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  2. 【心さん回】 「感覚優位」で..
2024-07-19 1:05:55

【心さん回】 「感覚優位」ではなく「演繹的理屈」で動いている by SHIN

今日は、チャモリのいいともテレフォンショッキング!
スタエフ友の、あの中村心さんとのコラボです!💪✨

▼あの中村心さんのチャンネルはこちら▼
あの中村心のラジオ
https://stand.fm/channels/63529519b4418c968d55a064


◾️タイムスタンプ
心さんの「創作欲求」について
 〜 ベースとレコーディングを始めたのは小5
 〜 理屈で理解できないと一歩も動けない体質
 〜 音楽もプログラムもタロットも全然同じやり方
 〜 英語や歴史の楽しい学び方

理屈と感覚、論理的思考について
 〜 スピリチュアルやタロットは理屈?感覚?
 〜 Chikaraの頭のモヤモヤとは?
 〜 「2つ」の論理的思考の整理
   「演繹的考え方」と「帰納的考え方」
 〜 心さんは「演繹的考え方」の比率が大きい 
 〜 Chikaraは「自分のモヤモヤ」を整理したい

最近の創作もろもろについて談義
 〜「小学生作文」と「なまずラップ」
 〜 「シンディ」の誕生秘話
 〜 「シンディ」は狙っていなかった?

心さんはいろいろ狙ってやってるの?
 〜 「スピリチュアル」だけど「ロジック」に考えている
 〜 戦略的にプランしてなくても「縁」がつながっている
 〜 スピリチュアルな演繹
 〜 ChikaraのSunoAI作品についての話
 〜 「感覚優位」に見られがちだが「演繹的理屈」で納得
 〜 次回のチャモリは「〇〇さん」

[BGM: MusMus]

#毎日配信
#コラボ収録
#スピリチュアル
#演繹法
#帰納法
#論理思考

▼▼ 過去のチャモリ回はこちらから ▼▼
 #チャモリのテレフォンショッキング
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00:06
おはようございます、Chikaraです。
今日は金曜日ですので、茶盛りのテレフォンショッキングの日になります。 それでは、どうぞ。
お昼休みはウキウキウォッチンガチコチソチコチイートも テレテテテンテン
おはようございます。茶盛りです。 今日のゲストは、前回のくまいさんからのご紹介で、あの中村真さんです。どうぞ。
おはようございます。
暗いじゃないですか。
暗いっていうか、午前中じゃん。
もうだって10時半ですよ。10時半。時間これ言っちゃうと。
僕はでも起きたのね、9時20分ぐらいですよ。
いや、それでももう1時間経ってるじゃないですか。
まだじゃあ寝起きな感じですか、SHINさんは。
午前中は、喋ってたら多分テンション上がります。最初こんなもんです。
ああ、だからがいつもコラボライブ、SHINさん最初は、おはようございますみたいな感じなのに、
もう5分10分経つと、なかなかSHINでーす!みたいな感じになるでしょ。
そうそうそう。最初から、はいどうもー!みたいな感じで、入っていけるあれがないんですよ。ファンクションが僕にないんで。
そうなんだ。徐々にじわじわ行くって感じ。
そう、じわじわ。じわじわしかないから。すいませんね。
いえいえ、大丈夫です。僕もしかしたら切られちゃってるのかなと思って。
あ、そんぐらい?僕のテンションのこの入りの低さ、そんぐらいですか?自分じゃ分かんないんですよ。
だって茶盛り2回目とは思えないぐらいのおはようございますのテンション。
行きましょう。行きましょう。
お、元気です。今ちょっと、営業スイッチ入れたみたいな感じでした。
よし行きましょう!ってなりましたね。
行きましょう。
面白い。いやでも、SHINさんありがとうございます今日は。
前回、2月ぐらいですよね。第1回目初めての茶盛り出ていただいて。
ああ、そんな前ですか。
あの時はね、2月だったと思う。いやまあ1月末か2月ぐらいかですよね、確か。
あの時はまだ僕、SHINさんと1回だけオフ会で会って直後ぐらいだったから。
けっこう賢かった話を聞いた気がするんですよ。
スピリチュアルについてとか、タロットをたまたま聞いてもらってみたいな感じだったと思うんですけど。
03:05
その後、SHINさんのチャンネルで僕が逆にタロットをもう一回聞いていただいてみたいなのもあったし、
あれがけっこう最近だったかな。5月ぐらいですか。
あれはね、たぶん僕4月5月にあのシリーズやってたので、その中のどこかだと思いますね。
5月かな。
5月ぐらいかな、たぶん。
今日だからコラボっていう意味だと3回目になるんですけど、
だからどんな話をしようかなと思ったんですけど、
スピリチュアル的な話とかタロットの話とかは、他でもSHINさんもいっぱいされてるし、
僕もけっこうさせてもらった気もするから、もっと違うようなお話を聞いてもいいかなと思ったんですよ。
でも結果的にスピリチュアルのほうに行くのかもしれないけど、そこらへんはちょっとわからないながらでも、
僕がSHINさんに興味があるお話がちょっとあったんで聞きたいんですけど、
SHINさんって、もともとタロットリーディング、
僕が知り合ったときにはタロットリーディングやったり、スピリチュアルみたいな話もしてたけど、
それ以外に最近はコラボはガンガンやってるし、
気づいたらインスタで絵も出してるし、
しかも落書き的な感じじゃないしっかりした絵っていうの。
しっかりした絵だよ。
子供の落書き的な落書きじゃない感じっていうの。
あ、そう見えるんだ。
見える見える。
嬉しいな。
しっかりしてる絵だなっていう感じもするし、それをまたグッズ販売したりとかっていろいろやって。
しかも小説も書こうとしてるって言ってたでしょ。
書こうとしてる。
その辺の、最近ぐわーっと来てる新しいことをやろうみたいに、僕からは見えるんだけども、
昔からそうだったのか、最近なんか意識してやってるのかとか、
創作っていうのかな。創作活動っていうの。クリエイティブ活動っていうの。
そういう欲求欲望みたいなのがどういう感じで出てきてるのかみたいなのをちょっと今日聞きたいんですよ。
昔のほうがひどかったよ。
あ、そうなんだ。
めちゃくちゃやってた。
もともとそういう人だったってこと?
だいぶね、最近のはスタイフのおかげといえばそうなんですけど、
今こういうことやってますっていう、ある意味説明?イントロダクションというか。
はいはい。
それがあって、力さんみたいな、リスナーさんっていう立場の人が、
06:06
外から見て、中村真、こんなんやってんだっていうふうに、
こうやって今言ってくれたみたいに把握できる状態になってるじゃないですか。
なってる。なってます。すごくなってる。
これは僕の中ではだいぶと落ち着いたバージョンですね。
あ、そうなんですね。
これが30代20代に遡ると、あいつは本当に何をやってるんだっていうぐらい。
誰一人見てなくてもガンガンやってたんですよ。全く説明なしで。
例えばどんなことやってたんですか。
ちょっと時間遡っても、音楽が中心でしたね。
あ、そっかそっか。それを今も作品的に出したりもしてるけど、
そこにつながってくる活動はずっとやってるってことか。
それは小学校5年生からやってますね。
え?小学校5年生からミックスするっていうの?
そう、レコーディングしたりとか。最初からそうなんですよ、僕。
何きっかけだったんですか。
何きっかけだろう。いや、目の前にテープレコーダーがあったから。
テープレコーダーがあったから録音したくなる。
テープレコーダーがあったら録音したくなるじゃないですか。
あー。それって自分の音声を、「おはようございます」とか、「あー」とか入れてみる?
あー、その発想はなかったな。
どういう発想だったんですか。
ベースを始めたんですよ、小学校5年生のときに。
え?もういきなり楽器だったの?ベースだったの?
でも、もともと学校で鍵盤ハーモニカと縦笛交わされて授業で使うからって言ってやらされるじゃない。
やるやる。それはみんなやる。
あれがめちゃくちゃ苦手で、どっちも。
いわゆるドレミファソラシドっていうスケールって、
英語で言うとアルファベットみたいなもんなんですよ。
スケールが全然認識ができなくて、
だから音符見てこれがドだよって言われても、え?みたいな。
しかも特に鍵盤顕著ですけど、発見、刻見があって、
音楽の専門みたいな話になっちゃうけど、
あれがずれていったりするとわけわかんなくなっちゃうみたいなこともあったんですよね。
ずれていくっていうのは、自分で弾いてるドってこと?
普通はみんながドって言ってるところがドなんだけど、
例えばあれはハチョウチョウのドなんですよ。ただ単純に。
それ以外にも、いろはにほへとに、たぶん日本話と割り当ててるから、
僕もあんまり詳しくないけど、ヘチョウチョウとあるんだよね。
そうするとヘに当たるところがドになるわけですよ。
09:01
今、ギターやってるからこんな話できるけど、
前前半、前前前半っていうので、メジャースケートに並んでるから、
どっかに刻見が入ってくるんですよ。
これ今だからしゃべれるだけで、
小学生当時の僕は頭爆発してて、全く意味がわかんないと思ってて。
僕、今、頭が爆発してます。
うん、そうだよね。
みんな、先生がこう弾きなさいって言うからみたいな感じで、
音を出すの楽しいなーってみんなやってるじゃん。
あれが信じられないこともあった。
僕は理屈がわかんないと一歩も動けない立ちだから。
ああ、そうなんだ。
逆に言うと数学とか、小学生は算数か。
算数とか理科とか、ああいうのめちゃくちゃ得意なんですよ。
最初から理屈で入るから。
それもすごいですね。
算数を最初から理屈で入る人って、僕は昔からすごいと思ってたけど、
しんさんはそっちの人なんだ。
そっちそっち。母親がそう教えてくれたからなんだよね、単純に。
だって算数も一緒でさ、僕もいまだにそうだけど、
1たす1は2だよ。はいじゃあ2たす2は?
じゃあ1たす1が2っていうんだったら2たす2は4かな?みたいな。
それだけ言われたからそう覚えてるみたいな。
1たす1とか言ってもややこしいけど、そういうもんだと思ってたけど。
でも中学校になったときに僕それで行き詰まったんですよ、一回。
高校かな中学かな。
なんか理屈がわかんなくなって行き詰まったときに、
もっと僕より頭いいと思ってたやつが、
いやだってここってこういう理屈だからこうじゃん。
だからこっちはこうなるんだよって説明をしてくれたときに僕はね、
目から鱗だったのよ。なんだこいつは?みたいな。
そんな覚え方っていうか、覚え方じゃないよね。
なんか理解の仕方があるんだ世の中にって思ったの。
だからそれを審査は最初からやってたんだ。
それしかできない僕。理屈を理解して、理屈がこうだから、
セオリーがこうだから、そのやり方を応用するとか、
よく数学とかプログラミングで変数って言ったりするんですけど、
要は数学で言ったらXとかYになってるとこですね。
あそこにこの値が入ると、理屈がこうだからこうなるよね、
別のこの値が入るとこうなるよねっていう、
この考え方しかできないんですよ僕。
その学習的な部分で言うと。
これ今でもそうです。
すごいね。
タロットも音楽もスピリチュアルも全部これです。
あ、新しく自分に何か取り入れていこうと、
知識をつけていこうっていうときの勉強の仕方は全部それなんだ。
そう、だから丸暗記ができないんですよ僕は。
12:00
丸暗記というか、こうだからこうなんだって、
覚えなさいよって言われると、なんでそうなの?って止まっちゃうみたいな。
言っちゃうと、例えば英語、英文法とか結構得意なんですけど、
アルファベットまでは丸暗記じゃないですか、
もうそうなんだからしょうがないじゃんっていう。
そうね、AはAだしってことね。
なんだけどアルファベットさえ覚えちゃえば、
英語とか関用表現、なんでそうなってんの?っていうのは確かに例外も多いけど、
基本的には、例えば文法SVOCとかがあって、
それのSVOCって全部変数じゃないですか。
SのところにIが入るとVのところは原型がきて、
SのところにPが入ると最後に3単元のSがついてみたいな感じで、
これ理屈じゃないですか。
うん、理屈。
だからめちゃくちゃ英文法とか得意なんですよ。
プログラミングも完全に一緒ですね、覚え方は。
プログラミングのコードってコンピューターが実行するから、
コンピューターが実行するときには、
ちょっと専門用語が入っちゃうけど、CPUみたいなのがあるんだよね。
中で計算する仕組みがあるんですよ、コンピューター側の。
コンピューター側がこうなってるから、
こういうコードをこの順番で命令を並べてあげて、
最後にこういうふうに処理してあげないとこういう結果出ないよねっていう理屈があるんですよ、中にね。
これさえ覚えとけば、あとはプログラミング言語って最後そうなるように作られてるだけだから。
ああ、そういうことなんだ。
そうそう、全部これ。
すごい。そっか。だからエンジニアさんとしても体制できてるんだな、たぶんね。
エンジニアはね、なんとなくなったんですけど実は。
あ、そうなんですか。
向いてたみたいでずるずる続けてるって感じですね。
今の話聞いてると向いてるんだと思う。
例えば小学校の当時とかの話に戻るんだけど、
日本史とかああいうのって、いわゆる暗記門じゃないですか。
学校として習うものとして。
歴史ずっと苦手で、今でも苦手あるっちゃあるんだけど、
中学校2年生のときの先生が歴史の先生で、
担任の先生の教科ってあるじゃないですか。
あれが歴史で、その先生がすごく面白い先生で、
政治情勢みたいなやつの、こういう派閥があったんだけど、
こういう事件があって廃れてきた時期に別の派閥でこんなやつが出てきてみたいな、
背景みたいなのを説明した上で、この事件が起こったのが何年だから、
そこから数年ぐらいしたときに、こういう流れがあってみたいな感じで、
流れに年代を当てはめて、登場人物を当てはめて、
一回何か説明してくれたんですよ。
玄独時代の、江戸時代の政治応色みたいなのを説明してくれたんだけど、
15:04
それで初めて歴史好きになったんですよ。
あーそれわかります。僕もね。
わかりますよね。
経験した。
何年に石川派の戦いがあったから、そのあと何年後に何でしょうみたいな、
ただ数直線上みたいな感じで、何年になり何年になり何年になりみたいな感じで覚えなさいは、
苦手で苦手でしょうがなかったんだけど、
その先生のおかげで、歴史の覚え方がやっと自分側にきたっていうか、
僕の脳みそでもついていけるようになったのが中学校2年生だったんですよね。
そこから日本史は引き続き苦手なんだけど、
僕は世界史がめちゃくちゃ得意になって。
世界史ってもうちょっと大雑把で、
しかも違う価値観の文化圏同士が、
当時は今みたいに交通手段とかも発達してないから、
やっぱり出会うのに時間かかるんですよね。
割と緩やかに全体を見渡す感じ、俯瞰する感じで、
勢力争いみたいなのを理解していくと、
そこに、例えば何年ぐらいに何があったから、その後なりみたいな。
例えばアメリカの独立戦争があったから、それに影響されてフランスがみたいな。
そういう覚え方ができるのが世界史の特徴だと僕は思ってるんですけど、
世界史、けっこう得意になったんですよね。
僕もね、今はもう全部忘れちゃったけど、
高校で世界史に触れたときに同じような感覚があって。
だから要は、歴史っていうのは年代を暗記するものじゃなくて、
人の人並みの歴史がストーリーに全部つながって、
これが起こったからここであれが起きて、
だからあれが起きるっていう連鎖してるものなんだって、
初めてハッとしたのがそんな感じでした、僕も。
たぶん先生がよかったのかな、そのとき。
だからそのときに僕も世界史楽しいと思って。
でもそれを僕の理屈で、今のスタイフルのように、
僕の理解した理屈をクラスメイトにわーって言ってみたら、
お前何言ってんの?って言われて。
トーク力あれは別の話だからね。
そいつは歴史なんか暗記するもので何年に何だけだろうって思ってたんでしょうね。
だから僕が言ってたハッとしたことを、
すごいのを発見したって思って言ったことが全然、
その熱が伝わらなかったっていうのかな。
あるあるですね。
でも審査が言ってることなんか僕もわかる気がしますよ。
だから理屈としてこう、何が起こったら何、だから何、みたいな、
18:00
歴史の覚え方っていうね。楽しさっていうのかな。
それはなんかわかる気がする。
全部がそれって、でもスピリチュアルとかタロットとかも、
今の話聞いてるとどっちかっていうと論理的というか、
論理思考っていうね。
なんかそんな感じに感じるけど、
スピリチュアルとかタロットってどっちかっていうと、
論理っぽくない部分もあったりするような気もするけど、
その辺って自分の中でバランスとってたりするんですか?
意識的にやってるの?
とってます、はい。
どんな感じでやってるの?
たぶんね、僕それ、しんさんと近いのかもしれないって思うところがあって。
僕も理屈の人なんだと思うんですよ、もともと。
理屈がないと腹落ちできないから、
ちょっとわかんない人にはわかんない話になっちゃうけど、
生図のラップ作ったLINEグループの中で、
ちょっと前に、宗教と科学が同じだ、違う、
なんか似たようなもんだとか。
だから、一人一人宇宙団みたいな話がブワーっと。
あったね。僕が完全に読み飛ばしてるやつ。
そうでしょ。そうだと思った。
でも僕はね、ああいうのがモヤモヤしちゃったら止まらない人なんですよ。
だから全部の過去に遡って、最初の一文字一文字から、
僕は全部、この人は何を言いたいんだっていうのを、
ひも解こうとして理解していって整理をしていったわけよ。
で、僕の中で整理ついたのは、やっぱり科学と宗教は全く別物だと。
一部は似たような部分もあるけれども、
っていうのを、僕なりの理解をすべてあそこに書き込んだりしたんだけど。
だからね、僕はああいうふうに、自分で理屈で理解できなきゃ、
全く一人一宇宙だよね、そうだよねって、え、なんで?みたいなところで止まっちゃうわけ。
科学と宗教って一緒だよね、そうだよねって進んじゃうのがすごく居心地が悪くて、僕。
でもそうは言っても、感覚として一人一宇宙っていうもの自体は、
別の文脈だとそうだよねって思うときもあるんですよ。感覚としてね。
でも理屈で延びられてる文脈の中で一人一宇宙って出ると、「なんで?」ってなったりするから、
僕の中でいろいろまだ混乱期というか、混乱はしてないんだけど、
混ざり合ってる瞬間の時期みたいな気がするんです、今。
だからそれを意図的に2つは2つでそれぞれで考えればいいんだろうけど、
21:02
でもさっきしんさんがはっきり意図的に意識して分けてるとか言ったんだっけ。
論理的な思考と感覚的なもの。
論理的思考っていうのの定義が、正確な定義とか別にどうでもよくて、
僕だったら僕、力さんとは力さんの、論理的思考って言われたときに、
論理的思考ってこういうことだよねっていう定義があると思うんですよ。
自分にとってのね。
プラス、世の中的にだいたいこんなもんだよねみたいのもあると思うんですよ。
そこが一致してればたぶん何の迷惑感感じないだろうし、
なんだけど、一致してる部分もあるけどちょっと違う部分もあるなみたいな感じで思ってるものもあると思うし、
言葉ってそういうもんだと思うんですけど。
そこは僕も同意です。
同じように思います。
よく論理的思考とか、作能的な思考とか、いろんな言い方されてる。
でもこの辺のことだろうなっていうのがあるじゃん。
世の中的な部分とか、よくしゃべるこの界隈だとこんな感じでみんな思ってるよねみたいのがあるじゃないですか。
それと、僕が思ってる論理的思考っていうのがどの程度一致するかっていうところを一回整理をしないと、
僕の中ではロジックですよね。ロジカルシンキングっていうか、
これがどういうふうにそういうスピリチャーな部分とか、
いわゆる占いって普段世の中的に言われているもの、
たろうとかね、先生術とかそういうものを自分がアウトプット表現であったり、
何かを携わってるときに論理的思考をどうやって使ってるのかっていうのが、
たぶんその話はかみ合わなくなってしまう。
それは自分の中でってこと?
いやたぶん、うちからちゃんと今しゃべる上で。
僕の論理的思考っていうのを端的に説明すると数学です。
数学の中の公式ですね。
いわゆる整数論で言ったら1たす1は2なんですよ。
十進法で、十進数で言ったらね。
真数が違ったらまた違ってくるけど。
2真数だったら0、1、でまたその次10になって、
11になって100になっちゃうから。
1たす1は2ってなれるってことは真数が3以上か。
0、1、2っていう3つの数を使いますっていう体系じゃないと
こんな話は成り立たない。
でもそういう理屈っぽいことは置いといて。
24:01
でも1たす1は2ですよっていうのを、
疑いようもないしそれ決めといて全く問題ないですよねっていうことで、
そこからさらに発展していろんな応用をしていきましょうっていうのが
数学の考え方じゃないですか。
大前提のところは共通認識で一致してるよね。
共通認識じゃないですよ、数学って。
それに抗えますかって話なんですよ。
1たす1は2に抗えますかってことです。
無理なんですよ。
例えば三角形の内角の和が何度とかって無理なんですよ。
それに抗おうと思っても。
例えば三角形の内角の和が180度だっけ。
変わらない数学の体系っていうのを別に作ってる人がいるんですけど。
それがあってアインシュタインの相対性理論の一般化っていうのができたんですけど、
そういう背景があったりするので、数学にも進化があるので。
でもそれって、
ユークイット科学で三角形の内角の和が180ですよっていうのが何千年も使われてきて、
それじゃあ解明できない分野っていうのが宇宙レベルとかミクオンのレベルとかと、
実際に人間の生活の中に発生し始めたから、じゃあどうしようっていうことで、
ユークイット科学でまかないない分野に概念を拡張するために新しい数学を作るっていうことを、
そこまでやって始めて、
例えば局面っていうものに三角形を当てはめたら、
内角の和っていうのは何度でもなるよねっていう。
ベースを完全に定義を作り変えるという努力をめちゃくちゃした上でそういうことを言ってるわけですよ。
人間の普通の感覚では絶対に抗えない公式みたいなのがあるんですよね。
公式があるかどうかは、公式があるんだけど実際は。
要はこうですよって決めたものを前提に話をしましょうっていう世界だからってことでしょ。
三角形は180度ですって決めた上で、それに基づいて話を展開する。
決めたっていうか証明されちゃってるからしょうがないよねっていうのを前提にするっていう感じですね。
そこをちょっと大事なとこなんでもうちょっと言うと、
こういうふうにもう誰も抗えない。
もうそうだよねっていうのがまずあるじゃん。
まずあって、で、多分チカーさんの今の感覚で言う、
こういうふうにじゃあ一回ここはこうだって決めてから話し始めましょうっていう、
ここの差があるんですよ。
例えばこういうことで一旦決めましょうっていうのは、
これ機能的考え方と演劇的考え方っていうので分けて考えなきゃいけなくて、
27:01
数学の1たす1は2ですよねって、これどう見てもそうですよねっていうのは演劇的な考え方ですね。
元がそうなんだから、一番最小限のロジックがそうなんだから、
その最小限のそうなんだからしょうがないじゃんっていうロジックを、
例えば積み重ねていったりとか応用していくとこうなるよねっていう、
このロジカルな考え方が演劇的な考え方になります。
僕が言っているロジカルってこういうことですね。
それに対して、これが演劇だから機能的な考え方のロジカルっていうのもあって、
これは簡単に言うと、100回やって100回そうだったからそうでしょうっていう発想ですね。
でもそれを10万回やったら1個ぐらい違う可能性はそれはあるよっていうのは、
みんな分かってんだけど、でも100回やっても200回やってもそうなんだからそうでしょうっていう、
これ機能的な発想なんですけど。
でもこれでも十分、我々がコミュニケーションする上で議論するのに、
全く問題なく使えるじゃないですか、ロジックとして。
だから演劇的な発想のものと機能的な発想のものっていうのは2つあるっていう認識があって、
僕はそれを混ぜないんです。
混ぜない。
混ぜない混ぜない。
物事によって演劇的トピックもあれば機能的にトピックもあるよってことね。
だからいわゆる力さんはじめ、一般的な目で、
例えばアカシックレコードってスピリチュアルですよねとか、
タロットって占いですよねとか、そういうふうに言っていただくのは全く構わないんですけど、
それを実践してる自分がロジカルに考える。
ロジカルに考えないこともあるよ、場面によっては。
だけどロジカルに考えるってことは基本的にやっぱりベースにしてるなっていうふうに、
これ感覚の問題だけどあるんですね。
僕のベースにしてるロジカルっていうのは演劇的なほうです。
だから数学的なほうですね。
それは基本的にはどんなことに対してもっていうことですか、今。
そうですそうです。
分野ごとにいろんなボキャブラリーが違ってくるから、
数学みたいな言い方ができるものとできないものがありますけど、
基本的にはそういうことです。
もうそうなってんだからしょうがないじゃんっていう。
それを変えようって思っても変えれなくない?みたいな。
そうそうそうそう。
演劇っていうのはもう決まってるものだっていう前提で進めていくほうか。
そうですね。覆そうと思っても覆せないものですね。
もう証明されてるからっていう意味ですね。
僕はね、今の話で言うと、
たぶん基本的には機能法的に考えてるところのほうが多いかもね。
てかね、世の中一般的にほとんど機能法ですよ。
30:01
あ、そうなんだ。
そうそうそうそう。
だって、あの人がこう言ってるからこうなんじゃない?みたいな、
そこをベースにして認識してたり話をしてることってめちゃくちゃ多いじゃないですか。
これサンプル1の機能法ですからね。
はいはいはい。
さっきの学校の授業も全部そうだもんね。
学校の語教科とっても、演劇でロジカルが語られてる教科っていうのは数学しかないんですよ、基本的には。
うーん、なるほど。
最初にずっと言っておかなきゃいけなかったなと思うんだけど、
ロジカルに考えなくて別にいいよっていうところもたくさんあるじゃないですか。
てかそっちのほうが多いんじゃないかなと思うんですよ。
普段考えないかもね、ロジカル。
そうそうそう、別にそこをわざわざロジカルで考える必要ない。
感覚でこれ好きだなーとか、これ嫌だなーって、それで別にもう十分じゃんっていう部分があり、
ロジカルに議論をしたりとか、意見交換をしたいっていう中で、いわゆるこの機能法ですね。
例えばそういうことに専門的な知識を持ってる人がこういうふうにおっしゃってるので、
全然それで十分、みんなが納得するように十分な領域っていうのがあって、
最後に演劇ですよ。
そのいわゆる数学的に考えて、こうだからこうだよねっていうふうに考えないと気持ち悪いというか、
ついつまが合わないっていう領域があってっていう。
全部が対等なので、別にどれが正しいとか間違ってるとかって話じゃなくて、
これみんなぐちゃっと集まって人間性だからさ。
なんだけど僕個人の話をすると、この演劇の部分っていうのは結構、
僕のロジカルシンキングで大きいよっていう話。
それ演劇が大きいとしても、機能法的に考える分野もあったりするんですか。
そういう分野はね、これは機能法だっていうふうに僕は割り切って考えてます。
例えばどういう分野に対しては審査の場合は。
でもビジネスなんか全部機能法ですよ。
だってこういうやり方をしたら儲かりますっていう何かロジックがあるとするじゃん。
確かにこの人も儲かった、この人も儲かったっていうふうに儲かったサンプルが100個続いたとしますよね。
でも101個目に全く同じことやってるけど儲かんない人が出てくる可能性って常にあるわけじゃないですか。
そうですね。
逆も言えるんですよ。こうやってたら儲かんないよねとかっていうのも、
101人目に億万長者になるやつが出てきてもおかしくないわけですよ。
なんでかっていうと複雑系だからなんですよね、ビジネスって。
複雑系っていうのは要は因果関係が計算しきれない系システムのことを複雑系って言うんですけど、
転機なんかはそうです。
33:01
因子がいっぱいあるってこと、因子値が。変数がたくさん。
変数があまりにも多いから、確かにその現象は、例えば台風が夏の時期に起こるとかっていうふうに、
現象はそこにあって誰しもが認めるんだけど、
なんで台風がこの時期に起こるのかとか、いつ起こるのかっていうのは、
数学的な正確さでは計算できないっていう分野のことを複雑系って言いますけど、
ビジネスなんかまさにそうですね。変数が多すぎるので誰も計算できないっていう。
だから再現性が、絶対に1やったら2がなるよっていう再現性が、
突き詰めたら無数のパラメータ全部わかればっていう世界があればできるのかもしれないけど、
わかんないってことね。仮の話を仮に。
確かにな。そういう複雑なものに対しては、どっかが変われば絶対ではないよねみたいな感じで、
でも大体こうなるんじゃないの?って思って進めるっていうことか。それが演劇的な。
バタフライエフェクトみたいな話とかもありますもんね。
なんだっけそれ、どういうやつでしたっけ?
南米でチョウチョが羽ばたくと、どっかで何か…
あれはでもあれじゃなかった?
オケアが儲かる的なことわざもあるよね、日本語でね。
あれのやつね。
それは数字のマジックっていうかさ、傾向だけ見れば似たような傾向にパッと見見えるけど、
本当に因果関係あるかっていうとないよねみたいな話でしたっけ。
統計学とかの出てくる数字のグラフみたいなものとか、データみたいなやつね。
統計でこれは有効です、これは異常値なんで無効ですみたいなやつで、クリーニングした後のデータとかが出てくるわけですけど、
あれなんかはまさしく機能法っていう、いわゆるもう繰り返しこれが成功してるんだから次もこうなるでしょうっていう、
言ってるだけだと心もとなかったりとか、説得力がなかったりするので、
それを後押しするというか、補強するためにこういう統計学を使うとこういうデータが出て、
こっちでも証明されてますよみたいな。
実はそれは統計上の証明だから、
僕がいま近川さんと喋ってる演劇なのか機能なのかっていう、
ここで言うと演劇的証明では全然ないんですけど、
でも言葉の綾で、こういう統計部員があって、ここではこんなふうに証明されてますよみたいなのが、
1個、2個、3個ってサンプルがあればあるほど説得力が増すみたいな。
36:01
あるじゃないですか。
あるある。それはよくビジネスでさ、ちょっと話変わっちゃうけど、
数字とかグラフを使ってプレゼンテーションするっていうことを、
やったことある人だとみんなわかると思うんだけど、
みんなわかると思うよ。
グラフや数字って全部後付けでどうにでもなるやつだから、
それっぽく見せるっていう意図さえあれば、どうとでもできちゃうからね。
例えば前年の売上が1,000万円として、
今年度の売上が1,100万円とするじゃないですか。
共通してる1,000万円っていう部分を、
グラフ上ものすごくギューって圧縮してちっちゃくして、
前年の売上が1,010万円の数じゃん。
ピヨーンってやってる10万円と今年の売上が1,100万円だから、
10万円と100万円の差のとこだけグラフをビヨーンって伸ばすみたいに。
こうするとめちゃくちゃ成長してるように見える。
成長してるように見えるよね。
2桁成長10%も成長しましたっていうか、
すごく似てる。
もう1ミリぐらいしか上がってるかわかんないくらい、
ほぼ変化ありませんっていうかね。
そういうふうに、どうとでも操作できるとか、
どうとでも論を補強できるっていうのは、
機能的なロジックでしかむしろできないんですよね。
だから、そういうことをやってるなって、
ちょっと冷めた目かもしれないけど、
そういうことをやってんだなって割り切った上で、
でも実際情報としてはそういうものが流れてるし、
別に無自覚かもしれないけど、
そういうことを一生懸命語ってくれてる人もいるから。
別にそこは否定するつもりはないんですよ。
でも僕の見方としては、
要は機能的な考え方であったりとか、
統計のマジックみたいなものを、
本人は知ってるかどうかわかんないけど、
使ってますよねっていう前提で割り切って聞いてます。
それに対して1たす1は2とかっていうのは、
割り切るも何もそうなんかしょうがないじゃんって、
これ演劇的なほうですね。
なるほどなるほど。
この分け方はしてます。
そっか、面白いな。
僕そこまで全部の自分の活動とかを持ってることに、
どっちが演劇どっちが機能かって考えたことないね。
ただ単に自分がモヤモヤするって思ったときに、
頭を整理しようって思ったのがさっきの話だけど、
あの人はここでこういうこと言ってるけど、
これってどういうことなんだろうみたいなのを、
自分で把握したいっていうときぐらいかな。
非常に文化的なコミュニケーションとしてはめちゃくちゃいいんじゃないですか。
でもね、これをやるとめんどくさいんだと思う。
誰も僕のそれに反応しなかったもんね。
ちょっと僕の感覚の話にはなってしまうんだけども、
39:03
例えばオープンチャットでそういう相手がしてるとみんなが。
ちょっと冷めた意見に聞こえちゃうかもしれないけど、
どうとでも言えるじゃんって思うんですよ、まず。
まあね、そうそう、まずね。
そうそう。
どうとでも言えることに対して、
チカラさんがどう言おうが、
例えばスカンクさんがどう言おうが、
そもそもどうとでも言えるんだから、
その本人の今のフィーリングとか考え方とか癖が、
ただ出るだけでしょって思うんですよ。
その文章の中身に関しては。
例えば同じ文章、同じ書き込みでも、
作文のブームもあるじゃないですか、今。
チャットの中でだけど。
うんうん。適当というか適当というかね。
僕の小説を書きたいなって思ったきっかけの一部もそこではあるんだけども、
いわゆる言い方は大げさかもしれないけど、
芸術作品、アートっていうものは、
どうとでも書けるじゃんっていうのが、
完全にポジティブなほうに働く分野なんですよ。
うん、わかります。
だからチカラさんが書いたものもスカンクさんが書いたものも、
何を書いてもらっても基本的に面白いって思います。
これがいわゆる議論みたいな文脈になると、
どうとでも言えるっていうことが完全にネガティブなほうに働くんですよね。
だってどうとでも言えるんだから、別に誰が何を言っても、
要は結論がないよねってことになっちゃうから。
うーん、あーそっかそっか。
これが好きな人もいるじゃん。
僕は別にそういう人間の気質があるっていうのも美しいなって思うから、
全然いいと思うんだけど、
僕は流しちゃいますよね、だいたい。
あーなるほどね。確かにね。
審査にそういうの入ってこないもんね、だいたいね。あんまりね。
まあ、今は入んないって感じです。
若い頃は結構入ってたんじゃないかな。
あ、そうなんだ。
僕はね、どっちも好きなんですよ。大好きみたい。
そこ個性が出ていいとこですよ、それは。
しかもね、僕は誰かを言いまかしたいとか攻撃したいっていうよりも、
さっき言ったようにね、まず理解をしたいのよ、自分で。
あ、こういうことかって、自分が思えればそれでもうあとは好きにしてだから、
あのあとから、僕の理屈についてここってこういうことなんですか?みたいに来たらたぶん返していくけど、
それとは飛び越してまた何か議論始まっても、
僕はたぶんそこには触れるつもりは、予期は出てこないんだろうと思うんですよ。
一旦もう僕の中で、あ、こういうことねって、僕なりのものがもう出たから、
だからまあいいやと思って、これ以上って思ったんだけど。
その前も僕一個一個やってるもの自体には一切触れてなかったんだよ、そのときめんどくさかったから。
でもやっぱりそういう意味で、何言おうとしたんだっけ。
だからまあ議論自体をしたいんじゃなくて、頭を自分として整理したいって感じかな。
42:07
理解を深めたいというか、なんかそんな気もするし。
でそうだ、今日の本題の方にちょっとまた戻るかもしれないけど、
あの作文があったでしょ。これもちょっと、茶盛り聞いてる人は何のこっちゃかわかんないかもしれない。
そのナマズLINEグループの中で、小学生作文っていうのもちょっとやってて、
まあ最近はやってないけどやってたときに。
もともとイージーさんのスタイフ化なんかで、
僕が適当なコメントを打ったのが作文っぽくなったのか、
イージーさんが先に作ってたのか、そこにかぶせたかで、
それを僕が、ナマズの方に貼り付けたら楽しくなりそうと思って貼ったのが最初だったんですよ。
そしたらやっぱりあの上、しんさんも載ってくれたんで、みんな好きな作文を作っていたけど、
あれって作品として僕も実際思っていて、
だから理屈じゃなくて、これは自分の絵と一緒っていう感じ。
芸術作品じゃないけど、まあ芸術って言ったほうがおこがましいけどさ。
芸術でいいと思うよ。
でもなんかあるよね。
だから自分から出てくるものを書いたっていう感じですね。
ナマズラップそのものが、こういう歌詞ですよとかこういうリリックですよっていうのを、
もともと提示されていたわけじゃなくて、
ナマズラップですっていうだけが提示されていて、
自分が何をラップするかっていう歌詞は、自分で考えて自分でラップしてくださいっていう。
誰も指示なんか出してないけど、大前提で勝手にそうやって始まったじゃないですか。
そうそう、始まってた。
そこが文章をアウトプットするっていうことの、やっぱりひとつのきっかけになってると思うんですよね。
だからナマズラップっていうコミュニティだけど、
そういう作文みたいなものとか、議論みたいなものであったりとか、
そういうのがタイムラインの中にコメントで入ってきても何にも違和感がないんですよ。
そうですね。
それはもともと音楽コミュニティかもしれないけど、
でもやっぱり、僕とりともさんは音楽の方面からぐわっとアプローチしてるけど、
でも基本的にはやっぱり言葉なんじゃないかなと思うんだよね。
うん、言葉。
それは、あのグループの中でみんなが……。
あのグループの中の一番の共通項というか。
そうかもね、テキストというか言葉、そうかもね。
そうそうそう。
だからやっぱりそこで作文っていう流れに、たまたま流れがそうなって入っていったけど、
何も違和感ないしめちゃくちゃ面白いなと思って。
45:01
僕、生ズラップの中でシンディーっていうキャラクターで、
そうなんですよね。
ラップのような歌のようなことをさせてもらったんですけど、
その前があるわけですよね。
要はキャンディーさんの配信へのオマージュっていうことで、
シンディー界っていうのを思いついて撮った回があって。
あれ、切れた?
大丈夫大丈夫。聞こえる?
うん、聞こえます。
キャンディーさんへのオマージュを撮ろうと思ったのは、
キャンディーさんがライブの中に僕が参加してて喋ってたら、
僕はコメントだけど、思いついたからちょっとやってみるって言ってやってみた。
シンディーっていうキャラクターをそのとき思いついて、
シンディーのいわゆるイメージ像というか、
キャンディーさんのアイコンのイラストあるじゃないですか。
あれをデフォルメというか。
あのヒゲ生えたやつ?
デフォルメじゃない。素晴らしい話だけど。
でもそれを許してくれるキャンディーさんっていうのがいてくれて初めてシンディーは。
僕の表現とかいじるみたいな感じで捉えられたり、
絵とかもどぎつい、癖が強いところがあるから、
NGな人にはNGなんですよ、僕の表現って。
あ、そっか。
私をそういうふうにされたら嫌っていう人もいるかもしれないってことね、確かにね。
なんだけど、あの辺の時期ってキャンディーさんとか和歌さんとか飯丈さんとか、
僕が自分の表現をやりたいようにズバーンとやっても面白がってくれる人が
たまたま身近にいてくれて。
そうそうそうそう。その中の一人だよね、キャンディーさんもね。
だからすごい面白がってくれたんですよ。
僕がやらかしたことが思いつきで。
それでシンディーっていうキャラクターが自分の中に、スタイフ上で一人立ち上がったみたいな。
あ、そっか。そういうことだったんだ、流れて。
それが背景にあって、そこに生ズラップやるって話が来て、
トラック作ってくれって言われて、トラックを作りました。
トラック作ってたらみんながわーっとラップ乗せてくれてるのを聞いてたらすごい面白いなと思ったから、
自分もちょっと声でも出演してみようかなと思って。
そのときに、ちかわさんもチカラップみたいな名前で。
そうね、名前変えましたもんね。
当然、まさえさん自体がキルっていう名前で、
別キャラを作ってやってるのがすごく面白いなと思ったから、
僕が一番身近にあったシンディーっていうキャラクターで。
あー、そういうことか。
48:01
そうそう、やらさせてもらって、それでラップ面白かったねってなってさ。
面白かったです。
オープンチャットの流れは続いてて、作文書き始めるやつらがいたりとかして。
あの流れが乗りやすかったんですよ。
僕シンディーの物語を書こうと思って。
はいはい。
みんなに後押しされてシンディーの話とか今書いてる感じ。
だから、キャンディーさんとの絡みでシンディーというキャラクターを絵として描いたときぐらいから物語は書きたかったんですか?
全然全然全然。
その後、やっぱりナマズの流れがあったからこそ。
ナマズ以前で言うと、あのおふざけ会、配信会と、インスタとかスタイフのサムネとかに使ったふざけた絵ね。
シンディーの似顔絵。似顔絵というかわかんないけど。
あれで、本当に一回限りのおふざけで終わってもよかったんですよ。別に僕それ以上何も考えてなかったんだけど。
あ、そうなんだ。面白い。
でもあれやったおかげで、みんなが集まってるライブとかに遊びに行ったりすると、みんなもふざけてシンディーとか呼んでくれるようになって。
いいもん。呼びやすいというか可愛いというか、愛嬌があるというか。
あの歌が流れてるから余計だと思うけど。
シンディー・イン・ナ・ハースっていうあれが流れるよ、耳に。
マジで。普段シンさんみたいな感じで、親しみを込めて呼んでくれるわけでもめちゃくちゃ嬉しいんですけど、
さらにシンディーはね、これは自分でも全然予想してなかった展開。
そうなんだ。それ面白いですね。
シンさんは全部いろいろ狙ってやってるのかなっていうのを、今日はそこもちょっとそんな話になるかどうかと思ったわけ。
全部を理屈として組み上げてて、ここに向かうんだって全部を描いているのか、
そういうのも偶然性も含めて、今のシンさんが成り立っていって新しいこともどんどん乗っかってきてるのかとかね、
その辺の感覚をちょっと知りたかったんですよね。
今、力さんが改めて聞いてくれたんですけど、日常的によく言われる質問のひとつですね。
ああ、そうなんだ。
狙ってやってるんですか?って質問してくれる方はまだよくてっていうか、
中には本当にうまく構成されてますよねっていう。
もう狙ってやった上でうまくいってますよねっていうコメントをくれる方もいるんですよ。
はっきりさせるけど、全く狙ってないですからね。
51:02
すごいね、そうなんだ。
それがやっぱりすごいですよ。見てて。
ガンガン転がりが加速して大きくなってるような感じがするっていうか、
そういうふうにすごく見える。
好循環してるっていうか、なんて言うんでしょうね。
でも、考えすぎてないようにも感じるんだけど、考えてそうにも見えるっていうか、
その辺がどういうふうにバランスを意図してやってる部分とやってない部分があるのかなと思ったのが、
今日のちょっと思ってたことだと思います。
それはあれだよね。
今日の話の前半のほうの、「スピリチュアルなんだけどロジックに考えてるってどういうことですか?」っていう質問と、
たぶん同じことの言い換えなんですよ、それ。
なんて、全部戦略とかなくてノリでやってるのに、
そういうふうに縁がつながってるようになってるんですか?っていう質問だと思うんですけど。
ああ、なるほどね。
そこで言うと、感覚を開放してるんですね。
自分が面白いって思ったからやる、みたいな感覚じゃないですか。
感覚を開放してるんですよ。要は制限してないというか。
なんで制限しないでパッパパッパできるの?っていう質問だと思うんだよ、平たく言うと。
それは、いわゆる感覚で行動したり、感覚でクリエイティブなことをしたりしている、
自分に対する信頼とか、自己肯定感なんて言ったりしますけど、
これの基盤が、いわゆるスピリチュアルなロジックにあるからですね。
それは審査の中で、前提を支えてるところにスピリチュアルがあるよってこと?
そう。このスピリチュアルなロジックで、今たまたまだけど、
チカラさんが、審査の中でって言ってくれたじゃないですか。
ここは若干あたおかな話になるけれども、
中村真がここにいるっていうふうに認識できていて、
今中村真のボディがこうやってチカラさんとコミュニケーションしてしゃべってるっていうふうに僕認識してますけど、
こういうふうに認識していれるっていうことは、
僕自身の本体っていうのはここにいないってことです。
これがスピリチュアルなロジックです。
どっかにいる自分が、そこに中村真がいると認識させているってこと?
例えば、心が自分であるって仮にするじゃないですか。
どう定義してもいいっていう前提がまずあるとして、
じゃあ心が自分であるって仮にするじゃん。
54:02
心が自分自身なんだったら、心っていうものを認識できないんですよ。
対象物として心って認識できなくないですか。
心が自分なんだから、イコールで。
自分が心を、心と分からないってこと?
例えば、こういう思考法、イコール自分であるって仮にするじゃないですか。
こういう記憶を持っている、この記憶のワンセットがイコール自分であるって仮にするとすると、
それを記憶っていうふうに対象物として見れないわけですよ。
対象物にしては自分じゃなくなっちゃうから。
客観的に見れないでしょってこと?
客観的に見れないです。
なんで世の中で起こっていること、自分自身の存在とかっていうものを、
こうやって客観的に見れるのかって言ったら、それじゃないってことです、自分自身は。
これ完全にスピーチャーな話してますからね。
なんじゃそりゃって思ってるのを一回脇に置いて聞かないと、
何言ってるのか全くわからないと思うけど。
別に僕が今初めて言ってることじゃなくて、
いわゆる宗教誌とか、スピリチュアルな、
今までどんな人がどんなことを言ってきたかみたいな、文化人類学的な部分とか。
僕は本を読んだり調べたりするのが好きなので。
そういうことからすると、この流れの中ではみんな言ってることです。
僕はそれに納得してるだけの話です。
たぶん一番わかりやすいのが、ブッダが言ってる無我ってやつですね。
この考え方で対象物は自分じゃない。だって対象なんだからっていう。
起こってる出来事であったりとか、存在として認識できてるものを全部見ていくと、
自分っていうものが一個もないですよって話です。無我っていうのは。
わからないな。難しいな。
難しいと思います。
でもしょうがないです。これ僕の回なんで、
僕の話をそのままドゥルッとするとこういうことになります。
なので、自分っていうのは無我を納得して生きてるだけの話なんですね。
ここが僕にとっての、いわゆるスピリチュアの演劇です。
はいはいはい。
もうそうなんだっていうことね。
そうですそうです。これが自分の基盤にあるんです。
だから僕の基盤っていうのは、この肉体に基盤があるわけでも、
僕の心情みたいなもの、感情とか心みたいなものに基盤があるわけでも、
思考に基盤があるわけでもないです。これ全部持ち物なので。
あー、わかった。わかります。
これを持ってる人が自分です。
どっかにいる人ってこと?
そう。すべて持ち物なんだって割り切っちゃえば、
57:03
感覚を開くなんて簡単なんですよ。
そう思ったとおりやればいいだけの話だから。
思ってるっていう現象自体が僕の持ち物ですから。
そうそう、好きに思わせてあげればいいんです。
あれ?わかんない。制限をしようとするもしないも、
そこの自分と思ってるのは全部仮のものっていうか、
だから思うようにやったらいいんじゃない?
思うようにやったらいいんですよ。自分に対しても完全にそう思うし、
相手が誰であってもそうです。好きにやればいいじゃんっていう。
これが完全にだから、好きにやってもいいじゃんって思うけどとはいえみたいな、
っていうレベル感の時代も自分にはあるわけですね。
そういう時期もあったってことね。
そうそう。だけどとかとはいえみたいなのが後につく時期も
当然ありますよ、そんなものは。人間ですから。
これが去年、今年ぐらいでなくなっちゃったんですよね。
それがやっぱり去年、今年ぐらいなんだ。
そうですそうですそうです。
なんかね、この間くんすけさんとかジェイドさんとお会いしたときにも、
あ、お茶会ね。
お茶会行ったときにたくさんのお茶会で聞くわけもいたんだけど、
お二人とも言ってたのよ、星読み的にっていう文脈だったかもしれないけど、
2022年ぐらいからなんかあってるよねって。自分だけじゃなくて周りに。
僕も2022年の5月ぐらいにチンニタウンダオっていうところに入って、
今のメンバー。そこから僕絵を初めて書き始めたり、小説書き始めたり、
今は小学生作文を書いたのをAIで歌にしてお披露目。
何してんのこの人。
あれはね、僕の中では、今のしんさんが言ってる感覚に近いと思ってて。
もともとはこれはやっちゃダメというどっかしらなんかあったんですよ。
でもね、わかるよ。
わかるわかる。
言ってもさ、ちかわさんと僕って結構年代近いじゃないですか。
3歳くらいですよね。
たぶんそのぐらいと思う。
そうですよね。世代的な感覚だと思うんだけど、めちゃくちゃわかりますよ。
わかります?
わかりますわかります。
ここふざけていいラインってこの辺だよなみたいな。
こっから許可もらわないと本来ダメ。
1:00:01
でもなんかもういいかって思った瞬間があって。
だから1日1回配信っていうのもそうで、ちょうどそのタイミングかな。
いいやって思ったら1日2回配信もいいやと思って。
今日のこのしんさんと収録してるこの日は僕3本同時に上げてるからね。
見てた?いいでしょ。
僕が楽しいやりたいって、心のそこからやりたい、みんなにも見てほしいと思ってることで、
それを制限するのをやめてみたんです、僕。
そうそうそうそう。結果どうなるかっていうのを気にしなくなってくる感じ?
たぶん自分に許可を出してたりとか開いてくるっていうことが、
実際現象としてどうなってるの?心の中の動きとしてどうなってるの?って言ったら、
それだと思う。結果どうなるかよくわかんないけどとりあえずやってみっかみたいな。
そうすると人の反応も見ながらだけれども、やっぱり1回で終わらず、
もっとこうしてみようみたいなのが広がってる感じがして、楽しいなって思ってる。
いいですね。
なんかそれが僕にとってはまた新しい何かが開き始めてるのかもなーって、そんな気がするというかね。
だからこの日にしんさんとお話しできるっていうのはね、
いつもだけど茶盛りのスケジュールの凄さ。
妙ですよね。
妙があるんじゃないかっていう気がしますよね。
いやー面白かった。そっか。
しんさんの中では理屈はしっかりあるながら、
演劇法的な理屈と機能法的な理屈が違うっていうことで、
だから感覚優位で言ってる部分も感覚優位と思いながらも、
実は演劇法の理屈で成り立ってるっていう理解なんだね。
そうですね。感覚優位っていうふうに見られるのはめちゃくちゃ十分わかってるんですけど、
その裏側に葛藤がないんですよ。
はいはい。そういうことね。
感覚優位で言っていいのかな、だめなのかなっていう葛藤がありつつ、
えいや、言っちゃえっていうこのプロセスがまるっとないんですよ。
はいはい。なぜかっていうと演劇法の理屈。
そうですそうですそうです。演劇法的に勝手にやればいいじゃん。
でも結論づいて生きてるから。
はいはいはいはい。
いわゆる現世的な部分に関しては。
なるほどね。面白い。
だから今の言われ方をすると、僕も理解がちょっと進んだ気がするな。
感覚なんですって言われると本当かよってなっちゃうんですよ。
なるほどね。あるね。
だって理屈として理解、よくわかんないじゃん。
1:03:01
でもまあ感覚っていうものもあるんだったらそれでもいいかってちょっと思い始めて、
今アカシックとか関わっていたけれど、より今の陳さんの話を聞くと、
これはこれで理屈なんだなっていうのがちょっとわかりましたよ。
そういう考えかっていう。なんかね、面白いですね。
いやー面白かった。
もういい時間、1時間経っちゃったな。
今日の茶盛り会ってみんな聞けるかなこれ。
どうなんだろう楽しく聞けるかな。
意外とでもいけると思いますけどね。
まあ大丈夫かな。楽しんで聞いてもらいたいですね、こういう話。
僕はこういう話も大好きだから。
僕も大好きです。
いやー楽しかった。また僕の理解が一個進んだというか、理解というのか感覚というのかね。
これはやっぱりね、聞いてもらわないと出てこない話ですね。
あーなるほど。よかったじゃあ聞いて。
自分から話すってないんじゃないかな。
それは嬉しいですね。嬉しい。
じゃあぜひまた聞いてほしいなみんなに。
僕茶盛り大体最近、前告知をちゃんとやるようにしてて、
どういうお話聞けましたよみたいな。
核心はちゃんと本編聞いてほしいから触れすぎないんだけども。
この件もちゃんと告知しますよ、みんな聞いてくれ。
ぜひちょっとお話しさせてもらいます。
じゃあ今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
次回のお友達を紹介いただいてもいいでしょうか。
紹介しちゃっていいんですか。
ぜひぜひお願いします。
次回のお友達はイージーさんに来ていただきたいと思います。
ありがとうございます。
じゃあイージーさんを呼んでみたいと思います。
ただイージーさんは実際もう収録済みなので、
いいとももらえるかわかんないですけど、とりあえず呼んでみます。
イージーさん。
もうこのまま聞いちゃいますね。
来週の茶盛りも来てくれるかな。
いいとも。
ありがとうございます。
はい、ということで今日のゲストは中村真さんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
はーい。
01:05:55

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