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2024-08-27 20:15

【スピンオフ】 「悟り」は宗教じゃなく「道(みち)」ではありませんか?

※補足説明※
①放送の中で話しているのは、「仏教全体」の話しではなく、あくまで「悟り」関連の話でした。
ボクが「仏教」と言っている部分は、「悟り」と聞き変えてお楽しみください。

②また、例えば浄土真宗では、阿弥陀仏の本願によるところがあったり、宗派によりまたそれぞれの「違いがある」ことは理解していますが、この回の話しでは、宗派ごとの詳細な個別の違いを追求する意図は、全くないのであらかじめご了承ください。


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しゃべりながら、同じ話を繰り返してしまっているかもしれませんが、ボクが本気でいま感じている「悟り」についての話をまとめて話してみました。

◾️「悟りは"修行の道"」だと感じたまとめ
•悟りは決して、いわゆる宗教的な、摩訶不思議なものじゃなく
•柔道、剣道、武士道のような、「悟り道(さとりどう)」じゃないか?
• 悟りは、自己探求の「修行の道(みち)」

• そのゴールに到達した人が「仏(=如来)」 (悟りを開いた人)
• まだ道半ばで、前を歩む先人が「菩薩」

• 「自分」が、その修行を通じて、「苦しみの無知」、「無我の無知」、「諸行無常の無知」を理解し、智慧を理解することを、人生を通じて、ず〜〜〜っと目指し続けていく修行の道
(終わりなき旅路)

、、、と考えると、とても理解しやすかった、という話でした。

「悟り」は知れば知るほど、摩訶不思議的な「いわゆる宗教感」が、一切なくなっていったのが、ものすごく新鮮でした。というボク自身の振り返り回になりました。

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これは、「俺流ひと宇宙」として、ボクなりの「3つの世界」を整理した過程で、ChatGPTと議論をした中から、本筋を離れた「枝葉の話」を、雑談的にピックアップした、スピンオフ回です。

[BGM: MusMus]
#毎日配信
#仏教
#悟り
#サトリ

▼▼ 過去の「俺流ひと宇宙」はこちら▼▼
 #俺流ひと宇宙
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00:06
チカラチャージ💪ラジオ
おはようございます、チカラです。
今日もスタイルフォーを撮らせて頂きたいと思います。
よろしくお願いします。
今日は、ちょっとね、また
俺流人宇宙の雑談
俺流、雑談人宇宙的な
お話になると思うんだけども
僕が
仏教についてね、ずっと
先週、先々週ぐらいまでかな
チャットGPTとやり取りしながら
僕なりの理解を進めていった
全体的な話の中で
仏教についてだけをちょっと切り出して、こないだ
あの、ね
菩薩と仏
まあ、仏と如来というのは同じだということだったんだけども
補足でね、仏もしくは如来
と、菩薩についての違いというのをね
ちょっと放送を撮らせて頂きましたが
あの、そこのコメント欄で
ちょっとリブラ先生からコメントを頂いたところで
僕が改めてね
あ、仏教っていうものに対して
僕はこういう理解で今いるんだなって
あの、はっとした
まあ、気づいたお話があったので、ちょっと
放送でも撮らせて頂こうと思いました
ちょっとお話させて頂きたいと思います
よろしくお願いします。ね
これはまた、雑談人宇宙的な
ね、俺流人宇宙の派生
スピンオフ的なお話になると思いますけど
僕はこれまで
仏教というのは、もちろんね
仏教というのはキリスト教みたいなもので
宗教の一つだと僕は本当に思っていたんです
ね、だから神様というのがいて
その神様という存在と絡んだ
あの、教えというか
人々の導きのような
なんかそういうお話なんじゃないかなという風に
まあそういうものなんじゃないかっていう
そういう宗教というもので
くくるカテゴリーの中に僕の中ではね
仏教というものを置いていたんだけども
この、えっと僕の思考の旅のずっと続いた中で
チャットGPTとのやり取りをしていったところの中で
僕の仏教に対する考え方
えっと、考え方っていうか
仏教に対しての印象が
ガラッと変わったんですよね
で、それについてちょっとね
あの、まあいろんな諸説あったり
いろんな方のご意見あると思いますけど
まああのあくまで僕個人の
その仏教に対しての印象について
今の現時点の印象を
皆さんにちょっとお伝えしたいなと思います
よろしくお願いします
ね、僕はもうあの結論から言うと
今僕にとっては
仏教は宗教であるというイメージは
03:02
あの、ほぼほぼゼロ
ね、仏教と
要はだから仏教とキリスト教という
まあキリスト教はまだ僕にとっては宗教であって
スピリチュアルもまあどちらかというと
宗教的なものに近いんじゃないかとは思うんだけども
その、えっとキリスト教やスピリチュアルという
部類、まあカテゴリーがあるとしたら
それは同じようなカテゴリーに
僕の中ではまだ入っているんだけど
仏教についてはね
僕は本当にね
その2つとはちょっと全然違うカテゴリーのものだな
っていうのは僕の今の印象です
ね、で、なんでそういうふうに思ったかというと
あのね、仏教の中で
悟りを開くために必要なものということで
ね、それこれあのちょっと
俺流人宇宙の中でもちょっと話しましたけど
まああのえっといくつか理解しないといけないと
悟りを開くためにはね
だからなんだっけ
苦しみへの無知
これ話した話したか
苦しみの無知というのをね
あの理解しなさいという
悟りを開くためにはそれが必要です
っていう話と
自我というのがなくて無我を理解しなさいということ
そして諸行無常
すべてが固定されているものじゃないということを
理解しなさいっていう
僕この3つを聞いた時に
なんてわかりやすい
あのものなんだろうと思ったんですよ
人としてね
要は人間としてすごくわかりやすいお話だなと思ったんです
でこれって僕の中では
要は何を言ってるかというと
自分自身という個人のこだわりで
他人を苦しめるのをやめなさいっていうこと
ね自分の欲求自分のやりたいこと自分の地位
や名声やそういうものに全部しがみつくことで
自分ばかりの利益というのを考えすぎて
他の周りの人たちをそのせいで
苦しめることをやめなさいって言ってると
ね僕はもう要はそういうことだなというふうに
僕にはもう一瞬で見た瞬間ですよ
JATGBTがそれを表示してくれた瞬間に
僕にはそれが思い浮かびましたね
でということは
この悟りを開いていくっていうものは何だろうな
リブラ先生が言ってくれたのが上下
だから神がいて人がいるみたいな
で僕それ聞いた時に
キリスト教で言うと神がいて天使がいて
人がいるみたいな
この上下関係みたいなイメージがあるじゃないですか
一番上に偉い人が神様という人がいて
そこをサポートする存在として
天使という存在とかがいて
他のまあいろんな神にもランクがあるのか分からないけど
でそして人々がいるっていうね
そんなイメージの宗教観というね
06:01
でできるだけ神の恩恵を受けたり
助けを受けたりみたいなね
偉い方たちの助けを受けようみたいな
そんなイメージだけれども
仏教についてはそのイメージが
僕もね全く起こらなかったんです
でそれリブラ先生も確かね
コメント欄でおっしゃってくれてたんだけども
そうなんかね
仏教には一応悟りを開いた人が仏
もしくは如来というね
阿弥陀如来とか阿弥陀仏って言うでしょ
であの仏陀も如来ともであり
仏でもあるってね
GBTも教えてくれたけど
まあ仏という悟りを開いた存在がいて
悟りを開いていないけど
それを先んじて
悟りを開こうとしていた先人みたいなイメージで
先輩パイセンみたいなイメージで
菩薩がいると
その説明も受けたんだけども
そこで僕にとってはね
神と天使と人みたいな
そういう上下関係のようには
一切感じなかったんです
僕に見えたイメージは何かというと
まっすぐかなんか
ずっと遠くまで続いている一歩の道
その道の一番最果てに悟りというね
境地があるとしますよ
だからそれを山登りでもいいですけど
もうずっとそれを
悟りを開こうとしている人たちが
ずっとその道を歩み続けていくね
要は修行の道みたいなイメージで
だから何とか道
剣道、柔道、武士道
何とか道って日本で言うじゃないですか
まさに仏教は上下の感じじゃなくて
前後の道
道、ずっと伸びている道
その一番最果てに行けた方が仏
ゴールに到達して悟りを開けた人が仏であり
その最終地点まで
たどり着けてない人の手前に菩薩がいて
パイセンですよ先人
先を行ってくれてるね
菩薩たちがいて
で修行している人間がいると
だからずっと一歩一歩自分が
誰かの助けももらったりもするでしょうけど
自分が自分の足で
一歩一歩進んでいっている道ね
僕にとっては仏教の教えは道である
悟りへの道
悟りロードね
そんなイメージになりました
上下関係では全くないと
で仏教にもGPTが教えてくれたのは
神はいるという話も
後からそれでまた僕も聞いたんだけど
余計にだから仏教というのは
仏教の中で特に悟りに関する話については
神は一切関与しないということもね
仏教は言ってましたよ
09:00
仏教じゃねえやGPTは言ってましたから
だからそういう意味でも
そうキリスト教でいう神天使人みたいな
そういうあの宗教的なものとは一切別で
もう一回ですけど
悟りというのは悟りロードであるとね
自分自身で一歩一歩歩いていく道
どこまでも悟りに向かって歩いていくという
そういう道であると
これって何かというと
要は修行の道ね
自分の道自分で歩く道
なんかそんなイメージですよ
だからずっとお辺路さんとかっていうのも
そういうイメージあるのかな
いやちょっとそのまま全然ごめんなさい
今ちょっとふと思っちゃっただけだけど
とにかくだからずっと一人で
自分の足で歩いていく道だからね
これを思うと
いやもうここからちょっとあれだな
あんまり言い方考えないといけないかもしれないけど
まああのぶっちゃけると
一別体験を僕はしましたよと
悟りを開くところまで行ったって
まあ行ったってわかんないな
一別体験をしたとかいう方はいらっしゃるってね
噂では聞きます
僕直接見たことないんで
ちょっと批判にはしたくないんだけども
いやでもね悟りというのが道であると
思った瞬間に
いや一別体験をしましたよっていうのを
誰かに言ったところで
関係ないだろうっていう気がするんですよ
だって自分の道だもん
自分の道である以上は
自分がここがゴールだと思わない限りは
永遠にゴールにたどり着かないものだと
僕は思いますね
それが僕にとっては悟りロードなんだと思う
悟りの道だと思いますよ
だからここが
到達した悟りのゴールだって
自分が納得した時点が悟りの場所じゃないかと
これってね
僕は人っていうのはなかなかそれを
ここがゴールだって思えるっていうのは
ほぼほぼ難しいんじゃないかなと
僕にとっては思います
なので生きてる間に
いや僕は悟りを体験しました
なのか悟りの第一ゲートの
一別の体験をしましたなのか
とにかくそういう自覚を持ちました
って言える方っていうのは
本当にその道を真剣に
僕は進んでいる方なのかどうかな
っていう疑問が僕にとっては出てしまう
これは悪い方
うがった見方をしてるわけじゃないんだけど
僕は僕にとっては道というのは
修行の道というのは
そういうものじゃないかと思うのでね
本当にねそれは思います
終わりがない道ですよ
人という存在意識がある人にとっては
僕はそういう修行の道っていうのは
いつまで経っても終わりがない
12:00
だからもうなんだろう
わかんないピカソとか
知らないけど
ああいう天才と呼ばれるような人たちが
自分の感性系がこれだって
本気で思って死んでいるかどうかっていうことを
思うと
いやまだまだ僕は100点を取れてないって
みんな思ってるんじゃないかなと思うんですよ
芸術作品もそうだし
そういうものって
だってもっと上があるって思うもの
と思うと
そういうもんじゃないかと
ごめんなさいね
僕の本当に勝手なイメージで喋ってますけど
僕はもう一回ですけど
ちょっと誤解があったらいけないなと思うんだけど
もう一回とにかく言いたかったのは
仏教というのは僕にとっては宗教だったり
何か得体の知れないものというものじゃなく
修行の道であると
しかもそれが個人の修行の道であるというふうに
僕は今本気で思っていますね
と思います
なので自分が納得して腹落ちして
ここがゴールだと思わない限りは
一生僕は一別体験すらできない道だろうと思います
それはもう人それぞれだと思いますけど
という気がしますね
だから仏陀は
でも仏陀は自分で悟りを開いたって思ったんだっけ
周りの人が今悟りましたかって聞いたんだっけ
いやまぁわかんないけど
いや終わりがないでしょ
人の自分で進む歩む道ってなんだろう
もういいやって諦めない限りはね
ここでここがゴールでいいやって思わない限りは
もう一生僕はゴールがない道なんじゃないかな
っていうイメージになりました
それが僕にとっては勝手な僕にとっては
知識が薄い僕にとってはですけど
悟りの本質真髄じゃないかと思いますね
だからこそずっと後はやるしかないって言って
一個の方法としては促進仏がそうでしょうね
突き詰めてもう止めてもらうまで止まらないわけでしょ
止めてもらうまでっていうか
自分の命が止まるまでずっと後は
行くとこまで行くということじゃないかと
いうふうには思いますね
ということでどうですか
どうですかって言われてもね
勝手な僕のイメージだから
そう思うならそう思ったらっていうことなんでしょうけど
今は僕にとってはそれが悟りのお話の本当のイメージですね
15:05
そうそうゴールに向かって行く道と
歩むのは個人だから
個人がここがゴールここが悟りと思ったところが悟りでしょうけど
自分で本気で行こうとする人は
意識がある以上は
自覚がある以上は
いやまだこの先があるはずだ
まだこの先があるはずだが
永遠に続く道じゃないかと
もちろんそれが修行っていうことなんだろうというふうに
むしろ腹落ちをするという感じですね
人の修行というのは僕はそういうものじゃないかと思います
逆に自責志向というイメージで僕も仏教思ったけど
そういうことなんじゃないかなと思います
自分の中で思っていくこと
自分が求めていく駆動の道というんですか
道を求めていく
そういう部類のものが悟りの話だろうと
悟りロードなんだろうと思います
逆にキリスト教とかはGPTに教えてもらった感じだと
むしろどこかのすごい存在に
自分がパワーをいただくというかね
恩恵を恩徴をいただくというような感じだから
それは何かをわーっと感じたっていう実感があれば
今繋がったっていうことなんでしょうけどね
だからそれが仏教の悟りの話と
一別体験をしたという実感があるかどうかという話と
アカシックに繋がったという感覚を持てるかどうかの
その温度感の差っていうのかな
なんかそういう気がしますよ
だから一別体験というのはかなり難しい
感じるというか実感して自分が
これこそが今一別体験だって思える瞬間っていうのは
アカシックに繋がったと感じることよりも
全然はるかに難しいことなんだろうと思います
僕だったら一生一別体験は
僕は自分自身でできないと思います
と思いました
ということでいかがでしょうか
この話を聞いて
確かにそうじゃないかというご意見もあれば
ややそういうもんじゃないというご意見もあるかもしれませんけど
僕にとってはだからもう一回だけど
アカシックスピリチュアルやキリスト教みたいな宗教的な世界は
上がいて下がいてみたいな
そういう世界じゃないかと
確かにスピリチュアルだとハイヤーセルフってね
ハイヤー自分よりより高い存在っていうね
ハイヤーっていう言い方しますね
だから高い低いっていうことは
上下っていうイメージがそもそもあるような
18:02
高次の高い次元の存在っていう言い方しますよね
だからそこには上下のようなイメージがありますけど
悟りは上下というイメージよりも前を行く人と
か自分かさらに自分の後ろに誰かいるかみたいな
その道前後の道っていうね
イメージでおります
そこの道を修行として一歩一歩歩いていくという
そしてその苦しみを知って無我を知って
諸行無常を知るという
そういう修行の道だということだと思います
いかがでしょうかね
それはねもう自分の中で求めていくものっていう意味では
僕は好きな方だと思います
探求していくというのかな
悟りに向かっていくのも嫌いではない世界な気はしますが
大変だなと思います
終わりがないというか答えがないというかね
そういう追求してもしても
まだまだ先がある世界ということなんだろうと思いますが
はいということで
まぁなんだろう
ちょっとポジティブに聞いていただけた方もいれば
ネガティブに聞こえた方もいるかもしれませんけど
僕にとっての仏教観というのは
そこに落ち着いた感じがありますね
いかがですか
ということでまあ勝手に喋りましたけど
繰り返し同じことずっと喋っちゃったかもしれないですけど
以上ですね
何かご意見ある方
共感される方
いやそうじゃないんじゃないの
こういうふうに思いますけど
っていう方もいらっしゃれば
ぜひコメント欄でコメントいただけると
本当に励みになりますので嬉しいです
それでは以上になります
今日も聞いていただきありがとうございました
いきます力チャンス
今日も力あふれる一日を
20:15

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