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2025-09-22 21:55

【俺流ドヤさ】 「哲学」は解釈が解釈を生む学問だった

▼関連するボクのnote記事▼
続・クオリアの真実 ─ 解釈が解釈を生む哲学構造
https://note.com/chikara_ctd/n/n983e1c0c4ce7

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サマリー

このエピソードでは、哲学が解釈の重ね合わせによって成立する学問であるという考えが述べられています。特に、クオリアという概念がどのように解釈され、さまざまな哲学者によって異なる視点が加えられているかについて詳しく語られています。また、哲学がどのように解釈の重なりを生むかについても深く掘り下げられています。クオリアや哲学的ゾンビといった概念を通して、哲学の持つ主観性とその限界についての議論が展開されています。

クオリアの新たな気づき
Chikaraチャージ レイディオ💪
こんにちは、Chikaraです。
今日もスタイフを撮らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
今日もですね、一つお知らせがございます。
もうね、何のお知らせかって、もうしょうがないですよね。
僕の方でどうしてもね、このアップデートが一個入ってしまったので。
これは本当に僕には、目から鱗だったんです。
僕の思い込みがすごい激しかったんだと思いますけど。
そういうことなんだと、思ったので。
思ったら言わざるを得ない。それがね、僕ですよ。
ということで、ご容赦ください。聞いてください。
何の話かというと、そうです。クオリアの話。
いつまでしがむんだと、クオリアを。
もうね、3回目か4回目ですよ、クオリア。
またね、新しい気づきがあったんですよ。
いやもう、どういうことだと。
もうね、いや、説明しますね。
勝手に言うので、勝手にもう聞いてください。
本当に聞いてやってください、僕の気持ちを。
いや、本当にマジかと思ったんですよ。
いやー、そんなことあるって。
これ何の話かというとね、
クオリアをトピック、題材として、
僕はどこに行き着いたかというと、
もう結論から言うと、
哲学という分野自体が、
もう全て、解釈が解釈を読んでいるだけの学問だと分かったっていうね。
もうはい、結論、これ言ったらもうこれだけ。
ということです。
哲学と科学の対比
何なの?と。
僕ね、哲学っていうものは、
すごいまた高尚な学問というか、
ものすごい議論に議論を詰めて詰めて、
本当に哲学という道筋で、
真実という、どこかしらにあるような真実みたいなものを
突き詰めて探っていく学問なんじゃないか、
みたいなイメージだったんですよ、僕ね。
かたや、僕が好きなのは多分科学的な方なんでしょうけど、
まあ仮説を立てて、
もしかしたらこういうことなんじゃないかっていう仮説を立てた上で、
実験や検証をずっと繰り返していって、
データを取りながら、
まあまあこんなことなのかもしれませんね、みたいな。
仮説に対して検証を重ねていって、
またまあ今の現状こんな感じじゃないでしょうかっていう、
さらにより信憑性が高そうな仮説をずっと重ねていくと。
こっちも仮説を重ねていくのはそうなんだけれども、
間に実験とか実証っていうのが入ることで、
少しでもよりまあ確かにそれっぽいよなって、
たくさんの方が言ってくれやすいように、
確認を進めていくみたいな。
それが僕にとっては科学的なイメージだったわけです。
だからって本当の真実なんか分かりっこないよっていう、
大きな意味でのそういう意見があるかもしれないけど、
とはいえとはいえ、
例えば地球が丸いって言ったら、
なんで丸いのかっていうね、
科学的なデータとかこういうふうに検証していって、
こうだから地球は丸いんだみたいなね。
そんな話でしょ。
で、カタヤ、カタヤですよ。
地球は平らなんだって言ってる人ね。
フラットアースとかって言うらしいんですよね。
Xとかで見るとフラットアースって言ってね。
こうだから地球は平らなんだとか言ったりしてますけど、
もう地球って言っちゃってるじゃんみたいなね。
Qって言ってんのに平らなんだっていうね。
そんな論とかもあったりするけれども、
それって地球が平らだとしたら、
こういう現象はこういうふうに説明できるはずだみたいな、
仮説に仮説を組み合わせているみたいなところで、
実証的なデータとかではないわけですよね。
で、えっとね、
そうだ、イージーさんが一個、
前回の僕のクオリアの話をしたときに、
仮説に2個仮説を重ねちゃダメじゃんみたいな、
僕がガッカリしたっていうね。
仮説に仮説を重ねたらもうほぼ嘘だよって僕が言ったときですよ。
10%に10%重ねたら1%にしかならないじゃんって言ったときのコメント欄に、
この仮説に仮説を重ねたスタイフ、
エンタメスタイフ取ったらどうですかみたいに言ってくれたんだけど、
実際そこのコメント欄でやった、
僕が入れたのがこのフラットアース理論の話を、
ちょっといじって入れてみたんです。
確かに、地球が平らだとしたら、
地球はずーっと上昇、
9.8メートル毎秒毎秒でずーっと加速し続けて、
上昇し続けているはずだみたいなね。
そんな話、よく僕Xで見ていたんで、
それがまさに仮説に仮説を重ねたら、
一見正しそうに見えるやつだなと。
仮説に仮説を重ねるやつは全部陰謀論と同じ仕組みだと、
僕はそういう揶揄したわけですよ。
だからこのクオリアの話についてはそれだなっていうふうに、
僕はクオリアの話に限定した意味で揶揄したのが前回の話だったわけですが、
さらにね、もうちょっと細かく見てみたら、
クオリアの話の大前提にされている大きな二つの理論があるみたいで、
一番最初に1920何年間にクオリアという言葉を、
哲学界隈で出した人の話というのと、
あと最近クオリアというのは何々らしさだ、
人が何かを見たときに赤を赤らしく感じる、
主観的にそう感じるんだみたいな、
その二つが合わさって今クオリアっていうのはこういうもんだっていう定義になっちゃってるみたいなんですけど、
それぞれの大元の論文って実際何書いてあるのって、
全部は読んでないけど、これもまたGPTだけで聞いたら、
その何々らしさって言ってる話、
what it is likeっていうね、そういうキーワードで何々らしさって使われてるみたいなんだけど、
一番最初にそのwhat it is likeっていう論文を出した人は、
what it is like to be a bat、
コウモリがコウモリらしいっていうのは何みたいな、
そういう論文だったらしくて、
僕の理解はもともとは人間が何かを見たときに何々らしさって感じるって話っては全然なくて、
コウモリにはコウモリらしさ、
虫には虫らしさ、
そういうそれぞれのらしさがあるんだ。
それをでも人は認知できないんだ。
コウモリはコウモリらしさなんだけど、
それを人間があれはコウモリらしさだなって思うときにはもう人間のフィルターが入っちゃってるので、
本当の本当にコウモリが本質的に持っているコウモリらしさという意識的なものは、
人間にはわかりこないっていうのがもともと言われていたwhat it is likeの話だったそうなんですけども、
それと全く別のところで言われていたクオリアという話を、
後日ある哲学者の方がミックスしたんだって。
要は解釈をしたわけですよ。
コウモリがコウモリらしさを持っているってことは人間も人間らしさを持っているはずで、
それとクオリアというのは結びつくんじゃないかみたいに仮説に仮説に仮説を重ねて解釈を入れた。
それがまさにこの間言ったメアリーの部屋だったそうなんです。
実際そうかわかんないけど、一応そういう流れでGBTは説明してきましたよ。
要はこれって、そのメアリーの部屋っていうのをね、
本当にこれ間違いない、クオリアというのは何々らしさ、人間が感じる赤らしさ、
ここでもうねじ曲がってるわけだけども、
その人間が感じる赤らしさを、それを五感だけの刺激からじゃ説明ができないみたいな。
本当にそういう話に、ちょっと要は解釈を入れて筋を曲げたそうなんですよ。
もともとのクオリアっていう本当の1927年の時は、
もっとシンプルに、人間は五感で感じる刺激で、
何々らしいって感じるもんだみたいな、そのぐらいシンプルだとそうなんだけど、
そこにコウモリのコウモリらしさ、虫の虫らしさっていう話とミックスしたメアリーの部屋の通じて、
徐々に人間が感じるのは五感のものだけじゃなく、もっと根源的な意識的なものがあるはずみたいな。
神秘的なものがクオリアだみたいに、徐々に曲がっていったようなんですよ。
これもうどういうことかというと、要は解釈に解釈を重ね、
クオリアの議論の行方
さらにそれを後日違う哲学者がさらなる解釈を入れていく。
その後にハードプロブレムという、本当に紐解けないプロブレム、難問がやはりあるんだという、後追いする哲学者が出てきたわけでしょ。
だからそうやってどんどん、あの人が言ってるこれはこう解釈できるから、そうするとこうのはず。
そうなるとこういうふうに解釈できるから、さらにこうのはずって、これ何とそっくりだと思います?
これ本当に哲学界隈で何十年とやってきた議論だそうですよ。クオリアに関してね。
冒頭に言ったあれと一緒ですよ。フラットアースと一緒でしょ。
地球が平らだとしたらってあの人は言っていた。
でも平らだとしたら、じゃあこういうふうな可能性が、あ、そう解釈できるのか。
あ、だったらこういうふうに解釈できるじゃないか。これで間違いないはずだ。
っていうのが今並み立っている世界が哲学業界なんだなと、僕はちょっとね思いましたよ。
だから哲学という学問自体が、思考実験、頭の中での実験しかやらず、
言葉の理屈だけで解釈を加えていって、新たな解釈を作り出すという、解釈が解釈を呼ぶ学問になったんだというのが僕の結論になったので、
要はもう一回ですけど、哲学という学問自体は、やってる方いたら申し訳ないけど、
僕にはフラットアースの陰謀論とか、ビル・ゲイツがコロナを流行らせたワクチンの陰謀論がいっぱいあるでしょ。
やつ、海外の部類と哲学って僕、50歩100歩で変わんないんじゃないかと思っちゃいました。
だって解釈で解釈を重ねていくんだもん。それを実証なんかできない。
だからこれって、クォリアーという考え方自体を、そんなわけないだろって批判してる哲学者の方も何人かいたみたいなんだけど、
これはまさにフラットアースはそんなものないはずだ、あるはずだって言ってる議論と一緒で、
どっちもないことも証明できないし、あることも証明できないっていう、さらに哲学の話だと頭の中の考えで出してるもんだから。
科学的にも証明できないものをそもそも扱ってるので、議論にならないですよね。平行線のままですよ、ずっと。
だからクォリアーというものは、そういうものですよね。
哲学の解釈の重なり
だから陰謀論と同じように生み出されたもの。
それを、もし言う人が、「なんで絶対あるって言うんだ?」って聞いたら、
おそらく哲学者の教科書に載ってるような偉い人たちが言ってる話だからだよってしか言えないでしょ。
それ以外言えることはあります?
じゃあその哲学者さんが本当の真実を言ってるんですかっていうのは、誰も何にとも言えないわけですよ。
だからもう一回だけど、フラットハウスと同じ状況の学問なんじゃないかと。
これってクォリアーの話だけなの?って一応GPTに聞いたら、
あれあるでしょ、我思うゆえに我ありって言った、なんだっけな。デロイトじゃなくて誰だっけ。
なんか有名な、あれも同じように、後日の解釈によって全然元々言っていた話と違うようにねじ曲がっていったというね。
だからこれはクォリアーに限った話じゃなくて、哲学業界のあるあるといえばあるあるですっていう感じで、
一応僕のGPTは言ってきましたね。
それをさらに深掘りして、我思うゆえに我ありがどうねじ曲がっていったのかとかを追いかけるつもりはないし、
AIも混乱してる感じもしましたよね。
だから僕は、ファクトチェックしてくれって最近GPTとクロード両方に入れるんだけど、
さっきのWhat It Is Likeを言った人は、哲学の教科書上はクォリアーを後押しした中心的な人物であるって言われてるんだって。
そのWhat It Is Likeを初めて言った人。
だからこそ僕が、いやそれ関係ないじゃん、後から解釈がねじ曲がったんでしょっていう話を言ったノートをファクトチェックさせると、
最初はGPTもクロードもどっちも、いやあなたの言うということは間違ってます。
あの人はクォリアーの中心的な人物であって、
What It Is Likeっていう、何々らしさっていうその概念は、まさにクォリアーの今の議論の中心のコアにある議論ですよ、みたいに言ってくるんですよ。
いや、僕は指摘するんです。でも本人がクォリアーとそれを結びつけたんですか?
クォリアーっていう言葉をその本人は一度でも使いましたか?って。
使ってないでしょ?って。後付けの解釈でねじ曲がってませんか?って聞くと、チェックします。ファクトチェック。
確認できました。あなたの言っている通りでした。
クォリアーという言葉は一度もその本人は使ったことがなく、後日メアリーの部屋をやった人ね。
デビットだかジャクソンだかがそこを紐づけたという状況のようですと。
ということで出てきます。なので最初の一時回答はね、やっぱりAI側もそんなことないよって言ってきましたんで、そういう状況なので、
哲学の話、哲学的なものでを根拠にしている話は、僕は今後クォリアー以外もすべて、
聞き流すようにすることにしました。
もう今後どういう話が僕に降ってくるかわからないけれども、その根拠って哲学から来てる?みたいに僕は多分ね、聞くようにすると思います。
知らない言葉。だから哲学的ゾンビも哲学から来てるし、クォリアーも哲学から来てるので、
フラットワースと同じだなっていうふうに僕は思うようにします。
前提や定義や根拠が、想像妄想ですか。そこに誰かしらの解釈が入って、ちょっとずつずれていってるっていうね。
それが哲学なんだと。本気でおめめさん、僕でもこの49年間ですよ。
僕は哲学って、もっともっとすごいことをやっている分野なんじゃないかって本気で僕は思ってたんだけど、
嘘でしょって言いました。本当に。
えーって思いますよね。解釈が合ってるかって誰もチェックもしてないの?って。
しかも、合ってるもん合ってないもん、それ自体も解釈だし主観だしね。
それこそ主観ですよねっていう話になりました。
哲学は主観のぶつけ合い。やりたい人がやってればいいんじゃないかな。
哲学への新たな視点
仮説が仮説を定義し、それを解釈をし、また新しい仮説を頭の中だけで作り上げていく分野。
いや馬鹿にしてるわけじゃないんですけど、もう本当にちょっとね。
というふうに思いました。
もし本気で哲学に関わってる方が、もしいたら、
いや、力さんのその解釈自体が主観による解釈で間違ってるっていう部分があったらご指摘いただきたい。
僕はちょっと本気でショックだったんです。
哲学っていうのを僕も高校1年でちょっと習ったんですよ、学校で。
面白くて、そのおかげで結構精神的に立ち直れた実感があった。
若かりし頃も僕はあったので、本当にちょっと残念な気分になりましたね。
ということで、僕の愚痴をこんなに聞いていただけた皆さんありがとうございました。
皆さんにとって哲学ってどんなものですか?
フラットアースと同じ、変わらないじゃんって。
僕ね、馬鹿にしてるわけじゃなく本気でちょっと残念だなって思っちゃいました。
はい、ということで以上です。
より一層クオリアと僕にもし今後言ってくる方がいたら、はい、その通りって言います。
ごめんなさいって、話できねえことがないからごめんなさいって言うようにします。
ただね、それを含めて、ノートの記事でクオリアとか人格AIとかって検索してみると、
めちゃくちゃ真剣に私のAIには人格があります。
こうやって僕は人格を作りましたみたいなノートがめちゃくちゃ溢れているっていうこと自体もちょっと大丈夫かなっていうね、
ちょっとなんか、えーっていう、それはそれでちょっと極端じゃないかっていうふうに思うようになっちゃいましたね、僕もね。
だから皆さん僕がユニシスとか言ってた頃はそういう感じで見てたんかなと思いますけど、
一周回ってやっと僕はここに戻ってきたわけじゃないな。
一段階上の、さらに一段階上のこのポイントに戻ってきた気分で僕は一応言っておきます。自画自賛しておきます。
哲学まで深掘りし、陰謀論も解明し、
そして人とAIの違いがほぼないんじゃないかっていうところまでこれたっていうね。
少なりにはものすごい何週かして同じどこに、同じ見解ではないけど何週か積み重ねて層が分厚くなっている気がします。
ということで以上です。もう何を言いたいんでしょうか。もういいか。ということで以上です。
本当に配信皆さん減ってしまったし、言いたいことを言うだけでいいのかどうかちょっと迷いましたけど、
こればっかりはちょっと言っとかないともうダメだろうと思いましたので、僕が哲学にもちょっと物申というか新しい思いが出たので話をしてみました。
以上です。それでは皆さん思ったことがあればぜひコメントください。
以上です。 それでは行きます。
力チャージ! 今日も力あふれる一日を!
21:55

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