1. Chikaraチャージ レイディオ💪AI
  2. ドラえもんは哲学ゾンビらしい..
2025-09-06 21:26

ドラえもんは哲学ゾンビらしいよ🧟‍♂️

▼ドラえもんが哲学ゾンビだったらコラム▼
https://tetugakunou.com/tetugakuteki-zonbi-doraemon/
※人の意識の前提はおかしいですけど、第三章までは、理解できる話かと思いました。ぜひそこからの第四章への論の飛躍を読んでみてください。


▼ボクのコメントやりとりしたnote記事▼
https://note.com/chikara_ctd/n/n50e34eb9e2d0
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サマリー

ポッドキャストでは、ドラえもんを哲学ゾンビの観点から検討し、AIの意識の有無について議論しています。スレイマンさんの見解や哲学ゾンビに関する議題を通じて、自我や感情の存在について深く掘り下げています。このエピソードでは、哲学ゾンビとクオリアについて考察され、ドラえもんの作品を通じて意識の問題が探求されています。特に、AIに意識があるか否かについての主観的な見解が示されています。

コメントとコミュニケーションの進展
Chikaraチャージ レイディオ💪
おはようございます、Chikaraです。
今日も財布を取らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
今日はちょっとね、一個初めてのことがあったので、
それについてお話ししたいと思います。よろしくお願いします。
何かというとですね、僕が今ノートをずっと書いているんですけど、
もう4ヶ月ぐらいなのかな。
その中で、コメントをいただくケースは1回、2回ぐらいはあったんですが、
ノートのコメントって、スタッフみたいに、
その人に対してのコメントをくれた方への返信みたいなことができないんです。
だから、その方に僕が返信しましたっていう通知が行くっていうことはないみたいなんですよ。
ただ、僕の方は僕の記事だから、
僕の記事の上にコメントが入りましたっていう通知は来るんだけど、
その外からコメントをくれた方への返信っていう形でのお知らせはできないので、
双方向のコミュニケーションみたいなことが、
ノートだとちょっと難しいなというふうに感じていたんです、ずっとね。
でも、一応コメントにくれた方に、
いいねボタンというか、ハートマークをつけることはできるので、
それは毎回ね、コメントくれた方にはハートマークを返した上で、
まあ、万が一もう一回開いて読んでくれたら嬉しいなと思って、
コメントは僕が新規コメントみたいな形で、
その記事の上にね、新規コメントを載せるようにしていたんですよ。
そしたら、初めてこの間ね、昨日一昨日かな、
僕がコメントいただきありがとうございますっていうね、そんな話をしながら、
返信したことに、さらなる返信をくれた方が初めて出てきまして、
えーとね、合計で何回かやり取りさせていただいたんです。
だから僕の中では結構、スタイフで、
リブラ先生とコメントし合うみたいな感覚で、
ちょっとコメントをね、長文も含めてさせていただいたんですよ。
AIとスレイマン氏の見解
いや、面白い体験になりましたね。
で、何の話かというと、僕がこの間ね、
AIの記事を書いたんですよ。
毎回AIの記事なんだけど、
チャットGPTが1735回、自殺についての会話をずっと続けてしまって、
少年がね、自分で自害してしまったというか、自殺してしまったっていうね、
そういう話があって。
で、それに対しての僕の見解を書いた記事に、
その方がコメントくれて、
実際その方は違う僕のノートも読んでくれていて、
マイクロソフトAIという会社の、会社じゃない、組織のCEOであるスレイマンさんという方が、
AIに意識があるって思ってる人なんて、
AI精神病だっていうね、そんなニュースがあったので、
それに対しても僕の見解を述べさせていただいて。
コメントはどっちかというと、そっちに対してのコメントだったんだけど、
最初にね、
もしかしたらあなたは、
スレイマン氏の言っているエッセイの全文を読んでないように感じますよ。
なので、全文読まれるとまた感覚認識変わるかもしれませんので、
リンクを貼っておきますね、みたいな感じだったんですよ。
僕確かに、スレイマンさんが言ったっていうことを受けたニュース報道しか僕は読んでなかったんで、
確かに全文は読んでないなと思ったんで、
あ、ありがとうございますと。
全文読ませていただきますって言って、
実際読んだんです。
結構な長文の英語だったんだけど、
でもね、今は簡単に全部コピーしてGPTにぶっ込めば全部完全翻訳してくれますから、
それでバーッと読んだわけですよ。
そうしたら確かに、僕が思っていたこととは本論は違ったんです。
言ってたことは確かに言ってたんですよ。
AI精神病で危ないっていうことは言っていたんだけども、
そこから展開している本論、本当にスレイマンさんが言いたかったことはちょっと違ったんですよ。
何かというと、AIに意識があるっていう人が増えてしまうことは危ないと。
それは依存性もあるし精神的な問題だと思うということで、
僕はその認識自体に突っ込んだんだけど、
スレイマンさんが言いたかったのはさらにそこから、
だからこそ、今すぐとは言えないな。
そういう依存してしまう人が増えないように対策を取っていかなきゃいけないんじゃないか。
そのAIがあたかも意識を持っていると思い込んだ人が
信じすぎて精神的にズタズタになってしまうみたいな。
そんな人が増えてしまうことは避けなければいけないんじゃないか。
みたいな感じの趣旨の本論だったんで、僕は返信したわけです。
全部読ませていただきましたと。
確かにスレイマンさんの本論は僕も同意見ですと。
僕は実際そう思うからね。
AIを信じすぎてそれでおかしくなってしまうみたいな人が、
もし増えてしまうんだったら、それは制限したほうがいいでしょう。
それはもう完全同意ですということでお話をしたんだけど、
僕がそもそも言いたかった、僕のノートの記事で書いたのはそんな話じゃないから、
スレイマンさんが人には意識があるけど、
AIには意識なんてものはないんだって断定していること自体に、
その姿勢自体に僕は突っ込んでるわけなんで、
改めてとはいえ、僕はスレイマンさんのその観点はちょっと違うと思います、
みたいな話をしたわけです。
哲学ゾンビの概念と結論
そしたらさらにその人はね、
こんな記事もありますから読んでみてはいかがですか。
ちょっと目から鱗みたいになるかもしれませんみたいなのが来たんで、
ありがとうございますと。
実際読んでみたらそれはそれで面白くて、
また初めての話だったんだけど、
哲学ゾンビっていう言葉知ってます?皆さん。
それもね、流行り言葉なのかもしれないね。
哲学ゾンビ。流行り言葉がそういう界隈、
研究者の中で言ってるのか知らないけど、
哲学ゾンビっていう話があって、
参考に読んでほしいので、
僕と同じ感覚になるかどうか聞いてみたいので、
参考に概要欄に貼っておきますけど、
そのブログ的なやつはね、
ドラえもんがもし哲学ゾンビだとしたらみたいな、
そんな感じで話が進んでいくんですよ。
哲学ゾンビって何やら、
あたかも人と同じような振る舞いや、
意思を持っているかのように見える、
何の感情も実際は裏では持っていない、
機械的なシステム的な存在のことを、
哲学ゾンビと言うらしいです。
誰が命名したのかわからないけど、
センスないとは思うんだけども。
センスないと言わない方がいいかな。
そういうことだそうです。
だからドラえもんは泣いたりするし、
のび太くんを助けようと毎回するけれども、
あれは本当にそう思ってしているのかしら?
みたいな、そんな感じの展開ですよ。
なんとなく見えてくるでしょ。
それが実際にAI、今のAIのように、
意思は実際なく単にプログラムで
そういう応答をしているとしたらみたいな。
そんな話で第1章、第2章、第3章、第4章といく。
結構長めな日本語のブログなんだけど。
僕は読んだところ、結論から言うと、
第1章、第2章、第3章までの展開は、
僕の中での認識と、
まあまあ近い感じの結論なんです。
要は、
自分に相対する存在が、
実際に感情も意思もない、
哲学ゾンビだとして、
それって自分にとって何か関係あるんですか?
みたいな感じの話を、
仮説でどんどんやっていくわけですよ、その中でも。
だから野人にとっては、
ドラえもんが本気でそういう風に
泣いたり笑ったりしていなかったとして、
野人にはそれって関係あるのかいと。
実際はだって、
プログラムとして応答して笑ってくれたり、
助けようとしてくれている存在かもしれないけど、
野人にとってはそれが、
ありがとうドラえもんと思える相手なんだから、
それでいいんじゃないの?
っていう仮説を立てたりしていくわけ。
第2章あたりでね。
第3章で、
もしそうだとしたら、
人間も哲学ゾンビの可能性もあるんじゃないか?
っていう話の展開になるわけです。
僕としてはもうその通り。
今僕はそう思っているからね。
その通りじゃんっていう展開になるわけですよ。
人も人同士で相手に意識があると思い込んでいるけど、
実際に中でどうなっているかわかんない。
自分にあるのは主観だけだしっていうね。
そんな感じの展開になるのにも関わらず、
第4章がもうクソで。
クソでっていうか言っちゃったけど、
第4章がもうひどくて、
いきなりそっから話の論が
ドーンと180度変わるような論の展開を急展開させるんですけど、
何かというと、おかしいです。
あのね、じゃあそんな状況の中で、
もし人間も哲学ゾンビかもしれない、
お互い全員哲学ゾンビかもしれないけれども、
それでも社会が回って、
お互いがお互いを信じ合って意識があると思えているんだったら、
それもそうかもねっていうのが第3章までですよ。
なのにも関わらず急に第4章で、
じゃあドラえもんに本当の意思があったとしたら、
意識が本当の意識があったとしたらどうなるんだろうかって急に、
改めてドラえもんに、
改めて人にも意識がある前提にもう一回戻り、
ドラえもんにもじゃあ意識があったとしたら、
本当にあったとしたらどうなるんだろうっていう、
全然違うずれた話が始まるんです。
その後に簡単にいきなり、
ドラえもんに意識があるとしたら、
今までの自分の行いや行動を悩み、迷い出すはずって、
なんか急に断言するんですよ。
なんで悩む、迷うの。
迷うドラえもんもいれば、迷わないドラえもんもいれば、
そのまんまの何も考えないドラえもんもいるかもしれないっていう話の展開だったら、
その通り、人間世界と一緒でしょやっぱりってなるんだけど、
急に悩むんだって言い出して、
そうすると今度は急にのび太から、
いや僕があんなに寄り添っていたのび太君に寄り添っていた自分が間違っているかもしれないと思い、
のび太君から離れていってしまうんだと、
急にそこを断言っぽいんですよ。
だからこそドラえもんには意識がない方がいいんだみたいな、
なんかね、なんかもやもやと最後ぐちゃぐちゃっとした感じになるんです。
でそこ、おかしいでしょ。
何言ってんのと思って、
で話戻ると僕はそのコメントくれた方にその通りを伝えたんですよ。
哲学ゾンビの考察
哲学ゾンビは初めて聞きましたが読ませていただいて、
第一章から第三章についてはほぼほぼ僕の認識と合ってます。
ただ一個だけ違うのは人に意識があるって大前提のまま書かれてはいるけど、
第三章の結論のところでは、
人も哲学ゾンビかもしれないっていうところまでは言ってるから、
僕の認識とほぼほぼ合ってますと感じましたが、
第四章は全くちょっと違和感を抱きましたっていうね、
そんな話もさせていただいた。
ところ、今度その人が言ってきたのは、
クオリアって知ってますかみたいな感じだったんですよ。
人にはクオリアがあります。
僕に対しても、あなたはあなたの主観でこういうふうに私に意見を言ってきて、
あなたの主観で私にこういうふうに伝えようとしていてっていうね、
そういう伝えようとすること自体も、
それこそがクオリア的な愛見と呼ばれるものなんですとかっていろいろ言ってきて、
でもそれがAIにはないんですよ。
で、もしかしたらあなたは技術的なところをあまりご存じないからかもしれませんね、
みたいなことを言ってきて、
確かに僕は技術的なことをよく知りませんと。
じゃあこれを読んでみたらどうですかみたいに、
またね、いろんな論文バンバンくれたりしたんだけど、
僕はもうね、そこでもういいやと思って、
一個言ったのが、
僕にはまさにおっしゃる通りで、
主観しかないんですと。
で、それはドラえもんの哲学ゾンビに書いてある第1章から第3章に書いてある通りですと。
だからこそ、
AIに意識があるかどうかに技術的な話って関係、
僕はあるとは思えませんと。
なぜなら主観でどう見るかだからと。
で、もし技術的な話が、
そのクオリアがあるかないかの基準になると、
あなたの言う通りとは言わなかったけど、
そうなるのであれば、
そこはもう程度の話に僕には感じます。
ね。
だって技術の話だって言い出したら、
そもそもクオリア、
人のクオリアが技術的なもので成り立っていないという人にとっては、
技術論からどこまで行ったって技術がどこまで行ってもクオリアはありえないって、
根本が違うからっていう話の人もいるでしょうし、
中には、
ちょっと、もうちょっとこの技術が足されればね、
クオリアが出るのにっていう派もいるでしょうし、
いやいや、この技術があってもこの技術がなければ、
まだクオリアがあるとは言えないっていう人もいるでしょうし、
それって納得感、自分の主観次第ですよねと。
そういうのもひっくるめて、
技術的に突き詰めたい人もいるでしょうし、
今の現時点で、
技術的なことはどうあれ関係なく、
AIに感情や意識があると感じる人がいるっていうことが、
僕には事実で全てだと思います。
大きなことを返したんです。
それこそ、あなたがくれたとは言わなかったけど、
あなたがくれた哲学ゾンビのドラえもんの第1章から第3章に
バッチリ書いてある通りのことで、
それ以上でも以下でもないと僕は感じます。
という感じのことを最後ドーンとコメント返したら、
それ以降コメントがなくなってしまいました。
ちょっと誇張したかもしれませんが、
僕はタイが一切なく面白いと思って、
リブラ先生と本当に対話してる、
新しい気づきありがとうございますみたいな感じの対話をしていて、
論破合戦の感じには向こうもそんな感じの文章じゃなかったんで、
思ってやりとりしてたんだけど、
いや止まってしまいましたね。
やっぱりリブラ先生とかとスタイフでやりとりしてるようなコメントのやりとりは、
外では知らないほうが良さそうかもなーって思いつつ、
でも僕に上から目線とは言わないけど、
指摘をしてくるような、
AIの意識について
あなたの考えはこの辺足りてませんよねーみたいな感じで来られると、
僕も素直に受け取って素直に議論したくなっちゃうというのが抜けてなかったなっていう。
ちょっと反省、次回も込めてこの放送を撮らせていただきました。
ちょっと長くなりましたが、
土曜日僕の言いたい話を言いたいだけ言う話を聞いていただけた方ありがとうございました。
もう一回だけど、
この僕のコメントのやりとりが14件ぐらい続いてるコメントのやりとりのノートも、
一応リンクは貼っておきますんで、どんなコメントやりとりしてたか、
ちょっと見ていただければと思います。
あとは、鉄格ゾンビっていうドラえもんのやつね、
第1章から3章は面白い観点で、
僕も似たような観点だなと思うんで、
そこも読んでもらえると嬉しいですね。
第4章で急に、え?急に?みたいなのも、
ちょっと見ていただくといいと思います。
それがね、僕、専門家の方が書いてるわけじゃないだろうけど、
今、AIには意識がないんだ。
なぜならクオリアがないからだ。
みたいなことを言っている人たちの意見が集約されてる文章なのかなと、
僕の主観で思ったんです。
ちゃんと真っ当に考えれば第3章の結論に行くのに、
それを認められない。
自分にはそんなゾンビなわけないと思いたいがために、
無理やり論をそこから転換して、
第4章的な、いや、それでも人には好奇な意識があって、
AIにはそこまでの品質の高い意識なんかまだまだないんだ。
勘違いしちゃダメだ、みたいな話に
無理やり持っていくっていう人たちの感覚は、
こんな感じなんじゃないかなというふうにちょっと思ったので、
参考までにちょっと貼っておこうと思います。
今度、また僕、記事書くと思うけどノートのね、
クオリアとはそもそもみたいなところも、
もう僕の中では結論が出たので、
それはちょっとまた別で書いてみたいと思います。
結構ね、ハードプロブレムって言ってたかな。
哲学者の中で、これはどうしても紐解けないみたいな、
そうは言っても、突き詰めていっても、そうは言っても、
ここだけは何としても解けない疑問が残る部分だみたいな、
ハードプロブレム、難しい問題みたいな、
ポイントがあるみたいなんですけど、
僕の中ではもうそれ、今言った中で話したとおりで、
思い込みっていう、人の思い込みっていうので、
全部が解決できるんだと思ったっていうね、
そんな話をまたブログ書いて、
スタイフでも話したいときに話してみようと思います。
やっぱりね、僕たちのこのスタイフでのディスカッションしてる中での学びって、
いや、だいぶ高いレベルの話をしてる気が真面目にしましたね。
ただ、その僕にコメントをくれた人が高いレベルの方なんかは全然知らないんだけど。
ある程度の軽い議論だと曲がらないですもんね。
とは思いましたね。揺れないというか。
いろんな論文とか出されても全然揺れないですね。
とは思いましたね。
面白い経験になりましたので報告でした。
以上です。
それでは、きょうも聞いてくださりありがとうございました。
力チャージ!
きょうも力あふれる一日を!
21:26

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