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  2. 【俺流ひと宇宙】「宗教と科学..
2024-07-20 25:08

【俺流ひと宇宙】「宗教と科学」の違い を 「演繹的」かどうかで整理してみた

※注意※
後でググッてみたら、「帰納法」の理解が間違っていました。
ただ、今回のボクの主旨は、「科学」は「演繹的な思考ではない」から、「演繹的な思考」をする「宗教」と、「科学」は全く違うものだと改めてわかった、と言いたいだけなので、帰納法への理解が間違ってる点は、どうぞ大目にみておいてください😁✨

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▼なまずLINEグループに載せたボクのコメント原文▼
一旦、ボク個人の中では、

①宗教
→ いくつかの「仮定」や「前提」を元に組み立てられたものだから、アプローチの仕方は「科学っぽい部分」もなくはない
→ でも、「解釈」の仕方で見え方が無数に存在しうるもの
(「解釈」の自由度が、(たぶん)科学よりも高め)
→ 「ある人が見つけた真理」が先にあって、「それをブレイクダウンしていってるもの」

②科学
→ データや実験などで、立てた仮説を実証しようとするアプローチで、
→ 「再現性」も必要
(別の人がやっても、同じやり方をしたら、たしかに同じ結果になるね、が必要。なんたら細胞は再現できなかったから、科学じゃなかったやつ)
→ 「真理」を探して、前の人が言ってたことを、組みかえたり、否定したり、一部取り入れたりして、どんどん変化していくもの
(最初に、「誰かがいった真理」ありきじゃなく、まだ「誰も辿り着いてない真理」を再現性をもって実証しようとするもの)

みたいに感じるから、
とにかく、①宗教と、②科学は、
ボクにとっては、全く違うもの、
と改めて整理がつきました
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▼昨日の中村心さんとのチャモリ回はこちら▼



[BGM: MusMus]
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#キリスト教
#科学
#帰納法
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▼▼ 過去の「俺流ひと宇宙」はこちら▼▼
 #俺流ひと宇宙
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00:05
チカラチャージ💪ラジオ
おはようございます。
チカラです。
今日もスタイフを取らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
なんか、最近
土日のスタイフを
取られる方が
だいぶ減ってきているんじゃないかと。
ねえ、こないだ
銀さんやマサイさんも
お話しされていました。
で、僕もちょっとね
土日に
スタイフを聞けないことは
まだ継続はしていて
僕も
スタイフを
土日にね
あげないこともちょっと
そんな日も増えてはきたんですけど
むしろ皆さんも
同じようにスタイフを
放送ね
あげれる方が少ない
くなっているのであれば
逆にちょっと
また土曜日
スタイフを取ってみようと
思いました。ねえ。
しかも
ちょっと長くなってもいいんじゃないかと
思ったので
僕はだいたい逆張りじゃないけど
皆さんと
やってることを逆行していきたい
気分にどうしてもなるので
今日は少し長くなるかもしれないんですけど
ちょっとまあね
喋りたいことを喋ってみようと思います。
今日は何の話をしたいかな
と思ったんですが
何かというと
茶盛り会でね
中村真さんと
お話した中で
もしかしたら
あれってどういうことなんだろう
と思っている方もいるかもしれないし
僕の中でも
僕の中では
あのことってこういう
言い方でも説明できるのか
と思ったことがあったので
ちょっとその辺をね
整理したいなと思ったんです
要は
要はというか
まず
中村真さんとの
お話の中で出てきた
論理的な
考え方の中で2つあるよと
大きく2つありますと
1つは演劇的な
考え方と
もう1つが機能的な考え方と
演劇的な
演劇的な考え方が何かというと
僕もちゃんと調べたわけじゃないんだけど
要は僕が
理解したのは
大前提なものが
不変なものを
前提に考えるもの
を演劇法的な
考え方ね
大前提が絶対
変わらないもの曲がらないもの
これはこうなんです
だからこそこうなっていくはず
っていう風に考えていく考え方が
演劇的な考え方
だから
その中で
中村真さんが
03:01
例として挙げていたのは
例えば英語のアルファベット
ABCというのを
それって本当にAでいいのかな
って考える必要はないでしょう
そんな
そこに疑問を
持って英語を
話している人はいないでしょうっていう感じかな
だからABC
英語というのはABCがまず
ありきで
作られているものですよと
だから英語を勉強するときに
ABCに疑問を持つ必要はない
それはそういうものなんです
からスタートするのが
演劇法的
っていう話をしてましたよね
数学もそうだと
数字が
012345678910
ってあるけども
その数字が本当に0なのか
それをちょっと
疑問を持つ
持たずに
今の数学というのは何に立っているでしょう
その上で公式を
使ったりしていくでしょうということで
そこの012345678910
みたいな数字の
話そういうものには
疑問の余地はないと
変更の余地はないでしょう
ということでそれを前提に考えるのが
演劇法的な考え方
ですよという話もしてました
でまぁ
数学の話とかはね
そういう
もっと突き詰めちゃうと
少し違う観点も実はあるんだけど
それを言い出すと
キリがないので
一旦ねキリがなくなるので
そうじゃなく
一例として出された
分かりやすい例として言うと
そういうものですよということですよね
大前提のところが
普遍なものであると
いうものを前提にして
論理を
進めていくのが演劇法的な
考え方でもう一つは
機能法的な
考え方ということを言ってましたね
これは
大前提としているものが
変わる可能性があるという前提で
論を
進めていくものですと
でこの辺を思ったときに
僕がねちょっと違う
話をちょうど
茶盛り会でも
話ちょっと話題に出したんだけど
実は生津
ラップを作った
ラインオープンチャットの中で
少し
議論になりかけた
お話があったんですよ
議題に上がった話というのかな
何かというと宗教と
科学の話ですよね
ちょっと触れたでしょ
しんさんとの間で
僕は今日はもう長くてもいいから
その話をちょっと整理をつけて
僕の今思っていることを
説明したい
それをまさに
僕はそのラインのグループ
チャットの中では
演劇的な考え方と
機能的な考え方
ということを意識はせずに
ちょっと
06:01
頭を整理したんだけど
ちょうどまさに演劇的な
考え方と
機能的な考え方を使って
宗教と
科学の違いを
説明できるなと思ったので
その話をちょっとしたいと思います
僕のその説明を聞くと
演劇的な考え方と
機能的な考え方の
違いがもしかしたら
それも整理つくんじゃないかなと思ったので
そこに興味がある方は
ぜひぜひ聞いてみてください
これはただあくまでも
事前に言っておきますけど
僕の頭の中の整理だから
いやそれは違うっていう方も
もちろんいると思うんで
それはいろんな方の考え方ですけど
僕の中では今は
そういう形で分類されて
頭が整理されましたという
現時点の
僕の中の
説明をしたいと思います
よろしくお願いします
まずね
宗教については
僕にとっての宗教というのは
例えば神様だったりもそうだし
宗教観っていうのかな
そういうものはすべて
普遍のもの
当たり前のものという風に
僕の中では
捉えています
だからキリストが
神であるっていうね
例えば
キリスト教だったりするでしょ
例えばですよ
ちょっと細かいところ分かんないので
違うっていう方もいるかもしれないけど
僕の中ではキリスト教の中では
キリストというのは神で
それは普遍のものであると
僕は思っています
だから
キリスト教を信じている人が
いやもしかしたら
キリストって神じゃないんじゃないか
って
思う人は
いないと思っております
これってどういうことかというと
さっきの言った
演劇的な考え方でしょ
キリスト教の中では
キリストが神である
その上で
あの
いろんな話が
展開されていくわけですよ
だから
宗教的な考え方っていうのは
演劇的な考え方なんだなって
今言葉を使うと
そういう風に僕は考えました
オープンチャットの中で僕がね
どういう風に整理をつけたかというと
ちょっとそれも読んでみます
読むだけだとわかんないかもしれないけど
土曜日だからね
読みますよ
僕の中では
一旦こういう風に整理がつきました
宗教というのは
いくつかの仮定や前提をもとに
組み立てられたものであるから
アプローチの仕方は
科学っぽい部分も
なくはないと思いました
この時はまだ
演劇的な考え方っていうことが
09:01
僕の中では
知らなかったんで
宗教というのも
まずは前提を
仮定や前提を作る
だから例えば
キリストは神であるという仮定
仮説であったり
そういう前提のもとに
論を組み立てていく
ってこの時は思っていたので
そういうアプローチの仕方は
科学的であるという
科学っぽい部分も
そういう意味だとなくはないだろうと
科学ももちろんこういう仮説や
前提をもとに
論を進めていって
証明していったりするのでね
だから宗教も科学っぽい部分も
なくはないというのは
理解できてきましたけれども
でも
解釈の仕方で
見え方が無数に存在し得る
だから解釈の
だから解釈の自由度が
科学よりも多いんじゃないのと
だから前提を
どういう風に解釈するか
っていうのは一個じゃなくて
いろんな解釈の仕方があるでしょう
しかも
ある人が見つけた真理が
先にあって
それをブレークダウンして
いっているものってこの時は書いたんだけど
要はね
これは仏教だったらそうだよね
仏教だったらブッダ
ブッダさんが
ゴーダマシッダルダさん
ブッダさんが
見つけたと言われる真理が
あるんだという前提で
みんながそれを
教えてもらった人が解釈を
いろんな解釈をして
進めていくもの
でもその教えを受けている人たち
いや今それを
その真理を
もう一回自分たちで
なんていうの
自分たちに到達しようみたいな
やってるのかな
そういう人たちは
そのブッダが見つけたで
あろう真理を
否定はしてないんですよ
僕の理解はね
絶対の
ヌガという
教知だったり
色足ゼクっていうもの
だったりも含めて
えーと
絶対に
そういうのを
覆らないものだと
それは否定されるものではなく
それこそが真理なんです
っていう真理が
ありきで全部の
今の活動だったり
考え方が
進んでいるものだと
僕は宗教というのはそういう風な
理解をしていますね
この時の僕のオープンチャットで
書いたのはそういうことだったんです
でもそれを
ゼクさんとの説明
お話で分かったのは
そういうやり方は
えーと
演劇的な
やり方だということで
僕の中では理解できました
だからもう一回だけど
12:01
変わらない真理というのが
絶対のものがあって
それを元にブレイクダウンしていく
それを元に理屈を展開していく
というのは演劇的なやり方です
これが宗教です
例えばもう一回だけどキリスト教だったら
キリスト教が
キリストが神であるということを
誰も否定しようとして
論理を進めていったり
してはいないでしょうと
ブッダが言っていたこと
言っていたと言われていることを
覆すこと
ということはしようとしないね
一応なんだっけな
ブッダが
実際に言ったと
言われていることが広まっているので
言ったと言われていること同士が
矛盾があったりもする
と言っていたかな
マサイさんが言っていたけど
そういうこともあるにはある
という共通認識があったとしても
あったとしてもですよ
でもそれは
ブッダ自身が間違っているんじゃなくて
ブッダの教えを受けて
人伝えに言葉で伝えていった
内容がずれていただけで
もう一回言うけど
ブッダが見つけたものの
文字自体は絶対に
間違っちゃいない
という
前提で
僕の言葉で言うと前提でと言っちゃうけど
という
間違ってない
ということをスタート
地点として
全ての論理や
お話が展開されている
だから宗教というのは
そういうものだろうと
僕の中では二つの例を持って
考えると宗教というのは
そういうものだということが
僕の中では
納得感を持って腹落ちをした内容でした
でもう一回それを
しんさんとのお話からの
説明で僕の中で
もう一個理解できたのは
それが演役的な
思考法というかね
そういうものだと
いうことになりましたと
でもう一方でじゃあ科学
科学というのは
どういうものかというと
僕も理系で大学も理系
ね科学というのを
勉強ある程度しましたね
科学者でもないし博士でも
なんでもないけど僕の中での
科学というのはどういうものかというと
オープンチャットの中で
ね書いた内容をちょっと
読んでみますいいですかここからは科学
ねさっきまでは宗教についての
僕の理解だけど科学ここからは
科学の話をすると
科学というのは丸に
科学それは
データや実験などで
それまで立てた
仮説を実証しよう
とするアプローチをする
ものそれが科学で
ありそして
科学の中では再現性も
必要ですとね
だから再現性
というのは別の人がやっても
同じやり方を
同じやり方同じ条件で
同じプロセスを踏んで同じことを
15:01
やれば確かに同じ
結果になるねという
それを再現される
再現されるということで再現性と
言いますけども再現性が必要
ですとであの
もう名前忘れましたけどなんとか
細胞ってあったでしょなんたら
細胞を学会で発表
したかなんかあの雑誌にも
載りましたとそれでみんなが
おーそれはすごいなって言って
やってみたところ再現を
できた人は一人もいなかった
だけですだから
あのなんたら細胞はあるんですって
最後言ったあの人も結局は
再現できなかった
ということでそれは科学ではないと
ね科学としては認められない
ということになったわけですよ
なんたら細胞は結局は科学的には
存在しないということになりましたよね
その通りで
科学というのは
データや実験なども
含めて実証していって
要はもともと立てた
前提を
本当にそれって
あってんのか穴は
ないのか絶対に
それだけなのか本当に違うルート
はないのか違う結果
出る条件はないのか
っていうことをみんなでそれを
否定できないのか
本当にそうなのかっていうことを
突き詰めていって
再現をしていくっていうことです
で今のところは
今のところは他の
結果になることが
まだ見つかってはいないから
とりあえず一旦は
一旦はこういうことに
しておきましょうっていうのが
科学ですよね
だから本当の本当の絶対だ
っていう真理がどこにあるか
誰もわからないけれども
一応現時点では
これがまあ
一旦
否定できないもの
ぽいね
っていうことで
進めていくのが科学
だからそれをさっきの
話で言うと
中村真一さんとの話で言うと
これは演劇的な考え方じゃなくて
機能法的な考え方
だからフィードバックを
どんどんかけていって
今のところはこれで
あってそうだけどどっかのタイミングで
違う現象や事象が
見つかった時には
大前提や仮説の
大元に戻って
これ自体が間違っていたんじゃないか
っていうことを
もう一度検討して
やっぱりこういう条件だと
違う結果になるから
これは違う
真理が
ありそうだ真理と思われる
違うものがありそうだね
っていうことでフィードバックをずっとかけていくのが
機能法的なやり方だ
という風に僕の中では
理解をしています
そう
全然違うでしょアプローチが
だから例えばですけど
万有引力
ニュートン
万有引力だとあれか
18:01
例えばだけどなんだろうな
地上
地動説天動説っていうのが
昔あったと
地球上で
空を見ると星が動いてるように
見えますと
地面は動いてなくて天井が
動いてるんだと空が動いてるんだ
ずっとそれが天井が
動いてるんだ空が動いてる
っていうことが
違いますと誰も言えなかった
時にはもう
天動説
天が動いてることが
当たり前だっていう世界があったわけですよね
その時にも
科学者はだから天が
動いてると思ってたんでしょ
でも
いやこれって
地面が動いてるんじゃないの
言った人がいたわけですよね
で星を観測したら
ほら
ここの星が動いてなくて
その周りが動いてるよと
いうことを見つけた人が
いましたよねガリレオガリレイ
でしたっけ
それで実際に
すぐには受け入れられなかったけれども
他にも
確かにあそこの北極星は動いてないけど
それ以外が動いてる
ということはやっぱり
いろいろ
観測していくと
事実
ぽいのは
地面が動いてるんじゃないかってなって
いったわけですよねこれが科学ですよね
だからそれまでの
本当っぽいものを
否定していくっていうね
でより正しそうなものを
見つけていこうとする
アプローチの仕方が科学
だからもう一回だけど
まとめると宗教というのは
絶対というものが
あって
これで間違いないんだっていうのがある
前提で動いていくので
演劇法的な考え方が
宗教ね
だからスピリチャルもそっちの方なんじゃないかと
僕は思いますね
ただし科学というのは
全く違う
どこに真理があるかは分からないけれども
今の僕たちが
分かる範囲ではこれが真理っぽいね
を前提に動いていって
違う現象があったら
フィードバックをかけて
真理だと思っていた大前提を
書き換えていこうとする
アプローチむしろ
あれに穴があるんじゃないかってみんなでね
躍起になってそこを探していこうとして
いくというね
そういう天才たちが動いている
世界が科学だと僕の中で思っているので
これは演劇法的な
やり方ではなく
機能法的なやり方であると
ということで僕の理屈は
うまく演劇法と機能法で
説明をできた以上
やっぱり宗教と科学は
同じものではなく
宗教は演劇的な
考え方
科学は機能法的な考え方であるというのが
僕の結論に
改めてなりました
ということで
もう20分以上しゃべってしまったので
21:01
以上になります
この話を聞いていただけた方はいるんでしょうか
ここまでね
ただちょうどのタイミングで
中村真さんと茶森で
お話を伺った機能法
演劇法の
考え方の話で
まさに少し前に
僕の中で整理をしていた
宗教と科学が
同じじゃないかというところに
意義を僕が申し立てた
お話の
説明がちょうどそれでできた
ということで
今日のお話はこれで
終わりにしたいと思います
これを聞いていただくと
たぶん茶森の中で
真さんが言っていた
演劇的な考え方と
機能的な考え方の話も
ちょっと皆さんのイメージつきやすかったんじゃないかな
と思うし
でもそうは言っても
どちらも論理的な
思考法考え方の
ものですよと
だからどっちも論理的な考え方で
そのうちの種類が
機能的な考え方と
機能法的な考え方と演劇法的な
考え方があるよというのが
この間の真さんの
お話していたことなんで
どちらにしても
論理的であるよということには
変わりないよというのが真さんの中での
今の
理解だということがこの間の茶森の
結論になっていて
それはそれで変わらないですよ
ということで
いや面白いですよね
だから
いろんな方の捉え方がありますけれども
こうやって
考えてみると面白いんじゃないかと思ったので
頭の整理も含めて
僕もお話をしてみました
ということで
僕の中でまだ
スピリチュアルとか
宗教が感覚的な
ものなのか論理的なものなのか
というのはちょっとまだ
整理がつけきれては
いないけれども
まあ
論理的であるとすれば
論理的かもしれないね
そこはまたちょっと分かんないな
もうちょっと考えてみます
ただまあ演劇法的な
考え方が僕にとっては
そっか分かった
演劇法的な考え方
思考法が僕にとっては
論理的だと感じれるかどうかが
僕がまだね
実はちょっと
腹落ちしきれてない
ところかもしれないね
だからどうしても
科学的な考え方
機能法的な考え方が
論理的
って思ってしまいがちな部分が
僕はあるのかもしれません
いやこの辺はちょっとまた
別でちょっと考えてみようかな
いや面白いですね
考えながらいろいろ頭がぐるぐるしてますけど
いかがだったでしょうか
ちょっと中締めしようと思って
さっき締めようとしましたけど
24:01
ちょっとまた話してしまいましたが
まあ今日は土曜日で
誰も聞いてないんだったらいいでしょう
ということで今日はこんな話をしてみました
何か皆さんね
いやそういう
考えだとこういうのどうなのとかね
いやこう僕も思いました
私もそう思いましたみたいなお話がもしあれば
ちょっとぜひねコメント欄でも
ディスカッションできればと思います
たまにはこういうね長い
長くてもいい
ちょっと議論になりそうな
あの
真面目なまともな話もちょっと
たまにはしようと思います
最近こういう話はずっとテキストで
やってましたけど
たまには僕自身の口で
言葉で喋ってみるのもいいかなと思ったので
ちょっと撮ってみました
以上になります
本当にこんな長い
ひとりがたりを聞いていただきありがとうございました
それでは
いきます
力チャーンジ
今日も力あふれる
一日を
25:08

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