1. 英会話のトリセツ
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2024-02-01 17:18

#70 🔠 英会話 私が英語が話せるようになるまでにやったこと

他の日本人の学生さんと比べて、特に私が個人的に独自にやっていたことをお話しします。

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諦めない限り、誰でも何処でも何歳からでも英語は話せるようになる!ユルユルフワフワのこの時代に、空気の読めない熱量かなり高めのちじゅがお届けします。熱血だけど、メソッドは限りなくワクワクです。😆

ホスト: ちじゅ
🔅日本で特に外国人と話した経験もなく、英語の準備なく単なる勢いで、オーストラリアでワーホリ。その後色々な国に住んだり、バックパッカーしたり。
🔅日本での最後の職業は、英会話教師兼スーパーバイザー。今はドイツに落ち着きドイツ企業に勤務。社内言語はドイツ語、顧客とは英語が主要言語という環境。

英独語のブログ
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こんにちは、英会話並みを一人でも多く救う、をミッションにお届けしております、英会話のトリセツ、ホストのちじゅです。お元気ですか?
さて本日は、ちょっと私事の話なんですけど、私が英語がしゃべれるようになるまでにやったこと、っていうものをちょっとお話ししてみたいと思います。
私思うにですね、人それぞれの経験ってやっぱり違うと思うんですよ。私はこうやって英語ができるようになりました。
私はこうだった。ゼロからペラペラになるまでこれをやったとかって、もう今ネットに情報が溢れまくってるから、どれがどれやらわからんっていう状態になってるんじゃないかなと思って。
本当にこう、なんだろうな、情報がありすぎて余計にわからないっていう時代に今私たちは生きているところなんですね。
なので一人だけの経験を聞いて、あそっか、それが自分に当てはまるとかいうのは危険ではあるとは思ってるんです。
ただいろいろな人の意見を聞くとか、自分のこの信じる力っていうものを信じてもらってですね、いろんなものを聞いて、これは自分には当てはまるんじゃないかとか、これはできるんじゃないか。
あるいはとりあえずちょびっとやってみて自分に合うかどうかを見極めるとかってね、そういうなんか自分で自分軸を持って見極める力っていうものが今の時代は本当に求められている時代じゃないかなと思うんですよ。
で、私のチャンネルで何か話をする時にはなるべく意識しているのが、私個人の意見っていうよりは自分の経験はもちろんのこと、あといろいろな人を見てきて、あるいは教育現場とかいろいろな生徒さんとかいろいろな人と関わってきて、
あるいはいろいろな文献とかいろいろなメソッドとかを読み漁ってと言いますか、いろいろと調べてみて、自分でがてんがいくようになったものをシェアするように私はしてるんです。
なので自分の経験だけではなくて、いろいろな観点からいろいろな角度から英語っていうものを見てみて、それで最終的に日本人にあったものはこうじゃないかっていうような形で私は割とみんなにお伝えしようかなっていうのを心がけてはいるんですよ。
なので今日お話しするのはもう私の個人的な経験の話なので、その辺はね、やっぱりあなたに判断してほしいなと思うんですけど、私オーストラリアに23歳の時に初めて海外というものに一人で行ったんですね。
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で、それ以前には会社の海外研修っていうのがあって、そこで3日くらい、2日かな?ハワイかなんかにね、研修旅行っていうのを当時ね、バブルの終わりの頃の時代でね、海外研修なんてものがね結構ねいろいろな会社であったんですよね。
それでハワイにね、連れてってもらって、会社で勤めて何年目だとどこそこに行けるとかでね、なんかね、そんな感じでね、会社がね、お金を出してくれて、研修旅行という名の海外旅行に連れてってくれるみたいな、そんな時代ではあったんですけど、そこでね、初めて海外っていうものに行って、もう痺れちゃったんですよ、私はもう痺れちゃったんですよね。
もう1分1秒が楽しくてしょうがないっていう経験を私したことがなくて、もう異常に楽しくて、もう異常に毎日がハイ。別に何をやってるってわけでもないんですけど、唯一あんまり楽しくなかったのは会社のなんかパーティーみたいなやつで、なんか立食パーティーみたいなやつ?じゃないわ、半分研修みたいな感じの、あれは楽しくなかったんですけど、
もうなんか外に出てる時はもう嬉しくて嬉しくて、なんか海外にいるっていうだけで楽しかったっていうのを覚えてるんですね。
そこで、まあそれがね、22歳のぐらいの時かな?なんですけど、その時に現地の人とね、ちょっと知り合いになってね、話とかをしたんですよね。
で、私グループで来てますからね、会社でも来てるし、仲良しグループがあったんですけど、それからちょっと私、何でか1人離れてね、1人でプラプラしてたんですよ。
で、その時に知り合った人たちと仲良くなったりとかして、いろいろと一緒に遊んだりとかもね、自由時間があったのでしたんですよ。
で、会話が結構できたんですよね、今考えると。
で、それ以前は何してたかっていうと、会社で働いてますよね。英語なんか使ったこともないし聞いたこともないんですよ。
全く。2,3年間。ゼロですよね。英語ゼロです。
その前に何をやったかっていうと、短大に行ってたんです。
で、私の短大っていうのは英語科なんですけど、英語科って聞いて何となく私は勝手に、
あ、もうちょっとなんかこう実践的な文科じゃないから英語科だから英語やってくれるのかなと思ったら全然違って、
なんかそればかりか、なんか聖書まで読まされるっていう、なんかちょっとキリスト教系の短大だったんですよ。
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もう私もアホだからね、そういうのも調べもせずに何もわからず。
当時はネットもありませんし、調べるって言ってもね、難しい時代だったので、
まあね、とりあえず行っちゃったら、こうだったのね、みたいな感じで。
そんな感じだったんですよ。
なので英文科とほとんど一緒で文法とかもやるし、なんか読むんですよ。シェイクスピアとか。
シェイクスピア読んで何なのってね、思いますけどね、私当時もね、不的されててね、ほとんど授業なんか聞いてないんですよ。
やる気ゼロですよね。なんか間違っちゃったみたいな。
で、成績なんかもう本当に落ちたら嫌だから、卒業できないのは嫌だからギリギリですよ。
ギリギリ、欠点に行かない、ギリギリの辺りで何とか卒業できるっていう、まあ本当に丸切り中間の成績ですよ。
私人生においていつもね、中間なんですよ。何の成績にしても、いつもね、なんかこう、良くもない悪くもないっていうね。
1から5まであったら、いつも3、オール3みたいな人間なんですよ。
やる気もないし、特に何か頑張るでもなし、まあ、ほどほどみたいなね。
面白くもなんともない人間なんですけどね。
で、短大でもね、ちょうどギリギリみたいな。たまに良いやつもちょびっとあるみたいな。
そんな感じのね、人間なんです。
ただね、授業はいつも不的されててね、寝ててね、いつも私はバッツリ受賞をね、持ち歩いてたんですよ。
で、おでこがいつも真っ赤になってたんですよ。
その辞書の上にね、頭を置いていつも寝てたからね、おでこが真っ赤にね、いつもなってるっていうね。
で、辞書はね、もう常にね、手放さずにね、持ち歩くってすっごいバッツリ辞書なんですけど、
ハードカバーをのけるとね、ソフトカバーになっててね、ちょうどね、おでこがね、ちょこんとのせるのにね、いい感じにね、それにのせて、いつも寝てたんですよね。
ほんと、お金と時間の無駄ですよね。
ただ、なんかね、ランゲッジ、ラボラティとか、英語とかのね、テープが置いてある場所があってね、そこは勝手に行っていいんですよね。
で、授業で一回使い方を教えてもらって、これいいわと思って、私はよく一人きりで、ほんと一人きりですよ、他にやってる人なんかいませんでしたけどね、
私そこに入り浸ってね、テープを聞きまくってたんです。
発音の矯正とかができるっていうか、発音を真似ることができる。
なので、もう私ね、当時、もう私もいい歳ですから、当時はテープなんですよ、テープ。
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CDっていうものさえ存在しない時代の人間なので、テープなんですけど、テープを自分で巻き戻してやるって、自分の持ってるものではすごく大変なんですよね。
で、そこの場所のいいことは、ちょっと戻してまた再生できる。
で、スロー再生もできるとか、なんかそんな感じだったと思いますよ、カセットテープがね。
で、それで練習が自分でできるっていうものだったんですよ。
で、私はそこに行って、そのテープをもう本当に擦り切れるんじゃないかっていうぐらい、繰り返し繰り返し繰り返しっていうのをそこでやってたんですよ。
フレーズを聞いては真似して、フレーズを聞いては真似して、戻して戻して戻してみたいな、そんな感じでね、一文一文をね、自分が納得できるような発音ができるまで頑張るっていうのを一人っきりそこでやってたんですね。
それが他の子たちとは全然違う私がやったことです。
で、英語科の短大卒業する時に英語が話せるようになったなんていう人は一人もいませんよ、もちろん。
話したこともないですしね、全く。
話す授業なんてなかったし、聞くっていうのもほとんど、いや全然じゃないかな、もうシェイクスピア読むとかそういった授業がほとんどでしたからないですよね。
なのでもちろん話せるようになった人なんて一人もいません。私が知っている限り一人もいませんでした。
で、その前、高校とか普通ですよね、当時の勉強ですから、口に英語を出したことなんて一カメだですよね。
英語を口に出して発音してみた、声に出してみたなんてことは一言もしてませんよね。
音読をさせられるのがクラスに一人、文章を読まされるっていうのが日にちによって当たれば読まされるみたいないうことはあった。
それくらいですよね、そんな授業でしたよね。
ただですね、私はすっごく音楽にハマっちゃって、ヘビメタ少々だったんです、当時はね。
これこそ音楽だ、みたいな。
なんかみんなが日本の歌謡曲とかを聴いている時代に私はただ一人、ヘビメタを聴きまくってたんですよ。
で、それがどうしても歌えるようになりたくて、もうすっごい練習したんですよ。すっごい練習を。
バンドまで形成してボーカルまでやっちゃったみたいな。
何考えてたのかわかんないんですけど。
ヘビメタしか好きじゃないからボーカルって難しいんですよね。
めちゃ早口なんですよ、なんか。
しかも音程も高いし。
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何だったんだ、あれは。
とりあえずヘビメタ少女だったからヘビメタがやりたくて。
ただ、バンドを作ってやった時にはやっぱりもうちょっと一般受けするものじゃないとダメだっていうことで、
ちょっとロックっぽいね、もうちょっとスローなものも練習して、そういうものが披露できるようにっていうのをやったんですよね。
文化祭っていうのがあって、それでバンド作ってやろうっていうことで、
当時、ブライアン・アダモスとか歌ったりとか、男の人ばっかりなんですけどね。
クワイエット・ライオットっていうヘビメタのバンドがあって、それも好きだからそれをやったりとかしたんですよ。
でもそれで練習をしますよね。歌いたいから。
でも音楽が当時は本当に洋楽が好きだったから、
本当に練習をすっごいしたんですよ。
しまくったんですよね。
で、やっぱりね、他の人たちと違うのはその部分ですよ。
その部分が全然違うんです。
音楽を聞きまくって、みんなが日本の海洋曲を聞いている時に私は洋楽が大好きで、しかも歌いたくてしょうがなくて歌いまくってた。
練習しまくってた。聞きまくって口に出して練習したっていうのが高校の時代です。
そして短大の時代はふてくされて、
ランゲッジセンターとかいうところに行って発音の練習をしまくった。
文学が嫌いだったからっていうことなんですよね。
大学も行ってるし短大行ってるから元も取らないと思ってたのか何なのか。
もうめちゃくちゃそれは使いまくったんです。
その2点が他の人たちと全然違うことを自分が勝手に誰に教わったわけでもなんでもなく、
本当に自分がこれはやりたくてやってたっていうものなんです。
で、オーストラリアにワーホリに行ったんですよ。23歳の時に。
そしたら、それ以外はもう英語ってやってないですよね。
特にネイティブで話したっていうのはハワイの研修の時にちょびっと話したっていう記憶はあるんですけど、
それ以外何もしてないんですよ。何もしてないんだけど、
オーストラリアに行った時に意外と話せたんですよ。
で、私全然英語できないから最初は英会話学校に行くって決めて英会話学校に行ったんですけど、
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先生たちがこの子はできるから上のクラスねって上のクラスに入れられちゃったんですよね。
自分ではできると思ってなかったですし、いまだにいやちょっとそんな上級じゃないでしょと思うんですけど、
ただ他にもワーホリで生きてた子、日本人の子でたくさんいましたけど、私だけちょっと違う感じは確かにしましたよ。
でやっぱりね後で思ったのはこの2点だと思うんですよ。
これしか他の人と違うことはやってないですもん正直。
で、あとは本当にマインドセットっていうか自分は英語ができるようになる。
そしてあの昔メルキプスンが好きだったんで彼と話せるようになるとか思い込んでたんですよね。
そこだと思います。思い込んでたっていうか話せるようになったらいいなとか思ったんですよ。
そこですよね。だからマインドセットがそこの根底にあって、で実際にそのマインドセットに突き汚されて、
音楽も好きだったし、これを絶対やるようにやれるようになりたいっていうそこの一点だけですよね。
大学時代は元取りたいっていう一点ですよね多分。
それでなんか頑張ったんですよね。
そしたらね、なんだか知らないけど結構話せたんですよ。
そんないろんなテーマについて話せるとかじゃないんですけど、ただ他の人と比べるともう明らかに私はできたんですよ。
すごくなんか今回長くなっちゃってごめんなさい。
この話が何か参考になれば嬉しいんですけど。
ねえ、とかな。
はい、ではまたねー。
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