴史あるゲーム、歴史あるボードゲーム、将棋などは長く深く研究されていて素敵だと思いますし、
TCGのように新しい環境が来ることでカードそのものの価値や定義が変わるのも刺激的だと思っています。
そして今回のテーマであるTCGについて僕はこんな表現を思いついています。
TCGは永遠に未完成のゲーム かのオールドディズニーさんは言いました。
ディズニーランドは永遠に完成しない。 この世界に想像力が残っている限り成長し続ける。
これに倣うとTCG、トレーディングカードゲームは永遠に完成しない。 新カードが出る限り成長し続ける。
この完成することのない永遠のゲームっていうフレーズに惹かれて、僕は結構本気でTCGを作りたかったんですよね。
ノウハウも開発力もなかったんですけど本気で憧れていました。
だからMTG、マジック・ザ・ゲザリングの開発秘話みたいなのを読むのが今でも好きです。
スポーツとeスポーツの共通基盤
はい、次にスポーツとeスポーツは何が違う? これについて考えていきます。
ここからTCGを競技性ゲームという広い枠組みで捉え直していきます。
これが問題で、今回僕が伝えたかったことのように思うんですけど、かなり小難しい話になってきます。
よかったらリスナーの皆さんも一緒に考えてもらえると嬉しいです。
まずここでいうスポーツとeスポーツが何かってことを言いますが、
スポーツの方は現実世界のスポーツ、肉体を用いるスポーツ、
eスポーツの方は仮想世界の競技という捉え方をしてスポーツとeスポーツのそれぞれの特徴をまずは考えます。
現実世界のスポーツ、肉体を用いるスポーツは現実空間で行われます。
人間は重力や感性などの物理法則に従わなければならないスポーツの世界、そのプレーは残酷なまでに公平です。
これは全ての選手が同じ能力や条件を持つという意味ではないと思います。
全ての選手は例外なく共通の土台、現実空間を持っていて、この現実空間で行われることに逆らえないという意味です。
次に仮想世界の競技ですが、TCG、格闘ゲーム、
そういうeスポーツは人間が設計した設定やルールの中で戦います。
カードの効果、キャラクターの能力、勝利条件、ゲーム内の物理法則、これらは人間が作り変更することができます。
つまり共通の土台がない、今までのスポーツが持っていた共通の土台をeスポーツは持っていません。
それは制約がない、自由度が上がったという魅力としても捉えられます。
しかし、今までのスポーツが持っていた残酷なまでの公平さは失われ、eスポーツは恣意的で作者に依存するところがあると思います。
これを何かわかりやすく説明したくて、こんな話をしてみたいと思います。
例えば、eスポーツはアップデートが入ることで、明日から強制的に戦略の更新が行われます。
でも、フィジカルスポーツがちょっと問題があるので、明日から重力をナーフしてジャンプを強化します。
みんな飛びやすくなります、とかにはならないですよね。
だから、それぞれ共有するルールと適応の厳密性が違うんだと思います。
eスポーツの適応は揺らぐ、現実世界のルール適応が揺らぐとき、それは現実そのものが揺らぐときです。
だから今のところそれは起きていません。
そしてプレイヤーは原則としてそのゲームに参加するかどうかを選べます。
ここに現実のスポーツとeスポーツの行動的な違いがあります。
現実世界では僕たちは世界に参加することそのものを選べない。
一方、ゲームの世界は参加するかどうかを選べる。
現実をどうでもいいものとして扱う。
放り投げることは難しいんですけど、目の前のゲームを投げることはできて、僕たちが夢中になるかは自由です。
僕たちは目の前のゲームをクソゲーって言って簡単に放り投げます。
もちろんスポーツも同じようにやめることはできますけども、
この章ではスポーツとeスポーツの行動的な違いについて僕の考えを語ってきて、
今回競技性ゲームの本質と題して僕が伝えたかったこと。
それはこれまでスポーツがよりどころとしてきた共通の土台、この世界で同じ条件の下で戦うということ。
ここからeスポーツは脱却した。
じゃあそれでどうなるっていう、これからどうなるっていう未来予知は僕にはできないんですけど、
スポーツとeスポーツは何が違うんだろうという疑問を僕なりに整理してみました。
人は神様の役割を担えるか
最後は人は神様の役割を担えるかです。
ここまで語ってきたことから、競技性ゲームが競技として成立するにはルールが存在するだけでは不十分だということがわかると思います。
そのルールがプレイヤー双方に適応され、勝手な解釈や変更によって勝敗が決まらないようにルールを担保する存在が必要になる。
僕が今回この章で神様っていう言葉を使ったのは、
ゲーム、競技には競技のルールを担保し競技が成立するように支える役割のことを託しているんだと思います。
だから肉体を用いるスポーツは、現実の物理法則がこの役割を果たしているわけですが、
eスポーツという仮想世界にはそれがない。
人が一から競技性ゲームを作るとき、人は擬似的に神様の役割を担う。
僕の結論は、人間は神様にはなれない。力は足りない。
僕たちは作者としてeスポーツを設計することができるが、それを厳密に適応する力がない。
本当の意味では、神様になるために役割とか意図は関係ないんですね。
神様の要件は、実効力というか、そのルールに従わせる、そのルールを行使する力なんです。
でも僕たち人間は平等というか、同じだけの力しか持っていない。
僕たちはeスポーツを作る場で神様の役割を担うことになるが、
なぜそこに違和感を覚えることがあるのか、歪な形に見えるのか、ということを僕なりに語ってみました。
それでは締めに行きたいと思います。
今回の問い、考察は明快な答えを得られるものではなくて、人知を超える問題に思いました。
もしかしたらリスナーさんにモヤモヤを与えているかもしれません。
でも僕は考えることそのものをやめたくありません。
いろんな人を巻き込んで一緒に考えるために、最後はこんな問いかけをします。
これからeスポーツはうまくプロスポーツ化していくだろうか。
今、eスポーツという文化は発展・確立の初期段階にあると思います。
僕たちはその歴史の一場面に立っています。
僕は温かい目をもってそれを見守っていくつもりです。
好き語る好き語れ第8回は
TCG トレーディングカードゲーム
競技性ゲームの本質
人は神様の役割を担えるかをお送りしました。
はい、ちょっと前にGoogleホームを作ってみました。
ここで僕への質問を受け付けています。
好き語る好き語れの番組の情報欄にリンクがあります。
よかったらお便りを送ってください。
聞いていただいてありがとうございました。
よかったら次回もお会いしましょう。
14:18

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