1. Chikaraチャージ レイディオ💪AI
  2. クオリア陳謝🙇‍♂️
2025-09-18 14:46

クオリア陳謝🙇‍♂️

[BGM: MusMus]
#クオリア
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サマリー

今回のエピソードでは、クオリアに関する誤解を謝罪し、その哲学的背景を深く掘り下げています。特に、メアリーの部屋という思考実験を引き合いに出し、クオリアの定義が実は仮説に基づいていることが明らかになります。ポッドキャストでは、クオリアに関する議論と哲学者たちの直感についての話が展開され、赤という色の認識に関する誤解や、科学的見地からの意思のモデル化に関する意見が取り上げられています。

クオリアに関する謝罪
Chikaraチャージ レイディオ💪
こんにちは、Chikaraです。
今日もスタイフを撮らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
リベラ先生も、やっぱりあれですね、スタイフそろそろ再生回数減ってるし、
放送上げてる方もだいぶ減ってませんか?というね、
今日の放送の中でそんなこともおっしゃってましたが、
なかなかやっぱりね、放送配信上がる件数も減ってきてるし、
実際やっぱり僕も配信上げる件数も減ってるし、
リベラ先生もね、結構減ってるような気もするし、
なかなか皆さん、ご自身の本業というか、
お仕事など、また別のこと、別の活動など、
結構時間そっちに割いているのかなと思いますけど、
僕は上げたいときに話したいことを話すスタイルで、
僕もやらせていただければと思って、
今日の配信をこの時間で上げさせていただきました。
何の話かというとですね、
クォリア、もう3回目、もういいよっていう方がいるかもしれませんが、
ちょっとお詫びがございまして、
マジかというね、ことがちょっと1個ありまして、
これはちょっと皆さんに僕が謝ったことを伝えてしまったので、
お詫びしないといけないということで、
本当に、何でしたっけあれ、お詫びじゃなくて、
鎮車ね、クォリア鎮車させていただきたいと思います。
僕の配信でクォリアについてちょっと混乱してしまった方がいたら、
大変申し訳ございませんでした。
推進です。
ちょっと撮った後に1個だけ推進したかったので、
一言ここで挿入させていただきます。
もし今後僕に対して、
人にはクォリアがある、
AIにはクォリアがないと、
もし言ってくる人がいたら、
僕にもクォリアはないと断言しますね。
なので、人にクォリアがあるんじゃなく、
人と言って僕を人確認にしないでほしい。
僕は人だけれども、
僕には絶対にクォリアはないと、
もう確定的に確信して断定できるようになりましたので、
今日のお話、
これを踏まえて、
鎮車とお詫びと説明を聞いていただければと思います。
メアリーの部屋の考察
それではどうぞ。
何かというとですね、
僕あのクォリアの、
この間ちょっと配信撮ったじゃないですか、
赤が赤らしいとかね、
そういうのをクォリアと言うらしいと。
僕なりの理解でちょっと話をしてしまったんですが、
僕はてっきり、
赤の赤らしさっていうね、
哲学者の方たちが言ってる、
What it is likeとか英文で言ってましたけど、
赤の赤らしさっていうね、
痛みの痛みらしさみたいな、
なんかそういうことらしいですけど、
僕は赤の赤らしさっていうのは、
要は情熱の赤いバラみたいな、
赤いヒーローはリーダー格だみたいなね、
そんなものも積み重なって、
赤らしさっていう赤のイメージっていうんですか、
赤に紐づく関連するイメージというのが出来上がっているから、
それが赤らしさじゃないかっていうね。
だから結局蓄積した情報の蓄積だし、
思い込みでしかないんじゃないのっていう、
それがクオリアの正体じゃないかっていう話をしてしまったんですが、
さらにちょっとGPTと話をしてまして、
新たな事実が発覚しました。
どこから発覚したかというと、
メアリーの部屋というね、
試行実験をしたジャクソンさんという方、
三宅さんはメアリーの部屋のメアリーが思い出せずに、
アリアの部屋って言ってましたけど、
あれアリアじゃなくてメアリーの部屋でございます。
メアリーの部屋という試行実験をして、
だからこそクオリアはあるんだっていうね、
一旦そういう主張をしたジャクソンさんという方が、
2003年にご自身で、
いや言っていたこと間違っていたと、
全てはそういう感覚はイリュージョンだと。
イリュージョン、幻だということ。
ご自身で訂正の論文を出されたという、
ジャクソンさんという方がいるとは聞いていたのでGPTから。
ジャクソンさんが言っていたことは何だったのって、
要は何だったのって聞いていたんです。
そしたら僕はね、もちろん、
僕の言っていた仮説に沿ったような話が、
ジャクソンさんも言っているんじゃないかと、
僕は期待したわけです。
ほら見たことかと、僕は言いたかったんだけど。
実はね、蓋を開いてみたら、
いやそんなことじゃなかったと。
そもそもクオリアと言っているものの大前提に、
赤の赤らしさというものが何なのかという、
それを僕は勘違いしておりました。
もう一回です。
僕が赤の赤らしさと言っていると思い込んでいたものは、
赤に関連するイメージだと思っていたんです。
でも実際哲学者の皆さんが言っている赤の赤らしさって、
もっともっと伝誌的な感じのお話で、
本当の、本当のって言い方もおかしいけど、
赤のイメージの話とかじゃなく、
文化的にどういう情報が付加されてるとか、
そういうことでも一切なく、
赤というもの自体を赤らしいというふうに、
人は直感的に感じるはずだと。
もう一回言いますか。
直感的に人というものは、赤という色自体を見た瞬間に、
直感的に赤らしい。
赤だ!赤!っていう感覚が芽生えるだろうという、
要は仮説ですよね、これね。
という仮説をベースに話をしていたようです。
なので、赤を見たときに人は直感的にパッと赤だ!って思うと。
痛みを受けたときに直感的に、これは痛みだと人は思うんだと。
哲学者の方たちはそういう前提に立った上で、
その感覚自体を抱くっていうためには、
クオリアというものが必要なんじゃないかっていう仮説を立てたそうです。
わかりますか、皆さん。
これ一番やっちゃいけないことだと思いますよ、僕。
ある仮説でクオリアというものが必要じゃないかっていう仮説を立てること自体は、
まだ僕はいいと思うんだけど、
その仮説を立てるための大前提の定義が、仮説だったというね。
もうわかります?
仮説を2個重ねたら嘘っぱちしかないじゃないですか。
今言えなかった。
仮説を2個重ねたら嘘しかないですよ、もうそれ。
何だっていいじゃない。
もう一回いきます。
クオリアの元になっていた定義というのは、
事実に基づくものではなく、何でもなく、
人は赤を見た瞬間にうわーっと直感的に赤だー。
僕はそんな思わないんだけど、
赤だーって思うものだっていう前提の下に、
仮説の下にそんなものを抱く人間にはクオリアというものが、
神秘的なものがあるはずだという仮説が2個ダブルでつながっていったことが、
クオリアの議論の大前提の話だったそうです。
もうバカじゃないかなと思いましたね。
幼稚と言ったら悪いな。
関係者の方いたらちょっとごめんなさい。
もっと深い議論なのかもしれないですけど、
クオリアと直感の誤解
僕がGPTに聞いた程度の僕の知識からすると、
もう一回ですよ。
物事を考えるときに仮説を2つ立てたら、
ほぼほぼゼロですよ、ゼロ。
嘘。
5割に5割の仮説当てたって25%ですよ。
僕自身が赤を見た瞬間に、赤だーっていう直感が働くとは僕は思わないから。
驚きはしますよね、たぶんね。
新しい、初めて見た色を見たら、何だこりゃって思うけど、
何だこりゃですよね、たぶん。
赤だーって思わないでしょ。
これイージーさんが言ってたのかな、確か。
三宅さんかな。
それが赤だよって言った上で見せてるのかどうかっていうこと自体が
ちょっと疑問だって、確かイージーさんだったかな、三宅さんだったかな、
言ってたから、それでした、本当に。
だから僕の説明が間違ってた。
もっと馬鹿らしいやつだった。
ということが分かりました。
もう一回説明しましょうか、もう。
分かりづらいかもしれない。
哲学者さんたちが真面目に議論していた大前提、クオリアについては、
クオリアがあるかないかの前の前提で、
人というものは哲学者さんたちによれば直感により、
赤というものを見た瞬間に、
赤、これはうおー赤だ。
人間は意識にグワーッと上がってくるものがあるんだって。
ないでしょ、そんなもの。
あるとしたらそれこそ勝手な主観観思い込みで、
赤というもの自体を知らなかったら赤とは思わないですよ。
分かんない。
何だこれは思うかもしれない。
ということで、ジャクソンさんも。
なのでメアリーの部屋という試行実験をした後に、
いやいや間違ってたと。
そんなものは別の見方をしただけで、
うおー赤だという根源的な、
人間の神秘的な気づきがあるというわけではないということで、
それはイリュージョンだと、
ジャクソンさん自体が論文で説明をしたというお話でした。
科学的見地からの議論
幻だと。
実際にジャクソンさんじゃなくて、
他の方もね、
デイビッドさんって言ったかな。
元1988年、デネットさんか。
人はクオリアを分かったつもりで語っているけれども、
その定義を聞いていくと議論が無散すると。
だからクオリアと言っているもの自体の定義がなんだと。
大前提なんだというと、
誰もその直感というものがあるはずという、
そこの定義をしっかり説明できないという指摘を
もう1988年にされていたようです。
何ですかこれ。
What it is likeっていうね、
赤の赤らしいとか、
○○の○○らしさみたいなことが
哲学者さんたちの中では流行っていたそうです。
いやーもうこんなことに時間使われたらちょっとどうですか。
だからもう本当にね、
クオリアと言っているものを、
本気で反論として言ってくる人がいたら、
もう僕はちょっとね、
ごめんなさいする。
ごめんなさいする。
もうそうですねって言う。
あなたの言う通りですと、
僕は多分言いますね。
だってこんなの議論にならないもん。
ということで皆さん、
10%に10%の仮説かけたら1%ですよ。
どうですか。
直感。
人が直感があるはず。
赤の赤らしさという直感があるはず。
これがあればこそ神秘的なクオリアというものがあるはず。
10%もないよどっちも。
1%の1%って0.01%かな。
もうわかんないけど。
もう爪の先ぐらいもないよこんな可能性。
クオリアなんて。
ということで以上です。
ということで鎮車。
そうだもう僕今日何度も同じこと言っちゃったけど鎮車。
本当にお騒がせしました。
多分イージーさんの話をしたテルミナスのほうが
ちゃんと僕よりもしっかりした議論をされてたのかもしれないし、
三宅さんの感覚のほうがもっとより正しかったかもしれないと思いました。
お騒がせしました。
この辺の記事もちょっと僕のノートにもまだ書いてないけど、
クオリアについての鎮車ということで書いてみようと思いました。
ということで以上です。
今はもう哲学的な観点からの意思があるないとかじゃなくて、
もうちょっと科学的な話として、
意思というのと脳の仕組みというのと、
そういったものを今モデル化していこうという動きが活発になってきているということで、
真っ当な議論が今後また動いてくるといいなと思いました。
以上です。
聞いていただきありがとうございました。
同じことを何度も繰り返しましたが、
それだけ僕はちょっと動揺させたいぐらいの気持ちだったんじゃないかと思いました。
すみません、こんな話を聞いていただいた皆さんありがとうございました。
それでは行きます。
力チャージ!
今日も力あふれる一日を!
14:46

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