learnの本来の意味
おはようございます。英語の歴史を研究しています。 慶応議事部大学の堀田隆一です。
このチャンネルでは、英語の先生もネイティブスピーカーも辞書も答えてくれなかった 英語に関する素朴な疑問に、英語史の観点からお答えしていきます。
毎朝6時更新です。ぜひフォローして、新しい英語の見方を養っていただければと思います。 今回の話題は、
learn は「学ぶ」ではなく「教える」という話題です。
learn という英単語、動詞はですね、非常に日常的に「学ぶ」という単語ですね。
学ぶ、学習するということで、 I learn English のように使うわけですね。
ところが、語源を探りますと、 語彙語の時代には、これはなんと反対語と言ってもいいんでしょうかね。
教えるという意味があるんですね。 学ぶというと、これ受け身です。教えるというと、積極的、能動的という感じで、
向きが反対で、いわば反異語、反対語というふうに感じられるわけなんですが、 この2つの意味が、なんと語彙語では同居していたという驚くべき話題なんですね。
このように、一種反対向きの意味が同居していた単語というのはですね、これ Contronym。
反対のという意味の Contrary という形容詞がありますね。 あれから作られた単語で Contronym ということで、
反対の意味が同居している単語ということで、 この learn も今は違うんですが、かつてはこの Contronym だったということになります。
方言と古語の影響
ただし、かつて教えるの意味も learn にあったという言い方をしたんですけれども、 この非標準的な、例えば方言であるとか、ちょっと古語的な使い方では今でもちゃんと残っているんです。
例えばですね、つまり教える、分からせるという意味で使われることがあるんですが、 He learned me how to skate
なんていう表現があります。これは He learned me how to skate ですが、これ He taught me とすると、すっと入ってきますね、この意味が。つまり learned っていうのは、この場合
taught の意味で、彼は私にスケートの仕方を教えてくれたというふうに、 学ぶではなくて、
教えるという意味が learn にあった。 これが今でも方言では残っているということなんですね。
そしてこれは方言に限りませんが、標準英語でも言いますが、 これも決まった文句で、少し古風な雰囲気はありますが、
I learned you というのがありますね。 I learned you. I will learn you ということです。
これ文字通りにとれば、私はあなたを学びますよと、何のことか全くわからないわけなんですが、 これはもともと learn が teach の意味だったということを思い起こしてください。
そうすると、あなたに教えてあげるよということで、これは 思い知らせてやるぞという、ちょっと恨みと辛みのこもった
シチュエーションで吐かれる言葉ですね。 I learned you っていうと、思い知らせてやるぞ、つまり I'll teach you とか I'll tell you something
みたいな、そんな言い方になりますよね。 こういったふうに、非標準的な表現であるとか、フレーズですね。
古風な表現では未だにこの teach の意味の learn っていうのが残っているってことになります。
さあ、ではなぜ、古英語ではこの learn という単語に、学ぶと教えるという、 向きとしては反対の意味の単語が同居していたのかということですね。
視点の違いと意味の変化
これはですね、日本語でも例えば、教えることは学ぶことである、なんていう ことわざと言いますか、格言みたいのがありますよね。
で、これ、教えることができるくらいではもう十分それを習得していること、 つまり学んだことになるんだという解釈もありますし、教えることによってむしろですね、
自分が学ぶんだというような、いろんな解釈があって、 教えることは学ぶことだ、みたいな、一種の格言みたいなものはあるわけですよね。
これをまさに、体現している単語が learn だったわけです。
これは、教えるであり、そして学ぶである、ということですね。
なぜ、同居し得るんだろうかと、一見すると反対の意味の語が、 一つの learn という単語に、意味として同居している。
これはどういうわけなんだろうか、と考えるとですね、 こういうことだと思うんですね。
1対1、個人指導のマンツーマンの教えている授業風景というのを考えてみたいと思うんですね。
先生がいますね、一人。そして、相手に一人生徒がいますね。
で、教えているということですね。
これ、先生にとっては、何かを教えているということになります。 例えば、英語という教科を教えているという姿になりますね。
この生徒にとっては、先生から教わっている。 先生から学んでいるということになります。
これ、当然反対向きなんですが、 じゃあ、この2人がですね、教えて、そして教わっているという、この個人指導風景ですね。
これを、肌から第三者的に眺めていると、何が起こっているかというと、 要するに、個人指導が行われていると。
知識の呪術が行われているというふうに客観的に見えるわけですよ。
先生の立場になれば、もちろん教えているだし、 生徒の立場になれば、教わっているとか学んでいるという言い方になりますね。
ただ、そのどちらでもない、第三者の立場から見ると、 これは知識の呪術が行われているとか、個人指導が行われているという姿に行わないわけですね。
この姿こそが、ラーンなんだと思います。
このラーンが、見方によって、つまり先生の立場にとっては、これは教えているになるし、 生徒の立場にとってみれば、これは学んでいるとか教わっているということになります。
ただ、第三者的に見れば、これは教える、教わるという、 この一対の、コインの両面みたいなものですが、これが存在している、これが行われているというふうに見えるわけです。
ですから、確かに、見方、視点ということで言えば、 これ反対語と言えるんですけれども、
第三者から見れば、決して反対ではなく、 一つの、まったく同じことが行われているというふうに見えるわけですね。
こういうことって、多いと思うんですよ。
例えば、坂。坂って言うと、傾斜のある陸地ということなんですが、 これ、上の方にいる人から見ればですね、これ下り坂って見えるんですよね。
坂の下にいる人から見れば、これは上り坂って見えるんですね。 立場によって呼び方が変わるんですが、これ第三者から見れば、両方とも坂なんであるということで、向きが違うだけで、実は一つのこと、同じことが、見方によって全く逆になるので、それに対して違う言葉が割り当てられているということも多いということです。
現代では、この、いわゆる、下り坂と上り坂が、しっかり分かれている形で、それが、learn、teachというふうに、二語に分かれているわけなんですが、小英語の場合には、それが決して分かれていなかった。
つまり、坂と呼ぶのと同じ感覚で、learnという単語があって、見方によってそれは、教えるにもなるし、学ぶ、つまり、教わるですね、にもなったんだと。
こういうふうに考えると、なぜ、この反対向きの単語は、意味の単語が、一つの単語に同居し得るんだということが、よく分かると思うんですね。
これは、小英語の話なんですけれども、オランダ語のlearnという単語であるとか、フランス語のapprendreも、これは同じなんです。
つまり、学ぶという意味と、教えるという意味が、同居しているということなんですね。
さあ、このような事情なんですけれども、本当に言うと、もう少し事情は複雑で、小英語では、実はleornian、つまりlearnですね。
学ぶとlearn、教えるという意味の、teachを意味するlearnというのは、区別されていたことは、区別されていたんです。
どうも、この二つが合流して、先ほど述べた、つまり一つの形、learnなんだけれども、教えると、学ぶ両方が同居するようになったということで、
本当に言うと、つまり小英語から、その二つが同居したというよりも、中英語になって、この二つが結びついたというのが、どうも事実のようなんですね。
この辺は、ちょっと厄介な問題なんですけれども、結果として、learned、現代英語で言うlearnにedをつけて、日本説で発音されるlearned、学識のあるという意味なんですが、
これは実は、教えるという意味のlearnの過去分詞なんですね。つまり、教わった、教育を受けたということです。ではまた。